RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

機関車と枝豆パンと天井うさぎ

2013-05-25 16:02:52 | あんたそうと?


知らない天井に慣れてきた頃先住うさぎがいたの
天井うさぎって種族なのか・・・。


免許証の住所変更に警察署に行った
普段家にいるとお昼は食べないのだけど
小腹がすいて駅構内にあったパンやで
枝豆パンを買って警察署の近くの
コカコーラ社前の名入りベンチで食す



ちょっと前に神戸の食いしん坊の友人が
枝豆出汁巻きを買いに来てるというメールを
くれていたのが頭の隅にいすわっていたのか
迷わず枝豆パンを買う
この枝豆パン枝豆の下にレンコンが敷いてあった
パンはフランスパンを半分に切ったもの
かなり食べにくい出来ればフランスパンじゃないほうが
合うのになあとレンコンをかみくだきつつアゴが思う



そしてコカコーラが飲みたいと思った次第


警察署の隣の公園には機関車。


いい~。


引っ越し祝いにいただいた胡蝶蘭
水遣りは1ケ月に一度で良いとある
なんて小食なのか。。。




大気中から吸収しているのか・・・できる奴。





「一番・大吉」線路は続く・主なきとて・春な忘れそ。

2010-01-28 00:33:43 | あんたそうと?

(舞鶴公園への橋の夕闇に潜む・・・。)

太宰府天満宮の
「一番・大吉」のおみくじには
この句が書かれている

東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花  主なきとて 春な忘れそ
  
『飛梅』は、菅原道真を慕って
京から太宰府まで一夜で飛んできた
と伝えられているね
我が家の梅の花も蕾をつけています
春を忘れずにいるみたい

今日
どっかへ出かけていて帰ってきた娘が
「大宰府天満宮まで行ってきたよ!」
と言って
引いたおみくじを見せてくれた
「すごいでしょ!一番・大吉よ!
一緒にいた友達が皆、驚いていたよ。」

差し出されたおみくじ
「なるほどすごい!あたしゃ初めて見たよ
「一番・大吉」なんてさ~。」
いつも いつも
くじ運は ぴかいちな娘
もうもう 兎に角
宝くじ買って あててちょうだい!
って、おもうでしょ

そのくじには
運勢 華やかな運気です~で始まり
何から何まで
いいことが書かれていて
「このくじ、ちょうだい!」

思わずつぶやきました・・・。

主なきとて 春は忘れるなだ
「どっか部屋に貼っとき。」
ご利益 ご利益。
他力本願 他力本願
我が家にも 春を もっと春を~。
今年まだ私 初詣していない
明日
そこの町内神社にいっとこ
と思ったの




話は変わるけど

トリノ・エジプト展で見た
天空の神ヌウトが描かれていた
「神殿の庭師メンチュイルデスの人型の内棺」
(紀元前850~紀元前750年頃)
てのが、展示してあったことを
思い出し
もう一つ確か庭師の棺があったんだ
けど
なんて名の庭師だったのか?
思い出せず
それにしても
何千年も前から
庭師たちは活躍していたんだなあ
などと考えつつ
でも庭師の地位は
いまひとつ向上していない気はする

ちょっと根暗な都会の庭師
深夜1時すぎ

材料計算書のチェック
しておりました
で、なんか
お腹がすいたので
棚を横目でちらみする
皿を立ててある棚の横に
おやつがないかを見つつ
仕事もしつつ・・・。
でも手を止めて
真剣に棚をみる
めぼしいものはなく
その下もさぐってみる
土鍋を置いている横に
ふふ
いいもの見つけた!
(株)栗山米菓製
「白いばかうけ2009クリームチーズ味」
初体験の味だ
さっそく袋をあけていただく
これは美味い!
と膝をうちうち
またコンビニで仕入れよう
と考え仕事に戻る
しかし
はたと気がついた
2009とある
そういえば
これを買った記憶はもう薄れて
ない・・・。
2ヶ月以上は経っているかも
もう2010年
だから
もう売っていない?
ふうむ
年号が商品名になっているのは
限定商品だから?
栗山米菓さん2010も
あるといいな
「白いばかうけ」
個人的にこの味ばかうけです




米菓が好きなので
製造社名を見て買う事が多いが
大抵
米どころ
新潟の会社の商品だったりする
栗山米菓もだが
三幸製菓とか北越とかも
気に入っているが
両方新潟だった
けど
普通に炊く米は
山形産が結構気に入ってたりする するよ
特にこだわりはなく
毎回違う産地米を買うが
何年か前に買った山形の米に
膝を打つ
という記憶が後を引いて
山形産と書いてあると
つい選んじゃう
それと「秋田こまち」は好き
九州の米だと朝倉米や阿蘇米や佐賀米
大抵5キロ入りを買う
重いからね10キロは
財布の中身で最安のを 買う時もある
節操なく いろんなところの米を食べ
日本国土の体を作る
いろんな土地の土と水で出来た米を食べれば
平均的日本人に出来上がるの

どうかは定かではないが

美味しく炊くには
水かげんが米によって微妙に違うから
大半食べ終わった 米びつ最終章
ベストな 水かげんの米が炊き上がり
満足の時も つかの間
また違う米に変わるから
ちょっとどうなの?
って 思っている
じゃあ 次も同じ米にしたら?
と思うでしょ
でも 結局は違う米を買う
なぜなんだ!
食へのこだわりは こだわらない事
いろんな土の記憶を刻め
ってこと




兎も角
それよか
ばかうけと材料計算チェックよ
材料計算と言えば
やはり土だしね

床掘り・埋戻し・残土処分
から始まる
土を掘り・基面を整成し・基礎を作り
土を埋め戻し・基礎体積分の残土を処分する
この体積を一つ一つ
構造物ごとに計算する
その他
構造物の使用材料をこと細かく
単位数量ごとに計算する
これを見ると
脳内に走馬灯が回る

約20数年前
初めて自分で設計した小さな公園
敷地は廃線になった路面電車の軌道敷跡だった
プランニングし
構造物のデザインを考え
修景ウォールの陶板タイルの色まで特注したり
るんるんで図面を描いて
打ち合わせでOKがでて
喜び勇んだ のもつかの間
試練が待っていた
材料計算である
細かく 細かく 細かく
担当者が必要以上に
細かい所にチェックを入れる人で
さらに細かく計算する

いやはや思い出してしもうた
走馬灯の明かり消しておこう
っと


(ついてるよ灯り・・・。)

その頃からか
その前からか

線路というものに
妙に惹かれるようになる

線路の写真を眺めると実に楽しい
るるん るんと
それも廃線になった後の線路だ
列車が走らなくなった用済みの線路

せ~ん路はつづく~よ どこまでも~
野~を越え や~ま越~え 谷越えて~
で~もでも 今~は 廃線路~~~。

ちょっと雑草が生えて夕日に映える
廃線の路を歩きたい
多分線路というより
鋼鉄レールが好きなんだね
ステンレスも好きだけど
レールはほったらかされて
錆がでてきたくらいがいいかも
光っている部分も少しあっていいね
いやもうもう 磨きたいよね
そのさびを(笑)

電車好き鉄道マニアは数多い
らしいが
廃線路跡好き は
どれくらいいるのか?
仲間を募ってみるかな・・・。
廃線路を巡る旅ツアー企画参加
希望者は
メールお待ちしてます(秘笑)

いまはとりあえず写真で我慢しよう
その写真はマンハッタン

こんな感じでどう 
クリック

「ザ・ハイラインですな」



う~ん
この路線 めっちゃ シビレルわ(笑)

ここは
去年6月中旬に部分オープンした
ニューヨークの「The High Line」
マンハッタンの西側
1930年代に作られた貨物用高架鉄道
ウエスト・サイド・ライン(West Side Line)
が1980以降使われず放置されてきたが
緑の遊歩道として
軌道レールを残し(ここ大事なトコ)再生された
全長約2.3キロのうち南側の
ミートパッキングエリアの
Gansevoort Street
から
20丁目までの区間が完成した
残りもそろそろ か?

ああ いかなくちゃ いかなくちゃ
傘がなくても いかなくちゃ~

ザ・ハイラインチェルシー地区
から
ミートバッキング地区間

バドソン川沿いの工場倉庫へ
貨物鉄道の高架線跡へ
ああ!行かなくちゃ!!

るるが 蒸発したら
まず 最初は
ここに行っているのは間違いない
追ってくるなら
マンハッタンは西
ハドソン川沿い線路跡に来てみてよ。

ウラノ 線路跡ニ イマス

この遊歩道をまたいで建っている
なんと 跨いでるのよ!
モダンなスタンダード・ホテル
このロビーには
映画監督のマルコ・ブランビヤって人が
制作した
「Civilization」って映像があって
その超スーパー曼荼羅な
天上の緑の苑では
マイケル・Jが?
ステップ踏んでまスン?

確かめてみたい方どうぞ
クリック

「THIS IS IT な Civilization」


主なきとて
文明開化の音がする
心底 春をわすれるなよ


(あんた・・・もうその辺でええよ)

ハートの日に躁鬱の亡き人を偲び蝉の自殺防止月間と定める

2007-08-10 01:55:26 | あんたそうと?

(この夏お中元の讃岐うどんと懸賞であたった土佐の魚の開きで
生き延びる我が家四国様様~四国の方にゃ足を向けて眠れまいさ)

今朝、短い夢を見て
めずらしく
その夢を起きてからもおぼえていた
何故かと言えば
鼻がつまった状態で目が覚めたからで
何故なら夢の中で号泣していたからで
どんな夢かっていうと
友達2~3人と、とあるビルに入る
そのファサードのガラス面は割られていて
とりあえず応急処置で塞いである
その横の入口から中に入ったるるは
突然友達に抱き付いて、なんと号泣するのだ
なにかわからないが、そのビルで以前
怖い体験か悲しい思い出がある為に
今まで避けていた場所だったのだ
そこに足を踏み入れたことで
その体験をよみがえらせた、というだけではなく
逆に辛さを克服して、その場所に自分がいることに
感動して号泣、号泣である
あまりの号泣に鼻がつまってしまった
ということみたいだが、目が覚めた時
涙は一滴も出ていないのに、鼻だけつまっていて
息ができるように何度か鼻で空気を
すすらねばならなかった

ふーむ、変な夢だったなあ
まあ大抵、夢は変なんだけど
号泣する夢はあまりないからおぼえていたのか?
朝4時過ぎに寝て見た夢だから
眠りが浅くておぼえていたのか
なんとなく号泣の後の目覚めってわるくない
気持ちすっきりした様な気もして
実生活じゃあ号泣することなんてほとんど無いから
しかし年と共に涙もろくはなる
しょーもないことで、うるうるするからね
でも声をはりあげて泣くことはない
毎日蝉のなく声におぼれかけて目は覚めるが
自分の泣く声におぼれて目覚めたのは初めてだ
きっと深層で泣きたかったのかも知れない
夢もたまには役に立つって思う朝だった。
ちょっと気になるのは
そのビルでイッタイ何が
ってことだ
まあ夢の台本は自作自演なので適当に考えてみよう。

さて
全英女子オ―プンゴルフは、メキシコ人初の
オチョアさん優勝で良かったね
グアダラハラ出身168センチ25歳
いやなんとなく名前の響きに、つい興味を惹かれただけです
興味といえば、6日の新聞には人生の大半を波乗りに費やすという
サーファー犬の写真が載っていて、もちろん
カリフォルニアの波にみごとに乗っていた
ゴールデンレトリバー3歳

そろそろ日付けも変わる8月10日
語呂合わせ好きの国民がいうから
焼き鳥の日またはハート(心臓)の日だ
しんぞうの日か~しんぞうねえ~しんぞう?
「え~ご新造さんへ~おかみさんへ~お富さん
イヤサ~お富。ひ~さ~し~ぶりだ~な~」
しがねえ恋の情けが仇・・・の切られ与三郎ですが
もとはといえば小間物屋の若旦那やないですか
恋に落ちたがばっかりに、あわれ傷だらけの人生です

傷だらけの人生といえば鶴田コウジ
耳の後ろに手をかざして歌っていましたね
母の再婚相手でるるが17歳から22~3歳まで
一緒にくらした元義理の父(もう亡くなりました)が
この鶴田コウジが好きだった・・・と思い出した
彼は神経内科と内科の医者だったのだけど
躁うつ病というやっかいな持病をかかえていて
その天と地ほどの人格の変わる様を身近で体験した
最近はうつ病のことは沢山情報として流れているし
珍しくもない心の病ではあるけれど
躁と鬱の両方かかえている場合は結構ハードでしょ
その頃のるるには衝撃と驚きの体験ではあったと思いなせ~
ハートの日になんとなく思い出してしまった

人間のココロには「遊び」がなくちゃなりません
建造物のココロにも「遊び」がいります
この場合の「遊び」は「スキマ」のことです
スキマがないと「もろい」「よわい」「こわれる」という
まあそういう結果に至ることままありなわけです
あまりにきっちり合わさっていると
衝撃には耐えられないものです

スキマちゃあなんね?
ふふふ、
ココロのスキマのことは
もぐろふくぞうさんに聞いてみて下さい
るるには答えられません
あれま
真夜中なのにもう蝉が鳴いている
しかも電気のついている
るるの部屋のガラス戸に
飛び込んでくる自殺セミがいる
「ごっつん」という音の後に
「ぼっとじじじ・・じぃ」と
落ちる音がした・・・。
ひとりごっちてるばやいじゃなか
電気消してはよ寝んしゃい
セミの自殺防止月間ですし
でもねえ~
ハートにひとりっごっちて
スキマをつくっているので
え~イヤサ~おセミ~
死なんとってんか
今日は
このへんで勘弁しといたる

「焼肉ハートにビビンバきたよ」は
なべしまのコピーでしたね
ほなまたおあいしましょ
さよならさよならさよなら









右からきた予知能力は左にうけながす~

2007-08-04 23:59:16 | あんたそうと?

(自転車男の夢・・・コンビニのビール棚)

先週NHK衛星放送でアランドロン特集を放映していた
どの作品も見る暇がなかったよ・・・でもね
「太陽がいっぱい」のことをブログに書いたりした
次の日
この映画が放映されているのを番組表で知って
その後も新聞見ながら、番組表にアランドロン特集の1作品
「太陽はひとりぼっち」っていう映画が
載ってあって、ホンとにホンとに
なにげになにげしてなにげなくビデオに撮ってみた
暇な時に見てみようか~なんて、それ1本だけ撮ったのだった
そうしたらその後、
1日の新聞にミケランジェロ・アントニオーニ監督
が亡くなったと新聞にあって、あまり知らなかった映画監督だけど
この監督さんの作品だった・・・ふ~む
るるには予知能力があったのだった
時々そうじゃないかと思ってはいたが(笑)
まあ夜中にアントニオーニ監督一人追悼映画鑑賞だね
「るるもひとりぼっち」でね

ここ4~5日は本当に夜が眠れず結局
朝の四時、五時にやっと就寝がづっと続いていて
疲れが溜まって眼がショボショボたれ眼になって
ロッキーのテーマでも、はなうたせねば・・・と
いやいやだめだスタロ~ンんね
それじゃあますます、眼がたれて~あかんよね

そんなたれめな土曜の朝
マグカップミルクティを飲みながら
ふと思ったのは、るるは、右利きなのに
何故ゆえカップを持つのはいつも左手なのか
という疑問が芽生えた
喫茶店とか人が出してくれるカップの取っ手が
いつも右側だから
くるりと180度まわしてから左に持って飲む
問題は飲み物と一緒に食べ物のお皿があるときで
右に飲み物、左に食べ物という配膳の場合は
右左を入れ替えるのであった・・・何故なんだろう
と考えていた時
そういえば自転車に乗るときにも困っていることがある
るるの自転車は自立スタンドが左側についているタイプで
乗るときはスタンドを上げるために
左からまたいで乗らなければならない
右利きの人たちは普通左から乗るのだろうか?
どちらか知らないが自立スタンド片側タイプは
大抵左についているから右利き用なんだと思うけど
るるは、無意識にいつも右側に行き
「そうそう左だった!」と左にまわって
回り道でまたぐ・・・しかも降りる時も
本当にまた無意識に
やっぱり右に降りてしまう、右に降りて
いつも「しまった!」なのである
もう一度またいで左に下りるか、
あるいは手を思いっきり伸ばして
後ろから左にまわるか・・・これはかなりの荒業じゃ~
だから今度自転車を買う時は自立スタンド両側タイプにしようと
固く、固く、固く心に決めている次第です・・・。

右脳と左脳の架け橋の構造計算が
若干ながらずさんなのか
時々右と左がわからなくなる・・・るるでした
右から来たものは左にうけながす~って
いわれても(笑)
まあうけながすならどっちでもいいかあ
橋が崩れないように
今度は左で箸を持つ練習でもしようかな
両刀づかいの修行にでます


今日のうた


そして、プーは、うたいはじめました。

下むきに寝て
ぼくはかんがえた
骨休めしてる ふりしようかと
うつぶせに寝て
ぼくはなにかを
うたおうとしたが なにが出るものか
ほっぺたは ぺったりこと
ゆかにくっついて
まるで軽わざ師の することみたいだ
けれど気のいい
しんせつなクマを
藤いすの下で のしちゃ かわいそうだ
そしてクシャミに
似たよなものが
ムズムズするのは プーの鼻によくない
そしてペチャンコに
なってしまうのは
首にだって口にだって なんにだってよくない

「これでおしまいだ。」と、プーはいいました。

(A.A.ミルン~プー横丁にたった家 
8 コブタが、とてもりっぱなことをするお話~より)



(ぴっちも討ち死に中・・・ぼくはあ生きてるがな)













男前アイテムは半夏生に空から降る魔物に聞け

2007-07-02 14:54:13 | あんたそうと?

(カラスビシャクとハンゲショウ・・・の意味は毒の降る頃)

朝から雷と雨
水がめにも降っているだろう
しかし豪雨はこまるよ、ほどほどに降ってくれ

今日、7月2日は半夏生(はんげしょう)
半夏生というと
自転車男の頭ではない(ハゲ症・・・?)
るるのお出かけ状態でもない(半化粧・・・。)

昔は夏至から数えて11日目、天球上の黄径100度を太陽が通過する日で
だいたい毎年7月2日頃から七夕の7日までの5日間らしい
(夏至を3つに分けた最後の3分の1の期間)
半夏別名、烏柄杓(からすびしゃく)って薬草が生え、さやをつける頃のこと
あるいは
別のハンゲショウという草の葉が半分化粧をしたように白くなる頃で
何故か天から毒が降るって迷信があり
農家じゃ夏至をすぎて半夏生に入る前に田植えをしなさいと云う
半夏生に田植えをすると収穫が減るとされた
「夏至(チュウ)ははずせ 半夏(ハンゲ)は待つな」
って云うんだそうで、土地(田畑)の神様を祭る日でもあったって
ふ~んそうか
この頃は、物忌みを守り、なるべくおとなしくしていようね
今日は半夏生の習わしで、関西人としてタコ焼きを食べるべきか
讃岐人でなくウドン党員としてうどんを食べるべきか(ウドンの日でもある)
悩む。(焼き鯖を食べる地方もあるって)
そうだ両方食べれば解決だ
「たこ焼きうどん」ってありかなあ~
う~ん微妙

そんなハンゲな時節のせいか
おとといはバッファリンの効かない眼の奥の頭痛で
ほぼ一睡もできぬまま、朝朦朧と起きて空の毒を見上げ
半化粧をして調査のお仕事に出かけた、背中も痛かった
昼ごろには曇りのち激アツの日射状況に変わり
湿度もぐんぐん上昇する中がんばって仕事をこなした
やっぱり毒気が降っているに違いない・・・こんなに
不快指数が高い日はなかった
汗がムネの谷間(丘間というなかれ)を流れ落ちるのが判る
暑いだけならまだいい、なにか魔物がまとわりついているに違いない
しかし考えてみると、もっともっとキツイ調査のお仕事もあった
そう考えてやり過ごそう、でも今週もう1回マル1日中の
炎天下労働が待っているのだった、とほ。ほん


(揃えりゃいいじゃんさ。)



今までやったキツイ調査仕事を思い出して、ランキングをして凌ごう
ゆるい順に7位くらいからでいいや

7位 は淀川に架かる橋の調査
川沿いを延々何十キロも歩き、幾つもの橋を渡った
橋の下に住む方にもご挨拶しながら、浪花の橋の下は危険がいっぱい

6位 は既存公園の改修の為の調査と測量
蜘蛛の巣だらけで排気ガスですすけた植え込みに入らねばならなかった
終わった後は灰カブリ姫よ(だれがシンデレラって?

5位 は家族で行った鹿児島の運動公園の既存樹調査
小学生の娘をアシスタントに経費節約の為
1日で済ませようと日暮れまでがんばったら雷と土砂降りにあった
ずぶぬれ家族となったよありがとう西郷どん

4位 は長崎の狭い国道沿いの桜並木調査
車にひかれそうになりながら雨の中の調査だった、しかも娘がお腹の中にいた
身重の頃じゃったなあ~オタクサ(オランダ語でアジサイよ)~

3位 は兵庫県の山のルート調査
道無き山の斜面を駆け登り駆け降りるしかもその日は打ち合わせだけと
ふんでいたためスカートだった(読みが甘かったね

2位 は兵庫の山村観光資源調査
未整備の真っ暗な鍾乳洞に手探り懐中電灯で入りました、ありえません
やらせ無しの探検隊ですから。

栄えある
1位 は神戸和歌山大阪の海岸調査
真夏の炎天下幾つもの海岸と海水浴場、砂浜を歩きまわり、その夜
熱射病に倒れた
20年以上経った今も後遺症が時々襲ってくる、やっぱりダントツ優勝です。

番外
その1 学生の頃真冬の駅前歩行者調査
一日中寒空の下座りっぱなしで凍えて四肢固まった
休憩に入った喫茶店のぬくもりが嬉しかった
その2 大学の先生の事務所の仕事で団地の住環境アンケート調査
玄関での聞き取り調査は玄関払いをいかに少なくするかが腕の
みせどころ
だが夕暮れの団地には哀愁が降り注いでいたのでなかなかに困難
調査票が妙に文学的になったりもした・・・・。

よし、これらに比べたら大したことないぞ 
うん・・・うん・・・えん・・・ぐえっん・・・。
でも あの頃 るるは 若かった


(夏は見栄を張っても男前に過ごしたい・・・らしい。)




黄金豚年に、あ。うん。な、桃の節句

2007-03-03 20:48:21 | あんたそうと?

(ももカステラは期間限定)

長崎の郷土菓子「ももカステラ」をいただきました
桃の節句にとりあえず飾っときましょう
と思い
朝、起きて箱を明けたら
ななんとほくとのけん
昨日3個あったのが2個になってました
早業な自転車野郎じゃ
カステラの里長崎では
5月には「鯉カステラ」なるものも現れる
とか聞いたよ
そりゃ男の子の節句にも女の子の節句にも
平等でよかですばい
バナナカステラや鈴カステラや
いろいろあって楽しいですが
食べすぎには注意
卵も入って
栄養たっぷりですからね

はかりを~つけましょ~
脱衣所に
おはらに~あげましょ~
ももの菓子~
ご~にんぶ~んになりたいか~
き~ょうはたのしい
ひなまつり~

ちょっといまいちなウタでしたな


(そしてこんな感じ)

そんなことはさておき

今年は亥の年
でもエサを求めて?町に下りてきたイノシシ君
人を襲って射殺されてしまいました
哀しいニュースでした

中国や韓国じゃ豚の年なんだそう
しかも黄金豚年といって
600年に一度っきゃないっていう
とっても縁起のいい年で
豚はお金を運んでくれるとかで
金運の黄金豚貯金箱も出回ってるとか
600年に1度じゃ生きてる時に巡ってくるのは
かなりのラッキーじゃあありませんか
日本はそういう縁起のいい年はないのかな
もう中韓に便乗してしまおう
日本でも貯金箱と蚊取り線香立ては豚さんでしょ
財布にはかえる
棚にはぶた
玄関には招き猫と七福神
そうそう魔よけもね
棚にはシーサー
ブログには狛犬さんを
あ。
うん。
福は呼ばなきゃ来ないのよ
魔物は止めなきゃ来ちゃうのよ

というわけで身体の天日干しの為
大宰府まで日向ぼっこに行きました
でなぜか狛犬さんにばかり目がいくるるでした

今日のウタはなくて
大宰府狛犬さんコレクション
あ。
そう。
こんなんでました~


(頭がちっちゃめの狛犬はモダン?)


(白狛犬の眼がなんか妖気漂う?)



(ねえこっち向いてよあたしゃ狛犬じゃなくて麒麟よ










海の夢。いるかだった頃はもっと人間に近かった

2007-01-26 22:37:50 | あんたそうと?

(ドーナツとブラックコーヒー好きのクーパーの芸名はマクラクラン。ふるっ)

日々きついです
脳内のセロトニンが減り続け
おまけに鉄分とカルシウムが不足し
何故か食事の時に下唇を噛んでしまいました
いたいやんっていうよりばかみたいやん
と思いました
それよりも数年前に新聞に載ってた
サダムフセインの隠し資産7千800億円は
どうなったのか
スイスの銀行に聞いてみたい
ブッシュさんに聞いたほうがわかるって?
ぜひ地球修復の為に使ってください


海の夢を見ました

伊勢海老は海底を一列になって歩く
しかも一週間かけて
何も食べず?に
60キロメートルを
歩き続けるとテレビで言っていた
伊勢海老は何処へ行きたいのか

海底は一種の砂漠
水にひたった砂丘

空気の替わりに
海が肌にまとわりつく
太陽の光はいつもゆらいで
千の細胞のように漂う

「いるかだった頃はもっと人間に近かった気がする」

よく思います
でも「ゾウアザラシやったかも
とも
思っていつもちょっと落ち込みます
悪夢より海の夢のほうがいいけど

夜、悪夢を見ると思い出すのが
「イレイザーヘッド」というデビットリンチ監督のデビュー作
この映画をるるはあろうことか独身時代になぜか一人で
しかも映画館で見たのだった
はっきりいって恐怖の体験ボルテージ99.7くらいな感じだったが
時間が経つにつれあの映画の印象は変化していった・・悪くないねって
なんか悪夢やグロい恐怖と言うより結構ユーモアの類に入るよねって
きっとリンチ監督はすごく気病み症なんだけど本当はかなりの楽天家だろう
とるるはかってに思いましたが、どうなんだろう?
見たことない人は今後も絶対ひとりでは見ないでください(笑)


(わたしの頭の~上の消しゴム)

デビットリンチといえば「エレファントマン」と「ブルーベルベット」
なんだろうけど、「ワイルド・アット・ハート」も忘れちゃならない
最近では作風の違う「ストレイト・ストーリー」あるけど
それからもちろん「ツインピークス」も
「ツインピークス」おたくを「ピーカー」と呼んでいたらしい
デイル・クーパー FBI特別捜査官を演じたカイル・マクラクラン
なんかロウ人形館に生身で立っていてもOKな感じの
サイボーグっぽい役者さん(すみません
だけどあの役は、はまり役だったね

今では過去のことなんだろうけど、まだ存在は残っているのかな
舞台となったロケ地めぐりでチェリーパイを食べたりした人
今は「24」シリーズに乗り換えたかな・・・。



今日の詩

 
  わらひのひらめき  (大手拓次)

あのしめやかなうれひにとざされた顔のなかから、
をりふしにこぼれでる
あはあはしいわらひのひらめき。
しろくうるほひのあるひらめき、
それは誰にこたへたわらひでせう。
きぬずれのおとのやうなひらめき、
それはだれをむかへるわらひでせう。
うれひにとざされた顔のなかに咲きいでる
みづいろのともしびの花、
ふしめしたをとめよ、
あなたの肌のそよかぜは誰へふいてゆくのでせう。




  まるい鳥   (大手拓次)

をんなはまるい線をゑがいて
みどりのふえをならし、
をんなはまるい線をひいて
とりのはねをとばせる。
をんなはまるい線をふるはせて
あまいにがさをふりこぼす。
をんなは鳥だ、
をんなはまるい鳥だ。
だまつてゐながらも、
しじゆうなきごゑをにほはせる
















アヘン(変)効果のよしこちゃん

2007-01-05 17:20:50 | あんたそうと?

(るる母人形/キヌエ様)

今日はよしこちゃんに貰ったYo-Yo Maの
「シルクロードジャーニー」を聞きつつキーを打ちます
しょっぱなの1分31秒の歌い上げ
「Mongolian Traditional Longsong」は
意識も平原にぶっとんでなかなかのアヘン効果です

アヘン効果といえばよしこちゃんである
よしこちゃんは大学時代の友である
何年か前手紙を書いて送ったら
返事が来て、手紙と一緒に岡山で買ったといって
「大阪人」という雑誌が入っていた。
しかし、よしこちゃんは兵庫県人である
るるはたしかに大阪人だったこともある
いまやハーフである、博多と大阪の
まあ嘘である
血はかなり濃い大阪人なのだが
博多に住んで早18年ほどになるのでね

しかしるるはよしこちゃんと呼んではいない
そう呼んでいるのは彼女の幼馴染である
なんかしっくりくるのでそうしとこう

よしこちゃんは変な人である
まあるるもそこそこ変だけれども
よしこちゃんは最近自分で実家を設計し別棟に自分の部屋と
隣に幼馴染のお店と住まいを作ってそこで暮らしている
そこに遊びに行った時レンジローバーで駅に迎えに来てくれた
何故か弁当を持っていた
車をよく乗り換えていてたまに会うから
いつも違う車にのせてもらうことになる
いちど「この車スーパーで買ってん」と
言っていたこともあった。


彼女と始めて話をしたきっかけは
大学1年のスクールバスかばん事件である
毎日満員スシ詰め状態のスクールバスに
るるは乗ろうとしたが乗れず、その上肩から提げていた
ショルダーバッグが他の学生達の間にもぎとられて
持ち主不在のままバスに乗り込んでしまったのだ
そしてバスのドアは閉まり発車オーライ

こらこらである、るるは窓際にいる同じ学科の
よしこちゃんに叫んだ
「かばんが~かばんが乗っている~!」と
次のバスになんとか乗り、るるは電車の駅に着いた
そこでるるのかばんを持って、待っていてくれたのが
よしこちゃんであった

独身時代はよくあちこち旅行や美術館やに、一緒に行った
しかし二人が行くと何故か休館日だったりして・・・。
待ち合わせをするとお互い何故か動かずに
柱の反対側で1時間ほど待っていたり
旅行で行った先でロープウェーに乗ったら
二人っきりで、しかも強風で丁度中央のあたり
かなりの高さで宙ぶらりんで止まり
しばらく強風でゆれる箱に二人閉じ込められたり
さすがに高いとこ好きのるるもこの時ばかりは怖かった
「おっかあさ~ん」と思わず叫んでいた

今も時々メールが来て旅の誘いをくれる
この夏も
「ほんまに3日程北京か天津にいかへん?電話かけたら
チケットがとれてもた行けば何とかなるやろ、どう?」と言ってきた
天津に共通の友達がいるので、そこに泊めてもらおうというのであった
しかしるるはパスポートがきれてますし
そんな余裕もなかったので、喉から足?が出るほど
行きたかったが、無理だとことわった
その後、天津の友達から無事よしこちゃん確保のメールがあった
この天津の友が秋に日本に一時帰国のときも
奈良に一緒にいかへん?と誘ってくれたが行けなかった

しばらく会わないとアヘンがきれた状態で会いたくなる友達でもある
また懲りずに誘ってくれ
いけるときがくるまで

今日のお唄

「大阿蘇」(三好達治)

雨の中に馬がたつてゐる
一頭二頭仔馬をまじへた馬の群れが 雨の中にたつてゐる
雨は蕭々と降つてゐる
馬は草をたべてゐる
尻尾も背中も鬣(たてがみ)も ぐつしよりと濡れそぼつて
彼らは草をたべてゐる草をたべてゐる
あるものはまた草もたべずに きよとんとしてうなじを垂れてたつてゐる
雨は降つてゐる
瀟々と降つてゐる 山は煙をあげてゐる
中嶽の頂きからうすら黄ろい 重つ苦しい噴煙が濠々とあがつてゐる
空いちめんの雨雲と
やがてそれはけぢめもなしにつづいてゐる
馬は草をたべてゐる
艸千里浜のとある丘の
雨に洗はれた青草を 彼らはいつしんにたべてゐる
たべてゐる
彼らはそこにみんな静かにたつてゐる
ぐつしよりと雨に濡れて いつまでもひとつところに
彼らは静かに集つてゐる
もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう
雨が降つてゐる 雨が降つてゐる
雨は瀟々と降つてゐる









「王将とゲロッパ」は元気の出る歌

2006-12-26 13:58:09 | あんたそうと?

(ゲロッパへ献花)

吹け~ば飛ぶよな 将棋の駒に 
賭け~た命を 笑えば~笑え 
う~ま~れ浪花の 八百八橋 
月も~知ってる 俺ら~の意気地

あ~の手この手の 思案を胸に 
や~ぶれ長屋で 今年も暮れた 
愚痴も言わずに 女房~の小春 
つ~くる笑顔が いじらしい

明日は東京に 出て行くからは 
なにがなんでも 勝たねばならぬ 
空に灯がつく 通~天閣に 
おれの闘志が またもえる

これは「王将」だい
作詞 西条八十 作曲 船村徹
唄は 村田英雄だけど

引越し三昧でちょっと書いたけど
るるが幼稚園時代、年長の途中で引越しをして
市バスに乗って小学生の姉と幼稚園に通った
たぶんるるが卒園するまで姉はおつきあいで
転校を延ばしたんだと思うけど
その通園通学の市バス(通勤客満載)の中で
るるが1番前の席に座って歌っていたのが
この王将だった
運転手さんもよく事故らなかったね
もちろんその時、姉は他人のふりするほど
恥ずかしかったらしい
ふ~ん
そりゃそうだよね
大きくなっても時々言われるから
でもちっちゃい頃から歌が好きで
結構、所かまわず歌っていたと思う

まあ幼稚園児が王将は、ちょっとどうなの
ってことなのでしょうけど
でも西条八十のこの歌詞は
かなりいい いけてると思うのは
私だけ

元気の出る歌ってあるよね
「ゲロッパ」もそうだ
のジェームスブラウンが昨日のクリスマスに
亡くなってしまいました、残念です
先週は「ムーミン」と「意地悪ばあさん」も亡くなって
年末に好きだった有名人がこんなにいなくなって寂しいなあ
独身時代大阪城ホールにジェームスブラウンのコンサートに
行きましたよ、げろっぱな夜に元気をもらいました
ありがとう
岸田今日子さんは御家人斬九郎の母役が好きでした
みなさんのご冥福を祈ります。

さあて
吹~けば 飛ぶような 年末の仕事にはげもう









 







韓国のクーデターに散った我が卒業設計

2006-12-18 16:08:31 | あんたそうと?

(あるビルの名版/スホウビル?)

めっちゃ寒いです
韓国じゃ大雪だってさ
きのうスーパーまでの道のりが
あまりに寒くて風が強くて
歯磨き粉もシャンプーも目薬も
買うのを忘れてしまいました
北風のせいです・・・きっと
ところで詰め替え用液体生活必需品は
本当に小ごみ化の役に立っていますか
シャンプー、リンス、ボディーシャンプー
毛糸おちゃれ衣洗い、柔軟剤、ハンドソープ
台所洗剤etc・・・こぼさずに上手に入れてますか
るるは下手です、でもたまに上手に入れれると
ひとりであります。
じょうろを使ってみようかな・・・

英国ブレア首相汚職疑惑、クリーンさも時間と共に黄ばんでくるのか
米国ブッシュさん亡き後、ぜひとも大統領にはバラク・オバマ上院議員だよね
彼が大統領になったら、アメリカも良いほうに替わるに違いない・・・
と、思わせる何かがあるような気がするのは、私だけ?
その時には日本の首相ももう安倍さんじゃないような気もする。
希望的観測・・・。

就職難民で大学の研究室にいたとき、たまたま、るるの大学と友好を結んでいた
韓国の大学に、るるの卒業設計が友好企画展示会に出す作品の一つに選ばれて
その件もあって、嬉しいことに先生達が、るるに韓国へ行っておいでと言い
旅費は学校から、先生達からお餞別も貰って、楽しみにその日を待っていたら
本当に間が悪いとはこのことか
韓国でクーデター、朴正煕(パクチヨンヒ)元大統領が金載圭(キムジエギユ)
中央情報部長に射殺されたのである。いわいる朴大統領暗殺事件である。
そして即刻、戒厳令である、もちろん、るるは韓国へは行けなかった
るるの卒業設計は韓国できっと息絶えただろう

その時始めて、隣国の政治というか歴史が自分に関わった瞬間でもあった
ちょっとパクさんについて記録しとこうっと。

朴正煕という人は、1917年、日本統治下の朝鮮の山村で生まれた、高木正雄と
いう日本名を持ち、子供の頃は日本人として暮らし、彼は幼いころから軍人に
強く憧れていたものの、父親の意向でしぶしぶ教師になる。師範学校で、軍事
教練に赴任していた有川圭一関東軍中佐が、差別なく朴を扱ったため、強く感
化され以後深い絆で結ばれる。

有川中佐の勧めで朴はまもなく教師を辞め、満州軍官学校へ入学する。
旧大日本帝国陸軍士官学校を出て、その後、韓国の国家警備隊の士官学校に入
りなおし、そこも卒業。この頃、北朝鮮のスパイとして拘束された経験もある
らしい、朝鮮戦争停戦後、朴はアメリカに留学1961年、「軍事革命委員会」の
名の下張都暎(チャン・ドヨン)らとともに軍事クーデターを起こし、軍事政
権のトップに立った、1963年には軍を退役して、正式に大統領候補として、立
候補するそして自ら大統領に就任し、独裁色を強めていく。

1965年には国民の反対を押し切って日本と国交を正常化する。この過程で朴は
国民から「親日派」といって罵倒された。韓国では親日派=売国奴である。

しかし、韓国における感傷的で何の利益もない「反日主義」よりも日本の資本
を導入して経済を活性化させ、その後で軍事色を薄めて西欧型民主主義に移行
すればいいと考えていた。彼の近代化モデルは明らかに幼いころ育った日本と
満州国であった。そのためどうしても「反共」で一致している日本の協力が必
要であり国交正常化は不可欠だった。しかし国民の多くは感傷的な反日主義に
とらわれ、朴の主張を理解しなかった。

自分を脅かす者は政敵ばかりか与党の有力者であっても去勢するなどし、独裁
体制を維持し続けていた朴だったが、1974年8月15日には在日韓国人・文世光
に銃撃を受け、夫人の陸英修が死亡。
釜山で民主化暴動が起こっていた1979年10月26日、側近の金載圭KCIA部長によ
って射殺された。が、彼の独裁下に於いて実現した漢江の奇跡と呼ばれる経済
発展や治安の良さを再評価する動きも近年になって見られ、独裁的でありなが
ら歴代政権の中で潔癖とも言われる彼の治世を懐かしむ声は今でも少なからず
存在する。(サイト/韓国の近代化より抜粋引用)

という軍事や政治にどっぷりの波乱万丈な人生だったのです。
でもおかげで、るるは韓国に行けなかったことで、かえって韓国に興味を抱き
ましたが・・・でも行きたかったのにさ
出来れば平和な韓国に

今日の詩

萩原朔太郎 宿命より)

  パノラマ館にて

 あふげば高い蒼空があり、遠く地平に穹窿は連なつてゐる。
見渡す限りの平野のかなた、仄かに遠い山脈の雪が光つて、
地平に低く夢のやうな雲が浮んでゐる。
ああこの自然をながれゆく靜かな情緒をかんず。
遠く眺望の消えて盡きるところは雲か山か。
私の幻想は涙ぐましく、遙かな遙かな風景の涯を追うて夢にさまよふ。
 聽け、あの悲しげなオルゴルはどこに起るか。
忘れた世紀の夢をよび起す、あの古めかしい音樂の音色はどこに。
さびしく、かなしく、物あはれに。
ああマルセーユ、マルセーユ、マルセーユ……。
どこにまた遠く、遠方からの喇叭のやうに、錆ある朗らかのベースは鳴りわたる。
げにかの物倦げなベースは夢を語る。
「ああ、ああ、歴史は忘れゆく夢のごとし。
時は西暦千八百十五年。所はワータルローの平原。
あちらに遠く見える一葦の水はマース河。
こなた一圓の人家は佛蘭西の村落にございます。
史をひもとけば六月十八日。
佛蘭西の皇帝ナポレオン一世は、この所にて英普聯合軍と
最後の決戰をいたされました。
こなた一帶は佛蘭西軍の砲兵陣地、あれなる小高き丘に立てる馬上の人は、
これぞ即ち蓋世の英雄ナポレオン・ボナパルト。
その側に立てるはネー將軍、ナポレオン麾下の名將にして、
鬼と呼ばれた人でございます。
あれなる平野の大軍は英將ウエリントンの一隊。
こちらの麥畑に累累と倒れて居ますのは、皆之れ佛蘭西兵の死骸でございます。
無慘やあまたの砲車は敵彈に撃ち碎かれ、鮮血あたりの草を染めるありさま。
ああ悲風蕭蕭たるかなワータルロー。
さすが千古の英雄ナポレオン一世も、この戰ひの敗軍によりまして、
遠くセントヘレナの孤島に幽囚の身となりました。
こちらをご覽なさい。
三角帽に白十字の襷をかけ、あれなる間道を突撃する一隊はナポレオンの近衞兵。
その側面を射撃せるはイギリスの遊撃隊でございます。
あなたに遙か遠く山脈の連なるところ、煙の如く砂塵を蹴立てて來る軍馬の一隊は、
これぞ即ち普魯西の援軍にして、ブリツヘル將軍の率ゐるものでございます。
時は西暦一八一五年、所は佛蘭西の國境ワータルロー。
――ああ、ああ、歴史は忘れゆく夢のごとし」
 明るい日光の野景の涯を、わびしい砲煙の白くただよふ。
靜かな白日の夢の中で、幻聽の砲聲は空に轟ろく。
いづこぞ、いづこぞ、かなしいオルゴルの音の地下にきこゆる。
あはれこの古びたパノラマ館! 幼ない日の遠き追憶のパノラマ館! 
かしこに時劫の昔はただよひゐる。
ああかの暗い隧路の向うに、天幕(てんと)の青い幕の影に、
いつもさびしい光線のただよひゐる。







天使のような画僧と悪癖添乗員

2006-12-05 16:54:35 | あんたそうと?
昨日の夜遅くに娘っこが修学旅行を終えて帰宅
「楽しかったかい?」とるる
「つかれた~それに大変やった!」
「だって着く早々トランク開かないし、テンション下がるし
お母さん!あれはSでも2でもなかったし
あっ、この顛末は12月1日のブログに・・・。
「えっ2とちがったと?でも開いたんよね」
「2じゃなくて5よ、5**!おばあちゃんの誕生日やったと!」
「5・・・S!なーるほど、その手があったか
「もうほんとにこまったと
「いいやん開いたんやし、それに持っていく修学旅行のしおりに
ナンバーを書いといてあげたのにさ、まあS**ってさ、それ見たら
Sが5ってわかりそうなもんでしょ。」
「それをそこに書いたことを言ってないでしょ」と娘っこ
「ああ・・・・それを忘れたね
もう済んだ話はよかろうばい」
「よくない
てな落ちでしたが、おあとがよろしいようで
「よくない



(眠るふりみて我がふりなおせ)

それにしてもスーツケースのナンバーが母の誕生日だったのは
このスーツケースが母のものだったからであるが
るるが大学生の頃確か、卒業旅行に行く前、母と色違いのサムソナイトを
買ったのだったと思う、るるがエンジ色は母は紺色で、るるのサムソナイトは
今、アメリカの大学に留学している姪っ子に譲り、持って行ってる
紺色のは新婚旅行のとき旦那が借りて持って行き、ずーと納戸にあったが
この家に引っ越す時に収納場所がなく、旦那のお兄さんの家に持っていって
もらったのだった、そんな遠い昔の記憶はすぐには甦らない
なんか新婚旅行の記憶からこのサムソナイトは結婚する時に買ったような
気がしていたのだった、しかし記憶はおそまきに甦る、いまさらです

大学4年の卒業前の冬休みに、同じ学科の女子3人で、卒業旅行に欧州へ
行かせてもらった、その友達の父親が朝日新聞にいて、朝日旅行社のツアー
なら安くなるからと、るる初めての海外旅行で、たぶん飛行機に乗るのも
初めてだったと思う。
ドゴール空港からパリに入り、この時に昨日のブログの
サモトラケのニケのルーブル美術館を訪れたのだった、そうだったよ。
初めての海外、パリのホテルで目覚めて、
友達は寝ていたので一人で街に散歩に出て
パリの路地にあった八百屋で当時珍しかった洋ナシを見て
食べたくなって、3つほど買ったのを思い出した、相変わらず単独行動。

初めての海外は不思議と違和感もなく、その町にずーといる様な変な感覚
に襲われた、その時るるは、どこでも生きていける気がした。
若かった
そのあとスイスの中央の中世都市、ルツェルンという町で、14世紀前半に
造られた屋根付きの木造橋を渡ったのが印象に残っている、カペルブリュッケ
と言ったっけ。
そうそうイタリアはフィレンツェに着いて、実はツアーのコースになかったけど
どうしても見たいと思っていたフレスコ画があって、自由時間に得意の小走りで
一人で行こうと思って、添乗員のお兄さんに
「サンマルコ修道院へはどう行けばいいのですか?」
と尋ねたら、ちょっと待ってといわれ、しばらくしてから
「予定を変更して、コースに入れてあげよう」
と言って私の為にツアー客全員でフラ・アンジェリコのフレスコ画「受胎告知」
を見にサンマルコ修道院へと向かった。

フラ・アンジェリコは初期ルネッサンスのフィレンツェ派の画僧で
テンペラ画など宗教画を残しているんだけど、基督教の宗教画は
あまり好きではないるるが、唯一惹かれる画家で、修道院などの壁画が
ほとんどだと思うけど、色も美しいし、聖人たちの顔が本当にいいのだ。
この画僧は本当に敬虔な人格者だったらしい、天使のような画僧と呼ばれた。

ところで何故、予定を変更してるるの行きたいところへと行ってくれたのか
といえば、たぶんこの前の日、この添乗員のお兄さんが、るるを口説こうと
して失敗したからだと思う、会社とかに告げ口を恐れたのかな?。

そういうことに疎かったるるは前の日、たまたま一人部屋で、
部屋でくつろいでいたら、ドアをノックする音が
ツアーも半ばで添乗員さん2人とも打ち解けてきた頃で
ドアをあけたら添乗員のお兄さんがいて
「ぼくらの部屋でワイン飲みませんか?
と言う
ワインにつられたるるは
「ああいいですね」
と言ってお兄さんの部屋へ
もう一人の人は?と思った部屋には、そのお兄さんとるるだけだった
ワインをついでくれたが、なんか妙な雰囲気で部屋の内鍵もかけられた
ちょっとーこれはまずいかなーと思って
「いや**さんとかもいると思ってたし、
友達も呼ぼうと思ってたし・・・」
とるるは、お兄さんにダメダメの意思表示をしつつ帰ろうとした

そのあとなんか口説き文句を言われたが、まったく覚えていない
とりあえず「これはまずいでしょう」とドアに向かい
「帰らせてもらいま~す」と部屋に戻った
次の日その添乗員のお兄さんは二日酔い顔であった、そして気まずそう
それでなぜか、サンマルコ修道院がコースに入ったのではなかろうか
まあ一人で行こうと思っていたから、なんか違う意味で残念な気もしたが。
あくまで単独行動好きのるるであった
















電気毛布は夜間飛行への扉

2006-12-01 17:57:35 | あんたそうと?

(雲はデザイナーね

朝4時半ごろ修学旅行に行ったはずの娘から電話
「トランクが開かないよ、ダイヤルの番号は何?」
そばでたぶん先生のせかす声が
「あんまり長くならんように!」
「うーん確か鍵を閉めた時の番号はS**やったと思うけど」
とふらつく脳みそのるるは答えた
「S?全部数字やって!ば、Sなんかない!」
「いやS**やった!」
「ないって!」
「いや・・・ん?」
「あ~。Sに似た数字は・・2か!」
「2**ね!わかった」と切れた
開いたかどうか知らぬが、その後平和と静けさが穴蔵に戻った。
ほんま居ない日までおさわがせな娘っこじゃ~

その娘っこの6畳の部屋の納戸にしまってある電気ストーブを
出したいと思って、恐ろしく汚い娘っこの部屋に入り
悩んだ末にかたずけることにした、年に2回はるるが納戸に
用事がある為しかたがない、だって納戸の前に洋服のかかった
パイプハンガー、その前にはベッド、引き出し式衣装ケース数段
勉強に使われたことのない勉強机と本を置かない本棚と
父ちゃん手づくりの飾り棚、そしてこの時期はコタツまである
6畳といっても柱の出っ張りがあるので実質5.5畳くらい
よくこれだけ詰め込んだねえ・・・。
しかも良くこれだけ汚く出来たねえ。
しかもこんな部屋でよく眠れるもんだねえ。
感心している場合かい!

納戸をあけるためにはコタツをあげーの、衣装ケースを移動し
パイプハンガーをベッドと納戸のドアの前の隙間からひきずり出し
とにかくおおごとである、ついでなので毛布、シーツ、コタツ敷き
コタツ掛け、その他部屋に散らかったバスタオルやら靴下君やら
まとめて洗濯場へ一気洗い、掃除機かけてやっと納戸は開けられた。
電気ストーブを出して扇風機をしまう・・・。
我が家はエアコンがリビングにだけしかないので
夏は扇風機が欠かせない
冬は猛者の旦那は仕事部屋にも暖房器具は要らないとおっしゃる
あるのは寝袋のみ、娘はコタツ族です。
そのエアコンのあるリビングもエアコンは冬はあんまり入れず
石油ストーブを使っている。
この穴蔵は冬めった寒く、夏は比較的涼しいのです。

そして、るるは冷え性なので、電気毛布が無いと眠れません
冷えた身体を温まった毛布とシーツの間に滑り込ませる
その一瞬が至福の時であり、夢の夜間飛行に飛び立てるのです
悪夢であってもさ

「夜間飛行」といえば「星の王子様」のサン=テグジュペリですが
小さいころのるるの愛読書「オッター32号機SOS」と共に大好きな1冊
郵便飛行事業がまだ危険視されていた時代、事業の死活を賭けて、
夜間飛行に従事する人々の、人間の尊厳と勇気に満ちた物語。

サン=テグジュペリ(1900-1944)のプロフィールは
名門貴族の子弟としてフランス・リヨンに生れ、海軍兵学校の受験に失敗
兵役で航空隊に入る。除隊後、航空会社の路線パイロットとなり、多くの
冒険を経験。その後様々な形で飛びながら、1929年に処女作『南方郵便機』
以後『夜間飛行』(フェミナ賞)『人間の土地』(アカデミー・フランセー賞)
『戦う操縦士』『星の王子さま』等を発表、行動主義文学の作家として活躍した。
第2次大戦時、偵察機の搭乗員として困難な出撃を重ね、
1944年コルシカ島の基地を発進したまま帰還せず。

とにかく飛行気乗りの話にのめりこんでいた、子供の頃のるるです
一番の原因はたぶん、ちばてつやの「紫電界のタカ」という漫画です
この主人公の天才的飛行技術を持つ、少年飛行兵、滝 城太郎に
かなりのめりこんでいた為であろうと思います。
滝 城太郎はヒューマニストでもありました、戦争を背景に描かれて
いるので、今読むと素直には読めないかもしれないけど、子供の頃の
るるには空へのあこがれを満足させる、最高の読み物だったのです。

いまだに高いところは好きなので、飛行機や気球やタワーには目が無い
ようするに、けむりとなんとかな、わけです。

今日の詩

   雲雀   (伊藤静雄)

二三日美しい晴天がつづいた
ひとしきり笑い聲やさざめきが
麦畑の方からつたわった
誇らしい収穫の時はおわった
いま耕地はすっかり空しくなって
ただ切り株の列にかがんで
いかにも飢えた體つきの少年が一人
落ち穂を拾ってうごいている

と急に鋭く鳴きしきって
あわただしい一つの鳥影が
切り株と少年を掠(かす)める 二度 三度
あつ雲雀   少年はしばらく
その行方を見つめると
首にかけた袋をそっとあけて
中をのぞいている

私も近づいていって
袋の底にきっとわずかな麦とともにある
雲雀の卵を    あゝあの天上の鳥が
あわれにも最も地上の危険に近く
巣に守っていたものを
手のひらにのせてみたいと思う
そして夏から後その鳥は
どこにいるのだろうねと
少年と一緒にいろいろ雲雀のことを
話してみたく思う


 







どうもごひいきに!お元気ですかM先生

2006-11-15 22:20:20 | あんたそうと?

(我が母校の高校の建物は重要文化財ですがな)

るるが小学校5年のとき、若くて優しくて人気者の担任のM先生
元気にしておられるだろうか?るるは「引越し三昧」にも書いたが
住所が変わってばかりいる為、ずいぶん長い間行方不明者扱いで
同窓会の案内が届かなかった、今でも高校のは来ないが、3年前
やっと中学校の同窓会の案内が来て、始めて出たのだがよく遊ん
だグループの何人かと会って話せて面白かった。

小学校5年の担任のM先生は、なぜか、るるのことをとてもよく
かわいがってくれた、M先生は女子に人気があったし明るい先生
だったから男子も慕っていた子は多かったと思う。
だから、るるはクラスのみんなから、放課後教室に残らされて、
裁判にかけられたのだ、理由はもちろん、M先生にお前だけひい
きされている!というものだったが、まあ確かにM先生は他の子
より、るるに目をかけてくれていたと思う、理由はわからないが、
たぶんるるが変わった子で、先生の波長にすっぽりはまったから
なのかも知れない。

だから裁判にかけられても、別に悲しくも怖くも惨めでもなかった
し、みんながな~んか幼稚に思えて、るるはだまって裁判の終わる
のを待ったのだった。
まあ10歳か11歳だから幼稚でも当たり前だけどね、今の小学生
とどう違うのかよくわからないが、もちろんテレビゲームも携帯も
ないゆっくりした時代だった。
考えてみると、まだこの世に生まれて10年位の子供が生活の大半
を過ごす学校で、しかも小学校は担任が全教科教える時代で、そん
な自分の先生に自分ももっと見てくれよと、望んでも当たり前だと
思うから、るるも子供心に仕方がないかな~と思ったのか、あまり
に遠い思い出で、その頃の感情までは思い出せないが、他の先生と
違ったのは、子供に接しているんだけど、どっか年齢に関係なく、
人を敬う先生だった気がする。

だから子供と大人という関係でなく、人間と人間の付き合いが出来た
んじゃないのかと勝手に思っている。

M先生とは中学になっても文通していた、たしか高校3年くらい
まで、先生の結婚式にも出席したし、新居にも遊びに行った、奥
さんの手づくりお菓子かケーキを食べた気がする、犬もいたなあ。
そのうち引越し、引越し、してるうち、音信不通になった。
小中高校といろんな先生がいたが、会いたいと思うのはM先生だ
けである。
しかし案外真相は不思議ちゃんなイタイ子だから、僕が目を離した
ら何をするかわからないから、なんて思われていたのかもしれぬ。


そんなことより、お風呂を洗って湯船でちょっと寒いのを我慢して
お湯をためながら1週間ぶりの風呂(シャワーはしてます、念のため)
につかりながら、足の親指の爪を見て思ったことなんだけど、1ヶ月か
2ヶ月か前にぺデュキアをして、その色がちょうど半分のところまでに
なっていて、新しく生えてきた部分が半分ってことは、塗った日をカレ
ンダーとかにつけとけば、親指の爪が何日で生え変わるかわかるじゃん
これは発見じゃ~と思い、早速やってみようと思うるるであった。
・・・・・・・。



「日本以外全部沈没」はどうなの。

2006-09-26 15:50:26 | あんたそうと?
だめだ力が出ない、なんか気力の衰退を止める薬はないものか。
とりあえずビタミンと胃薬とヴァファリンと飲んでみる。

「ギリシャでは男が死ぬと 一つだけ質問をする その男に情熱はあったかと・・」

女が死ぬとなんて聞くのかな?
「その女には小心を圧倒する勇気はあったか?」とか、かしら。

パッションなんとか(名前が思い出せない)みたいに胸を力いっぱいたたいたら
情熱のかけらでも飛び出してくるやも知れない。
一番嫌いな季節、9月がはやく終わってくれたら少しは気力も復活するのかな
なんだか日本は沈みつつあるような気もする。

日本が沈んだら何とか逃げ延びて生き残った日本人たちはジプシーになり
世界に散らばって、持ち前の勤勉さとパロディー精神を持って、
情熱的に生きていってくれ、と願わずにいられようか。
「日本沈没」が再び映画になって公開されていたけど、何故いま小松左京?
この前映画のチラシがあって、手にとって見たら、「日本以外全部沈没
という映画のチラシだった(小松左京原典 筒井康隆原作 実相寺昭雄監督)
つついやすたかだったかと納得しつつ、原典左京さんはこの伏線
であったか(笑)・・・福岡にはまだ来ていないと思うが、
2本立てでやったら面白いかも知れない、割引価格でね。

情熱で思い出すのが、
私が二十代後半に読んだ、サミュエル ウルマン「八十歳の歳月の高みにて」
のなかの一文、訳者が誰かは忘れたけど、こんな感じの名文。

「若さとは人生のある時期の事でなく心のあり方のことだ、
若くあるためには強い意志力と優れた構想力と激しい情熱が必要であり
小心を圧倒する勇気と易きにつこうとする心をしったする冒険への希求が
なければならない、人は歳月を重ねるから老いるのではなく理想を失う時に
老いるのである、歳月は皮膚にしわを刻むが情熱の消滅は魂にしわを刻む。

心配、疑い、自己不信、恐怖、絶望これらのものこそ成長しようとする精神の
息の根を止めてしまう元凶である、七十歳であろうと十六歳であろうと、
人間の心の中には脅威に対する憧れや、星や星のようにきらめく事象や
思想に対する驚きや不屈の闘争や、来るべきものに対する子供のような好奇心や
人生の喜びおよび勝負を求める気持ちが存在するはずなのだ、人はその信念に
比例して若くあり、恐れや絶望に比例して老いる。

大地や人間が神から美しさ、喜び、勇気、崇高さ、力などを感じることが
出来る限り、その人は若いのだ。
すべての夢を失い、心のしんが悲観という雪、皮肉という氷に覆われた時、
その人は真に老いるのだ、そのような人は神の恵みを乞うしかない。」

この文を別の訳で文庫になっているのを見つけて読んでみたら、
心に響かなかった、私にとっては、この訳がすごくよかったってことなのね。
日本語って難しいよね、本当に。

幸せって なんだろう。
この前足に 舵を握り締め、
胸にしみる 美しい夜の海原 こえてゆきたい。
ヨットを駆って 葦と藻の岸 あとにすれば、
遥々とひろがる海よ かぎりない自由が好きさ。
ああ 人生ってなんだろう。
人生は 一瞬の夢だけど、
はるばる流れる 不思議な潮流。
陸は おいらにゃ せますぎて、
船尾(とも)の荷物も 重すぎるのさ、
小径に ゆらぐ 迷い舟だよ。

ヨットの舵を この前足に にぎりしめ、
真夜中の 神秘の海原 こえてゆきたい。
(ヘムレンさんの詩「ムーミン谷の十一月」)

胸をたたきすぎて情熱のかわりに微熱が出そうなRURU提供







渡り鳥いつ帰る

2006-09-25 18:49:02 | あんたそうと?
今日も穴倉生活のるるです。
ドトールのミラノサンドC(プロシュートとパルミジャーノチーズ)380円
こーひーとセットだと580円。あっためてくれた適度なソフトフランスパンに
塩味がきいた生ハムとチーズが挟まれてて、これはいけます。
1冊お気に入りの文庫本でも持っていって、
閉塞的な生活からプチエスケープはいかが?ああいきたい・・・。

15回もの「引越し三昧」のるるですが、渡り鳥のようにいつも暖かいところへ
飛んでいっているわけではないので、冬の気配がしだす前に、
壊れた暖房器具を調達しなければと、心の中はもう木枯らしです。懐の中か

渡り鳥といえば福岡は野鳥が羽根を休めるのに適した環境らしく、
ハチクマという羽根を広げると1.3メートルもある鷹の群れが
秋になると渡って来て、数年前の秋には油山で四千六百羽も
カウントしたとか、今頃きっと飛んできているなあ。

気分が沈んでいって、心に木枯らしが吹き始めると、
好きなもの行ってみたいところを思い浮かべるのです
思いつく限りいくつもいくつもいくつも・・・。

MY FAVOURITE THINGS

グレープフルーツぜりー
ぱいんあめ
インディアンのカレーと酢キャベツ
ケテルスのレモンパイ
初恋の味カルピスの水玉のちぢれ紙
リリーマルレーン
アラビア海に沈む夕陽
金魚鉢の縁取りの波
チェスターフィールドリーフ
五色が浜の海岸
ジョニーディップ
アインシュタインの髪型
マウントクックの上を飛ぶ氷上セスナ
シドニーのオペラハウス
コルビジェの死に様
芝生色の色鉛筆
壬生狂言の思い出
尾道の坂道
知らない街の雑踏
熱いそばがき
枝雀落語の酔っ払い
法善寺のみずかけ不動
道具や筋の店先の売り物の提灯
風神 雷神図 の宇宙
トランペットの響き
ヴァイオリンのくびれ曲線
新天町の2階にある古い喫茶店のあせた壁
水禽窟の響き
西インドのラージャスターン州のタール砂漠にある
ジャイサルメルという中世の砂漠都市
ギネスビールのラベル
ヒロツクのわさび昆布
「A・Aミルン」くまのプーさんの書き出し部分
トーべ・ヤンソン
ムーミン谷の仲間たち

寝ている電話