6月になって4日目。
虫歯予防デーだが、それとは全く関係なく、本日は月に一度のカレー作り当番の日。
普通のカレーしかできないが、作るのは楽しい。
このときには、なんらかの好きな曲を流しながら調理する。
今日は、久々に「ふきのとう」のベストアルバムの曲にした。
さて、6月といえば?
梅雨の時期だから、雨の連想。
ジューンブライドという言葉もあるなあ。
ふきのとうには、そんな「雨」と「花嫁」の両方が入った名曲がある。
その曲名は、「初恋」という。
「初恋」といえば、村下孝蔵の曲の方が有名だが、その曲も「♬五月雨は緑色」と歌い出す。
「五月雨」とは梅雨の雨の意味があったなあ。
それはおいといて、ふきのとうの「初恋」の歌い出しはこんなだ。
あなたが嫁ぐ六月の雨の朝
綺麗な花嫁衣装に身を包み
そして、その隣には 僕が立っていると
いつも心にそう決めていたんだ
ただひとりの女性(ひと)と決めていた
「六月」と「雨」と「花嫁」が出てくる。
この歌のいいのはその先だ。
花嫁のあなたの隣にいるのは自分だと決めていたし、花嫁はあなたしかしないと決めていた、と言っている。
そして、歌は続く。
男ものの大きなシャツが好きで
困ったとき首を曲げるのが癖で
誰よりも優しさが似合う女性で
誰にも負けないくらい愛してたのに
「男ものの大きなシャツが好き」
と、その女性の好みをよく知っている。
「困ったとき首を曲げるのが癖」
と、その女性のしぐさをよく見ている。
そのくらい、その女性のことをよく見てよく知りたいという、大好きな気持ちを感じる。
「誰よりも優しさが似合う女性」
と、その優しさにぞっこんでほれ込んでいたわけだ。
ところが、「誰にも負けないくらい愛してたのに」と、「のに」が付いて、それまでの思いがすべて否定される表現になる。
そして、
ずっと僕のそばに
ずっといてくれると信じてたのに
と、歌われる。
思いがかなわなかったことを悲しむ。
2番では、その後半で次のように歌われる。
さりげないサヨナラを言うつもりで
傘を持つあなたの手に触れたとたん
冷たいしずくが頬にポツリと落ちて
涙なんかじゃないと駆け出すのがやっとで
ずっと僕のそばに
ずっといてくれると
ずっと僕のそばに
ずっといてくれると信じてたのに
ちゃんとサヨナラのあいさつをしようと思ったのに、雨の中傘を持つ手に触れたとたんに感情が高ぶってしまった、僕。
サヨナラもきちんと言えないで駆け出してしまう。
うーん、純情、青春だなあ、と思う。
こんな感覚、すっかり忘れていた。
さすが高齢者の私だ。
でも、この歌を久しぶりに聴いて、若い頃のその感覚を少し思い出した。
懐かしいような、恥ずかしいような、そんな気持ちだ。
改めてこの「初恋」の歌詞を見てみたら、この「男ものの大きなシャツが好き」だとか「困ったとき首を曲げるのが癖」だとかいうのはすごく具体的だから、この曲を作った細坪くん本人の実体験なのじゃないかなあ、と思ってしまった。
あの当時、フォークからニューミュージックなんて言っていた時代は、若い人たちが自分の思いを自由に表そうとしていた。
だから、好きな女性に結婚されてしまうから悲しく思う男心を歌う歌は、それまでは歌われてこなかった。
こういう男性の「女々しい」心を歌った歌が、あの頃はずいぶん歌われるようになったのだった、と今になって思う。
同じふきのとうでは、もう一人の山木くんが作った「やさしさとして想い出として」もそんな曲だ。
ほかに、好きだったNSPの歌にも、そういう男性の心情を歌ったものがそれなりに多くあったよなあ。
そんなことなどを思いながら、今、私の頭の中には、
ずっと僕のそばに
ずっといてくれると
ずっと僕のそばに
ずっといてくれると信じてたのに
という男の未練心が、くり返し流れているのであった。
(高齢者ガナニヲ惜春シテイルノダロウ…???)
あ、だからと言って、作ったカレーがしょっぱくはならなかったからね。