ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

ペドロ・ジュニオール、ガンバ大阪へ電撃移籍! 取り残された新潟の応援者の一人として

2009-08-27 22:49:55 | アルビレックス新潟
へえー、ガンバ大阪のレアンドロが、カタールのチームに移籍~!?
かわいそうに、ガンバ。前にも外国人選手が突然移籍したよなあ。マグノアウベスとか、バレーとか…。
この前は、名古屋からダヴィが中東のチームに突然移籍したし、オイル・マネーにはかなわないなあ…。

―なんて思っていたら、レアンドロ移籍のとばっちりが、なんと新潟にも来た!
今シーズンのアルビレックス新潟の上位の成績に貢献していた、ペドロ・ジュニオールが、なんと完全移籍でガンバ大阪に行ってしまうのだという。
いやあ、驚いた。
しかも、大宮からレンタル移籍していた彼を、完全移籍で新潟が獲得した上での、大阪への完全移籍だという。
ここには、相当の金が動くのだろうなあ、と想像する。
レアンドロの違約金は、何億円と巨額だろう。
そうなると、2千万円前後の(?)安いペドロを獲得するのは訳はない。
ルール上大宮から直接の獲得はできないのなら、ひと手間かけても惜しくはないという訳だ。
こうなることを予測して、あるいはこういう話が持ち上がっていたから、新潟は、第4の外国人エヴェルトン・サントスを獲得していたのか~と、納得してしまう。
えげつないよなあ。

しかしなあ、えげつないより何より、つい5日前の試合でも自分のチームの中心選手だと思って応援していた選手が、あっという間にライバルチーム(?)のメンバーになってしまうのが、悲しい。
自分たちにとって、なくてはならない選手だと思って、熱を入れて応援していたのに。
彼の応援歌を声を上げて歌っていたのに。
これが、サッカーの世界市場か…。

先週3位から5位に落ちた新潟は、これで、さらに厳しい戦いを強いられることになった。
例年夏場に失速する新潟だが、今年も、これでその可能性が高まった気がする。
でも、そう簡単に落ちてたまるものか。
選手たちや監督が毎年同じ過ちをおかしてたまるものか。
応援する者にとって、頼りになる外国人がいなくなろうとなんだろうと、自分たちのチームであることは変わりがないのだ。
来てくれる選手は、全力を挙げて応援する。
去っていく選手には、お世話になったと感謝はするが、未練は持たないことにする。
ひょっとすると、この移籍のおかげで、新しい選手が活躍したり、新しい戦術が見られるようになったりするのかもしれないから。

今までありがとう、ペドロ・ジュニオール。
あとは、健闘を祈るけど、応援はしないよ。
アルビレックス新潟を応援し続けるけどね。
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よくやった、日本文理の選手たち! 新潟の誇りだ!

2009-08-24 23:07:00 | ひと
新潟県代表、日本文理高。
決勝戦。9回裏すでに2アウトランナーなし。
得点は、4対10。6点差だ。
この回3人目のバッターは、1番打者。
2ストライク2ボール。追い込まれた。最後のバッターかと思った。
しかし、粘って四球で歩く。
次は2番打者。今日、というより今大会通して当たっている。今日だって、3回には一度同点に追いつくホームランを打っている。期待したい。
2ストライクを取られ、追い込まれる。
が、ここからファウルを打って、粘る。粘る。
ついに左中間2塁打を打ち、1点返す。5点差。
とはいうものの、あとアウト1つで試合終了は変わっていない。
ここから、3番打者3塁打で、6対10。まだ4点差。
4番打者がファウル落球もあって、幸運な死球。
5番打者も四球で続くと、投手だが打力のある6番打者は三遊間を抜けレフト前ヒット。これで、8対10。
7番打者に代打が出た。初球をレフト前へヒット。9対10。
なんと、1点差に追い上げた。2死ランナーなしから5点取って、なおもランナーは一、三塁。
ついに、一打同点というところまできた。
ここまで、7人が、自分がアウトになれば試合終了というプレッシャーの中で、ある者はじっくり球を選び、ある者は積極的にボールを打ってきた。これは、すごいことだと思う。
もうダメだと思って、簡単に打って出てしまいがちなものだが、じっくりボールを見て、好球を打ち、悪球は見逃す。危険な球はカットする。すばらしい技術だ。
そして、その技術をこの土壇場で発揮できる。なんとすごい精神力だろう。
もう、終わりだ。そう思って、簡単に終わっても仕方がないところだ。
しかし、自分のできるだけのことをしようと、熱い思いを持ちながら冷静に力を発揮した選手たち。
すごい。
8番打者は、思いきりボールをたたいた。
すごい打球が三塁方面に飛んだ。
奇跡が起きた。同点だ!
…と思った時、
そのすばらしく強い打球は、三塁手の正面だった。グラブの中に、文字通り吸い込まれていった。
試合終了。…。

しかし、試合をあきらめないその粘りは、全国の人々の心に深く刻み込まれた。
決勝の、最後の最後のこの場面で、持てる力を十分に発揮した選手たち。
甲子園球場では珍しい、スタンディング・オベーションが起こった。
みな、すばらしい感動に包まれた。
この戦いぶりは、新潟の誇りだ。
50代の今まで、新潟県勢はベスト4すらなかった。
ベスト8だって、25年も前だ。
しかし、「全国制覇」を旗印にして戦い始めた日本文理の選手たちは、新潟だって、やればできるということを全国に示してくれた。
厚く感謝したい。
ありがとう、日本文理の選手たち。
ありがとう、監督はじめ関係者のみなさん。
私たちは、今年の日本文理のさわやかな、そしてたくましい戦いぶりを、生涯忘れない。
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同じ2対1だが、うれしさが違う (^-^)v

2009-08-23 16:36:23 | アルビレックス新潟
昨夜は、アルビレックス新潟のホームゲーム、京都戦。
都合の悪い中を何とかして、東北電力ビッグスワンスタジアムに駆け付けた。
前半、試合内容は五分ながら、やや押し気味。
なんとかなるのではないかと思っていたら、先制!ついに1対0。
今日は久々にバンザイができるかなと思っていたら、いずれもセットプレーから悪夢のような2点。
逆転負けを喫してしまった。
1対2。
ゴール裏Nスタンドのサポーターたちも、今年は引き分けても負けても、試合後の選手たちを「アルービレックス!」と鼓舞してきたのだが、昨夜はあえて沈黙した。
ふがいない試合内容に怒ったのだ。

しかし、

夏の全国高校野球大会今日の準決勝で、日本文理高校が、勝利。
今までは、打ち勝ってきた内容だったが、今日の県岐阜商戦は、かなり投手戦の色濃い接戦であった。
6回に1点、7回に1点。2対0とリードして最終回を迎えた。
1点をとられ、なおも2死2塁のピンチだったが、ここをしのいだ。
2対1。
双方に勝機のある試合であった。
だが、接戦を制したのは、当県代表の日本文理であった。
やった!
ベスト4でさえ史上初なのに、そこを勝って、明日はついに決勝である。
対戦相手の中京大中京は、いつの時代でも強豪である。
今大会を迎えるまで、全国大会の通算勝利数(春・53勝、夏72勝、計125勝)、優勝回数(春・4回、夏・6回、計10回)はいずれも全国最多である。
対するに新潟県は、今まで県全体でも16勝だった。
日本文理高は、春2勝・夏0勝だったのである。
それが、今回は互いに4勝以上して決勝で相まみえる。
新潟県民は、明日はどのような戦いをしてくれても、皆、満足である。
だけど、「全国制覇」を合言葉に力を鍛えてきた日本文理高。
真紅の大優勝旗を、豪雪の冬の日本海側に運んできてほしい!
がんばれ、日本文理高!!! 
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雪国新潟のハンデを克服!日本文理、よくやっている!!!

2009-08-21 22:05:58 | 生き方

雪がなければ…と思うことがよくある。
確かに、近年は以前のような大雪は少なくなった。
でも、雪が降らなくても、新潟は冬の間中、時雨れる。
いつも暗い空。冷たい湿気を帯びた風。
太平洋側のようなカラッとした晴れなど望めない。
11月から3月いっぱいそのような天気が続く。
グラウンドは、いつもぐちゃぐちゃだ。
土の上でしっかりとした練習ができない。
だから、野球にしてもサッカーにしても、新潟の屋外スポーツは、弱い。
甲子園の通算勝利数は、全国47都道府県中最下位の47位。
それなのに、今、夏の全国高校野球大会で、新潟県代表の日本文理高校ががんばっている。
新潟県勢として25年ぶりのベスト8進出。
新潟県民として、本当にうれしい。
そして、今日の準々決勝。圧倒的な打力で、ついにベスト4へと勝ち上がった。
これだけ強い打球を飛ばしたチームは新潟県にはなかった。
この勢いで、準決勝・決勝と勝ち上がってほしい。
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立ち続ける草花 走り去る私

2009-08-13 15:37:39 | RUN
明日潟((あすがた)を巡る砂利道の上り坂を駆け上がる
上り切るとオレンジ色の木もれ陽が行き先を包む
自然とストライドが伸びるゆるやかな下り坂 
その脇にすっくと首を持ち上げて立つヒメジョオン・ヒメジョオン・ヒメジョオン
夕陽に照らされた柔らかな緑色の葉が
風で揺れる 大きく揺れる
茎から枝分かれしたいくつもの白い花々も
首を大きく振るように 右に左に大きく動く

こんなに強く吹き抜けていく風に
負けることなく 折れることなく 咲いている
そのそばを あえぎながら私が走る 汗を流しながら過ぎる
ヒメジョオンよ 君はこの場にすっくと立つことで
私はこの場をすっすと走り去ることで
自分の生命の火を燃やしている


駆け行けば明日潟のほとりに出る
水鳥が憩うそのそばを つもりはないが脅かすように足音立てて走っていく
近くの家の生垣から首を出すように背を伸ばし咲いているタチアオイ・タチアオイ
赤で模様の描かれたような白い花 茎の下から上の方に咲く
上の花まで咲いたなら梅雨が終わりになる という
潟の面を吹き抜ける風に揺れながら 風に負けずに揺れながら
折れないようにぴしりと立つ

こんなに強く吹き抜けていく風に
負けることなく 折れることなく 咲いている
そのそばを あえぎながら私が走る 汗を流しながら過ぎる
タチアオイよ 君はこの場にぴしりと立つことで
私はこの場をずんずんと走り去ることで
自分の生命の火を燃やしている


明日潟に別れを告げ 車行き交う舗道を走り行く
自転車びとに抜かれながら 追いつけないと知っていながら追い駆ける
歩道と車道の隙間にひょろひょろと何故に生えたかエノコログサ
あと二メートル左に生まれていれば もっと自由に根を張れたものを
走る車にあおられながら 走る車の汚れたガス浴びながら
細い茎 細長い葉 頭に重い穂をかかえても
しなやかに そしてしたたかに ひょうひょうと風に揺れている

こんなに強く吹き抜けていく風に
負けることなく 折れることなく 生きている
そのそばをあえぎながら私が走る 汗を流しながら過ぎる
エノコログサよ 君はこの場にゆらゆら立つことで
私はこの場をひゅんと走り去ることで
自分の生命の火を燃やしている


ああ その場を動けぬ君たちなれど
その場に立ち続け自らの生を主張する
ならば私は 汗を流してこの場を去ることで
自らの生を主張しよう
だから私は 走る 走り去る 走り続ける
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今年も胃カメラ…

2009-08-11 09:14:55 | 生き方
昨年、医者に言われたとおり、今年も人間ドックでひっかかった。
胃のレントゲン写真に写る丸い影。
去年、胃カメラを飲んでみると、胃にできた小豆大のかわいいポリープであった。
「これから、毎年写りますよ。」
そう言われた。
確かに。その通りになっている。
今年も人間ドックで「要精検」となり、昨年と同じ医者に行き、同じ診断。
毎年、人間ドックで影が写る。
毎年、胃カメラを飲まなくてはいけない。
あー、タメイキ!
負けてなるものか

我々が子どもの頃、50代の人はもっと年寄りくさかったように思う。(自分を弁護するわけではないが)
それからすると、だいぶ金属疲労は多いがまだまだ元気でいられる50代だ。
また来年も元気でいて、胃カメラを飲むぞ!!(???)
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啄木、賢治、石ノ森 3者の若い時の思いにふれて…

2009-08-10 16:07:16 | ひと
東北に、妻と小旅行に出かけた。
盛岡周辺にいると、岩手山が圧倒的な迫力で迫って来る感じがする。
岩手公園で、啄木の句碑を見た。
「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸われし 十五の心」
そして、街中をぶらぶらと歩いた。
街中に、「啄木・賢治青春館」を訪ねた。
元は、第九十銀行という銀行の建物だったという。
ここでは、宮沢賢治の「永訣の朝」という詩に引き付けられた。
今わの際を迎えた妹。その時の詩であった。
「あめゆじゅとてちてけんじゃ」この繰り返しが切ない。

啄木や賢治の若い時の文章などに触れていると、若い頃は、さまざまな感覚が鋭敏だった気がする。
今が決して鈍感だというわけではないが、50代ともなると、物事に対する感じ方が許容範囲が広がっているというか、物分かりがよくなってしまってこだわりがなくなってしまっているというか、そんな感じがした。
啄木は20代、賢治は30代で逝去している。
こうしてその倍近く生きていると、啄木や賢治らは、自分を表現する術をもち、ありったけ自分の思いを内なるエネルギーとして表出して生き急いだというか、人生を駆け抜けたように改めて思った。

岩手の帰りには、宮城県北部に立ち寄った。
石ノ森章太郎のふるさと記念館があるからである。
漫画家を目指す若者たちの集まったトキワ荘のことがよく語られる。
これもまた、当時はマンガという新しい表現方法で創作活動に努めた人たちだ。
その一人、石ノ森章太郎は、レオナルド・ダ・ビンチになりたかったのだと言う。
近くには生家もあり、訪ねてみた。
玄関が土間で、昔ながらの間取りの家。
自分の子ども時代によく見かけた家の造りだった。

もうこの世にはいない3人の、若い時の思い。
そんなものにふれて、改めて自分自身のことを思った。
創造的な生活から、遠く離れている。
詩や文章はうまくできないし、マンガは好きだが、絵は昔からヘタだった。
でも、何かもっと自分を表現してみたい。
昔、そんなことを自分が思っていたことを思い出し、久々にそんな気分になった。

自分の人生は、これからどれだけあるのかは知らないが、自分探し、少しは続けてみようと思っている。
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