RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

晴れ女炎天下にTAROの雨乞い

2011-06-26 14:39:52 | つぶやき



梅雨なのに~ああ梅雨なのに
湿舌鯨飲の季節なのに

この4日間
炎天下連続屋外調査

晴れ女 できればやめたい
次週は雨降りを希望したい
やたら暑く息苦しい
湿舌湿度の熱風の中
家をでてから家に戻るまで11時間
4日連続で炎天下では

体が持ちません

雨の音が恋しい
雨の音を聞いていると
フランスの詩人の名前のようだ
ヴェルレーヌ濡れソボォーボワール
ああ
優しい雨の音をください


それより
パワーをください
そうだ!
ウルトラマンを呼ぼう






ウ~ルト・ラの母がいる
ウ~ルト・ラの父がいる
そして タ ロ ウ が
ここに いる~う


誰かがドラマで歌っていたね
なかなか
真理をうながす深い歌だと
思う(笑)
タロウといえば
芸術が爆発して
太陽の塔を見るたび
岡本太郎さんの目を思い出す

そういえば生誕百年記念とかで

こんなことも
やってて
あんなことも

ドラマもやってたし
先日国営放送の
タロウの塔というドラマで
タロウの父ちゃん
岡本一平役の方が
言うせりふ

「芸術家ってなに?」

小さいタロウが聞くと
一平は
「生きて地獄を見る人の事だよ。」
と言てったったたな
うん
愛は能力だ
なんてことも言っていたな






タロウの塔がある
大阪千里の万博公園は
時を経てまさに森になり

民族学博物館だってあるし
結構知る人ぞ知る
パワースポットらしい
森見登美彦の小説じゃないが
もはや神秘
次に
大阪にちょこっとだけでも帰って
パワーを貰いに行きたいもんだ


昔むかし独身の頃は
民博友の会にも入っていたし
太陽の塔の下には
ヨハンホイジンガ
云うところの
ホモルーデンスが
潜んでイルカも 知れない
イルカいないか

イルカだったころはもっと人間に近かった


眠れない日が続くと
一時的にハイになる

そのあとガックリくるから要注意


ホモサピエンス
知的人間よ
ホモファーベル
工作的人間よ
ホモルーデンス
遊戯的人間よ
語り、造り、遊ぶ
語り、造り、遊ぶ
人間はコレニツキル
と思っていた


やっぱり死ぬまで働き続けるしか
ないのだろうね



あ~した てんきに な~るな





声明「梵唄」に節を求め記憶装置もん白蝶飛ぶ日

2011-06-01 12:51:45 | なんだろう?



それた台風が去ったあと
雨上がりの
公園のそばを通るとアスファルトに
モンシロ蝶
近づくとひらひらと舞って
公園の緑の茂みに入って行った
公園からなぜか
遠い昔々の匂いがして
子供時分の外遊びの記憶が
うっすらと蘇り
蝶って
記憶に関わる昆虫なのかも知れないな
などと思いながら坂を下る






記憶といえば
九州国立博物館でこの前まで開催していた
開設350年記念黄檗山萬福寺展
5月の始め頃だったが
チラシに声明「梵唄」(ぼんばい)を
無料にて聞かせてくれる日があると知り
申し込んで聞きに行った
前から聞いてみたかったのでラッキーだった
1階のオープンなホールでやっていたので
申し込みせずとも
立ってなら聞けるようだった
その少し前に個人的に辛いことがあって
落ち込みかけていたので
丁度ひとりになりたかったし
ありがたくもあった

開始の声明は
オペラ歌手かと思う程
声量のあるお坊さんであった
お経の意味はさほどわからないから
音楽として聴く
CDも出ているらしいから
いわば
今は誰でも聴くことができるようだ





黄檗山といえば
普茶料理が有名だが
蝶の記憶装置で思い出した
子供時分に伯父さんが
その普茶料理を食べに
京都の宇治にある
黄檗山萬福寺に連れていってくれた
味は覚えていないが
美しい料理だったことは
うっすらと思い出せる
非日常的体験は
時々したほうがいい
時々でいいが
竹みたいに人生にも節が必要
ころよい節が良い竹になる
最近節がとみに少なくなって
人間が皆ギスギスしている

竹はたけのこの時から
成長した竹と同じだけの節を持っている
ぎゅぎゅっと詰まっているけどね
成長期でもないのに
節々が痛い今日この頃だけど(笑)
中高年のみなさん節を大事にしてね

若者のみなさんは
節を大事にして良い竹になって
良い物干し竿になって
沢山洗濯物が干せるように
私みたいに良い変態にもなれる(笑)
変態よい子じゃないよ うん。

物干し竿は最近ステンレス製で錆びない
が、竹だって錆びない
竹は結構原始的な感じがするね
蝶と竹やぶは記憶装置かも知れない
花が咲かないのがいい
実際マダケは120年に1回咲いて
寿命を終える
しかもあまりきれいな花じゃない
イネ科だし米の花に近い
希少価値はあるが見てみたいとは思わない
希少価値という価値は本当の価値なのか





なんとなく
価値について考える
皆が欲しがる物は価値があるという
皆が欲しがらなくても
皆が必要とするものには価値がある
必要ではないが
皆が欲しがれば価値はあるという
必要でもなく誰も欲しがらなくとも
稀少な物には価値があるという
所謂レッドデータブック
絶滅種の生命体
あるいは
枯渇しそうな資源

継承者のいない人間国宝
世界にひとつしかないもの
人間ひとりひとりは
それぞれ
世界にひとりしかいないから
やはり価値がある
まあ教育的に言えばそうなる
命の価値
しかしまあ道徳は置いといても
人間64億人いるが
遺伝子は皆違う
遺伝子という研究材料的価値
価値というのは人間が決めるが

例えば
価値の高い人間が決める価値は
より高くなる傾向がある
価値の低い高いは
おのおのが決める基準があるから
人によって変わるが
世間が決める価値は

多数決的価値と
セレブ(=選ばれし者)的価値
多数決的価値をアジテーションする理論は
セレブ的価値基準が多くの場合
関係している
所詮価値はセレブがセレブの
利益に追準しつつ
決められる





自分ひとりが価値を認めたものを
世間に認めさせないまま
ひとり価値があると叫んでも
それは価値ではない

ひとりふたりの価値は
事実的立証的価値ではないから
心の問題であり
心証的価値と呼んだらいいかな
いや
価値とは名付けないで置こう
何がいいたいのかと言えば
価値は誰にも認められないなら
価値ではない
たんなる
あいまいでばくぜんとした思いこみ
自己満足
けれど
価値の無いものが
価値のあると言われるものよりも
大切になる事がある
と言いかえたい
価値、価値と
うるさくなりすぎた世の中
価値の無いものを捨て去ってきた世の中
一番価値の見出だせない戦争
なくならない紛争
作り続けられる兵器
国家予算で買い続ける戦闘機
ミサイル空母潜水艦戦車
そして
おそろしく高くつくことが解った
原子力発電
全部止めても未来永劫?
冷やし続けなければならない
核廃棄物
これにも電力がかかる
これこそセレブ的価値のお買い物
人間の価値観の産物は
破壊されてまた造られる
そこに利権も集まり
セレブをつくり維持する
日刊現代の記事じゃないが
東電には売れる資産が8兆円あるから
電力を値上げして国民に負担させるのは
資産を売ってからにしろ!
とあったが
本当ならまったくだ
どうやったら
そんなに資産が貯められるのか
不思議でしょうがない

普通の人々の価値観を一とする為には
むしろ価値が無いから価値があるもの
その価値を認めないからこそ
大切にしたいものを
皆で叫ばねばならないが
普通の人々も千差万別
俺は叫ぶことに価値を認めない
などという人もいる
語ることに価値を見出せない
という人もいる




結局
わかりにくい話だ
例えようが無い話だ

人間が土に帰らなくなったあたりから
価値は勝ち負けのかちに
限りなく近くなって
負けるが価値の勝ちは
土の下に微生物と眠る
地球上の生物の100万種いるうち
8割は昆虫だから
その他の蟲たちも含めたら
もう圧倒的
いわば蟲たちからの価値感は
人間の価値観より絶対多数だ

だが虫に支配されたくは無い
価値を創るセレブ人間達にも

ところで
もんしろ蝶って今時分飛ぶものなの?



(写真はすべて現場近くの飯塚伊藤伝右衛門邸)