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ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「がん闘病日記 お金よりずっと大切なこと」(森永卓郎著;三五館シンシャ)

2025-05-15 16:51:21 | 読む

森永卓郎氏。

今年の1月に亡くなって初めて、自分と生まれ年が同じだったことを知った。

政治や経済についての専門家だが、歯に衣着せないコメントを出していた印象があった。

だから強いイメージがあり、なんとなく敬遠していた。

図書館では、「健康」というジャンルの本が並ぶコーナーに、本書「がん闘病日記」はあった。

2024年7月1日初版発行の本である。

すい臓がんでステージ4と診断された著者が、どのような闘病の仕方をしたのか、少し気になったので、読んでみることにした。

 

「がん闘病日記」というタイトルではあったが、がんとの闘病について書かれてあるのは本書の前半部分であり、後半部分は森永氏のここまでの人生の変遷とその人生観について書かれてある本であった。

 

がん闘病に関しては、余命4か月の宣告を受けてからのことが、それなりに詳しく書いてあった。

抗がん剤を使った治療が体質に合わず、体調不良を起こしたということ。

すい臓がんから原発不明がんと診断が変わったこと。

書きたい原稿の執筆とゼミの1年生たちへの指導のためと考えて、半年の延命治療を選択したことなど。

また、全国からいろいろな治療法の連絡が来たが、鵜呑みにせず一つ一つ論理立てて効果を検討するのは、さすがアナリストの姿であった。

 

だが、「闘病日記」というタイトルだが、「日記」のイメージではなかった。

おおまかな経過とそれに対する自分の考えや行動の記録であった。

読んでいて自信に満ちて堂々とした話の進め方は、森永氏の著書は今まで読んだことはなかったが、この人らしいと思ってしまった。

 

その自信等は、後半部分に述べている森永氏がたどってきた人生経験を読むと分かってきた。

本書の第5章の章名は「今やる、すぐやる、好きなようにやる」である。

つまり、やりたいことは、あと回しにせずにすぐに自分の好きなやり方でやるということを実践してきたということだ。

それをモットーにして成功体験を積んできたから、自信をもって語れるということなのだ。

 

大変な仕事を遊びととらえて、楽しくやってきた人なのだ。

お金を増やすために仕事をしてきたのではなく、楽しく興味のあることに全力を挙げて取り組むという仕事のやり方をしてきた人だった。

今まで氏に関しては、金>仕事の人だと思っていたが、仕事>金の人だったと自分が誤解していたことを知った。

余命宣告されても、今まで好きなことをやってきたので、悔いのない人生だと言っている。

 

好きなことをやる、ということを実証するかのように、本人は童話を欠くのが好きだったと言いつつ、本書には自身が作った童話集まで掲載している。

その童話の中に、誰でもよく知る「アリとキリギリス」の森永版の童話がある。

彼が作った「アリとキリギリス」の話が、まさに氏の生き方の象徴のような話である。

冬が来て、アリもキリギリスも死を迎えるのだが、アリは頑張って働いたのにと後悔しながら死ぬ。

だが、キリギリスは、たっぷり人生を楽しんで、「あ〜、楽しかった」と言って死ぬ。

原作の童話とは違う、氏の人生観が現れた作品だなと感じた。

 

説得力のある言葉もあった。

だから、私には「夢」がない。いつかできたらいいなと思うことは実現できない。やるべきことはいますぐ取りかかる「タスク」、つまり課題なのだ。

 

それにしても、私と同い年の氏が亡くなったということには、重い衝撃があった。

私は氏のようには生きて来られなかったが、がんになっても、自分の人生を後悔することなく前向きに進もうという、氏の姿勢には学びたいものがあった。

本書の表紙の絵は、「来春のサクラが咲くのを見ることはできないと思いますよ」と医師から告げられた森永氏がそれ以上生きたぞという思いを伝えたかったからではないか、という気がしたのだった。

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「本屋図鑑 だから書店員はやめられない!」(いまがわゆい著;廣済堂出版)

2025-05-10 20:32:22 | 読む

「本屋図鑑」などという書名を見ると、どんな本屋の種類があるかを示すように感じられるからだろう。

副題なのか続けて読むのか分からないけれど、続けて「だから書店員はやめられない!」と書いてあった。

置いてあった図書館の場所は、10代の若い人たちに向けたコーナー。

ということは、図書館ではキャリア教育的な意味合いもあったのかもしれないな。

 

内容は、OLから書店員になった女性のコミックエッセイ。

書店員の1日の生活と仕事内容を、朝の出勤から夕方の退勤、退勤後のことまで時間を追って細かく書いてあった。

コミックエッセイと書いたが、表現方法が、4コママンガであるというので、読みやすかった。

4コママンガの手法をとっているが、4コマ目で大きな落ちが味わえるわけではなく、どちらかというと、ほのぼのした感じになることが多かった。

 

それにしても、知っているようで知らなかったことが多かった。

月刊誌等につく付録は、よく輪ゴム等で束ねられているが、それをするのは書店員の仕事だということだったし。

そして、本書では、4コママンガだけでなく、時々見開きの2ページ分を使って、テーマに応じた本や書店の豆知識(?)が披露されていた。

マンガや見開きページで、書店員の仕事の一つ一つが紹介され、意外と忙しさがあることや力仕事でありハードなのだということも伝わってきた。

 

それでも、そのハードで忙しさがあることを描きながらも、伝わってくるのは、著者の本や本屋に対する愛情だ。

本屋を退勤してからも、他の本屋を巡るのが楽しいと書いてあるのだから、相当なものだ。

他の本屋で買い忘れに気づき、自分の勤める書店に戻って買ったりしているのも笑える。

自分が推す本を買ってもらえるようにするための工夫も、並べ方や棚作りの工夫など、具体的に書いてあって、それらはマンガという絵だからこその理解しやすさもあった。

本当に本好きの人が書いた本なのだなあ。

 

2022年5月が初版の本だ。

書店員の仕事が、非常に細かくしかもマンガで描かれているから、なるほど、職業として10代の人たちに分かりやすいだろうな、と思った。

今は、書店が本当に少なくなり、昔立ち読みが大好きな少年だった私としては、残念な思いがしていた。

この本を読んで、本屋が好きだったことを久々に思い出し、懐かしい気分にもなったし、現代の書店の仕事がどのように進められているのかが分かり、いろいろと興味深かったよ。

【 ↑ 裏表紙】

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駐在日記3冊目、「君と歩いた青春 駐在日記」(小路幸也著;中央公論新社)を読んで

2025-05-05 18:14:44 | 読む

以前、ここで紹介した「駐在日記」。

 

「駐在日誌」(小路幸也著;中央公論新社(中公文庫))~まずは続編の名にひかれて~ - ON  MY  WAY

先日、図書館に行ったとき、書棚の間を歩いていたら、ある棚の前で歌が好きな私の目に留まった本の名前があった。「あの日に帰りたい駐在日記」「君と歩いた青春駐在日記」...

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このたび、その続編である、「あの日に帰りたい 駐在日記」も「君と歩いた青春 駐在日記」も読み終えた。

「あの日に帰りたい」も「君と歩いた青春」も、好きな曲だったということは前に書いた。ただ、なぜ「駐在日記」の続編に、その曲名がついているのか、という疑問を抱いたのだった。

だから、1冊目から読んでいくことにしたのだった。

 

先の疑問は、ちょっと考えれば分かりそうなものだった。

駐在日記シリーズの時代は、昭和50年代前半である。

1冊目で、主人公が駐在日記を綴ることになったのが、1985(昭和50)年。

そこから、「駐在日記」は始まった。

2冊目の「あの日に帰りたい 駐在日記」で描かれているのは、1986(昭和51)年の四季の物語。

荒井由実の「あの日にかえりたい」が出たのが、1985(昭和50)年。

3冊目の「君と歩いた青春 駐在日記」で描かれているのは、1987(昭和52)年の四季の物語。

「君と歩いた青春」を作った伊勢正三が所属したデュオ「風」が3枚目のアルバムの中で発表したのが1986(昭和51)年。

 

要するに、作者の好みの問題だろうと思うのだが、物語当時流行ったというか、聴かれていたであろう曲名をタイトルに付けていたのだということ。

そのように思い当たった。

まあ、1冊目に曲名が入っていないのは、きっとあとから思いついたに違いないからだな。

だから、もし4冊目の駐在シリーズが発刊されたなら、1987(昭和52)年ころに流行った歌の名前がついた書名になるのかもしれない、と思ったよ。

 

この駐在シリーズを3冊読み終えての感想。

静かな田舎でまったりとした生活を送りながらも、そこで起こる出来事(事件や事案)の解決法が、実に温かい。

最初は違和感があった話者—花さんの優しい語りで進む展開も、読み慣れるとなんだかほのぼのした感じで心地よい。

 

第3シリーズでも、冬、春、夏、秋いろいろなことが起こった。

旧家の村長の跡取りにからむ問題

マリファナ疑惑の女優の失踪劇

狐火や子どもの幽霊、自殺願望者の出現

徳川の埋蔵金掘り出しでの人骨の発見

 

この駐在日記のシリーズでは、どの話でも、凶悪な犯人は登場しない。

起こる事件や事案が、いずれも駐在さん―元刑事の周平さん―の名推理や名解決によって、心温まるエンディングとなる。

それも、地域の人と協力しながらなのが、いい味となっている。

 

この第3シリーズでは、新たに友人の探偵さんも登場して、2つの話で重要な役割を果たした。

普通、探偵の登場と言えば、名推理の活躍をするものだ。

なのに、この物語では、登場人物を助けるのだが、推理とは全く関係ない行動というか生き方によって、というのだから面白い役割を与えたものである。

その人物は、東大卒だったとしてしまうのだからさらに予想外である。

 

起こる問題やその解決法がいかにも昭和50年代、いかにも田舎という面白さもある。

だが、今回のシリーズでは、当時を思わせるロッキード事件の影響がかかわった出来事まで出てきた。

そういえば、昭和52年といえば、そんなこともあったっけ、と思い出された。

 

まだまだ続編ができそうだが、2021年に本書が出て以降、第4作目はまだ出版されていないようだ。

もし、4作目が出たら、タイトルはどんな曲名がつくのかな?

などと、考えるのであった。

 

なお、荒井由実の曲名は、正式には「あの日にかえりたい」であった。

「あの日に帰りたい」ではなかったのである。

私は間違えて覚えていたが、たぶん作者の小路氏も間違えて覚えていたのではないかなあ。

 

 

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見えなければ「なかったこと」になる ~「となり町戦争」(三崎亜記著;集英社)を読む~

2025-05-04 20:03:39 | 読む

終戦から80年となる今年。

戦争を実体験した私たちの親世代は非常に少なくなり、その怖さの実感を伴える日本人は本当に少ないはずだ。

そう考えると、今起きている戦争のことやこれから先の危険性についてももっと考えなくてはいけないとも思う。

そんなことを考えていたら、本書「となり町戦争」(三崎亜記著;集英社)というタイトルが目に入った。

2006年の12月に出版された本だった。

これは、2004年第17回小説すばる新人賞受賞作だったのだそうだが、なんとも不思議な話だ。

 

発売元の集英社による内容説明だと、以下のようになっている

ある日、突然にとなり町との戦争がはじまった。だが、銃声も聞こえず、目に見える流血もなく、人々は平穏な日常を送っていた。それでも、町の広報紙に発表される戦死者数は静かに増え続ける。そんな戦争に現実感を抱けずにいた「僕」に、町役場から一通の任命書が届いた…。見えない戦争を描き、第17回小説すばる新人賞を受賞した傑作。

 

となり町と戦争が始まったが、見た目として日常に変化が見えない。

だけど、町の広報誌に戦死者数が掲載され、その数が増えていく。

戦争の現実感が得られない主人公に届いた任命書には、「戦時特別偵察業務従事者の任命について」と書いてあり、ストーリーが進んでいく。

しかしまあ、この戦争が自治体の公共事業として行われているということ自体、なんのこっちゃ、と思ってしまう。

実に奇抜な話だ。

 

その業務を遂行するために、町役場の女性職員と結婚して新婚の夫婦を装いとなり町に住むことになる。

だが、相変わらず戦争を実感することなく、今まで通りの職場に行き変わらぬ日常生活を送る主人公。

 

ところが、ある日、その女性職員からの緊急の電話で、部屋そして町からの脱出を図る行動をとることを求められる。

その際の電話の最後の言葉は、意味シンだ。

「あなたはこの戦争の姿が見えないと言っていましたね。もちろん見えないものを見ることはできません。しかし、感じることはできます。どうぞ、戦争の音を、光を、気配を、感じ取ってください」

この後、主人公は、たしかに戦争と思われる事態を感じる経験をする。

間違いなく命が危なくなった経験をしたのだった。

 

そして、なぜかわからないうちに戦争は終わる。

どちらが勝ったのかもはっきりしない。

でも、主人公にかかわった人間が犠牲になったりしていたのは確かだった。

そして、共に偵察業務に従事した女性職員とのつながりも終わりを迎える。

なんだか釈然としない展開で、一体この話はどういう話だったんだ?と思ったりもした。

でも、終わりの方のこの文章で、何か見えてきたような気がする。

 

たとえどんなに眼を見開いても、見えないもの。それは「なかったこと」なのだ。

 

個人が見ていないとか実感できないことは、存在していないことと同義である、ということを言っている。

そこには、ある種の怖さが存在する。

ひょっとすると、世間の人たち皆、いや私だって、自覚がないままに戦争に加担し、間接的に誰かを殺しているのかもしれない。

本書は、そんな恐ろしいことも感じさせる部分があった。

無関心であれば、気がつかないことが多く起こっていると意識することはないだろう。

 

「戦争」を取り上げていたが、戦争でないことであっても、言えることだ。

私たちが無自覚・無関心であれば、起こっていることも起こっていないことと同じになってしまう。

そういうことを改めて感じさせる作品だった。

きっとこの作品のよしあしについては、読者によって賛否の分かれるところだろうなあ。

 

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「家族シアター」(辻村深月著;講談社)は、家族の絆にほっとする短編集

2025-04-28 21:34:44 | 読む

「家族シアター」(辻村深月著;講談社)

これは、様々な家族を描いた短編集。

 

世の中で、一番近くにある絆が家族。

最近は、「親ガチャ」のようなとんでもない表現もある。

その表現が示す「子どもは親を選べない」の言葉があるように、家族は、自分では選べないつながりでもある。

 

そして、家族といっても、構成員はいろいろだ。

夫、妻、父、母、息子、娘、兄、弟、姉、妹、祖父、祖母、孫、…などなど。

育っていくうちに価値観が違っていき、対立や孤立感を生んだりもする。

 

この本は、1つ1つの話が独立した短編集なのだが、主役が1つ1つの話を語る話者となっている。

そして、必ず主役が気になる相手(対役)がいる。

列記してみる。

① 「妹」という祝福

▷主役:妹 ▶対役:姉

②     サイリウム

▷主役:弟 ▶対役:姉

③    私のディアマンテ

▷主役:母 ▶対役:娘

④    タイムカプセルの八年

▷主役:父 ▶対役:息子

⑤    1992年の秋空

▷主役:姉 ▶対役:妹

⑥     孫と誕生会

▷主役:祖父 ▶対役:孫娘

⑦     タマシイム・マシンの永遠

▷主役:父 ▶対役:赤子の息子・妻・両親・祖父母・曽祖母

 

⑦を除いて、話のそれぞれに、主役と対役の間にすれ違いがある。

全く性格の違う姉妹、互いの行動や好みが理解し合えない姉弟、若いときの自分と全く違うから娘を理解できない母親、家族に関わって来なかったから息子のことがよく分からない父親、現代の孫への接し方がわからない祖父…などなど。

それぞれの話の中で、2人の間に起こる事件というか出来事。

それによって、相手をよりよく知り、互いの違う所を受け入れていく。

そんなストーリーの展開に、家族だけが持つ優しさと温かさを感じた。

 

それは、何だかんだ言っても、やっぱり家族というつながりの強さなんだよな、と思った。

個人的には、「タイムカプセルの八年」の、息子に無関心だった父親の行動が好ましかった。

また、「孫と誕生会」の祖父の考え方や行動が、60代後半の昭和世代の自分には合っていて共感を抱いた。

 

そして、ストーリーとはずれるけれども、昭和時代に育った自分としては、「1992年の秋空」に出てくる「学習」と「科学」の雑誌の話は懐かしかった。

「学習」をとるか「科学」をとるかは、読み物が好きなら「学習」を選び、付録が好きなら、好奇心を刺激する付録がついた「科学」を購読したものだった。

1992年は、毛利さんが宇宙に飛び出した年であった。

それからもう30年以上も経ったのか、と思いながら、あの頃「宇宙飛行士になりたい」という夢を抱いた子どもたちも、もう40代だよなあ…という時の流れも感じた。

 

いずれにしても、読んでいくと途中でもやもやしてくるが、最後はほっとして心が温まる短編集であった。

と同時に、7つの短編を読んで、かつて自分が育った家族や、今の自分の家族に対する思い再確認していた私でもあった。

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「そして、バトンは渡された」(瀬尾まいこ著;文藝春秋)を読む

2025-04-16 18:19:59 | 読む

先日読んだ瀬尾まいこさんの「私たちの世代は」がよかったので、違う作品を読んでみようと手に取ったのは、本書。

「そして、バトンは渡された」

これは、2018年2月に文藝春秋より出版され、2019年に本屋大賞を受賞した作品だとのこと。

本屋大賞を受賞したということだけで、あとは予備知識を何も入れずに読んでみることにした。

 

本書の構成は、280ページ近くある第1章と90ページ近くの第2章となっていた。

ただ、第1章の前に1ページだけ文章があったのが不思議だった。

 

何を作ろうか。気持ちのいいからりとした秋の朝。早くから意気込んで台所へ向かったものの、献立が浮かばない。

(中略)

いつか優子ちゃんはそう言っていたっけ。そうだ。ふわふわのオムレツを挟んだサンドイッチにしよう。そう決めると、バターと牛乳、そしてたくさんの卵を冷蔵庫から取り出した。

 

不思議なこの謎の1ページは、最後まで本書を読み終えた後にもう一度開いたときに、その意味がよく分かった。

 

本書の主人公は、優子という女の子である。

彼女の高校時代の話が中心となって物語が展開するが、彼女は、その時点で父3人、母2人を持つという稀有な成育歴を持つ少女であった。

複雑な経歴を持つ彼女だが、性格はゆがんでいない。

高校のクラスでは、周囲からいじめのような扱いを受けて孤立したときもあったが、深刻に悩むことなく、状況をありのままに受け入れて生きていく。

その様子は、たくましくさえ映る。

 

父3人、母2人というと、間違いなく実の両親はいないということだ。

そんな彼女の高校での今の生活を描きながら、時々過去の小学生以前から中学生の時の生活に戻りながら、彼女の経験してきた暮らしを理解させていく。

それによって、彼女がなぜ現在のような複雑な暮らしに至ったのかが分かってくる。

一般的な家庭とは異なる環境で育ってきた優子だったが、彼女が歪んだ性格ではなくむしろ多くの人に好かれて生きてきていた。

それは、育てる親がかわっても、みな優子のことを愛してくれていたから。

それゆえに、優子はその親だけではなく周囲の人に対する感謝の心をもった人として成長している。

それぞれ親として、娘に対する愛情のかけ方は様々だ。

だけど、やはり「今の父」とのかかわりが最も深く描かれる。

年齢は20歳しか違わない、血のつながりのない「若い父」。

 

その父とよく出てくるのが食べるシーン。

ケーキなどの菓子類だけでなく、朝食や夕食など食事に関する場面がよく出てくる。

それを作ってくれるのは、今の父の森宮さん。

かつ丼、オムレツ、餃子、そうめんなど、優子はおなか一杯になってしまう。

食事を作ってくれる人がいるということは、家族であるということに大きな意味があるように思えた。

優子の結婚の相手となる男性とも、食べることでのつながりができていたし。

 

結局、大切な家族の絆というのは、一緒に食事をして、一緒に時間を積み重ねていくことによってできていくものなのだと思わせてくれる。

書名の「そして、バトンは渡された」のバトンは、当初、単に親から次の親へと渡される優子という子の存在をバトンにたとえているのかと思っていた。

読後、そうではないのだな、と気づいた。

それは、もう一度、第1章の前に書かれた謎の1ページを読んでみたから。

本書のその初めの1ページと、最後の方の数ページは、父である「森宮さん」を話者として書いてあった。

本書名は、父としての思いを表す意味が込められていたのではないか。

今は、そう確信している。

 

大きな山や深い谷がある作品ではないけれど、根底に温かさが流れていて、本屋大賞を受賞したことには納得の作品であった。

瀬尾作品2つめ、満足です。

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感染症禍の負の体験があっても…~「私たちの世代は」(瀬尾まいこ著;文藝春秋)を読む~

2025-04-12 19:28:59 | 読む

瀬尾まいこさんの本は、ほっとする、とか、心を温かくする、とよく聞く。

気になっていたので、何か借りて読んでみようかと思っていた。

そこで手に取ってみたのが、本書「私たちの世代は」。

 

本書の帯についていた内容情報は、次のようなものだった。

『そして、バトンは渡された』『夜明けのすべて』の著者の書下ろし長編

 

いまを生きる私たちの道標となる物語の誕生!

今でもふと思う。あの数年はなんだったのだろうかと。

それでも、あの日々が連れてきてくれたもの、与えてくれたものが確かにあった――。

 

小学三年生になる頃、今までにない感染症が流行し二人の少女、冴と心晴は不自由を余儀なくされる。母子家庭の冴は中学生になってイジメに遭い、心晴は休校明けに登校するきっかけを失って以来、引きこもりになってしまう。それでも周囲の人々の助けもあり、やがて就職の季節を迎えた―。

 

本書は、小学生の時に感染症禍を経験した女の子二人が主人公。

流行したての緊急事態宣言が発令された時には小学3年生だった。

感染症禍のせいで、一人は引きこもりになり、一人は中学生になってからいじめにあう。

そんな彼らが、10数年後社会に出ることになる。

そこまでの彼らの人生を追いかけて、物語が進む。

ただ、本書の構成が、小学3年生の過去と、その後の現在を行ったり来たりする。

その後の現在とは、中学生だったり高校生だったり大学生だったりということ。

場面転換が多いし、しかもそれが主人公が二人だから、どっちの子のことで話が展開しているのか、途中までよく分からなかった。

 

やがて、その二人の違いが分かってきてから、世に出ようとするときに二人の人生がからむようになり、面白いと感じた。

 

現代には、このように生徒や学生の時代に感染症禍となって、不自由な生活を余儀なくされた人がたくさんいたことだろうと思う。

様々な困難が生じ、自分の人生を狂わされたと思っている人も多いかもしれない。

でも、この物語を描くことで、著者の瀬尾さんは、「大丈夫だよ」「別な面から見るといいことだってあるんだよ」と、励ましてくれているような気がする。

 

特に、人との距離をとらなくてはいけなかった感染症の経験だけど、やっぱり人の支えになるのは、人とのかかわり、人とかわす言葉たちだと思わせてくれる。

心から信じられる人は少なくても、つながりを持てる人の存在が生きていく支えになる。

なかでも、母親の子に対する愛情は、形は違えども深いものがある。

たとえ子どもが、母親のことを好きでも嫌いでも、あるいはよくわからなくても、子どもへの深い愛を持っているということが、この物語からは伝わってくる。

 

この本が出版されたのは、2023年の7月。

まだ完全に感染症禍を脱したとは言えない時のものであった。

本書は、当てはまる世代には、いろいろと損をしたと思うことが多いだろうけど、元気出して、と励ましてくれる作品だ。

そうではない大人に対しても、今日嫌なことがあったって明日や明後日に楽しいことがあると信じて生きよう、と言っている気がする。

人生という長い目で見れば、負の体験と思うことも、負というだけではない。

失ったと思ってもただなくしているわけではなく、必ず得ているものもあるのだ。

そのことは、お粗末ながらここまで生きてきた私が抱いている、

「人生に無駄なことなんて何もない」

という思いとつながるところがある。

 

瀬尾まいこさんの作品は根底に温かいものが流れているから、好きだという人が多い。

初めて彼女の作品を読んで、なるほど、と納得したのであった。

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シジュウカラも言語を操っている! ~「僕には鳥の言葉がわかる」(鈴木俊貴著;小学館)を読む~

2025-04-04 20:29:53 | 読む

子どものころ、スズメやカラスを除いて身近な野鳥と言えば、シジュウカラだった。

羽や尾の部分に青い線を描いたような体と、、何より鳴き声が独特だった。

「ツツピー、ツツピー」

その声を今も聞くことがあるが、懐かしく思う。

わが家によく来るシジュウカラのために、父は、家の庭の正面にある池近くに巣箱を手作りして備え付けたりしたのだった。

だから、その巣箱に入って行く姿を、ほほ笑ましくよく見たものだった。

また、シジュウカラは、穴を見つけてはよく巣を作った。

あるときは、家で以前使っていた手漕ぎポンプを抜いたコンクリートの台の部分だった穴に巣を作っていてビックリしたこともあった。

なにしろ、のぞいても暗くてよく見えないコンクリートの深い穴の中から、鳥のひなのピイピイ言う鳴き声が聞こえてくるのだったから。

 

さて、本書は、そんなシジュウカラの生態に注目して研究を続けてきた「動物言語学者」の初の著書(今年1月発行)である。

先週の日曜日、日本テレビ系の「シューイチ」という番組に、著者が出ていて、MCの中山秀征からインタビューを受けていた。

シジュウカラの言葉が分かる、という彼の言動に真実味と面白さを感じた。

もっと詳しく知りたくなった。

著書の紹介もあったから、手にとって読んでみたいと思った。

最寄りの図書館にもあることを知ったが、貸し出し中だったので、初めてネットを使って、貸し出し予約をしてみた。

すると、翌日になって貸出可能の連絡があったので、さっそく借りてきたのだった。

 

Amazonの紹介には、次のようなことが書かれてある。

ようこそ シジュウカラの言葉の世界へ。

山極壽一先生(総合地球環境学研究所所長)絶賛!

「類人猿を超える鳥の言語の秘密を探り当てたフィールドワークは

現代のドリトル先生による新しい動物言語学の誕生だ」

::::::::::::::::::::::::

NHK『ダーウィンが来た!』をはじめ国内外のメディアが注目する気鋭の若き動物言語学者による初の単著、ついに刊行!

古代ギリシャ時代から現代に至るまで、言葉を持つのは人間だけであり、鳥は感情で鳴いているとしか認識されていなかった。

その「常識」を覆し、「シジュウカラが20以上の単語を組み合わせて文を作っている」ことを世界で初めて解明した研究者による科学エッセイ。

動物学者を志したきっかけ、楽しくも激ヤセした森でのシジュウカラ観察の日々、鳥の言葉を科学的に解明するための実験方法などを、軽快に綴る。

シジュウカラへの情熱と愛情あふれるみずみずしい視点に導かれるうちに、動物たちの豊かな世界への扉が開かれます。読後に世界の見え方が変わる一冊。巻頭口絵にはシジュウカラたちのカラー写真が、巻末にはシジュウカラの言葉を聞ける二次元コードつき。

 

いやあ、面白かった!

著者のこれまで進めてきた研究のあゆみを余すことなく書いている。

学生時代に卒論を書くために、金のない中、ご飯だけしか食べずに過ごしたとか、その食べ方もお湯をかけるとか水をかけるとかしたとか、笑えるエピソードもあった。

あちこちユーモアにあふれて、読みやすい文章で分かりやすく書いてあるから、どんどん読み進んでいけた。

 

そうはいいながら、さすが研究者だけあって、仮説を立ててからの観察研究の進め方や反論の検証などについても書いてあり、よく考えながらここまで研究を進めてきたのだなあ、と感心した。

それができるのも、「自分は研究者だ」とか「人間として」とかいう上から目線ではなく、生き物目線で物を考えられるからなのだということも伝わってきた。

だからこそ、シジュウカラの鳴き声の細かな使い分けの違いに気がつくのだ。

そこから、シジュウカラも言語を操っている、というさらなる新しい仮説を立て、その検証に取り組むことになるわけだ。

人間以外の動物に言語はない、という固定観念を覆すのだから、すごい。

そして、立ち上げた「動物言語学」。

世界中の研究者たちによって、今後は、シジュウカラ語以外の動物の言語も明らかになるのかもしれない、という期待がふくらむ。

そう思うと、今後が楽しみにも思えてくる。

 

いずれにせよ、好きなもの、好きなことの研究・観察の継続が、ここまで発展するのだなあと感心した。

なお、著書の文章は、中学校1年生の国語の教科書(光村図書)にも「『言葉』を持つ鳥、シジュウカラ」という教材となって、連続採用されているそうだ。

本書だって、平易な文章で書かれているから、中学生くらいには理解しやすいはずだ。

小学生にだって、多少のルビがあれば、面白く読めるのではないかとなと思う。

 

子どものころによく見ていたシジュウカラ。

ちなみに、冒頭に書いた「ツツピー、ツツピー」の鳴き声は、なわばりを宣言する言葉なのだと分かったよ。

 

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「定年からの再スタート 日本本土一周100日ドライブ紀行」(五味洋三著;光陽出版社)を読む

2025-04-01 22:28:11 | 読む

定年を迎えてから、早くも8年となった。

その後2年間は再任用職員として働いたから、実質退職してから6年がたった。

退職して自由な時間ができたら、あれもしたい、これもしたいと思っていた人が多いだろう。

だけど、家庭事情などがからんでなかなか好きなことができない人も少なくないだろうなあ。

まあ、私もその一人ではあるのだが。

 

しかし、知り合いの男性T氏は、有言実行。

車で日本の海岸線を1周する旅というのをやってのけた。

その実行力には喝采を送ったものである。

 

図書館で本書を見つけた。

T氏のことを思い出し、どんなふうにしたのかなと興味を抱いた。

 

本書は、1999年に定年を迎えた男性の旅の記録だった。

だから、昨年発刊した著者の年齢は84歳であった。

記録は、当時のワープロで綴ったものが紙で残っていたので、それを改めてパソコンで入力し直したのだそうだ。

その労力を思うと、日本一周以上に恐れ入りました、という気になった。

 

文章は日記にすぎないから、さほど面白いというわけではなかったが、人生を飾るいい旅だったということが伝わってきた。

車で車中泊するだけでなく、イワナを釣って食べたりもしていた。

実に自由な旅だった。

知り合いが全国にいて、訪ねて回って酒を酌み交わし旧交を温めていくのは、とてもうらやましく思った。

また、旅の途中で飛行機等を利用して2、3日家に帰るなんてわざを使ったり、逆に旅先で家族と合流して家族旅行を楽しんだりと、いい感じで日本1周100日旅を行っていた。

その自由さと体力に、やはり若くないとできないなとも思ったりもした。

 

ちなみにルートの概要は、

東京→太平洋側から東北→北海道1周→日本海側を南下→北陸→京都→山陰→九州を大分側から鹿児島→長崎→山陽→四国1周→近畿→名古屋→静岡→山梨→長野→北陸→家へ

…少し違うところもあるけど、こんなだった。

 

ざっとの読みだったけど、健康でいるうちに、自分ももっと楽しまなくちゃなと思わせてもらったよ。

 

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「駐在日誌」(小路幸也著;中央公論新社(中公文庫))~まずは続編の名にひかれて~

2025-03-30 21:35:32 | 読む

先日、図書館に行ったとき、書棚の間を歩いていたら、ある棚の前で歌が好きな私の目に留まった本の名前があった。

「あの日に帰りたい 駐在日記」

「君と歩いた青春 駐在日記」

 

「君と歩いた青春」も「あの日に帰りたい」も、私が学生時代に流行った歌だ。

しかも、どちらの曲も、私が好きな歌だった。

前者「君と歩いた…」は、最初に聴いたのは「風」のアルバムで。

作者の伊勢正三が歌っていたのがよかった。

その後、太田裕美も歌って、後にシングルでリリースされた。

若いときは、伊勢正三の声で聴くのが好きだったが、齢をとってからは太田裕美の声の方が切なく聴こえるようになった。

また、後者の「あの日に…」は言わずと知れたユーミンの楽曲。

♫青春の後ろ姿を 人はみな忘れてしまう

懐かしくもはかない青春時代の歌だった。

 

「君と歩いた青春 駐在日記」そして「あの日に帰りたい 駐在日記」は、シリーズものだとわかった。

その2冊のそばには、「駐在日記」という1冊があった・

ということは、先の2冊は、この「駐在日記」の続編ということか。

それならまず、この「駐在日記」を読まなくてはいけないなあ、なんて思って借りてきた。

 

著者の小路幸也氏は、人気シリーズ「東京バンドワゴン」の著者だというが、「東京バンドワゴン」自体、私は知らない。

 

「駐在日記」は、もちろんフィクション、小説である。

その舞台となっているのは、神奈川県皆柄下郡の雉子宮駐在所。

時代は、昭和50年の春という、今からすれば昔むかし。

最初の話題に、ザ・ピーナッツが引退公演をしたという話が出てくるくらいだ。

ちなみに、昭和50年の私は、高校を卒業して家を離れて最初の大学に入った年ということになる

まずその話は、おいといて…。

山懐に抱かれた平和な田舎に、中心人物となる蓑島周平という警官と元外科医だったという妻の花の夫婦が赴任してきて、物語は始まる。

その平和が日常の田舎に、たまたま起きる事件を、その夫婦が解決(?)していくという話。

指名手配の強盗犯の出現、嵐の夜に盗まれた寺の秘仏、身元不明の遺体の発見など、諸事件を解決していく、連作の短編集となっている。

読みやすくて、一気に読んでしまった。

さすがに、元刑事という周平は、観察眼が鋭いが、解決策もまた独特。

地域の人たちと協力して、あの当時ならではのほっこりした解決策を選んでいく。

ただ、時代や世相が違う今の時代に育った人たちが読むと、こんな解決策を選ぶのは間違っている、という思いを抱く人もきっと少なくないだろう、と思ってしまった。

でも、第1巻に起こった4つの事件を読んで、これからもこの土地で、この二人は生きていくんだろうなと思わせてくれた。

 

日頃警察の捜査モノの本を読んでいると、事件の複雑さや推理の鋭さ・巧みさなどが読みどころとなるのだが、本書はそういう類の本ではなかった。

全編とおして、妻の「花さん」が話者となって事件を語る形で話が進んでいく。

だから、事件についても「です・ます」の敬体文で語られている。

その語り口があるから、ほっこりした気分になって読んでいくことができるのだろう。

 

設定では、妻の花が外科医時代に患者家族にナイフで襲撃されて勤務医を退職したとのこと。

その事件でかかわった周平と出会ったことになっている。

周平は、花を気遣って刑事をやめて駐在所勤務を希望したことになっていた。

物語のどこかで、その花がけがを負った事件について掘り下げられる話が出てくるのだろうと思っていたら、出てこなかった。

ちょっとそこが心残りな感じがした。

 

この本は2017年に単行本として出版され、19年に「あの日に…」、21年に「君と歩いた…」と、続編が出ている。

そして、今は3冊とも文庫で出版されている(順に20年、21年、23年)。

まあ、とりあえず1冊目は読んだ。

これで、続編の「君と歩いた青春 駐在日記」や「あの日に帰りたい 駐在日記」を読む資格はできたということかな。

そのうちいつか、読み進んでいってみることにしよう。

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