ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

東京マラソン…走れず、一人で「冬強マラソン」

2014-02-24 18:19:46 | RUN
昨日は、東京マラソンの開催日だった。
東京マラソンは、時間制限が6時間40分だ。
だから、走ることが限界になったら、そこからは歩くことにしても、きっと大丈夫だろうと考え、出場申し込みをしたが、そこは倍率の高さ。
当然のごとく抽選が外れ、エントリー漏れ。
昨日、東京を走れた人たちは、よかったねえ。
これが1週間、2週間前なら、大雪で開催できなかったはずだから。

1位のチュンバ選手の2時間5分42秒、大会新記録。
1kmを、3分を切るスピードで42.195kmを走り通せるということ。
100mを、18秒を切るスピードでずっと走り通せるということだ。
これはすごい。
私の走力がMAXだったのは、きっと高校時代だろう。
あの頃は、1500mを5分強で走ることができた。
それで、体育祭の1500mを1番で走れたのだった。
これを、100mあたりに直すと、100mを20秒で走っていたことになる。
…2秒も及ばない。しかも、そのスピードは1500m走という短い距離で出せたものだというのに。
42.195kmを、100mあたり18秒のスピードで走り通せるのだから、さすが世界はすごい。
今は、10kmを走る時だって、がんばっても、100mあたり30秒のスピードでしか走れない(1kmで5分なのだ)。
まあ、トシだからね、仕方ない。

トシだから仕方ない、と思っていたが、ソチ五輪ジャンプ銀メダルの41歳葛西の影響を受け、トシを言い訳にしないことにしようと、1週間前の日曜日は走りに出た。
すると、5km走ったあたりで、右足ふくらはぎが肉離れに…。
家から離れているところまで走ってしまったので、戻るためには走るか歩くかしかなく、根性を出しながらトホホな状態で家にやっとのことでたどり着いたのだった。
困ったもんだ。

あれから1週間。
東京マラソンを見て、大学時代は無名に近かった8位入賞松村選手の走りに刺激を受けた。
冬に強くなろう!
…ということで、ふくらはぎを気にしながら走ることにした。

雪は降っていたが、なんとか約10kmを無理せずに走ることで、走り切ることができた。
ふくらはぎも気になったが、とりあえず大丈夫。
大勢が走った「東京」マラソンは走れなかったが、一人で「冬強」マラソンを走ることができたぞ…っと。
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娘よ(36)

2014-02-23 22:51:26 | 生き方
大部屋に移った娘だが、症状はかんばしくない。

トイレには、矢印付きのガチャピンの写真が誘導してくれるはずなのだが、時々それも目に入らずに、違う方向に行ったりすることもある。
週に一度、胸から刺している点滴の針の辺りの処置があるのだが、その翌日不調を訴えることがある。
先週は、その処置の翌日に、発作に近いものがあったという。
その日は、トイレの後、目が一点を見たまま固まってしまって、看護師さんが二人がかりで慌てて娘をベッドまで運んできたのだそうだ。
また、同じ日、ベッド上で視点が定まらなくなり、口を半開きにしたまま、反応がなくなったことがあったそうだ。
それによって、けいれん止めのD剤は、やっと4.0になったばかりだというのに、また濃度を高く上げられてしまった。
その後濃度は下げられたものの、下げられた数値は、結構高く5.0止まりである。
そのせいか、毎日活気がなく、眠気を訴えるばかりである。
認識もしっかりせず、入院中だということも忘れたり、そうだったと認識した後も数分後に忘れてしまったりしている。

病院は、半月以上ずっとインフルエンザ予防対策として、家族の面会も「1日1家族1人1回きり」という制約を行っている。
それは、人にたくさん会って刺激を受けた方がよいと思われる娘には、とてもよくない措置だと考えている。
人に会わないと、娘がしゃんとする時間が少ないのである。
会って話をしていると、こちらの言うことがわかって、涙を流すことも多い。
少し調子が良いと、「私、若年性認知症だね。」などとも言えるのだが、様々なことが記憶として定着しない。
入院していることも、入院している病院がどこかということも、今自分が顔に乳液を塗ったことも、携帯電話を家に置いてあることも、一瞬にして忘れてしまい、また同じことを聞いたりしたりすることが繰り返される。

いつになったら、まともに記憶が積み重なってくれるのだろうか…と思う。
医師は、このままということはない、と言うのだが、半年以上も同じことを繰り返しているのを見るのは、家族にとって、とても心が痛むことなのである。
でも、家族として嘆いてばかりではいられない。
しっかり娘を支えたいと思うのだが、時には回復しているという実感もほしくなる。

新潟では、雪は相変わらず毎日降っている。
でも、降りながらもとけていく方が多い。
春の近づきは、しみじみと感じる毎日なのだが…。

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新潟県勢、初の冬季五輪メダルは、各地区代表1個ずつ

2014-02-22 23:01:42 | 新潟
新潟が雪国であることに異論がある人はいないであろう。
雪国ならば、ウインター・スポーツは強い。
だから、今開催中の冬季五輪についても、新潟の選手は今までたくさんの選手が出場している。
では、新潟県出身選手が、今まで何個のメダルを獲得しているか?
少なくとも片手くらいは獲得しているのではないか、と多くの人は思う。


…残念ながら、ソチ五輪を迎えるまで、新潟県出身選手が五輪で獲得したメダルの数は、なんと0(ゼロ)である。
新潟県は、アルペンやクロスカントリーなどのスキー種目が強いのだ。
ところが、そういったスキー種目は欧米の選手たちがダントツに強いものだから、メダルには手が届かない。

しかし、今回の五輪で、新潟県出身選手が、一気に3個もメダルを獲得した。
日本大会初メダル―銀メダル―を獲得した15歳の中学生、スノーボードHPの平野歩夢選手は、新潟県村上市在住の選手であった。
そして、ジャンプ団体で、貴重なトップバッターを務め、銅メダルを獲得した清水礼留飛選手は、妙高市の出身。
さらに、今回初めて行われたフリースタイルスキーHPで、銅メダルを獲得した小野塚彩那選手は、南魚沼市出身。

新潟県は、地域別に大きく分けると、上越地方・中越地方・下越地方(佐渡を含む)に分かれる。
平野選手の村上市は、下越地方。
清水選手の妙高市は、上越地方。
小野塚選手の南魚沼市は、中越地方。
それぞれの地域の代表が、1個ずつメダルをとった勘定だ。

ただし、どれも県内に、メダル獲得可能な恵まれた環境が整っている訳ではない。
しかし、若さを生かして努力を重ねてきた人たちであった。
それぞれが、工夫や苦労を重ねて、栄光をつかんだと言える。
そのことが、同じ県人としてうれしいし、誇らしいと思うのである。




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娘よ(35)

2014-02-18 22:45:35 | 生き方
これが、短期記憶のない障害なのか。
病室から出て行った娘が、トイレから帰ってくることができない。


…連絡は、突然だった。
月曜日、病院との電話連絡係になっている息子のスマホに、病院から突然連絡が入った。
娘が、個室から大部屋に移ることになったとのこと。
・夜の状態等をスタッフで検討して、問題ないと判断した。
・重症患者向けの個室がいっぱいになり、その必要性がひっ迫していること。
などの理由からだった。

あわてて、夕方病院に向かった。
妻が、病院に用があるので行っていたついでに、必要があるので荷物を整理したとのこと。
必要な荷物以外、家に持ち帰ることにした。
大部屋と言っても、他の3人の患者さんは、ほとんど寝てばかりいるおばあちゃんたち。
さほどうるさいわけではない。
しかし、カーテンで仕切られたスペースは、狭い。

最も心配したのが、トイレ。
今までは、室内にトイレがあった。
今度は、点滴のセットを押して、病室を出て廊下を渡り行かなくてはならない。
看護師さんが、ガチャピンの写真に「ココです」と書いて、病室に帰りやすくしておいてくれていた。
そこで、娘がトイレに行くと言った時、はじめは付いていったが用が済んだ頃には、わざと姿を隠してみた。
案の定であった。
冒頭の状態に陥ってしまったのだ。
トイレに出たところからは、ガチャピンがよく見えない。
改めて見える位置まで、壁のガチャピン写真を動かしてもらった。
ただ、ガチャピンが自分を呼んでいる、という自覚がないとこれはきかないよなあ…。
なんてことのない近い距離なのだが、娘には、「迷路だ!」ということになるのだろうなあ…。

そんな懸念をもって帰って来た。

とりあえず、大部屋に移れたことは、よいことだと考えよう。
これに娘が、どう対応できるかだ。
トイレから帰れない現況が、どうなるだろうか…???!

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太平洋側内陸部の大雪に思う

2014-02-16 12:47:36 | 新潟
週末ごとに雪の降る太平洋側。
今度は、内陸部に大雪となった。
今冬は、新潟県下越地方の平野部では、積雪何十センチはあったが、1mはなかった。
しかし、いつでも降雪・積雪に対応できるような態勢は整っている。
まとまった降雪が予想されるときは、真夜中から除雪に出かける人たちがいる。
そのおかげで、朝には車の通れる道となっている。

今回の場合、誰もそこまで降るとは思っていなかったことが、被害の拡大につながっているのだろう、と思っている。
気象庁の予報さえ、1週間前を超えるとは言っていなかったのだから。
冬は、日中晴れが続き、雪はたまにしか降らない地方の人々にとっては、想定外も想定外のことであっただろう。

新潟は、毎年冬には雪が降ると思っているから、人は準備をするのが当たり前になっている。
靴だって、長靴やブーツでも、滑り止めの効いたものを選ぶ。
雪が降ると、普通タイヤではダメなことを知っているから、タイヤを冬用のものに交換している。
除雪に必要な道具も、「スノーダンプ」や雪用のシャベルなどを、どこの家でも持っている。
(例えば、シャベルだって、先がとがっているものよりも、先が平らなものの方が除雪しやすいのである。)
だから、新潟では雪が降っても、対応できる。
また、その雪の怖さや大変さを知っているから、新潟人は無理をしない。
(それが県民性にもなっていたりする。)

ところが、その怖さを知らない人々は、「雪が降ってきて大変だから、早く…。」と動いてしまったために、困った状況に陥ってしまった人も多いのではないだろうか、と思う。
車の渋滞、立往生というのは、その最たるものではないかと思う。
怖いのは、これから雪がとける時に起こることだってあると思う。
雪に対するノウハウを持っている新潟人をはじめとする人たちの生活の知恵を生かして、被害が少なくなることを、切に願う。

コメント (3)
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娘よ(34)

2014-02-11 23:25:40 | 生き方
短期記憶が残らない娘の周囲には、独特の時間が流れている、と思う。
テーブル上にはデジタル置時計があるので、何時なのか、そして何月何日なのかはわかる。
ただ、曜日がわからないので、ベッドの脇の柵に小さなひと月分のカレンダーを下げておいた。
娘の具合がよければ、時計で日時を確認し、その後カレンダーで曜日を確認できる。
だが、日頃テレビを見たがらないので、世の中にどんなことが起こっているのかも分かっていない。
ソチ冬季五輪が始まったことも、もちろんわからなかった。
先日、夕食後テレビをつけて見せた。
画面は、ソチ五輪の開会式を映し出していた。
華やかな開会式の映像を見ながら、娘は涙を流していた。
「この4年間、わたしは何をしていたんだろう。」
そんなことを言いながら、最近の記憶がないことをも嘆いていた。

本人がケータイがないことを嘆いているが、先日病室で、娘に私のケータイを貸して、知り合いの人のところへメールを打たせてみた。
簡単な文を打たせようとしたのだが、なかなか思い通りにはいかなかった。
例えば、「お」を打つときには、「あ」を5回押さないと、「お」にはならない。
そこを手早く押せないのだ。
「お」を表示するはずが、「うああ」などになってしまったりした。
何度も間違いながら、簡単な一文を打つだけでも、やっとだった。
病気になる以前は、指先など見なくても手早くメールを打っていた娘だったのに。
「無理!」
そう言って、ベッドに仰向けになった。
この様子から、やはり素早い動きはできないのだとわかった。
運動能力がまだまだ回復していないことが分かった。

この病院でインフルエンザ予防策が実施されてからというもの、1日1家族1人1回だけという厳しい制限なので、娘に会うことが毎日はできなくなっている。
今日会ったのも、久々の気がした。
今日も、ニュースやソチ五輪の番組を見せたりした。
身動きせず、じっと見ていた娘だった。

今日の日付を確認させて、「明後日は何の日だったっけ?」と尋ねると、しばらく考えていた。
その様子を見て、「ばあちゃんの…」と助け舟を出すと、「…命日。」としっかり思い出せる娘だった。
「あれから、9年もたつんだね。」
と、私が言うと、しばらくは静かにしていた娘が、うるうるしてきているのがわかった。
娘は、自分で涙をぬぐいながら、「ばあちゃんのことは、いまだに、私、ダメなんだ。」と言っていた。
ダメというのは、悲しくなって冷静でいられなくなる、という意味だ。
9年もたっているが、親しい人を亡くす悲しみはちゃんと覚えている娘。
ばあちゃん思いだった娘の涙する姿に、ちょっぴり鼻の奥がツンとした。

昔のことは、よく覚えている。
なのに、今さっき洗顔後に化粧水をつけたばかりなのに、トイレに行って戻るともう忘れてしまっていて、また化粧水をつけたりしてしまっていた。

感情の表現などを見ると、少しずつ状態は、よくなってはいると思える。
ゆるやかにゆるやかにでもいいから、記憶が積み上がっていくことを願っている。
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雪中のスタジアム

2014-02-09 12:53:16 | アルビレックス新潟
やっぱりなあ。
昨日、午後1時30分過ぎ、息子からメールが入った。

“まさかの中止だー。
今、前橋。“

確かに、大会HPにちゃんと出ていた。

大会中止のお知らせ(2014/02/08)
例年にない大雪によるコース走行不能(凍結)のため、
止むなく中止を決定いたしました。
ランナー・関係各位の皆様には大変申し訳ございませんが、
ご理解頂きますよう、お願い申し上げます。
尚、大会規約に従い返金はできませんが、大会必要経費支払い後の残金は、
「東日本大震災復興義援金」として、基金団体へご寄付いたしますので、
ご理解・ご協力頂きますよう、お願い申し上げます。
また「記録計測タグ(ランナーズチップ)」は、2月末日必着で
ご返却頂きますよう、重ねてお願い申し上げます。

平成26年2月8日(土)13:00
同大会実行委員会

…ということで、東京にまで至らずに帰って来た。
無事に帰って来たのはよいのだが、その時間は、夜10時過ぎ。
遅くなり過ぎ。
実は、高崎で降りて少し時間がたって帰ろうとしたら、高速が通行止めになっていたとか。
それで、のろのろと国道で帰って来たのだそうだ。

お疲れ~。さすが嵐を呼ぶ男!!

今日、こちらでは、30cm近くの積雪。

ということは、東京の都心とほぼ同じですな。
今朝は、今冬初めて除雪車が出動した。

昨日は、用があって新潟に出かけた。

サッカー、アルビレックス新潟のホームスタジアムの名称が、「東北電力ビッグスワンスタジアム」から「デンカビッグスワンスタジアム」に変わっているのをしっかり見届けてきた。

新潟にいる数時間の間にも、雪は結構降り積もっていた。
まあ、新潟も東京も、今朝なら雪の量は大して変わるまい。

さて、もう3週間後には、Jリーグが開幕し、4週間後にはこのスタジアムで新潟のホーム第1戦が行われるのだ。
ちなみに、この日は、新潟は、キャンプ地高知で高知大と30分×4本の練習試合を行い、7-1で快勝したそうだ。
楽しみだなあ、開幕が。

新潟は昨年後半、リーグ戦5連勝、ホーム戦9連勝で7位と、右肩上がりで昨シーズンを終えた。
だから、今シーズンへの期待は高い。
前シーズンには奇跡の残留を果たしたチームがそこまで順位を上げたのだから、今年の目標はさらに高い。
今年は、GK東口がガンバ大阪に、MF三門が横浜・F・マリノスに引き抜かれたけれど、それ以外の主力は残留させることができた。
抜けた選手の補強もそれなりに行えた。
昨年のよいイメージを持った選手たちが多いのは心強い。
柳下監督が「今年は、ACL(出場権)を目指す。」と明言しているのだから、さらに期待は高まる。

熱い期待は、雪をもとかす。
今から待ち遠しいぞ、と。


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嵐を呼ぶ男!?

2014-02-08 10:56:41 | 生き方
幸いわが家の洗濯機は、その翌日なんとか動くようになった。
寒波は続いているものの、日中、陽が射す時もあったので、凍ったところがとけたようだ。
立ち上がっている水道管は、屋外部分は凍結しないように断熱(断凍?)の措置がなされているのだが、今回の凍結は、室内と屋外の狭間―つまり壁の中―で起きたらしい。
まずは、支障がなくなってほっとした。
山がちな辺りでは大雪だそうだが、こちら平野部では寒波が来ても、幸い積雪の量は大して増えていない。
…とはいうものの、5cm以上は積もっているのだが、どうってことはない。
ところが、東京をはじめ太平洋側では今雪が降り積もっているという。
「東京都心で8cmを記録するなどして、交通機関が混乱した昨年1月14日を上回る大雪になる可能性がある」と、報道されている。
そのくらいの積雪なら、もうとっくに降っているのがこちらなのだが。

それにしても、同じくらいであっても「少雪」の新潟から、「大雪」の東京に向かって、うちの息子は出かけて行った。
明後日予定の赤羽ハーフマラソン大会に出場するためだ。
ランニング仲間と3人で、車に乗って行った。
車なんかで行って大丈夫だろうか、と心配になる。
こちらはいざ知らず、向こうでは雪に慣れていないだろうから、スリップ事故などに巻き込まれないだろうか、と。

何せ、息子は、「嵐を呼ぶ男」であるのだ。
息子が出かけると(出かけようとすると)、天気が荒れることが多いのである。
去年は、研修の出張で名古屋に出かけたら、大雨にたたられ、地下道には雨が流れとなって落ちてきたり、あちこち冠水したりする中を歩くはめになった。
その前に、笹川流れハーフマラソン大会に出場を予定していたら、荒天で大会が中止になった。
そして、今日は、東京23区に大雪警報が出て、平成13年以来の大雪になる可能性があると、最新のテレビニュースでも言っている。
繰り返し、無理な外出は控えるように、と。
でも、もう行っちゃったよ、息子は…。

さて、件の赤羽ハーフマラソンのホームページでは、次のように発表されている。

大会開催可否について(2014/02/07)

荒天等により大会の開催を中止にする場合は、
大会当日(2月9日)午前5時、大会ホームページの
新着情報に掲載いたしますので、
ご確認お願い申し上げます。

…ということだ。

さて、「嵐を呼ぶ男」の息子は、無事に大会参加し、帰って来られるのであろうか?

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そんなぁ~…!!

2014-02-06 22:49:11 | 生き方
インフルエンザ大流行のシーズンとなった。
私の勤務先では、欠席者はまだゼロ。
職員だって当たり前だが、欠勤者ゼロ!
なのに、結構周囲では流行していたりする。

大人の場合、「出席停止」って何日?
なんて聞いてきたりする人もいるくらいだ。

大流行の世間とは違って、私は実感していなかったものだから、びっくりした。
今日行った病院のあふれるほどの貼り紙が、インフルエンザの大流行を理由に、こう書いてあった。

「病院の見舞いに来れる人は、家族の1名のみ。」
「しかも、マスク着用で。」
「だから、見舞予定の人がいたら、来てはいけないと伝えるべし。」

…なんていう「おふれ」が、病院入口や廊下にあふれているじゃございませんか。
そんなあ~!
娘に会いに行けないじゃないか!!?どうする!?

いやあ、まじに困ったぞ。
娘には、たくさんの人が会いに行くのがいい、と私は思っていたのだが…。

どうする!?
いやあ、どうしようもない!!!

うーん、次の土日、これでは娘に会いに行けないなあ…。
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寒波の襲来

2014-02-05 23:22:52 | 新潟
少雪を喜んでいたら、立春過ぎて寒波が来た!
朝夕帰る道の気温が-6℃の表示。
道は、ツルツルの状態。
通る車も恐る恐るのスピードで走る。

時々60~70km/hのおバカなスピードで追い抜いていく車がいる。
きっとブレーキを踏んだら、一発で事故るに違いない。
そういう車と心中したくない。
私は、今死ぬわけにはいかないのだ。

朝は、地吹雪もすごかった。

前の車がかろうじて見えるくらいであった。
ライトをつけ、前の車のテールライトを見失わないように走った。

こんな寒い日だから、驚いたのは、家に帰ってファンヒーターのスイッチを入れたら、なんと室温が「L」だって!

Lって、何、Lって???
…そうか、「LOW」のLか。
ということは、この部屋氷点下!?
自宅で茶の間が氷点下とは、今までなかった。
驚いた。

2階のトイレは、凍っていて水が流れない。
洗面所に行き、洗濯をしようとしたら、洗濯機につながる水道の水が、凍って出ない!
風呂場に行ってみると、シャワーの水が出ない。
窓が凍って開かない!
この冬一番であり、数年来でも一番の寒波ですな。

幸い、温水器は凍結予防の措置が自動でとられていたために、家の他の給湯は大丈夫だった。
風呂場の窓やシャワーは、湯をかけることによって不便を解消したが、洗濯機の水道は、完全にアウト!
困ってしまった。

この寒波が行き過ぎるのを待つしかない。
ただし、こんな寒さも、今冬はなかったから、いやでたまらない、というほどではない。
きっと、雪が多かったら、今回の寒さはこたえただろうなあ。

その後、自宅を出て、氷点下の空気を裂いて歩いて行き、病院に向かった。
娘の病室を訪ねると、そこはまるで温室のように暖かい別世界であった。

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