森永卓郎氏。
今年の1月に亡くなって初めて、自分と生まれ年が同じだったことを知った。
政治や経済についての専門家だが、歯に衣着せないコメントを出していた印象があった。
だから強いイメージがあり、なんとなく敬遠していた。
図書館では、「健康」というジャンルの本が並ぶコーナーに、本書「がん闘病日記」はあった。
2024年7月1日初版発行の本である。
すい臓がんでステージ4と診断された著者が、どのような闘病の仕方をしたのか、少し気になったので、読んでみることにした。
「がん闘病日記」というタイトルではあったが、がんとの闘病について書かれてあるのは本書の前半部分であり、後半部分は森永氏のここまでの人生の変遷とその人生観について書かれてある本であった。
がん闘病に関しては、余命4か月の宣告を受けてからのことが、それなりに詳しく書いてあった。
抗がん剤を使った治療が体質に合わず、体調不良を起こしたということ。
すい臓がんから原発不明がんと診断が変わったこと。
書きたい原稿の執筆とゼミの1年生たちへの指導のためと考えて、半年の延命治療を選択したことなど。
また、全国からいろいろな治療法の連絡が来たが、鵜呑みにせず一つ一つ論理立てて効果を検討するのは、さすがアナリストの姿であった。
だが、「闘病日記」というタイトルだが、「日記」のイメージではなかった。
おおまかな経過とそれに対する自分の考えや行動の記録であった。
読んでいて自信に満ちて堂々とした話の進め方は、森永氏の著書は今まで読んだことはなかったが、この人らしいと思ってしまった。
その自信等は、後半部分に述べている森永氏がたどってきた人生経験を読むと分かってきた。
本書の第5章の章名は「今やる、すぐやる、好きなようにやる」である。
つまり、やりたいことは、あと回しにせずにすぐに自分の好きなやり方でやるということを実践してきたということだ。
それをモットーにして成功体験を積んできたから、自信をもって語れるということなのだ。
大変な仕事を遊びととらえて、楽しくやってきた人なのだ。
お金を増やすために仕事をしてきたのではなく、楽しく興味のあることに全力を挙げて取り組むという仕事のやり方をしてきた人だった。
今まで氏に関しては、金>仕事の人だと思っていたが、仕事>金の人だったと自分が誤解していたことを知った。
余命宣告されても、今まで好きなことをやってきたので、悔いのない人生だと言っている。
好きなことをやる、ということを実証するかのように、本人は童話を欠くのが好きだったと言いつつ、本書には自身が作った童話集まで掲載している。
その童話の中に、誰でもよく知る「アリとキリギリス」の森永版の童話がある。
彼が作った「アリとキリギリス」の話が、まさに氏の生き方の象徴のような話である。
冬が来て、アリもキリギリスも死を迎えるのだが、アリは頑張って働いたのにと後悔しながら死ぬ。
だが、キリギリスは、たっぷり人生を楽しんで、「あ〜、楽しかった」と言って死ぬ。
原作の童話とは違う、氏の人生観が現れた作品だなと感じた。
説得力のある言葉もあった。
だから、私には「夢」がない。いつかできたらいいなと思うことは実現できない。やるべきことはいますぐ取りかかる「タスク」、つまり課題なのだ。
それにしても、私と同い年の氏が亡くなったということには、重い衝撃があった。
私は氏のようには生きて来られなかったが、がんになっても、自分の人生を後悔することなく前向きに進もうという、氏の姿勢には学びたいものがあった。
本書の表紙の絵は、「来春のサクラが咲くのを見ることはできないと思いますよ」と医師から告げられた森永氏がそれ以上生きたぞという思いを伝えたかったからではないか、という気がしたのだった。