RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

なんかどっか気になるファサードが足を止めさせるんや

2010-05-26 15:50:43 | こんなんどう?

ちょっとはさみ持って踊りたくなるかも・・・。
第二ってことは第一浜松もある?次は新橋にくる?





COFFEEのロゴがなぜか郷愁をそそる祐徳参道かふぇ。
そそるけど寄らずに素どうりしてごめんね。





ようかんは筒に入っているよ・・・でも
二本の看板が八つ墓村の鉢巻ろうそくオヤジを思い出す。





2階建てのビルOK牧場よりもおーけーな感じがして
ぜひ2階を借りたい。




ちょっと角のたばこやまで行ってくる。ってフレーズは有りだな。





ぶ・・びっくりした~!びくたーっ!ビクター!か?なに?






ぼくだって、カスミ食って生きてるわけじゃないんだよ・・。
深夜食堂ってドラマ思い出したの。




○○に何を入れるかは竜馬はんに聞いておみ。
これはこれでいいんだけど・・。





子 だくさん。





いい感じにほこりにまみれた~窓辺には陽水と布花。
なぜ外向きなのか気になるでしょ。






水に沈む街水の都水入らずでもビールはいる

2010-05-24 14:04:09 | すっきゃねん

(電球はぜひ電球屋でお買い求めを!)

今年のさくらんぼは
収穫量すくなしで
チェリージャム作ったが
小瓶4つにしかならぬゆえ
母上達に母の日用となり終了した
来年に期待しよう



母の日といえば
そう。毎年
手作りカードをくれる娘から
今年は手作り絵本をもらった

わがまま はぐれ星が
地球に落ちて
流れ星に願いをする子供に
出会って
自分も流れ星になり
人の願いを叶えたい
と思う話




ふうんそうか
早く
母の願いを叶えてくれ
とりあえずは
そうね
自分の部屋を
ちゃんちゃんと綺麗にいつも
片付けてちょうだい

はぐれ流れ星に願う



ちょっと嬉しかったのは
「次 生まれ変わっても またおかんから生まれたいです
とあった事だ

3980グラム!!(デカい)

母は生まれ変わって
もう一回産むつもりはない
が(笑)

兎に角
輝く日本の星になって
がんばってちょうだい



輝く日本の星
といえば
イチロー盗塁王
塁にこだわり続ける
塁に出る
塁を盗む
塁を踏む
塁塁と
その名の通り
ベースボールをする




バットボールでもなくラインボールでもなく
スタジアムボールでもなくフィールドボール
とも呼ばない
ベース ボールを
塁塁と塁塁と
そして
淡々と淡々と
ベースボールマシーン
淡々と
生きて行こう
生きて行きたい

淡々と といえば

ベッドでスガシカオ
めざめの おめざには
微妙に起きようとすると
また眠りの世界へ
淡々と 誘われ
あかんがな
おめざの
ヘッドグランドミュージックは
もっと目覚ましな曲
ロックンロール

とりあえず
クイーンに変えてみる


(エリザベステーラーとヘンリーフォンダって名のバラよ)


RADIO GAGA で始まるアルバム
THE WORK

夜更けまで起きては きみのライトを見つめてた
10代の頃 僕にとっては唯一の友だった
知りたいと思うことは何でも
ラジオが教えてくれた

ではじまる
ラジオ賛歌なんだな この歌
ジャケット写真がレトロで
なかなかいいの

そういえば
今人気の
レディー・ガガの名前は
この曲からとったらしい
レディオがレディー
壊れかけのレディーお(笑)
RADIO GAGA
聴きき~ながが
昔の事思う

ラジオは野中のばら
じゃなく
夜中の友だった
オールナイトニッポン チャチャチャ
岡田日本頑張れ W杯


(女子高生は何の話で盛り上がる?)

今の夜中の友は
ビデオに替わるのだが
寝室の壊れかけのテレビデ~オは
プレイを十数回押さねば
再生できず
そろそろ
ビデオも おさらば
DVDデッキ有りのチデ鹿
2011年ななの月
世界は点滅する
デジタルとは点点の世界と宇宙
映像が点々グラフとは
チカチカするはずさ
いやはや


(古き良き物は残そう


だから今は
夜中の友はipod classic
耳に戻るガガガガガガ
最近のロックの有り様は
まだまだ
新しいものに古いテイストを
混ぜ会わせたものが
多いのか
新しい曲を聞いても新しく感じない
あるいは
伏流水カモ知れぬ
ガガのレディーは
ポーカーフェイスの女
元ストリップダンサーで
セレブで
バイセクシャル
なんだそうで

それもなんだか
少し古くさい気もして
いいかも知れない


(カズヨじゃないの!いちだいって呼んで!でも時代は続く)

売れたもの勝ちの世界では
ある世代や
ある層をターゲットに
決め打ちでいく戦略
知らぬところで
大ヒットしているのに
まるで
世界中で大ヒットの様に
伝達されて

よく判らないまま
そうなのか~。
と洗脳されていき
誰もが知るところとなり
大衆は騙される為に存在し
二次三次ヒットが始まる


(流されないで留まることも大事)

だから
ある世代やある層の為に
なにかを発信する事は
成功への一歩
カモ知れぬ
などとガガガガガ
壊れかけの
レディオバアさん
もう五月も半ばだから曲を替える

壊れかけのと いえば

壊れかけの家族の物語
「イカとクジラ」って映画のサントラ曲
GREENBERG
とりあえず聞いとくか
60年代~70年代の名曲
ルー・リード
バート・ヤンシュとか



巨大イカとクジラが戦うなら
巨大イカの方が強そうだ
クジラはなんだかんだいっても
デカいだけで武器がなさそうだし
巨大イカは大量のスミを吐き
10本の足でカラミティージェーン


「イカとクジラ」って映画は
2005年ノア・バームバック監督作
崩壊した家族の物語
ブルックリンの町と
子役の演技は一見の価値あり




監督の私小説的映画で
夫婦共が作家の家庭
冷えた愛情と別居生活に
息子二人がふりまわされて
問題だらけの崩壊家庭でも
どっか悲劇と喜劇が入り交じり
家族全員が
不器用に
ひたすら不器用に
生きて行くブルックリン
って感じかな


(嫌われ松子が住んでいた・・・みたいな?)

人生は海の底と
空気に触れるぎりぎりの水面部分
を行ったり来たり
あがって しずんで
しずんで あがって
感情の行き先を探し続ける旅

旅といえば
一年一回の里帰り して来ました

福山で境港帰りの友に拾ってもらって
福山~倉敷~赤穂と車で行って
赤穂から在来線で大阪入り


(踊る阿呆ならまだしも・・・。)

中学同級生に会い
母の肉うどんを食べ
母の棲家の換気扇フィルターを変え
母のバラ寿司を食べ
天井の切れた電球をとり替え
母の棲む町を歩き
大阪の海を見る
大阪の海は悲しい色やねん

どうか確かめて




(青い星に住む我ら)

悲しいというより
なにより
大阪の海は
バナナアイスクリームか
バナナフィッシュ
だけど
食べたのはネジ巻きクリーム

母の流し台に
バナナが二本
食べられずに黒くなるから
もうすぐ夏


(こんな物干し台に郷愁の念)

東京の姉も帰っていて三人家族水いらず
なので 水は入らぬがビールはいる
三人寄れば
かしましーいとは♪愉快だね
と議論に議論を重ね
喋るだけ喋ったら
あっと言うまに
まに新幹線に乗って
博多に居た
自分のベッドに居た




里帰りも旅
故郷に帰るのが旅なんて
そんなにも
こんなにも
遠くなっちまった

22年の歳月は
からだの奥の奥から
少しずつ少しずつ
博多の水に溺れ 浸潤して
帰るのか 行くのか
行くのか 帰るのか
もうどうでも こうでも
しらへんがな


(鉄板こそが大阪なのか!)


大阪人は濃いから
薄めてちょうどいい
だから旅にでる




博多はミルクかレモンか
苦い濃い珈琲には
なにか薄めるアイテム
それでちょうど
人間飲みやすく 学なりがたし





誰かがどこかに書いていた
今日の一言

アインシュタイン曰く
常識とは18歳までに身につけた
偏見のコレクションだ


(水に沈む街の夕暮れって素敵。)


それより
溜まった仕事のコレクション
かたずけなさい!
はい・・・。






島原大変がまだす302キロ走行記なんじゃもんじゃ

2010-05-07 01:51:49 | さるきましょう

(これにはまいったちつてと)


橙色週間
長崎から小浜へ100キロ自走した
自転車君を迎えに
鹿島~島原半島一周~我が家まで
302キロ車走した

橘湾に沈む夕陽は
たちばな色だったのかどうかは
わからない
夕陽はだいたいに於いて
だいだい色系だから
そうに違いない
だから橙色週間だ

始発電車に乗り
高速バスに乗換え
長崎に向かった自転車君は
長崎に9時前に到着

橘湾スーパーマラニック初エントリー


(マラニック参加TSと絵葉書)

午前10時出発
阿蘇100キロマラソンの時は
朝早く走り始めたのと
気温が低くてよかったという
今回は暑そうだ
マラソンには
曇りのち曇り 時々晴れ くらいが
ちょうどいいらしい
暑いとばてるからね
173キロコースに
エントリーしたのは
たった10名
まあ物好きはそんなにいない
と納得ですが
それだけでは大会にならぬから

80キロコース

55キロコース
の三つに別れている
スタートとゴールは全てのコース
同地点である




長崎から小浜まで
直で走れば55キロってことか
それを173キロ分
回り道し遠回りして
山に登ったり降りたり岬を回遊したり

日本一過酷なコース設定となる?
湾沿いに走ると
海が見えて景色良さそう
などと
るるは思ったが
海の景色は走っていて
変わりばえしないらしく
軍艦島が見えている

写メを送ってきたが
軍艦島は
ずっと付いて来るみたいに
そこにあり
走っていて進んでいる感がなくて
きついそう
なら走らなきゃいいじゃん(笑)




今回はかなり暑かったのと
準備不足か?
どうか知らぬが
結果
約100キロ
スタートから15時間半
真っ暗闇の道を
樺島灯台の岬を回り
夜中の一時半に川原に着
アキレス腱に限界
警戒警報
無理して走りつづけると
迷惑がかかるからと
完走は断念
自転車君以外の9名は
ウルトラマラソン連続出場
の経験者ばかり
初心者は自転車君だけだったらしい
充分でしょ
100キロ走ればさ


(あらゆる場所にふくやまあり)

で迎え人
るるのコースですが
福岡のレンタカー予約が
連休で満車で借りれずに
佐賀県鹿島まで電車で行き
指定とれず自由席30分並び~の




鹿島のレンタカー屋の
TOYOTAヴィッツに乗り出発


(浜宿にて魔会への誘いあり)


むろん寄り道協会理事であるから
まずは
肥前鹿島の街並調査も怠りなく遂行
肥前鹿島の次の駅
肥前浜駅を降りて
5~10分も歩けば
肥前浜宿酒蔵通りと呼ばれる
歴史的町並み保存地区がある
正式には重要伝統的建造物保存地区







ついでに
祐徳稲荷神社にも参拝
商売繁盛・家内安全
健康保険高いねたまらん!
恋愛成就いまさらどうね?





参道階段上がって
息もあがって



(さつきにつつじ)

しかし
なかなかの景色
前方の山肌はつつじ色に染まり
赤白ピンク咲き誇り
誇り高くも高いなあ
本殿は清水の舞台
飛び降りて下の鯉の池にハマる前に
奥の日本庭園に
牡丹が咲いています
立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は
なんだっけ?
で歩き続けるる



(ゆうとくけどぼたんや)


(ほんまや!)

列車からの風景も
祐徳稲荷までの道端も麦畑が広がって

麦の穂は風に靡き
ひかりの波
まるできみどり色の海
麦畑の稲穂が風にゆらいで
日のひかりにきらめき
淡い色と
ひかりのあたる部分の色が
単純な浅い
グラデーションを表しながら
波のようにうねりゆらぎ
風の吹く方から
抜ける方へ
きみどり色の波を送る


(晴れの日は休み)


町の所どころに
なんじゃもんじゃの木の
白いもやが点在して
きみどりの波と山のみどりに
ほどよいアクセントを保たせている


(なんじゃ?もんじゃやん)

祐徳稲荷神社までの道筋に
鬼の面が待っていた
鹿島の伝承芸能
面浮立(めんふりゅう)の
木彫り面工房がある
クスノキの香りのする鬼の面には
白髪が生えている



毎年
九月第二日曜
七浦の秋祭りには
天子神社で鬼面をつけた面浮立たちが
田園風景の中を練り歩く
『道行(みちゆき)』
があり
腰の太鼓をうちならし白髪を波うたせ
神々に五穀豊穣を祈り感謝する



起源は四百年程前
攻めてきた
大内氏の大軍を
龍造寺家の家臣であった
鍋島氏一族が
鬼の面をかぶり奇襲をかけ勝利した
その時に
踊った戦勝踊りが
元になったそう
夜襲の名残で黒一色の衣装である
ほかにも
母ヶ浦系の方はなどは
船中で踊ったから
波に碇綱の法被で踊るそうである




う~ん
みて見たいな~ぜひ

寄り道を終えて
鹿島から小浜までは
海と線路沿いのルート207号
道の駅鹿島や太良
干潟も見れるルート
満潮だったが(笑)


(干潟ってどこ?)

太良のキャッチフレーズ
地球の引力が見える街
である
潮の満ち引きに由来するのだってさ
ガタリンピックはなかなか楽しそう
皆が全身どろんこで
誰が誰なのか判らないって
いいかも




人間同士の連帯感が生まれそうよ
むつごろうはだから
仲が良いに違いない(笑)
仲良きことは泥まみれ
かな

島原半島一周ガマダスロード編
ああ
まっこと疲れた
肩凝り首懲り目懲り
302キロ走行記
島原大変肥後もっこす
いや
肥後迷惑 だっけか


(うなぎアートなるものの看板あり・・・気になる)

鹿島から小浜までは
ルート207
道の駅で
細巻き(胡瓜・沢庵・芝漬け)
買って昼飯となす
細巻きが食べたかったの
だもの

満潮の干潟を見て
愛野展望台までは
すいすいすっころばし
だったのに
愛の街あたりから
愛もない渋滞になり
小浜で自転車君を拾う場所を
ナビ設定してたららら
拾う場所の数百メートル手前で
ナビの女が嘘をつく
「左へ曲がって下さい」
と嘘を言うもんだから
左へ曲がったの
そうしたら雲仙へ向かう山道だったの
変でしょ変だから
Uターンよ!
もう好かんタコ!
ナビの女は信用するな
悪い女に違いない
でまた
降り口が渋滞で
自転車君にメートル
いやメールを打ちながら
坂を下るTOYOTAヴィッツ
無事
よったろう歩きの自転車君を拾って
小浜はみないで
口之津へ向かうのだった


(めろんなバスストップほかにりんごにいちごにみかんてば)

自転車君が
中学~高校の時住んでいた
島原半島
中学は加津佐
高校は島原から佐世保へと
親の転勤に付いて
めぐるめぐる 引越し族
くしくも
そんな懐かしの地巡りではあ~りませんか!
まあそれはいいとして
るるにはちっとも懐かしくもない
加津佐を過ぎて口之津へ
口之津はからゆきさんが
船に乗った島原半島
最南端の港



口之津のしらはま という宿に一泊
宿には近所の高校
(自転車君の兄様が通っていたという)
の陸上部の生徒達が合宿に来ていて
ひとりひとりが
口ぐちに
「こんにちは!」を言うので
最初は
「こんにちは。」を返してみたが
次から次にくるので
もう頷きだけにから適当に無視に(笑)


(こんにちわん!といぬまでもが・・・。)

前の浜が しらはまというのだが
ちいさな浜だった




口之津から島原へ
島原は清き水 ながるる良き街
かんざらしにソーメン 
島原城周辺は
いいかんじにのどかな空気に包まれている




のどかなのに
爆弾山を抱えている
島原大変肥後迷惑

寛政4年1792年の島原大噴火の時
生まれた言葉で






全国初の火山体験学習館(島原市平成町)
がまだすドームの大変シアターで
電子紙芝居(歌舞伎風?)で見れるよ








火山のメカニズムを勉強できるよ
行ってみてね




島原は火の山と水の町



鯉の泳ぐ街の水路の水の透明度ったら
もう一点のなにいってんの曇りなく
ぴかぴかに透きとおっていて
湧き水がどくどくどくと脈打つの



鯉はメタボだったが(笑)
えさはやり過ぎぬようにね




曇り空だが暑い日だった
島原からは
ガマダスロードを走り
グリーンロードに変わる頃
車窓に映るのは
じゃがいも畑
にんじん畑
ビニールハウス
グリーンロードと言うよりも
ファームロードだなと
重い折りおりながら
アクセルを踏み続ける




家路へ
とっぷり日が暮れて
真っ暗な背振山ロードを走り
那珂川にぬけてひたはしる



もうナビの女は嘘をつくのもヤメ
「福岡県に入りました。」と告げ
しばらく走ると
「佐賀県に入りました。」と告げ
ヘヤピンカーブばかりの道を走ると
またも
「福岡県に入りました。」と告げる
お喋りな ナビ女め!


(走る人のガソリン・・・。)


家の近くのガソリンスタンドで
ガソリンを満タンにする
島原半島では
リッター145円の看板を見て驚いたが
福岡に近くなるに従って
145円が138円に
そして135円が129円!
そしたら
家の近くは
なぜかまた138円にあがってた
なんだなんだ上がるのね
もう・・・。



そんなわけで300キロ走り
家に着いたのは午前0時半
洗濯機まわしてとりあえず寝る
が疲れて眠れず
明けて次の日
朝一番でレンタカー返却し
帰って残りの洗濯をして
干す場所ないじゃん!
パソコンにデジカメ写真を保存する
自転車君は朝食を食べて
また布団に入り
夕方まで眠っていた


(埋まった家の軒下の犬のように眠る)

曇りのち曇り時々海
海は薄いグレーで
山は噴煙を吐かず
里は暑い風と麦畑のきみどりの波
鬼の面は太鼓を鳴らさず
クスノ木の香りがした
人間は走る車も走る
走る人間は眠る
車走らす人間は
いつまでもいつまでもひとりごちて
また世が開ける
世が!?
世なら開けるもいいあさ
わかったことは
世界は広くてまるいんだな