RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

ボノとおかんと時々優作

2006-11-30 13:52:20 | せからしか

(こりゃどうも!)

29日午前安倍首相がU2のボノさんにエイズ拡大防止基金の為に
販売しているサングラスをプレゼントされ似合わないサングラスを
かけている写真を新聞で見ながら
「あたしにちょうだい
とつぶやくるるです。
ちょうど昨日ビデオに撮ってあった「U2ビートファイル」を見て
うっとりして、沈んだ心を、ちょっと浮き立たせていたのに
若干テンション下がってきました。
どうせライブなんかにも行けませんし、年末の厳しい北風に
吹きさらされている国民のことも考えてくれよ。

造反組の11人を年内中に復党させたら、政党交付金が
二億五千万円増えるってね、国民置き去りで、そりゃあ
サングラスで目を隠さねばならないよね。
ほんとにほんとにええのんかい
こんな日本でさ。

今日から修学旅行の娘がお土産買うのにオコズカイ
2万円いるという、に・・二万!(限度額3万だと!)
おみやげなんかいらんわ!というと
今までもらってる人が沢山いるし・・・。
「帰ってきたらバイトして1万5千円は返すし。」

・・・・それなら許す
まあ、楽しんできなさい
おかんもトランクに入れて連れてってくれ~。
だめか、しかたない・・おかんは
沢木耕太郎「深夜特急」でも、もう一度読んで我慢しよう
あ。BOOK OFFに売ってしまったかなさがそ~っと

今ヘッドホンからは松田優作の唄
「Yusaku Matsuda1978-1987]
やっぱり「灰色の街」


涙がとまらない
明日が見えない 灰色の街なんだよ


(電柱にも歴史はある)

灰色の街に晩飯の買出しにいかにゃ
冷蔵庫がからっぽです。


人生「なんだかなあ」な日もある

2006-11-29 01:52:48 | せからしか

(門前の紅葉神のまにまに)

昨日は朝からめまいがするので夕方までベッドに張り付いていた
目の奥がじんじん痛いので額に冷たいタオルをのせて
じっと我慢の子であった、しとしとぴっちゃんしとぴっちゃん・・・。
でも今朝は目の奥の痛みと寝不足とふらつく足で掃除機もかけーの
洗濯もしーの、その他の雑用もこなしーのの、るるであった。
悲しいのは3日前に洗面所のハンドソープが切れたので
詰め替え用のパック入りを買ってきて、わざとらしく
空のポンプ式ハンドソープの横に置いておいたのが、まだ袋のまま
置かれていたのだった、誰か入れてくれてもいいじゃないの
ぷん
と思いつつも、結局詰め替える・・・るるであった。

そりゃあ入れてと頼めば、彼らもやってくれるに違いない
が、頼むのはなんとなくいやなのだ
だって家事はあたしの仕事と誰が決めて、誰が頼んで、誰がOKしたのさ
と突っ込みたくなるからね。
頼むってことは自分の仕事だってことになる
誰に頼まれたわけじゃない、あたしゃ、すすんでやってるだけですから
だから君達僕達も進んでやってよね

3日に一回お風呂の排水溝の金網のぬめりをとりながら思う
だって3日で水が流れなくなるくらい細かい網の目なんですう
だって髪の毛も絶対排水溝に流さないくらい細かいから
石鹸あわとあかとに毛がまみれて、ぬるぬるしてきもちよくないのです
だから3日に一回は「なんだかなあ」って
家族って「なんだかなあ」って思ってもいいんじゃない

親子で抱き合うマレーシア・ボルネオ島のオランウータンの記事
と写真を見ながら愚痴るるるです。
「ボルネオ保全トラスト」が12月8日に発足
熱帯雨林に覆われていたボルネオ島は戦後日本への木材輸出などによって
森林が伐採され、近年はアブラヤシ農園の開発が進み、この農園で生産
されるヤシ油を利用している企業などに、土地確保への資金協力を呼びかける
とある、農園によって分断された野生生物保護区を買い上げて保護区同士を
つなげる「緑の回廊」を再生し、オランウータンなど減少している野生生物
が生存できる生態系を取り戻そうという試みらしい。
がんばって森の人を取り戻してくださいと願います。
その左の紙面には日本サルの写真があった、右と左に人類の友かい
福岡では今年に入り九州一の繁華街にサルが出没しています、山から下りて
山際ではよく見かけます、イノシシだって前に済んでいた山際の住宅地に
降りてきて、車道へ駆け下りてきたイノシシと出っくわしたと宅の主人も
申しておりました
「こわかっ~た」そうです。
「イノシシも怖かったろう」
サルはあまり怖がらないので軒の干し柿とか取られるそうです。
どんどん生態系は破壊されてゆき
都会には天神サル専用マンションができるかも


(枯山水的紅葉)

船は狭くて 私は手袋ももたずに
乗り込んで 夜 寒いので粉雪が舞った

精一杯吸い込んだ 空気は
かなりひどい音を立てて凍る

其れでいつも手の冷えるのを
気にしていなければならなかった

本当に船は狭くて 壊れかけのラジエーター
壊れかけの羅針盤 外は波ばかり
海ときたら丸いなんて 絶対嘘だと思った

ラヂオじゃ馬鹿げた放送ばかり
ただ流れては 波に漂う

結局それでも夜は明けて
ふてくされている余裕もなくて
悔しいから はぶらしもって
笑った振りして おどけて歌う

あなたは震えているのでしょう
自分には何もないから
あなたがわたしの わたしがあなたの
お日様になって 暖めあおうなんて

虫が良すぎて 素敵ね
そうやって いつまでたっても
何の役にも 立ちやしない
ひとりでいても ふたりでいても

When one's ship comes home
(1988/るる)

散漫思い出し日記

2006-11-26 22:53:23 | ふ~ん

(るる狸の穴蔵からの眺め)

「お人よしが馬鹿にされない村を作って暮らしましょう。」
と男は女に言いました。

「悪人の顔ができないものは賢者ではありません。」
と男はお人よしの男に言いました。

己の世界の範囲は自分で決めていいものなんじゃないのか
って
最近思う、だって私達は無限の世界に住んでいるに等しい。
誰も宇宙の果てには行ったことがないし、行ったとしても
帰ってこられるのかどうかわからない。
でも時は有限だから、空間にも限界をつくると安心できるのさ
世界が狭いってことは不幸じゃない気がするるるです。
「海の上のピアニスト」って映画があるけど
船で生まれて、死ぬまで船を下りなかった
船の中だけが彼の全世界だった。
草原に住む遊牧民は、ヤギや羊の食べる草のある限界
までが彼らの全世界、出て行ってもいいけれど
それを出たら遊牧民ではなくなる。

スイレンの花が開く時「ポン!」って音がするって聞いて
一日中開くのを待って、つぼみを見続けることができる人
は、きっと自分の世界の範囲を決めてる人かもしれない。

昔、深夜にやっていた三宅祐司のワークパラダイスって番組で
生瀬勝久が架空の仕事人に扮して、あることないことアドリブ
で語るのにはまってしまったけど、あっけなく終わってしまい
第2弾の放送はなくて残念だった。

ダルマ電話相談室 赤蔵太一という仕事人は
良いだるまの条件を語る
「だるまの目は黒が3白は4の割合である」
とか
「願いがかなったら、そのまま飾り、かなわぬ時は神社へ収めよう。」
とか
受付電話番号は「サンダルとーさん、だるまだるま」
たまにダルマからの相談がくることもあるらしい。
「しかし親父の血だるま相談はしません。」

ヨット数え 関口波男 やら
ウナギぬめり選別士 杉原恭一もいた
うなぎのぬめりを
「上ヌラ」「並ヌラ」「捨てヌラ」の三種類に鑑定する仕事。
上ヌラが最上級品で最も滑りがよい。

廃れさせ屋は仮名だったが、全部仮名やし (笑)
これは裏家業流行を廃れさせるという仕事で
フラフープを廃れさせたのは私であると言っていたが・・・。
ほかにもいろんな仕事人キャラが出てきた、植物弁護士とか
害虫共存振興会とか、ゴキブリやムカデに
かわいいウサギとかのコスプレをさせることによって
人気ものにすると言っていたっけ
なんでか急に思い出したのでした
ナマセさん、最近は「十四歳の母」の父ですが

急に思い出したといえば、昨日山芋の輪切りバター醤油焼きを
食べながらNHKの世界遺産という番組でオランダの風車の景色
をみて思い出したんだけれど、まえに子供の頃読んだ本の話を
書いたけど、ひとつ大事なのを忘れていた。
「運河と風車とスケート」という物語、これもかなり好きで
何回か読んだ気がする、作者はディヤング マインダート
プロフィールを調べてみた。
(1906~1991)アメリカの児童文学作家。
オランダのフリースランド州ヴィールムで生まれ、
8歳のときアメリカに移住。カルヴィン大学を卒業。
缶詰工場の臨時雇い、墓掘り人夫、大学の教師などをしたのち、
農場を経営。動物やオランダの田舎町を背景にした作品で、
幼いものと年とったものとのほのぼのとした心の通いあいを
しばしば取り上げている。
村に幸運を運ぶというコウノトリを呼ぼうと努める子どもたち
を描いた『コウノトリと六人の子どもたち』(1954)で、
ニューベリー賞を受賞。
他に、少年と家族の心の動きを扱った
『ぼくの黒うさぎシャデラク』(1953)、
子猫の遍歴(?)物語『びりっかすの子ねこ』(1961)、
少年と年寄り馬との交流を描く『丘はうたう』(1962)、
全米図書賞を受賞した『ペパーミント通りからの旅』(1968)
など多くの作品がある。1962年に国際アンデルセン大賞を受賞。

『びりっかすの子ねこ』中村妙子訳 偕成社 1966
『ぼくの黒うさぎシャデラク』中村妙子訳 偕成社 1965
『白ネコのぼうけん旅行』中山知子訳 偕成社 1966
『コウノトリと六人の子どもたち』遠藤寿子訳 岩波書店 1967
『運河と風車とスケートと』白木茂訳 あかね書房 1965
『いぬがやってきた』白木茂訳 講談社 1969
『キャンディいそいでお帰り』高杉一郎訳 講談社 1969
『しあわせをもってくるあひる』高杉一郎訳 講談社 1969
『六十人のおとうさんの家』中村妙子訳 講談社 1971
『ペパーミント通りからの旅』足沢良子訳 講談社 1978
『海べの塔』中村妙子訳 講談社 1980
『青い目のネコと魔女をおえ』黒沢浩訳 文研出版 1980
『デルクと愛犬ベロ』土井耕訳 文研出版 1970
『ジムのおばけキャベツ』白木茂訳 文研出版 1974
『ちびスカンクの大ぼうけん』白木茂訳 文研出版 1976
『ビリーと雄牛』白木茂訳 旺文社 1970
『丘はうたう』脇明子訳 福音館書店 1981

というわけで今日の記憶を辿る思い出し日記はおしまい
いい夢見ろよ。
あい









哀川翔似の婿より玉木宏似の婿がいい

2006-11-25 13:26:23 | あかんがな

(ズッキーニ君のカツラ)

このところ新聞を読むと胃が痛くなりそうな記事ばかりなので
体調の悪いいましばらくは、斜め読みでおいておく、根性無しのるるです。

引越し屋のバイトに生きがいを感じ始めている我が家の娘(高2)は
最初は、おこずかいを稼ぐ為、派遣会社に登録し、休みの日毎に、
弁当詰めやら、パッケージの組み立て、大型スーパーで新製品のキャン
ペーンガールや、いろんなバイトに派遣されていっていたが、ある時
友達に誘われて、引越し屋にバイトに入った、つなぎを着て荷物も運ぶ
らしい、しかし、他のバイトより収入もいいが、なによりトラックに乗って
あちこちいけるのが楽しいらしい、帰ってくると。
「今日は久留米まで行ったよ。」
「今日は唐津、昨日は熊本までも行ったとよ。」と
疲れていても、何故か嬉しそう、それで
「地図の見方をおぼえなきゃ」と言う。
助手席の人はナビをしなければならないからと・・・まあ頑張りなさい。
できれば勉強と、部屋のかたずけも頑張って欲しいが。

そんな娘がテレビを見ていて
「玉木宏 かっこイーよね。」と言ったから
ふーむ彼女もやっと普通の女子高校生の感覚になったかと思う
というのも、中学時代はずーっと
「哀川翔さんかっこいー」と言っていた
なんでや
わからん。
今、女子中学生で普通、哀川翔ファンはおらんやろ?

だからるるは聞いてみた
「じゃあ、玉木宏と哀川翔はどっちがいいと?」
「えーと・・・」と娘
考えるんかいな
「結婚するなら哀川翔で、恋人にするなら玉木宏かな。」
「・・・・・。」

哀川翔似の婿さんが、こないことを祈りたいるるです。


(我が家の喋る炊飯器くん)

我が家の自家用車は3台ある、旦那のママチャリ、娘のママチャリ(先週
旅?から戻ってきた)そしてるるのママチャリの計3台。
だからママチャリという響きは愛情を感じてしまう、本日此の頃であるが
ママチャリといえば「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」(左のブックマーク
から入れます)を愛読していて、その主人公がママチャリ君なんだけど、この話
が面白いのは、悪ガキ高校生や駐在さん、商店街の人々、親達、子ども達、その
顔や、町の匂いや情景が、頭の中に浮かんでくるから楽しい。
時代が自分の子供の頃に近いせいもあるけれど、ちょっとホット(あちち)した
い人におススメです。

それにしても、筑紫野文化会館にあった喫茶店「ひまつぶし」って名前は
なんかなあ、と思う、ひつまぶしはおいしいが・・・。

人生80年は960ヶ月、けっこう短そうに思う。
だから何よ


今日のお唄
(山口県柳井の古い油屋商家の蔵の前で拾った数え歌)

ヘンポ石(亥の子石)亥の子唄

亥の子 亥の子 亥の子さー と云う人は
一に 俵をふんばって
二に にっこり笑って
三に 酒を造って
四に 世の中よいように
五に いつものごとくに
六つ 無病息災
七つ 何事ないように
八つ 屋敷を拓いて
九つ ここに蔵を建て
十で ところの大評判
繁盛せー 繁盛せー



柳井という町に国木田独歩の住んだ家があったなあ
一画だけ白壁の保存された通りがあって、醤油倉や
油屋商家、金魚ちょうちんに金魚最中、三角もちと
甘露醤油、しょう油味ごまふりかけも忘れずに。





「黄泉の犬」を黄泉読み過去に旅に出よう

2006-11-23 13:54:50 | 超おすすめ

(ベニスカーニバルの絵)

博多はです。
このところ胃痛と頭痛とが交互にやってきて
心はネバーエンディングストーリー的暗黒虚無が・・・。
朝、新聞を読む気になれず、穴蔵の澱んだ空気を、昔の洗濯機の
横に付いていた、手回しローラーでぺしゃんこに出来たらいいのに。
そうすれば新鮮な空気が入ってくる余地が出来る
あいかわらず、ハンドメイドでめんどーなルル3錠な女だ。

明日はフレディマーキュリーの命日だなあ、1991年11月24日、15年前
90年代が15年前ってなんか時間の流れが速すぎてついていけなくなり
つつある、70年代は30年以上前かあたり

藤原新也の「黄泉の犬」を一気黄泉、じゃなくて読みした、
久々のストライクバッターアウト三振でベンチで遠吠えしたら
鳴き声がスコアボードに、こだまして12点入るくらい面白かった
今年のお盆の頃、西日本新聞主催の「ペリカンカフェ」という
ライブイベント(創作活動と音楽の関係についてゲストが語る)に
藤原新也が来るというので行きたくて、参加希望の葉書を書いて出した
が、残念ながら抽選漏れだった、その前に彼の「花音女」の写真展示が
イムズでやっていた、去年だったか一昨年だったか忘れたが、
普通の少女達の普通の表情を撮った写真だったがとても良かった。

この頃は「メメント・モリ」(死を想え)の一部も彼のホームページで
見れるね、るるの好きな「猫はつけもの石である」の写真もあった
藤原新也の言葉というか文体は、とてもすんなりバランスよく心に描ける文で、
るるにはとても読みやすい。

「人間は犬に食われるほど自由だ」という言葉が「黄泉の犬」のキーワード
になり、インド放浪の時の回想もまじえて語られる、最初1995年から1996年
にかけて「週刊プレーボーイ」に連載されていた「世紀末航海録」を改題、
大幅に加筆改稿して「黄泉の犬」として今年出版された、さすがにるるは
週刊プレーボーイは愛読していなかったから、まっさらで読めて、かえって
良かった、読んでいるうちに今の日本が一瞬見えて、その後、さらさらと砂
になって消える、旅の話は出てくるが旅の話ではない。

旅といえば、高校生の頃部活(絵画部)で一緒だった友達と夏休みに北海道
に行った、お金がないので、列車で北の果てまで24時間くらいかけて行き、
そこから船に乗って焼尻島という島に渡り、その島で唯一の牧場(羊がいた)
持ちの旅館で10日ほど、まずバイトをして、そのバイト料をもって道内を
周った、宿は宿泊OKの寺とかユースホステルとかいう超安宿に泊まって旅をした。
今考えると、母が良く許してくれたと思う、女の子2人で北の果て(まあ日本内
だけど)まで行くなんて、いろいろ面白いハプニングもあったが10代の頃の旅
は思い出深い。

70年代に「旅の重さ」って映画があったっけ、高橋洋子が主演、16才の少女
が母親に反発して、(たしか母親役は岸田今日子)四国にお遍路の旅に出る話。
じっとりした青春ロードムービー、けっこう印象的だった気がする。
旅といえば「旅芸人の記録」って映画も70年代、テオアンゲロブロス監督の
ギリシャ映画、4時間もの大作で、全編ワンシーンワンカットの連続、映画館で
見たらきっと腰痛になってしまうぞ、羊飼いの少女だかなんだかの芝居をする為
の旅で占領軍や戦争のせいで芝居どころじゃない、映画の内容はともかく、映像
は詩的で青い色彩が印象的だった気がする、でも数十年経っても映像って印象に
残るものだから、印象を仕舞いに若者は旅に出よう、現象という印象を

旅の映画も、実際の旅も、自分の目に焼きついた色と光と、その時々の情景は
絵となって今も脳に保存されている。

まあ穴蔵にいても、心は旅に出ている。るるですが。
「こら 帰って来い




















おでんと梅干はがぶりより押し出し

2006-11-20 18:12:40 | やってもうた

(携帯の剥製 50円なり)

昨日は久しぶりにおでんを作った、玉子をゆでて、大根、こんにゃく
じゃがいもを下ゆでして、うすあげを開いて餅巾着をつくり、練り物
とねじり昆布とすじ肉、鶏肉ついでに、こいもも入れた、だしは本物
昆布とホンだしかつおと酒、醤油、みりんを入れた。
だがなんか一味足りなかった、あんまり濃いのは好きじゃないので、
薄味にしたのがよくないのか?いや何か隠し味が必要なのだ、とるる
は思い、おでんって案外むつかしいのよ、と自分に言い訳するのだった。

今日の昼ごはんも、もちろん鍋の残りのおでんだった、
朝、娘の弁当箱にご飯をつめてたら
起きてきた娘が
「今日期末テストで2時限だけやよ、お弁当いらんよ」

・・そうやった、そうやったと
つめた白ご飯に梅干をのせた弁当箱をもって
るるは「あいぐー」と心の中で唸り
それを目の前の自転車男にかざして
「これ~このままお昼に食べてくれる?」と言った。
「うん・・・。」と
自転車男は言い、言うしかないだろう。
その白ご飯梅干入りの弁当箱は食卓の上に置かれた
お昼になって
皿にあっためたおでんと弁当箱のご飯を食べる自転車男
しかも
お替りのご飯もピングーのかわいい弁当箱についでいる。
そして
「このおでん梅干と食べたら丁度よい味になったよ」
とのたまう
「えっ・・・。」
「一味たらんていってたやろ」
聞かれてたか・・・。あいぐー。
「へーそうなんや」
「うん丁度良くなった」
「梅干があうんや、おでんって」
と言いつつるるは心の中で
そうか結局、塩っけが足りんかったんや・・・。
と思いつつつ
「次のおでんは梅干し入りで決定
と心に誓ったのだった。

   
    食   るる(大学時代)作

コンビーフと生たまねぎを食べた
頭が痛かった

苦めのインスタントコーヒーを飲んだ
疑わしき存在とは

ため息を食べた
頼りなき子供心を食べた
市場を食べた

チェスターフィールドリーフを食べた
暗礁群はピリピリして
味がある

堕落も噛み砕いて食べた
ヒューマニズムも卵を割って食べた

数も食べた
恋人も食べた
障子も遺伝も食べた

致命的な言葉の意味
リリーマルレーンに
思わず涙した

四カイリ半
アラビア海に沈む夕日を考えながら
箱型の認識からはなれることを思った

怖い夢を食べた
後遺症を食べた

サッカーでケガをした少年を
文部省推薦の映画に連れて行って
日射病にしてしまった様な
変な気分

ミンダナオ島の山奥に住む
ブキノドン族のナゾナゾに
「ヘタの付いていない海のみかんはなあに?」
というのがある

この答えはタマゴである
どうして海なのかと聞くと
すぐにわからない様にする為だと
答えた

蠅の羽ばたきを食べた
墓を食べた
お彼岸を食べた

老婆の丸い背中を陽にあぶって
食べた
不利な条件 屁理屈
昔から私は考え無しの子だ

現代という時代は正当の裏側を
行くことが掟でもあるかのごとく
下心だと偽りの贈り物をする

茶室にしたって「禅」とかよりも
単においしくお茶とお菓子を
いただく為の装置でないか

宵ごとにしきりに蛙の鳴くという
田圃には
雨は降らぬでも蛙の涙で
水が増えるという

それで月を食べた
焦燥も
ゆっくり食べた





勝手にひとりランキングその4(韓国ドラマ篇・あいぐーで賞)

2006-11-19 15:24:06 | かってにランキング
今日は歌でなく台詞を拾って見る

「人間でいるのをやめないと金などかせげませんよ!」
と商人が言う
「人を愛するより殺すほうが簡単なのさ」
と剣客は言う
「ボンボン育ちのあなたには、生きて生活することが
どんなに大変かわからないでしょう」
と貧乏な女は言う
「国を愛するより人を愛するほうが大事」
と国民は言う
「旦那が定年で家に居る。主婦業にも定年があるといいのに!」
と妻は言う
「法律は不完全な人間がつくったから不完全なものなんだ
だけど人間が考えぬいた正義でもあるんだ」
と法の番人は言う
「先生も人間だからと先生は言うけど、人間なら人間を敬えるはず」
と生徒は言う
「なにもかも失敗して打つ手がなくなったら、とりあえず
笑うことから始めなさい、笑顔のなかに秘策はあるわ」
と愛しい女は言う
「人に迷惑をかけたくないと山奥に入ったら、そこにも人はいたんだよ!」
と悩める若者はいう
「人の役に立つとはどういうことなんですか?と偉い人に聞くと
老子の言葉を教えてくれた、聞くんじゃなかった!学のある人達は
自分の意見を話さない」
と凡人は言う


(母が死んだ父に似ているといったイ・ジョンジェ)

るるは小さい頃、時代劇をよく見た、たぶん娯楽時代劇というの、木枯らし紋次郎
や破れ傘刀舟、眠狂四郎、子づれ狼、必殺シリーズ、3年B組、ジャなくて~新鮮組
血風録(これケーブルで今やってる、懐かしい)燃えよ剣(2つとも司馬遼太郎の
名作だ)銭形平次に天下堂々、天下御免、そして一番好きだった座頭市(笑)
役者では勝新太郎と市川雷蔵と狂四郎の田村正和が好きだった
漫画では白戸三平の「カムイ伝」を読んで、空想で「くの一」女忍者になり
その反面?というかコメディーはアメリカドラマを見ていた。
もちろん虫プロアニメや他のアニメも見たし、太陽にほえろのGパン刑事くらい
までは見ていた、日本のドラマも子供の頃のほうがたくさん見たと思う。
まあさすがに韓国ドラマも中国ドラマも放映されていないからね。

ここ4~5年韓国ドラマが放映されるようになり、楽しませてもらっている
最初まだ韓流のはの字もない頃、深夜遅くに1枠だけ韓国ドラマをやっていて
宵っ張りの母が編み物しながらとか、何気なく見ていたらしい、それでるるに
「韓国ドラマって面白いねえ、日本と違って普通にスパイやらなんか出てきたり
文化も違うねえ」と言っていた、その後しばらくして少しづつ、韓流が根付いて
いった、さすがじゃ母ちゃん流行の先取りじゃ~。

韓国ドラマで気になることの一つはおじさんおばさんたちの
「あいぐー!あいぐー!」という嘆きの声である、
おじさん達はは控えめに、おばさん達は所かまわず声を張り
「あいぐー」と唸る、これは嘆きと恨み節なのか

それよりも気になるのが、大人がスプーンでご飯やおかずを食べる
その感じが何故か離乳食を食べる子供の姿にだぶって、
なんか美男美女のカップルであっても、なんとなく幼児的にみえて
かわいいなあと思ったり、ちょっとなあと思ったりして見ている

それにしてもよく登場するのは、男が女をおんぶするシーン
これも子守のイメージが浮かんで、子守唄好きのるるとしては
歌いながらおぶって欲しい
それもこれも含めて、韓国ドラマは面白い
ただ最終回がどーも納得いかないと思うこともままあるのだった
50話あるのもざらで、163話なんてのもある
しかし長いドラマほど後半ずっぽりはまってしまうのである。

日曜はおまたせ
(誰も待っていないっちゅうに


勝手にひとりランキングその4(韓国ドラマ篇・あいぐーで賞)
あいぐー度でノミネートしてみました。

01位 コッチ   
(ウォンビンが惚れた年上子持ちの女は京唄子似。にあいぐー度89℃)
02位 美しき日々
(演技に神が舞い降りた?というイ・ビョンホンしかし吹き替えだった。83℃)
03位 秋の童話
(子役の演技に涙をもっていかれて悔しいので。あいぐー度77℃)
04位 宮廷女官チャングム
(イヨンエという女優はお腹が痛くなるほど乳白色な感じが。あいぐー度75℃)
05位 ピアノ
(父は港で息子にアイラブユーを叫ぶ!こりゃかなりのあいぐー度73℃)
06位 勝手にしやがれ
(男前ランキングにも登場!脚本が妙に気に入ったのよね。あいぐー70℃)

07位 冬のソナタ
(もちろん完璧に王道を行くあいぐーですが、なぜか7位でごめん68℃)
08位 ごめん愛してる
(ミサ廃人には成れませんでしたが、るるは恋敵に惹かれました66℃)
09位 大望
(実はまだるるは10話目なのに完全にはまって、あいグーノミネート65℃)
10位 愛の群像
(この群像劇はかなりよく練れた台詞で出来上がって脇のかたさがGOOD!63℃)
11位 オールイン
(イビョンホンのためのイビョンホンによるワンマン愛グーなのでした62℃)
12位 あなたそして私
(最初はいまいちと思って見ていたら。なかなかのツワモノ!愛ぐー60℃)
13位 サンドゥ学校へ行こう
(ピは童顔すぎる!ちょっと古めかしい「つばめ」という言葉に59℃)
14位 バリでの出来事
(もったりしねっとりした空気感のロクデナシたち!あいぐー57℃)
15位 威風堂々な彼女
(餅屋家業も起死回生が大変だけど、アルファベット餅には笑った。55℃)

16位 グッキ
(金貸しの幼馴染役の役者さんがよかったので。53℃)
17位 がんばれクムスン
(まだ見終わってないのだけれど、シングルマザーにエールで。52℃)
18位 白夜
(日本ドラマにはない緊迫感にはらはらドキドキで。50℃)
19位 危機の男
(ファンシネのエキササイズをやりましょう。49℃)
20位 雪だるま
(親のいない娘は恋人に父を求めるのか?どうか?48℃)

21位 愛してると言って
(幼児性というものを前面に押し出した恋愛ドラマ~か?46℃)
22位 グリーンローズ
(岩窟王好きのるるもびっくり!の復讐劇で。45℃)
23位 ひまわり
(医者達の群像物はERを見て勉強する?最終話に44℃)
24位 私の名前はキムサムスン
(サムスン株上昇中?の為。43℃)
25位 ホテリアー
(ヨン様好きの方が一押しのジャガーな物語?42℃)
26位 夏の香り
(もうすぐ除隊のソンスンホンが茶畑で・・・40℃)
27位 ラストダンスは私と踊って
(記憶を2度亡くした男に女も二度めぐり合う、2度おいしいので。38℃)
28位 サラン
(年上の女を死に追いやったのは視聴者?らしい。36℃)
29位 ガラスの華   
(またも振られ役に感情移入?振られてなんぼの人生さ34℃)
30位 マジック   
(カンドンウォンは目が切れ長、そして身体も切れ長で。33℃)

保留 ホジュン 
   チュオクの剣
   12月の熱帯夜   
   天国の階段
   マイラブパッチ
   美しい彼女

こんなことしている場合じゃない
選挙に行ってきます。







イチローもいいがハチローも忘れちゃならぬ

2006-11-18 01:04:25 | すっきゃねん
左のカテゴリーの「目次どす」(過去記事へとびます、とびます)に
男前写真入れました。女子と男前好きの男子のみクリック可
その下の勝手にランキングにも男前写真入りました、飛びます、飛びます。



(フィットネスクラブの看板コピー)

体の中がちょいワル親父!今日も元気だ内臓脂肪!(笑点歌丸風に)

ちょいワルではなくかなり悪で不良少年が不良親父になった詩人
サトウハチロー、イチローもいいが、ハチローも忘れちゃならぬ
佐藤愛子とハチローは異母兄弟、父は佐藤紅緑、この一族の話を
小説にした「血脈」佐藤愛子著は、上中下巻と長いが面白かった。
ある意味愛すべきロクデナシ図鑑ともいえる、多情多恨の世界

ハチローのことを息子四郎氏は、日本一幸せな男だねと言う
頑固で矛盾だらけで、豪放磊落にみえたが、実は涙もろく
気が小さく繊細で、気の毒な人のテレビは10分と見ていられなかった
指の先を怪我しただけで出血多量を心配し
愛犬が病気だと心配のあまり執筆は中止
ビール毎日大瓶1ダース、一日にタバコ100本
でも定期健診で入院するときは、ちゃんと禁煙した
なにより友達を大切にし、飲み屋に3人で入っても
10人分の勘定を払うほど、誰とでもすぐ親しくなったと
「金を貯めるより友達を貯めろ」が私への教えだったと。
権威が嫌い、役所が嫌い、でも税金だけはきちんと払い
株や投資には無縁の人だったと四郎氏は言う。
彼は生涯おふくろの詩を3000以上も世に出し
親父は詩になりにくいと、たった3篇しか書かなかったと。

ひよこがね
おにわでぴょこぴょこ かくれんぼ

あかりをつけましょ ぼんぼりに
おはなをあげましょ もものはな

りんごはなんにも いわないけれど
りんごのきもちは よくわかる

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが
みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋
みつけた

もずが 枯れ木で ないている
おいらは わらを たたいてる

るるはよく歌いました
それから
「悲しくてやりきれない」

胸にしみる空のかがやき 今日も遠くながめ 涙を流す
悲しくて悲しくて とてもやりきれない
このやるせないモヤモヤを だれかに告げようか

白い雲は流れ流れて 今日も夢はもつれ わびしくゆれる
悲しくて悲しくて とてもやりきれない
この限りないむなしさの 救いはあるだろうか

深い森のみどりにだかれ 今日も風の唄に しみじみ嘆く
悲しくて悲しくて とてもやりきれない
このもえたぎる苦しさは 明日もつづくのか

(作詞:サトウハチロー/作曲:加藤和彦)

このうたは「帰ってきたヨッパライ」で有名な
ザ・フォーククルセイダーズの第二弾として
用意されていた「イムジン河」が明日全国発売という時
原詩の意味を正しく伝えていないという朝鮮総連の抗議で
発売中止になった、それに変わって昭和42年12月
この曲が発売されたと歌詞集の説明にあった。

興味深いのはこの歌が「イムジン河」のテープを逆回しにして
採譜したメロディーだということ
この譜を持参してハチロー氏に詞をはめ込むように依頼したところ
丁度ハチローは出かけようとしていたので「あとで」というと
「すぐにやってくれなくては困る」というので
ハチロー「それは悲しくてやりきれないね」と答えたら
「先生それをいただき」と題名が決まったとか
それで1時間半で書き上げた。
ある意味波に乗っている人の技だね。
それより
帰ってきたよっぱらいが確か回転数を上げた曲で
この曲は逆回しかい加藤さん

いちおうつっこんでおこう

岩手県北上市立花13-67-3に
「サトウハチロー記念館」がある
一度行って見たい、ぜひ見たい。

るるはこの歌が好きです

「わらいかわせみに話すなよ」
作詞者 サトウハチロー   作曲者 中田 喜直

たぬきのね たぬきのね 坊やがね
おなかにしもやけ できたとさ
  わらいかわせみに 話すなよ
ケララ ケラケラ ケケラケラと うるさいぞ
 
キリンのね キリンのね おばさんがね
おのどにしっぷを してるとさ
  わらいかわせみに 話すなよ
ケララ ケラケラ ケケラケラと うるさいぞ
 
象さんのね 象さんのね おじさんがね
はなかぜ用心に 筒はめた
  わらいかわせみに 話すなよ
ケララ ケラケラ ケケラケラと うるさいぞ
 

おしゃれな人生は夢のかなたに

2006-11-16 17:05:17 | せからしか

(男の館??by佐賀)

タウンミーティングで発言する時は棒読みは避けましょう。


るるは寝つきが悪い、そして目覚めはいいが寝起きも悪い
朝早く起きるのに目覚ましはいらない、大体の時間を頭で決めておいて
あした**時に起きるぞと思えば、大体その30分前位には目は覚める
しかし~である、目は覚めるが脳と身体はどんよりと重く、起き上がる
のに時間がかかる、朝方まで眠れぬ場合がほとんどなので大抵本を
読みながら眠くなるのを待つか、ビデオを見ながら待つか・・・・でも眠り
が浅くAM3時頃にうとうとしたかと思うとAM5時には目が覚める、それ
から30分布団をかぶって脳覚醒時を待ち、起きて娘の弁当をさササッ
と詰め、もう一度ベッドに倒れこむ・・・・そんでまたうつらうつらで
2~3時間して起きるというのがたぶん週の5日間ぐらい、弁当のいら
ない土日は、目が覚めてからベッドを出るまでのうつうつうつらな時間
が長い、今日も元気だごはんがうまい!という快眠快便な人生にあこが
れるが、まあそこはそれ「どれよ!?」もう慣れたよ

昨日爪の話をしたが、るるの指の爪は極端に弱い、すぐ割れるめくれる
だから伸ばせない、つんつんに爪をつむ、大人の女の爪は望めない
るるが指の爪にマニキュアを塗るのは、そのままだと雲母のように爪先が
はがれていて、みっともないのを隠す為である、むなしい、おしゃれでは
ないのじゃ~、まあいい、ゆるす

どのみちおしゃれな人生は歩んでこなかった、おしゃれに目覚める高校生
の頃(今は小学生頃から?)るるの高校は私服登校で標準服はあったが、
着ている人は見かけなかった、だから3年間ジーパンとシャツで通った
今のようにおしゃれなジーパンはない・・・あっったかも?知らないよ
大学生になっても社会人になってもジーパンとシャツの人生は続いた、
社会人といっても設計事務所は打ち合わせの時だけ、ちょっとジャケット
かなんか着れば、とりあえずOKだからね、化粧もなんかしない日のほうが
多かった、してもしている様に見えない程度・・・ナチュラルメイクか?
というより3分メイク、今でもやっぱり5分メイクである。
設計事務所勤めの頃仕事帰りに法事があるので、ちゃんとした格好して
行きなさいと母にいわれ、ワンピースかなんか着て出勤したら先輩上司に
「るるちゃんまた~笑わそうと~思ってからに~」と言われた。
「ちがう!」
社内旅行で四国へ行くのに船に乗り、船室であまりに暇で、同僚の女性が
持っている化粧道具で、ひとり女顔の先輩に化粧してみようと言うことに
なり、この際他の先輩(もちろん男性)もしてみようと言うと、その先輩
たちは「るるちゃんがするならしてもいいよ~」とのたまった。
「なんで私が?おんなですから!」まあいい、あまりに暇だったから、
それに同意して男達は化粧をした、しかも化粧をしたまま船室を出て
飲み物かタバコを買いに船室を出た先輩、そこで所長と出会ってしまった。
所長は一瞬そのおぞましい?顔を見たのだが、見なかったふりをして、急ぎ
足で立ち去ったと言う。その後この事務所の宴会では通例のように、
化粧女装男達が出没することとなった
「若かったねえ。」
「ちがう!」
「ばかかった!?」

しかして、るるは死ぬまでジーパンは、はき続けるだろう
数十年後、よぼよぼのジーパンシャツのばあさんがロックを
聞きながら、坂道で自転車押してたらそれはるるかも知れない。


今日のお歌

山かつぎ  北原白秋

あったとさ、あったとさ。
むかしのむかしであったとさ。
だれでも子どもであったとさ。
お山も子どもであったとさ。

あったとさ、あったとさ。
子どもの百姓があったとさ。
子どものお山をふごに入れ、
やっこらかついで、うんとこしょ。

うんとこしょ、どっこいしょ。
一番、かついで、そりゃ重い。
もひとつ歩いて、こりゃ重い。
緒なわが切れ切れ日は永い。

ぺったらこ、ぺったらこ。
ペッたりしりもちついたとさ。
みんなが手たたきおかしがる。
あははのあははであったとさ。

あったとさ、あったとさ。
むかしのむかしであったとさ。
みんなが子どもであったとさ。
笑ってばかりおったとさ。














どうもごひいきに!お元気ですかM先生

2006-11-15 22:20:20 | あんたそうと?

(我が母校の高校の建物は重要文化財ですがな)

るるが小学校5年のとき、若くて優しくて人気者の担任のM先生
元気にしておられるだろうか?るるは「引越し三昧」にも書いたが
住所が変わってばかりいる為、ずいぶん長い間行方不明者扱いで
同窓会の案内が届かなかった、今でも高校のは来ないが、3年前
やっと中学校の同窓会の案内が来て、始めて出たのだがよく遊ん
だグループの何人かと会って話せて面白かった。

小学校5年の担任のM先生は、なぜか、るるのことをとてもよく
かわいがってくれた、M先生は女子に人気があったし明るい先生
だったから男子も慕っていた子は多かったと思う。
だから、るるはクラスのみんなから、放課後教室に残らされて、
裁判にかけられたのだ、理由はもちろん、M先生にお前だけひい
きされている!というものだったが、まあ確かにM先生は他の子
より、るるに目をかけてくれていたと思う、理由はわからないが、
たぶんるるが変わった子で、先生の波長にすっぽりはまったから
なのかも知れない。

だから裁判にかけられても、別に悲しくも怖くも惨めでもなかった
し、みんながな~んか幼稚に思えて、るるはだまって裁判の終わる
のを待ったのだった。
まあ10歳か11歳だから幼稚でも当たり前だけどね、今の小学生
とどう違うのかよくわからないが、もちろんテレビゲームも携帯も
ないゆっくりした時代だった。
考えてみると、まだこの世に生まれて10年位の子供が生活の大半
を過ごす学校で、しかも小学校は担任が全教科教える時代で、そん
な自分の先生に自分ももっと見てくれよと、望んでも当たり前だと
思うから、るるも子供心に仕方がないかな~と思ったのか、あまり
に遠い思い出で、その頃の感情までは思い出せないが、他の先生と
違ったのは、子供に接しているんだけど、どっか年齢に関係なく、
人を敬う先生だった気がする。

だから子供と大人という関係でなく、人間と人間の付き合いが出来た
んじゃないのかと勝手に思っている。

M先生とは中学になっても文通していた、たしか高校3年くらい
まで、先生の結婚式にも出席したし、新居にも遊びに行った、奥
さんの手づくりお菓子かケーキを食べた気がする、犬もいたなあ。
そのうち引越し、引越し、してるうち、音信不通になった。
小中高校といろんな先生がいたが、会いたいと思うのはM先生だ
けである。
しかし案外真相は不思議ちゃんなイタイ子だから、僕が目を離した
ら何をするかわからないから、なんて思われていたのかもしれぬ。


そんなことより、お風呂を洗って湯船でちょっと寒いのを我慢して
お湯をためながら1週間ぶりの風呂(シャワーはしてます、念のため)
につかりながら、足の親指の爪を見て思ったことなんだけど、1ヶ月か
2ヶ月か前にぺデュキアをして、その色がちょうど半分のところまでに
なっていて、新しく生えてきた部分が半分ってことは、塗った日をカレ
ンダーとかにつけとけば、親指の爪が何日で生え変わるかわかるじゃん
これは発見じゃ~と思い、早速やってみようと思うるるであった。
・・・・・・・。



ばいきんマン似の駐在さんに一言

2006-11-14 19:47:08 | やってもうた


昨日の昼、駅前の交番から電話があった、おいおい何かやらかしたのか
と思ったら、「るるさんの名前で登録されている自転車が見つかったので確認
して下さい」とのことだった、娘の自転車である、2ヶ月前になくなったやつ?
「あ解りました、伺います、持って行くものは?」
と聞くと
「免許証か何か身分証明のできるものを・・・。」
「それだけで良いですか?」
「はい。」
「時間は夕方5時半頃で良いですか?」
「結構です。」と言う会話で
電話を切り、約束の夕方交番まで出かけた。

交番には3人の警官、一人は若い新人風、後は中年の大柄な人と小柄な
ばいきんマン似のおじさん、
「あの先ほど自転車の件で、電話をいただいたるるですが・・・。」
「ああご苦労様ですこちらへ・・おかけになって書類を書いていただきますので」
と新人君に言われ、るるは椅子に座り、差し出された1枚の紙。

「この鉛筆書きのとうりに書いてください」
とボールペンを渡され、あらかじめ鉛筆で書き込まれたるるの住所をなぞり、
名前、職業、年齢も書かされた、盗難場所と時間と、その自転車を乗り回して
いたと思われる人の名前?が書かれた欄
(新人さんはその部分を隠そうと別の紙で蓋を・・。)
の下にもう一度受取人として、るるの住所
(番地~号をちゃんと書くのよーハイフンはだめよ)
と名前を書き、新人さんに渡すと
「あの左手の薬指を出してください。」
と言って黒の印肉を差し出した
「えーと、ここと、こことここに指印を下さい」
と言われた。

ん?しいん?言われるままにるるは、黒い印肉を指につけ
「こことここと・・・あのー印鑑なら持ってますけど」
と言うと、新人さん
「いや、あの」と言ったところで、ばいきんマンが
「印鑑あるなら先ず印鑑でしょうなければ指印」
と新人に向かって発言
「ああはい~」と新人。
「なんかこれって気分悪いですよね。」
と指を見ながらるるは言ったが、まあもう押したあとだった。
「それではこれで結構です。外の自転車持って帰ってください」
といわれ、鍵の壊された娘の自転車を押して帰りながら考えた、
げせない
だって
持っていくものは?と念押しで聞いた時に、印鑑と言われなかったしね、
ばいきんマンも目の前にいたくせに、押す前に印鑑はお持ちですか?
って聞かなかったくせに、しかも免許証持って言ったが、見せてください
と言われなかった、なら免許証より本当にいるものは印鑑じゃん
それに、1枚の書類にしたいなら、隠さにゃならないところ、あらかじめ
なんか張っとけば?見えてたし~。

と思いつつ家に帰り着いて、警察ってほんと役所だ~
とあらためて思ったよ、だって書類の書き方や、その真剣なチェックぶり
と肝心のところがアバウトなのはまさにお役所。

洗面所で印肉のついた指を見て、「あれ?・・・左手の薬指?」
そうるるは人差し指に印肉がついていたのだった・・・(笑)。

昨日の夜、今年初の石油ストーブ入れましたが、灯油がまた上がっていた
ここ何年かで倍倍ゲームか庶民に冬を来させないつもりだな?
値上げ値上げ値上げ庶民が
ねをあげるのを見てみぬふりだな

あなぐらは今日も寒い。

異次元で拾った放送禁止歌

2006-11-13 00:43:53 | おすすめ
回転すし屋で壁にかかったメニュウを見て、一皿260円「のれそれ」
と書いてあるが、なんのことだか?わからない君。
調べてあげましたよ

「のれそれ」は「マアナゴ」の幼魚です、レプトケパルスと呼ばれており
これから徐々に細長~いアナゴのような型に変形します。
関西では「べらた」と呼ばれ、高知県では「のれそれ」と呼びます。
この「のれそれ」は地引網を引くとドロメ(鰯の幼魚)と一緒に網に掛か
って来るのですが「ドロメ」は弱いので網に掛かるとすぐ死んでしまうの
です。その「ドロメ」の上に乗ったり、それたりしながら網の底の方へ滑
って行く様子が「のったり、それたり」→「のり、それ」「のれ、それ」
→「のれそれ」と言うふうになったのが語源だそうです。

でも寿司飯の上からそれても、のってても「それのれ」と間違って呼ばぬ
よう、気をつけましょう。でも人間はせっかちです、穴子になってから食
べればどうなの?って思います。


(松原川の子供河童。なにかおる~?)

結局今日もレンタルビデオ屋には行かなかった、ていうかここ2年くらい
行ってないじゃん!外に出たのでちょっと見たい本があり、ジュンク堂ま
でいったら、またも迷宮迷路にはまり込んでしまって、日曜日の午後中ず
っと迷い込んで、入り浸ってしまっていた、今日はでも雑誌コーナーには
行かずに、2~4階の異次元空間にスリップしておった。
淀川さんごめん「八月十五日茶屋」はいずれ、そのうちにね

それで今日は「放送禁止歌」森達也著(知恵の森文庫光文社)を読んだ。
かなり面白かった、放送局にある「要注意歌謡曲一覧表」にはA、B、Cの
ランクづけされた表がある、Aは放送しない、Bは旋律は使用しても良い
Cは不適当な箇所を削除または改訂すればよい。と記され、注)として、
ある曲を放送に使用することの適否は、究極的に各社で判断していただくべ
きことです。この要注意歌謡曲一覧表は放送基準の精神に基づく一つの範例
として、放送音楽の取り扱いについて各社の自主規制の参考にしていただく
ためのものです。とある。著者は「要注意歌謡曲制度」は民放連(日本民間
放送連盟)が放送禁止歌を決定するシステムだと思っていたが取材をとうし
てその本質は強制的な拘束力などまったくないガイドラインでしかないこと
がわかったという。
しかも現在イメージされる放送禁止歌のほとんどはこの中に含まれていない
ことも「イムジン河」「手紙」「自衛隊に入ろう」「竹田の子守唄」「チュ
ーリップのアップリケ」等々など代表的なこれらの名前はなく1988年に
この「要注意歌謡曲一覧表」の効力はなくなっていると表記されている、し
かし、そのシステムに実体がないにもかかわらず放送禁止歌が存在するとテ
レビ業界人は思い込んでいたというのだ。

そーんなばかなである、実際るるが小学生ころから大学生頃までよく耳にして
いたフォークのメッセージソングも載っていた。
要するに放送局側の自主規制で日本のテレビは「表現の自由」を高らかに保障
されながら、放送事業が免許制であることも手伝ってか?独自のオピニオンや
見解を呈示することを無自覚に回避し、常に横並びの論調に陥って楽なほうを
選んできたと、著者(彼も業界人なのだが)は書く。

なんだかあいまいな煮え切らない気持ちの悪い話なんだけれども、いかに日本
のテレビ局が「へたれ」かということを証明する一冊でもあるので、おすすめ
です、文庫やしね。
人間は組織の中でマニュアルに乗っかって、自分自身で考えるという基本的な
ことを忘れたまま腐っていく。





11月11日はさよならさよならさよならの命日

2006-11-11 00:00:00 | ふ~ん

(佐賀松原神社骨董市)

11月11日はこんな日です
ピーナッツの日 (出荷時期と一つに双子で入っているから)
電池の日 (+プラスと-マイナスで十一だから)
ポッキー・プリッツの日 (みたまま)
鮭の日 (鮭のツクリが十一十一。みたまま)
サッカーの日 (11人でやるから・・・赤き血のイレブン)
下駄の日 (下駄の歯が・・・みたまま)
靴下の日・ペアーズデー・恋人たちの日 (靴下屋の陰謀・みたままちゃう!)
もやしの日 (無理やり・・・みえるかい?置いてみよう4本)
煙突の日(4本並んで立ってれば・・・許す)
ジュエリーデー (単位のカラット制定の日らしい)
チーズの日 (天皇さんの命で日本にチーズ作り開始の日)
西陣の日 (応仁の乱が終わった日この西陣はその陣)
おりがみの日 (1を4つ合わせて正方形になるから!!!)
箸の日(あのねえ夫婦ばしってか?)
世界平和記念日 (1918(大正7)年、第1次世界大戦が終結した、主戦場となった
         ヨーロッパの各国では、この日を祝日としている・・OKOK)



1998年の11月11日、さよなら、さよなら、さよなら、と言って淀川長冶さんは
この世を去っていった、あの日曜洋画劇場は遥か昔の思い出であるが、なんか
淀川さんは忘れがたいキャラクターなのである、今日は命日ってことでなんか
偲ぶすべはと思い、彼が愛した映画の中で、彼がなんと役者として出演してい
る「八月十五夜の茶屋」をビデオやに探しに行こうと思ったが、用事が出来た
ので、明日に順延、あるかなレンタルビデオ。この映画にはマーロンブランド
が日本人役で出てるって??京マチ子や清川虹子や根上淳とかも出てるって
しかも音楽監督がソールチャップリンって人で、私が小さいころテレビで見て
画面に釘づけになり、アメリカのミュージカル映画ってもんにびっくらこいた
「略奪された七人の花嫁」って映画の音楽監修をやった人で、他にも「巴里の
アメリカ人」「雨の朝巴里に死す」って映画の音楽も手がけている。この2つ
もテレビで見た覚えがありとても良かった

「略奪された七人の花嫁」って映画は監督はスタンリードーネンって人でるる
が生まれる前に作られたんだけど、確かカラーだった、ストーリーも面白くて
どっかの村に嫁いで来た女が、その夫の弟達6人もいてしかも血の気が多く
しかも野蛮、この弟達に紳士教育して嫁さんをもらわせようと奮闘努力する
んだけど、結局失敗でよその村から花嫁を略奪してきてしまい、その花嫁達を
義姉はとりあえず別棟だったか納屋かにかくまって、たしか冬を越して彼女ら
の村の人間が取り返しに来るんだけど、なぜかその頃この花嫁たちはこの野蛮人
の弟達に情を感じていて、結局一緒になって取り返されずに婚礼へって段取り
なんです~。(笑)でも子供の頃見た感動は今見ても得られるのか?ついでに
レンタルするかな・・・・それともあの感動に水をささぬよう見ないでおく?
いやー映画って本当にいいもんですね、さよなら~さよなら~さよなら~と
淀川さんを偲ぶ為にもとりあえず探して明日考えよう。

今日のお唄

唐寺(からでら) 北原白秋

ここはなあ、唐寺や、
唐招提寺 言やはりまん

寒い日どすえな、
扉が閉まってありましゃろ。

御像がなあ、あんさん、
鑑真様がな、

おめめをつむってなあ、こうして。
松風どす。



「この詩はるるが小さいころ覚えて
いまだ脳から消えずに暗唱できる
お気に入りどす。」


即興童話・公園のある2本の木の話

2006-11-10 15:48:02 | そうさくらん
「アカシア~の。雨に。うたれて~この。まま~死んで。しまいたい~」
と、歌った関口宏夫人の西田佐知子は最初は浪花けい子という芸名でした、
この時はいまいち売れなかった、売れなくてよかったよ、浪花けい子は
なんば花月風だし、この歌詞のアカシアは針槐(ハリエンジュ・ニセアカシア)
のことです、槐(エンジュ)に似て5~6月に藤に似た白い房状の花が咲き
とてもいい香りがします、若い幹にはとげがあり、ハリエンジュの針の由来
はこれです、剛健で強い木です、成長も早く乾燥にも強く、荒地、開墾地で
も耐えます、花はてんぷらにして食べ、蜂蜜もとれます、若葉は山羊が好み
ます。但し花のてんぷらを食べ過ぎると鼻血が出るのでご用心。


「公園のある2本の木の話」

その老木は、坂を流れる川と神社と半導体工場のすぐそばの公園の中央に、若いハリエンジュの木と並んで植えられていた。
「わたしの知っている南の国にあるヤシという木はねえ、トラを使っておいしいバターを作るんだよ」と老木はいつものようにハリエンジュの若木に話しかけた。
ハリエンジュの木は「ああ!それなら僕も知っていますよ、ブラックマンボだか、ジャンボだかの息子がジャングルで散歩中に、次から次にトラに出会って、赤い上着や青いズボンやみどりの傘やら、底と内側がまっかなむらさきの靴やらを、命の変わりに差し出して、トラたちがそれぞれ、それを身につけて俺様が一番このジャングルで、かっこいいと自慢し合って、けんかになって、ヤシの木の周りをぐるぐるぐるぐる、追っかけあって、そのうちにトラたちはなんだか皆、解けてしまって、バターになるんですよね、それからマンボとジャンボと・・・・そうそう、ちびくろさんぼの親子3人で、ホットケーキという美味しいものを作って、それで、さんぼは169枚も食べちゃうんです。」とハリエンジュ。

「君は・・きみは詳しすぎるよ、だがそのとうりだ。」と老木はちょっと寂しそうに言いました。
「だって毎日のように、僕の足元にシートを広げる母子がいて、そのバター作りの本を広げては、母親に、読んで読んで~というんですよ、その子がね、何回聞いたっけ、5回いや7回だったかなあ、いやでも覚えてしまいますよ。」とハリエンジュ。
「あなたの足元はとてもいい日陰で、風も空気もおいしいですからねえ、私の足元には最近行儀の悪い犬が、おしっこを引っ掛けにくるぐらいで、誰も寄り付きやしません。」と老木はにがにがしく答えた。
「いやだなあ、そんなことはないですよ、それに僕がまだ小さかったころは、とても見事な、薄ピンクのきれいな花をその枝いっぱいに咲かせて、花びらが散ると、僕の枝や葉にその花びらが積もって、ぼくまでうきうきして、あなたの足元は飲めや歌えの大賑わいだったから、ぼくなんかその百分の1くらいの賑わいしかありませんよ。」とハリエンジュは、老木の機嫌をそこねたのかと思い、ちょっと持ち上げるように返事をした。
「いや、そりゃあ私にだって若いころはありましたがねえ、毎年、花の頃はなかなかの美しい枝ぶりに加えて、満開の花はこの辺じゃちょっと有名でしたよ。」とうれしそうに老木。

「しかしね最近は野良猫や散歩イヌや野良犬たちの休憩所に成り下がっていましてね、そこで、わたしゃ考えましてね、もしかして、わたしと犬さんか猫さんたちの組み合わせで、ほらそのマンボだかサンボの本のようにですよ、なにか作れるといいなと考えましてね、きっと評判になって、また皆が私の周りに集まるんじゃないでしょうか。」と老木。
「それはどうでしょうかねえ、それで何が出来るといいんでしょうかねえ」とちょっと意外そうにハリエンジュは言いました。
「そりゃあトラがヤシでバターなら、私は犬猫だからちょっと庶民的に、ラ、ラードなんかどうでしょうねえ」と老木。
「ラード・・・ですか?ふーむ、それならきっとこの町のラーメン屋組合があなたを重宝がって、もしこの公園から古い木を排除しようとする動きがあっても、反対運動の先頭にたってくれると思いますねえ、わたしは。」とハリエンジュはちょっとその老木の考えにうたれて答えました。
「でもなんか、野良猫や犬たちではちょっと役不足じゃないですかねえ。」と老木が不安げに言うと「そりゃここはジャングルじゃないんですし、シマウマもぶち牛もアフリカゾウもいないんですから、でも大丈夫ですよ、私達樹木には特別な力が具わっているって、やっぱり僕の足元で、誰かが読んでる本に書いてありましたよ。」と、ハリエンジュは自信をもって言いました。
「特別な力ですか・・・どうもありがとう、あなたがいて私はとてもたすかっていますよ、もう花も咲かなくなって、栄養分も水分も地面から吸収できなくなってくると、毎日来年の春はここにはもういなくなっているんじゃないか、なんてついつい考えてね、でもあなたが隣にいてくれて、ここ何年も楽しく日々をすごさせてもらってますよ。」と老木は瘤だらけの幹と、乾いた枝をゆらし、そして続けて言いました。

「私はね、若く青々として、新緑も他のどの木にもまけない程、力強くて美しいあなたを見ていて、うらやみもしますが、それ以上に尊いとおもっているんです、そして、いとしいと思ってしまう、それでね、あなたの傍がね、とてもいい気分でいられるんですよ。」
「ああ、もう12時のサイレンが・・・工場の人たちがお弁当をもってやってきますよ」と照れくさそうにハリエンジュは言って、青々とした葉全体に気持ちをこめて大きな日陰を作ります、集まってくるお弁当族のために。
ハリエンジュは少し老木に対して後ろめたい気持ちになって、しばらく無口になりました。
夕暮れになって、人々のいなくなった公園の中央に、夕日に照らされた、大きな瘤だらけの桜の老木と、若葉を茂らせたハリエンジュの木がだまって立っています。

夜、星の出る頃になって、ぽつんと老木がつぶやきました。
「立っているのがあきあきしたよ、もう横になって、君の根元にころがって、若葉やふさふさとした白い花をとうして、あの輝く星達を眺めて見たいもんだ・・・それも、とても幸せな気分だろうて。」
星の輝く夜の公園は青くどこまでも深い青に沈んでゆきます。


(「ちびくろさんぼ」に捧げる 即興童話 るる作)
(西田佐知子ではなく、BEN E KINGの「STAND BY ME」を聞きながら
 作ってみました、でも彼女のCDめっちゃ欲しいなあ。)


裏の畑に美味い何かがあたかもしれない

2006-11-09 23:01:04 | あかんがな


ネットのコラム記事で見つけた

外国人の日本語試験とその回答

問1:「あたかも」を使って短文を作りなさい。
答:「冷蔵庫に牛乳があたかもしれない。」

問2:「どんより」を使って短文を作りなさい。
答:「僕は、うどんよりそばが好きだ」

問3:「もし~なら」を使って短文を作りなさい。
答:「もしもし、奈良県の人ですか?」

問4:「まさか~ろう」を使って短文を作りなさい。
答:「まさかりかついだ金たろう」

問5:「うってかわって」を使って短文を作りなさい。
答:「彼は麻薬をうってかわってしまった」

うま過ぎるので創作の匂いもいたしますが
本当かも!

しかし始まりは笑いであるのだけれど、今日はどんより気分も暗い
だって今地球上で飢餓に苦しむ人たちの数は10億人もいるって
あと数十年もすれば3~4人にひとりは飢えで苦しむって言う。
なのに日本の穀物自給率は20~30%台なんだって、農業白書
(h10版)によると人口1億人以上の国の穀物自給率は
中国、12億人、穀物自給率94%
インド、10億人、100%
アメリカ合衆国、2.7億人、138%
インドネシア、2億人、91%
ブラジル、1.6億人、85%
ロシア、1.5億人、93%
パキスタン、1.4億人、104%
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日本、1.3億人、28%
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バングラデシュ、1.2億人、89%
ナイジェリア、1.2億人、94%

ということらしい、えー他国は80~100%以上なのに
日本は28%なのである、つまり72%は輸入に頼っている
30年前は80%あったらしいから、この低下は驚異的?
2003年は27%とあったから今年はもっと低いのか?
原因は日本の農業のあり方と農地不足、かといって農地を増
やしても、農業従事者が増えねばならないし農地を増やす為に
森林伐採は危険だし、今日本の農地は500万ヘクタール
上記の他の国の自給率に順ずると100%に近づけるには、
1700万ヘクタール(牧草地含む)必要らしい、取り合えず
米軍基地を農地に変えよう・・・っていうのはどうよ、しかし
土をいい土にもっていくのに時間がかかりそうだな?

それに日本人の食生活がタカ&トシじゃなく欧米化して
いるにもかかわらず、日本の農業は米作中心、水田中心で家畜を
飼わない無畜農業を続けてきたことも問題だという
日本食の大豆だってほとんど輸入だし、肥料も飼料も輸入、
狂牛病問題も輸入の牛骨粉だし、自給への道は遠いのかなあ
「ボクが大学で学んだ農業のこと、環境のこと」というサイト
でお勉強させてもらいました。

うどん党るるは小麦粉食品が好きだし、切実に憂いています
「どんより」を使って文を・・るるはうどんより米が好きだ。
やっぱりうどんも米もおんなじくらい好きです

とにかく農業従事者人口を増やさねばならないよね、そして農薬を
減らして少ない農地で収穫量を増やすアイデアを考えねばネバー
ギブアップ若者よOK牧草地へOK農地へ行こう

高校生には世界史も重要だけど、この際、農業史&環境破壊史を
学ばせたほうが良くないかな?革命や思想や暗殺や戦争の歴史年号
を覚えるだけならね、まあ産業革命あたりから森林破壊や農業の歴史
の層をあつーくしてさ、世界農業史地球環境破壊史の教科書を作る。
だって勉強が好きで興味のあることは自分でどんどん勉強するって
人以外は、やっぱり学校で教えなきゃねえ勉強しないものねえ。
あっうちの娘のことでした
すみません

今日のお唄
 
狐拳の唄
(鉄砲は狐に勝ち、狐は旦那に勝ち、旦那は鉄砲に勝つ)

えびと かには 手があるあるよ(手ではさみをつくり振る)
ナマコばかりは 手がないないよ(腕を組んで頭を振る)
 とっついたり ひっかいたり (右左と手を頬にあてて)
 チョチョンが ズドン    (手を2階打ち鉄砲あるいは狐か旦那の仕草)