RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

八月の焼けた砂的モダンが今月のテーマ

2013-08-07 17:39:22 | そげんこつ!


山口市を流れる一の坂川は源氏ボタルの再生計画でほうやれほ
マンホールの蓋に釘付け、友人の孫もマンホールの蓋が大好きらしい。


今月は八月の焼けた砂的モダンです。



オマケのショット

写真に熱波が写りこんだ日は焼け死ぬかと思うくらいの暑さだった
この光線は本物です。





炎天下という言葉を骨身に刻んだひであります。。。た



はかた伝統工芸館には福が待つサンセット

2013-07-20 14:32:46 | そげんこつ!

あたしゃ伝統工芸館の福の神
逢うともちろん幸福をおすそわけ





ベイサイドのサンセットはこんな感じ


福岡ポートタワーは展望料無料です




山笠の前の日
大学の建築の同級生三人と博多駅で飲んだ
そのおかげで山笠レポートは二日酔いできつかった
なぜか関西に居る時もこの三人は同じ沿線に住んでいた
そして今も同じ福岡県内に居る
なんの縁か縁側の三角形か
ひとりは工務店の社長
ひとりは大学の教授
ひとりはおちこぼれ屋外調査員(笑)それどんな職業よ?
おばさん女子会またやろう



弁慶なみにに強くなりたい
あれこれ




高砂や~





歩いて突堤まで行きましょう



ポート君がいるかも知れないよ
べつに逢いたくないけど



けっこうお魚つれたりしてました



おっとどっこい!




港のサンセットをあなたにあ・げ・る



今日の報告は先週の報告でした。








つーつらつーとトタンがぼうろ食べて鹿児島が熱い?

2011-02-15 00:46:10 | そげんこつ!




スーパーで買った
ばら売りのボウロ菓子の包み紙に
佐賀弁がいくつか
書いてあった

ぞ-たん
冗談ふざけること、
ぞ~たんばっかい=冗談ばっかり、
ぞ-たんのごと=どうしましょう大変だ!

つ-つらつ-
スイスイと進んでる様子、
空いている道を
つ-つらつ-で行たてきんしゃい

ワイター
オーノー!まずい!しまった!
美味い|
ワイター ぺんぷうの 落っちゃゆっぱい
すごい~ ほっぺが おちてしまいそう

なかなか
可愛ゆらしい感じの方言である

方言と言えば
ひと昔前
仕事で熊本の田舎町に行った時
あぜ道みたいな狭い小道で
年輩のオジサンに道を聞いたら
熊本弁で応えてくれた
一言一句 なにを喋られたのか
とうとう解らず仕舞いで
とりあえず頷いて
あっち?こっち?
などと指さしてみたりしながら
結局 お礼を言って
あっち方面にアバウトに歩くうち
なんとなく目的は果たすことができ
もう道を人に尋ねず仕事を終えた
狭い日本でも
外国に来たみたいと
旅人気分を味わい
つつも

言葉の壁は
同じ国に住んでいても
あるね
一言くらい解ってもよかろう
かと思う




なかなかに
日本も広いんだ
つーつらつーとは
いかないから旅は面白い
だからこそみな
いたてきんしゃい

言葉の壁と言えば
天津に住んで
七年目になるあまぐりさん
春節休みに博多に来たので
一年ぶりに逢って
無駄花を枯れ木にはな咲かせた(?)
ここほれわん!


早く日本に戻ってきたいなあ
と言うあまぐりさん
旦那さんは昔船乗りだった
天津にいる間に
一度行って七つの海の話聞いてみたい




歩きながら
欲しいものが売っている街はいいね
とあまぐりさんは言った
天津にも沢山店はあるけれど
欲しいものは無いものね
と言う
そうか~そうなんだなと
なんとなく頷いた
確かに
なさそうな感じはわかる
だが日本で売られている
かなりの物は
中国で作られていたりもするから
不思議なことだと思ったりする

欲しいものが無い街より
買えなくても(笑)
欲しい物がある街がいいに違いない

いろんな地方に行きたい
知らない街に行きたい
地方と言えば
最近何故か
山形という名を
テレビでよく聞く気がする
気がするだけなのか
あるいは
山形フィーバー
がもうすぐ来るのか
そんな予感すらするのだけど




行ってみたい地ではある
山形と言えば
山形産の米が
今まで食べた中で
一番美味しいと感じたから
地元で食べたら
きっと
ワイター 
ぺんぷうの落っちゃゆっぱい(笑)
今は
地産地消を心がけ?
九州産を食べているけれどね
本当のとこは
売ってないからだけど
山形産
うん
遠すぎるのか?




本当ところ と言えば
今は
るるのマイブームは鹿児島
なので
あるからして
まさに
3月12日だったか?
九州新幹線開通で
鹿児島も近くなって
ますます
行ってみたいね
3月3日には新博多駅ビルも
オープンだし
皆さん博多にきんしゃい

いや鹿児島の話だった
鹿児島は15~6年前の夏に
一度旅行に行くはずだった
宿の予約までして
いたが
ぞーたんのごと大雨が降りよって
道が閉ざされ
キャンセルを余儀なくされた
ああ悔しい
行けずじまい
ほんまいけずな空模様

今でも悔しさが
こみ上げる
十数年たったが
多分行くことが出来るまで
解消されませぬ




そんな
ひとり鹿児島ブーム
の私の
読んでいた鹿児島本を
あまぐりさんが見て
面白そうだから私も読みたい!

次の日
本屋のジュンク堂から電話があり
なんて題名だった?と聞くので
本の表示を見て
「鹿児島は素晴らしい!」
って本よ

答えて電話を切る

その後メールが届いた
それは題名じゃなくて
本の帯のキャッチコピーだよ!
とのメールだった

うはは

そうだったか。

そんなことは さておき(笑)
鹿児島が熱い
多分
二人ほど今、熱い。

しかし
帰ってきたいという
あまぐりさんが
うらやましい


だから今日の
ヘッドグランドミユージック


BALKAN EXPRESS
(RTB BIG BAND)
6分53秒


最近とみに 
私の天職は
旅人 に違いないと思う




なんてことを
言ってみたい日も
あるでしょ?



ワイター 
ぞーたんばっかい
つらつらつーつう
つらつらつ



(トタンがぼうろ食べて冬の日のあさぼらけトンタトン)



J.D.S.追悼~美意識過剰人生には寄り道も大事~

2010-02-02 12:21:04 | そげんこつ!

(ヴィクトリーな明日に期待してもいい)

22年2月2日

テレビでグッチ裕三が
「思わせぶり大根」
って
料理を作りながら
連発する駄洒落(おやじギャグ?)

はずかしながら同調して
ふふふふ と笑う
22・2・2だけに?
えっと~
料理は見た目、美意識は大事よ。
わたしなんか「美意識過剰!」

言われているからね
と柚子好きのユズ三さんは言って
ユズ胡椒ドレッシングを
まぜていたの(笑)

美意識過剰的人生
なかなか良い

美意識でなく
自意識過剰といえば
ホールデン・コールフィールド


1月27日に
J.D.サリンジャーが亡くなった
91歳だったって
ライ麦畑でつかまえて

15年前に亡くなった野崎孝訳
で大昔に読んだよ
多分家にあったからだ
母の本だと思うけど
村上春樹訳は読んでいない
翻訳夜話的なのは読んだ
ライ麦畑~よりさ
よりくさ。だ
あたしゃ
ブライト・ライツ・ビッグ・シティ派
だもの
80年代のサリンジャー?
と謳われたらしいから
思い出したの
ジェイ・マキナニーよ
ライ麦畑~とはだいぶ違う感はある

母に捧げる物語だった事は同じだけど




それはそれとして
ブライツ・ライツ~は
ニューヨークという大都会を
倦怠感とともに満喫できる物語
青春時代に直滑降に彷徨える小説
だった気がする
忘れかけては いるけど
ライ麦畑~はいわばもっと
若い感じよね
むしろ
赤ん坊的なイメージが強い
悪い意味でなく
まっさらな純な感じがする
サリンジャーは自意識より
美意識過剰だったのかも
マキナニーの
ブライツ~の方はすれっからし的
かな?

ライ麦の主人公の
ホールデン・コールフィールド
のキャラクター

年零のせいかも知れないけど
高校生だからね
彼は

それは兎も角
サリンジャーさんのご冥福を祈りつつ
彼のお墓に
例の落書きがされないことを
願ってやまない
サリンジャーだからね
ホールデンじゃなくて
お墓にいるのは

それより
ブライツ・ライツ・ビッグ・シティの話
記憶は
タイプライターの音

皇帝ペンギンの薫製
なんだったろう?
そのあたりがおぼろげに浮かぶ
青春の一冊
本棚を見てみたら
まだ
売っ払わずに置いてあった

ああ
ブライツ~は

「母と父、そしてメリーに捧げる」

とある
ぱらぱらとめくると
皇帝ペンギンの薫製のくだりを見つけた
主人公は「きみ」と呼ばれていて
「きみ」が
雑誌社かなんかに勤めている
毎月第一水曜日に
総務から回ってくる原稿
についてのくだりだった


『きみが受け取ったのはシェリィ・ネザランド・ホテルで開催された極地探検家協会の年次総会と祝宴のレポートだった。極地探検家というのはまったく妙な連中だ。ダイバーズ・ウォッチをはめ、得体のしれない勲章を身につけて喜んでいるかと思うと、レセプションのオードブルとして、アザラシの脂身やトリスキュート社のクラッカーに載せた皇帝ペンギンの薫製を出したりする。~』(高橋源一郎訳)


きみは
その皇帝ペンギンの綴りや
トリスキュート社の綴りを
チェックしたり
皇帝ペンギンが果たして
食べられるものなのか
チェックするために
エンサイクロペディア・ブリタニカの
『E』の巻を調べて
ペンギンのことがどこにも出ていない事
そのかわり
エムプリオロジィ胚の発生に関する
面白い記事を見つけて
受精卵が変化する連続写真に見入り
十日でサンショウウオの形に
十週で人間の形に変わるのだとか言う

その後
君のおきにいり『P』の巻を出して
パラリシス(麻痺)
パラノイド(偏執狂患者)

パラシトロジー(寄生虫学)
やら
小見出し
根足虫、繊毛虫、鞭毛虫、胞子虫、
パーデュビス?や
プルノとプラハにパリやら
素粒子パーティクルズに
パスカル、パヴロフ、ペッカリー、ペドロ
そして
やっとペンギンに至る(笑)
けど
食用に適するか否かの記述はなく
写真の『皇帝ペンギン』たちの姿が
着飾ってレセプションに出席した
あのエキセントリックな極地探検家に
そっくりだなどと思う

って
按配なんだ

ふーーー。
寄り道がすぎるぜ!




考えて見ると
サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」
にしても
この
マキナニーの「ブライツ・ライツ・ビッグ・シティ」
にしても

寄り道がすぎる物語だ
寄り道小説 なんだな

いつもの如く勝手に
独り納得してみたところ

寄り道の楽しみは
年を食っても
やめられないよなあ

自称
寄り道評論家は思う

意味もなく寄り道ばかりして
なかなか目的地にいたらないいたらなさ
2222・・・。

ヒトホモサピエンスは
寄り道の出来ない状況に
追いやられない限り
大人にはなれない
きっとそうだ!

かといって
寄り道は子供だけの特権でもない
むしろ
本来は大人の楽しみ なのだ

時間がないから
最短距離を行かねばならぬ時
『ちぇっ!』
と舌うちするやつ

子供な だけだ

寄り道を
なるべく理屈を捏ねて正当化するのが
大人という生き物
まあ
どっちもどっちだけど

正当化しなきゃ体裁が悪い
などと思わせられる
社会が
直線偏執狂なんだろう
寄り道ばんざい!
である

死ぬまで寄り道しつづけて
極楽往生も地獄もいかず
死んでも
「中天」あたりで寄り道三昧
それこそが理想よ
違う?

こんな感じで
追悼になったかな?
なってないか
『ごめんJ.D.S.・・・・。』
きみはどう?

寄り道しないでいる?
実はね
自然界には直線は無いんだよ!
直線に見えても
ちょこ っと は
歪んだり、曲がったり
凹んだり、出っ張ったり
まあそんなとこ

もう朝の四時
(いつもの如くベッドで打ってる)
今日の寄り道はおしまいにする

人生と二月は短いからね




上品中品下品紐で締めて箪笥成人を祝う

2010-01-10 03:34:24 | そげんこつ!


ワードで報告書の共通仕様書
の文を打ち込んでいたら
愛機は突然フリーズした

久しぶりのフリーズ!
ウンともスンとも動かない
仕方なく電源切って
やり直し
あと少しで終わるはずだった

上書きをしたところまで
舞い戻ったわよ!
くすん・・・。
なんとか打ち終えた
夜中のばら3時過ぎ

だから
今週のハイライト
ノックフックパンチ(!古?)

七日七草は
るるの誕生日
嬉しいのは幾つかの
誕生日メールが届いたこと

娘からは手作りカードをもらったこと
とにかく
言葉を貰うのは一番嬉しい
だけど
一月生まれは好きじゃない
できれば
五月か六月頃の誕生日が良かった
子供の頃は
お正月の延長で
新学期が始まるし
特別感もなく
イベント性も薄く
ちょっと残念な七草生まれ
めでたさも中途半端なり七草生まれ
七草の日(人日じんじつ)自体は好きなんだけど
七草粥も大好きなんだけど
でも
誕生日は他の月がいい
一月はなんだかな~。
って思う
特に大人になると
年末年始は辛いだけで来なくていい
年末年始年度末は大抵仕事が忙しい
大掃除片付けもある
なんだかんだお金もいる
お正月もけじめなくそれとなく仕事をしつつ
普通の日と違うのは
お雑煮を食べる位のこと

サラリーマンだった頃は
やはり正月は休み だし
それなりに若くもあったし楽しかった
今年も
工期が一月に三本も重なっている
ってば
一月は地獄の黙示録

パソコンを立ち上げエクセルを開き
設計スタ~ッフ~!と呼んでみたら
こだまはるるるとるるに戻ってきた
しかたない
やるか~黙示録 黙々と黙々と
年食うと持久力も失せるよね
そろそろ
肩ほぐしとかな続かないし
ということで

七草に
近所の日帰りの湯に行った
年末自転車君が行きたいね
那珂川の湯にと言っていたし
掃除洗濯済ませて
誕生日だしね
午後から家族が揃って出かけたのは
半年振り位か?
いや一年振り位かも
駅から無料送迎バスが出ている
福岡市内にも日帰りの湯はけっこうある
どこも30分圏内である
銭湯が無くなっても
あちこちにスーパー銭湯が出来て
日本人はやっぱ銭湯好きだね




寒月や 露天の岩蹴り 小指切る

痛かった


あっぷアップアップ
と身体がフリーズせぬよう
身体を温めてほぐして
へろへろ二人羽織・・・か。

溜った経理仕事を片付けるのは
二月になりそうだ
大掃除の残りは
三月確定申告後に持ち越し
にしよう。と自己納得

湯に二~三分つかっただけで
タチクラミがする
くらみながらも考えた
お湯って偉大
あったまるだけなのに
心が休まる
そうだ!
全国の公園に
掘れば温泉が出そうな場所は
どんどん温泉を掘る
温泉公園が各地に 出来る
いいね
災害時・非常時・天災時
避難地となる公園だから
役に立つね
温泉が湧いていたら
みんな
心がほっとできて癒されて
水が出なくても清潔でいられるし
いいよね?
よいよいさ~
だから
防衛費からと
災害対策費からと
子育て支援費からと
公園整備費からと
いろんな予算から
少しずつ
温泉公園整備費用を捻出して下さい。
小鳩菅様




ところで
もう
数えるのをやめた
運歳?なん歳?の誕生日
兵庫の友達から誕生日メール
彼女からの手づくりカレンダ
届いてたやつを去年のと掛け替える

庭作り友からの
信州みやげりんご菓子を食べたべ
誕生日メールに返信

ソンさんからも誕生日祝いメール入る
幾つになったか聞かれた
聞くな!

あまぐりさんからも
メールが入る
二月春節休みに旦那様と
博多に「あら」を食べに行くから
会いましょうって
あらあらいいわねえ

東京の姉からもお祝いメールが来た
近々大阪へ帰省するらしい
そうか~いいね
行きたいねあたしも無理だけど

この
メモっとこブログも
4年目に入り
「メモっとこ」より「ぼやき~」
が増えた
野村流免許皆伝をめざそうか

今日は
上品と下品について考える

上品にふるまっている人でも
心が下品な人もいるし
下品なことを
平気で言ったりしたりする人なのに
下品に見えない人もいる

それほど下品が悪いとは
思わないのだが
上品には
育ちがどうのこうのということも
ついてまわるらしい

昔々にご先祖が
ちょいとけんかに強く
戦で奪い取った土地の
収穫を吸い上げて富んだ家に
育った人たちを
なんとなく上品に見えると
思い込んでいないか
先入観はぬぐえない
だからといって
下品が良いわけでもない
から
人間は『中品』ぐらいに
生きる

いっとう ええのやないか
と思う
なんやねん 中品て?
お中元の品みたい!
自ら
つっこみながら
均衡をたもつ女である

何の話かと言えば
つまり
成人式の振袖娘たち

アンバランスな装いに
もはや
上品も下品もなく
大品評会の有り様

造花の花を頭に飾り
白いふわふわを肩から首にまきつけて
派手な長い袖を ふりふり
おめめ ぱっつり 
つけまつげに つけ爪
いやはや
とにかく何やかや
つけすぎです!
もっと上品か
せめて中品程度に装いましょう




『ねえねえ おかあ!成人式どうしよう・・・。』
『どうしようって?』
『一緒にいく友達が振袖着るって、私も着物着たいんやけど』

『スーツでええやろ、びしっと男前に!』

『いやそれはない。』
『そうはいっても振袖ないし、
今からじゃレンタルも おそかりし由良の助。
だいいち~高いしね!一日だけなのにさ!
そういえば、おかあは成人式いかなかったよ。』

『おかあの昔話はいいし、だって着たいし似合うって言われたもん。』

『誰が言ったとや?(笑)ならば、おかあの着物を着たらええ、振袖は持ってないけど。』
『え~!地味やないと?』
『地味やなく上品と思えばええのや。お祖母ちゃん孝行になるし。』
と言うわけで
娘の成人式は 
るるの「上品」な着物を「中品」程度に着る
という顛末になった

しかし
一度も袖を通す機会が訪れぬまま
箪笥に20年以上眠っていた着物
なんか
一度くらい無理やり着とけば良かった
といまさら思う
娘が先に袖をとおすとは
う~ん惜しい
着たくないわけじゃなく
機会がなかっただけ
予定では
姉の結婚式に着るはずだった着物
姉は結婚式をしないで結婚したのだった
残念!

あまりに着ないから
母が姪っこ達(るるのいとこ達)が
結婚するたび
お祝いに着物を付けてあげるから
送って!
と言うので送ってたら
もうあと数枚しか残っていない


しかし
やっと日の目を見るのだから
これで母もきっと喜ぶだろう
「写真を送ってね」
と言われたし

着る時揃える十何種類もの付属品リストを
手紙にして送ってくれた。
箪笥からリスト見ながら出して
風呂敷に入れる

着物・長襦袢・帯・帯上げ・帯締め・腰紐3~4本
伊達締め2本・肌襦袢・腰巻・足袋・草履
半襟・衿芯・帯あて・バッグにショールに重ね襟
タオル3枚・髪飾り

「・・・。」

こんなに着物って大変 
部品が多すぎる
しかも紐類がようさんいるのやね
10本近くあるで~紐で
ぎゅっとぎゅぎゅっと締めて
燻製かハムかなんかになるのか・・・と思う

ともかく

背丈が親娘同じくらいで良かった

と遺伝子は言う

とりあえず成人おめでとう!











太陽に愛された女は丹波栗をくりおしく愛す

2009-10-03 17:11:38 | そげんこつ!

(びっくりマークな雲もたまには良い)


縁側の住人は
最後の公園調査に向かった
この夏
公園調査の日はすべからく晴れ
本当に太陽に愛されている
と実感する住人であった
しかし
この二日間は雨が続いていた

前日の新聞では
降水確率10%
夜から雨 朝も雨が
しのしのすんすんと
降っていた
朝刊では降水確率60%
に昇格していた
だが
雨でも台風でも
今日は行かねばならない
何故なら
勾配計を借りておけるのは
今日までだから

住人は傘を持って家を出たが
朝八時過ぎ
なんと なんと
雨が上がっていた!

「この感じだと大丈夫かも知れない・・・。」

ひとりごちる住人
風致公園である「山のやぶ蚊公園」
まで
電車を乗り継ぎ 杜甫杜甫歩き
坂の下の入り口へ向かう



(公園の中の民家には大抵が茶屋看板あり)



風致公園とは
自然を残しながら整備された公園
春には3000本の桜が咲き誇るが
夏の終わりにあるのは
草いきれ と やぶ蚊
しかも
雨あがりには
うじゃうじゃ湧いている
に 違いなく
立ち止まると
もうもう
ヤブ蚊の餌食となるハ必至



(課外授業は公園で自然を学ぶのが正当)


蜘蛛やブンブン飛ぶ
わけのわからない虫達も
ご挨拶になのか
顔めがけて飛んで来て
近視眼でぶつかる
どこからくるかわからない為
避けようが無い

「ほんに うざい!」

うざい という言葉は
こういう時にこそ使うべき蚊!
と思う
調査や調査票作りで
盆休みも働き
シルバーウィークも働き
土日祝日関係なく
夏の炎天下にさらされ
室内では電磁波をあび続け
その合間
飯をつくり坂を下って買出しに行き
パソコン前とキッチンと坂ノ下のストア
いったりきたり
この日
これまでのどっぷり溜まった疲れ

身体から
とめどなく とめどなく
流れ出て眩暈がした



(景色がセピア色に変わったら要注意)


足取り重く身も重く
一番時間も短い調査だったにも
関わらず
いままでの調査で二番目に
キツかった
一番目は~あの暑い日・・・。
カスケードに転落した日
身も心もずぶ濡れの日だ
NOパン短パン状態で
計り続けた灼熱地獄

でも今日で終わる



(この藤豆食えるんじゃない?と自転車君は言った)



しかし
あの雨雲はどこに行ったのか?
汗の滲む手の甲にやぶ蚊がキスをする
痒くてたまらぬ
指を噛むな!
どこよりも痒いんだ!
指の先の血はうまいのか?
グルメのモスキートさん
きっと
我が血は世界三大珍味
珍味?(美味じゃないの!)
あと二人は誰なのか?
まあいずれ わかる
わかるの?


公園の展望所に中年男性が二人
東屋にディレクターチェアーを持参で
完全に我が庭気分で陣取っていた
どうやら仲良く並んで弁当を食べている
楽しそうだ
みんなの東屋であるが
人の少ない日は許そうと思う
リゾート地に来た気分で
くつろいで帰ってくれ




(クローバルな斜面地)


そんなことよりも
調査が終わり
住人が縁側宅に辿り着いた
その後すぐに
雨が降り出した!!!

「太陽よ そんなにわたしが好きなのか!」

おかげで
今年の夏は太陽の光をあびすぎて
お肌は乾燥状態
体内は水分摂取過剰
脳内はシワがのびて思考回路断線

眩暈の中つぶやく

働けど~働けど~わが暮らし 楽にならず

じっと
じっと
・・・・・・。
じっとり汗ばむ
キーボード
はあ はあ ふう

とりあえず今、1日だけ
な~んにもしなくて良い日を
ください・・・。
出雲の彼方を仰ぎ
いない神につぶやく

神無月に入って神はますます
横着になり
不貞寝を決め込んで
世界は崩れつつある
だが
崩れても 崩れても

人間は生き残るものだけが
たくましく生き抜くに違いない
あたりまえだ
あたりまえだから
生き残るものだけが
世界を再生していく

ホモルーデンスが
ホモファーベルよりも
先にあると言った
ホモサピエンスよ

崩れゆく世界に希望はあるの?

それでも
再生され また崩れ
再生され また崩れ
何度も何度も 世界は築かれるだろう

あなたが 居なくとも
わたしが 居なくとも

世界は誰のものか?
世界の
たった2~3パーセントの人が
世界のあらゆる富を独占し
世界の半分以上の人々は
あらゆるストレスと貧困と
混乱や戦乱に巻き込まれながら暮らし
心を病んでいくだろう
世界は誰のものか?

あなたの世界は
あなたの寿命と共に消える
理想も夢も愛情も
寿命と共に消える
より良い世界とは・・・。
誰のための世界か?
ただこの世を
這いずり回って生きていれば
未来の子供たちのための礎となれるのか?
なれぬまま己の世界が終わるのか
知る由もなく月日流れる


そうよね 知らんよね
疲れて
脳の回路が断線しているから
意味不明よ・・・いつもか。



ところで
神の無い月は
優しい女房が欲しいでしょ?
誰だって無理を承知で

坂道を登りながら
かう・・・こう考えた

女に生まれて
丈夫な赤ちゃん時代を過ごし
突然変異して少年として
山や丘や小川や自然を友にすくすく育ち
もちろん男前の青年期をモテモテに過ごし
優しい女房を得て仕事に邁進し
笑顔でお疲れ様と言ってもらい
名誉と富を得て引退したら
何故か!
女に戻って
優雅なおばさんとなり
婆さんになったら 友と暮らし
天寿をまっとうする
それがこの世の理想かも知れない

仕事しょうっ。 と。





(「栗をくりしいほど愛するあなたに!」と手紙をそえて
実家の丹波に里帰り中のあまぐりさんが丹波栗を送ってくれた
有り難!とうとう!謝!謝!謝!謝!狂喜乱舞です。)




(なんて愛らしく くりおしく くりっとまるく可愛いんでしょう!
食べるなんて これを食べるなんて・・・・。)


さっそく
鍋で湯浴み蒸し風呂に入れて美人くりにしたてて・・・。




(あなた~お疲れ様。)


今日も 「裏ノ 炎天ニ 居リマス」 !!

2009-08-23 11:40:30 | そげんこつ!

(今日は はすも目を覚ましてました)




裏ノ 炎天ニ 居リマス

「度℃方地人協会」


風は乾いて砂を吹き
雁さえ干せてたびたび落ちた
(宮沢賢治童話「北守将軍と三人兄弟の医者」より)


公園調査三回目
今回は前回同様
有り難いことに?悔しいことに
やはり晴天
計7時間炎天に照らされました
あほに~なりそう~
って
いまさらなこと言う
わたくしです

今日は霊感がしなかったので
着替えはもたずに
リュックには痛む足に貼る
冷感湿布を入れておいた
昼に
湿布を貼り替えようとしたら
いやな予感~熱燗、酒の燗
嫁にもたせりゃタクラマカン

砂漠のオアシストイレで
貼っていた湿布を外して
冷感湿布を貼る
えっ冷感?
いや。違~う!
熱燗になっている!
背中でリュックは炎天に照らされて
湿布は煮えていた

仮面ライダー変身Gパップ
おーい!(涙)
いまさらながら
太陽様の威力にはほとほと
ほとほとほ
驚く、もものく、さんしょはピリピリ
・・・。

裏の灼熱地獄にイマス



(夏の雲わた雲)


しかし
空は青く
あくまで蒼く

青い空には2種の雲
綿雲積雲は夏の雲
もくもくと上昇気流に乗る
すじ雲巻雲は秋の雲
上空五千メートルに
水晶のつぶをまき散らす
流れ流れて広く薄く
二つの雲が出合う時の空は
『行き合いの空』

いうのだそう
そんな空に
どれみふぁつぶやいた

『早く夏を終わらせてつかあさい!』


(秋の雲すじ雲)


私事で申し訳ない
°(度)方焼けの腕には
くっきり白く腕時計の跡

肉ばなれ寸前のふとももを
引き摺り
約120地点計り続けた
公園にある5棟の便所棟も
各30以上のチェック項目を調べた

なんで
5棟も便所があるのか!
広いからだ!
と歩歩歩・・・。



計測中に孫を連れたおばさんが
『何、調べてるの?』
と聞いてきた
『あっ!バリアフリー整備の為の調査です。』
『あんたら市の人?』
『いえ委託です』
『なら言っといてちょうだい、あのトイレとあっちも、とにかく使いにくいし、古くて汚いから、綺麗にしてって言っといて!車イスの母を連れて来る時、使うので早く綺麗にして欲しいって…それからうんぬんかんぬん…。』

炎天の日陰のない場所で
作業を中断し
おばさんの話を聞き続けた

『わかりました、伝えておきます。』

と答えたら
一通り話して気がすんだのか
おばさんは孫と去っていった
一言
暑いところご苦労様
とか
作業中断させてごめんね
とか
たった一言が欲しかった
兎に角
暑すぎる~から



(このシェルターには日陰は少ない)


その後も
見知らぬおじさんから
『何計ってる?』
と聞かれ
『勾配です』と言うと
『ふへ~んいろんな職業があるもんやね!』
と言うと
あとは何も聞かずにひとり頷いて
去っていった
いやいや
勾配を計る職業じゃないです!
というか
中途半端な好奇心は やめましょう
あのおじさんは
勾配屋?という職業が存在する

思い込んだに違いない
その後も
「なに調べてる?」
と聞くおじさんがもう一人いた

とりあえず今日は
誰一人ねぎらいの言葉は
無いので

暑さがますます激烈になる



(暑さで樹だってねじくれてますから!)


あかいめだまのさそり
ひろげた鷲のつばさ
あおいめだまの子犬
ひかりのへびのとぐろ
オリオンは高くうたひ
つゆとしもとをおとす

(歌曲「星めぐりの歌」)
「賢治鳥類学」新曜社版より引用



調査終了で
工学部4年の大学生のバイト君に
『ご苦労様今日はここまで、終わりましょう』
と顔を見ると
彼の顔の中央部分が「まっかっか」であった
ははは


バイト君は毎回違う学生さんだ
日焼けもシロウトである
ぼっちゃん焼けな感じになる
玄人的にはそこまで赤くは焼けない
毎回違うバイトさんに
毎回作業段取りの説明をする
面倒だが同じバイト君を連続では
過酷すぎる
という配慮なのか?
わからない仕事先が雇って
派遣してくれているので
文句は言えません
しかし
息子はいないが
息子と一緒に
仕事をしている様な
そんな感じではありますまいか?



(日が暮れにやなぎもうなだれて・・・いつもよ!)


バイト君を帰して
しばらくベンチで休憩したら
もう立ち上がれない
一歩も歩けない
と思った
しかし
そう思ってから人間はまだ
数百歩は歩ける事を知る
国会牛歩でだが
なんとか我が家にたどり着き
今日は
別の仕事で家に居た自転車君に
夕食どうする?
と言われ
冷蔵庫にあった
もらい物ざるそばを出して
渡した
「お願い・・・。」
茹でるだけだからね

でも
ねぎがなかった!
まっいいか
のりはたっぷり散らしたが
わさびを入れるのも忘れて
食べたのだった
でも
ねぎ・・・ねぎは欲しい
ねぎ・・・ねぎらいは
あるほうがやっぱり
よい

落ちも
いまひとつさえない

次まで生きていたら
また





黒雲をちぎりて土にたゝきつけこのかなしみのかもめ落せよ

(短歌「AB300」同:賢治鳥類学より)


農業の為には
この晴天が必要ではアル
そして雨も必要ではアル
アル・・・カモメよカモメ。



約ひと月前の邂逅と薬効図鑑に無駄な人生を詭弁してみる日

2009-06-11 01:41:44 | そげんこつ!

(エサは梅雨を3日に1回程度)


疲れちまった 悲しみに
今日も小雨の 降り懸かる
入梅、入梅。
梅が入ると書いて
うっとうしい。と読む
身体は湿度大飽和状態
ずいぶん水分 ほんまに
ずいぶんなこと だこと
スカット爽やかな乾燥が
合間合間に 欲しいのよ
どんよりとした六月
水無月なのに水は降る
ジューンな月
でも
ブライドはいない
サムシングブルーな月
いるのは中高年に老年
サムシングニュウもない



(時々話しかけてやると赤紫に顔を染めたりするかも)


怒りも錨に繋いで
海の底に沈めて
重い身体をひきずって
えんやこ~ら
わたしは綱を引く
ろーエンド。ろー
ろーエンド。ろー

テレビで男が言う

『おまえの口から出る
その言葉、
聞くにたえない。
だが、その目。
その目は綺麗だ
汚すなよ、その目だけは。』

口説き文句なのかどうなのか?
微妙に説教臭い男が
若い女を見詰め
吐く台詞

君の瞳に乾杯!か?
完敗なのか?
そんなどうでも良い話も
入れてみたが
いっこうに爽やかにはならず
むしろ
湿った筵に座って
梅こぶ茶すすっている気分
爽やかには ほどほど遠い


(むしろ顔が白い場合の対処法は気にせぬこと)

むしろ?
むしろ筵を片手に持ち
ほっかぶりして
道行きか?
ここは
あだしヶ原なのか!?
六つの時が 七つ なりて
残るひとつが 今生の
鐘の響きの ききおさめ
寂滅為楽 と 響くなり
入水。入水。




そんな梅雨のうめき

無駄にさまよう独り言
この10年 
彷徨い続けている気もするが
行き着く先も見えぬままに
彷徨い続けて

疲れちまった
悲しみに
今日も明日もあさっても
きっと無駄に生きている

人間は無駄だ
究極に無駄だ
じゃこうねずみだって
そう言うだろう

この独り言が一番無駄 だ


無駄について考える
シャツにアイロンを かける
着る 汚れて 洗う 干す
乾く シワ 皺が できる
アイロンを かける
着る 汚れて 洗う 干す
乾く シワ 皺が できる
ん。
アイロンは かけない
シワのまま 着る
汚れて 洗う 干す 乾く
シワのまま 着る
汚れて
洗わない 干さない
汚れたまま 裏返して 着る?
いっそ 着ない!
汚れない 洗わない 干さない
アイロンしない
無駄が 無い
いや
そうか シャツを着たまま 
風呂に入り
シャツの上から一度 洗う
流す 洗う 流す

風呂から上がって 
濡れて身体に張り付いた
シャツの水分をバスタオルで
拭い
ドライヤーで乾かせば
身体がアイロン台替わりになり
無駄はへる?
どうかな・・・。
いうてなさい!


(あまぐりさんから貰った中国鍋ストラップつゆだく!)

アイロンは兎も角も
一人暮らしの母は
掃除が好きじゃない
というか苦手である
いや
「苦手じゃないわ、忙しいだけ!」

言うかも知れないが
どちらにしても
母の部屋に着いたら
とりあえずシートモップで床の拭き掃除である

寝室はたたみの部屋でベッドが置かれている
モップでたたみも拭けるけれど
ぬぐいきれぬ部分もあろう
かなりほこりが溜まっている
部屋の隅や角にも

掃除機をかけようと思い
「掃除機はどこ?」
って聞いた
「出してないよ
押し入れかな?天袋かなあ?
どっかにあると思うんだけど」
「えっ!?
最初から出してないの?
だってもう
ここに引っ越して二年やろ
一度も掃除機かけてないってこと?」
「そうよ、ほうきとモップでするから
それに
掃除機かけは腰が痛くなるしね。」
とおっしゃる
そうか
この家は二年間一度も
掃除機かけたことないってことね
ふーむ
まあ
昔々の日本家屋なら
ほうきと雑巾でこと足りる
昔は掃除機自体なかったしね
いやいや!しかし
ここは近代集合住宅である
アルミサッシに密閉されて
ゴミもはきだしにくいし
細かいホコリはとりにくい
「掃除機かけなけゃ ダニがわくよ!」
と言うと
「そんなものに 噛まれたことないわ。」
と母は言う
「いや噛まれるとか~じゃなく
ホコリと共に死骸を吸い込んじゃうから
だめよ 喘息とかの引き金になるかも!
よ。」
と小声でつぶやき
「掃除機だそうよね・・・。」

何処にしまってしまったのか
大捜索である
玄関横のもの入れから発見!
とりあえず窓をあけて掃除機フル開店
いや回転した
確かに腰にくるね 掃除機かけは
腰痛持ちには辛いから 仕方ないけど
たまにかけてね
掃除機だしとこね

部屋の隅においておいた

その後
東京の姉が母の家に行くというので
メールで掃除機出しといたから
かけてあげてねと送信しといた

しかしである
我が家は最近なかなか
掃除機をかけないのである
やっぱり
取り換えシートモップ
で すます日が多い
まあ4~5日に一回
下手すると1週間に1回
腰にきますから
そんなもんよ
人に偉そうには言えません

あなたは違う?
ふん
腰痛持ちじゃないのね


(これも天津みやげ~図鑑と卓上栗?)


関西から帰って
もう24日程も経ったが
日に日に
大阪にまた戻りたくなって
いる

天津のあまぐりさんからのメールに
関西弁で返信をする
又すぐに返信が来る
で又返信をする
又返信が・・・。
で返信をやめてブログを更新することに

兵庫の友から手紙が届く
阿波踊りのキーホルダーと
此の前撮ってくれた写真が一枚
自分の入った写真は
そういえば最近撮らないから
しげしげ見入る
なんだかなあ
変な中年関西人が映っている
カレンダーの裏に書かれた手紙
広げてみた・・・見慣れた文字
そして
変な関西人は私だけではないと
安心するのだった(笑)

で神戸の宣伝だけで
23日も経ってから
なんですが
大阪のさるく行を書かなかったのは
神戸を彷徨いすぎて
足腰がくたびれていたので
大阪はほとんど彷徨わなかった
からで
母が行きたいと思ってて
一人じゃ疲れてて
出かける気力が湧かない
けど
「行っときたい!」
という
『小袖展』に付き合ったのが
唯一の 大阪さるきんぐ だった

天王寺美術館まで
懐かしさ満載のこの美術館は
何十年変わることなく
同じ場所にあった
母が若い頃もあったらしいから
70年以上はここにあるのだろう
古い美術館なのである


(年季が入ってちょっと気むずかし風に建つ天美)



高校時代は学校が近いので
テリトリーだった
この界隈は
大阪そのものといえる
市内の猥雑な場所にある公園であり
今はきれいに保たれているのは
賛否両論あったろうが
有料になったからだ
昔は浮浪者さんも普通の人も
一緒に憩う所だった

懐かしき風景だった

天王寺美術館だ
裏にはボートに乗れる
ひょうたん池と日本庭園


(裏からも楽しめる天王寺のジャポンな池メン)

美術館は1936年に開館
住友家茶臼山 本邸跡の敷地を
寄贈され建てられた
裏の日本庭園「慶沢園(けいたくえん)」

明治41年から
名匠小川治兵衛により作庭され
命名は伏見宮貞愛親王
ここっが見れるから
有料でも許すことにする




小高い立地の美術館前からは通天閣が望める
公園の中には動物園もある
『小袖展』は
江戸中期後期の着物コレクション
の展示を主に
昔の名家の嫁入り道具やら 着物のひな型
美しき刺繍や 染め物が並ぶ
和服というものは まことに美しく
本当は合理的経済的に出来ているのに
洋服に押し切られて
晴れの時のみの装いに
なってしまった
残念ではあるが いたしかたない



個人的意見としては
袖がもっと短く
着丈がつい丈で
帯がかんたんに結べるなら
日常に着てもいいなと思う
戦国時代風?かな
お金持だったら何を集める?
と聞かれたら
金糸銀糸絢爛豪華な
日本の帯を集めたい気もする
博多も帯が有名だけど
おび という響きはいいね
色気もあるね
いやよ いやよと・・・・。
まあそれはともかく


(着物美人が沢山訪れる展覧会はまれ)



帯は派手でも
着物は地味めが 好きだな
着古してもほどいて
綿いれ半纏やなんかに仕立て直せるし
最後には座布団や布団生地にもなる
ボロくても布巾雑巾にもできる
お手玉なんかにもいい
じゅずだま 入りの
ね!
小豆は軽い気がするから

お手玉を知らない人も多くなった

おばあちゃんが昔作ってくれた
綿入れ半纏を着て
大学時代の冬を過ごした 
るるである
絹が襟足にあたると
優しい気持ちになる綿入れ半纏だった
つるっとしてさ
あれが無ければ
卒業設計は完成してたかどうか
わからんね
あの温もりは着古された
絹の歴史のささやきでもある
絹だけに かいこ 蚕 邂逅~。




新幹線に乗り
大阪から博多に戻って
あの日
博多駅に三時間はとどまっていた
家に帰りたくなかったから
このまま
また列車に乗って
北へあるいは南へ行こうかしら?
そんな事を考えてみたが
生憎お金がなかった…。
そんな落ち!?


(飛行機雲も笑ってらあ)

いけるとこまで列車に乗ってみても
良かったなあ
住み込み仕事を探して
どっかの田舎町で暮らす
苦虫おばさんか?
まあ結局
鉛足で帰宅した
そして1ヶ月

汚れちまった 悲しみに
今日・・・・は。
風呂のカビ取りをした
台所の流し・レンジ周りも
オレンジ洗剤で掃除した

だってさ
この集合住居も古くなって
しょっちゅう補修補修である
近々
排水管洗浄とやらが入るらしい
お知らせ紙が入ってたのよ
で、あわてて掃除よ!
おかげで
ちょっとだけ水周りが綺麗になった
でも
またぞろ 
すぐに汚れていくだろう
無駄だ
無駄こそが人生
この無駄話もそろそろ・・・。

やめるべきか?
そやね。


(図鑑の中身は動植物の薬効についてあるよ)




愛しきは憂鬱なペンギンの生き残りを糸色望む

2009-01-12 17:46:58 | そげんこつ!

(壁に張るほど増える街で拾うちらし類)

成人の日である

珍しく休みの娘が
「朝、電話で成人おめでとう!
って言われた。来年やのに・・・。」
と言って起きて来た。
その後
「よくここまで育ったよね」
と自分で言ってうなずいていた

「・・・・・。」
母はなんと言うべきか?
「そうね」
と老眼鏡をずらしながら
顔を見て、とりあえず言っておく



眼は新聞に戻る
最近新聞を読むと
気分が鬱に向かうので
ナナメに
拾い読みすることにしている
しかし
パソコン開いてみても
ネットの最初の画面が
レッドデータブック関連記事
7分間に1種類の生物が消えている?
一日200種
一年で75000種
の生物が
絶滅している昨今
皆様いかがお過ごしでしょう?

だからと言って家に籠って
ゴミが出るので
ご飯は1日1回
水は貴重だし
汚水を流すので
風呂は1週間に1回
人間が活動すると
温暖化で
環境は破壊され
ますます絶滅種は増える
などと
引きこもりになってはいけません


(四角四面な穴空)

前向き~に「前へ」なんて
ありきたりのことは
新聞のコラムにまかせておくとして
人生に疲れたら
前でなく後ろでもなく
一時的に
ナナメ横を向いてみるのも
いい
るるの場合一時は万事
ナナメ横を向くのは
夜中から朝方ですが

久米田康治作
「さよなら絶望先生」の
糸色望(いとしきのぞむ)に習って
とりあえず絶望してみるのも
いい
テーマ別に・・・?。

糸色望は
糸色大と糸色妙の間にできた子であり
兄弟姉妹には
糸色景(いとしきけい)

糸色命(いとしきみこと)
糸色倫(いとしきりん)
がいて
甥っ子は糸色交(いとしきまじる)
とにかく
自分たちの名を
「横書きにするな!」
と願う一族だ(笑)
まあ執事は時田だけどね
コミック読むのは30年ぶりだ
笑えた
夜中にほくそ笑む


(もう上を見上げるのも疲れた)


コミックはすぐに読み終わるから
本に戻る
今読んでいるのは
ウクライナのロシア語作家の本
アンドレイ・クルコフ
「ペンギンの憂鬱」
だったりもするよ

お察しの通りペンギン派を自認する
わたくしですから
題名に惹かれて読んでいますが
面白いのでゆっくり読もうと
スピードをゆるめて
ベッドの上に何日も置いてます

哀しい眼をしたペンギンを自宅で
放し飼いにする男
ペンギンの名はミーシャ
男の仕事は物書き
ある日
奇妙な仕事(まだ死んでない人の追悼文書き)
が舞い込むところから
物語は始まる
そういえば今のるるの様に
新聞を読むと気分が悪くなる警官
も出てくる
時代背景もかなり閉塞感漂う感じで

「この国も奇妙なら、ここの生活も奇妙だ。
でもなんでそうなのか理由を知りたいとも思わない。
ただ生き延びたいと思うだけだ・・・。」


(自販機を高級自然石張りにする意味は?)

などと主人公が言うところがある
内容はおいといて
あとがきにある小話を紹介したかったので

こんなの


「警官とペンギンの古い一口話」

警部が車で街をまわっていると、
警官のペトレンコが
ペンギンを連れて歩いているに気がついた。
警官は車を止めて言った。

「何をしているんだね。
すぐにペンギンを動物園に連れて行きたまえ!」
「わかりました」とペトレンコ

こうしていったん別れたが、
二時間ほどすると、別の場所で
またペトレンコとペンギンに出くわした。
警部は怒って、どなりつけた。

「さっきペンギンを動物園に連れて行け
って言っただろう?!」
すると警官のペトレンコはこう答えた。

「動物園にはもう連れて行きました。
映画にも行きました。
これからサーカスに行くところです。」


(願いは結ぶよりも念じる)

るるの心の友
ペンギンは絶滅しないでほしいなあ
はなはだ勝手な願いではある










おばあちゃん家の情景~消和の郷愁~

2008-12-15 04:01:41 | そげんこつ!

(~最後の5葉~オ~ヘンリーマイボニー)

バスの終着駅である堤防の上に立って
村の入口に向かうと小さな屋根の連なりの中に
寺の大屋根が空に出っ張って見える

村とはいっても
日本国第二の都市の市内なのだ
しかし
どう考えても村であった

川向こうは隣り町で隣の市域
境界線の川には古い橋
猫を捨てるなら川向こうに捨てないと
戻ってくるよ
などと
村の誰かが言う
水を越えると匂いが消えるから

ばあちゃん家は
いつも猫が勝手に棲み着く寺である
よくカツオ節を付けて
勝手に生まれた子猫を養子に出した


(冬のレモン発見)

村に入って
車一台が通れる細い道を行くと
すぐに大屋根の寺の塀が見える
その先に屋根付き門があるが
塀の角を左に曲がって
母屋の玄関へいくのだ
玄関の戸はがらり戸で
片側へ引く
大人は少し屈んで入る感じ
夜の戸締まりは棒切れ一本
つっかえ棒って奴だ
がらり戸内側にナナメに渡すと
外からは開かない

玄関をまたぐと
6~8畳ほどの広い土間がある
正面は
細長い水屋のある板張りの小部屋
があった様に思う
土間からは上がれないほどの段差がある



右手は土間つづきの台所に繋がる
台所には大きな水屋と
小さな伽出しの四角い流しに
奥には土の竈がある
大きな釜ものっかていた
台所から庭への出入り口脇には
五右衛門風呂の焚口がある
風呂のふたの上にはいつも猫が載っていた
ぬくい場所にはいつも猫が陣取る

玄関土間と台所の仕切りは
格子木枠に嵌まった格子戸で
やはり体をちぢめてくぐる
向かって左側は
母屋に入る広い上がりかまち
いつも開いている引き違い戸


(冬の花も発見)


入口の部屋には
鉄瓶でお湯を沸かしたり
餅を焼いたりできる
大きな火鉢があって
火鉢のふちは
ドーナツ状に平らなふちがあって
物が載せられたように思う
縁側に出る雪見硝子?の嵌まった戸からは
庭の一部と次の部屋の前の長い縁側と
その先に
本堂に繋がる段が多分4段ほど見える
本堂も広い板張りの縁側で三方を囲まれていて
全面障子の戸が嵌まっている
子供時分に姉は
この本堂の縁側から落ちて
頭を打ったことがあった
それがどうしたって
ことでもないが


(ドミ ドッ!ミ ドミソ)

何本もある柱の脇には
観音開きの雨戸がついている
本堂の縁側は正面にまわると
広い階段になっていて
門から続く石畳の
そのアプローチの両側に
2m以上はある石灯籠が立っていて
門を入って直ぐの右手には
太鼓堂が建っている
太鼓堂の前には犬小屋があった
いや犬がいたのは
子供時分じゃなかったかもしれない
悪いことをする子には
「太鼓堂に一晩 入るか~!」という
脅し文句は結構効くのだった



本堂のご本尊様を祭った
祭壇の裏側には
長い通路があり
子供にはミステリアス空間
なにか
魔物が棲んでいそうでワクワクする
その魔界の道は
母屋と離れの部屋をつなぐ廊下であり
離れは二部屋続きの和室
まあ総てが和室であるのだが
離れの庭には
椿の木が印象的に植わっていて
椿の花がポトリポトリと首ごと散って
苔むした地面の彩りになっていて
風情があった
椿の周り小さな庭は
生け垣で囲ってあって
本堂母屋の庭とは別の静けさを保っていた
生け垣の向こう
庭のシンボル大銀杏の木が見えていた
毎年銀杏の実も沢山拾ってバケツに入って
少し置いといて周りを腐らせる
そのバケツの傍はとても臭い

臭いといえば
離れには便所もついていて
軒下には
吊り下げ式手洗いタンクと手ぬぐいが下げてあり
縁側の前には確か筧(かけい)があったと思う
母屋の便所の前にも壺庭があって
板張りの便所は切り込んだ四角い穴
誤って落ちないようにする為か
臭いの為か板の蓋がしてあった
母屋の方の便所にしゃがむと
正面の細い竹格子の小窓から
ドクダミの葉が茂ったツボ庭がみえる
蜘蛛が怖くて便所に入れぬ時もある
母屋の長縁の中ほど
軒下には
お爺ちゃんの吊り忍が緑の葉を茂らせ
その下雨樋の出口に
大きな甕(かめ)があって
雨水がいつも溜まっていた
布袋葵の様な水草があった気もする
縁側から庭へ降りる靴ぬぎ石もあった




夏は井戸で冷やしたすいかを
長い縁側の軒下で食べた
種は庭に吐き
数日後には小さな芽がたくさん出るが
期待はしたが
スイカ畑になることはない

夏に出前でとるかき氷は
たまらなく淡雪の細かさ
薄いグリーンのガラス風の深皿に入って
横にスプーンがささっていて
氷の山を崩さぬように引き抜くのは
技がいった

夜は開け放した座敷に
部屋いっぱいの大きな蚊帳をつり
豚の蚊取り線香入れに渦巻金鳥の夏
それでも
夏の蚊は
次から次に電気光を求めてやってくるから
蚊帳に入る前に殺虫剤をシューとひとふり
したり
団扇であおいで
さささっと蚊帳を振って
中に入らねば
蚊帳に入り込んだ幸運な蚊の
浪曲を一晩聞かされるか
手足の血を分け与えるか
せねばならない
しかし小さい頃は
伯母さんがいつも寝付くまで
団扇であおいでくれたから
快適に眠れていた


(この東屋は二階建て日当たり良し眺め良し)

冬は炭アンカを
着古したももひきや
柔らかい綿の下着や毛布なんかにくるんで
布団に入れて寝てた
炭は火鉢で
お爺ちゃんが火を付けていたように思う
朝には灰になったアンカの灰を
庭木の根元にまくか庭に捨てる
冬の出前はおだまきで
どんぶりに入った茶碗蒸しうどんである
絶品なんだな
これが
餅も火鉢で焼くから
付け焼きができて醤油の香ばしい匂いが
部屋に広がる

本堂では習字教室や
村の子供たちを集めて
日曜学校が開かれていた時期もあった
伯父さんは囲碁名人だった
囲碁を習いにくる人もいた

離れでは
伯母さんが茶道と華道を娘さんたちに教え
母屋じゃ祖母が和裁を教えていたし
嫁入り前の娘さんが結構出入りした
そういえば

時に
着物は解かれて
洗い張りされた着物が
庭に吊られ
風にゆれたりする日もあった
長い反物に張られた竹の串が
連続する様は
まるで長い帆船のようでもある

そんな日本の和の生活を
子供時代
長い夏休みや冬休みに
たっぷり味わえた幸せを
最近とみにありがたく思うのである

これを昭和生まれの郷愁と呼ぶ
いいじゃん
郷愁に浸ったったって
消え往く和に幸あれ
消和と呼ぼう


年を重ねると西洋式暮らしは便利で快適
だから記憶の消えぬうちにメモっておこう
まあ昔すぎておぼろな記憶ではあるが


桜炭 活けた炬燵で うたたねすれば
夢じゃ 吉野の花盛り

と詠んだ高杉晋作の句が
いつも心にあって妙に好きな理由
というのが
炭の炬燵を抱いて寝た
子供時代の冬休み

まあそんなとこ


(冬の月明かり発見)






風が波を起こし レッテルが澱みを創る

2008-11-07 13:56:35 | そげんこつ!

(風が波を起こすのよ)


冬が立つ日である
今年の様に台風が上陸しない年は
冬がきりきりと立つ
で今年は寒い寒い冬になる

気象予報士が言ったが
その舌の乾かぬうちに
同じ人が今年の冬は暖かい日が多い
などと言っている
どっちですのん?
そんなあいまいな今年の冬
寒いのは懐です
台風のかわりに吹き荒れている
政治不信と世界恐慌不安に
オバマ台風は暖かい世界をくれるといいが
と切に切に願う
自分のブログでオバマ検索してみたら
なんと4回も登場している
2007年2月12日、12月18日
2008年1月13日、1月29日
そんなにオバマさんを応援していたとは
びっくりじゃ(笑)
ここはオバマで締めとかにゃと思う
オバマ氏は詩人だと
テレビでアメリカ人の誰だかが言っていた
アメリカは今
経験豊富な指導者ではなく
自分達を奮い立たせる言葉を紡ぐ人を
求めているのかも知れない
今まで
アメリカをうらやましと思ったことは
正直なかったが
オバマ氏が星条旗を背に高く手をあげて
輝く白い歯を見せて微笑む姿には
確かに
涙がうるむし ちょっとうらやむ
そして
つい言いたくなる
『イエス、ウイ、キャン!』
カタカナで書くと犬がほえてるみたいだけど


(YES の Y は万歳してる人でしょ?)


新聞でオバマ新大統領関連記事を読んでいたら
三回も涙がうるみましたもん(笑)


ひとつは
オバマ氏が米国民を魅了した確かな証拠は
数字となって表れたという記事

ネットを駆使して薄く広く集めた選挙資金は
日本円でマケイン氏のほぼ三倍の六百六十億円
『オバマ氏を大統領に』
と米国民一人一人が
細る財布から出したものだった

というから
涙なくして読めません
日本にも細る財布から選挙資金
寄附したくなるような政治家に
出会いたい・・・。

あとはオバマ氏の勝利演説要旨の記事

前文省略
私を支持していない米国民の皆さん、
あなたの票は得られなかったかもしれないが、
あなたの声は聞こえる。わたしはあなたの大統領になる。

世界を破滅させようとする者は打倒する。
平和と安全を求める者には手を差しのべる。
米国の真の強さは軍事力や富ではなく、
民主主義と自由、機会、希望という理想がもつ不朽の力だ。
米国は変わることができる。


いつも自分の入れた票が無駄に終わるるるですが
こんなこと言われたら
わかりました 「よろしゅうたのんます」
と言うだろう。
そして写真の新アメリカ大統領は
凛々しくて
あつい涙ながさずにおらりょうか(祈り)


(トタンがせんべい食べて穴空見上げた)

ところで
凛々しいとはいい形容詞だな
凛々しい男とはどんな男かな
例えば下世話なところから攻めると
自分の母親が女であることを
誇ってやまない男
のことではなかろうか?
大抵女房さえ母にしてしまう男が多い中で
母に母を求めないことは男らしいといえる
この独断は偏見ではないと思ったりする
だってレッテルを貼るなという心は正しい
レッテルをはずしてやると
人は俄然元気になる
そして能力をフルに発揮できるから
結果的には
その昔のレッテルの高いレベルに至る
のではなかろうか?

男に凛々しさをもとめるなってか?
それこそレッテル貼ってることになる?
凛々しい女ってのもいいから
まあそれは許されよ



(ピンク花壇は飽きたから時にブルーでまとめてよ)


一人から世界へ
とオバマさんもいうてはるし。
世界が変わる為には自分が変わらねばならない

どう変えればいいのか?
今まわりを見渡せば
まず最初に目に入るものに
レッテルを張らずに
見つめ直せばいいのかも知れない
などと殊勝な意見も言ってみると
案外いい
世の中レッテルにまどわされて
右往左往の人であふれている
食品偽装もそのひとつ
思えば雪印に始まり加ト吉に赤福や
白い恋人に不二家に吉兆に
と信じていたレッテルに裏切られ
はたまた
さらにごたごた事故米に始まり
冷凍餃子そのあと伊藤ハム
中国メラミン乳やカップ麺
に至る
この騒ぎもまだ終息したわけでなく
レッテルにまどわされることなく
安全な食品を見分けるには
我が目と耳と鼻と触覚と舌で見分けるしかない
原始的知性と知覚を掘り起こして生きろ
そしてレッテルは信用するな
さらに
自分のレッテルも捨てるほうがいい?
女も男も黄色人種も黒人も白人も
母的生き物も理想的父親像も
駄目おやじ像も大阪のおばちゃん像や
後期高齢者像もワーキングプア像も
A型B型AB型O型的性格像も
根クラや根アカ像
セレブにおバカにおたくに
今時の若者像的くくり
とかも捨てろ!
兎も角
一括りにしたがる人間達に

私はワタシ
タワシは亀の子

と言おう
今日のまとめ
言語的表現は目に見える部分では線的であるけれど
実際は空間的広がりと複雑な構造を持っている
だからこそレッテルに伴う「直感的」あいまいさを
はずして
できるだけ「論理的」自由さを求めようよ
こんなまとめでどう?

ただ
話のネタとしてのレッテルは
使っても良いことにしようね


(今日のパンパスグラス空)

えなりかずきが中国語で無問題(モウマンタイ)

2008-08-19 14:46:24 | そげんこつ!

(ブルーな気分というがトルコブルーなのかインディゴブルーなのか・・・。)

今日も博多は
朝から バッタバッタ と雨が降る

だから今日のヘッドグランドミュージックは
土砂降りの中 草茂みの中
囚われまいと
大きな葉っぱにくるまれた
イナゴバッタの様に
U2の zooropa で異次元の音にくるまれる

このところ
毎日のように雨が降り
雷が鳴る
しかも
夕立とかいうならまだ許せるが
降りだすと結構長く降り
どりゃぶりになり
ゴロピカと雷もすごい
自転車生活者にはちと辛い
出かけるとき降っていなくても
いつ振り出すかわからないから
迷った末
歩くことになるが
歩いてもドシャ降りなら濡れる
しかも
時間がかかるぶん
よりもっともっと濡れることになる
どうせ濡れるなら
自転車が早いからとも思うが
雨の坂道は危険だ
しかし
魅力的でもある
どりゃぶりの下り坂
水しぶきを揚げながら下る
スピード感と走る臨場感
気分はツールドフランスだね


(最近砂利道をあるいていない・・・ごろ石が好きだ)

そういえば
ツールドフランスに憧れ
自転車ロードレースの選手になった
オリンピック出場の
宮沢崇史選手(30歳・自転車ロードレース86位)
の記事があった
彼は小学一年の時父親を亡くし
母親に女手一つで育てられた
その母が病に倒れ
治療法が生体肝移植しかないと医者に告げられた
2001年のこと
そして自分の肝臓の半分を提供した
母は競技生活を絶たれるかも

息子の将来を案じたが
息子は家族だから当たり前とドナーに
しかしその後体力はすぐには戻らない
競技再開するも
ふるわず
所属先を解雇され
そこから這い上がったという
母親の為にも負けられない
貯金をはたいて海外で鍛え直し
実績を重ねてつかんだ五輪切符
高低差六百メートル
全長二百四十五キロを七時間弱で完走
その時母は
万里の長城一帯を周回する
ゴール近い坂道で応援していたという
そんな記事だった

スポンサーがついて億単位の資金で育てられる
可愛く若き王子たちもいれば
苦労人のアスリートもいるから
五輪は面白い
新聞は両方を伝えてくれるからいいね
ありがとうだね。


(まだまだつかえる汲み出せるでも時々むなしい)

だから久々に今日は新聞ネタにしよう
(うん)
北京オリンピック記事の片隅に
記者の取材の合間の話が載っていたんだけど
宿舎で深夜テレビをつけると
中国国営中央テレビで耳慣れたメロディが
『渡る世間は鬼ばかり』だったらしい
しかも
吹き替え版である
藤岡琢也と泉ピン子が中国語で会話していたとさ
ふーむ
でも、あの彼のことは載っていなかった
そう
えなりかずき
彼が中国語喋っててもきっと違和感はない
とるるは思う
香港映画に出てもモウマンタイ(無問題)?!
だね
画面には題が『冷暖人間日本』とあったらしい
渡る世間が鬼ばかりでも冷暖人間!
とは謎だ!
冷暖房的人間ということか
冷たくなったり熱くなったりということか?
でもどっちかというと韓国人のイメージだねそりゃ
まあいいか


(あばら家などと言われたくない~美しき鋼~)

謎といえば子供の作文もあった
投稿記事より
(福岡県篠栗町・小学二年・どいけんた)
『きのう学校ちかくの三だん池に行って、トノサマバッタをつかまえました。目がかわいいと思いました。先生からしゃしんをとってもらいました。こんどはイナゴバッタをつかまえました。それからぼくは、おなかがいたくなったのでさんびょうくらい休んだらすぐによくなりました。でも虫とりは終わっていました。小さい虫かごにトノサマバッタとイナゴバッタを入れたら、元気がなかったけれど、いえにかえって大きい虫かごに入れたら元気になりました。大きい虫かごに大きいはっぱを入れたら、大きいイナゴバッタは、はっぱを食べて、小さいトノサマバッタはきぜつしているようなかんじでした。つぎの、日曜日は、かぶとの森公園にいって、こんどはバッタ五ひき見つけたいな。』

まず
おなかの痛みが三秒でおさまる事の
イメージはわかる
るるにもある
三秒で治るが
また痛くなる
まあカタハライタイ話を聞いた時も
三秒くらいだ
そんな時もある
しかし、三秒休んだら虫とりは終わってました。
というのはどうしたことか!
三秒の間に何が!?(笑)
それから大きいイナゴバッタは、はっぱを食べたのに
小さいトノサマバッタはきぜつしているようなかんじだった
とは何故なのか?
はっぱが大きすぎて布団代わりに昼寝か?
大きいイナゴバッタにはっぱをとられて不貞寝か?
謎だ。
しかも
次はバッタを五匹見つけたい
とは
何故五匹なのか?
聞いて見たい!
目がかわいいバッタを五匹
大きい虫かごに入れて
はっぱを五枚、特大・大・中・小・極小と
ちゃんと一匹一枚づつ入れてやってね
きぜつが
四匹になるといけんでしょ!
じゃあ残りの夏休み
かぶとの森公園でエンジョイしなよ♪
ドリルと宿題夏休みの友は
最後の二日でやればいいさ。


(この川には居るらしいよ・・・主「ぬし」が。)