ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

途上にて

2017-02-27 22:21:25 | うた
歳をとるのは、誕生日ではなく、その前日だという。
だから、4月1日生まれの人が、3月生まれの人と同様に早生まれの扱いとなる。
その意味で言うと、今日、私の「五十路」が終わった。
60歳に「達した」ことになる。

だけど、このブログは終わらせないで続けたい。
まだまだ人生、途上だと思うから。
そんな思いで、表題を変えた。

“ON MY WAY”
どこへ向かうのかはわからないけど、途上にて、その時その時の自分の思いをこれからも綴っていこうと思う。

「途上」という言葉が入った歌で、学生時代から気に入っている曲がある。
みなみらんぼう作詞・作曲の「途上にて」がそれだ。


風が激しく吹いている  愚かな昔みだらに過ぎて
未知は途上で夢も破れた  そんな昔はまぼろしか
風よ運べ燃える思いを  火を放て俺の心に

過ぎ去るものは過ぎ去ればいい  流れるものは流れてゆけ
命あるものは生きていればいい  酒があるなら飲み明かせばいい
風よ運べ燃える思いを  火を放て俺の心に

風よ運べ燃える思いを  火を放て俺の心に



この歌は、みなみらんぼうさんが、夜中に起きて短い時間に一気に作った曲だと言う。
谷山浩子さんがピアノやコーラスで参加していたと思うが、好きな曲だった。
EPレコード、LPレコード共に買ってよく聴いたのであった。


歌詞のように、流れるままでよし。
生きていればよし。
ともすれば忘れそうな、心に燃える思いをもって、これからの人生も生きていきたいと思う。
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やるじゃないか、新潟

2017-02-25 22:20:00 | アルビレックス新潟
アウエー広島の地でJ1リーグの開幕戦。
チームの本拠新潟では、今朝も雪が降りましたよ。(降った分は午前中にとけたけど。)
2月下旬や3月初旬に試合が行えるなんて、いいなあ。
開幕戦がホームで迎えられるチームがうらやましい。

ともかく、開幕戦である。
新しい新潟は、どんな先発メンバーなのだろう、とワクワクした。
すごいことに、18歳原輝綺がやはり若手21歳の小泉慶と組んでボランチで開幕戦先発。
高卒選手の開幕戦先発は、チーム始まって以来である。

試合は、ベテラン、新鋭の力がうまくかみ合って、1-1の引き分け。
押しながらも先制できず、後半立ち上がりに先制を許してしまった。
しかし、田中達也の同点ゴールで息を吹き返した。
チームはその後、矢野貴章が退場となり、苦しい展開となったが、なんとか引き分けに持ち込んだ。

去年なら、先制されるとその1点を取り返せずに終わってしまっていた。
今年は、追いついた。
それだけではない。
積極的な各選手のプレーぶりは、これからの期待を大きく抱かせるものだった。
新人の原の攻守、新外国人選手のFWホニのスピード、DFとして復活した矢野の姿(イエローカードを2枚もらってしまったのは余計だったが)などは、本当に頼もしかった。

勝てなかったけれど、不利な状況でも負けなかった。
攻撃もメリハリがあって本当に期待感が高まった。

去年までの主力の2人のシルバが所属する、鹿島も浦和も負けてしまった。
案外、新潟の負け癖を持って行ってくれたのかもしれない。


次戦はどんな戦いを見せてくれるだろう。
今シーズンの新潟のこれからが大いに楽しみだ。
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順位予想を覆せ!

2017-02-24 22:26:57 | アルビレックス新潟
それはまあ、そんなもんだろう。
サッカー専門誌D誌によるJ1リーグの順位予想を読んでみた。
新潟の順位予想は、見事に16位。降格圏という訳だ。
解説者や記者の予想を見ると、7人が最下位、6人が17位、6人が16位。
30人のうち、19人が新潟を降格と予想している。
残留でも6人がギリギリの15位。
最高の予想順位が、金田喜稔さんの12位。
13位に記者、14位に玉乃淳さん、西部謙司さんがいるのみ。
新潟にとっては特別な、山口素弘さんや平畠啓史さんにしたって、残留させてくれる予想にはなっているが、15位だ。

当たり前だよな。
昨年も一昨年も15位。
昨年は、J2落ちした名古屋と勝ち点は同じながら、得失点差でかろうじてJ1残留したのだから。
しかも、去年まで4年間チームの心臓であったレオ・シルバと、チームダントツの得点王だったラファエル・シルバが移籍してしまった。
守りの要の舞行龍ジェームズも、元日本代表の松原健も、出て行ってしまった。
すごいよなあ、確かにレギュラーメンバーが、軒並みいなくなってしまった。

だけど、監督も代わった。
両シルバ達に代わるブラジル人選手も3人入った。
様々な選手が入り、所属選手は34人を数えるくらいにまで増えた。
元アルビ選手だった矢野貴章やミスターアルビレックスと呼ばれた本間勲が復帰した。
主力がいなくなったから、弱くなるという考え方は、短絡的だと思う。
また新たに選手たちが競い合って強くなるはず。
むざむざと負けようとするチームはないのだ。
どのチームも勝ちたいはずなのだ。
だから、今年のチームは、どのような試合を見せてくれるだろう。

いよいよ明日から2017シーズンが始まる。
さて、どんな戦いぶりを見せてくれるだろうか。
ワクワクする。
がんばれ、アルビレックス新潟!
評論家の予想を覆してやれ!!!
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同年代の会の集まり、意外な心地よさ

2017-02-20 20:56:20 | 生き方
同年代の同業者の会の集まりがあった。
今年度または来年度に定年退職を迎える人たちの集まりである。
幹事として20人に案内を出したが、8人しか集まらなかった。
しかし、そのくらいの方が距離は近いし、話は通じるし、かえってよかった。

近況を紹介し合うと、皆、なかなか大変なところを生きているなあ、と実感する。
ある人は、この年まで新潟県で働いてきたが、元気だった90歳近い両親のうち、父親が昨年末倒れてしまったという。
母親がそこに付き添っているのだが、老々介護となり大変なのだとか。
だから、家はこちらに建てていたのだが、退職したら親の面倒を見に、山形へ帰らなくてはいけないかもしれない、と言う。

その話題が出ると、オレも同じだ、と佐渡に実家がある人が言う。
実家には母が一人で暮らしているのだとか。
だから、自分も、帰らなくてはいけないのかなあと考えていると言う。
「山形ならここから3時間ほどで行くかもしれないが、佐渡の実家までは5時間半かかる。」
という言葉のおまけ付きである。

家から何十キロか離れているために、こちらで単身赴任している人もいる。
その人も、父が数年前に亡くなったので、一人暮らしの母が心配だと話している。
みんな、老親の介護でなかなか大変なのだ。

かと思うと、「うちは両親が早くに逝ってしまったし、子どもも独立したから、夫婦二人きりになって、新婚時代に戻ったみたいだよ。」などと言う輩もいた。

時代だなあ、と思うのは、定年=退職ではないこと。
まもなく3月いっぱいで定年退職、という人たちが予定を口にしたのを聞くと、年金が出るまでみな再任用・再雇用の予定だそうだ。

そう言いながら、この中で2人は、数年前救急車に乗った人たちであった。
冬にその経験をした人は、またあんな具合になるのではないかと不安になることが多いので、今の時期はイヤだと話していた。

みな、なかなか大変な中を生きているのだなあと思う。

こんなふうな話をしながら飲み会を行っていたのだが、注いだり注がれたりはせずにそれぞれ思い思いのものを飲んでいたし、この年代ならではの話題で結構盛り上がったので、気持ちよい2時間の会となった。

健康、親の世話、今後の暮らし、…etc。
自分も含め、みんな齢だなあ。
ま、同じ年代ゆえの悩みを腹蔵なく話せるのは、やっぱりいいものだと思ったしだい。
幹事をしたかいがあったというものである。

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還暦記念の同級会の文集を編集する

2017-02-16 20:40:48 | 生き方
昨年8月、高校の同級会を開いた際に、還暦の記念に文集を発行したいという計画を提案した。
ただし、嫌がる人には無理を言わない、と付け足した。
突然の計画提案であったが、その場で反対する人は出なかったので、その発行に向けて実行に移すことにした。
最初は、12月末日を締切としてお願いした。
ただ、同窓会の参加者に提案したのは、8月の盆の時であった。
不参加の人たちにお願い文書を出したのは、9月であった。
そのせいか、12月末日までには日が開き過ぎたようだ。
12月中に届いたのは、10件を数えるだけだった。
無理はしない、とは言ったものの、忘れている人もいるのかもしれない。
そう考えて、1月になってから、締め切りをあとひと月延ばすので協力してほしいというお願い葉書を出してみた。
それから、6,7人の人たちの原稿提出があった。
うれしいなあ、と思った。

私たちは、高校2年と3年は、同じクラスだった。
つまり、学級解体がなかったのだ。
高2、高3と同じ仲間で暮らしたので、愛着がある。
高2でも高3でも、私は文集編集委員として、文集を編集し発行したのであった。
ただ、その当時作った文集は、「青焼き」だったのである。
普通のインクで印刷するのではなく、特別な感光紙を特別な液に浸すようにして印刷する独特なものだったのである。
これは、感光紙に印刷するだけあって、日光に弱い。
日に当たると、白くなってしまうのである。
だから、保存が難しかった。

ところが、協力してくれた同級生の一人が、スキャナを使って、40年余り前の過去の2集をPDF化してくれ、CD-Rに入れて送ってくれた。
先日、それを開いて何人分かを読んでみた。
さすがに、青焼きの文字は薄くて読みにくい。
コンピューター画面で、倍率を拡大して見てみる。
懐かしい。
皆の、初々しい文章が並ぶ。
4人の今はなき同級生たちの文章も、生き生きと綴られていた。

今回は、生き延びている(?)人たちの半分弱の原稿しか集められなかった。
だけど、ものを書くことが嫌いな人もいる。
忙しくて書く余裕が全くない人もいるだろう。
体調不良の人もいるだろう。
私の勝手な発案で始めたことだから、これ以上の無理は言わない。
原稿が届けば、もちろんなんとかしたいけど。
提出してくれた人の原稿を大切にしたい。
読んでいて、さすがに60年生きてきた人たちだと、その人たちの思いが伝わってくる。
文章を提出してくれなかった方々にも読んでいただいて、何か感じるものに仕上げたい。
なんとか、よい文集に仕上げたいと思う。

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祥月命日を前に墓参り

2017-02-12 17:03:59 | 生き方
母が亡くなったのは、2月、冬のこの時期の日曜日の朝だった。
前回書いた、2人の訪問者とかかわりがあったのは、ふた回り前のことだったが、母が亡くなったのは、ひと回り前のことである。

ここ数日、西日本、特に鳥取県や兵庫県の方では記録的な大雪となっている。
母が亡くなった年の冬も、亡くなる直前は雪がよく降っていたことを思い出す。
この近辺では、今年の雪はひと月前に一気に積もったが、2月に入ってからはさほどの積雪はない。
幸いである。

ならば、行ってくることにしようか。
今日は、祥月命日が最も近い日曜日なので、家族4人で十数キロ離れた所まで墓参りに行って来た。
墓のある場所は、砂地の斜面を上っていく。
雪が少し残っているところもあったが、歩いていくのにさほど支障はなかった。

ただ、今日は風が強かった。
冷たく湿った風が、ひゅうひゅうと吹き付けていた。
以前来たときに置いていった水揚げ用の茶わんが落ちて割れ、破片が飛び散っていたのは、きっと強い北風のせいだろう。
強風でろうそくの火は着けられなかった。
線香は、火を着けなければ焼香できないので、困った。
そこで一計を案じる。
墓のそばにあった雪を掘り、そのぐるり周りに雪を集めて壁を作り、すり鉢状にした。
風の影響を少なくし、その中で、線香に火を付けた。


亡くなったのが12年前というと、今年と同じ酉年だったのだな、と今さらながら気づいた。

いつも見守ってくれてありがとう。
これからも、うちの家族を見守ってください。
特に、娘の回復を。

墓石に向かって、そう祈りを込めた。

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24年ぶりの訪問者

2017-02-07 22:41:29 | 「育」業
「こんにちは~。」
突然、職場に訪ねてきたのは、ふた回り年下の30代の女性2名。
花と手作りのマフィンケーキを手に携えて部屋に入ってきたのは、24年前の教え子であった。

私が、もうすぐ定年退職だということで、労をねぎらいに来たのだとか。
わざわざこの職場に電話をかけ、私がいる日を聞き出して「来ることは秘密にしておいてください」と念押ししてお願いしておいたのだと言う。
様々にかけた彼女らの手間がうれしかった。

手間をかけているとわかるのは、私がいる日と休みを合わせてくれたことがわかるから。
なぜなら、一人の女性は、大きな病院でバリバリ働いている看護師。
私がいる日と、平日の日中が休みの日と合わせてくれた。
ありがたい。

そして、もう一人は、4歳と1歳の2児の母。
ここからは、1時間半くらい車を運転しないと来られない。
冬の雪道なのに、わざわざ来てくれた。
しかも、手土産に持って来てくれたのは、自分で作ったというチョコマフィン。

彼女は、かつて名の知られた菓子店で働いていた。
わざわざ作って持って来てくれたのだ。
うれしいなあ。


私が担任していたのは、彼らが5,6年生の時だった。
個性的で、男子も女子も仲間を大切にする子たちだった。
私にとっては、担任生活最後の1つ手前の子どもたちだった。
担任として、最後の卒業生だった。
彼女たちは、2年前の夏にばったり再会した、Rさんと同級生である。

昔の話やら、今の話やらをいろいろとしたのだった。
母となっている彼女は、子育てに手を焼いていると言っていた。
子育ての専門家とも言える私の考えを、いろいろと伝えたりもした。
1時間余りの時間があっという間に過ぎてしまい、玄関で2人を見送った。

二人とも、いずれも、頼もしい社会人となっていた。
この仕事をしていると、このように成長した姿に会うのが、最大の喜びだ。
24年前の私の年齢に、彼女たちは到達している。
自分は、あの当時子どもたちのためにがんばったつもりだったが、それゆえにハチャメチャなこともしてきた。
でも、成長して、大人として本当にしっかりと今を生きている。
力のない私だったが、子どもたちの可能性は、それをはるかに越えていく。


もらったマフィンケーキは、家で家族と共にいただいた。
「久々に本当においしいと思えるお菓子を食べた。」
と、妻が言う通り、とてもおいしかった。
菓子店で磨いた修業の腕も、さびついていなかった。

24年ほど前、あなた方と一緒に時間を過ごせた私は幸せだった。
私には、24年はあっという間だった。

あの頃も、そして今日も、

本当にありがとう!

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厳しい寒さの中、土も陽射しもないのに…

2017-02-05 14:37:17 | 草木花
寒波が一段落し、雪の降り方が落ち着いて、少しとけ始めた。
土曜には時々青空ものぞいていた。


先週痛めたふくらはぎがまだ完全ではないので、走りたいけど走りには出ない。
それでも、少しくらいは歩いておかないと、完全にダメになってしまいそうで、それはイヤ!
…そんなわけで、歩くことが痛くないなら歩こうと思っている。
娘の体力づくりも兼ねて一緒に散歩に出かけた。
走る時にも使っていた地下道を通って道を上ろうとしたとき、壁とコンクリート地面の境目に、様々な緑色が目に入った。

雑草の代表ともいえる、スズメノカタビラが生えている。

その周辺には、ハコベが花を咲かせていた。


こんな風景は、冬でも太平洋側なら当たり前に見られることだろう。
ところが、ここは雪国新潟県。
おまけに、ここ4週間ほどは、降っては止み、降っては止みしていた。
しかも、この場所は大きな壁にさえぎられ、そんなにたくさん日が当たる所ではない。
陽射しがなかなか届かない場所だ。
朝のうちぐらいしか、しかも短時間しか陽射しは当たらないだろう。

そのうえ、ここに土はない。
どうやら、わずかに飛んできた砂やごみなどの上に生えたようだ。
そして、苔と共存(競存?)しながら、花を咲かせて次代につなげようとしている。

スズメノカタビラやハコベだけではない。
ノボロギクも花を咲かせている。

ミミナグサもそのそばで葉を広げながらさらに大きくなろうとしている。


満足な土も陽射しもない中で、厳しい冬を生きている植物たちにひたすら感心する。

「置かれた場所で咲きなさい」
たしかそんな名前の本もあったが、本を読むよりこうやって生きている本物に会えて実感できたことがうれしかった。
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