RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

ややこしき世に物申す壊れた蓄音機

2008-03-30 12:26:44 | なんだろう?

(5倍5倍5倍で15倍かって思ったのに・・・赤卵で頭冷やそうね)

大地震の発生時には震源域で地震活動が
極めて少なくなる現象が起きるっていう
北海道十勝沖地震も新潟中越地震もね
福岡沖地震じゃ
本震前にはマグニチュード0.5以上の地震は
9ヶ月半まったく無かったって気象台が分析
と新聞にあったね
ストレスを溜めすぎると爆発するからね
地球も人も小出し、小出しに
発散しようよね~皆さん
ふぁいと~

パソコンの窓の立上がりが
若干鈍くなりつつあるので
最適化や要らぬファイルデータ整理しながら
なんでこんな機械に依存しなけりゃ
仕事ができぬ世界になっちまったかな
とためつ、すがめつ溜め息吐息
この理不尽な人生は
特に昭和中期二桁生まれの設計屋さんたちが
ランキングベスト3に入るんじゃないか?
と思うのである
自転車君よ悲しいね
うん
るるにしたって高校では
製図板を平らにして長い(ティー)T定規に
三角定規を滑らせて
鉛筆と烏(カラス)口ペンにインクを付け
線を引く練習をし(ボタ漏れ注意)
分度器・コンパス・計算尺といった道具で
製図することを習い
大学に入ると
トラック式ドラフターと
シャープペンにロットリング
(カートリッジ式線引き用インクペン)
斜めにしてもずり落ちぬ定規に進化
ふん!まあその辺までは
便利にあまんじて変化を受け入れる
設計事務所に入って
今度はアーム式ドラフターになり仕事を始める
コード有り計算機から太陽電池電卓に変わる頃
ワープロなるものも登場し
そろそろ独立かなどと考え始める頃には
パソコンが一般化普及し始め
あわてて覚えなければならないが
一人一台あるわけじゃなく
個人で買うには安月給取りにゃ
高過ぎる
でも
図面はまだ青焼き製本白焼き製本提出
だからせっせ、せっと紙に焼き付け
コピーコピーする日々
パースも手書き着色
カラーコピーでパネリングー
ぐ~エド鈴木

まま
そうこうするうち
安月給に耐え兼ね周りは退職者続出辞表提出
風に煽られなんとか独立したはいいが
パソコン買って機械相手に格闘戦い
タイトルマッチベリマッチ
一方でまだ手書き図面と計算書製本提出
青焼き機にコピー機ファックスも必要
経費増大二刀流理不尽業界
製図ソフトも発展途上
元請けさんに仕事がほしけりゃ
ここが開発した製図ソフトを使ってくれ
と紹介され契約したが
毎月数万払い続け数年積もり積もって何百万
高額ソフトを使い続ける
そのうち市販の安いソフトが主流になる

またもお金払って一から覚え
格闘戦いタイトルマッチ
CADだパワーポイントだイラストレーターだ
ETC。etc。
そのうちフロッピーはディスクに代わる
ウィンドウズもどんどん進化Xjapan 
XPももう古い?
さらにUSBスティックなるものも出現
青焼き機は埃をかぶりお蔵入りワープロなど骨董品
プリンターは日々進化変化
買い替えなどなかなかできぬわ
すべて保存保存圧縮圧縮送信送信で
ホンマに大丈夫かい?
必要な時に
ディスクやファイル開かんかったら
どないすんねん!と思う
思うが
時代は待ってくれぬ仕事は待ってくれぬ
働き盛りには普及しておらず
変化が急すぎると嘆いてる暇もなく
お尻に火を点け自転車こぎつづけろという
倒れたらそこで
ジ・エンドだ
デジタル脳くそくらえ!

昭和も終わりか平成生まれなら
小学生からパソコンを学校で習い
家にも一台くらいはある環境で育っている
だから
我らの苦労などわかろうはずはない
一方昭和以前生まれの方々は
指図するか
あきらめるか趣味のパソコンに遊ぶか
我らの苦労など見て見ぬふり
学ぶ時代に無かったものを
いますぐ使えとおっしゃる理不尽さ
に耐えて堪えて我らの人生はあると
思うと思ってくれと思う。
どやねん ほんまに!
人生最適化は遠い
自分の脳を
デフラグしたかでしょっ!ぷん。

デジタルはメンタルに不向きな悪ごタルね
壊れた蓄音機にも五分の魂よ
それにしても最近眼が見えん
あんなに見えてた 眼が見えん
ぼやけた世界は春霞
あたしの視力を返してよ~
めがね めがねどこじゃ
あんたのおでこにあるやつか?
もうこんなとこに 隠すなっててば!
もっと自分を見つめ直しなされ、はい。
レコード針も今は昔、貴重品
蓄音機にも魂はあるし
まだ音は生み出せるのに
ああもったいなやもったいなや
世の中まことに
ややこしや~ややこしや~
飛び座着地。





母の母、祖母、婆ちゃんの思い出は楓橋夜泊

2008-03-27 18:12:47 | よかね~

(春眠暁に死す惰眠むさぼらず道端のすずらんをごらん)


つきー おちーぃ~~
からすー ないてーぇ~~
しもーぉ てんにーぃ~~
みつーぅ~~う~う~う~

て吟じてみた
なんのことかというと
婆ちゃんの想い出のうたですわ
母の母は詩吟をやる人だったので
小さい頃
祖母の家に入り浸っていたるるは
その詩吟の発表会とやらに
連れてってもらったりして
舞台でよく通る良い声で
漢詩を吟じる婆ちゃんを見て
真似をして覚えた詩が
この
『つきーおちーからすーないてー』
(月落ち鴉啼いて)
なのである
馬鹿の一つ覚えで
こればっかり真似していたのだ
何ゆえこのフレーズが気に入ったのだろうか
わからない
小さい頃はおちゃらけ娘であったので
兎に角
すまして映っている写真が無くて
カメラを向けられると大抵変な顔をするし
よく歌を歌っていたので
まあ詩吟も演歌みたいなもん
と思っていたのやろうね

祖母は90歳頃まで生きたから
まあまあ長生きしたと思う
お葬式には沢山の詩吟の友達が
お別れの詩吟を披露された
お寺の境内の灯籠の間に
声が響き渡っていた

そうそう
響き渡るといえば
西本願寺からお坊さんが10人くらい来ていて
村中に響きわたる お経の合唱も聞いたし
ちょっと信じられないくらい
賑やかなお葬式やった
まあお婆ちゃんらしいともいえたが
祖母は昔は ええとこのお嬢
だったらしい
良家の子女じゃね
実家は池を借景にした大きなお屋敷だった
と母が言っていた
代々の家系図とかもあるような
由緒正しきってヤツだね
母が小さい頃
婆ちゃんの和ダンスの中の
沢山の着物や刺繍の半襟の豪華絢爛な
美しさにうっとりして
値打ちの分からぬ小さい母は
その一部を遊びに使い
切りちゃんちゃくにしたことがあるとか
言っていたような気がする
まあそんな宝石箱の着物類も
戦争やなんやで食料に替わっていったらしい
惜しげなく家族の為に放出していたらしい
お嬢で育った人はかえって貧乏に強いのかも知れんな
執着心があまり無いのは育ちのせいかも
祖母は人にプレゼントというか
物をあげるのが好きで
よく押し入れからなにかだしてきては
「これ持って帰り、あれ持って帰り。」
と来る人に渡していた
歌が好きで
よく素人のど自慢や
素人名人会(西条凡児司会だったよ)ふるっ
をテレビで見ていた
るるも一緒に横で見ていた

婆ちゃん家(浄土真宗の寺だった)に
休みごとに入り浸っていた小さい頃
祖母は和裁を教えていて
寺には嫁入り前の若い娘さんたちが習いに来ていた
一緒に住んでいた一番末の伯母さんも
お茶とお花を教えていたから
嫁入り前の若い娘の出入りが多い
はなやいだ時期があった
小学生のるるはうろちょろとその周りを
じゃましつつ遊んでいた
習っておけばいい嫁になれたかも知れぬなあ
と思うが~まあそんなもんでしょ
後で気付くのよね 色々とね
まあ作法は出来ぬが
お抹茶は上手に点てられるのよ
手首のスナップが結構イケテルからね
すばやく手ばやく細かく振動させるのよ
茶せんをね 茶碗の中でね
ふわっと 細かい泡が出来てね
おいし~ オイシ~のよ
伯母さんにポイントだけね 教わったしね
ああ~ お抹茶飲みたくなってきた
おこい茶にこんぺいとうころりん  
おうすに菊花饅頭

満開の桜の花びらが風に乗って
開け放たれた障子の間から
縁側をす~と滑って
畳にほろほろ
模様のように散り染めて
懐紙の上のお茶菓子や
抹茶碗のうぐいす色の泡の上へ
着地して
桜の花びらごといただきます
なんて
よか風情やねと
るるの中の日本人は思うのだった

出来れば死ぬまでに山か海か池を借景にした
寝殿造りの家で桜満開の春に
花びらをあつめ床に敷き詰めて
その上で春の宴を開き
酔っ払ったら
桜の花びらにまみれて寝る
ふんふん どや?
まあそんな桜花夢はおいといて
月落ち鴉啼いて
の話に戻るけど
この詩は中唐の詩人の作なんだけど
最近まで知らなんだのよ
でまあ婆ちゃんの思い出として
これは知っとかなあかんがなと思い
調べてみたがな

「楓橋夜泊」(ふうきょうやはく)  

張 継(ちょうけい)作

月落ち烏啼いて霜天に滿つ
江楓漁火愁眠に對す
姑蘇城外寒山寺
夜半の鐘聲客船に到る

つきおちからすないて しもてんにみつ
こうふうぎょか しゅうみんにたいす
こそじょうがい かんざんじ
やはんのしょうせい かくせんにいたる

月は冴えて水の面に映り、烏がないて、
霜の気配が天に満ちている。
川岸のかえでの間には、いさり火が点々として、
旅愁のためにうつらうつらとして眠れない私の目にうつる。
そんな折、
姑蘇城外の寒山寺から打ち出す夜半を告げる鐘の音が、
私の乗っている旅の船にまで響いてきたのであった。

というような意味らしく
なかなか好ましい旅情の詩であったのです
楓橋というのは
江蘇省蘇州の西にあり南北往来の要路だったらしく
寒山寺は蘇州の西郊楓橋の近くにある寺 
唐の詩僧寒山が住んだことから名づけられたのだそう

同じ楓橋とカラスと寒山寺が出てくる詩をみつけた
こんなのですわ

重ねて楓橋に宿す  <張 継>
かさねてふうきょうにしゅくす  <ちょうけい>

白髪重ねて來る 一夢の中
青山改まらず 舊時の容
烏啼き月落つ 寒山寺
枕を欹てて猶お聽く 半夜の鐘

はくはつかさねてきたる いちむのうち
せいざんあらたまらず きゅうじのすがた
からすなきつきおつ かんざんじ
まくらをそばだててなおきく はんやのかね

意味はね
しらが頭になってふたたびこの地を訪れたが、
実に夢の中にいるような心地がする。
まわりの山々は変わり無く昔のままの姿である。
烏が啼きながら寝ぐらに
急ぎ冴えた月が水の面に映るころ、
寒山寺から打ち出す夜半の鐘の響きを
枕を傾けてしんみりと聽きいったのである。
(関西詩吟文化協会漢詩紹介参照)

というわけで
母の母、祖母、婆ちゃんのことを思い出して
風流にひたってみたのです
蘇州に行ってみたいと思いました
楓橋まだあるかいな





純喫茶の話~女給的生活に年金を取り戻せ~

2008-03-25 18:03:12 | なんだろう?

(白い花と黒いカラス 別に 白黒つけたいわけじゃない)

昔「純喫茶」と表示された喫茶があった
わずかだけれど
東京や大阪あたりにはまだ存在している
スタバやドトールやベローチェ的カフェも
お酒を出さないし女給さんがフリフリエプロンで
出迎えてくれないから分類上「純喫茶」だ
まあもう死語らしいけど
「純喫茶に休憩にいこうか~」
などと言ってみたりしたら
結構おやじ族に受けるかもしれない
純喫茶はお酒を出したり女給さんの接客がある
大正のころのあのカフェと区別する為の純らしい
「特殊喫茶」っていうらしい女給カフェをね
秋葉族のご主人様~喫茶(名前が出てこない)

「純喫茶」全盛の頃の
「特殊喫茶」の流れをくむねきっと
だって
エプロン姿の女給さんに迎えられたいのでしょ
男の人は今も昔も
意味が違う?
もえ~萌え~と
モガやモボの大正ロマンは
似て非なるものなのか?
似てるがなあ
違うのはスカートの丈だけよ

純 つながりなんですが
「純文学」ってのは
ただの文学とどう違うのか
と思う
観念的な文学のことをいうの?
哲学と文学の間くらいのやつか?
良くわからないが
純喫茶のついでに考えるのもなんですが
つまり
女給的な臭いが無い文学?
酔えない文学かな・・・。
なら
普通?の文学は
特殊文学とよぶべきじゃないの?
純という言葉に敬意を表して

まあ
その特殊文学の第138回芥川賞受賞作
「乳と卵」川上未映子作を
読むつもりは無かったのだけれど
駅の売店で掲載誌の文芸春秋をぱらぱらして
審査員表とインタビューのところを
ナナメ読みしてたら
出身高校がるると同じだったりして
審査員評も石原慎太郎氏一人が
私は評価しないと酷評
(その他の作家さんたちは好印象な選評)
だったので
読んでも損はないかも(笑)って
ちょっと思って
まあ読んでみて
なるほど生まれ土壌が近いせいか
違和感無く読めたので
予定通り損はなかった
樋口一葉が好きでオマージュとしての感覚
というか影響を受けていますと
インタビューでは答えていた
オマージュ本普及委員会代表としては
いいねいいねと歓迎する
歌手としてはどうなのか知らないが
歌う系小説家は結構いるし
がんばってほしいと思う

内容的には
女給的文学と言ってみとこう
とりあえず「落ち」として
だけのことですが


娘の卒業式は月初めの頃に終わったのだが
スピーチについて考える出来事があった為に
思いだしてみた
学園長や父母会会長などのスピーチも
なんだかどれも心に響かず
なんだか教養をひけらかそうとして
逆に教養のないことを露呈する
内容のないスピーチで眠い時間だった
在校生送辞も無難にまとめた感じの
長くて印象は薄いし
よどみなく読み上げるのだが
終わったとたん
どんな内容だったのかさえ
思いだせない感じのものだった
しかし
卒業生答辞が始まると
一気に目が覚めた
力強いが少し癖のある
よく通る大きな声で
語りはじめた卒業生代表の女子の声に
聞き入り聞きほれてしまっていた
彼女の言葉ひとつひとつ語る声
まことにインパクトの濃い
正直ないい答辞だった
『ああ若者がいる!』と思った
耳が少し悪いから喋り方に特徴があるのだと
後でわかったのだけれど
言葉一つ一つを
大事にかみ締めるように
喋っているようだったし
この答辞が聞けただけで来たかいがあったと
思わせてくれた 「ありがとう!」
彼女に心中呟いたのだった

スピーチというものは難しいもので
上手にまとめあげた内容でも
心に届かぬスピーチは
良いスピーチとはいえないのだろうし
語る声と間(ま)によっても
その印象は変わるから
個性というものも大事であるし
語る言葉が単なる言葉でなく
想いに変わる時
初めて他者に語りかけた
と言えるのかも知れぬと
妙に納得しつつ
本日の本題に入ろうと思う
(まだまくらかい!)(笑)

語るとはなんなのかとよく考える
人が集まり人が語ったこと喋った言葉を
深く考え過ぎて
いつも独り疲れ果てるということの繰り返し
なので
この性質を変えたいのだが
なかなか難しく
日々不幸なのである
夜がしらじら明るくなっても
脳が睡眠不良でヤンキーで
ちっとも熟睡できぬ

だから人に会いたくなくなるのだった
消化不良の会話のまま
家に戻るためだろうか?
かといって議論をするために会うわけではないから
適当に世間話やなんかで楽しくすごそうって
人は考えて会うからしかたないのだが
議論したくても出来ないのが常で
たまたま
なにかについて意見をいう機会にめぐまれて
自分の意見を述べたとしても
賛同を得たいと思っているわけじゃないし
反対意見でもなんでも構わないから
相手の考えを聞きたいわけなのに
何故か人は
自分の考えは述べないまま
どうもこの人とは意見があわないから
もう話はしないで置こうなどと思うのか
まあそのまま別れの時間になるのだった
意見や考えがちがうから
会話が楽しいと思うのだ
けれど大抵
人は賛同を得たがるか
うなずきを欲しがるかで
意見交換には興味がなくて
酷い時は人の意見を聞くだけ聞いて
うなづいて聞いて
あとでその意見を言った人のいないところで
やっと他の人を相手に
あれどう思う?とかって言う訳だ
『どう思う?』の心は
『違うよね~』なのであり
『あなたもそう思うでしょう』の
賛同強要でもある
しかしその違う意見が聞きたい
だからいる時に言ってくれ~

空しいつぶやきシローになる

だから一番いいのは
手近に夫婦で議論ができることなのだが
我が家では
超無口な相方であるという事実に
たんなる会話さえ極まれなわけで
うなだれるしかないのだった

だから
ひとりごっちでぐだぐだ訳の分からぬ
ひとりごとを打ちつづけて
馬鹿な奴とあきれられても
打ちつづけて打ち死にするか
そんなところなんだろう

といっても議論や会話が好き
と言う訳ではなく
生身のコミュニュケーション力が未熟な為に
自分の考えを中途半端にしか
伝えられていないという脅迫観念
みたいなものが常にあったりして
後で自分が何言ってたかを思い出して
あのときあそこは
こう言うべきだったね

いらぬストレスを増やし続ける
という呆れ果てた狸の穴なのだ
とどのつまり
きっと気が弱いのだと気がつくわけだ
気というものは元気の素でもあるから
いつも気を強くする何かを求めて生きている
だから
もっともっと人に嫌われるような言動を心がけて
気にならない人になりたい
とか訳の分からぬ考えに惑わされて
気がますます変になる気がするのだった
そんなことより女は 嫁は
めしを作り掃除をして洗濯干して
子育てしてやりくりしてアイロン掛けて
シャンプー詰め替えて安いスーパー探して買出しして
家計の穴埋めに仕事してりゃいいって
ことなんだな
まあそれだけで十分手一杯だが
結局そうして語らない人ばかりになり
世の中
天下り天下りでやられ放題
癒着癒着の裏取り引き年金横領官僚天国
そんな世の中にあまんじて
仕事にはげめと理不尽に螺子の回転はいうわけさ

ねんきん特別便が一億通分
国民に送られる(3月に来た人要注意
そのうち約30万件は
不備問い合わせがあるだろうと試算されていて
今のペースだと一年に約三千件しか処理出来ないから
つまり問い合わせ処理に百年かかるというのである
と文芸春秋の記事にあったぞ
100年て
もう我らは死んでいないよ
葬式代にも間に合わぬ

ねんきん特別便が送られてきた人が
あわてて役所に言ったら
散々待たされた挙句
「手作業ですので1年はかかります」
といわれたらしい
できるなら200歳まで生きろ!
あるいは三十万人で告訴するかしかない!

語りたいが 語れない
語りたければ勝手に語り続ければいいじゃん
ほっといてあげるから
死ぬまで語り続けりゃいい
とほったらかされてありがとう
人間商売めんどくさい

言葉なんて覚えるんじゃなかった





西からの偏屈な風の音楽を海の音楽に変換した日

2008-03-20 14:57:42 | なんだろう?

(10ヶ月ぶりにローズへママに会いに・ハーデンベルギア満開中)


今日のヘッドグランドミュージックは
「SEA  from Whale&Dolphin」
44分30秒 ず~っとまるごと
波の音とクジラとイルカ達の声のみで構成
まあそんな日もあるさ
海には海の音楽があるね
昨日今日と我が家のまわりじゃ
風の音楽が吹き荒れて
ず~っと風のBGMを聴かされつづけた為に
反動で海の音楽に走ったのだろうか?
しかも昨日は外に出たから
カラダごと風に巻かれて
もう少しで風と共に去りぬじゃ
我が家は特に風の通り道だから

ぴ~ぷ~ ご~こ~
ばしゅん びしゅ~ん
ごととん ごととん
ぴきぴき ぷ~ぴ~

やかましいことこの上なくゴザ候
関所を設けて通行料をとろうかい
ところでこの風は偏西風というのかな?
なんかね偏屈な風の音楽だったよ

偏屈といえば家のP君のことである
今日は祝日春分の日だが
年度末だから土日祝日関係なく
仕事の電話は鳴っている
朝からプリンターのP君が機嫌をそこね
反応しなくなり不貞寝をきめこんだ
自転車君のパソコンに
つないでいたレーザープリンターが壊れて
ずいぶん経つが経費削減の折
なかなか買えないでいて
るるのパソコンに普段つないでいる
古くてレーザーじゃないプリンターP君を
ときどき自転車君が自分のに繋いで使うのだが
このP君は移動させられるのがいやなのか
自転車君のところでもよくトラブルし
戻ってきてすぐには
反抗的というのか無視をきめこむ
クリック クリック クリックしても
白銀比1:√2の紙を吸い込んでくれず
「しらんわ~い」なのである
もしかしてP君はるるに惚れているのか?
そんな気さえする今日なのである

偏屈風に巻かれ古いマシンに気に入られ
弥生の春の日に新聞のフロントページの
ダライ・ラマ14世の写真を見つつ
世界の春は遠いよね~と思う
そういえば去年秋に来日したよね
西日本新聞は結構チベット暴動の記事に
紙面を割いている
ほかの新聞はどうなんだろうか?
2002年にダライ・ラマが来日した時に
NHKに出演してインタビュアーの一人として
参加した藤原新也氏が
「名前のない花」と言う本で書いていたが
公の番組で彼と同席するというのは覚悟がいることである
事後に中国側のブラックリストに名が記され
今後入国を拒否されることもありうると
それでも氏はあえて
政治的質問までしたっていうから
すごいなあ
その放映後日中友好を目的とする団体からきていた
定期刊行物がぱったりとこなくなった
と書いてあった

日中の溝は深まるばかりだ
宗教と政治のからまりぐあいは
偏西風と共に固い糸(意図?)だんごができ
もうほどけなくなってしまっている
切らずにほどかなければいけない
北京オリンピックは無事開催されるのか
参加国は減るんじゃないのか

西欧の祭典オリンピック
正式名称オリンピアード競技大会は
ここ20年で参加国を
うなぎのぼりに増やし続け

1980年モスクワ大会の参加国 80カ国
1984年ロサンゼルス大会  140カ国
1988年ソウル大会     159カ国
1992年バルセロナ大会   169カ国
1996年アトランタ大会   197カ国
2000年シドニー大会    200カ国
2004年アテネ大会     207カ国

これが放送収入に変換されると
最初1010億ドルだったのが
24年で1.5倍の1498億ドルだっていうから
世紀のビジネス祭典でもあるのよね
北京オリンピックの運営費は16億2500万ドル
経済効果という言葉に敏感な一部アジア諸国
(日本・韓国・中国)が開催国になりたがる訳です

文明開化以降の西欧化でエドのぐ~は喪失し
いや日本独自の文化は西の風に巻かれたね
ちょっと無理やりっぽいが

文明開化といえばだ(笑)
土曜日テレビで『長州ファイブ』
という映画を見た
明治をそして文明開花をもたらした
5人の長州男たちの旅の話である

井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三
伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)
英国と日本の工業と文明格差に愕然としながらも
国の為に学び
『生きたる機械』になる為に
命を賭ける男たち

なかなか面白かった
ナイスな格言の映画でもあった
松田龍平演じる山尾庸三が
出会った異国の女
彼女は声を持たず
彼が留学を終えて帰国する前に
鉄道で家を立ち退くことになり
別れの手紙を残して去る

『確かにこの国は文明国かもしれない
でもここには二つの国民がいる
持つものと持たざるもの
その二つは決して交わることはない』

造船の技術を教えてくれた
グラスゴーの英国人が別れ際に彼に言う

『技術者こそが真の革命家だということを忘れるな!』

留学中の下宿先のロンドン大学の教授の
奥方が別れ際に言う

『そこにあるものを工夫して、
そこにないものを創りだしてください』

教授は言う

『何故生きているかより
どう生きていくかが大切である』

まあそうだよね

最近読んだ本
中島美代子『らも』(中島らもとの三十五年)
中沢新一&波多野一郎『イカの哲学』
桜庭一樹『私の男』
石持浅海『扉は閉ざされたまま』

これから読む本
ミカエル・ニエミ『世界の果てのビートルズ』岩本正恵訳
古川日出男『アラビアの夜の種族』
文芸春秋今月号

「らも」を読んで
52歳で階段から落ちて死んでしまった
中島らも氏のことを思い出して
ユーチューブで生前の映像を見ることにした
そしたら死に装束に白い三角布をオデコにして
僕の理想の死に方を語っていた
ロックコンサート中に舞台から落ちて死ぬ
と言っていた
まあ望みどうりとはいかないが
近似値ともいえる死に方だったかも知れない
命日じゃないけど
彼岸に合掌

春の乾きはダンサブルチェリーの朝露で癒せ

2008-03-14 12:59:00 | さるきましょう

(花屋の店先で春を拾う~カシャ!買わないよ!ごめん・・・。)


(ミモザはホンとにいい名を貰ったね~シャンペンにオレンジジュース)

西日本新聞『本音のコラム』とやらに
『不快な自転車のベル』と題した
倉田真由美という漫画家さんの記事が載っていた

~歩道を歩いていて後ろで自転車のベルが鳴ったが
聞こえないふりをして歩き続け
二度三度しつこく鳴らされたところで
少し歩道が広くなったので
ようやくのろのろ道を開けてあげた
大学生くらいの若者が乗っていて
あからさまに不快な色が顔に浮かんでいた
しかし不快なのはこっちだ
道路交通法じゃ自転車は軽車両
基本は車道を走らねばならない
歩道は歩行者優先であり
歩行者が自転車を通す為
わざわざ端による必要はない
そもそもベルは危険防止用で
歩行者をどかせる目的で鳴らしてはならない
歩道を走るのは構わないが
歩行者に遠慮しベルを鳴らさず一時停止しつつ走れ~

とまあざっとこんな怒りの記事だった。
しごくごもっともな意見であり
確かに
どけどけ俺様のお通りダイ
というやからには通してやる必要はないが
もし下手な初心者自転車乗りだった場合は
ぶつかられて怪我をすることも
無きにしもあらずですから
ベルが後ろで聞こえたなら
一応振り返ってちょっとよけて置いた方が
懸命かと思います
自転車が車道を走らないのは
特に自転車操作に自信のない場合か
あるいは小中学生などだったりもします
道路を走るのは怖いから歩道を走る
しかしブレーキを踏みつつ走るのも
結構初心者や荷物載せてる自転車人たちには
バランスが難しかったり
歩道の縁石の段差もあって
場所によっては
転倒の危険があるので
鳴らしていることもある
ベルを鳴らさずにいたら
大変なことになる場合も多々あるのも事実だから
自らどくのが腹立たしいと思ったとしても
ベルには反応すべきだと思うのであります
聞こえないふりはやめたほうが安全でしょう

熟練した自転車乗りでも
初めての道や
雨降り時の濡れた路面や
気温がやたら低い日や
日照りの日や体調によっても
うまく走行できぬ日だってある
注意一秒怪我一生とはよくいったもんだね
だからだから
ベルが聞こえないフリだけはやめようね

自転車乗りたちの市民権はなかなか得られず
自転車専用道路もなかなか整備されず
自転車置き場も必要な場所には足りず
歩道も車道も自転車乗りには辛いということなどを
ほんの一握りの慈悲を持って
歩行者も車もバイクさんも対処して欲しいと
思うのであります
マナーの悪い自転車乗りには怒ってもいいですが
排気ガスをばら蒔く車に後ろめたさなく
ちょっとの買い物にも乗りまわし
歩道は私のもんだとのろのろ歩く歩行者というのも
いかがなものかと
だって自転車に乗ってなくても
前の人がのろのろしてたら
他の歩行者の邪魔だし
特に数人で並んでのろのろ歩く若人たちは
道を塞いでいる意識が薄い
お年よりは仕方ないけれど
元気が有り余っているくせに歩きが鈍い
なぜなんだ
夜騒ぐ為に体力温存か?
まあいい

とにかくそれはおいといても
このコラムに
本当にいかがなものかと思います次第です。
って
投稿しよかしらんと思ったよ
だからだから自転車専用道路を
歩道を広げてあるいは車道の一部に
常に設けるってマニュアルを作って下され
知事さん市長さんである
そしてマナーは守ろうねお互い


今日は春を大サービス


我が家のチェリー達の朝露を 乾いてる人たちに



ごっくん
あたしが一番乾いてるからね
ごちそうさま





二階からの眺めはどう難題?

2008-03-11 17:44:54 | どっこい!

(どんだけ~募集中なのよ・・・馬さしは付加価値?)

今日のヘッドグランドミュージック
奥田民夫のアルバム「fantastic OT9」

「なんでもっと」はもっともだ

なんでこう もっといろいろ
すんなりさらっと できない
首から上の予想を
首から下はうらぎる
~~~
なんでもっと なんでもっと なんでもっと
と歌っている
もっともだ
もっともなうただ

だから悪いが別のをかけよう
もっともすぎるからね
えっと~
北海道出身のロックバンド
bloodthirsty butchersの
ギタリストを殺さないで
を聴いてみた
そのアルバム中の「アハハン」って曲
その中ほどの歌詞

まさかの補充も切れて 緑の丘に挑む
心の泉 探している 小さいドアを開ける

数々の鼓動 響いている 二階へ駆け上がる
黒く歪む光る海見つめ 幼心がこみ上げる

二階からの眺め どうなんだい そそぐ風は憂し
奇跡を今でも感じてる 明日の風は強し

って
くだりを聴いていてちょっと思った
二階からの眺めだよ
そうそう
二階からの眺めはどう?
今日はそれに決めたよ

「旅をしない者はみじめだ!」
とモーツアルトは手紙に書いたが
街造り国造りにこれから関わる
若者には特に旅は大事だ
セクハラ先生たちの話を聞くより
本を持って列車に乗り バスに乗り 船に乗り
気になる駅で ふらりぶらり降り立って
町並みを見渡そう 歩こう
昼の日中
ひとっ子ひとり歩いていない田舎の街
ゴミや漂流物が打ち寄せられて汚れた浜辺
青くない海
管理できぬまま荒れた植林の山
商店街もシャッターを閉め
むなしくビニールの桜花が垂れ下がる田舎銀座通り
若いひとも若くない人も
旅で観光地をまわるだけでなく
日本のさびしい街も見て実感してくるべきだよね
多分机にむかって勉強するだけじゃわからない
現場主義!現場を見ろ!
美味しい旅ばかりでなく寂しい旅もしろよ
卒業旅行に海外もいいが
日本過疎村ツアーにゆけよ!
オフェーリア達よ!

博多に住む様になって
数年を過ぎた頃
大阪の伯父が博多に来た
伯父を乗せ車で街を走らせている時に
『博多の建物は下駄履きが多いな』
と一言おっしゃった
下駄履きとはマンションやビルの一階が
店舗になってる建物のことで
この一階店舗でストリートや町並みの
雰囲気が決まるといってもいい
伯父はこの時
いい意味ではなく
つまり店主の好き勝手な店づくり
あるいはオーナーの好き勝手なテナント選び
などで博多の町並みはあまり美しくない
下駄履きにする必要性は街にはない
と言いたかったのだと
勝手に思う
まあビルのオーナーにとっては家賃収入だから
必要なんだろうな
町並みは建物のファサードによって左右され
とくに人の目線の先は特に一階部分に注がれる

るるはいつも
二階以上うえを見ながら歩くが(笑)
そのせいで最近特に気になるのが
駅前などの商業ビルで二階以上の上の階が
空室テナント募集になってることが
本当にやたら多いと気がついた
駅前でさえなのだから
ほかは
なおもていわんやか?
このさい一階部分はテナントを入れず
町並みの為にストリートごとに
個性豊かな表情造りの出来る余裕空間として
空間提案を図る為
オーナー達が地域住民と共に
もっと町並み会議をするべきだね
そして通りごとの活性化をはかる
そのほうが2階以上の空室を減らせるんじゃないのか?
町並みに個性をもたせて集客力をつけろよ
って思う
むやみやたらに適当に街のことを考えずに
ビルをつくるから街が錆びれるんだ

歩きたい街作りをめざせ!地方都市よ!
それが住みたい街につながるしね

一階にあった店舗はすべて二階以上にもっていって
人の目線を上にも向けさせ
なおかつ人を上へ引っ張りあげることで
空室を無くす、そのほうがよくないか?
マンションの一階は特に特に店舗はやめよう!
この際コンビニも二階に~だ!(マジ!?)
熱い心で階段を上がれだ
エレベーターもあるがね
ビルやマンションの
『一階店舗ステップUP法案』を作ってくれ!
と思う今日この頃です

街は町並みによって作られ
町並みの集合体によって街は作られる!
この際
建物一階前面日当たりの良い部分は
全面緑あふれる温室か
ギャラリーかピロティーパークにでもして
街歩きの人の為のラウンジにして
裏はチャリンコ置き場にしてくれ(笑)

デビットリンチ監督のワイルドアットハートの
エンディングでラブミー・テンダーを歌う
ニコラスケイジの様に
熱いハートで街を愛してやれよ

ロックンばばあは 独り
日々二階以上うえを見ながら
街をさるきまわり
またある時は
チャリンコで裏路地を走るのだった
(完)


(庭のさくらんぼの花一部開花宣言)


地獄の門前落語~いのこり佐平次~

2008-03-10 00:32:14 | なんだろう?

(夕刻~音符の無い五線紙~四分音鳥はいない)


ながら族(表現が古いよ)るるは
週末の夜
みうらじゅん&いとうせいこう
ザ・スライドショー4を見ながら
哲学書を読んでみた
結構読めるもんである
一冊読み終えた
本が薄かったからね
ゆるさには奥深さでバランスを

ゆるいといえば
『0093女王陛下の草刈正雄』を
ケーブルテレビやっていた
途中抛棄で寝ちまった
このタイプのパロディー映画は
あと一歩である
ゆるいだけでは笑えないので
何故かむなしい感が残る
『日本以外全部沈没』も
だいぶ前テレビでやってたが
笑えない
笑わそうとしているのかどうかさえわからない
コメディーだから笑えないのは駄目じゃないか?
やっぱりダメよ!
むしろ脱力系映画のほうが笑える
人間の緊張をほぐすからか?
桂枝雀理論だ
『緊張と緩和が笑いの極意』
っていうやつ
究極のくだらなさに笑うときの笑いって
嘲笑の部類に入る
こりゃひでぇなって
違いのわかる狐狸庵先生
遠藤周作もそりゃ違うでしょうねと
最近またゴールドブレンドを飲んで言うだろう
笑いは奥深い
『人は笑うから人だ』ともいえる
犬も猫もペンギンも笑わない
猿は笑っている時があるね
あれは人間の笑いと違うのか同じなのか
歯をむき出して手を叩いて
まさしく笑っているように見えるが
笑うというより「喜ぶ」に近い気がする
まあ猿に聞いてくれ

喜ぶと笑いはどう違う?
喜ぶと泣く人もいるし
感情と感情表現の違いか!
嬉しいと怒る人もいるのか?
竹中直人の芸だ
怒りながら笑う人あれはすごい!
ん?
笑いながら怒る人か・・・。
奥深い(?)

笑いの壺は人によって違うが
泣きの壺もやっぱり違う
同じ体験をしても泣ける人と泣けない人
しかし年と共に壺の口が広がって
何にでも泣けるようになるのは
人生の長い年月に溜まりに溜まった涙を
放出しなけりゃならないからだ
涙の海に溺れないように
しかし笑いの壺は
年と共に口が狭くなる
ちょっとやそっとでは笑えなくなる
もらい泣き ならぬ もらい笑いは
どんな笑いの部類にはいるんだ
移るんだよ!何故だ?
泣き笑いとあくぴは
狭い個室にいると移る理論
(誰の理論じゃ?)
は確かにあると日々実感!
ゆるいと奥深いでバランスを
奥深いのはといえば
日曜日の今日(もう昨日だが)
NHKハイビジョンを珍しくつけていた
あまりNHKは見ない
受信料はちゃんと払っているから
もっとみよう
大河ドラマもみてない
ニュースも民放を見る
なんとなくだけど
情報がNHKより早い気がするから
でも受信料分は見なきゃと思う
で昼から
『立川談志まるごと10時間』を
とりあえずつけていた
新聞を読みながら
お茶漬たべながら
掃除しながら
聞いたり見たりしていた
ながらで申し訳ないが
長過ぎる
10時間は長過ぎる
落語は好きだが

昔,関西人(今は偽博多県人?)だったるるは
やはり落語も上方落語を聞いて育った
桂米朝さんや枝雀さんなど
まあ関東の落語もテレビで見る聞くことはあったが
どちらにしても立川談志の落語を聞いたのは
久しぶりで新鮮な感じがした
65歳で自分の人生を終わると言っていたが
70歳過ぎても
まだ
もがきつつ
まだまだ
まーだだよと未練たっぷりの姿を
これでもかとみせつけて
立川談志ここにありという10時間である
まだ生きてるのにさ
追悼特集はこのぶんだと24時間はやるね
ファンにとってはまだ足りないのかもしれないが
ある意味生前葬的番組だ
若い頃の映像はなかなかの男前であったね
忘れていたが映像を見ながら
若い頃の顔が
韓国のチョンギョンホという俳優に
なんか似ていると思った
顔だけね
落語もマニアックに聞き込んでいけば
語る人によって同じ演目が違う味わいをみせるのだろうね
ただ古典落語は笑いよりも語る技
もしくは業(わざ)を聞かせるのが「主」で
笑いは「従」なのかもしれない
そこがめんどくささであり
めんどくささこそハマりの穴なのだ
談志語録じゃ
落語は人間の業(ごう)を肯定するもの
であるという
業(ごう)と業(ワザ)は同じ字だよな
関係ないけどさ
確かに談志節に聞き入る気持ちはわかる
ワザに取り込まれるって感じは
気持ちがいいもんだ
人が人を入り込ませる芸は
きつねつきに似ている

人を魅了するワザは人生の未練を見せながら
あがきを見せて生きることかと編集するのねNHK
「人生成りゆき」
だと言いながら
落語家は実はトコトン考えぬいている
かっこよすぎないか?
いや言い訳としてかな?

なにごとも疑ってかかれという人生は
真実も嘘もおれ流の意味に変換するが
おれ流もやっぱり疑うから常に自分に飽きている
ああ めんどくさい
地獄の門じゃね
ロダンの考える人は地獄の門の前で
無駄に筋肉を見せながら何を考えるのか
ただ門番として地獄の門を守っているのか
誰か門を開けにくるのを待っている?
落語家は
三位一体(聖なる威力、比類なき智慧、第一の愛)
を目指すのか?
気が狂う前に考えるのをやめたら楽だろう
実は楽でなく落なんだろうと
オチたらどうよ~穴に落ちて結果
無意味に無意識に
面白い 笑える 滑稽 であることが
人生ばんざい!
につながっていくのである

NHK受信料 いのこり佐平次で とりもどす
(?)
笑いは怒りに取り込まれる日



(この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ)


クロサギ 山t(ティー)は男前の最高峰

2008-03-04 14:17:09 | すっきゃねん

(昼と夜の間にはよひ(好い)るるがいる・・・。)

久しぶりに作ったお好み焼きが
めっちゃ美味しかったから
ささやかに幸せふっくら山芋たっぷりで
こりっと沢庵も入ってて
ちくわとチーズは入れ忘れたが
こんにゃくと角切りもち入りだったりする
この星の我が家のお好み焼きは
うまい
というかこの星の人間はいったい!
だが~お好み焼きは
「萌え~」
とトミー・リーも言っているさ
オムライスだったかな

この星に最初の人間というものが
登場するのは何億年前なんだろうか
いったいどんな風に生まれて来たのか
最初はどんなカケラだったのか
海からかそれとも空からか
飛んでいたのか泳いでいたのか
光のつぶに乗って浮かんでいたのか
それがなんだってこんなに
もはやいまやこの地球を
我が物顔で占領して
破壊して汚染して
歌って踊ってセックスして
産んで産んで産んで
もう地球は住みにくいから
今度は宇宙へ火星へと
足をのばしたりするのかい?
雑草のごとく表面積を広げている
それでもなんだか人間だけが
言い訳を許されて
喋る喋る喋る
うるさいよ
うんそうよね
海の~空の~カケラだったくせにね
嘘ばっかりついて
それからたまに本当のことも言う
人間は大抵不運だと
人間はおおむね不幸だと

そうそうそういえば
不運な人の映画を観たよ
『それでも僕はやってない』
土曜の夜テレビでやってたね
痴漢の冤罪裁判を忠実に描く法廷もの
この映画で?
日本アカデミー助演女優賞を取ったと
新聞で読んだそのもたいまさこだが
あんまり演技らしい演技をする場面がなかったよ!
ていうか
あんまり写ってなかったような気がする
なんでかな?
目立たないのも演技だから
いいってか
日本のアカデミー賞はなんか盛下がりすぎて
審査員は意味不明な選択をしているとおもうがね
東京タワーオカンがどうしたとか
三丁目に夕陽が二度沈んだとかいうのが
本当にアカデミーなのかと思った人も
日本中に
かなりいるんじゃないの?
授賞式もエンターテーナーが少ないから
つまらないし
(見てないのにいうな!ごめん
アメリカはエンターテーナーだらけで
お祭り騒ぎなので対比してしまうから
(そっちも見てないのにまだいうか!
賞の名前を変えた方が賢明だよと
誰も言わないのが不思議だな
まあ日米どちらのアカデミー賞にも
るるは大して興味はないんだけど
勝手にランキングしちゃう人だものね

だから話はもどるけど
「それでも僕はやってない」のことだけど
痴漢に間違えられないようにしようと
この映画を見て思った男性は
結構いるんじゃないかと思う
裁判がどういうものかがよくわかる
実用映画ハウツー映画でもあった
法廷ものは日本じゃすくないが
アメリカ映画やドラマではキラメクばかりに多い
弁護士もの検事ものに陪審員劇
原告側からの公害裁判や人種差別を扱う法廷もの
とにかく沢山見て来たよ
そう♪大好きなのだ
法廷劇裁判物って
見てるとわくわくする
そういえば高校の文化祭で
クラスの出し物で裁判劇の台本を
るるが書いて
上演したことがある
古い話だから内容は忘れたが
『男の世界』(笑)という題だったと思う
クラスの95%が男子(建築学科だから)
なので
しかたなくである
クラスメイトに笑いにとりつかれた
落研(私設落語研究会部員2名)君たちがいて
アドリブでところどころ笑いを演じてくれて
面白い舞台となったと
なんかうっすらと思いだしたりした
あの台本残しとけば今見て
楽しめた(笑えた)のになあ
と思って残念だ

日本映画といえば
近々公開の『クロサギ』を観なきゃあね
だって男前の最高峰
山tを見にいかなきゃ
えっ?
それを言うなら山pだろうって?
そうじゃなくて~山t(ティー)だよ
山崎努だよ~ふふん
だって
るるの男前判定値の最高レベルが
山tこと山崎努なんだもの
山tのあごも完璧だしね
るるが男前はあごだって言う原因が
山tのせいなんだから
主演の22歳の山pも
これからが楽しみな男前予備軍だと思う
なぜなら
山tが先日褒めてたからね
一応とりあえずだけどね
まだまだだからね
テンポアップでTPトップ目指そうね






間接的殺人は漬物石で蓋なのかどうかの話

2008-03-02 18:32:23 | そげんこつ!

(猿田彦神社の門番は猿だが、あ・うんの呼吸とはいかない感がいなめない)



(境内にも猿は隠れていた~去るものは~人のみ)


短くて長い
るるのたった二月が終わり
三月に入った
やっほ~
である
十二か月のうちで
2月が一番嫌いなのだ
今年の2月は特に最低であった
一年で最も寒いし
溜った(溜めたのでしょ!)
大嫌いな経理の仕事をせにゃならぬし
今年はさらに娘は熱をだすし

更に更に
るるも体調不良になるし
更に更に更に
自転車君は自転車操業の仕事が
年度末でメッチャハードであるし
スピード違反で罰金だし
半植人になれそうだったが
成れないみたいだし
精神的にも露悪化して
もう引きこもりたい気分の2月

さて
三月に入ったら
なんかちょっと気分もましになって
喜多善男なのである
明日の喜多善男である
見てないの?
面白いよね~あのドラマ
なんとか最終回でドンデン返しが
あることを期待しつつ

人格も体調も三月だから
もうもう
蕾ふくらんでぱっと花坂爺さん婆さん
希望勇気ナンデアル愛である
アンパンマンである

頭のあんこは重いけど~
海は広いぜ~心はお~ど~る
毎日毎日ぼくらはテッパンでパンを
やいてよ~ジャムおじさん
お腹がすいた人たちにあげてもあげても
次から次に頭すげかえ
僕はゆく~愛と希望を君達に
勇気凛々ルリの色

さてさて
この無駄語りいつ終わる
終わらぬ日本の政治不信
終わるは防衛大臣の椅子
この臭い煙だらけの日本に希望はあるの?

アンパンマン愛と勇気はいらないけれど
煙に巻かれぬような
普通の暮らしをちょうだいな

ところで煙といえば
フランスの禁煙法はうまく行ってるのかな?
2008年1月から
すべての公共施設内で全面禁煙ってやつ
カフェもレストランもディスコも
ディスコじゃタバコの煙の変わりに
スモーク炊いて雰囲気をもりあげてるらしい
レストランは食後のタバコを吸いたい人が
さっさと引き上げて
表に出てから吸う
回転がよくなって売り上げはオーケー?
なのかどうなのか
喫煙ブース作ってるとこもあるだろう

日本じゃ歩きタバコ禁止の方向ですが
さすがに飲食店は禁煙席をつくっていても
結局個室じゃないから煙は流れてくる
個人主義の国フランスでさえ
ここまでやるってことは
世界は禁煙に向かうってことだ

踏み切った理由がフランス全土で
年間5000人が受動喫煙で死んでいる
ということ
間接的殺人の数として多すぎる

もちろん
受動で無く喫煙が原因で死ぬ人は
年間6万~7万人もいる
日本じゃどれくらい死んでるのか
未成年者喫煙の禁止の為のtasupoカードも
ぼちぼち普及し始めて
タバコ自動販売機もそのうち無くなるのか?

今の時点では
小のタバコやさんが
大手コンビニに客をさらわれて
被害甚大と嘆いているというが
日本の都会には自動販売機が多すぎないか?
それでもタバコはなかなかやめられない人が多い
政府がすすんで?売っているわけですし

禁煙するくらいなら病気になってもいいよ
死んでも良いよって
とりあえず思っている?
イライラをおさえるためか
食事とお酒のあとの一服が至福の時なのか
若い男の子はもてるためなのか
若い女の子は突っ張り表現なのか

間接的殺人となると
吸うのは人の勝手とは言えなくなってきている

アルコールは依存症というやつがあって
ひどくなると収容施設に入って直すが
むしろ酒飲みは酒で死んでも
周りの下戸を受動飲酒で巻き込むことはない
なのになのに
タバコの習慣性を直す施設が無いのはなぜなのか?
習慣性を持ってしまった喫煙者を
すべて治してしまったら
タバコが売れなくなって
タバコ産業に影響がくるからか?

そこんとこどうなの?
タバコは麻薬と同様に怖いものだと
いや煙が出る限り
麻薬より怖いものだと誰もがわかってても
臭いものにふたなんだよね

電磁波と一緒で
すぐには影響が無いからね
目の前で煙吸ってバタバタ人が倒れないからね
携帯だらけのホールで電磁波にあたって
救急車で運ばれるわけでもないからね
心臓の悪い人はあるかもしれないけど

今、健康な人も
じわじわ真綿で首を絞められつつ
苦しむのは数ヵ月後
数年後か?
ああ煙に巻かれてきょうも
漬物石になるわたしたち



(猿田彦さんに何をお願いするの~紅白な感じはいかにも日本の風景)