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ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「アンダーソン家のヨメ(&「ヨモギアイス」)」(野中柊著;福武書店)を読む

2025-08-31 16:33:44 | 読む

先日、出身県・地域ばかりか大学の母校まで同じだったということで気になった野中柊さん。

そのデビュー作を読んでみたいと思った。

デビュー作は、「ヨモギアイス」という。

その作品で1991年、第10回海燕新人文学賞を受賞しデビューしたとのこと。

作品名だけからすれば、「抹茶アイス」のように、なんだかアイスクリームの種類のようだが、どんな内容の作品なのだろう?

図書館で検索したら、1992年、福武書店から出た「アンダーソン家のヨメ」という本に「ヨモギアイス」も収録されているとのことで、借りてきた。

なお、「アンダーソン家のヨメ」は、同年第5回三島由紀夫賞候補や第107回芥川賞候補にもなっていたらしい。

 

読んでみると、「ヨモギアイス」「アンダーソン家のヨメ」の2編がその順で収録されていた。

2編とも、アメリカ人と結婚して嫁いだばかりの日本人の女性が主人公だったが、連作ではなく独立した話。

「ヨモギアイス」の方は、短編だった。

「ヨモギ」というのは、植物名でもアイスでもなく、若い日本人女性の名前だった。

ちなみに、「アンダーソン家のヨメ」に出てくる「ヨメ」の名前は、「マドコ」であった。

2編とも、なかなかない特徴的な人名にしたのは、実在する人とのかかわりを薄くしておきたい気持ちがあったのかもしれない、と思いながら読んだ。

 

どちらの話も、国際結婚をして、先行きの見えないアメリカでの暮らしが不安な中で、相手や周囲との考えや習慣の違いが浮き彫りになる。

自由の国アメリカ、というが、やはり感覚の違いが生活に出て、若い夫婦に言い争いなどが生じてしまう。

まあ、そんないさかいは、日本人同士でも育った文化が違うと生じたものだと、若い頃を思い返して思う私だ。

国際結婚してアメリカでの話なので、嫁と相手家族との問題は実際どうなのだろうと思ったが、展開される考え方の違いは具体的だから、著者がアメリカで実際に体験したことなのだろうな、と思わされた。

 

この作品の文体で特徴的なのが、句読点が少なく、一文が長いこと。

そこに、説明が加わったり倒置法が使われたりする場合もあるから、なお長くなるときもある。

なんだかまるで関係代名詞を使った英語の文章のように感じられた。

 

そしてもう一つ、主人公の気持ちだけでなく、登場した人物たちの気持ちが次々に描かれること。

だから、互いの考えの違いが即座に明確に示されていく。

 

これらは、特徴的だが、効果的で面白いと思った。

最初のうちは読みにくかったが、読み進むうちに慣れてきた。

 

ストーリーとして、大きな出来事がいろいろ起こるわけでない。

でも、人種や国籍、考え方の違いなどが展開されるのは、新鮮だった。

こういうところが、諸文学賞の候補に挙がった理由の一つかもしれないな。

 

 

なお、当ブログ「ON MY WAY」は、次のところに引っ越し作業を終えました。

https://s50foxonmyway.hatenablog.com/

当分の間、ここと同じ記事を載せていますが、今後そちらの方を見ていただければと思います。

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「ウィメンズマラソン」(坂井希久子著;角川春樹事務所)を読む

2025-08-27 18:18:13 | 読む

「女子マラソン」という言葉ではなく、「ウイメンズマラソン」と呼ぶようになったのは、名古屋のマラソンからではなかったかな?

などと思いながら、本書を手に取った。

紹介の帯には、

私の未来、

摑めるのは私だけだ!

岸峰子。30歳。シングルマザー。ロンドンは、走ることができなかった。

2年半のブランクを経て、再び、五輪を目指す。復活の、ラストチャンス―。

という紹介があった。

この紹介文を見たら、爽やかさを期待して読んでみようと借りてきた。

 

だが、前半は爽やかではなく、暗さをもって物語は進んでいた。

 

一度は自らの力でオリンピック出場権を手にした主人公峰子。

ところが、思いがけない妊娠発覚で、出場を辞退せざるを得なくなる。

職場や世間から多大な非難・誹謗中傷を受けた上に、夫とも離婚し、2歳の娘を一人で育てる大切さにも直面する。

誰一人応援してくれる味方もないなか、再びマラソンを走ろうと挑戦を始める。

主人公なのに、峰子の性格は、ある種自己中心的でよく悪態をつくので、読者だって味方をしたいとは思えないくらいの描き方がされている。

それゆえに、ヒールとされた女性アスリートは、日本の社会では生きていくのが難しいことが伝わってくる。

これは、著者が、実業団における陸上アスリートたちを取り巻く現状をよく取材しているからこそ伝わってくるものが多いと感じた。

また、最新理論に基づくトレーニングなどにも細かさがあるから、臨場感や迫真感が高まるのだろう。

そして、多種多様な誹謗中傷も、実際の選手に起こってきた例が多いのだろう。

このような現実を細かくおさえているから、単なる物語に終わらない真実感が生じている。

 

それでも、30歳なのに、シングルマザーなのに、女性アスリートとしてのハンデキャップに悩み苦しみながら、目標に迫って行こうとする主人公峰子には、ひたすら感心する。

やがて、娘の成長と共に、峰子の心情も変わっていく、というか成長していく。

 

私自身は、年齢が上がってからマラソンを走るようになった「なんちゃってランナー」だから、こうして順位を競う競技としてのマラソンの過酷さは知らない。

でも、後半の名古屋ウイメンズマラソンのレースシーンは、こちらも、いつのまにか峰子の心情に寄り添って応援する気持ちで一気に読み進んでしまった。

面白かった。

 

本書は、2015年に出版されたものだから、ねらっていたオリンピックはリオデジャネイロ大会だった。

読みながら、最後の方では、名伯楽と言われた小出監督のことを思い出していた。

2019年に亡くなったあの監督も、こんなふうに素っ気なさと熱意と愛情を持っていた方だったのだろうな、きっと。

 

 

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改めて白土三平の忍者マンガは魅力的だと思う ~白土三平選集第16巻「風魔」~

2025-08-21 21:15:33 | 読む

先日読んだ「滝平二郎きりえ名作集」は「夏―秋編」だった。

その姉妹編の「冬―春編」を探して図書館の美術関係のコーナーをうろうろした。

探していた本はちゃんと見つかったが、その際に、反対側の棚にはマンガの本も何冊かあった。

こども用のコーナーではないのが、なんだかいいなあ、と思った。

 

そこで見つけたのが、「白土三平選集」のシリーズだった。

全16巻あって、1冊手に取ってもたら、平成22年2月10日初版発行となっていた。

13年前に出た選集本だった。

・サスケ  1~8巻

・忍者旋風 9~10巻

・真田剣流 11~12巻

・ワタリ  13~15巻

・風魔   16巻

作品は、5作品16冊だった。

 

思えば、この3月に「カムイ伝の真実」という本について書いたことがあった。

 

「白土三平伝 カムイ伝の真実」(毛利甚八著;小学館)を読む - ON  MY  WAY

白土三平というと、忍者もののマンガ家というイメージがある。子どものころ、テレビで放送されたアニメは「サスケ」だった。もともとは月刊誌の「少年」で連載していたが、...

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そのときには、白土三平の生い立ちや人生を知ったことなどを書いた。

でも、直接作品を見たわけではなかった。

手に取ってみると、久々に白土三平の忍者マンガを読みたくなった。

最後の第16巻「風魔」という本を借りてきた。

 

風魔というのは、代表的な忍者の集団であった。

その風魔一族を憎み倒そうとする犬丸という忍びたちとの戦いを描いていた。

 

久々に白土作品を読み、改めて表現力がすごいなあ、と感心した。

彼の忍者マンガは、単なるかっこよさだけがあるわけではない。

忍者のもつスピード感や敏捷性ある動きのすごさが伝わってくる。

忍者が常人から並外れた能力を持っていることや、そのために鍛えていることなどもストーリーに入っていた。

そして、白土氏はそれを納得させるような描き方、表現力には改めて感嘆した。

こどもの頃に見ていた白土マンガでは気づかなかったが、完全大人の今見ると、忍者ってなんてすごいんだ、と思う。

そう思わせる表現力は、彼の忍者マンガの大きな魅力だったことに改めて気づいた。

 

もう一つの魅力は、忍術。

忍者の技である。

本書「風魔」でも、「風移し」だとか「天足通」「月影の術」「炎隠れの術」「石遁の術」「土遁の術」「気砲」「飛火筒」「みじん隠れ天足の法」…etc。

様々な忍術が出てくる。

時には、その術の秘密が解説されたりもしてる。

その専門的な術に引きつけられる。

こういった技に魅せられ、その真似をするのが、こどもの頃の忍者ごっこの楽しさだったと思い出した。

 

こういうのを見ていると、白土三平の忍者マンガは、すごい魅力にあふれていたと思う。

そういえば、最近では本格的な忍者マンガを見ない。

以前は白土三平だけでなく、石ノ森章太郎は「忍法十番勝負」、横山光輝だって「伊賀の影丸」や「仮面の忍者赤影」などの面白くて読ませる忍者マンガを描いていた。

今にして思えば、わがこども時代には、優れた忍者マンガに出合えていた幸せがあったと思う。

今の時代で忍者マンガで思いつくのは、「忍たま乱太郎」なんだが、あれは本格的ではなく完璧にギャグマンガだし、忍者の専門的な技に驚くことはない。

 

白土三平選集。

残り15巻も読んでみようかな。

こどもの頃を思い出しながら。

 

 

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柊つながりの読書 ~「天国からの宅配便」(柊サナカ著;双葉社) 「猫をおくる」(野中柊著;新潮社)~

2025-08-19 21:54:18 | 読む

柊サナカさんの「天国からの宅配便」シリーズ。

貸出中だったから、第3作→第2作→第1作という順番で読むことになった。

最初に出た第1作の「天国からの宅配便」をようやく借りて読むことができた。

他の作品同様、1話完結の4話構成で、エピローグがついて、都合5話の収録。

 



この第1作では、

第1話 わたしたちの小さなお家

第2話 オセロの女王

第3話 午後十時のかくれんぼ

第4話 最後の課外授業

エピローグ

 

ゴミ屋敷、がんこ婆ちゃん、かくれんぼ好きな幼なじみ、高校時代の部活顧問…。

そして、エピローグの「もう二度と会いたくない」の言葉。

いずれも、ひとひねりあって、最後は心が温かくなる話ばかり。

やっぱり面白かった。

「天国からの宅配便」シリーズ以外の柊さんの作品はどんなものがあるのだろう、と興味を持った。

そのうち、このシリーズ以外の本も読んでみたい。

 

ところで、この「天国からの宅配便」を借りるとき歩いていたら、違う書架で、偶然「柊」の文字を見つけた。

「野中 柊」。

それは著者の名前だった。

えっ、名前に柊をつけているの?こちらの柊さんは。

たまたま飾ってあった本が、この本、「猫をおくる」(野中柊著;新潮社)。

表紙カバー裏を見てみたら、

1964年生まれ。立教大学卒業後、渡米。

1991年、ニューヨーク州在住時に「ヨモギ・アイス」で海燕新人文学賞を受賞して作家デビュー。(以下略)

と、あった。

おやおや、大学は珍しく同窓ですか。

へえ、そうなのかと思いつつ、さらに近くで調べてみると、新潟県出身。

なんと新発田市出身と書いてあるものもあった。

今まで、野中柊さんのことは、全く知らなかった。

自分の目や耳に入ってきていなかったということですな。

おやおや、これは目にふれたのだから、読んでみなくちゃいけないなと思って借りてきた。

 

本書は、連作の短編が6編。

猫のお世話と葬儀を行うお寺、多くの猫が住み、猫寺と呼ばれている木蓮寺が舞台の話。

寺は、猫専門の霊園も行っている。

タイトルの「おくる」は、葬送の意味だった。

菜々さんと呼ばれる猫、黒白の猫、ヨーヨーという片目の猫、白い仔猫…etc。

いろいろな猫が登場するが、猫との出会いや別れを通して、登場人物たちの生い立ちや考え方を描いていく。

寺の住職真道、火葬担当の藤井、事務員の瑞季、近所のこどもの麦、寺によく現れる猫の飼い主希実子…等々それぞれの話と猫の話をからめていく。

さほど大きな事件が起こるわけでもないが、人は、人や猫とかかわりながら、癒されながら、生きていく。

 

火葬シーンで、猫の骨には星があるということを知った。

いずれにせよ、猫が好きでないと、本書のような小説は書けないだろうと思った。

野中柊さん、こちらの柊さんも、他の作品が気になった。

機会を見て、また借りてくることにしよう。

 

柊サナカ、野中柊。

それぞれの味があった、柊つながりの読書であった。

 

 

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「滝平二郎きりえ名作集 夏ー秋編」(朝日出版)を読んで、子ども時代の思い出に浸る

2025-08-15 17:16:28 | 読む

図書館で、滝平二郎の切り絵集が飾ってあった。

「滝平二郎きりえ名作集」と書かれてあった。

この本は、雑誌の増刊号に似たような体裁で作られていて、およそ80ページあった。

出版された年を見ると、2013年7月30日初版発行と書いてあった。

ちょっと古いものなのだな。

 

手に取って、少しめくってみると、最初の方のページに書いてあった。

【初出】

1970年9月から1978年12月まで、

朝日新聞日曜版に連載された作品の中からセレクトしました。

(以下略)

…ああ、なるほど。

自分が学生時代だった頃、家では朝日新聞をとっていた。

もともとは読売新聞だったが、弟が、大学の試験などには朝日新聞の「天声人語」がよく使われるから、朝日新聞を読みたい、と言って変えたのだった。

もっとも、私は大学生で家を離れていたから、日曜版の滝平二郎の切り絵はあまり多く目にふれることはなかったが、たまに帰ったときなどに読むことがあった。

この切り絵の作品たちと表現される題材がいいなあ、と思っていたことを思い出した。

なつかしい感じがして、借りてみることにした。

 

借りたのは、「滝平二郎きりえ名作集 夏—秋編」である。

どれもこれも、田舎の雰囲気のある、郷愁を感じさせる作品ばかりだ。

載っていた作品数は、70点余り。

水無月、文月、葉月、玄月、神無月、霜月と月ごとに作品が整理されて載っていた。

初夏から晩秋にかけての、いなかの風景や慣習、子どもの遊びなどが描かれ、郷愁をかき立てた。

 

例えば、この作品。

手こぎポンプや木のたらい。

私が子どもの頃には、家にまだあったものだった。

 

蚊帳(かや)。

夏になると、毎晩たたんであったのを取り出して、部屋の中につるすのだった。

取り出すときのあの独特の蚊帳のにおいを思い出した。

蚊が入らないように、蚊帳のすそを上下して素早く中に入り込んだりしたことや、父がホタルを捕まえてきて蚊帳の中に放したりしたことも、思い出した。

 

日焼け。

この作品の兄弟を見たら、子どもの頃の私と3歳半違いの弟のことを思った。

あの頃は、白い短パンにランニングシャツが、夏の子どもの定番だった。

外でよく遊んでいたから、体に日焼け跡が残るのは当然だった。

 

同様に、行水の文化もあったなあ。

泳げない私には、海に行かなくても、たらいの水に浸かって水をかけるだけで十分だったっけ。

 

…こんなふうに、ページをめくるたびに、子どもの頃と重ね合わせて見ている自分を見つけた。

昭和30年代に子ども時代を過ごした私には、どれもこれもが思い当たる懐かしさがあった。

父と母と弟と自分の4人家族の思い出が、様々によみがえった。

ふるさとと家族と暮らしの、懐かしいにおいがいっぱいだった。

やっぱり滝平二郎の作品はいいなあ。

 

 

本書では、滝平二郎の子ども時代についての独白と、連載時代の貴重な下絵も収録してあった。

その下絵は、新聞に入っていたチラシ紙の裏に描かれていた。

どうせ切り絵作りに切り刻まれるから、いい紙はもったいない、ということだったらしい。

 

本書は、「夏―秋編」だったが、「冬―春編」もあるとのこと。

そのうち、そちらも借りて読むことにしようと思う。

 

 

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「天国からの宅配便 あの人からの贈り物」(柊サナカ著;双葉社)を読む

2025-08-10 17:41:43 | 読む

「天国からの宅配便 あの人からの贈り物」

これは、「天国からの宅配便」シリーズの第2作。

私が最初に読んだのは、第3作の「天国からの宅配便 時を越える約束」だった。

それが面白かったので、第1作から読みたくなった。

図書館から借りて読んだので、第1作・2作も借りようと思ったら、どちらもずっとおよそひと月の間、ずっと貸出中になっていた。

ようやく借りられたのが、第2作の本書。

 

このシリーズの話は、亡くなった方から、ゆかりのある依頼人に、宅配便が届く。

1話完結の4話構成で、エピローグがついて、都合5話の収録。

この第2作では、

第1話 父とカメラと転売人。

第2話 七十八年目の手紙

第3話 最後の月夜を君と

第4話 わたしの七人の魔女

エピローグ

 

いずれも、送り主の遺志をしっかりと受け止めて、時には送り先が不明であっても調べ上げて荷物を届けたり、届けるときの条件を厳守したりしながら、荷物を届けている。

どの話も、最初は受取人が毎日うつうつとした生活を送っているところに、思っても見なかった宅配便が届けられる。

あるときは転売ヤーの男に、あるときには認知症の様相が強くなったひいおばあちゃんになど。

そこに荷物を届けに来た宅配便の配達人、七星は、配達する様々な差出人の様々な遺志を実らせようと、そこまでするのかという情熱ある仕事ぶりを見せる。

本書では、中身のない宅配便が届いたり、受け取り手が拒否をしたりする。

だが、配達人七星は、 受取人に寄り添って行動し、送り主が荷物を送った理由や荷物のもつ意味に迫っていく。

受取人は、七星の奮闘もあって依頼主の思いを知り、明日への希望をもって生きるようになる。

そこに至るまでは、もちろんどの話もストーリーにひとひねりはあるのだが、最終的にホッとする。

そんな展開が多かったせいもあって、読んでいて温かい気持ちになった。

宅配便を送る、亡くなってから届けるという特別なシチュエーション。

荷物に込められた思いに人間の本来持つ優しい心根が感じられた。

 

さて、第3作、第2作と読んできたので、あとは第1作の「天国からの宅配便」を読むだけだな。

「貸出中」が「貸出可能」になったら、さっそく読んでみたいものだ。

 

最後に、本書第3話「最後の月夜を君と」に出てきたヒスイカズラ。

画像検索したら、なかなか神秘的でもあり雰囲気のある花なんだね。

初めてこの花のことを知ったよ。

 

 

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「モノクロの夏に帰る」(額賀澪著;中央公論新社)を読む

2025-08-02 15:21:23 | 読む

先日、「世界の美しさを思い知れ」を読んで、額賀澪氏の小説でもっと違うものを読んでみたいと思っていたときに、図書館で目にした本がこの「モノクロの夏に帰る」(中央公論新社)。

戦争に関係した話らしいので、時節柄この本を読んでみようと借りてきた。

 

本小説は、4章から成る連作短編集だ。

 

第一章 君がホロコーストを知った日へ

第二章 戦略的保健室登校

第三章 平和教育の落ちこぼれ

第四章 Remenber

 

4つの話をつなげているのが、小説内に出てくる、『時をかける色彩』という、第2次世界大戦時のモノクロ写真をカラー化した写真集。

たしかに、写真がモノクロだと、現在の自分の生活とつながっているとは感じ難いが、カラー写真になると身近に感じて、同じ人間としての生活があることを実感する。

今の時代、戦争のころの写真を見ても、他人事にしか思えない。

だけど、色のついた写真になると、周囲を囲む物から人々の身に付けている物などが自分の生きている世界と同様に生きている物として感じられる。

戦争時分の思いを感じようという気持ちになるから、不思議なものだ。

 

この小説を深めているのは、登場人物は現代人がかかえる問題を持っていることに加えて、現代の社会問題を交えながら、ストーリーが展開すること。

認知症や介護問題に直面する、同性愛の書店員。

離婚した父親との付き合い方に悩みながら、保健室登校ながら堂々とした中学生。

平和教育の落ちこぼれを自覚しながら番組づくりに取り組む広島市生まれの女性テレビマン。

3・11で原発事故に遭った福島から来た高校生と、アメリカで歴史教育を受けて母の母国日本に来たアメリカ人の高校生。

 

4つの物語とも、主人公は戦争を知ることのない現代の若者だ。

本書の大きなテーマは戦争だが、それぞれの話で若者は自分なりに戦争をとらえ直そうとしている。

作者の思いとして、戦争を少しでも今の自分とつなげて考えられるといい、という願いがあったように思う。

 

各短編の最後には、モノクロだった時の物語が付け加えられている。

これは、『モノクロの夏』に写し込まれたあの時代のことを決して忘れてはいけない、あの時代の人たちも懸命に生きていた、そんなことを思わせる。

 

「僕達は戦争を知る世代から直接バトンを受け取ることができる、最後の世代」

この言葉は、登場人物が語っているが、作者の額賀氏の思いがそこにあると感じた。

 

今日は、「長岡まつり大花火大会」が行われる日。

花火というと、美しさばかりが強調されるが、もともとは昭和20年8月1日の長岡大空襲で大勢の尊い命が失われたことを悼んで、空襲から1年後の昭和21年8月1日に開催されたのが、長岡まつりの前身である「長岡復興祭」。

戦争で亡くなった方々の慰霊の意味があった。

ただ「うわあ、きれい!」だけじゃなく、今の自分とおよそ80年前のそのことをつなげて花火を見てくれる人が、少しでも多くなるといいなと思う。

 

はじめは、同性愛の話がからんでいて読み苦しさを感じた私だったが、後半は一気に読んだ。

額賀澪氏の作品も、ハズレがない。

「世界の美しさを思い知れ」「モノクロの夏に帰る」、短期間に2冊を続けて読んで、そう思えた。

 

 

 

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「半沢直樹 アルルカンと道化師」(池井戸潤著;講談社)を読む

2025-07-27 20:00:44 | 読む

なんか読後痛快な気分になる作品を読みたいな、と思い、図書館の書棚の間をぐるぐると回った。

「半沢直樹」の文字が目に入った。

「半沢直樹 アルルカンと道化師」(池井戸潤)。

おお、これにしよう、と即決。

池井戸潤の作品は、勧善懲悪。

読後の爽快感は抜群である。

「半沢直樹」は、TBSのテレビドラマで、堺雅人が半沢を演じ、「やられたら、倍返しだ!」が流行語にもなった.

私は、「倍返し」という言葉が、なんだか傲慢に感じられ、話題になってもドラマは全く見なかった。

でも、半沢直樹が登場する、第1作の「オレたちバブル入行組」や第2作の「オレたち花のバブル組」は、文庫本で小説を読んで面白かったのだ。

 

本書「半沢直樹 アルルカンと道化師」は、半沢直樹シリーズでは、第5作となるらしい。

出版元の講談社による本書の紹介。

 

半沢直樹が絵画に秘められた謎を解く――。

江戸川乱歩賞作家・池井戸潤の真骨頂ミステリー!

 

明かされる真実に胸が熱くなる、シリーズの原点。

大ヒットドラマ「半沢直樹」シリーズ待望の最新刊、ついに登場!

 

***

 

東京中央銀行大阪西支店の融資課長・半沢直樹のもとにとある案件が持ち込まれる。

大手IT企業ジャッカルが、業績低迷中の美術系出版社・仙波工藝社を買収したいというのだ。

大阪営業本部による強引な買収工作に抵抗する半沢だったが、やがて背後にひそむ秘密の存在に気づく。

有名な絵に隠された「謎」を解いたとき、半沢がたどりついた驚愕の真実とは――。

 

今回のテーマは、美術(絵画)とM&A。

頭取が推し進める買収を強行しようとするする支店長等上部の人たちに対して、顧客である仙波工藝社のサイドに立って、融資を決めたい半沢。

そこに、自殺してしまった著名な画家が描いたとされる絵画が関わってくる。

半沢がその絵画にひそんでいた、二人の若い画家の切ない真実にたどりつくあたりから、ぐんぐん引き込まれてしまった。

自分たちの利益や出世の欲望のために強引にM&Aを進めようとする諸悪の上司たちに対して、顧客の願いにそって正義と正論で立ち向かう半沢の言動は、かっこよく気持ちがいい。

 

勧善懲悪の話のはずなので、どんなふうにどんでん返しが起こるのだろうと、期待でわくわくしながら、読み切った。

スカッとした。

読み応え十分。

この1冊も、期待を裏切らない読後の爽快感があった。

 

だけど、「倍返し」という言葉が、以前の作品と違ってよく使われていたように思えたのは、テレビ放送で売れたのを逆手にとって多用していたような気がしたので、ちょぴり気になったけどね。

 

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「米を洗う 米菓の縁で紡ぐ岩塚製菓100年の夢」(辻中俊樹著;幻冬舎)を読む

2025-07-26 20:18:48 | 読む

米どころ新潟。

米菓もそれなりに多い。

米菓といえば、真っ先にせんべいが連想されるが、ほかにも、あられやおかき、柿の種などもある。

米菓の会社だって、亀田製菓、三幸製菓、岩塚製菓、栗山米菓、浪花屋製菓と、なじみのある会社名がすぐに浮かぶ。

 

本書は、そのうちの一社、岩塚製菓の話。

その会社の創業からの歩みや大切にしてきたこと、台湾の大手企業とのつながりを丁寧に描いている。

 

岩塚製菓の本社は、その名の通り、長岡市、旧岩塚村にある。

そこは大合併で長岡市になる前は、三島郡越路町であった。

私は、20代の半ばの勤務先は、三島郡内の小学校に勤めていたから、越路町や岩塚の地名は聞くと懐かしさがある。

あの辺りを通っている鉄道はJR信越本線だが、冬になると豪雪でよく運休になったりしたのを知っている。

冬になると、郡内の男性たちは、酒造りなど雪の少ない地域に出稼ぎに出なければ、生活できないような生活を強いられていた。

 

「この地域出稼ぎに行かなくても生活ができるような産業をおこしたい」というのが、創業者たちの強い思いだった。

昭和22年(1947年)に「岩塚農産加工場」を創業した。

農産加工品を通じて、この地域と共に生きたいという決意から始まったのだった。

 

苦労を重ねて、売れる商品も作った岩塚製菓に注目して、台湾でもその商品を作りたいと技術提携、技術指導を願い出たのが、当時20代の台湾の3人の若者だった。

彼らが訪ねてきたのは、昭和56年、雪の降る2月だったという。

私が三島郡に勤め始めたのは奇しくも同年の4月だったし、その行動の中心となった人物の年齢も私と同じ24歳と知って、親近感を抱きながら読んだ。

その頃は、上越新幹線も通っていない時代だ。

特急を乗り継いだって、東京から4,5時間以上はかかっただろう。

そこからも、台湾からの訪問者たちの熱意が分かる。

 

その彼らに対して、2人の創業者が語った言葉。

「農産物の加工品は原料よりも良いものはできない。だから良い材料を使用しなくてはならない。」

「ただし、良い材料からまずい加工品もできる。だから加工技術はしっかり身につけなければならない。いくら加工技術を身につけても、悪い原料から良いものはできない。」

この言葉が、信念として本書で終始貫かれているのを目にした。

 

だからこそ窮地に陥ることもあったのだが、それでもその信念に基づく選択をしてきたからこそ、岩塚製菓も台湾の企業も、窮地を脱してその後の発展につなげたのは、あっぱれ!というほかはない。

 

タイトルの「米を洗う」については、エピローグでその大切さが語られる。

米から作られるから、米菓という。

だが、その最初の工程が「米を洗う」つまり洗米なのは岩塚製菓だけとのこと。

他メーカーは米粉を仕入れるところからスタートする。

岩塚製菓は、洗米によって、米の詳しい性質をつかむのだという。

そして、洗米すると当然とぎ汁が排水として出るのだが、これを循環的に処理する仕組みを作り、工場のある地域を大切にしているとも知った。

中越地震や東日本大震災があっても、地域に根差し、地域を大事にすることで発展してきた岩崎製菓の話に好感が持てた。

同じ新潟県人の話として、ちょっぴり誇らしく思えた私であった。

 

なお、当ブログ「ON MY WAY」は、次のところに引っ越し作業を終えました。

https://s50foxonmyway.hatenablog.com/

当分の間、ここと同じ記事を載せています。

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「ウメ子」(阿川佐和子著;小学館)を読む

2025-07-19 18:03:19 | 読む

タイトルだけ見たら、津田梅子と関係があるのかな?と思った。

 

見つけたのは、図書館ではなく、わが家の書棚。

昔われわれ夫婦が若かりし時代に買ってもらった書棚があるのだが、ここ20年余りしばらく立ち入れなかった部屋に置いてあった。

その部屋は、息子の部屋だったのであり、足の踏み場もない、恐ろしくモノであふれた部屋になっていたのだった。

息子が家を出ていって、ようやくこの部屋の片付けも済んで、書棚から本を取り出すこともできるようになった。

その中に納まっていた1冊が、この「ウメ子」。

 

取り出してみると、1999年の出版。

どうやらこどもの話のようだったが、まあ読んでみようと思った。

なぜかというと、著者名が「阿川佐和子」と書いてあったから。

阿川佐和子が書いた本といえば、だいぶ前になるが、「聞く力」という新書がベストセラーになったことを覚えている。

だけど、こんな小説を書いていたことは知らなかった。

 

あとで調べてみたら、本書は、「ン年前の子ども時代を舞台にした、著者初の長編小説」ということだった。

そうか、津田梅子とは関係なしだったか。

 

主人公は、幼稚園児のみよちゃん。

その子が通う幼稚園に「ウメ子」という子が転入してきてからのお話。

ウメ子は変わっていて、ふつうの子とちがう。

初めて会った日から、みよはずっとそう思ってきたが、その天真爛漫なウメ子の魅力と行動力に引き込まれながら、やがて二人は友だちになる。

行方不明だったウメ子の父さんの居場所が分かって、二人で家出をして会いに行ったりサーカスを体験したりもする。

みよちゃんと仲がよい兄は、ウメ子とも仲良しになる。

3人で行動したりもするが、こどもらしさはあるものの、ちょっと行動力や思考力が大人っぽ過ぎて、とても3人が幼稚園児だとは思えなかった。

だけど、離れて住むウメ子のお父さんとお母さんを仲直りさせようと考えるのは、こどもらしくて健気で愛らしい。

 

この話は、著者の原体験も混じっているらしい。

幼稚園時代の話だから4歳ぐらいのこどもの感性が所々にうかがえるのがいい。

一生懸命考えていても、無邪気な思考でしかない様子に、自分の園児時代や小学校時代を思い出した。

この、阿川佐和子氏初の長編小説は、坪田譲治文学賞受賞作品となったとのこと。

 

ずいぶん前の1999年の作品だったが、その3年後には文庫化されていた

だが、文庫本の表紙は、ちょっと違和感があった。

単行本の時の表紙は、「ジャングルジム」や「ロビンフッド」などウメ子を連想させるものだったけど、文庫本の絵は、「一輪車の女の子を見るこども3人」。

一輪車というと、なんだか昭和ではなく現代という感じがする。

そして、一輪車の女の子がウメ子だとしても、見ているのはみよと兄の2人だけのはずだから、ちょっと合わないかな、と思った。

 

まあ、それはいいとして、園児の頃を思い出したから、結構楽しくサラッと読めたのだよ。

 

 

なお、当ブログ「ON MY WAY」は、次のところに引っ越し作業を終えました。

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