2005年に出た本、もうそんなに前になってしまう本だったか。
当時は、書名の「見た目が9割」というフレーズと、帯の「理屈はルックスに勝てない」を見ただけで、読む気は失せていた。
「見た目がよければいい」なんて容姿の話なんだろうか、興味ないなあ、と思っていた。
今回、本書を手に取る機会があって、読んでみた。
外見や容姿の話かと思ったら全然違っていた。
コミュニケーションの話だった。
特に、日本人独特のコミュニケーションに関するものだったので、私には非常に興味があった。
筆者は、言葉以外の情報すべてをひっくるめて、「見た目」と捉えて論を展開していた。
著者が最初に主張していたのは、「言語以外の伝達」にもっと目を向けるべきだということだった。
それは、話の内容より、誰が言ったかの方が、説得力に違いがあったりするからだ。
だから、「話し方」を勉強するより、一生使える「見栄え」を身につけた方が得、と主張する。
その、言葉によらないコミュニケーションを「非言語(ノン・バーバル)コミュニケーション」と呼び、そのコミュニケーション力を高めようというわけだ。
筆者は、マンガ家でもあり、演劇にもかかわっている。
それらの経験から、心理学、社会学からマンガ、演劇など、様々な知識を駆使して、日本人のための「非言語コミュニケーション」を説いている。
つま先の向きが、相手の方を向いていれば関心を持ってくれている証拠。
あさっての方向を向けば、興味がないということ。
言葉で嘘をつくのは簡単だけど、その行動や仕草で本心が分かる。
また、髭をはやしたりサングラスをかけたりするのは、自信がない証拠とも言っている。こういう具体例が多いのは説得力がある。
本書の中には、マンガにおける表現の効果的な技法についても、イラストを交えながら述べているのが面白い。
マンガの表現技法を飛躍的に発展させたのは手塚治虫、大友克洋、水木しげる、白土三平らとしてその手法を紹介したり、人物の内面を背景で表現するために、スクリーントーンを使ったりしていることを具体的に示している。
なるほど、日本のマンガのレベルが高いわけだ。
後半には、日本人のノンバーバル・コミュニケーションの大切さを述べているが、そこはまぎれもなく日本人論・日本文化論になっていて、興味深かった。
私の大学で書いた卒論は、「日本語と日本文化」に関するものだったから、重なる部分があって、懐かしく思い起こしながら読んでいた。
特に、文化人類学者の石田栄一郎氏の説が紹介された辺りはそうだった。
懐かしいな、氏の「日本文化論」読んで、参考にしたのは。
狩猟採集の文化から、弥生式農耕文化で定住するようになった時代から、日本人には語らずに察する文化が形成されていったというのだったなあ、などと思い起こしていた。
そんな日本人の文化の特徴として、筆者は、
「語らぬ」文化、「わからせぬ」文化、「いたわる」文化、「ひかえる」文化、「修める」文化、「ささやかな」文化、「流れる」文化
などを挙げ、日本人は無口な中でおしゃべり、つまりいろいろな伝え方をしているのだと説いている。
やんわりとした伝達の表現例に、京都にはぶぶ漬けを出して「そろそろお引き取りを」というサインを表す習慣もあるとしている。
コミュニケーションと言えば、言語によるものと考えがちだが、日本では単に弁舌が立つ人がコミュニケーション力が高いとは言われない。
幅広いノンバーバルコミュニケーションを操れる人ほど、コミュニケーション力が高いと言えるのだ。
日本人の表現力、日本人らしい表現力、日本の中で生きていくための表現力、そういうものがあることを再認識した。
20年近く前に出た本だったが、売れた理由がある、日本文化論の佳作。
意外と面白い1冊だった。