ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

橋の歌~明日への希望の架け橋を集める…!?

2015-01-26 22:23:08 | うた
風が冷たい。
「北風がとても冷たくて 風邪をひいちゃいました」
というような季節になっている。
このフレーズは、森高千里の「渡良瀬橋」だった。

橋といえば、学生の頃、西島三重子の「千登勢橋」が好きだったなあ。
「千登勢橋から落とした 白いハンカチが
ヒラヒラ風に舞って 飛んで行ったのは
あなたがそっとサヨナラを つぶやいた時でしたね」
と歌うこの歌は、西島三重子の歌の中では、「池上線」と並んで好きな歌だった。

橋の名がつく歌といえば、「面影橋から」(及川恒平)があるなあ。
橋の歌というのは、ストーリー性があるものだ。
演歌なら新潟ゆかりの萬代橋が出てくる「新潟ブルース」などもあるけど、演歌はおいといて、CDやレコード、テープなど持っているものから、橋にゆかりのある歌を集めてみようか。
「面影橋」という歌なら、NSPも歌っていたっけ。
山口百恵も、堀内孝雄から提供を受けた「愛染橋」を歌っていたっけ。
そうそう、さだまさしの「檸檬」は、聖橋からレモンを放っていたのだった。
全くマイナーなところでは、神田広美の「真珠橋」、久保田早紀の3枚目のアルバム「サウダーデ」に入っていた「4月25日橋」なんてものもあるなあ。
4月25日橋という名前が不思議だが、「不思議な橋がこの町にある」と言って歌い出す浅川マキの「赤い橋」が、北山修の「ピエロのサム」というアルバムに入っていたはずだ。
「橋」といえば、岩崎宏美の火曜サスペンス劇場の3つめの主題歌だった。
1つめが「聖母たちのララバイ」、2つめが「家路」だったが、「橋」は、所属に関するごたごたであまり流されなかったという記憶がある。

ほかに、学生時代に聞いたものでは、谷村新司のアルバム「引き潮」にあった「暗い桟橋」。
桟橋も橋に数えるなら、石川セリの「霧の桟橋」もあった。
大好きな浜田省吾にも、アカペラで歌っている「ベイブリッジセレナーデ」があったぞ。
その歌が出たころに、佐野元春の「約束の橋」もあったはずだ。
橋と言えば、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」は欠かせないよなあ。
「明日に架かる橋」というまぎらわしい曲名が、レミオロメンの歌の中にあった。
「架」と「橋」いう字が入るのなら、あのアテネ五輪でゆずが歌った「栄光の架橋」は名曲だったなあ。
…こんなふうに、橋にゆかりのある歌を次々と挙げていったら、急に「言問橋」という歌があったことを思い出したのだった。
それで、昨日アップした「言問橋」につながるのであった。
結果、「言問橋」も入れることにして、80分間の「橋」のオムニバスCDを作った。
最後に、自分の持っているCDであまり聞いたことのない歌だけど、橋が付いているから、それを入れるとだいたい80分間になるという理由で、日暮しのベストから「木橋の上から」を入れて、完成。
全19曲。

01千登勢橋(西島三重子)
02檸檬(さだまさし)
03言問橋(クラフト)
04愛染橋(山口百恵)
05面影橋(NSP)
06 渡良瀬橋(森高千里)
07真珠橋(神田広美)
08約束の橋(佐野元春)
09 4月25日橋(久保田早紀)
10木橋の上から(日暮し)
11面影橋から(六文銭;及川恒平)
12ベイブリッジセレナーデ(浜田省吾)
13赤い橋(浅川マキ)
14明日に架かる橋(レミオロメン)
15橋(岩崎宏美)
16暗い桟橋(谷村新司)
17 霧の桟橋(石川セリ)
18栄光の架橋(ゆず)
19明日に架ける橋(サイモン&ガーファンクル)

最後は、明日への希望につながるように、希望への架け橋となるような願いを込めて、18、19番目の曲を入れたのだった。
なかなか楽しい曲集である。

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「言問橋」という名の歌

2015-01-25 18:23:10 | うた
「言問橋」。
橋の名がついた歌を集めていたら、この歌が気になった。
「僕にまかせてください」で有名な「クラフト」の曲だったが、この曲は、レコードでも持っていなかったし、カセットテープに録音したこともなかった。

もう40年近く前の歌である。
「アマゾン」で購入するか、と調べてみると、意外とないのだ。
中古CDでも3件しかない。
最安だと3,000円かからずに買えるが、そこまで出して買う必要があるのか、と躊躇した。

そこで、「言問橋」について、少し調べてみることにした。
「こととい」という名前が、どこか昔を感じさせるような気がした。
ウィキで調べてみると、
そうか。
古今和歌集の在原業平の歌か。
名にしおはばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと
だから、昔が感じられるのだ。

さらに、橋について調べていくと、言問橋は、隅田川に架かる橋だということである。戦争中の東京大空襲の際に、双方の岸の人々が「川向こうに行けば助かる」と思い渡ろうとしたため、橋上で合流してしまい身動きができなくなったところに、焼夷弾や猛火が降りかかり、たくさんの人々が、橋から次々と死体で埋まった隅田川に落ちていったという。
そのような事実も残っているのだという。
その橋を題材にしている同名の小説も見つけた。

「言問橋」(杉山隆男;文藝春秋社)。
アマゾンでなんと¥1(送料別)。
こちらは即購入。
還暦を過ぎた男の初恋の話だが、そこに登場する初恋の相手の真の母は、その惨事の犠牲者の一人だという設定であった。
主役は老舗の足袋屋を継ぐことが、相手はやがて老舗の料亭のおかみになることが決まっているという二人の出会いから始まるのだが…。

いろいろと知るようになると、「言問橋」のCDもやっぱり購入しようと思った。
注文して数日後、さっそく聴いた。
流行ったころは、「ニューミュージック」とか言われていたはずなのだが、「言問橋」の歌詞に表れる女性はかなり古風なのであった。

  二人遊んだ言問の 想い出ひろいに訪ねれば
  君は老舗のおかみさん 日傘をさして 
  乳母車に 倖せ乗せてゆく
  逢って別れて 別れて逢って 人の縁(えにし)の侘しさに
  この橋の上でめぐり逢う  ここは言問 言問橋

幼なじみの二人が大人になって、彼女は老舗のおかみさんとなっている。
和服を着て、乳母車に子どもを乗せている彼女とすれ違うのだが、
  なぜか忘れぬ人ゆえに 面影偲んで訪ねれば
  帯の匂い袋香おらせて 買い物帰りの急ぎ足
  僕に気付くはずもない
…気付かれずに過ぎていく、という歌だ。
いくら老舗のおかみさんでも、若い母親が「帯の匂い袋」を香おらせるなんて、今の時代にはないだろうなあと思った。
でも、「逢って別れて 別れて逢って」の繰り返しは、なんだか懐かしさをいっぱい感じる表現だった。

中古CD の購入を考えたことから、いろいろな発見があった「言問橋」であった。
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冬中RUNあり

2015-01-24 21:45:48 | RUN
新年第2週の土曜日にあった飲み会の夜中、急に頭痛に襲われて、一晩中痛かった。
翌朝の食事後、頭痛薬を飲んで痛みが鎮まるまで、ずうっと大変だった。
さらにその5日後、また飲み会があった。
前週のことがあったので、酒量は控えたつもりだった。
それなのに、今度は胃痛に悩まされた。
胃腸薬を飲んで寝たというのに、その夜通し胃が痛んだ。
不調の感じは、2,3日続いた。

そんな訳で、元旦マラソンを走ってからというもの、週末のたびに体調不良で走れずじまい。
でもねえ。走りたいんだよ。
様々なストレスもたまってしまっているから、発散させたい。
ところが、平日は、日中は雪が降るし、路上に雪が残っているところは多いし、まだ夕方陽が沈んですぐに真っ暗になってしまうし、そこへこの体調不良だ。
走るのによい条件がない。
…だけど、本当に走る人は走っているのだなあ。
帰宅途上の国道沿いだって、そんな悪路を走っている人をときどき見かけ、感心する。

今日は、体調も悪くない。
朝は、降雪のために地面に雪があったけれども、幸い天候も次第に回復。
青空となった午後から走ることにした。
息子がその前に走ってきたサイクリングロードを、自分も走ることにした。
天気はすっかりよし。サイクリングロードは、人がすれ違えるくらいに除雪してあった。

両側に除雪の雪山があり、一部雪上を走る必要性のあった道もあったけれど、気分よく走れた。
ところが、こんなふうに

道の両側に雪があるものだから、3km地点を示すポイントが雪に埋もれていたために、タイムの計測ができなかった。
4km地点の100m手前では、ついに、積雪で道がなくなった。

ここから先は、田んぼだから、冬は除雪はしないわけだ。
そこから引き返してきたが、帰路は久々に走る体には結構きつかった。
今日は、キロ7分くらいのゆっくり目のジョギングで通そうと思ったが、キロ5分台だったり6分台だったりした。
結果的に10km余り走ったのだが、ゆっくり走るのにも練習が必要だと痛感した。
久々だからゆっくり走る…と言うだけでは長い距離を走る力はつかないなあ。
ゆっくりでいいから長い距離を走る練習というのが自分には必要だ、ということが、当たり前のことかもしれないけれど、改めてわかったぞ。

いい青空だ。
走ったあとの爽快感。うん、最高だ。
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若さの持つ感性

2015-01-18 20:57:51 | 読む

【あかね色の風/ラブ・レター】(幻冬舎文庫)

前回のエントリーに、蜂さんから亜土夢選手の決断は、「若さの証明」だという内容の意見をいただいた。
最近読んだ本でも、若さについて考えたことがあったので、「重なるなあ」と思ったしだい。
その本とは、あさのあつこさんの「あかね色の風/ラブ・レター」(幻冬舎文庫)である。

あさのあつこさんの作品と言ったら、なんと言っても「バッテリー」が有名だ。
青春小説が多く、若者の心のありようの表現がうまいなあと感心することが多い。
そして、人はここまで考えて生きているのかな、などということも思ったりする。
周囲の風景の描写と人の心情とが、きらきらと輝くように実にうまく表現できているのだなあと思うのだ。
先日、BOOKOFFで、「あかね色の風/ラブ・レター」を108円で見つけ、この前読んだ。
それぞれの話で、主人公は、小学6年生と小学5年生の少女である。
小学生高学年の女子の感じ方って、こんなかなあ…と多少の不思議さも感じながら、登場する少女たちの心情の表現に感じるものが多かった。
その感情のみずみずしさに、大人とは違う心のあり方を感じた。
そういう感性は、かつての自分も持っていたはずなのに、失ってしまったということなのだな、そういうものがたくさんあるのだな、と思ったのだ。

読後面白いなと思ったのが、作者あさのさん自身のあとがきだ。


 そんな少女の凛々しさをなぜ、忘れていたのだろう。忘れていた自分と凛々しいまで息づく少女たちの間に横たわる距離の果てなさに唖然とする。
 歳をとっちゃったな。
 そう思う。思いながら、しかし、少女たちに揺さぶられる心がまだ、わたしにも残っていると、息をつく。


作者自身が、自分が書いた少女たちに、未熟な若さのもつ鋭さを改めて教えられているのだ。
そうなのだよなあ。
自分なんかも、若い頃には持っていた感性が、いつの間にかなくなってしまったり色の薄いものになってしまったりしている。
でも、あさのさんではないけれども、そういう自分に気がついたり、錆びついていわいるけれどもまだまだ昔ながらの自分が残っていることを感じていたりもできる自分もいるのだ。
見た目にも歳はとってしまっているとわかる自分。
体のあちこちにガタがきている自分。
そんな自分だとは知っているけれども、自分だけが持っている、若い頃からの感性はまだ残っているものがある(はず)。
そして、それを、これからも大切にしていきたいものだ。

改めてそんなことを感じさせてもらった一冊であった。
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田中亜土夢選手の電撃退団に驚く

2015-01-12 21:41:56 | アルビレックス新潟


なんだって?
退団?

びっくりした。
サッカーJ1アルビレックス新潟で不動のレギュラーとなり、10番を背負っていた田中亜土夢選手が、「契約満了に伴い退団」という報せが届いたのだった。
亜土夢選手は、新潟市出身の27歳。
必死な姿、献身的なプレースタイルは、新潟人たちが、皆、心の中で拍手するほど好きだったと言っても過言ではあるない。
「ミスターアルビレックス」と呼ばれた、胎内市出身の本間勲選手がJ2栃木に完全移籍したことによって、今季からは、亜土夢選手が新潟の顔となって活躍してくれるであろうと期待していたのに。

以下は、本人のコメントだ。

この冬、どうしても海外で挑戦してみたい、さらに成長したいという思いが強くなり、このような決断をしました。
高校生の時から10年間アルビレックス新潟の選手としてプレーできたことを誇りに思います。
背番号10を背負うまでには時間がかかってしまいましたが、アルビレックス新潟と共に成長できたと僕は思っています。
ここまで、僕とアルビレックス新潟に関わってくださったみなさんに感謝しています。
本当にありがとうございました。
そして、これからもアルビレックス新潟と田中亜土夢をよろしくお願いします。

今週末には新チームの激励会が予定され、すぐに新チームの活動が始まるというところまで来ていた。
それなのに、この時期に及んで…と、新潟のサポーターは誰もが思ったと思う。
しかも、退団した後の所属先がまだ決まっていないという。
昨冬は、ドイツ2部のチームの練習に参加してきたというが、どこか行くあてがあるのだろうか?
人生には、ここが転機だ、という時が必ずあるものだ。
亜土夢選手にもあったのだろう。
海外挑戦の意欲が高くても、乞われていなければ、落ち着く先もないだろう。
プロ野球阪神タイガースの鳥谷選手も、メジャー挑戦の気持ちが強かったのだが、移籍先が決まらず断念したということだ。
野球は、日本選手の位置付けはまだ高いだろうが、サッカーでは、亜土夢選手はさほど著名ではない。
この結果が、どうなるのだろうか?
新潟の顔ともいうべき存在の選手であった。
来季も欠かせない存在であった。
その選手が、ある種、自分のわがままでいなくなってしまうとも言える。
新潟を応援する身としては、少々つらい。
新しいシーズンにこの人を応援したいという人が、急にいなくなってしまったなんて…。

ただ、人生は一度きりである。
自分の人生は、自分で切り開いていくしかない。
まして、サッカーというスポーツは、若い時にしかできないことである。
退路を断っての挑戦である。
後悔しない。
その勇気が、彼の人生に幸福と幸運をもたらしてくれることを、同じ新潟人として祈っている。
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「旅に出たい」歌を集めてオリジナルCDを楽しむ

2015-01-09 21:38:36 | うた
年が明けてから、もう10日目。
今週の初めには勤務も開始。
今日はやっと今週の勤務が終了。
ほっとしたところだ。
新潟は、今週もずっと冬型から抜け出すことなく、晴れ間も少ない1週間であった。
娘は、今週は咳き込むことが多く、夜中に咳が続くものだから、妻はなかなか熟睡できないでいる。
娘の咳に加えて、時々私のいびきまでやかましいものだから、妻は寝不足が続いているようだ。
いつ発作が起こるかわからないということから、妻は日中もずうっと気を張らせている。
私からすれば、そちらの方が大丈夫かと時々気になってしまう。

以前は、ストレスがたまりそうなときは、どこかへ宿泊付きでお出かけしていたのだが、今は、娘のことが心配で出かける訳に行かない。
娘に、発作の心配がなければ、どこへでも連れていくのだが、今はまだその心配は続いている。
医者からも、どこかへ連れて行ったりすると、それが刺激になって発作を起こすかもしれないから、出かけたりするのは控えた方がいい、と言われている。
だから、娘が退院して自宅療養に入った9月から、お出かけはままならない。

旅に出たいなあ。
そう思って、旅に出たい気持ちを表した歌を中心に、旅に出る歌を集めることにした。
先日、「旅に出よう」と名付けたオリジナルCDを作った。


1旅でもしようか(大塚博堂)
2旅に出たい(田山雅充)
3旅仕度(小椋佳)
4旅立つ秋(荒井由実)
5ケンとメリー(BUZZ)
6旅立ちの朝(BUZZ)
7旅(赤い鳥)
8旅立つ想い(南こうせつ)
9南の街へ(BUZZ)
10哀しみのバラード(根田成一)
11旅の午後(風)
12加茂の流れに(かぐや姫)
13岬めぐり(山本コーターローとウイークエンド)
14旅路(山崎ハコ)
15風は旅人(赤い鳥)
16風をあつめて(はっぴいえんど)
17 風(はしだのりひことシューベルツ)
18 さすらい人の子守唄(はしだのりひことシューベルツ)
19 大いなる旅路(小椋佳)
20 車窓(久保田早紀)
21 君が旅に出ると言った時には(小椋佳)

私が選ぶのは、どうせ1970年代や1980年代のものになる。
「スタンダード」と言われるものも少しはあるが、結構マイナーな曲が多いかもしれない。
選んだものには、70年代や80年代に出たアルバムの片隅に入っていた曲も少なくない。
それが、個人の好み、こだわりというものなのだ。
こういう楽しみ方もいいだろう。

聴いてみると、2曲目の「旅に出たい」と5曲目の「ケンとメリー」、11曲目の「旅の午後」は、2人で旅に出る歌だけど、それ以外は、主役が男であろうと女であろうと、一人旅の内容なのが、自分でもおかしい。
まあ、ほかにも松山千春の「旅立ち」とか、小室等と六文銭の「出発の歌」とかを入れてもよかったのだけど、今回は、自分の今の気持ちと好みが合わないので入れるのはやめた。
好みの問題で、演歌っぽい曲にも候補がたくさんある(例えば「みちのくひとり旅」など)けど、入れていない。

いつかまた家庭の事情が好転したら、ゆっくり旅に出かけたいなあ。
そういうことができる日を夢見て暮らしている今である。
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今年も、元旦マラソンで好スタート!

2015-01-02 16:29:51 | RUN
あけましておめでとうございます。

一年の計は元旦にあり。
今年も、一年のスタートを、村上市元旦マラソンへの出場にした。
息子とともに(元旦にしては)早起きして、餅を食べ、車で村上市へと向かう。
前日夕方から、県内には暴風警報や暴風雪警報が出たりして、元旦マラソンの開催が不安視されたが、朝起きると、風はおさまり、積雪量もこの辺にしては大したことがなかった。
首都圏であれば、「大雪」であったかもしれないが。
日本海東北道に上り、インターを降りると、村上市の方が雪が多い。
あちらこちらで除雪車が動いていた。
元旦早々から、皆さんのために除雪ご苦労様です。
そう思いながら、会場に到着、近くの駐車場に車を留めた。

会場の近くで、Nさんに会った。
Nさんは、過去数年椎間板ヘルニアに悩まされていたが、昨年復活して再び走り始めたのだった。
新潟シティマラソンでは、私と同じくハーフを走り、私よりも9分も早くゴールしている方だ。
同年代だというのに、復活したばかりなのに速いよなあ。

第60回を数える村上市元旦マラソンのゲストランナーは、この人。

1991年の東京マラソンで優勝して、翌年のバルセロナ五輪で転倒しながらも「こけちゃいましたよ。」の名言を残し、8位入賞した谷口浩美さん。

開会式での話によると、谷口さんが日体大時代、箱根駅伝で優勝した時に6区を走り、次の7区を走ったのが、現在、地元村上市の県立村上桜ヶ丘高校陸上部監督の先生なのだそうだ。

そんな縁でここへ来てもらえたのか、とわかった。
開会式後、しっかり列に並んで、息子も私も、谷口さんとツーショットで写真を撮らせてもらった。

体は意外と小さく、顔は日に焼けて真っ黒。
でも、いつもにこにこしていて、いい人柄を感じた。
握手もしてもらった。

さて、レースは、11時から。
今日の気候は、くもり時々雪。
道の両側には雪があり、道端には雪。
消雪パイプから出た水であちこちに水たまりがある。
特に、横断歩道の白いペンキ上などは非常に滑りやすい。
滑らないように気をつけなくては。
スタートラインに並んだら、2か月前に胎内市ロード大会に共に参加し、写真を撮るなどしたSさんがいて、再会を喜んだ。
今回の私の目標は、10kmをキロ5分を切って走り、50分かからずにゴールすること。
そして、可能ならNさんやSさんより早くゴールすることを、新しい目標に加えた。

スタートしてみると、Sさんの走りがやけに速く感じた。
でも、このくらいならまだ付いていけそうだと思い、走った。
やがて、逆に少し遅く感じるようになって、思い切って抜いた。
それでも、最初の1kmは5分6秒。
調子に乗って、もう少し速く走ることにした。
2kmまでの1kmを4分43秒、3kmでは4分46秒。4kmではなんと4分31秒。
5kmの折り返し近くに谷口さんが立っていてくれて、ハイタッチ!
そのせいで、5kmでタイムを計測し忘れた。
でも、29分を切っているのは確か。
苦しくても、まだ余力があるし、まだいけそうだ。

10kmは、今まで走ったコースをもう一度走る。
コースはわかるが、結構しんどい。
後ろから来たランナーに、次々と抜かれていく。
こうなると、自分が遅くなったイメージがある。
しかし、6kmから7kmへの1kmはまだ4分55秒。
8kmで4分56秒と、5分割れしていない。
ようし、と思ったら、左脚の付け根が、ピリッとし痛みが走った。
あ、痛っ!
あと2kmなのに、走れるのかな?と不安になったけれど、歩幅を狭めてなんとか走り続けた。
逆にキロ4分44秒とペースが上がっていた。
あと1kmを過ぎたあたりで、背後から「やっと追い付いたよ。」という声とともに、Nさんが、あっさり私を追い越して行った。
Nさんのスピードは、もう私が抜き返せるものではなかった。
必死で腕を振ったが、差は広がるばかりだった。

ゴール。
Nさんより7秒遅れで、順位はNさんの次。
順位は、50歳代男子では完走者80人のうち、2人とも上半分には入っていた。
記録は、48分台の半ば。
いいじゃないか。
去年や一昨年の記録に比べて1分以上早いぞ。

そして、私より40秒ほど遅れてSさんがゴール。
レース前の目標は、3分の2を達成!?

Sさんからは、「速いね。」と言ってもらえ、「では、また。」と別れた。
Nさんとは鮭汁をすすった後、写真を撮って、別れた。
息子も、5kmで自分なりによい走りができた、と満足していた。

新年第1日。
私と息子は、こうして元旦から走ることができた。
妻と娘も、家でごく普通に元旦を過ごすことができた。
まずは、2015年のよいスタートが切れた、と思っている。
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