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ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

6月、雨、花嫁→「初恋」(ふきのとう)

2025-06-04 21:30:17 | うた

6月になって4日目。

虫歯予防デーだが、それとは全く関係なく、本日は月に一度のカレー作り当番の日。

普通のカレーしかできないが、作るのは楽しい。

このときには、なんらかの好きな曲を流しながら調理する。

今日は、久々に「ふきのとう」のベストアルバムの曲にした。

 

さて、6月といえば?

梅雨の時期だから、雨の連想。

ジューンブライドという言葉もあるなあ。

ふきのとうには、そんな「雨」と「花嫁」の両方が入った名曲がある。

その曲名は、「初恋」という。

 

「初恋」といえば、村下孝蔵の曲の方が有名だが、その曲も「♬五月雨は緑色」と歌い出す。

「五月雨」とは梅雨の雨の意味があったなあ。

それはおいといて、ふきのとうの「初恋」の歌い出しはこんなだ。

あなたが嫁ぐ六月の雨の朝

綺麗な花嫁衣装に身を包み

そして、その隣には 僕が立っていると

いつも心にそう決めていたんだ

ただひとりの女性(ひと)と決めていた

 

「六月」と「雨」と「花嫁」が出てくる。

この歌のいいのはその先だ。

花嫁のあなたの隣にいるのは自分だと決めていたし、花嫁はあなたしかしないと決めていた、と言っている。

 

そして、歌は続く。

男ものの大きなシャツが好きで

困ったとき首を曲げるのが癖で

誰よりも優しさが似合う女性で

誰にも負けないくらい愛してたのに

 

「男ものの大きなシャツが好き」

と、その女性の好みをよく知っている。

「困ったとき首を曲げるのが癖」

と、その女性のしぐさをよく見ている。

そのくらい、その女性のことをよく見てよく知りたいという、大好きな気持ちを感じる。

「誰よりも優しさが似合う女性」

と、その優しさにぞっこんでほれ込んでいたわけだ。

ところが、「誰にも負けないくらい愛してたのに」と、「のに」が付いて、それまでの思いがすべて否定される表現になる。

そして、

ずっと僕のそばに

ずっといてくれると信じてたのに

と、歌われる。

思いがかなわなかったことを悲しむ。

 

2番では、その後半で次のように歌われる。

 

さりげないサヨナラを言うつもりで

傘を持つあなたの手に触れたとたん

冷たいしずくが頬にポツリと落ちて

涙なんかじゃないと駆け出すのがやっとで

 

ずっと僕のそばに

ずっといてくれると

ずっと僕のそばに

ずっといてくれると信じてたのに

 

ちゃんとサヨナラのあいさつをしようと思ったのに、雨の中傘を持つ手に触れたとたんに感情が高ぶってしまった、僕。

サヨナラもきちんと言えないで駆け出してしまう。

うーん、純情、青春だなあ、と思う。

こんな感覚、すっかり忘れていた。

さすが高齢者の私だ。

でも、この歌を久しぶりに聴いて、若い頃のその感覚を少し思い出した。

懐かしいような、恥ずかしいような、そんな気持ちだ。

 

改めてこの「初恋」の歌詞を見てみたら、この「男ものの大きなシャツが好き」だとか「困ったとき首を曲げるのが癖」だとかいうのはすごく具体的だから、この曲を作った細坪くん本人の実体験なのじゃないかなあ、と思ってしまった。

あの当時、フォークからニューミュージックなんて言っていた時代は、若い人たちが自分の思いを自由に表そうとしていた。

だから、好きな女性に結婚されてしまうから悲しく思う男心を歌う歌は、それまでは歌われてこなかった。

こういう男性の「女々しい」心を歌った歌が、あの頃はずいぶん歌われるようになったのだった、と今になって思う。

同じふきのとうでは、もう一人の山木くんが作った「やさしさとして想い出として」もそんな曲だ。

ほかに、好きだったNSPの歌にも、そういう男性の心情を歌ったものがそれなりに多くあったよなあ。

 

そんなことなどを思いながら、今、私の頭の中には、

ずっと僕のそばに

ずっといてくれると

ずっと僕のそばに

ずっといてくれると信じてたのに

という男の未練心が、くり返し流れているのであった。

(高齢者ガナニヲ惜春シテイルノダロウ…???)

 

あ、だからと言って、作ったカレーがしょっぱくはならなかったからね。

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アルバム「浅い夢」(来生たかお)を、今さらながら聴く

2025-04-20 09:51:12 | うた

家の棚の奥に、このCDがあった。

「浅い夢」

来生たかおのデビューアルバムだ。

彼は、私が学生生活を送っていた頃、デビューしたのだった。

当時は、井上陽水や小椋佳を見出した多賀英典氏がプロデュースした第3の注目の新人ということで、話題になったのを覚えている。

 

LPのアルバムタイトルの「浅い夢」や2曲目の「赤毛の隣人」などは、ラジオで聴いたものだった。

だけど、来生たかおの音楽は、あの当時の自分にとって、「合わないな」という感覚だった。

それは、自分の生活の実感とかけ離れていたせいだと思う。

それよりもまだフォーク系のシンガーや楽曲を好んで聴いていたものだった。

 

私の手元にあった「浅い夢」のCDは、デビューから10周年ということで1986年に販売されたものらしい。

その頃に私が買ったものではなく、今から20年余り前に、CDレンタル店で中古販売されていたものだ。

レンタル落ちの品物だから、表面にいろいろシールが貼ってあったりしている。

安く購入しては見たものの、あまり積極的に聴く気にはならず、そのまま棚に置き去りになっていたのだった。

 

さて、鳴り物入りで発売されたアルバムだったが、さほど売れたという話は聞かなかった。

逆に、期待を裏切る結果になったような話は聞いた。

CDケースの裏側に書いてある、このアルバムに関わった人たちを改めて見てみると、当時なかなかの顔ぶれだ。

全作詞が来生えつこ、全作曲が来生たかお、全編曲が星勝であった。

また、参加アーティストの顔ぶれには、高中正義、小原玲、後藤次利、安田裕美、星勝など、あの当時著名だった人たちの名前が並んでいる。

せっかくだから、昔を懐かしんで聴いてみようかな、という気になった。

 

収録曲は、

1浅い夢 2赤毛の隣人 3晴れのち曇り 4痛手 5雑踏 6悪い夜 7待ち人来らず 8ボートの二人 9夏まどい 10不幸色のまなざし

 

驚いた。

心地いいのである。

歌に物語性があるし、聴いていて非常にオシャレな感じがする。

1曲目のデビュー曲「浅い夢」の伴奏は、ピアノだけだが、しっとりと聴かせる。

 

2曲目の「赤毛の隣人」は、一転してポップな感じ。

ある日 紅のダリアを胸にさした女がやって来て

裏の雑木林の一軒家に住みついたのだった

青い目の下に淡く暗い翳りがあった彼女は

その日から僕等の美しい隣人になった

彼女の名前は ミス・ダニエル

長い髪の毛も赤いダリアのよう

 

…うわあ、なんてしゃれた感じの曲だろう。

青い目の外国人女性が引っ越してくるなんて。

しかも、「紅のダリアを胸にさし」「裏の雑木林」「青い目の下に淡く暗い翳り」「長い髪の毛も赤いダリアのよう」

歌を聴いているだけで、その情景や女性が想像できてしまう。

詩を書いたのは、姉の来生えつこだったが、こんなしゃれた感じの歌は1976年当時はなかなかなかったはずだ。

そのうえ、曲と詩がよく合っていて、互いを引き立てあっているように感じてしまった。

このアルバムが出された1976年といえば、今までにない感覚のユーミンが受けていたけれど、この来生たかおの曲もなかなかのものだ。

 

アルバムの最後は、「不幸の裏返し」という何とも言えないネーミングの曲。

 

流れる 眉毛の先に  ポツリとある黒子がひとつ気になった

額の生え際も何故かはかなく見えて  どこか不幸の匂いがした

君のそのなまめかしさは  不幸の裏返し

それでも僕は君に惹かれた

 

この曲なんか、途中で転調しているのか半音変わっているのかよくわからないけど、途中で曲に変化があって、工夫しているようだ。

 

全曲、非常に都会的でおしゃれな感じを受ける。

そうか、1976年当時の世の中では、まだこの都会的な感覚の男性はきざな感じがして受けなかったのだな、と思った。

だから、時代が彼を受け止めるまで待たなくてはいけなかったのだろう。

そして、その後、薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」(夢の途中)で受け止められる時代が来て、完全にブレークした。

その頃には、彼が作った大橋純子の「シルエット・ロマンス」や中森明菜の「セカンド・ラブ」などの楽曲いくつかだって、時代に合ったからこそヒットしたのだ。

 

もう、今となれば、このアルバム「浅い夢」からは、デビューした当時のきざな感じはない。

都会的でセンスのいい曲ばかりなのだなと感じる。

ヒットするには、受け入れられる時代かどうかということが大きいのだな。

CD「浅い夢」、レンタル落ちだけど、買っておいて、そして今さらながら聴いてみてよかった、気に入った、と思った私であった。

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「カンパリソーダとフライドポテト」(吉田拓郎)を聴きたくなって

2025-03-06 21:07:46 | うた

なぜか自分でもよく分からないけれど、しばらく聴いていないけれど、先日、なんだかとても懐かしくて聴きたくなった歌があった。

その歌は、「カンパリソーダとフライドポテト」。

1977年11月に、吉田拓郎が出したアルバム「大いなる人」からシングルカットした曲だ。

その頃学生だった私は、このLPを買って、その曲をよく聴いたのだった。

今回、久々に自分のもつLPレコードでこの曲を聴いた。

あとで調べると、YOUTUBEにも上がっていたので、そこで聴けばよかったかな!?

 

 

「カンパリソーダとフライドポテト」って、一体何なんだ?この曲名?

当時は、フライドポテトは知っていても、カンパリソーダはどんなものか、わからない私だった。

おそらく、フライドポテトと合う炭酸で割ったアルコールの類なんだろうな、と思いはしたのだが、実物は知らなかった。

その曲の歌詞カードを見ても、どこにもカンパリソーダもフライドポテトも出てこなかった。

なんか、わけのわからない歌だな、と思いながら当時は聴いていた。

 

だが、曲のイントロに使われている笛のような音色が妙に懐かしいような気がする歌だった。

今にして思えば、「はっぴいえんど」のギタリストをしていた鈴木茂のアレンジだったんだね。

さすがにいい効果を生んでいた。

 

さて、曲名について。

後年、どこかで見たのは、カンパリソーダは、都会的な女性をたとえたものらしいということ。

そして、フライドポテトは、イモだけに田舎っぽい男性ということらしい。

そんなふうなものに男女を形容して、一緒に生きていこうということを歌ったものだということを読んだ。

そうだったのか。

そういえば、その頃の吉田拓郎は、2回目の結婚相手として浅田美代子と生活を始めていたころだったか、と納得。

歌詞の1番にも、「男と女が暮しを始めた」と言う部分があるからね。

 

改めて思い出してみると、この歌には自分の思いと共感できる部分が多かったから、懐かしさや心に残るものがあったのだろうなあ。

2番の「淋しさ寄り添い 温めあえば 人と人とは一つと信じて」

3番の「一人がいやで 肩よせた筈 子どものようにはしゃいだ日々もいい」

「風にまかれる人生がある たくましいだけで疲れるよりはいい」

5番の「くずれかけた砂の家で 木の葉のように舞うだけ舞えばいい」

「朝陽を見たかい 嵐の中にも 懐かしい歌が聴こえてくるだろう」

…こんなところを歌で聴いていると、人生のいろいろを感じてしまう。

だから、きっと、この歌を聴いてみたくなったのだろうな、と思った。

 

ところで、アルバムだとこの歌の次に、吉田拓郎がキャンディーズに作った「アン・ドゥ・トロワ」が流れてくる。

当時「普通の女の子に戻りたい」宣言があって、解散が予定されることになったキャンディーズのために作曲者だった吉田拓郎が歌ったという訳だ。

曲名も「アン・ドゥ・トロワ(ばいばいキャンディーズ)」となっている。

2番の部分だけを歌い、最後に「さよならキャンディーズ」と付け加えているのが、あの頃、拓郎なりの感謝を伝えているような気がしたっけ.

これもYOUTUBEにあった。

 

 

 

「カンパリソーダとフライドポテト」。

改めて聴いてみても、結構いい歌だと思うけど、ライブ盤やベスト盤などには入っているのを見かけなかった。

ひょっとすると、吉田拓郎は、その後森下愛子と3回目の結婚をしたから、2番目の結婚の時の歌は歌いたくなかったのかもしれないな…なんて思ったりもしている…。

 

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下条アトムさんの訃報に、「春秋暑寒」という名曲を思い出した

2025-02-19 20:15:37 | うた

先日、俳優の下條アトムさんが1月29日に死去していたという訃報が流れた。

なくなった時に初めて知ったのだが、「アトム」は、手塚治虫の「鉄腕アトム」付けた芸名だと思っていたのだが、実は本名だったと知った。

俳優だった両親の命名だったという。

生まれたのが終戦の翌年の1946年。

GHQの占領下にあったから、父が「将来は日本でもアメリカ同様“名前・苗字”の順に読むようになるだろう」と考え、「A」から始まる名前をつけたということだ。

「アトム」は原子力の意味。日本は原爆の被害にあったが、原子力は本来戦争ではなく平和のために使われるはずだ…という願いも込められているという。

 

その下条アトムの名前を初めて知ったのは、高校の同級生からだった。

高校3年の冬、同級生のN男が、やたらに、「森本レオ~、下条アトム~」とつぶやいたり落書きしたりしていた。

それはどうやら、当時(1974年11~12月)NHKで放送されていた夜の銀河テレビ小説「黄色い涙」が、彼の心の琴線に触れたかららしい。

「黄色い涙」は、永島慎二原作のマンガ「若者たち」をもとにした全20話のドラマだった。

偶然知り合った夢を抱く若者たちが、狭いアパートの一室で共同生活をする。行きつけの喫茶店や食堂の人々の日常とともに若者の夢と現実が織りなす、青春の歓びと苦味がたっぷりつまった群像劇。

…と、紹介されている。

原作マンガを描いた永島慎二の作品はどれも、N男に限らず多感な高校生だった私にも、すごく響くものがあった。

若者の心が感じる孤独をマンガで描けたのは、彼ならではのものであった。

今でも、彼の描いた絵や作品を見ると、当時の感覚がよみがえってくる。

残念ながら、永島氏は、今から20年も前に亡くなってしまったのだが…。

その縁があったのか、下条アトムさんが1975年に「春秋暑寒」というシングルレコードを出したとき、そのレコードジャケットのイラストは、永島慎二氏によって描かれていた。

この曲を知ったのは、私の弟がこのシングルレコードを購入して聴いていたからだった。

この曲の作詞は、下条アトムさん本人によるものだった。(作曲は、さいとうあきひこ氏)

 

田舎の縁側 睦月には 何をか語らん 我一人

遥かな学舎 如月は 戻らぬ想い出 我一人

行くあて知らぬ 彌生には 何処へ歩まん 我一人

想いは淡き 卯月には 流れる河原の 我一人

 

見知らぬ貴女に 皐月には 愛を探した 我一人

貴女が窓辺の 水無月は 心に雨だれ 我一人

めざめて苦しき 文月に 何処へ船出の 我一人

海を抱きし 葉月には 浮かぶ波間の 我一人

 

つかれた都会の長月に 遠き鄙歌 我一人

かすかな調べは 神無月 生きる足音 我一人

生きる証を 霜月に 求め求めて 我一人

一年過ぎし 三冬月 何をか答えん 我一人

 

生まれる運命は人の世の 消えゆく運命も人の世も

永遠にめぐりてめぐりめく 永遠にめぐりてめぐりめく

 

12か月を、旧暦の呼び名で表して、それぞれの月に関わるエピソードを短く1行で描いて歌っている。

そして、それぞれの月の最後は「我一人」だ。

孤独感を味わう若者にとって、このフレーズは響いた。

下条アトムさん、といえば、こうして私にはこの「春秋暑寒」の曲が一番の思い出になっているのである。

YOUTUBEで、この曲を見つけることができた。

レコードからの音源のようだが、気になった方は、ぜひお聴きください。

最後に、下条アトムさんの冥福を祈ります。

合掌。

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雪消し、雪降り、のくり返しから、NSP…(!?)

2025-01-29 20:12:32 | うた

いたちごっこ?追いかけっこ?

 

雪が降って、積もった雪を消す作業をして、そしてまた雪に降られて…。

そんな冬の生活を思っていたら、そんな言葉たちが浮かんできた。

 

当地でまともに(?)雪が降って積もったのは1月16日が最後だった。

それ以降、たまには晴れ間の多い日もあったが、天気はそんなによくなかった。

気温が少しだけ高いので、降ってくるのは雪ではなく雨。

冬に雨は似合わないけど、よく雪をとかす。

だけど、積もって締まった雪だと、とける速度はおそい。

だから、雨などが降ってさえいなければ、外に出て雪を崩し、雪が早くとけるようにする。

これは、運動不足の解消にもなり、一石二鳥だ(と思うことにしている)。

ご近所さんも、晴れていれば、日中外に出てこの雪消し作業をがんばっていた。

 

そんなことで、わが家のすぐ外の道路の雪の状態の変遷を見てみよう。

 

【1月19日】

 

【1月22日】

こんなふうに雪を崩して路上に散らして、雪消しの作業を毎日のようにしていた。

 

【1月24日】

ついに、道路の雪をすべて崩した。

 

【1月25日】

朝、見てみると…やった。

ついに全部とかしたぞ。

春に近づいた気がするぞ。

…っと、思って数日たった今日は、また雪に降られてしまった。

【1月29日】

まあ、3,4cmの積雪だったけどね。

また寒波が来るそうだから、もう少し積雪は多くなるのかね。

 

雪が降って、積もった雪を消す作業をして、そしてまた雪に降られて…。

なんか、終わりのない追いかけっこみたいだな。

春はもうすぐみたいに感じていたのに。

 

こう思っていたら、NSPの故天野滋氏の顔が浮かんだ。

そうか。彼がソロで出したアルバムに「恋は終わりのない追いかけっこ」という曲があったな。

ついでにいえば、自分でここまで書いてきた文中にあった言葉たちの中には、NSPの曲名にあったよなあ。

NSPの初期には「雨は似合わない」とか「春はもうすぐ」という曲もあったっけ。

彼も東北人だったから、雪に対する感覚は似ていたんだな。

…と、そんなふうに心の中の思いが勝手に進んで行った。

 

雪が降って、積もった雪を消す作業をして、そしてまた雪に降られて…。

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「踊り子」4曲

2025-01-11 21:28:24 | うた

年が明けて10日余りがたった。

年が明ける前夜、恒例の紅白歌合戦があった。

元旦マラソンに出なくなったから、ゆっくり見ることはできる。

でも、遅くまで起きていると体調を崩すことが多いから、後半は録画して年が明けてから何回かに分けてゆっくり見た。

全体を通して、昔の曲や何十年ぶりの出演者なども多く、われわれ年配者にも楽しめる楽曲の構成になっていたのはうれしかった。

 

それとは別に、今はやりの歌で「いいね!」と思える歌に出合うのも楽しい。

われわれには、カラオケでとても歌えないような、Creepy Nuts の「 Bling‐Bang‐Bang‐Born」やこっちのけんとの「はいよろこんで」などは、やっぱりパワーを感じ、売れるだけあるな、と思った。

 

ほかに気に入ったのが、Vaundyの「踊り子」という曲だった。

YOUTUBEのプロモーションビデオで、こんな歌。(なお、出てくるこの女性は、VAUNDYじゃないからね。VAUNDYは男性だから。)

 

回り出した あの子と僕の未来が止まり

どっかで またやり直せたら

というフレーズが何度か繰り返されるところをみると、これもきっと失恋の歌なんだろうな。

とぅるるる とぅるるる とぅるる」のくり返しもいろいろ思わせてくれる。

これを擬音だと仮定すると、まるで何度鳴らしても出てくれない電話のようでもある。

まあ、最近のスマホだとどう感じるか、分かんないけどね。

そうなら、いささかつらいなあ…。

でも、この曲はメロディも口ずさみやすく、紅白の番組の中で一番気に入ったのだ。

 

ところで、「踊り子」という曲名を聞いたときに、私は、懐かしいな、と思ったよ。

なぜかと言うと、ほかに3曲知っているからね。

まずは、学生時代に聴いた歌に、同名の曲があったのだ。

それは、下田逸郎の「踊り子」(1974年)。

恋の終わりはいつも同じ 

だけど今度だけ違うの なにかが

まわる人生のステージで

踊るあなたの手震えて きれいね

…と始まる歌。

あなた愛して気づいたことは

そうね私もいつかは死んでゆくこと

…という部分には、愛と死がくっついていて、暗さがあり、メロディーからもこの歌は悲恋を歌っているのだと感じていた。

震えるような声で歌う下田逸郎の声が好きだった。

 

1976年に4人組が歌った曲にも「踊り子」はあったのだ。

その曲は、フォーリーブスが歌った「踊り子」。

私は踊り子よ 振る舞いのお酒にも

気軽く酔うような 浮草の踊り子

阿久悠の作詞、井上忠夫の作曲だった。

この歌は、まさしく踊り子を職としている女性の歌。

1番でも2番でも、「このまま別れて行きましょう 短い夢と割り切って

というフレーズがある歌だから、やはり別れを歌った歌。

 

私自身としては、一番せつなかった「踊り子」は、1983年に出た村下孝蔵の曲。

同年に「初恋」がヒットした後に出た曲がこの「踊り子」。

私はこの歌が好きで、よくカラオケで歌ってきた。

 

答えを出さずに いつまでも暮らせない

バス通り裏の路地 行き止まりの恋だから

…と始まるが、のっけから「行き止まりの恋」なものだから、せつなさが歌われている。

つまさきで立ったまま 二人愛してきた

狭い舞台の上で ふらつく踊り子

…と歌っていたが、そのあとは、

若すぎたそれだけが すべての答えだと

気づいた

…と歌っている。

「若すぎた」と結論を出しているから、これまた悲恋だということか。

 

紅白歌Vaundyの「踊り子」から、過去の3曲を思い出した。

このように、「踊り子」という曲を4曲知っていることになるが、不思議なもので、すべて別れにつながる悲しさのある歌だという共通点がある。

「踊り子」=「悲恋」ですか…。

まあ、恋や愛を歌う歌には別れがつきもので、それがあるから歌がインパクトのあるものになるのだけどね。

下田逸郎の曲のように「まわる人生のステージ」で生きている私たちは、

村下孝蔵の曲のように「狭い舞台の上でふらつく踊り子

でもある。

あぶなっかしくても、自分の人生という舞台を踊るように生きていかなくては、ね。

 

「踊り子」というと、このドガの絵も連想してしまう…。

 

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「12月22日」というお気に入りの歌があったなあ ~泉谷しげる「12月22日」~

2024-12-23 19:33:17 | うた

今日は、12月23日。

あと1週間余りで今年も終わりだ。

実は、昨日の日付になるのだが、

「12月22日」

というタイトルの歌がある。

歌っていたのは、泉谷しげる。

あのフォーライフレコードに移ってから初めて彼が出したLPが「家族」というアルバムだった。

その中に入っていたのが、この「12月22日」。

その曲を聴くと、これは泉谷がどこかの会場でギター1本で歌っていたのを録音したものらしい。

アップテンポで、乗りやすい曲だ。

だから、ギターストロークに合わせて、聴衆も拍手をして、会場が非常に盛り上がっているのが分かる。

曲の最初から最後まで、泉谷の元気なボーカルで盛り上がりが続く。

このアルバム「家族」の中で、私はこの「12月22日」が一番好きだった。

アルバムに入っていた歌詞を見てみる。

だが、歌詞を見ても、なぜこの曲が「12月22日」というタイトルなのかは分からない。

当時のラジオ番組では、「12月22日に歌ったから」と、泉谷本人が言っていたように思う。

当時の私の友人の一人は、「別なタイトルを付けて泉谷が歌っていたぞ」と教えてくれたこともあった。

 

もう真偽のほどは分からない。

なにしろ、もう半世紀近くも前に出されたアルバムの中の1曲に過ぎないのだから。

 

まあ、それはともかく、

「良い時ばかりの夢を追うから 隙間だらけのつきあいになる」

「笑うことだけをほしがる人って それほどにやさしくない人さ」

「迷わずに愛せるなんて あまりにも欲がないよ」

このヘンのフレーズ、好きだなあ。

だから、50年近くも前の(1976年のだからね)若いときに聴いていた曲を、それこそ「迷わずに歌えるなんて」、われながら笑ってしまうよ。

 

…ということで、「12月22日」という曲の話でありました。

ところで、この「12月22日」、YOUTUBEで「12月22日 泉谷しげる」で検索してみたら、本人歌唱ではないが、頭部は似ているオッサンがカバーして歌っている映像を見つけた。

だけど、う~ん、これでは乗れないなあ。

今イチなんだけど、泉谷本人ではなくても、どんな歌か分かるから、ありがたい…ということにしておこう。

気になった方は、興味本位でどうぞ検索を。

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X'mas曲集を作る

2024-12-14 22:07:53 | うた

12月と言えば、クリスマス。

この時期になると聴きたくなる歌といえば、山下達郎の「クリスマス・イヴ」

…ついこの前にもこんなこと書いたばかりだな。

今度は、クリスマスソングに焦点を当ててみよう。

 

去年、松任谷由実と桑田佳祐が、「Kissin' Christmas(クリスマスだからじゃない)」なんて曲をデュエットでリリースしたことがあったなあ。

 

せっかくだから、それ以外に自分が知っていて聴きやすいクリスマスソングを集めて、80分のCDにまとめてみよう、と思い立った。

 

この2曲の他に、何を入れよう?

桑田佳祐なら「白い恋人達」、松任谷由実なら「恋人がサンタクロース」は外せないな。

この前、ここで書いた佐藤隆の「12番街のキャロル」もいいなあ。

その歌は、ちょっと悲しいから、「クリスマスが今年もやってくる」と明るく歌う、竹内まりやの「すてきなホリデイ」も入れておきたいな。

「12番街のキャロル」から、「キャロル」と聞くと、稲垣潤一のヒット曲「クリスマスキャロルの頃には」も定番でしょう。

 

クリスマスを陽気に過ごす歌より、悲恋に終わる歌の方がヒットする歌になるのだな。

そんな歌が、辛島美登里の「サイレント・イヴ」だとか、浜田省吾の「MIDNIGHT FLIGHT」だ。

この2曲は、悲恋だけど好きだね。

 

こうやって、書いていると、さすがジイサンの選曲だね。

最初の1曲はともかく、「サイレント・イヴ」を除いて、みんな昭和の曲じゃないか!!?

まあいいや。

 

その時代で探せば、オフコースの歌にも、「Christmas Day」というのがあったな。

ふきのとうのデビューアルバム「歳時記」の中に「メリー・クリスマス」という曲があったのも思い出したぞ、懐かしいなあ。

そして、働き出したころ、何度も聴いた原由子の「はらゆうこが語るひととき」というアルバムの最後の曲は、「Last Single X’mas」という曲だった。

 

同様に、その3年後に「恋におちて」の大ヒットを飛ばした小林明子の1stアルバム「FALL IN LOVE」のラストには、曲名の長いクリスマスの歌があった。

それが、「あなたに素敵なクリスマスプレゼントあげたいな」という曲。

 

昭和でなく平成の時代に出された曲で気に入っているのも入れておこうか。

朝ドラ「舞い上がれ」の主題歌「アイラブユー」を歌ったbacknumberの「クリスマスソング」、いいよね。

安室奈美恵も「Christmas Wish」という曲を歌っていたな。

槇原敬之の「雪に願いを」は何度も聴いたなあ。

ユニコーンの「雪が降る町」も、クリスマスの時期だなと感じさせる歌だ。

 

このくらいでちょうどいいのではないかな、80分のCD-Rに。

そう思って、編集してみたら、残念。

1曲分、容量オーバー。

槇原の「雪に願いを」をカットしたら、今度は2分近く空いてしまった。

そこに、「FOR LIFE CHRISTMAS」から、泉谷しげるがふざけて歌っていた「きよしこの夜」を入れちゃえ。

泉谷は、この歌を

♬きよしこの夜 星は光っちゃう

と歌って終わってしまったから、何秒もかからない。

 

そうやってできた、自作のX’mas曲集の完成。

自分の好みだから、古い曲に傾いているけど、まあいいでしょう。

この齢だから、もうクリスマスだからってときめくこともないんだからね。

1曲1曲に、自分なりの思い出があるから、それを懐かしく思い起こしながら聴くことを楽しむとしよう。

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12月になって聴きたくなる歌たち

2024-12-04 21:34:58 | うた

12月だというのに、雪ではなく雨が降っている。

12月の雨、だね。

 

12月の雨」といえば、ユーミンの楽曲にそういうのがあったよね。

♬雨音に気づいて 遅く起きた朝は まだベッドの中で 半分眠りたい

小学生のころ、当時通っていた小学校で12月1日は、毎年学芸会の日と決まっていたのだが、いつも寒い日だった。

その日は、なぜかいつも雪が降った。

冬になるのだなあ、といつも思っていた。

 

そう言えば、槇原敬之の「冬がはじまるよ」という歌もあったな。

♬冬がはじまるよ ホラまた僕のソバで すごくうれしそうに ビールを飲む横顔がいいね

…この歌が流行っていた頃は、12月になると、ビールじゃなく、うまいのは熱燗でしょ…なんてヤボなことを、私はぶつぶつ言っていたっけ。

 

さて、「12月の雨」「冬がはじまるよ」と歌のことを書き始めたら、毎年12月の今ごろに自分が聴きたくなる歌が、いくつかある。

私でなくても日本で代表的なものには、山下達郎の「クリスマス・イブ」だよなあ。

毎年年末になると、今でもヒットチャートを駆け上がるのだから、大したものだ。

それ以外の、好みの曲を上げてみる。

 

前にも書いたことがあるけれど、この時期ぴったりだと思うのは、「一緒に…」だなあ。

♬偶然の帰り道 意味のない言葉と 白い息の横顔 思い返してる

靴紐のとれた坂道 粉雪が落ちて 君の背中光っていたね

…寒さの中、粉雪が降り始め、歩いている若い二人の情景が目に浮かぶ。

そして、「一緒にいたいとはじめて思った」と、自分の恋心に気づく。

12月この道で 手を繋いで歩きたい

好きだなあ、この歌。

 

俗にいう裏日本の冬の始まりは、雷だ。

太平洋側に人には理解しがたかった、アリスの「冬の稲妻」。

これも前に書いたことがあったな。

関東の人たちには、空気が乾燥して毎日が晴れるのが冬。

だけど、こちらでは、「雪起こしの雷」が鳴ると、雪が降る。

♬あなたは 稲妻のように 私の心を 引き裂いた 蒼ざめた心 ふるわせて 立ちつくすひとり 立ちつくす

「冬の稲妻」は、雨から雪に変わっていくことを告げるのだよな。

今年はまだだけど、雪起こしの雷の音は近いうちに聞くことだろう。

 

12月といえば、クリスマスの月だ。

山下達郎の「クリスマス・イブ

稲垣潤一の「クリスマスキャロルの頃には

辛島美登里の「サイレント・イヴ

この3曲は、私にとってクリスマス3大名曲だなあ。

 

あともう一曲、私の心に残っている曲が、佐藤隆の「12番街のキャロル」だ。

この曲の詩は、谷村新司によるものだった。

谷村新司が歌うバージョンのものもあるのだが、私は佐藤隆が歌う方が気に入っている。

♬あなたのために歌う 想い出のキャロル あなたに聞こえるかしら 私のために歌う 別れのキャロル  12番街に消えてゆく

 

この歌のサビでは、「もっと」が8度も繰り返される。

そこに、思いがあふれてくる。

せめてもっともっともっともっと もっともっともっともっと あなたに甘えたかった 

けれどきっときっときっときっと 希望のない愛だからこそ 噓だけはなかった愛だと信じてる

…うーん、なんだかとても心を打つんだよなあ。

 

こんな歌たちを聴きながら、また今年最後の月、12月が過ぎていくのだなあ…。

 

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美しい夕焼けに、懐かしいうたを思い出す~「幸せになるため」(ハイファイセット)~

2024-06-18 22:23:23 | うた

関東方面では夕方も豪雨で大変だとニュースで言っていた。

だが、当地では、美しい夕焼け空を見ることができた。

夕焼けが燃えて落ちていく…。

夕焼けの美しさに、ふと、若い頃に好きだったハイファイセットの「幸せになるため」という曲が浮かんできた。

 

夕焼けが 燃えて落ちてゆくよ

山並みのむこうへと 馳せる想い

あの人がくらす町もやがて

薔薇色の輝きに染まるころ

 

あの人も仕事を終えて

今ごろ家路をたどっているだろう

離れてるけど 同じ愛見つめ

 

なんてことのない、この歌が好きだった。

そのせいか、こうやって1番はすらすらと思い出せた。

作詞荒井由実、作曲村井邦彦、という当時売れていた二人による歌だった。

編曲は、松任谷正隆であった。

離れて暮らす二人の思いが描かれていた。

 

生きていて ひどく淋しい時

よみがえる横顔が ゆれている

川面に広がる黄昏

もう一度二人で歩いてみたい

迎えに行こう 幸せになるため

 

離れてるけど 同じ愛見つめ

 

曲をよく見てみると、1番と2番では思いを抱いている人や居場所が違うのではないかと思えてきた。

だけど、感傷的になる夕暮れ時に同じ思いを抱く歌なのじゃないかな。

1番では、故郷にいる人が都会にいる人のことを思っている。

2番では、都会にいる人が田舎にいる相手とのことを思っている。

そうやって、「離れてるけど 同じ愛見つめ」ている。

そんな考え方もできる歌だ。

 

ゆったりしたメロディーと歌い上げる山本潤子さんの声、なんとなくしみてくるアレンジ。

懐かしい歌を思い出させてくれた今日の夕焼けだった。

 

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