ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

汗だくになりながら

2017-07-31 22:41:17 | RUN
昨日午後4時過ぎ、走りに出た。
できれば20kmくらい走りたいなと思いながら。
800mLのボトルに薄めたスポーツドリンクを詰めて、腰にセットし、4個の種類の違う塩飴を持って出た。

夕方近いのに、道路のそばの気温標示は33℃。
結構温度高いな、と警戒。
ゆっくりなスピードなら、大丈夫だろうと、最初は1km6分15秒程度で走ることにした。

もっと速く走りたいのに、それより遅く走るということは意外と難しいのだ。
およそ4km走った後、3kmずつ15秒ずつ上げていくというビルドアップ走で、日陰と少しのアップダウンがある1周1.5kmの周回コースを走った。
休みは、3kmごとに入れるようにして走る。
キロ5分45秒ペースを3周終えると、もうここまでで10km走ったことになった。

さすがに厳しくなってきたので、息を整えるために、水を飲み、飴をなめ少し休憩。
次の3㎞は、先日10km連続して走れた5分30秒ペース。
3kmをあえぎながらも走り終えたが、ここでも長い休憩が必要になった。
もうきつくなったので、最後は1kmだけ5分15秒を目指して走る。
しかし、5分19秒台でしか走れず。
もう相当苦しくなったので、ここでやめて息が落ち着くのを待って、家に帰ることにした。

しかし、1km7分30秒程度のジョギングにしても、難儀な感じは消えない。
家まで3kmの道のりで、ジョギングできたのは2kmまで。
最後の1㎞は、ジョギングもいやになり、びっしょりの体から汗をボタボタ落としながら、てくてく歩いて帰った。
それで、走れた距離は16km。
1時間37分25秒の間、走ったことをウオッチは示していた。


やはり暑い時の走りは、厳しかった。
20km走れなかった。_| ̄|○(ガックリ!)

それでも、60歳。汗だくになりながら、走っている。
60歳の青春を、生きてるぞぉって感じがする。
何よりうれしいのだな、これが。
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新潟、再開初戦引き分けも、高まる期待感

2017-07-30 22:27:23 | アルビレックス新潟
新潟、FC東京と引き分け。
連敗は、6で止めた。

チアゴ・ガリャルドのヘディングで先制したのに、惜しかったなあ。
後半、同点に追いつかれてしまった。
1-1で、試合は引き分けに終わった。

しかし、1-1のスコア以上にピンチは多かった。
それを、ドローに終わらせたのは、選手たちの体を張っての守りだったと思う。
「やられた!」と思った瞬間がどれだけあったことか。
そのたびに、選手たちが飛び込み、相手の得点を阻止していた。
GKの守田も、いくつもスーパーセーブを見せていた。

試合の終盤は、審判のミスジャッジが目立ち、東京寄りの判定にいらいらしたけれども、相手に勝ち越しを許さなかった。
試合前、新聞には、堀米のコメントが載っていた。
「他のどのチームより、死ぬほど走ったことは自信になる」
と。
この言葉通り、選手たちは、本当によく走り、体を投げ出して相手の得点を最少におさえた。
選手たちの気合をすごく感じた。
間違いなく次節以降も楽しみになった。

ところで、今日の試合のメンバーを見て、開幕戦と比べたら、違いの大きさに驚いてしまった。

【今日の試合】         【開幕戦】
GK 21 守田 達弥         GK 21 守田 達弥
DF 8 小泉 慶          DF 19 矢野 貴章
DF 44 大武 峻         DF 50 富澤 清太郎
DF 4 ソン ジュフン        DF 2 大野 和成
DF 27 堀米 悠斗        DF 23 酒井 宣福
MF 6 磯村 亮太         MF 34 原 輝綺
MF 30 ロメロ フランク     MF 8 小泉 慶
MF 19 矢野 貴章         MF 13 加藤 大
MF 10 チアゴ ガリャルド    MF 18 成岡 翔
MF 7 ホニ             FW 9 山崎 亮平
FW 16 平松 宗          FW 7 ホニ

同じポジションについている選手が、GKの守田だけである。
そして、矢野、小泉、ホニは出ているけど、ポジションが変わっている。

今日、交代出場した選手も、河田、端山、酒井豪聖と、若い選手に次々と出場機会を与えていた。
その采配も、少し変わった気がした。
変化があるということが、ワクワクするような気持ちをさらに高めてくれている。

勝利は、近い!
前向きに、次のホーム横浜戦の勝利を期待したい。
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J1リーグ、3週間ぶりの再開~新潟の試合は明日だけど…

2017-07-29 22:15:15 | アルビレックス新潟
3週間ぶりに、J1リーグが再開した。
と言っても、今日は6試合のみ。
明日に3試合が予定されている。
新潟のアウエーFC東京戦は、今日ではなく、明日。
15位と下位の札幌が、今日は浦和に勝ってしまった。
残留争いの相手の1チームである札幌の勝利は、新潟と勝ち点差11。
4勝分の差となってしまった。
これは大きいなあ。

今日の試合では、この中断期間に補強された外国人選手が、いい仕事をしていた。
注目の神戸のポドルスキとか札幌のジェイとか、点を取ることが期待されている選手が、ちゃんと得点を決めるのだから、さすがだと思う。
新潟にも、FWのタンキという選手が入ったので、爆発するような活躍を期待していたが、日本に来て2か月近くたつのに、明日の試合は出られないとのこと。
その理由が、国際移籍証明書とやらが間に合わないからだとか…。
向こうが悪いのか、こちらが悪いのか…?
2か月もあったのに、なんで間に合わない…。
まあ、ぶつぶつ言っていても仕方がない。
けが人もだいぶ復帰してきたし、今までとは違う戦いぶりを期待しよう。

明日を入れて、まだ16試合もある。
あきらめずに、1試合1試合勝利目指して戦うのみだな。

明日は、どんな戦いを見せるか、とても楽しみだ。
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「青空」が見たくて、歌を集める

2017-07-28 22:30:20 | うた
ここ数週間局地的な雨のニュースばかり見てきた。
こちらでも、時にはすごい雨にあってきた。
新潟は、まだ梅雨明けに至っていない。

梅雨空ばかり見ていると、青空が恋しい。
自分が持っているCDやレコードで、青空に関する曲を集めてみた。

ずばり「青空」という曲が3つあった。
レコードで持っていたのは、谷村新司。
アルバム「引き潮」にあった。
ほかに、ふきのとうや渡辺美里にも「青空」はあった。

英語で言うと、「ブルー・スカイ」。
この曲名を歌っていたのは、チューリップ。

レコードのアルバムタイトルになっていたのは、「こんなに空が青くては」。
川村ゆう子というかつてのフォーライフレコード最初の新人の曲だ。

フォーライフレコードと言えば、井上陽水。
「青空、ひとりきり」が彼の移籍第一弾の曲だった。

曲名に青空が入っていないけれども、学生時代に好きだった岩崎宏美の「ニッカ・ボッカ」。
「あんまり空が青いので、ニッカ・ボッカをはきたくなった」と、声を高らかに歌っていた。
そして、NSPの「八月の空へ翔べ」。
この曲は、アレンジが空を飛んでいるような感じでとても気に入っている。
「僕は今 あの時の君に口づけた一人の少年」と、懐かしい感じのする歌詞もいい。
NSPには、「碧き空は永遠に」という歌もある。

さわやかな歌声は、ハミングバードの「いつか青い空に」。

赤い鳥6人目のメンバーだったが、後に音楽プロデューサーとなった渡辺俊之が、そのまえにデュエットとしてデビューした時の曲。

この曲が入ったLPは、学生当時に高田馬場まで探しに行って見つけた思い出がある。


似たようなタイトルの「いつか見た青い空」を歌っていたのは、「目覚めた時には晴れていた」をヒットさせた、伝書鳩。」
逆に、「青い空はいらない」と歌っていたのが、がむがむというグループ。
ずっと待っていたが、2015年にやっと、ベストアルバムCDが出ていたのを知って、先日購入したのだった。

ほかに、空の歌で好きだったのが、谷村新司の「この空の下」。
これは、学生時代の深夜放送で谷村新司がパーソナリティーをしていた番組の、エンディング・テーマだった。
先ほどの「青空」 同様に、「引き潮」に入っている。

「空」というだけの曲もある。
五輪真弓がゆったりと歌っていた曲だ。

「あの空へ帰ろう」は、朝の連ドラ「雲のじゅうたん」の主題歌だった。
チェリッシュの悦ちゃんの歌声が素敵だった。

また、松山千春の「大空と大地の中で」も雄大な感じの名曲だ。
小林みちひろは、「君よ大空へ」を航空会社のCMで歌っていた。

私が好きな浜田省吾にも、「青空のゆくえ」という曲がある。
また、青空ならお天気だろうと、「悲しいほどお天気」というユーミンの曲もあった。
また、晴れた空ならば、「7月7日、晴れ」という曲名の、ドリカムの曲もある。


…こんなふうに、様々な曲たちから選曲して、青空を歌った曲をCDに編集して楽しんだ私なのであった。



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無理なく、効率的に走る、ための本

2017-07-27 22:51:33 | RUN
 年に1回フルマラソンにも挑戦する私だが、体を壊すくらいにまでがんばって練習するのは好きではない。

 今まで読んできたRUN関係の本を並べてみると、「無理なく」・「楽に」走れる、とうたったものばかりである。

 その代表的なものは、「週1回のランニングでマラソンは完走できる」(真鍋未央)。

 去年は、この本に力を得て、確かにフルマラソン完走までいくことができた。

 「やってはいけないランニング」(鈴木清和)

や、「常識破りの川内優輝マラソンメソッド」

なども、ランニングの量を増やせばよいということではない、と言ってくれている。

 今年読んで結構いいなと信じているのは、「誰でも4時間を切れる! 効率的マラソンメソッド」(川越学)。

 自分が4時間を切れるとは思わないが、確かに効率的な練習方法が書いてある。

 今季は、この本を一番の教えとして、走り方を磨いていくことにしよう。

 走るにつれ、よりよい走りのために何をするとよいのか、を思うようになった。
 60歳だから、楽をするためではなく、効率よく走れる走り方を、身に着けたいなと思うのだ。
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「物語100,今江祥智」を読む

2017-07-26 22:54:48 | 読む

今江祥智の「物語100,今江祥智」(理論社)という童話集を読み終えた。
この本を初版本で持っている。
発行は、1989年の1月である。
中の連絡用のはがきは、昭和64年8月31日までと書いてあった。
昭和64年は1月7日までしかなかった。
昭和天皇が崩御したからである。
そして、時代は平成となったのであった。
私自身まもなく33歳を迎える頃であった。
この本、買ってから今まで読んでなかったのである。
今はいったい第何版になるのだろうか?

どうして、この本を買ったのだろうか?
記憶は定かではないが、国語の教科書に「どろんこ祭り」というのがあった。
「せっちゃんは、おきゃんで、それに比べてうちの三郎はねえ…」で始まる話。
ちなみに、おきゃんの意味を調べると、
「おきゃんとは、活発でやや軽はずみな若い女性。また、そのようなさま 。現在はあまり使われず、死語となっている。」
だから、他の話も読んでみたいと思ったのかもしれない。

この本の内容について、作者の思いは、データベースにこう書いてある。

30年程前、童話を初めて書いたあと、もしも童話作家になるのなら、せめて一月に一つ位は物語を書こうと秘かに決心しました。以来、だいたい決心通り書き続けていたら、いつのまにやら400程、物語を作っていました。本書はその中から好みのものをちょうど100篇集めた自選集であります。

そしてこの本、「物語100」は、618ページの本である。
100でわり算をして平均を出して約6と答えが分かるように、1編当たりの話は、長くない。
だから、一気に読めるのであった。

それなのに、私はずっと読まずに本棚の一番上に飾ったままであった。
「100」とか「600ページ強」という数字が重すぎたのかもしれない。

その本を、私は、購入してから28年たったこの5月からようやく読み始め、およそ2か月かけて読み終えたのだった。
読まないなんて、3605円もかけて買ったのに、もったいない!
一日平均2話を読むと、2か月かかるな、とか、1つの話がページ数少ないから読むのが楽だな、とか思いながら読み始めた。
ちなみに今は、4509円するのだそうだし、表紙も同じ宇野亜喜良氏のものだけど、異なった絵が描かれてある。


100の物語の中には、意外にも、時代物が多くあって、「おさむらいさん」の時代の話も多いのである。
今の時代の作者だと、さむらいだの、アフリカだのは、そんなに出てこないだろう。
そんなふうに、作られた時代を感じながらも楽しく読んだ。
童話作家の話をこれだけまとめて読んだことはなかった。
絵本でなくとも、気楽に読める本もいいものだと思ったしだいである。

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カレーを作る日

2017-07-25 23:01:58 | 生き方
月1回のカレーを作る日。
月末の週に、私が作る日がある。
夏野菜のカレーにしようかとも思ったが、ナスくらいしか形のある夏野菜はなかったので、ナスも入れずに、普通のカレーにした。
さすがに、毎月作っていると、手慣れる。
ジャガイモや玉ねぎの量も、このくらいと思いながら切って準備がちょうどよくできる。
また、野菜を炒める時も効率よくできるように、あらかじめ切った野菜をレンジでチンすることにも迷いがなくなった。
ジャガイモは、形が崩れないように、なるべく終わりの方に入れる。
市販のルーを入れる時も、野菜や汁の量に応じて入れる量の加減もうまくなった。
仕上げのチョコ1個やチャツネも、入れるタイミングがよくなった。
今日のカレーは、いい味でした!

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雨に負けず21kmを走る

2017-07-24 21:48:29 | RUN
1日中雨。
今日は佐渡では、50年に1度と言われるほどの大雨となった。
佐渡にも川はあるが、いずれもその長さは短い。
それでも、川が氾濫したということは、いかに一気に多くの雨が降ったかということだ。
五泉市や魚沼市には避難準備情報も出た。
つい先日も被害を受けた地方だけに、今回被害が広がらないか、心配だ。

当地も、今日は1日じゅう雨が降った。
大雨警報は出たが、夕方は小やみになる時もあった。
雨を振り払いたい気持ちになって、夕方、小やみの時を見計らって、走りに出た。
雨がひどくなった時、いつでも帰れるようにと、走る場所は近くの運動公園。
1周およそ1.1kmの周回コースを何度も回る。

雨の降る中だけあって、気温も24℃。
時折雨がちらついていたが、むしろ気持ちいい。
足元が濡れていたり、水たまりがあったりして、多少の走りにくさはあったけれども。
6kmほど走ったところで、雨が一気に強くなった。
桜の木やケヤキの並木の下を走ったが、さすがにびしょびしょになった。
でも、それでかえって濡れる心配がふっ切れて、気持ちよく走れるようになってきた。
6分過ぎから6分10秒前後で心地よく走れた。
5kmごとに水を飲み、塩飴をなめる。
そんなふうにして、気温が高くないのを好条件に、20kmを目標にして、結局は21.2kmと、ハーフマラソンの距離を走り切った。
記録を見ると、2時間8分7秒。
平均は、1km6分2秒のペースとなる。
いいとは思うが、これを42kmとなると、とてももたないなあと思う。
それでも、こうして時々は多い距離を走らないと、ハーフやフルなどのマラソン大会に向けては不安になる。

家に帰って靴を脱いでみると、足がふやけていた。
たっぷり水分を吸っていたということだ。
でも、雨に負けたくない気持ちは、通した。

しかし、明日も前線は停滞しそうだ。
まだまだ、大雨の不安が続く。
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小学校の同級会~皆、それぞれがんばって生きてきたことが伝わって来た~

2017-07-23 18:19:21 | 生き方
小学校の同級会。
さすがに、皆、それぞれが60年も生きてきただけある。
それぞれが苦労を重ねて「ここまで生きてきた仲間」だなあと思った。

小学校の時は、男子13名、女子9名の22名の学級だった。
昨日の同級会の参加者は、男子9名、女子8名。
女子の1名が数年前の脳梗塞で欠席。
男子の欠席理由は、今日も働いているというものが多かった。
ただ、北海道にいる者や、船に乗って働いている者もいる。
それにしても、合計17名の高い参加率であった。



人生経験を積み重ねてきたのだなあ、と思うことが多かった。
まず、会場に行くまでのことだ。
交通に不便な場所にあり、そこに行くのには路線バスしかないか、と思っていた。
2週間ほど前に、突然A氏から家に電話がかかって来た。
「バスは、土日は運休だが、どうやって会場まで行く?よかったら、自分が車を運転していくから、一緒に代行で帰ろう。他の者にも呼びかけてみる。」
というものだった。
小学校時代、ともすれば自分中心の考え方をすることもあったA氏だが、こうして人のために自分から電話して回るという姿に、感心した。
結局、呼びかけた人の中に、酒を飲まずに自家用車で参加するB氏がいて、今度は、B氏が「自分が酒を飲まないから、3人をあちこちで乗せていく。」ということになった。
A氏、B氏ともに、ほかの人のためにと、すばらしい思いやりである。
B氏は、飲まないのに2次会まで参加し、帰りも私たちを、さらにもう1人追加して送ってくれたのであった。

さて、さすがに40数年ぶりに会う人々、出会った一瞬で誰か判別することは難しい。
しかし、小学校時代の顔を思い浮かべ、その中に「正解」がいるはずだ、と思うと、やがて、「ああ、○○だ!」と思いつくのである。
面白いものだ。
部屋の中央に向かい合うように座卓が並んだ座席。
「男女交互に座ってください」という幹事の言葉に素直に従う参加者たち。
およそ50年前の小学校時代は、男だけ女だけに分かれて固まっていたものだった。
大人になった?当たり前だよな、60年以上生きているんだもん。

全員と話した訳ではないが、人生経験の深い話もあちこちで聞けた。
Cさんは、結婚して家を出たが、きょうだいが女性ばかりだったので、全員嫁に行ってしまった。
下の妹たちがしっかりしていたので任せていたが、老いた両親の世話ができないことにあきれてしまった。
夫と相談して嫁入り前の姓に戻り、父も母も、最後を看取るまで下の世話まで懸命に行ってきた。
「(実家が)なくなってもいい、と考える妹たちだったけど、父母が守って来た家や思いを考えると、私はそれが許せなかった。」
小学校時代は、のほほんとしたイメージが強かった彼女だったが、意思の強い行動と話し方に人生を感じた。

Dさんは、2度結婚している。
しかし、今は、20代後半の息子と2人暮らしだと言う。
息子の仕事が長く続かないことが多いので、そのことを心配してきた。
先月からまたしっかりしたところに就職したので、がんばってほしいと願っている。
「いくつになっても、親は子どものことが心配だね。私も親に心配かけてきたんだろうけど。」
子ども時代も明るく活発だった彼女は、そのままたくましく生きていた。

ほかに話を聞くと、男性陣からは、定年退職してから再雇用で働いたり再就職したり、という話題が多かった。
埼玉県に住んでいる女性は、小学校時代は口数も少なくある意味最も弱い存在だったが、明るくよくしゃべる人になっていた。
この後の2次会でも、「音痴だから」と言い照れながらも、デュエット曲を楽しそうに歌っていた。

3時間余りの会は、あっという間に過ぎた。
10年前に幹事をしてくれたE氏から、最後の締めの言葉を頼まれた。
こちらも、ある種しゃべるのが仕事だったから、気持ちよく引き受けた。

還暦まで、全員がよく生きてきた。
いろいろ苦労もあったと思うけど、それが一番すばらしい。
これからも、元気に生きていきましょう。

そのような話をし、一本締めで会を閉じた。
メンバーの一人が、二次会の会場を準備していて3人が帰ったが、残った顔ぶれはおよそ2時間余りカラオケで楽しんだ。

中学校を別にした私には、小学校の同級生たちが中学校ではどのように変わったのかは知らない。
そして、その後それぞれがどのように生きてきたのかも知らない。
しかし、再会した彼らは、間違いなくどの人も齢を重ね、人間としての味わいが深くなっていた。
50年前、小学生時代は、この人たちと一緒にいてつらい思いをする日々が続いていた。
それなのに、その人たちと、笑って会える、こんな日が来るとは思ってもみなかった。
子どものときだけで人生が決まる訳ではない。
そんな当たり前のことを、50年前の、つらい思いをしているあの頃の自分に教えてあげたいと思うような、小学校の同級会であった。
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今夜、今度は小学校時代の同級会

2017-07-22 14:13:57 | 生き方
先週土曜日は、中学校の同級会があった。
それは、ここで書いたとおりである。

実は、今週土曜日、つまり今日は小学校の同級会が夕方にあるのだ。
2週連続の同級会である。
この、小学校の同級会をやるという連絡は、なんと4か月前の3月のうちから電話で知らされていた。
ずいぶん前から連絡が来るものだなと思いながらも、出席を快諾したのだった。

中学校は、250人以上同級生がいたが、小学校は自分を含めて22人しかいないという、小さな小学校であった。
小学校1年生で1人転出、4年生で1人転出、5年生で1人転入ということで、6年間でメンバーの入れ替わりの機会は、わずか3人しかなかった。
だから、人間関係は固定化され、良くも悪くも、力関係が決まってしまっていた。
頂上には、気が強く腕っぷしに自信のあるボスが君臨していた。
その両脇には、すぐその手下となって働く取り巻きたちがいた。
私は、体が弱く、気も弱かったし、運動をさせても男子13人の中で最下位の存在であった。
だから、運動で何をしても彼らのようにうまくできず、いつも馬鹿にされていた。
ただ、学習の成績に関しては、少しだけよかったものだから、級友たちにはそれがまた気に入らないために、私を「がり勉野郎」と言ってさげすむのであった。
だから、私は、小学校時代には情け容赦ないいじめを受けて過ごした。
特に高学年になってからは、陰湿であり、学校に行くのが本当につらかった。
6年生の時にそのいじめを、隣学年の若い女性の先生が見つけてくれ、大きな問題となった。
そんなことから、中学校は、小学校時代の級友たちとは別れて、別な学校へ行った。
そんな過去を私はもっている。


この小学校の同級会、というのは、実は今回で3回目となる。
1回目は20歳の時。
地域の集落センターの一室を借りてのものだった。
2回目が10年前の50歳の時。
同級生が旦那と一緒にやっているラーメン屋でのものだった。
いずれも半分くらいの人々しか集まらず、ボス的存在だった男は来なかった。
今回は、もう少し集まるそうだ。

10年前の夏にも中学校の同級会と小学校の同級会が行われたが、人間関係の濃さでは、小学校の方がはるかに上回っていると感じた。
さて、卑屈な小学校時代から半世紀もたち、彼らとの再会で、今夜自分自身がどんな感情を抱くのだろうか、複雑な思いもあるが、楽しみな思いもあるのである。
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