ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「被災の町の学校再開」(望月善次編著;岩手復興書店)

2020-03-11 22:20:46 | 読む


3月11日。
東日本大震災が発生した日。
あれから、もう9年もの年月が経過した。
3月になってから様々な報道がなされ、いまだ復興の道半ば、ということが言われている。

岩手県大槌町では、町長も犠牲になり、とても被害が大きかった。
津波、そして火災によって、小中学校ともに大きな被害を受けた。
町教育委員会は、機能停止状態となった。
教育長は、役場にいて津波に飲み込まれそうになったが奇跡的に助かったが、町の職員として教育のこと以外にするべき任務が多くあった。
そんな中で、誰が、町の教育をどう復活させたか。
この本は、当時町教育委員会に勤務していた県から派遣された女性指導主事の奮闘ぶりが淡々と書かれてある。
編著者が、彼女からの聞き書きによって、町の学校教育が再開されるまでを克明に再現したものである。

目次に沿って、構成は次のようになっている。
第1章 被災の町(1~4日目)
第2章 その言葉にはっと目が覚めた(5~9日目)
第3章 「無理」を「可能」に変えるまで(10日目)
第4章 越えなければならないハードル(11~19日目)
第5章 学校再開が現実味を帯びてきた(20~25日目)
第6章 ついに学校再開へ(26日目~3か月)
第7章 仮設校舎入居へ(~1年目を迎えるまで)
第8章 私も体験したフラッシュバック(1年後)
第9章 伊藤正治教育長インタビュー

震災当日、町外に出張に出ていたところで地震に遭遇する。
そこから、通行止めになっている道ばかりだったが、林道を通りなんとか町に戻る。
被災した町は、悲惨な状況になっていた。
そこから、2日目、3日目、…というように、日を追って彼女がしたことや取り巻く状況の変化、そのつど直面する困難や対応などが書かれている。

大きな災害が起こると、様々な困難に直面する。
信じられないことの連続が起こる。
そんな中で、彼女は、教育長の言う「子どものため、子どもの成長を考えて」を判断基準にしながら孤軍奮闘する。
そこが最も共感でき、すばらしいところだと思った。

時には、役場職員と間違われ怒鳴られたりしたり、一人でマスコミ対応をせざるを得なくて不十分なところがあると非難されたりもした。
しかし、そういう大変さも、受け入れ乗り越えていった。
そして、そんな強く見えた彼女も、数年後フラッシュバックやPTSDのような症状に悩まされたりもしたという。
書かれていることの一つ一つが事実ばかりだから、重さがある。
学校の再開にこぎつけるまでの数多の困難や苦労をよく乗り越えたものだと思う。
貴重な記録だ。
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75年前、「東京大空襲」のあった日

2020-03-10 20:44:43 | 読む

「絵本『東京大空襲』」(早乙女勝元作、おのざわ・さんいち絵;理論社)

3月10日。
レミオロメンの名曲は、「3月9日」だが、今日はその翌日に当たる。
ただ次の日という訳ではなく、自分にとっては、2つのことで重みのある日なのだ。
どちらもかなり遠い出来事なのだけれど。

1つは、父の生誕記念日。
生きていれば、92歳だった。
今回は、それについて語ろうと思う訳ではない。

もう1つは、東京大空襲のあった日。
真夜中のB29の空襲で、わずか2時間ほどの間に、東京の4割が焼けてしまった。
家を焼かれた人が、100万人以上。
けが人は4万人以上。
死者は10万人以上。

この晩のことを扱った絵本が、早乙女勝元氏の「絵本・東京大空襲」(理論社)だ。
1978年初版で、私が持っているのは、1985年第18刷のものだ。

早乙女氏が、小学校に入学した娘に大切な話をしたい、ということで書いた話。
早乙女氏12歳の時の実体験をもとに書かれてある。
その日の空襲がどれだけすさまじく、どれだけ悲惨だったのか、私たち大人だけでなく子どもたちにも伝わる本だった。
学級担任時代、この本は、必ず教室の隅に置いて子どもたちに読んでもらおうとしたものだった。

その頃、1993年の3月、新聞の家庭欄に、次のような投書が載ったときがあった。
教室の子どもたちにも読めるようにとあちこちにルビをふって、配った覚えがある。



「言問橋」という歌のことを、かなり前にここで書いたこともあったが、その恋愛の歌となった舞台の橋は、はるか昔には、こんなに悲惨な過去があったのか、ということも知ることになった。
この投書をした女性は、投書時78歳だったから、それからさらに27年も経ってしまった。

時間が経つと、様々なことが風化していく。
東日本大震災からだって、もう9年になる。
まして、75年も経ったこの「東京大空襲」という惨事があったことを知る人は、どのくらいいるのだろうか。

今は自分の部屋の本棚に置いてあるこの本を見るたびに、1945年3月10日の惨事も風化させてはいけないことの1つだと思うのである。
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コケにはできないから苔取り

2020-03-09 22:06:53 | 草木花
今年の冬は雪が少なかったせいか、庭の景色が違っていた。
驚いたことがあった。
土の上に雪がないというだけでなく、土の上が緑、…黄緑色がずいぶん広がったのだ。
それは、様々な雑草が生えてできたものではない。
その黄緑は、ずいぶん苔が広がってできたのである。


【before①】

もともとは、鉢植えに植えられていただけの苔だったと思うのだが、それがこぼれたのか、一気に広がった。
やはり、これは雪の寒さがなく、適度の湿気と適度の陽射しがあったから、ここまで広がったのだろう。

きれいでいいとも思うのだが、他の植物がよく育たなくなってしまう。
庭には大した植物が植えられている訳ではないが、もうすぐこの辺りには、スズランが出て来たりシランが出て来たりと、いろいろな花も咲く場所なのだ。
苔が多いと、確かに雑草の出も少ない。
しかし、苔に支配されてしまうと、日も当たらないし、土にもよくないから、様々な園芸種の花が育つためには困った状況だ。


【before②】

家で生えているのは、ハイゴケやスギゴケである。
ハイゴケは、松の木の下などによく繁殖する。
松とハイゴケがある場所には、秋になると、食べられるきのこがよく生えてくる。
それはそれで楽しいのだけれども、今、目の前に広がるのは、他の植物に邪魔なだけ。
コケにはできない。
なので、せっせせっせと草取りならぬ苔取りの作業を行った。



さすがに苔も、木の幹や地表に出ている根にぴったりくっ付いてなかなか離れないようにと、抵抗を示した(?)。

ふう。
なんとか大半を取り除いた。


【after①】


【after②】

たかが苔とは思っていたが、されど苔。
ここまで広がるとは、その生命力はすごいものだ。
苔取りをしながら、感心したのであった。

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いい風景からいい元気をもらい、いい走りにつなげる

2020-03-08 21:15:26 | RUN
昨日今日と、こちらは好天だった。
気温も15℃まで上がり、背中に日を当てているのが気持ちよい日だった。
ここのところ、長い距離も走っていないし、トレーニング走もしていない。

左のすねも、まだ少し腫れが残っていて、何か物に触ると少々痛みが生じるけれど、何もしないのはねえ…。
いくら新型コロナウイルス感染症が…と言っても、あれは狭いところで大勢の人が集まると感染しやすいというだけ。
外で一人で汗を流すだけでは、別に感染リスクが高まるわけでもないようだ。

青空が広がる好天の下、気持ちよく走りたいなと思って、今日は近くの川の土手道を中心に走ることにした。
河の土手道に上がると、少しだけ空に近くなる。
50年余り前に、大きな水害で2年連続して堤防が決壊したことがあるこの川。
現在の堤防は高く丈夫に作られている。
だから、家々の屋根は、この土手よりも低い。
空がたくさん見える、この堤防の道は、今がお勧めの時期である。

走り出してから、今日は、5kmごとにラップを上げていくビルドアップ走をしようと決めた。
最初の5kmは、5分25秒/kmのペースで走る。
次の5kmは、5分10秒/kmの速さに上げて走る。
そして、最後の5kmは、5分00秒/kmにスピードアップして走る。

ところが、往路は、向かい風であった。
最初は、なかなか決めたペースで走れなかった。
それでも、体が慣れてきたのと、空が気持ちいいのとで、なんとか決めたペースで走れるようになった。

折り返してから1kmほど、つまり9km地点を過ぎたあたりからは、私の大のお気に入りの風景が広がる。
それがこの風景。



右側を中心に、左右に菜の花がたくさん咲き乱れている。
菜の花と言えば春。
菜の花がこれだけ早く、これだけたくさん咲いているというのは、なかなかないことである。
実に豊かな黄金色の輝きと、鼻をくすぐる菜の花のにおいに、思わず顔がほころぶ。



また、前方はるか向こうに、遠くの山々がまだ雪をかぶっている姿が見える。
花の黄色と山の青、雪の白がなんともいえず美しい。



空と花と山。
それぞれに美しい風景に、心がいやされる。
そのうえ、走る元気がさらにわいてくる。

いい風景に会える場所は、いい元気をもらえる。
そして、いい走りにつながる。

菜の花のある道を過ぎると、残り5km。
帰路は追い風のはずが、なぜか向かい風!
花のある景色を見て、わいて出た元気をパワーに代えて、最速の5分00秒/kmを懸命に維持するように努めた。


15km走って、あとの1km余りは、流して走った。
走り終わって、息がずっと荒く、久々のトレーニング走は、結構こたえた。

でも、今さっき見てきた心地よい風景を思い出し、がんばった自分もうれしく思えた。

ああ、気持ちいい。
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ナズナは見かけないがハコベの花に早春と感じる

2020-03-07 22:29:29 | 草木花
新潟に戻って野草の花を見ると、この時期にはオオイヌノフグリとヒメオドリコソウが目立つ。
そして、もう1つ、よく目立つのはハコベである。
緑色の葉に、白い小さな花がたくさん咲いて群生している。



非常に可愛いし、きれいだと思う。
埼玉では、あまり見かけなかった。
逆に、埼玉であれほど見かけたナズナは、こちらでは全く見かけない。

どうして、こんなに違うのかな、と思う。
考えに行きつくのは、おそらく湿気だろうということ。
ナズナの生えていた埼玉の土地は、空気が乾燥している。
新潟の空気は冷たく、湿っている。
ハコベが育つには、多くの水分が必要なのだろう。
ナズナは、乾燥に強く水分が少なくても育つのではないかと思う。



こうしてたくさんのハコベが生えて花を咲かせているのを見ていると、本当の春が近づいているのだと感じる。
それがこちらの早春だ。
ナズナを見かけるのは、もう少し春が進んでからになりそうだ。

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感染症拡大の閉塞感の中で

2020-03-06 21:39:11 | スポーツ
暗く沈みがちな時には、本来スポーツを見たりスポーツをしたりすることによって、その気分を改善することができるのだが。
今回の新型コロナウイルス感染症では、そういう訳ではないというのが、少々やっかいだ。

新潟では、新型コロナウイルス感染症の拡大は、卓球教室に通う5人のクラスターから始まっていると言われている。
卓球は、
風の影響がないように室内でやるし、
戸や窓は締め切って行うし、
相手とは近いところでボールを打ち合うし、
ハードだからすぐに汗はかくし、
コートや床に飛び散るし、
試合をすれば初めと終わりに握手はするし、
…確かに、感染しやすい条件がそろっているかもしれない。

本来は、手軽にできて、打ち合うとすっきりする、楽しいスポーツなのだが…。
自分が好きなスポーツが、まるで悪事を働く犯人のように言われるのは嫌なものだなあ。

他県では、スポーツジムでの感染というのもあった。
健康のために体を鍛えているのに、そのために感染症にかかってしまうというのは、なんとも…。

こうなると、やはり外に出るしかないか。

…しかし、外で走ることについても、大会となるとたくさんの人々の接触が考えられるから、大会を開催するわけにはいかなくなっている。
RUNの大会も次々に中止が発表されている。
3月に開催予定で、参加申し込みをしていた新潟ハーフマラソンに続き、4月の大会も続々と開催中止が決定されている。
自分が何度も参加した経験がある笹川流れマラソン大会も、昨年出場した本庄早稲田の杜クロスカントリー&ハーフマラソン大会も、4月12日(日)に予定されていたが、開催中止が発表された。
そして、今年初めて参加申し込みをした燕さくらマラソン大会も、中止が決まった。
自分が結婚したときに住んでいたのが、その会場がある燕市(旧分水町)だったので、昔を懐かしみながら走ってみたいと思っていたのに、残念だ。

それでも、広い空の下で走っていると、気分が解放されるように感じ、すっきりする。
やはり室内でうじうじしているより、外で運動するのがいい。
そう考える人が多いせいか、2日前に自然公園の中を走ったとき、ずいぶん歩いている人が多くて驚いた。
いつもなら歩く人や一部走る人はこんなに多くないのに、よく外に出ているなあと思うのは、今回の感染症のせいなのだろう。

まだ感染症拡大のピークがはっきりしない今、楽しみにしていたJリーグの再開も、今月14,15日よりももっと遅れそうな気がする。

閉塞感に包まれつつある日本だが、感染症拡大の防止策を個人個人が考え実行することはもちろんだが、日々の生活に楽しみや明るさを見つけながら、元気を失わぬように暮らしていきたいものだ。
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早春の野の花の咲き具合

2020-03-05 21:39:26 | 草木花
桜の開花がずいぶん早く、東京では早くも来週には咲くのではないかというニュースが流れている。
各地で、平年に比べて10日から2週間早く咲くような予想だ。
新潟だって、平年に比べて12日も早く3月28日には咲くと予想されている。
桜だけでなく、ほかの花の開花も早い。
そこで、昨日は、「早春の野の花の咲き具合はどんなかな?」と思いながら、キョロキョロと、花見を兼ねて走ったのだった。

まずは、マンサク。
これは野の花というより、樹木の花だけど、野(自然)の中にあるから、ま、仲間ということで…。
そのマンサクが、頭上に咲いている所は、複数あった。
残念なことに、低いところには咲いていなくて、距離があり過ぎ写真を撮ることができなかった。
ただ、間違いなく咲いているのを確認した。

次に、キクザキイチゲ。
わが家では、フクジュソウが咲いているから、似たような花が咲くキクザキイチゲも、と思ったのだ。
だが、いつも群生して咲く場所を見にいくと、まったく芽も葉もなかった。
まだ早すぎるということだ。

雪割草。
長岡の雪国植物園や角田山では、もう咲いているものがあると新聞に出ていた。
だから、走るコースの近いところにいつも少ないながら咲く場所があるので、走るのをやめて探しに行った。
だが、ごく一部、雪割草の葉を見つけたが、花もつぼみもまだだった。
残念ながら、当地ではまだ花が咲くには早いようだ。

イワナシ。
春の素朴な花の中で、ここ数年一番好きな野の花なのだ。
あちこちで葉が出ているものを多く見かけた。
さすがに花はないだろうと思ったが、日当たりのいいところでは、つぼみになっているものを見かけた。



もう少しで花が開きそうだ。

そして、最後によく咲いていたのが、馬酔木。
(「あしび」と読めましたか?)
今、とてもきれいに咲いていた。



いつもの年ならもう少しあとに咲くのに、やはり今年は早い。

以上、春の野の花探しの報告、終わります!
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久々、…実はけがからの復活RUN

2020-03-04 19:51:17 | RUN
2月は、本来いわきサンシャインマラソンを走るつもりでいたから、それに向けて練習を少なめにしていたのだった。
ところが、新型コロナウイルス感染症のために開催中止となってしまった。
62歳最後のレースと考えていたのだが、残念だった。
だから、1月は、月間およそ132km走ったのだが、2月はその半分以下の64.6kmしか走らないでしまった。
いわきのマラソンが開催中止にならなければ、ここに42km余が加わるから、月間100kmを超える距離を走ったはずだったのだが。

そして、63歳最初のレースと考えていた3月15日の新潟ハーフマラソンも、中止となってしまった。
それで落胆したわけではないが、2月21日から2週間近くも走らないことになってしまった。

なぜそうなってしまったかというと、以下の通り。
埼玉に行くと、いつも1,2回走るのだが、今回は少し天気が悪い日があったり、畑の整備作業がハードだったりしたために、数日走らないでいた。
これではいけないと、天気のよかった日、午後から走ることにしていた。
なのに、午前中に燃えないゴミの片付け作業をしていたときに、金属のパイプを折ろうとして強く踏みつけたら、弾力で反撃を食らい、すねをそのパイプで強打してしまった。
いたたたた…。
ズボンをめくってみたら、すねが内出血していて、ものすごいたんこぶ状態。
実は、私の左すねは、学生時代に強打&削れるようになって、大けがをしたことがあるのだ。
救急車で運ばれ8針縫って入院するという悲惨な体験をした。
救急車で運ばれたのは、あとにも先にも41年前のその1回だけなのだが。
順調に回復したものの、その後、すねは肉が薄く、打撲で簡単に腫れ上がってしまうのだった。
だから、無茶はできないのだ。

それなのに、つい注意力が欠けてしまったものだから、痛い目にあってしまった。
あわててすごく腫れ上がったところに、保冷剤を当て、タオルを巻いて応急処置した。
その状態で湿布薬を買いに店まで車を走らせた。
買ってすぐに湿布薬を貼って、なんとか悪化することは避けられた。

幸い、湿布薬が効いて、腫れは日に日にひいていった。
ただ、腫れが残っているうちは、走ることは控えることにした。
そして、今日、ようやく走ってもいいかな、というくらいの状況になった。

久しぶりに走る、その足取り。
最初は軽かった。
途中からあっという間に重くなった。
でも、走れていることで気持ちはよかった。
やっぱり走ることが気持ちいい。
無理をせず、少なめの11㎞で終わりにした。

各地のマラソン大会は、開催中止が長引きそうだ。
それで、ちょっと気分が落ち込んでいた。
でも、考えてみると、もともと走ることが楽しいから走るのだった。
大会に出ることだけを目的にするのではなく、走れる喜びを感じて走るのが好きだったはずなのだ。

そんな初心にかえることができたような、約半月ぶりのRUNだった。
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突然の臨時休業…

2020-03-03 22:14:05 | 「育」業
首相の突然の全国の学校への休校要請。
学校現場や保護者にとって、とんでもなく突飛で対応が大変な措置だった。

木曜の午後に言い出して、翌週の初めからそうせよということは、翌日1日しか時間がないということ。

そんな!
まだそれぞれの学年の学習だって終わっていないのに。
法的拘束力のある(?)学習指導要領で、その年齢の子どもたちには必要な学習内容を身に着けさせなければいけないのに。
それもできないまま、春休みまで放っておけというのだから。
春休みまで放っておいても、子どもが独りで学習できるわけではない。
そして、4月からは新学年新学期となる。
新しい学年の学習以前に前の学年の学習を終わらせる必要がある。
そうなると、今の学年の担任から次の学年の担任へ丁寧な引継ぎが必要となる。
また、1か月分の前学年の学習を入れることによって、新学年の学習内容の指導にも丁寧さが欠けざるを得ない。
前学年の指導も終わっていないし、十分な復讐もしていないのに、まさか4月に全国学力テストを行い学力が落ちたなどというのではないだろうなあ。

とても大切な卒業式はできるのか?
どうすればできるのか?

学習に関してだけにしても、これだけの不安が言えるのに、家庭・保護者の負担はどれだけ大変になるのか。
そのことが最大の不安だった。
案の定、放送・新聞・ネットなどの様々なメディアで、家庭・保護者の混乱ぶりが流れている。
各家庭が本当に大変だと思う。
学童保育の現場だって、1日中であり、健康安全の責任があり、本当に大変だ。

困っている家庭を助けるために、学校が「自主学習ルーム」を開いて、子どもの面倒を見ているというところもかなりあるようだ。
この年度末、また別な様々な配慮が求められる。
そして、教師の仕事は、学校に来ない個々の子どもがどのような生活を送っているのかを、電話・家庭訪問その他の方法でしっかり把握したり保護者と連絡をとったりすることも入ってくる。


教師も、子どもも様々な不安をかかえながら、先週の金曜日―突然の最終日―は、終わった。
ある先生は、次のような話を教えてくれた。

最後の話が終わった後、子どもたちからありがとうメッセージをもらいました。
(中略)それにしても、今日よく準備してくれたなぁとありがたい気持ちで一杯です。
(中略)できることをやろうと色々考えていたからなのか、とりあえずホッとした感じ。改めてメッセージを読んでみると、子どもたちの個性がよく表れていると思いました。


時間がないというのに、この1日生活する中で、子どもたちが担任の先生へのメッセージを書いて渡したのだという。
時間がなくても、自分たちで担任への1年間の感謝のメッセージを作ろうと考え、実行してくれたという子どもたちの厚意がうれしい。
この先生はそのように語ってくれた。

突然の、たった一日の猶予しかない中でも、このような心の通い合いが見られたのは、いいクラスを作ったなあと思った。
そのいいクラスが、突然終わりになってしまったことに、改めて何とも言えない口惜しさを感じるのも事実である。


さて、臨時休校はまだ始まったばかり。
子どもたちの生活や学習、そして保護者の収入や経済的負担、精神的負担などは本当に大丈夫なのか、懸念するところは多い…。
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本物の「アカシア」

2020-03-02 21:06:58 | 草木花
高崎市染料植物園で、ひときわ明るい花を見た。



新潟では、外でこのような花が咲いているのを見たことはあまりない。
近寄ってみると、ポンポンを小さくしたような花。



それが房のようになって、まるで実がなっているように見える可愛い花だった。
しかも、この花は、樹木の花だった。
4~5mはある木で、上からいくつもの房がたれるように咲いていた。



妻は、これを見て、「『ミモザ』じゃないの?」と言っていた。
家に帰って調べてみたら、面白い発見があった。
「ミモザ」という花は、実は「アカシア」だということだ。

「ミモザ」はギンヨウアカシアやフサアカシアなど、黄色い房状の花を咲かせるマメ科アカシア属の総称です。シルバーリーフと呼ばれる銀色がかったグリーンの葉が特徴的な半落葉~常緑高木です。本来の「ミモザ(mimosa)」はオジギソウの学名ですが、黄色の房状の花が咲くアカシアの仲間の呼び名として使われています。

このように書いてあった。
えっ?アカシア!?
アカシア、と言えば、「アカシアの雨に打たれて~このまま死んでしまいたい~」という、西田佐知子が歌った歌を思い出したじゃないか。
あの歌は確か、「アカシアの雨がやむとき」という名曲だった。
あの歌で歌われているのは、いわゆる「ニセアカシア」のことだった。
だから、アカシアと言えば、ニセアカシアを指すのが普通なのだ。
「ニセアカシア」と言われても、アカシアの本道(?)はこの木のことだろう、と私は思っていた。

そんなこともあって、「ニセアカシア」があるのなら、本物の「アカシア」もあるのだろうと思ったことは何度もあったのだ。
ずっと今まで「本物」を知らなかった。
まさか、本物のアカシアは、いわゆる「ミモザ」のことだったとは、びっくりだった。

今回見つけたミモザ、いやアカシアは、正式名が「フサアカシア」という。
花が「房」のようになっているからだろう、きっと。

きれいな花を見て、知って、新しい発見があった。
こういうときは、とても幸せな気分になれるのだ。

今日見たフリーマガジンの表紙は、奇しくも「ミモザ」の入ったリースであった。


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