ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

あれから3年~娘よ(79)~

2016-05-29 21:31:09 | 生き方
「あれから3年」は、もちろん娘のことである。
今日で、ちょうど3年になる。
娘が職場で突然倒れ、救急車で運ばれたとの知らせを受けた日。
当日朝、頭痛がするとは言っていたものの、そのようなことになるとは思ってもみなかった。
しかし、思ってもみなかったことは、それから信じられないほど多く起こった。

すぐにでも退院できそうだったのが、原因不明の痙攣発作に何度も襲われたこと。
精神的にも異常としか言えない事態に陥ったこと。
身体拘束までなされてベッドから離れられなくなったこと。
集中治療室で眠らされ、口や鼻、首や体などいくつもの管や線につながれながら、ガリガリにやせていったこと。
やっとの思いで回復が図られてきたというのに、再び痙攣発作が度重なるようになり、また集中治療室に逆戻りしたこと。
それ以降は、記憶がまったく積み上がらなくなってしまったこと。
入院生活が、1年たっても続いたこと。
完全な回復には至らないまま、退院まで1年半もかかったこと。
退院してすぐまた家で倒れ、救急車で運ばれ再入院したこと。
その退院以降、ずっと今日まで1年8か月の間、毎日を家で過ごしていること。

3年という月日は、短かったというべきか、あっという間に過ぎた、というべきか。
ただ、今まで味わったことのない複雑な感情に揺さぶられることがあまりにも多くあった。
命だけは、と願った日々。
どうして娘だけがこんなにつらい目にあわなくてはいけないのか、と涙した日々。
またあの発作に襲われるのではないかと、怯え続けた日々。

今、娘は、とりあえず普通に暮らしている。
幸いなことに(?)娘には、自分が入院した記憶が全く残っていない。
自分がどれだけ厳しい入院生活を送ってきたのか、全く覚えていない。
「私、職場で倒れたことも、その職場に通っていたことも、全然覚えてないよ。」
とも言う。
6週間前に、母が(私の妻が)入院したことも、全く覚えていない、という。
記憶が残らないことは相変わらずなのだが、それでも最近は、前日のことを覚えている時もあるようになってきた。
少しマンガを読む意欲が出てきて、「ちはやふる」の単行本を時々読んでいる。
何回か読み始めたのだが、何日たってもストーリーが覚えられない。
せっかく4巻あたりまで読んだのに、次の日には忘れてしまって、また1巻から読み始める、ということの繰り返しになるのが、悲しい。
痙攣発作は、1年半の間起こっていないが、時々頭痛を訴えることもある。
それが、ひょっとすると軽い発作に当たるのかもしれないと思ったりもする。
外出して強い刺激を受けたりした場合、発作を引き起こすことがあるから、慎んだ方がよいと言う主治医の話は変わっていない。
だから、本当は気分転換にどこかに連れて行きたいのだが、ガマンしているところなのである。
本人はともかく、仕事を辞めて娘に付き添っている妻にしてみると、気分転換ができないことが最もつらいことなのである。

それでも、前述のように、少しだけは記憶が残る時もあるようになってきている。
話す内容も、時々われわれ夫婦は気が付かないことを指摘することがあったりもする。
前のようにはふらつかず、体力も少しはついてきたと思える。
ただ太ってしまったので、本人は動くことを面倒くさがることが多いのが困ってしまうのだ。
自分でも「私、D・E・B・Uだから。」なんて言いながら、明るくふるまっている。
今日も、首や肩を痛がる私の、肩をもんでくれた。
3年前の、命だけはと願った日々を思うと、その姿はうれしい。
だけれども、未来のことを考えると、もう少し早く、もう少しよい状態になってほしい、と願う親心である。
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3年SONGS

2016-05-28 14:37:01 | うた

あれから3年になるのだなあ…
そう思ったら、
「あれから3年…」と歌詞が浮かび、頭の中でメロディーが流れた。

「あれから3年…」と歌う歌、と言ったら、何でしょう?
別な歌もあるかもしれないが、私には、
「あれから3年…」の後には、「縁切寺」と続く。
さだまさしが、グレープ時代に作って歌っていた「縁切寺」である。
「お願いここだけは 止してあなたとの糸がもし切れたなら生きていけない」と言っていた彼女と別れてしまい、

人の縁とは不思議なもので そんな君から別れの言葉 あれから3年 縁切寺

と歌う歌だった。


「あれは3年前…」
と歌うと、わかる人が多いことだろう。

あれは3年前 止めるあなた駅に残し 動き始めた汽車に ひとり飛び乗った

と歌うこの曲は、もちろん、ちあきなおみの「喝采」だ。
独自の味わいのあるこの歌。
ちあきなおみ自身が独自の味わいのある歌手だった。
彼女は、この歌で完全にスターダムにのし上がったのだった。
いつも間にか、芸能界を退き、世に出なくなってしまったのが残念だ。


「3年の年月(としつき)がそこにある」と歌うのは?
これは、作曲者、森田公一とトップギャランで歌ったものもあるし、それ以前では菅原洋一も歌っていた「乳母車」である。

めずらしく晴れた日の坂道を あの人と肩並べ歩いてる 
このぼくは手ぶらでも あの人は カタカタと乳母車を押している
3年の年月がそこにある うめられぬ年月がそこにある
盗み見た横顔は今もなお あの頃のあの人のままだけど

かつての時代の若者の別れを描く名曲だと思う。


「3年 もう3年たったのに」
と、叫ぶように歌っていたのは、泉谷しげる。
その曲名は、「帰り道」だった。

3年たったら楽になれるというから僕はがまんをして働いてきた
その時彼の言うことは僕のために行っていると思ったから彼の言う通りに働いてきたんだ
いろんな人にどなられてもこづきまわされても、3年たったらというから 僕は汗もふかずに働いてきたんだ
3年たったのに3年3年たったのに 3年もう3年たったのに 3年3年たったのに
僕はけだるい顔をして歩いている 帰り道

…と働き出した若者の悲哀を描いている歌だった。

最後に、
「3年が過ぎました 1095日です」
と歌っていたのは、岩崎宏美の「わたしの1095日」という歌。
3年は日数に直すと、1095日になる。

3年が過ぎました 1095日です 私には毎日が特別の日々でした
何か言い忘れていませんか もっと大切な話はありませんか

と、付き合っていた彼に語りかけるような歌。
「乳母車」もそうだが、この歌も作詞は、阿久悠だった。

「3年」を思っていたら、1970年代の歌が、ポコポコッと思い浮かんできた。
名付けて、「3年SONGS」。
どれも、自分の高校・大学時代によく聴いた歌たちだ。
多感なあの頃聴いた歌たちというのは、忘れないものだな、と思わず苦笑した。


「3年」で言いたかったことは、また別の機会に…。
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ふくらはぎ痛に負けず…

2016-05-23 21:39:47 | RUN
先週、先々週とふくらはぎ痛発症。
先々週は、15kmくらい走ろうと思っていたが、出足から脚や膝が重くて痛かった。
9km走ったところで右ふくらはぎ外側に違和感。
それでも我慢して走っていたのだが、だんだん痛みが増してきた。
家への帰り道は、途中から近道を帰ることにした。
12km走って、歩き始めた。
そこから1kmを歩いて帰った。

その1週間後の先週は、そろそろふくらはぎ痛も収まったから、前週と同じ12kmを走ろうと思った。
ふくらはぎ痛が出ても、負けずに走ろうと思ったが、やはりそれは甘くない。
3kmを過ぎて痛みが出た
が、前半はスピードを抑えていたので、5kmからの4kmは、ペースを上げて走ろうと試みた。
痛くても、結構やれるもので、少しずつ速さを上げて走ることができた。
やれるじゃないか、と思って少し休みを入れた。
ところが2分ほど休んだら、かえって痛みが増してしまった。
その後、2kmを我慢して走ったが、耐え切れず11kmで走るのをやめた。

帰りは、そこから約4kmをとぼとぼ歩いて帰った。
不思議なもので、その歩き始めは痛くてたまらなかったのだが、途中から痛みを耐えられるようになった。
脚が痛いのに、4kmを歩いて帰るのは大変だった。
それでも歩き続けられたのはよかったのだけど。

そんな訳で、今週は、走り方を変え、なるべくジョギングのペースに近いくらい遅くした。
今日の平均タイムは、1kmあたり6分30秒。
本来の走りからすれば1分くらい遅い。
ではあるが、10kmの距離を痛みなしに走れた。
何よりそのことがよかった。
いざとなれば、速く走ることを目指すのではなく、ゆっくりでも長く走れるようにしたいと思っている。

やはり、走れるのは、いい。
走れるだけで気分がいい。
景色が変わる。
変わる景色の中には、足元の植物もある。
今週も、目を引いた草花がいろいろあった。
道路のそばに、コバンソウの実が揺れていた。

公園の奥の水の流れるそばに、タツナミソウの花が咲いていた。



こういう草花に会えるのがうれしく、楽しい。
やっぱり、体の一部が多少痛くても、走れるのがいいと思ったしだいである。
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茶わんの中、ツルキキョウの花筏

2016-05-19 20:20:05 | 草木花
ツルキキョウ。
ツルニチニチソウとも言う。
春先から、今まで、結構長く咲いている。

朝、登校してきた子どもが、2日続けてツルキキョウの花びらを持って来た。
2日間、「落ちていた。」と、私の手のひらに乗っけた。
2日も続けて受け取ると、「?」と思う。
「おいおい。さては、咲いていたのを取ってきたな?それはかわいそうだから、今度から取らないで、そのまま咲かせておきなさい。」
そう言って、その花びらを捨てるのも忍びないので、もらっておいた。

そのまま何もせずに刈らせるのもかわいそうだ。
茶わんの中に水を張り、そこに乗っけてみた。
すると、ツルキキョウの花は、気持ちよさそうに浮かんでいる。
これが一週間しても、そのままなのである。
少しだけ傷んできたが、ずいぶん長持ちしている。


白い茶わんの中に、青い花びら。
なんだか粋な気がして、気持ちがよい。
清涼剤のような、茶わんの中の花筏(はないかだ)である。


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新緑の季節、庭の花見

2016-05-14 11:21:51 | 草木花
いろいろな理由があり、出かけられないけど、庭で花見。


アッツザクラ


ツツジ


イチゴ


ツユクサ


アヤメ


シラン


ニッコウキスゲ


ミヤコワスレ


オダマキ


スズラン

新緑の季節。

様々な花が美しい。

ここでぼうっとするのも、休日の安らぎかもしれないなあ…。





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野菜の苗植え

2016-05-09 21:46:44 | 生き方
先日、畑にしたわが家の庭に、野菜の苗を買って来て植えた。

例年通り、ミニトマトを、2種類。
赤い実がなるものと、黄色い実がなるもの。
意外と黄色いミニトマトが、昨年も味はよかったし、秋遅くまで実りがあったのである。

ほかに、ピーマン2本。

ナスも2本。

そして、オクラの苗は、野菜用のプランターに植えた。
オクラは、花も美しいので大好きなのであるが、苗が小さい頃は虫に食われ安いので、それが少々心配。

でも、みんな大きく育て。
豊かに実れ。

…世話もしないとだな…(当たり前
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「連休大工」を楽しむ

2016-05-07 12:10:03 | 生き方
妻から、家の植木台がガタガタだからなんとかしてくれないか、との相談があった。

家の3段の植木台は、従兄が作ってくれたもの。
建設会社に勤めていただけあって、がっちりしていて丈夫なものだった。
だけど、さすがに20年近くが経過すると、木も腐ってしまって、脚もとがぐらぐらどころか、全体が傾くようになってしまった。
これでは、植木鉢を載せておけない。
腐ったところをのこぎりで切って高さを調節しようとしても、そうすると、ほかの脚と長さが合わなくなり、3段での使用はできなくなってしまう。
その植木台は2段で使うとして、3段のものもほしい。
買うのもなんだかなあ…。

「…自分で作ってみようかな!?」

という気分になった。

材料を探しに、ホームセンターへ行った。
思ったのは、材料費が高いということ。
角材や板材の金額が、結構高いので、驚いた。
それでも、30分以上ホームセンター内をうろうろして、ある程度の目途をつけた。
板材の代わりに、簀子(すのこ)を3枚購入。
今までの物より小さくなるが、まあ我慢しよう。
角材は、少し華奢になるが、35mmのものを使用することにして、2mを6本購入。
初日は少しやっただけで、2日目に力を入れて作った。

父の代から使っていた大工道具箱を久々に開くと、懐かしい工具や、30代や40代で購入したけれども使っていなかった工具などが出てきた。
特に懐かしかったのは、折尺。

折りたためるものさし。
メジャーとはまた違った味わいがあり、いかにも大工仕事という感じ。

組み立てる時は、多少は丈夫になるように、ねじ釘と釘を併用した。
電動式のインパクトドライバーを使ってねじ釘を打ち込んでいくのは、心地よかった。

長さを測り、のこぎりを引いて角材や板を切るのは、いったい何年ぶりだろう。
娘や息子が遊べるようにと、バスケットゴールを車庫の壁に取り付けた時があったなあ。
娘や息子と卓球ができるようにと、卓球台の補助台を作ったことがあったなあ。
そんなことを思い出した。

物づくりの思い出は、さらに自分の少年時代にさかのぼっていく。
中1の頃、ジュウシマツを飼うために、小鳥箱を作ったことがあったっけ。
止まり木や巣を工夫して付け、自分なりにがんばって作ったことに満足していたよなあ…。
中3の頃、弟のために、角材と釘で走り高跳びのスタンドを作ったことがあったっけ。
5cm刻みで釘を打ち、1m30cmまで跳べるように作ったものだった。
それを使って練習した弟は、小6の時高跳びの代表選手となり、近郷の小学生の陸上大会で、1m24cmを記録して、4位入賞を果たしたのだったなあ…。
そうか。不器用だったけど、ものづくりは好きだったのだな、と改めて昔からの自分を思った。


形が整ったが、まだぐらぐらしやすい。

鉢を載せるところに防水対策を施し、ぐらぐらしないように金具を使って強化は完成。

久々に、ものづくりの楽しさを存分に味わった。
いしいひさいちのマンガ「ののちゃん」の父親が、愚にもつかない日曜大工ばかりをするという、その謎が解けたような気がした。
日曜大工ならぬ「連休大工」を楽しんだ私であった。
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妻の誕生日祝いに、関川村&山形・小国町へ(2)

2016-05-05 22:31:45 | お出かけ
さらに花を求めて、ドライブを続ける。
山々には、緑だけでなく、黄緑、ピンク、黄色、赤や茶色もある。
いかにも山笑う感じであり、美しい。
車は、県境を越え、山形県に入る。
車の行先は、小国町の玉川地区から小玉川地区へ。
ここは飯豊の、新潟県側からすると裏側になる。
今年は、雪解けが早かったので、飯豊山荘までの道は通行止めが早く解除されているのではないかと期待して、車を走らせていた。

小玉川地区の外れにかかると、左側に一面まだカタクリが咲いているところがあった。

「うわあ。すごい。」
さっそく車を止め、われわれ二人は、それぞれのデジカメで写真を撮りまくった。

今年、妻はカタクリに会っていなかった。

3週間前の入院もあって、今年はカタクリを見ることはないかと思っていたのが、ここで見ることができた。
誕生日の祝いにふさわしい花いっぱいの土地であった。

そして、飯豊梅花皮荘入口と飯豊山荘への道との交差点に来た。

残念ながら、まだ通行止めであり、飯豊山荘方面に行くことはできなかった。

梅花皮荘の向こうの飯豊の山は、まだ春は来ていない。
その近くを散策して、

まだ咲いている八重桜やキジムシロ、

白と青のアズマイチゲなどを見つけ、花見を楽しんだ。
樹木の花も、桜のほかに、

コブシや

キブシ、

樹木にからみつくアケビの花なども見ることができた。
ここまでで十分花見を楽しんだ夫婦であった。

帰路では、水路にミズバショウが咲いているのを見つけて寄ってみた。

水が冷たいせいなのであろう、水路には小さくかわいいミズバショウが、花を咲かせていて楽しかった。

田んぼの中に、このような場所があるのを初めて知った。
早春に咲く花々を満喫した。

帰りには、貴重な時間をわれわれ夫婦に与えてくれた息子用に味噌まんじゅうを、あんこの嫌いな娘用には梅干しを、関川村の道の駅で買って帰った。
妻も、気分が晴れ晴れしたに違いない。
齢を重ねていく。
突然の入院もあって大変な思いもしたけれども、お互いまだまだ元気でありたいものだ。
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妻の誕生日祝いに、関川村&山形・小国町へ(1)

2016-05-04 21:13:19 | お出かけ
つれあいが私より先に大台の誕生日を迎えた。
その誕生日祝いの一環であろう、息子が、「どこか出かけてくれば?」と言ってくれた。
先月半ばには入院の憂き目にあった妻であったが、その後気をつけていることもあり、幸いかなり普通に近い回復具合である。
息子の温情をありがたくいただき、娘の面倒を任せ、久々に夫婦で「花見」を目的としたお出かけに出た。

まずは、関川村の菜の花畑。
河川敷の菜の花畑は、まだまだきれいに咲いていた。

菜の花特有のにおいでいっぱいであった。

関川ふれあいドームにつながるこの土手沿いの道は、来月の関川マラソンで走る予定である。


続いての行先は、鷹ノ巣キャンプ場周辺。
ここは、カタクリの群生地なので、よく訪れている。
ただ、今年は春が早かったし、暖かい日が続きもしたので、カタクリはとっくに葉だけになっているはず。
それでも、他の山野草が期待できるはずと、足を向けた。

つり橋を渡ると、もうそこには、キジムシロの黄色い花々が迎えてくれた。

そこから歩を進め、先日も紹介した特徴のある、コシノカンアオイの葉を見つけ、二人であくせくと花を探した。
やっと妻が見つけたが、形がゆがんでいる花しかなかった。

その後は、チゴユリ


キランソウ

ワスレナグサ

などの写真を撮っていたのだが、妻がフデリンドウの花を見つけた。

フデリンドウは、春に咲くリンドウだが、そこここに咲いているのを見たのは初めてだった。
しみじみと見ることができた。

「来たかいがあったね。」と、喜ぶ妻であった。
ここには何度か来たが、今まではカタクリの咲いている時季だった。
今回は、それより少し遅いのが、よかったようだ。


川沿いの遊歩道の斜面には、ヒトリシズカがたくさん咲くのだが、もう葉ばかりになっていた。

そのかわりに、スズシロソウ

と混じって、小さい白い花を見つけた。

「ノミノフスマ」という花ではないかと思ったが、家に帰ってから調べたら違っていた。
「タニギキョウ」という名であった。

フデリンドウにタニギキョウ。
なかなかあえない山野草に出合えて、うれしく感じた。
ここに来た時、いつも見ていたカタクリ、ミヤマカタバミ、ヒトリシズカなどはすっかり花の季節が終わっていたけれど、キジムシロ、ワスレナグサ、フデリンドウ、タニギキョウなどが、ここ関川村・鷹ノ巣キャンプ場で見られたことは新しい発見であった。


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庭に畑を増やす

2016-05-03 20:37:26 | 生き方
わが家の庭。

チューリップやオダマキ、オキナグサなど、春の花が咲いている。
ただ、この土の地面がもったいない。

「(今までとは別に)畑作ってくれない?」
という、妻からのリクエスト。
仕方がない、と腰を上げた。
鍬を使って、よっこらしょ、どっこいしょ。
一生懸命に耕し、コンポストに入れて作っておいた堆肥を、土に混ぜた。
うんとこしょ、どっこいしょ。
そして、―。

ついに出来上がりました、新しい畑。
さて、近々ここに野菜を植えましょう。
夏に野菜が実る日が、楽しみ、楽しみ。


―これが、連休3日目の主なお仕事でありました。


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