ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

「フキの唄」(吉田拓郎)を改めて聴く

2019-05-31 22:53:54 | うた


先日、埼玉で庭の草刈りをした時、フキだけは食べられるから、と刈り残した。
刈り残したフキは、全部ではないがよさそうなものを妻が茎を切って、新潟に持って帰った。
そのフキを調理するのに、筋を1本1本むいて食べられるようにするために妻は悪戦苦闘していた。
その結果、きゃらぶきや煮物にして、しっかりいただいた。

今でこそ抵抗なく食べられるようになったが、子どもの頃はフキが大きらいだった。
家の裏にはフキが生えていて、よく母がみそ汁の具に使ったものだ。
独特のあの匂いやえぐみがどうしても嫌いだった。
フキをくわえ、ストローのようにしてジュルジュルとみそ汁を吸ってしまうと、最後に地獄が待っていた。
かなり大きなフキだけが、とても食べられないような量、汁わんに残されているのであった。
食べ物は粗末にしない、出されたものはすべて食べる、というのがわが家のしつけであったから、鼻をつまんで泣き泣き食べたものであった。



吉田拓郎が10年近く前に出したアルバム「午前中に…」には、「フキの唄」というのが収録されていた。

僕はフキが大好きです  毎日でも食べたくなる
フキは茎だけでなく 葉っぱもとてもおいしくて

こんな歌詞があった。
これを聴いて、いやあフキは好きではないし、毎日食べたくはならないなあ…と思ったものである。

ただ、もう一度よく歌詞を聞いてみると、こんなことも歌っていた。

僕が子供だった頃 日本は貧しくひ弱で
お金もなく肩寄せあって生きていた
物が足りないのはみんな一緒だし普通だし
何よりも平和が大切でありました

そうなのだ。
貧しいからこそ、おいしくもないフキのみそ汁が結構連続して出てきていたはずだった。
この歌は、最後にこう歌っている。

人が生きる道もまた おいしい事ばかりじゃない
足りなくて 満たされぬ日が多くある
何かが足りない時も その事を受け止めたい
何もかも 求め過ぎずに おだやかに


…そうか。
吉田拓郎も、手放しでフキが好きなのではないのだな、とわかる。
なぜなら、「人が生きる道もまた おいしい事ばかりじゃない 足りなくて 満たされぬ日が多くある」と歌うからだ。
フキを食べても、足りなくて満たされぬ思いをしてきたのだ。
それでも大好き、ということで足りないことを受け止めて生きてきたのだな、と気付く。

何もかも 求め過ぎずに おだやかに

このフレーズは、今の自分の心境と重なっているなあ…。
改めてそう感じる「フキの唄」である。


今夜も、フキと麩の煮物をおいしくいただいた私でした。


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キツネアザミ ~トゲのない、やさしいアザミ~

2019-05-30 22:05:52 | 草木花
この時期、道ばたの雑草の背丈がずいぶん高くなってきた。
そんな中でも、その雑草たちのやぶから、にょきっと茎を伸ばして特徴的な紫の花を咲かせている野草がある。
それが、これ。

ノアザミである。

特徴的なのは、背丈だけではない。
花の咲き方も、まるでアフロヘアのようである。
さらに、茎や葉などにトゲを有し、うかつにさわると痛い目にあう。


埼玉にいるときに、田や普通の道端にもアザミは咲いていた。
ところが、である。
あちらで見かけたアザミには、トゲがない。
葉もギザギザしていない。
花も、ノアザミのようなアフロっぽくなく、お行儀よく可愛い感じであった。

あまり見かけたことがなかったので、妻に「この花、アザミに似ているけど、何?」と問いかけたら、「子どもの頃、これをアザミと呼んでいたよ。」との返答。

へえ~、そうだったのか。
そう思いながら、新潟に帰って来て道端を見ると、やっぱりこちらにはノアザミしかないなあ。
では、埼玉のアザミのようなものは何だったのか?
調べてみると、どうやら「キツネアザミ」らしいと分かった。


キツネかあ。

私は、自画像によくキツネの絵を書くから、

何か親近感が湧いてきた。
トゲもなく優しい感じがするアザミだ。


いつ頃まで咲いているのだろうか。
次に埼玉に行ったときも、咲いているのが見られるかなあ?

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娘よ(92) ~あの日と同じ日にち、同じ曜日~

2019-05-29 22:29:14 | 生き方
今朝、テレビで今日は「呉服の日」だと言っていた。
「こんにゃくの日」であることは知っていた。

今日は、5月29日水曜日。
あの年も、5月29日は、水曜日だった。

朝から頭が痛いと言っていた。
それでも、4月から勤め始めた新しい職場を休むわけにはいかない、と出かけて行った娘だった。

その娘が職場で倒れた、という電話が当時の勤務先に入ったのは、午前中だった。
けいれんを起こし意識を失くして救急車で病院に運ばれた、ということだった。
病院から遠くない所に勤めていた妻と息子は、それぞれの職場から急きょ休みをもらって病院に駆けつけていた。

私は、午後遅くになってから病院に駆け付けた。
妻と息子だけではなく、けろっとした顔で娘もいて、4人で医師からおそらくこういうことだろう…と説明を受けたのだった。
ただ、再び軽いけいれんを起こしたし、原因も分からないので入院して様子をみましょう、と言われたのだと覚えている。

ただ、そこからが大変だった。
信じられないような、悪夢のような出来事が真実として何度も娘を襲ったのだった。

…あれから、6年…!
早いものだ。
すでに、妻も私も、もう退職している。
時間の流れがそこにある。
しかし、娘は、まだ入院以前の状態には戻っていない。
朝晩10錠を越える薬を相変わらず服用している。
障害を負っているのだから、そういう人たちが働いている作業所に行かせればいい。
そういうことを助言する人もいる。
いや、それは違う。
身の回りのことが自分でできるまで回復しないうちに作業所みたいなところに行ったって、ぼーっとしているだけだし、変な緊張が起こる場において体調の急変を起こしたりしてはいけない。
…そう考えて、家で様々なリハビリを続けてきている。

朝、毎日バイタルを計測してから、声を出して、決まった詩を読む(暗記する)。
新聞のコラム(天声人語のようなもの)を音読し、内容を確認する。
手足のストレッチをしたりスクワットをしたりして、体の動きをよくする。
脳トレの問題を毎日何問か行う。
3,000歩以上の散歩をする。
毎食後の食器洗いを行う。
可能な範囲で食事つくりや食卓の準備・手伝いをする。

こんなことの繰り返しと継続によって、ふらふらしていた足元はしっかりして、よろめいたりすることはなくなった。
脳トレの問題解きも、発病以前から常識不足だったので(?)できないことも多いが、反応はだいぶまともになっている。

今日は、歩く活動の一つとして、少し遠めのドラッグストアに買い物に行った。
そこに雑誌売り場があり、ある雑誌の表紙は中村倫也だった。
「この人、『半分青い。』に出ていたよね。なんていう役だったっけ?」
と、娘は私に聞いてきた。
1年前に出ていたドラマの役など、私も忘れてしまっていた。
「忘れたよ。」と答えると、今度は、「主役の永野芽郁がやった女の子の名前は何だっけ?」と聞く。
「鳥の名前だったよね。」
「あっ、すずめ(鈴愛)だった。…けど、鈴愛の苗字覚えてる?」
「うーん、オレ、それは忘れているよ。何だっけなあ。」
そして、しばらくしたら、娘は、
「思い出した。にれの(楡野)だよ。そして、律(りつ)の苗字はね…。」
「何だ?」
「はぎお(萩尾)だよ。」
「すごいな、お前。オレも思い出せなくなっているのに、よく思い出せたな。」
「へへへ…。すごいでしょ。…でも、あの表紙の人、なんて役だったかなあ…。」

…こんな会話をして楽しむことができた。
まだまだ同じことを何回も聞いたり、すぐに忘れたりする方が多いが、少しは積み上げもあるようになってきた。

日にちも曜日も同じ5月29日。
あれから6年たった。
娘本人は忘れていることが多いのだが、すぐそばで見てきた家族にとっては激動の日々だった。
6年か…。
そうしみじみ思うのである。
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東京五輪チケット申し込み最終日

2019-05-28 20:38:27 | スポーツ
東京五輪の、インターネットによるチケット申し込み最終日。
オリンピックが再び日本に来るなんて、思いもしなかった。
「TOKYO!」
と開催が実現した頃は、「ああ、赤字国債なのに、また税金が無駄に使われてしまう」と快く思わなかった。
しかし、日本開催は変わらない。
だから、どうせ行われるのなら、自分たちも東京五輪を自分たちなりによいものにしないと、と考えるようにはなった。
チケット!?
あまり興味がないなあ…とは思っていたものの、せっかく世界の一流選手の技術や戦いが見られるのなら、少しでもそれを自分の目で見てみたいものだと思うようにもなった。

今日は、チケットの申し込み受付の最終日。
オリンピックに、やっぱり行けるものなら行ってみたい!
という欲求が強くなってきて、駆け込みでインターネットの申し込みをしてみた。

まあ、せっかく申し込んでも抽選に外れる確率が高いだろうから、当たることは期待しないでおくことにする。


…それにしても時代が変わったものだった。
1964年に東京オリンピックが開かれた頃、私はまだ小学2年生だった。
しかし、この時代は、自分の目で見に行くというのではなかった。
「オリンピックをテレビで見よう!」というスローガンに似たものが当時の日本にはあったように思う。
実際に見には行けないだろうけど、テレビで見れるようにしよう。
…ということで、白黒テレビの普及率が相当高まったのだった。
かくいうわが家でも、その前年に、何か月ものローンを組んで父がテレビを買ってきた。
白黒でしか見ていないのに、開会式での日本選手団の赤いスーツ姿が思い出されるのは、その後、記録映画等で様々に見たせいだろう。

「戦争からの復興」が1964年のオリンピックのテーマだった。
まだまだ豊かではなかったから、五輪観戦に行く気になるなんていうのはなかった。
今の時代は、そうではない。
開会式だけで30万円なんていう席があるのには驚いたが、全体的にチケット代として金額が高すぎる。
競技でも、わずか1時間半しか観戦できないのに数万円もする席が多い。
それでも、インターネットで申し込み、そして抽選だという。
時代が変わったなあ…。

当たり前だ。
1964年から何年経った!?
55年、半世紀以上だぞ。
あの時小学校低学年だった私が、還暦を越えて久しいのだから。
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運動会は大キライだった

2019-05-27 22:08:54 | RUN
「お母さん、やったよ。ぼく、今日ね、運動会の練習で4位になったんだよ。」
玄関に走りこんで来た少年は、めったにない喜びに息を弾ませて叫んだ。 
「あらそう、よかったねえ。4位になって。…ところで、何人で走ったの?」
「5人!」
「ええっ、………!?」

…これは、今から50数年前の、子どもの頃の私と母の会話。

今でこそ大男の部類に入る私だが、当時はもやしのようにひ弱な子だった。
運動が苦手だった私。
だから、運動会は、行事の中で一番嫌いなものであった。
特に、走ることでは、このように最下位にさえならなければ、喜びにひたることができたのであった。
当時は、1等賞で大判のノートを、2等賞で中判のノートを、3等賞で鉛筆をもらえるから、周りの同級生たちは張り切っていた。
ノートをもらえず「3等の鉛筆なんかいらねえよ。」と吐き捨てる同級生のそばで、うらやんで横目で見ていた私だった。

娯楽の少なかった(?)昔は、老若男女、集落じゅうの大人たちが集まり、運動会を観戦しに来た。
大勢が見ている中、毎年徒競走で最下位を独走する姿を見られるなんて、子ども心につらくて仕方がなかった。
「脚の速さなんて決まっている。走る前から順位なんてわかるのに、どうして徒競走なんてやるのだろう。」
…そんなことを思い続けた6年間であった。

走ることが嫌いになったのは、人と競争させられるからだ。
それによって優劣が付けられる。
そのことは、子ども心に大きな傷をつけるのだ。
本当につらかったなあ。

今は、他の人と比べられるために走らなくてもいい。
自分の好きな速さで走ればいいのだ。
だから、走ることが好きだ。
人と競わずに、走ることそのものを楽しめるようになった。
特に、ジョギングはランニングと違うから、歩くよりも遅くたってもいい、気持ちよく走ればいいのだ。

この土日には、真夏日の中、多くの小学校で運動会が行われたことだろう。
そう思ったら、子どもの頃の自分を思い出した…。
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青い瞳に魅せられて~ニワゼキショウ~

2019-05-26 20:58:10 | 草木花
さきたま古墳公園に行ったとき、足元にたくさん咲いていた花があった。
たくさん咲いてたと言っても、足元だからそんなに大きな花ではない。
1~2cmの小さな花だ。

その花は、これ。

ニワゼキショウだ。

白あるいは赤紫の花びらで、その中央に紫のたて線が入っている。

そして、中央部分が黄色い。

今回見つけたものたちは、公園内の草地に群生していた。
1つや2つで咲いているのではなく、まとまって咲いていた。
今までは赤紫のものを多く見て来たのだけれど、今回目が魅かれたのは、白花の方だった。

1つの花でも、白、紫、黄色の色が非常にあでやかに感じた。

意外にも、アヤメ科ニワゼキショウ属の多年草なのだそうだ。
アヤメ科であることを示すように、漢字では「庭石菖」と書く。 
英名では、「blue-eye grass」という素敵な名前をもつという。


その青い目に、すっかり魅せられてしまったよ。
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まずいぞ!J2新潟、1点差ばかりで3連敗

2019-05-25 22:29:22 | アルビレックス新潟
サッカーJ2リーグ第15節。
首位との差がどんどん離れていく。
この状況はきつい。
目の前の相手がどこだろうと、勝ち続けるしかない、という厳しさの中、今日のアウエー戦の行先は沖縄。
FC琉球が今節の相手だ。

今季J3から上がってきた相手。
海を渡って沖縄まで行って対戦するのは初めてのはずだ。
2季前まではJ1にいた新潟としては、簡単に負けるわけにはいかない。

新潟の左サイドバックには、4月下旬以来久々に渡邉泰基が入った。
その代わりと言っては何だが、最近好調だった小川佳純が現地でけがをしたということで、ベンチ入りメンバーが一人足りないゲームとなった。

試合は、新潟が攻勢で始まったが、初めて与えたFKが、新潟の選手に当たったこともあり、先制を許してしまった。

その後は、新潟にとってストレスのたまる判定が続いた。
そのことは、解説者も言っていた。
新潟のファウルは取られるが、相手琉球のファウルは取られないことが多い。
新潟サポーターの前でアウトに出たボールを、主審がくつがえしてしまったりもした。

そんな歯がゆい試合が続いたが、後半攻勢に出ていた新潟の攻撃が、83分についに実を結ぶ。
川口のシュートがGKに弾かれたところを、詰めたレオナルドがゴールに蹴り込んだ。
同点!
まだ時間はある、さあこれから逆転だ。
…と、新潟の攻撃の時間が続いていたのに、86分、たった一度相手に攻撃されたときに、交代したばかりの琉球FWに決められてしまった。
1-2。
この後も不可解な判定があったこともあるが、追いつけず、3連敗となってしまった。

…順位は、どんどん下位に沈んでいく。
首位とは勝ち点で倍近くはなされてしまった。
もうシーズンの3分の1以上の試合が終わったというのに、浮上の気配がない。
簡単に相手に点をやり過ぎて、自分たちで苦しい試合をしているようにも見える。

奇しくも、更迭された片渕前監督が言っていた。
「負けを減らすことが、まずは重要だ」と。
なのに、ここのところ1点差負けばかりで3連敗。
不用意な失点が多すぎる。
さて、どうしたものか…。
何連勝無敗という奇跡はなかなか起こらないものだがなあ…。


沖縄まで応援に行った皆様、お疲れ様でした。
応援は、よく響いていました。
ありがとうございました。
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埼玉(さきたま)古墳群を訪ねる

2019-05-24 21:47:58 | お出かけ
今週埼玉で様々な作業等にがんばったご褒美(?)としてお出かけしてきた。
行き先は、ここ。

埼玉県の県名ゆかりの地。
国指定遺跡の埼玉(さきたま)古墳群のあるさきたま古墳公園である。

ここには9基の大型の古墳が集まっている。

円墳の丸墓山古墳、前方後円墳の稲荷山古墳・二子山古墳など、一つ一つを歩いて回りながら昔に思いをはせてきた。


新潟県内にはこのような大規模な古墳群は見られない。
数年前に発見された胎内市の大塚山古墳は非常に小さいものであった。
今日の古墳群は、さすがにどれも大きくて、見ていてとても興味深かった。

「埼玉」の県名発祥の地にふさわしい規模の大きな古墳群であった。
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草刈りに奮闘

2019-05-23 22:00:18 | 生き方
河川敷のマラソンロードが矢車草の花畑のようになっていてびっくりしたが、植物の成長は早い。
埼玉に来るのは、土地や家屋の維持管理が本来の大きな目的である。
この家の周囲でも、植物の成長の早さに驚いていた。
雑草の伸びのすごいことすごいこと!
ほとんど何も生えていなかった所が、見事に雑草園に変わっていた。
来た翌日、さっそく鎌を持って草を刈り始めたら、ドジな私は、鎌で左手人差し指を切ってしまった(+_+)
それでも絆創膏を貼り、それを血で染めながらもだいぶがんばって刈り続けた、健気な私なのであった。

【ここまでがんばった】

そして、それから3日。
傷もだいぶふさがってきたので、今日はその続きを行った。
今日はふきやキクイモが生えているところを注意深く刈らないように配慮しながら3時間近くがんばったのだ。

だいたいきれいになったぞっと。

熱中症のニュースが流れた今日だったが、われながらよくやった。


…ところで、草かぶれに弱い私。
大丈夫だろうなあ…。
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走りも花見も楽しめてサイコー!

2019-05-22 21:59:24 | 草木花
昨日のお約束通り、今日はやることが一段落してから河川敷のコースを走りに出た。
5週間前には満開だったこだま千本桜も、葉があおあおと繁っていた。


河川敷を走ると、やはりあちこちで矢車草が咲き誇っていた。

青い花が中心だが、本当にたくさん咲いていて、すごいと思った。
今まで、自然にこれだけ矢車草が咲いているのは見たことがなかった。

花見が好きな私、今日は体が重く感じたこともあって、ジョギング時々花写真撮影となってしまったのだ。

クサフジがまだまだがんばって紫の花を咲かせていた。


ツルマンネングサが橋の下に固まって咲いていた。

この黄色い花が咲くなんて少し早いなあ。

木の花も見かけた。
これは、見覚えがある。

センダンだ。

気になったのが、これ。

道沿いにたくさん見かけた。

ジュウニヒトエかなあ?
今度調べてみよう。

…こんな風に、場所が違うとRUNで出合う花も違う。
RUNも花も楽しめる。
これって、サイコー!!
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