RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

草さん天地をまたぐ口が悟りへの門です

2009-04-26 16:11:30 | あかんがな

(へろ~ディア 尼寺へ行け!)

四月末は天中殺である。花金の金曜日(古い!)
溜まったアイロンを三分の二片付けたところで
ヘロヘロで体力尽きる

どうしてかって言えば
三年振りで二日ほど寝込んだからだ
二日間、家で
七転 ばっとう、八倒 しちてん

吐き下し悪寒発熱
おかんやかんみかんきんかん酒のカン
嫁に飲ませりゃ働かん!
な酷い状態の後
全部お腹の中の栄養分を出し切って
三日目ふらふらで(自転車君付き添いで)近くの病院へ行った

看護婦さんに症状を説明するのも
脳が機能しないから
えっと昨日はこれこれ
一昨日がしかじか?あれ?これ
どうだったか・・・としどろもどろかいこかもどろで

看護婦さんは「だいぶ混乱しているね、きつかろね。」
と優しく症状を代わりに言い当て
テキパキ書いて行った

しかし病院は満席状態
一時間待ちは当たり前
診察は5分
血液検査とお腹のレントゲン撮り
結果を待つまで「点滴しましょう」



と言われたが
いえ点滴は天敵なのでして
水分もなんとか アクエリアスしてますし
歩いてここまでこれましたしええと・・にかく
天敵いや点滴なしでお願いします

丁寧にお断りして
待ち合い室で自転車君に「先に帰っていいよ、電話する」
と言って帰ってもらい
また待つ

結果は
「細菌性の腸炎ですね、抗生物質と整腸薬出しときましょう。」
「症状がもっと酷い時に病院に来れなかった?」
などとお医者さん
「ええそんな余裕はない状態でしたし、車もないし、
タクシーに乗るには微妙に近くすぎて・・・。
え~とそれから胃腸薬もおねがいしますます。」
と言い訳もしどろに薬の注文はしっかり主張し
病院を後にした
三年振りだったから初診料3675円上乗せされた
まあ点滴分は浮いたけれど
ヘロヘロヘロ



(四月の樹形 第一位)

脳が馬鹿になりながらもともと馬鹿だが
ヘロりつつふらふら歩く女
怪しまれないのは病院が近いからだ

後頭部が打ったわけでもないのにずきずきする
院外処方だからと外の薬局に寄り
なんやら質問表を書かされ
又、待ち
薬剤師さんが何やら説明にくる
「ジェネリック薬品というのがうんぬんかんぬん、どうしますか?」
などと言う
脳が回らないのである
「いや処方どおりでお願いします。」
と言ってまた待つ

しばらくして「お待たせしました。」の声
ふらつきながら窓口へ
「大丈夫ですか?」と薬剤師さんに優しく言われ
「はい二日食べてないもので」と言ったら
「きついですね僕も経験あります、お大事にね」
とその優しげなお兄さんの顔と言葉に
おもわずうるうるしつつ
薬局も後にヘロヘロ帰る


(四月の樹形 第2位)

駅前のスーパーで
自転車君に食料がないから仕入れるので
「荷物持ちに来て」と電話して
食料を買う

荷物はまかせて坂道をふらふら登り
いつもの公園を過ぎて
やっと我が家に帰りついた
やっと・・・。
長い旅じゃったヘロん

とにかく気合いをいれるために
シャワーを浴び
なお一層ふらふらになってしまう
点滴しといたほうが良かったか?
と思う馬鹿な女がひとり・・・。

部屋の中を見渡すと
なんか雑ぜんと散らかっている
洗濯も溜まっているし
取りあえず古新聞やなんやかや
見えがかり部分のみかたずけて
洗濯機をまわし
部屋干し洗濯物を取りたたみ

山積みのアイロン待ちの衣類に
さらにマッターホルン登頂した

さて横になりたいが
薬を飲むのにお腹になにか入れたほうが身の為か?
と思い

自分のお粥と家族のシチューをたらたら作り始める
いつもなら
テキパキ仕事の早い有能な私も(これくらい云わせて!)
今日は二倍かかって シチューとゆでホウレン草を作り

その程度の労働で背中が痛くなり
小休止の後
お粥を一杯だけいただき薬を飲んだ

そしてベッドに飛び込んだ
胃と背中の痛みはあるがそれほど辛くないのに

結局いつもどおり眠れない



(四月の樹形 第3位)


土曜日朝食の前に現場検証をする
犯人は冷蔵庫にありか!

あの魔の火曜日
同じ夕食を食べた自転車君に被害がないのは
胃腸が丈夫だからなのか?

しかし唯一私だけが口にした食品があった!
豆乳である

最近朝、紅茶に入れて飲む様になった豆乳は
牛乳党の自転車君は飲まない
娘は嫌いだから絶対飲まない

るるもそのままストレートじゃ飲まないが
朝、紅茶に入れる
しかし
一人だと一箱飲みきるのに一週間以上かかるから
残りわずかの被疑物豆乳は
たぶん賞味期限も切れている

しかし
もう半年以上は同じパターンで飲んで来て
一度もお腹を壊した事はない
胃のムカムカはあった気もするが?

確かに残り少しになった豆乳は
かなり古いから犯人臭いが
朝もう飲む前から気持ちが悪かった

それに一口飲んだだけで残したのだった
解せない!
はっきり犯人だとは断定できぬまま
残りを捨て
めんどくさいから犯人探しをやめた
(おいやめるのか!)

今朝はパンと牛さん乳紅茶を飲んで
薬を飲む
なんかまだ胃が気持ち悪くて
パンも紅茶もまずかった

これからはまた牛さんにしよう
って思いつつ
洗濯機をまわし洗濯物を取りたたむ

土曜日だから
朝食の後 二度寝中の自転車君のいびきを聞きながら
新聞を広げた

バグダッドで自爆テロが続く
メキシコで豚インフル猛威
タイの非常事態宣言は解除したらしい
オバマ大統領核なき世界追求
という文字に期待と祈り

なんかるるがへっろっている間の
草フィーバーとかも知らぬ間に収束して
平和でない情報に戻りつつあるみたいだ

もっとフィーバーして
平和日本を盛り上げて欲しかったのに
結構このニュースには癒された

目撃者の外人さんが楽しそうに 
裸で踊ってたよと言うのを聞いて
いやそんなに楽しいお酒を飲めるなんて
なんて幸せな人か!と思ったね

気持ちよさげでしょ
春の大都会の公園で
天に向かって
叫び
踊り
トンボきって(きってないか?)
月の光浴びて
そよ吹く風にぶ~らBURA(ここが法にふれるとこ!)

しかし
もっと静謐だったかも
きっと公園のベンチで
生まれたまんまの姿で座禅を組んで
彼は歌っただろう

私のからだは口になる
天地をまたぐ口になる
とても大きな口になる
宇宙の広さの口になる

そうするうちにその口が
透き通った風鈴になる
東西南北 東南西北
いたるところから吹く風に
ゆれて悟りを語りだす

チンティントンリン チティトンと
チチチントウリョウ チチントウと

(井上ひさし作「道元の冒険」よりの拾い唄)

この歌ぴったりくる!
もしかしたら何か悟りを開いたかもしれない
とふと思う

これからも公私共に頑張って欲しい
彼はアイドルやめて役者一本で行けばいいと思うな



(このお仕事は甘い蜜をすうこと)


そんなことより
酔いもできず踊りも出来ず
歌うことも悟ることも出来ずにいる
疲労困憊女は

さっき背中に張ったシップは
筋肉痛用で
内臓の痛みには効かないんじゃないのか?
が今の一番の問題ではある



(明日の風になれ!)


短かった長い夜のNHK祭り

2009-04-20 14:08:32 | いうてなさい

(笹やかな窓にも意義はある)

日曜の夜中から朝に寝床で記す

胃が痛い
先週からずっと胃が痛い
胃酸が暴れて胃壁をちくるのかい?
ひとりごちる我に
泣けて来るさ
泣けばいいさ

眠れぬ夜
古本屋でみつけた睡眠本
「ポール・レオトーの肖像」という本を
読もうかと思ったが
胃の奴のおかげで
集中力・視力ゼロの焦点
松本清張のくちびるたらこ
だから
ビデオに撮ったNHKを見ることにする
払った受信料分はみなきゃなるまい


(帽子に付けたい実なんだ)



サラリーマンNEO
社宅の妻たち(極道の妻のパロディ風)のコント
ヘビィな笑いに次回作も期待しつつ
見終わって
教育テレビの竹本駒之助女義太夫『野崎村』
その技と絞り出すような語りに
おもわず聞き入り
その後録画は大河にそそぐ

『天地人』
カツゼツがいまひとつで
台詞がたどたどしい
妻ブッキーに
しっかりせんか!
とエールを送りつつも
今年の大河は視聴率が望めるのか?
と貢献していない視聴者が
余計なお世話を呟きながら見終わって
ビデオを消して


(歌え!日が昇るまで歌い続けろ!)

まだまだ
眠れぬ夜のNHK
深夜2時から3時台は
「日本夜景めぐり」
が延々と流れている
きらめく光きらめく明かりきらめくるめく夜の景

電飾ルミナリエなのか?なんなのか
そして
長崎ランタンフェステバル
になり
佐世保のなんか知らない祭りの電飾風景
ライトアップの熊本城と夜桜
それから博多の夜景は美しかった

岡山後楽園の夜
鳥取なんとか町の夜景の後
どこかの川で流し灯籠
ゆら ゆらゆらと集まっては
ゆれて流るる現象の火
そして花火。花火。花火
次から次に
夜景 めぐり 夜景 めぐり
めぐり めぐる
延々と 延々と 映像は写し流されている

それを見続ける馬鹿な女がひとり
京都~大原 三・千・院 であります

南から北へ適当に?ぶれつつ
日本列島逆上る夜景は
今まさに
熊野の花火から宮島の花火になり
厳島神社の鳥居や海上にキラメク
菊に牡丹に柳にヤシの木
銀冠に錦冠に銀蜂UFO 
ナイヤガラもスターマインも
花火好きのるるには
ますます眠れぬ展開だな

3時25分の表示を見つめ
何故か花火は北九州の夜景となり
逆上ってんのや なかったのかい?
と思ったとたん
夜景はぷっつんと終わる


(樹木ゲートにも意義はある)

そして
『世界の市場』の映像に 変化する
ドイツ、ミュンヘン時は冬。
クリスマスだ!
買い物客たちは
ところ狭し と並ぶ
クリスマスツリーの飾りものを見て歩く

きらきらきらきら

女の子は父に肩車されて
大人の頭越しに見入る

きらきらきら

男の子も肩車されている
だが店ではなく
後ろのレディ達を振り返って見ている

市場は行き交う ひとひとひと
それから
山積みのフルーツや鳥の唐揚げ
青い空に異国情緒の建築

ドイツから韓国に
チェジュ島の風景を海から
そして船から写す
上陸そして市場へ
入口にモアイ!
何故か!モアイ!

魚、野菜、くだもの、ペアルックの新婚さん
リュック姿の観光客
魚またさかな
銀色にきらめく太刀魚の行列
鯛もいる
綺麗に並ぶ魚をさばく手
おばちゃんのゴム手
ピンクサーモン色

次から次に
さばいては洗う
開かれた魚たちが緑色のざる皿に並ぶ
それから
いろんな いろんなキムチ

~あなたのキムチはわからない~

粉になった唐辛子の山たくさん
乾燥唐辛子の山も
たくさんたくさん
赤い山
ルージュブラン
街は白い
バスも車も白いが
歩いている人々は黄色い
私たちと同じ色
同じ色だけど
匂いはきっと違う


(この窓の中にも眠れぬ人生はある)


日本の夜を旅して
世界の市場を旅しても馬鹿な女は眠れない
眠れないのよ!
NHKさん

白菜が葱の束が茄子やにんにくの山が
わたしを眠りにつかせない
もういい
もうお腹いっぱい
胸いっぱい見たから
胃の痛みを消して
柿に林檎に梨に蜜柑
胡桃や砂糖菓子
あげ菓子かりんと饅頭
豆、豆、乾物
朝鮮にんじん!

~煎じておくれ!一杯くんなまし~

ありとあらゆる香辛料
辛い涙
もう眠りたい
四時だから
NHKさん
まだやるのか!


(日本の標準的4人家族)

インドはデリーの市場人力自転車リキシャ
デリーの市場は髭面おやじ
牛が街を我が物顔で のしのし歩く
空色の制服の女子たち
金糸のサリーの女たち
みたことのない食べ物が並ぶ
香辛料は半端なく種種雑多
おいしいカレーができるだろうね

薄曇り
小雨が降り出す
ビニールカッパの客
土産物屋露天商
スターフルーツ星のくだもの禿げた親爺

もういい
いつの間にかマレーシアの市場だった
おいらは目を閉じるさ
ふん!
胃が痛い

とうとう世界の市場も終わる
『日本自然百景』が始まる
知床だ!
しれとこ?しったことか!
流氷でおおいつくされたよ
あたしの寝床

咳が出る
流氷の下
海の底まできちまった
とうとうさ
とうとう
氷点下の世界だ
あたしの横をクリオネが泳いでヤンのさ
体長2センチメートルくねくねすんなって
ふん!

雪原では
エゾシカが木の皮をかじかじした
おっと
ヒグマが冬眠から目覚めやがった
ヒグマはエゾシカを襲う
いやはや
たまらん
溜め息と共に
天上を仰いでいたら
朝のニュースに突入した

NHK消す

NHKさん「日本の自然百景」

いまいち だったよ!
でも視聴率に貢献したよ

どうやら朝が来たね

紅茶を入れて
とりあえず賞味期限切れの胃腸薬
ハイウルソ・グリーンでも飲むか


明日と書いても
なんかまだ今日なんだ
なんか
明日は今日と
ひとつづきだ。
ことわりもなく

誰かが勝手に区切って
日付とやらが変わる
長い夜は結構短いと
最近とみに思う



(口直しの一枚ミルクティと共に)


乳白色の肌・乳桃色の花・地上へのオマージュ

2009-04-13 13:08:12 | さるきましょう

(八重咲きは今まさに満開の時)

おにぎりを三個ずつ計六個
二人前にぎる
中味は紀州うめ、四万十川わさび海苔、佃煮昆布の具
海苔を巻く
おにぎりを持って舞鶴~大濠公園に向かう
ソメイヨシノはほぼ咲き終わり
今は里桜が満開である
天神から歩いて約20分
赤坂を過ぎてお城跡のお堀沿いに歩き
堀を渡って鴻濾館跡の発掘場を横目に
お堀の内側
咲き終わったシングル桜並木の道を歩き
市民競技場の横を抜けて
二車線の細い道絡を渡ると舞鶴公園への門がある
門の前に藤棚広場があり
満開の八重桜も数本咲き誇っている
門を抜ける
隣接の学校の校内放送
若干やかましめのポピュラー音楽が迎えてくれた


(てまり桜って感じよあなた)

舞鶴公園へ入ると
ひと昔前
我社(会社だった頃)が設計に関わった
大きな芝生広場が広がっている
その広場の自然石ベンチで
にぎってきたおにぎりと
スーパーで仕入れた惣菜と缶ビールでランチタイム
設計者たる自転車君は
広場の外周の側溝が砂土で埋まり
芝草が這うのを見て
「誰の設計か!」などとつぶやきく
「あんたや!」と突っ込まずに
フラットなのは利用上機能的だけど
管理がいまひとつないからね
仕方ないねと発言しつつ
おにぎりをほうばる女


(ひろびろだから広場なのよ)

広場にはボール投げの子供達や
里桜花見のグループもちらほらいる
縁台でパンツ一丁にて日光浴する男もいる
お爺さんが自転車をこいで広場の中
園路をゆるらと走り抜けた
青いビニールシートのホームが数件
公園の端っこに並ぶ
前には自転車や植木鉢やらが置かれて
犬も繋がれている猫もいる
ホームレスだがある意味
スイートホームな感じもする


(お遊戯で作ったちり紙の花に似ているの)

カラスと鳩それに名前の知らない野鳥が
餌を求めて舞い降りる
あんたらにやる米はもうない
満開のサトザクラを見ながら
残りの缶ビールを飲み干した
公園の使われ方を見るのは重要なお仕事よ
けっして花見遊山などではございませんわ
楽しく花見をするためにはどんな設えがいるのか
そこんとこも研究しなければならないから
缶ビールもいやいや飲む
ほろ酔いが研究には一番有効だったりするのよ
これも憩いの場所を作るためよ
うん



それは兎も角
米腹をかかえて
広場を後に大濠公園へつながる道を歩く
大濠公園は博多の涙壺でござります
真ん中に大きな池を配し
訪れる人たちの涙を拾ってくれる
溜まった涙は浄化され
外周の散策路の修景用カスケードに流れていく
外周は一周2千メートルのジョギングコース
と自転車路に園路
その両側に緑地や遊具広場、四阿や散策路がある
売店前には体操服や制服姿の学生達がたむろっている
池端には背もたれベンチ
そぞろ風にふかれて
カップルやトリプルな仲良しこよしが
風景に溶け込んでいる


(紫外線ってお肌の敵よね~そうそう)


池の中ほどに浮かぶ島に橋が架かり
いつもの様に
池には舟形ボートや白鳥のボートも浮かぶ
大濠公園も改修工事でこの20年で
ずいぶん綺麗になっている
この設計にも結構関わった
調査にもよく訪れたが
なにより
この大濠公園が我々の原点であるのは
結婚式の披露宴をこの公園の
レストハウスの二階で執り行ったことだ
思い入れの深い公園であるのである

ウェディングドレスで公園を歩いた女は
そうたくさんはいないだろう



(白鳥の湖ならぬ大池で今日も群舞)


公園の中には
能楽堂や弓道場や市美術館や日本庭園のゾーンもある
春ののどかさを味わうには最適の場所なのである
が、夏も悪くない
夏八月には毎年花火大会で屋台もでるし
まじかで打ち上げられる
迫力の夜空のイベントでにぎわう


では
そろそろ美術館へ入ろう
4月19日まで開催中なのはレオナール・フジタ展
これを見逃しては後悔の嵐である




修復された幻の大作もさることながら
一番見たいのは
齢80にして毎日12時間3ヶ月かけて描いたという
聖堂の壁画にステンドグラス

この小さな教会「平和の聖母礼拝堂」は
まるごと細部に至るまでフジタの作品なのである
聖堂の中の映像が展示室の白い壁に映しだされ
展示されている下絵がその命を与えられた壁面へと
オーバーラッブされていく演出である
なかなかいい
魅惑の乳白色作品群は至近距離で
じっくり見れる展示もいい

フジタといえば裸体と猫であるが
筋肉質な人間の微妙なからだの線と面
緊張感あふれる肉体のひと筆のライン
女の金髪の柔らかであざやかな流れるライン
その横に
野生のしなやかさを柔らかな毛で隠し
あどけなさのみを魅せる猫

「一枚下さいな」
「飾る部屋もないが」

あんまりじっくり見すぎて出てきたら
自転車君は早々と見終わって
館内の通路の日当たりのよい椅子でお昼寝中だった

レオナール・フジタは
日本人だった頃は藤田嗣治だったが
日本人籍をぬきフランス人として死んだ
73歳でカトリックの洗礼を受け
レオナール・フジタとなって
遺作に聖堂を残して81歳でこの世を去った
この世に何かを残して去りたいと思い
実際にあまた残して去り
尚かつ
その作品を守って行こう
という人々を生み出すのが芸術

一本の線にこめられていたのは
探求者の
地上への接吻とオマージュに違いない
と考えながら
そぞろ風に吹かれて美術館をあとにした



(あたしに息を吹きかけるあなたは誰?)


春の足音鳩の接吻カモ波動

2009-04-11 16:24:17 | ぼちぼちですわ

「ねえ~あたしのことどう思ってんの?」


「ねえねえ~どうなの?」


「もちろん!好きに決まってると!」



「そ、そ、そうなの?」



「春の足音が・・・聞こえる。」



「そうカモね・・・どう?この波動」


7日、鉄腕アトムの誕生日が終わり
8日はお釈迦様の誕生日も
甘茶でかっぽれで
とどこおりなく?終わり
9日はとりあえず
ジャンポールベルモントと
銭形平次の大川橋蔵氏の誕生日で
銭も飛ばずに終わり
10日は武田鉄也と
12代目中里太郎右衛門の誕生日で
明日11日は
アンディガルシアと田中康夫が
生まれた日らしい
しかも同じ年に
まあ
このへんで誕生日は置いといて

今日
日本で誕生する人たちは何人いるのかな
少子化問題には何が特効薬なのか
景気回復と共に
天地のエネルギーを地上に貰わにゃ
太陽の熱も最近はパワーが落ちてきているらしいし
雷様、雷神さまにパワーをもらえばいいんじゃ

地球上では毎秒100の落雷があるそうだ
今も次の瞬間もその次の1秒も
100個はどこかに落ちている
地球と雨雲のランデブーは危険を孕むが
人を孕ませる力がありそうに思う
なんとなくだけど


この枝の合間は空なのかどうか


5年ほど前2004年に公開された
「イン・アメリカ(3つの小さな願い事)」という映画
「父の祈りを」「マイレフトフット」の
ジム・シェリダン監督作
映画の中で
アイルランド夫婦のベッドシーンがあって
雷雨と落雷の日に命が宿る

エネルギーの源なのね
雷雨・落雷って
と思ったのを思い出す

ニューヨークのぼろアパートに移住してきた
子供を失ったアイルランドの家族の話
喪失の悲しみと善と希望を描いている
二人の子役(姉妹)の演技が抜群で
オマケに二人とも可愛いから
すっかりその表情に引き込まれる
いわばずるい映画である
だけど好きな映画である




監督の実体験を元にした個人的な映画です
などと監督本人は語っているが
人種差別・移民・貧困・エイズといった社会問題も
家族の話にからめてやんわりと盛り込まれている
小さなテレビが映していた映画が「怒りの葡萄」
だったりするのよ!

監督は
妻と子供たちに捧げる映画だと語る
父権(キリスト教?)を押さえ込んだ物語かも

始めに女ありきということなのかな
息子を失った経験からか娘達はお祈りをするが
登場する父は神に祈らない
しかも結構なダメオヤジぶりでいい
その姿が今の日本の父親像にもあてはまるから
親近感がわくし希望へ向かう物語でもあるから
ほっとできる作品でもある
レンタル屋で迷った時はこれをどうぞ
疲れたときの一本
リセットしたい今日の疲れにアリナミン

それにしても
疲れた日本に
やおよろずの神様がいなくなり
かわりに
新興宗教団体の数が20数万だかなんだか
ということは教祖様が20万人以上!?
びっくりです
日本は今もある意味やおよろずの教祖国なんだ

あなたの横にももしかしたら
教祖様が立っているカモ



庭のさくらんぼの実は葉っぱの傘で雨宿り
おんばあまがさ過保護の木の実



あまりの艶やかさに
公園で写真 撮ってたら
ベンチに 座ってたおじさんが
「葉っぱ 撮ってるの?」って聞いてきた
「葉っぱ 撮ってます。」って答えたら
おじさんうなずいた。
うん






冷えた心に「焦がし」を一服差し上げよう

2009-04-06 16:05:20 | どっこい!

(天蓋が桜花なら・・・好ましい眠りが訪れよう)



だが
我が家には明るいニュースは
ここ数年ない
世間一般じゃ
春は悲喜こもごもなんだろう
卒業・入学・引っ越し・就職の春
でもあるから
良くも悪くも旅立ちの春である
旅立ちというと
先日
自転車君の伯母さんが亡くなり
それから
仕事の取引先の社長も先日亡くなられた
(54歳だったそう)
それに小さい頃から知っていて
昔、母の勤務先の
デザイン事務所の先生も28日に亡くなられた
早川良雄さんという方
(92歳だった)

グラフィックデザイン界で一時代を築いた
すごい偉大なデザイナーだった

るるは 
母の勤務先のボスでかっこいいおじさん
ぐらいな風に思っていて
大人になるまでは
そんなすごい人って
思っていなかったんだけど
学科は違うけど高校の大先輩でもある
心からご冥福をお祈りします




桜の散る頃に
人も散るのか
人は咲き誇って居られる時期は短い
しかし死ぬまで胸の芯には
何か咲かせていたいものです

なんとなく
冬より春に死ぬほうが良い様に思える

この前の朝
テレビをつけたら
たまたま映画の中で
歌われていたムーンリバー
るるの風呂の溺れ溜め用
定番歌
歌詞の事なんだけど
この前仕入れた歌詞とは
だいぶ違っていた
こんな字幕が出てた

ムーンリバー

いつまでも 忘れない
流れに 身をまかせて
汚れないよう

泥にまみれた 流れに
つれさられないよう

月の輝きと共に
見守っておくれ

月の輝く川を
どこに流れていくの

神様や 善悪について
教えておくれ

汚れなき心を
どうかみちびいて

恐ろしい暗闇には
何がひそんでいるのか
それを見つけたら…。

というの
これは宗教歌だったのかしら?

どうなのか
わからないが
どうやら映画が
罪にまつわるお話のようだった
途中で電波が乱れ
入らなくなったので
チャンネルを替えた




罪といえば
罪つくりな数奇者の物語
『利休にたずねよ』
を読み終えた

かまびすしくも あらまほしい
えも言われぬ 物語じゃた(笑)
希代の悪党の物語
ともいえる
天下人豊臣秀吉の怒りを買い
切腹させられた千利休は70歳だった
その日から物語は
利休19歳の悲恋の章まで
少しづつ遡っていく

人たらしの秀吉
VS
美たらしの利休

美たらし?
そんな言葉はないって!?
ないかしら?
なくてもいいけど
美を求める道は
傲慢にも
時には謙虚にもなりうる
いや
真摯にだろうか?
どちらにしても

己の道に邁進し
己の道のみに価値を見いだし
奢り高ぶりも半端なくむしろ
清々しい程すごい
そんな悪党の話

えっ!?
違う?
いいじゃない
どう読もうが
何故悪党なのか
数奇者とはなんなのか
侘び寂とはなんであるのか

その謎が面白いんだ

枯れたものは枯れたものなのに
その中に艶があって
初めてそれは生かされる
などと
こむずかしいことを
言う
あれもこれも
さておき
大事なのは常に人の物語
である



その男は
若くして色事をやりつくし
茶の湯などに嵌まって道楽三昧
そんな
ある日理想の女が我が家に・・・。
異国の高貴な教養もある女
しかし裏切られ買われた女である
美を追い求める男は
捨ててはおけず逃がそうとする
我と共に
異国の地へと・・・しかし。

若き日の命がけの
まことに濃い茶の様な
苦き熱き恋を胸に秘めて生きる
さすれば
侘び寂に艶を与えられるものだ

言うのさ
というより
結論はというと
美しい女は茶道具のひとつなのかも

だか一理ある
選ばれし美は一瞬の輝きを守り
その美の散るさまを
探究者の眼に焼き付ける
そんな使命を帯びている?
たわけ!

小賢しい
さかしらしい?
もう
利を休みなはれ


まあまあ
そのように怒らずに
どうぞそちらに
気を静めましょうぞ



私が
一服の茶を点ててしんぜよう
茶筅は程よく茶碗の湯にて湿らせ
羽を開かせておく
これをゆめゆめ怠るな
とのこと
温めた茶碗に石臼引きの濃茶を
棗より茶碗に入れ
茶杓に残った粉茶を
コン

茶碗の淵にてはたき
残らず茶碗に落とす
湯気の立つ釜から竹の柄杓で湯を
汲んで
茶碗に注ぎ
開かせた茶筅を中にたて
手首を小刻みにふるわせて
細かな 細かな泡が
茶碗の中で踊るまで
手先も踊らせよう
さすれば
えも言われぬ
一服の
碧の夢魔
至福の癒しが出来上がる
ほろ苦き清々しき味の
泡立つ水草に埋もれた沼のごとき
夢魔を口にふくむ
ほら!
胸から腹へ
腹から身体全部に懐かしき風景

あの緑のなだらかな丘は広がる
茶畑
茶畑の畝の間に一本のムクゲの樹
茶畑に連なる青空には
羽ばたく鳥達の群れ
耳をすませば
さらさらと さらさらと
小川の流るる水音が
釜の湯気の向こう側から
聞こえたならば
心にほっこりと
ぬくい陽がさしまする
おめをつむって耳をすまし
何もかも忘れて
ゆるりとおくつろぎ下さいませ
ではお客人

温まるまで
ごゆるりと
みんな
心が冷えているからね
寒すぎる所じゃ息をすると
肺が痛くなる
そんな寒い所には
行きたくないの
熱いものが人には必要


(樹だって燃えるわ!)

熱いといえば
そう
『恋に落ちる確率』という映画の中で
登場する小説家が言う
女にとって恋愛は不可欠なもの
女の愛は能動的かつ計画的なもの
しかし
男の愛は偶発的なものだと言う
とすれば
男の恋愛は受動的でもあるのか?
偶発的で受動的じゃ
結局は成り行きまかせじゃないの!

だからこそ「熱い」といえるのかも?

けれど
胸が焼け焦げる程熱ければ
死ぬまで醒める事なく
利休の物語の様に
燻る火種が胸に残り
心を焦がし続け
枯れても艶を保ちつづける
かも知れない

どうだかね

冷えた心には
もう一服
熱い熱い茶を下さいませ
「お薄」でもかまわぬ
貧乏で茶が買えないなら
「焦がし」でも結構

「焦がし」
とは?
何か知りたければ
『利休にたずねよ!』


(ハバタキには作法があるね)