ON  MY  WAY

50代を越えても迷えるキツネのような男が、スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

「ヒーロー」の名を持つ漢(おとこ)が帰って来る!

2018-10-17 22:27:18 | アルビレックス新潟
あの男がアルビレックス新潟に帰って来る。
サポーターが「ヒーロー」と名付けて歌っていた、あの男だ。
だから、ただの「男」という字より、「漢」(男の中の男)という字を当てたい。

その漢は、クラブを通じて、次のようなメッセージを寄せている。

来季より11年ぶりにアルビレックス新潟に復帰することになりました。
この話をいただいたときは涙を流して喜びました。
またみんなに会えるのが待ち遠しいです。
伝えたいことはたくさんありますが、アルビレックス新潟のために、アルビレックスファミリーのために、全力で闘います!

うれしいじゃないか、「涙を流して喜ん」でくれたのだ。

その漢は、2003年、J2からJ1昇格を決めたあの試合にも、ピッチに立っていた。
これが、その当日地元紙新潟日報の号外写真に掲載された、彼の写真だ。


GK(ゴールキーパー)として守る彼のことは、サポーターはチャントでこう歌っていた。

オ・レ 野澤洋輔 ゴール守る 俺たちのヒーロー
オ・レ 野澤洋輔 ゴール守る 俺たちのヒーロー

そう、その漢とは、38歳になった野澤洋輔のこと。
アルビレックス新潟シンガポールの、正ゴールキーパーだった。
シンガポールリーグと侮るなかれ。
年齢が高い選手と侮るなかれ。
彼は、年齢制限のあるリーグの規約の中で、各チーム1人だけ認められた年齢オーバーの選手なのだ。
そして、ゴールを守り、リーグのベスト11にも選ばれている。
れっきとした戦力なのだ。
かつての栄光を思い出して懐かしむだけの選手ではないのである。

また、彼には明るさもある。
チーム内を明るくしてくれる、ということでも戦力なのだ。
7月に本間勲の引退試合があったことをこのブログに載せた時に、「今の新潟には、底抜けの明るさと、勝負に対する真剣さとを合わせ持った(野澤のような)選手が必要なのではないか」と書いた。

そのことが実現する訳である。


来季のリーグにこそJ1昇格をねらう新潟にとって、このうえない戦力となってくれる、と信じている。
スタジアムで、活躍するノザの雄姿を見ることが、今から楽しみだ!






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心躍るサッカー、日本対ウルグアイ

2018-10-16 21:38:55 | スポーツ
サッカーで、今までこんなに楽しく強いプレーを見せてくれた日本代表があっただろうか?

親善試合、日本対ウルグアイ。
高レベルのプレーを次々に見せてくれていた。
その中心となっているのは中島翔哉だ。
ドリブルよし、パスよし、シュートよし。
変幻自在の動き。
よく「○○のメッシ」という形容をよく聞くが、その形容にふさわしい選手だと思う。

そして、彼を取り巻く若い選手たちが躍動していた。
堂安しかり南野しかり。
ウルグアイの選手たちに比べて、体格的には劣っているはずが、それを感じさせない敏速な動きを見せる。
まるで、忍者のようだった。
実にスピーディ。

その力を引き出させてくれていたのが、実力国ウルグアイだった。
世界ランク5位の力を見せる。
日本が先制すれば追いつく。
日本が勝ち越すとすぐまた同点弾を決める。
日本が2点差をつけると、すぐにまた1点差に迫る。
ウルグアイもスピードと技術を持った強いチームだとわかる。
確かな技術と力があることを見せてくれていた。

しかしながら、そのことが、簡単にやらせようとしない日本の選手たちの力をさらに引き出してくれる。
日本の選手たちが互角以上に対抗している。
簡単に倒れない。
簡単に奪われない。
日本の選手ってこんなにうまかったのか?
そう思わせてくれた。
若い選手たちに加え、吉田、大迫、長友ら、W杯経験組の活躍も期待どおりであった。

いやあ、面白かった。
4-3と僅差の勝利に見えるが、チームが目指している、そして現状に見合っている、とてもすばらしい戦い方を日本代表はやれていた。
頼もしくもあった。

日本サッカーのこれからの活躍がとても楽しみとなる、日本代表の試合だった。
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関越自動車道を走って

2018-10-15 20:51:00 | お出かけ
埼玉から新潟に帰ってきた。
私が住む所からだと、およそ260km。
この距離が、関越自動車道を使って車を運転すると、だいたい3時間半で着くのだからすごいなあと思う。

私が妻と結婚した頃は、関越道は全通していなくて、途中下道を使うことも必要だった。
それから間もなく、関越自動車道が開通して、ずいぶん便利になった。
子どもたちが小さい頃は、新幹線もよく使ったが、大人料金を取られるようになると、もったいないので車を使うことが多くなった。
今は、こうして車で行き来するのが普通になってしまった。

関越道を使う場合、渋滞が懸念される時もあるが、埼玉県北部までだとおおむね大丈夫である。
盆や正月などの際には、渋滞する車の流れと逆になるのだ。
帰省するのと逆方向に向かうから、だいたいすいているのだった。
ただ、突然埼玉に向かう必要が生じたことが、今まで3回あった。
その2回が急逝によるものであり、1回は体調不良を知って駆けつけると亡くなっていたというものである。
悲しい思い出が多い。

ただ、今回のことで、8月末に急に埼玉に来たということに、よいことも1つあった。
それは、病に倒れてから医師の指示によって長時間の外出は避けてきた娘が、5年たって初めて県外まで車に乗って外泊の必要なところまで出かけられたことである。
慎重に回復を待っていたが、今回の状況はそれを許さない緊急性・必要性があった。
悲しい出来事の中に、そのことは喜べることであった。

結婚して30数年し、40年が近くなる。
長い間には、様々なことが起こってきた。
そのたびに関越自動車道を行ったり来たりしてきた。
今日はそんなことを思いながら、関越道を走って新潟へ帰って来たのだった。
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親子で河川敷12㎞ラン

2018-10-14 22:03:40 | RUN
義兄の四十九日法要も無事に終えることができた。
主催する立場としては、来ていただいた方々に嫌な思いをさせることなくできたことが一番よかった。

法事を終えても、することはたくさんあるのだが、今日は一段落つけてから息子と走りに出た。
埼玉で親子で走るのは初めてだ。
息子や娘が小さかった頃は、すぐ近くに川があるので、よく川遊びに出かけたものだ。
その川沿いに舗装路が通っている。
散歩にランニングにもってこいのよい道だ。
今日は、この道を上流に向かって走って行った。

二人で走りながら、しゃべりながら、進んで行った。
二人とも新潟シティマラソンでのダメージがまだ少し残っていたので、キロ6分ジャストを目安にして走った。
面白かったのは、二人の持つランニングウオッチの計測する距離が違うということだった。
息子はエプソンの、私はガーミンのウオッチであるが、息子のものの方が早く1㎞に達するのだ。
私のものは、速さが多少遅めでもあった。
同じGPS機能をもつのに、違いが大きいことは発見であった。

6㎞を走って、折り返すころ、日没が近づいた。

帰路につき、往復12㎞を走った。

空には三日月が明るく輝き、私たちの気分も上々であった。
一人でなく、二人で走るのは楽に感じられていいものだなと思った。


親子二人で走るのはなかなかなかった。
改めていいものだなと思った次第である。
河川敷にすばらしいコースがあるのもいいなあ。
この周辺の人々をうらやましいとも思ったよ。
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こんな試合もある

2018-10-13 20:26:53 | アルビレックス新潟
アウェー甲府戦。
3連勝と好調な甲府と5連勝と好調な新潟の戦い。
埼玉に来て、法事を営んでいた私には、DAZN観戦とはいえ、じっくり試合を見る余裕はなかつた。
前半ば明らかに押していたようだし、チャンスもあったようだが、決めきれずにいると、後半は防戦一方の時間も。

結局、0-0の痛み分け。
両チームにとっては痛かっただろうが、こんなこともあるのがサッカー。
仕方あるまい。
一生懸命やっていても、最善の結果がもたらされるとは限らない。
そんなことを思う。

どうせ、今となっては、新潟の今季の昇格は、ありえない。
悔しいけれど、それが現実だ。

だけど、選手たちが精一杯やっているのがわかる。
だから応援を続けている。
来季につながる戦いだ。
それがわかる試合だったと言えるのではないか?

まだ今季の試合は、残っている。
勝てないこともあるけれど、一生懸命に走る姿の背は、これからも押していくぞ!
VAMOS新潟!
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ねぎ畑…といえば…?

2018-10-12 17:17:57 | お出かけ
久々に「お出かけ」カテゴリーからの更新。
なぜかというと、埼玉に来ているから。
今回は、義兄の四十九日法要を営むためである。

法要の他に、様々な手続きが必要となり、今日はこんな場所に行って来た。

別にNegiccoの追っかけではない。
ねぎ畑…でもない。
ねぎの産地で有名なところ。

そう。
埼玉でねぎといえば、深谷市!
キャラクターは「ふっかちゃん」という愛らしいのがあるのだ。
こんなバスを見かけて、思わず撮ってしまった。

堂々とバスにもデザインしているなんて、やるね、深谷市!
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きつさに負けずに、自己ベストで ゴール~自己ベストの原因を探る~新潟シティマラソン2018(4)

2018-10-11 21:27:33 | 草花
今回でフルマラソン挑戦は、8回目であった。
自己ベストとなった今回を振り返ってみる。

①確信をもって言えるのは、経験値の積み上げが自己ベストにつながったということ
20kmすら走ったことがないのに、無謀にも初挑戦し、大失敗した7年前。
その大失敗から学んで、練習して少しずつ力を伸ばすことができ、ゴールにたどり着くことができるようになってきた。
ハーフマラソンを走ることが大変だった頃もあったが、今は練習でハーフの距離を走ることは少しも苦ではない。
経験してきた成果が表れている。
苦い経験が人を育てるということである。

②完走するための練習のノウハウをいろいろと身に付けてきた
「週1回の練習でもマラソンは完走できる」という内容の本も読んだ。
他の本からも、どうやったらフルの完走につながるのか、練習のノウハウを知り、実践してくることができた。
ただ、決してその全てをやってきたわけではない。
私は、そんなに几帳面ではなあ。
だが、無理してまではやらない、というポリシーで、苦しくても、やって楽しい気分で練習することを繰り返して来た。
自分の体調に合わせて走ることができるようになってきたと言える。

③できるという自信が最後まで自分を支えた

昨年は歩いてしまった。
それが悔しいから、2月に挑戦したいわきサンシャインマラソンでは意地でも最後まで歩かずに走り通すことができた。
いわきでは後半は失速したが、自己ベストに近いタイムでゴールすることができたのだ。
だから、きっと今回もあの時と同じようにゴールできる、と信じていられた。
今回も、「絶対に歩かない!絶対にいける!」という気持ちを最後までもつことができた。

大きく言ってこれら3つのことが、今回の自己ベストにつながったと言える。
とはいえ、ゴール後は今までになく苦しい思いをした。

しかし、走ることが好きだという気持ちを心底から持ち続け、これからも、前を向いて走っていきたいと思っている。
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きつさに負けずに、自己ベストでゴール~ラスト7kmは死に物狂い~新潟シティマラソン2018(3)

2018-10-10 22:18:13 | RUN
30kmポイントを過ぎた。
ここからこそきつくなる。
覚悟した。
私は、ここからゴールまでの距離を走るために、ここまで走ってきたのだ。
そのように思い直した。
しかし、普段の練習では、30kmを越えるような距離は走っていない。
大会だって、ハーフマラソンまでだ。
あとは、体力が残っているか、気力を奮い立たせることができるか。

走路は、関屋分水の堤。
道幅が狭くなるとともに、歩いているランナーも多くなった。
そばを走っているランナーの女性はベテランランナーだとわかる。
小幅だが足の運びが、実にスムーズだ。
こういう走りは、疲れにくいと分かる。
私は、足が長いので(…胴の方がはるかに長いが?)、こういう小刻みなピッチで走ることには慣れていない。
このランナーのような走りができたらいいなあ…とうらやんだ。
でも、人は人、自分は自分。自分にできる走りしかできない。
今回は、とにかく歩かない。
それが、今回の自分の最大のめあてだったと、心の中で確認した。

33km付近で、今年も高橋尚子さんがいた。
ランナーとハイタッチして、声をかけ続けていた。

すごい人だ。
私は、「去年は後ろから拾って助けてもらいました。ありがとうございました。」と叫んで、ハイタッチして通り過ぎた。

その後も、関屋分水堤は続くが、ずっとその上で応援をしてくれる人たちがいる。
でも、こちらの体力も限界が近づいてきたから、しだいに下を向いて走ることが多くなってきた。
エイドでは、なし、バナナ、きゅうり、笹団子、ポッポ焼き、サラダホープなど、様々なものを置いていた。
口に入れると、体の疲れは一瞬飛ぶが、一瞬の後はまたつらさが襲ってきて、また下を向いて懸命に前に進んだ。

ふと顔を上げると、もうすぐ35kmというところに、職場の同僚である女性がいた。
思わず名前を呼び、ハイタッチして通り過ぎた。
体が軽くなった気がした。

そして、すぐ35kmの折り返し。
今度は、越乃寒梅の純米吟醸「灑」の瓶を模した折り返しである。

え?「灑」って何て読むのだって?
これは、「さい」と読むのだよ。(大会プログラムの中の広告に書いてあった。…意味は不明…)
その折り返しポイントの写真を撮ろうとしたら、あまりにも汗を多くかいたために、携帯スマホが滑って指を感知してくれなかったので、撮るまでに少々時間がかかってしまった。

その折り返しから今度は堤の下の舗道を進む。

さっき会った同僚の女性に、もう一度手を振って、ガッツポーズなんかして強がって前に進んだ。

37kmあたりで、再び高橋尚子さんの檄を受け、平成大橋を渡り、対岸の道を走る。
走るとは書いたものの、この頃の走りは、苦しくて苦しくて、その姿は歩きに近くなっていた。
ウオッチを見ると、1km7分以上もかかっていた。
㉛6分23秒 ㉜6分32秒 ㉝7分10秒 ㉞7分20秒 ㉟6分18秒 ㊱7分15秒 ㊲7分50秒 ㊳7分6秒
もう少し颯爽とこの川岸を走る予定だったのに、少しもスピード感がなかった。
去年より遅い気もしたくらいだった。

信濃川に架かる本川大橋を渡ると、残りは4kmである。
ところが、ここから先が長く感じた。
ゴールが近づきラストスパートをかけるランナーたちに次々に抜かれていく。
悔しいが、足が出ない。腕だけは懸命に前後に振る。
そうやって、少しでも早くと気持ちを急かせる。
㊴7分16秒 ㊵8分15秒 

あと少しあと少しと思いながら、なかなか近づかないゴール。
ついにキロ8分台にまで落ちてしまった。
こういうとき、私を抜いて行くランナーたちがねたましい。
私は、必死で腕を振っていて前に進んでいるのに、抜いて行く人たちは足音軽やかに(聞こえる)追い越していく。
悔しいが、人は人、自分は自分で懸命に戦っている。
オレは、歩かない!

ようやくゴールが近づく。
こういうのを「死に物狂い」というのだろうなあ、と思う。
今、ゴールだけを考え、とにかく前に行くだけだ。
㊶7分26秒 ㊷7分37秒

新潟市陸上競技場への角を曲がる。
あと100m。
必死で走り、ガッツポーズでゴールゲートを通り過ぎた。

…そこまではよかった。
苦しい中、よくがんばって走ってきた。
そのツケが一気に体を襲ってきた。

まっすぐ何歩も歩けず、歩いては止まり、息を整えてまたふらふら歩き出す、といった感じ。


完走証を発行してもらい、そこには、ネットタイムで4時間35分台の記録が書かれてあった。
よくがんばった、よく歩かずにゴールにたどり着いた、と思う。
ただ、今は、ものすごく息苦しいし、脚もフラフラだ。

預けていた手荷物を受け取った後しゃがみこみ、息子にメールを送る。
「9号車の前でへたり込んでいます。しばらく動けません。」
息子からの返信。
「とりあえず荷物受け取り会場にいます。ハンガーノックで動けない…」

後でやっとのことで落ち合うと、息子は後半空腹から低血糖状態になり、私より5分余り前にやっとゴールしたばかりだったのだと聞いた。
私も息子もしばらくその場を動けなかった。
マラソンは、過酷だと思った。
35kmまでは行けるが、42kmは遠い。

今回は、サトウの切り餅ももらってはみたが、気分がすぐれず、食べきれなかった。
しかし、Negiccoのパネルの前で笑って写真撮影することだけは忘れない私であった。


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きつさに負けずに、自己ベストでゴール~30kmまでは堅調なレースができた~新潟シティマラソン2018(2)

2018-10-09 21:17:42 | RUN
柾谷小路への折り返しに向かう前、萬代橋の上でゲストランナー(応援ランナー)の一人、市川麻由美さんが目の前にいた。
ミーハーの私は、かつての世界陸上出場者と声を交わしたくて少しスピードを上げて追いつき、「ありがとうございます!」と言って、握手をしたのだった。
世界と戦ったことのある人のパワーをいただきたかったのである。

そこから柾谷小路に向かって走っている時、このブログでちょくちょく紹介している、いつもRUNの大会で一緒になるSNさんとすれ違った。
彼は、私と違って、フルマラソンの経験も多い。
ハイタッチしながら、彼とは1kmくらい差をつけられているなあと思った。
でも、敵は彼ではない。
自分の中にいる、自分の気持ちだ。

やがて、折り返し。
ポケットに入れた携帯のカメラのレンズは、汗でくもっていた。


そこから萬代橋の近くで、ファンランともう一度数十メートル混じって走る。
その分かれ道に今度は、シドニー・アテネ2大会のオリンピックに出場した大島めぐみさんが立って励ましてくれていたので、ここもハイタッチ。
「ありがとうございます!」

川沿いに進んだ後、やがて道は、新潟みなとトンネルへ。
今年は、往路と復路とで通るトンネルが違う。

これはありがたい。
おかげで、去年のようなトンネル内での熱気や蒸し暑さを感じずにすんだ。
それでも、トンネルを出ると風が涼しく感じられた。

まもなく、最初の「給食所」。
うっかり、バナナを食べそこない、オレンジだけいただいた。
そして、2つ目の折り返し点へ。
おお、ここの折り返しは、3月の新潟ハーフマラソンでも見た、あの「越乃寒梅」ではないか!

走っている今は、酒なんぞ飲みたくないぞ。
そう思いつつ、復路側のトンネルを淡々と行く。
トンネルを出たところが、19km。
そして、海岸沿いの道を行く。
5年前に強制収容された懐かしい景色も目にしながら、先に向かう。
20kmまでは、自分が決めた目標タイムでおおよそ走れていた。
⑪5分57秒 ⑫6分15秒 ⑬6分5秒 ⑭5分59秒 ⑮6分15秒 ⑯6分10秒 ⑰6分18秒 ⑱6分3秒 ⑲6分11秒 ⑳6分15秒(いずれも各1kmのラップタイム)

ここから30kmまでの目標タイムは、6分30秒まで下がってもOK!
そんな気持ちを強くして、海岸沿いの道を進んで行った。
トンネルを出てから、また陽射しが強くなっていたが、木陰があれば木陰を選んで走った。
そろそろ歩くランナーも目にするようになってきた。

私は、30kmから先を走るために走っているんだ。
まだ20kmと少しでしかない、まだまだ普通に走れる、と自分を励ましながら走っていた。
そして、時折多少のアップダウンがあったが、まだまだ走れる、と力まないようにしながら前に進んだ。この頃は、もう、朝に股関節や付近の筋肉が痛かったことは、すっかり気にならなくなっていた。

関屋分水を渡り、26km付近で息子とすれ違った。
息子は、30km付近だから、もう4kmも離されている。
息子の今回の目標だった「サブ4」、4時間切りに順調だな、私もがんばらなくては、と思った。

2kmほど松林沿いの国道402号を行き、戻ってくる。
去年は、ここで走る力がなくなった。
初マラソンの時には、ここでは歩くしかできなくなっていた。
そんな苦い思い出を払拭するように、「今年はまだ走れる!」と余裕を持とうと努めていた。
そして、タイムも結構、思い描いた通りとなっていた。
㉑5分51秒 ㉒6分19秒 ㉓6分26秒 ㉔6分1秒 ㉕6分2秒 ㉖6分13秒 ㉗6分8秒㉘6分45秒 ㉙6分16秒 ㉚6分38秒

ただ、間違いなく体は動かなくなってきていた。
ダメージが、たまってきていた。
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きつさに負けずに、自己ベストでゴール~新潟シティマラソン2018(1)

2018-10-08 22:11:47 | RUN
新潟シティマラソン。
かなりきつかったが、歩かないと決めて懸命に腕を振ってゴールにたどり着いた。
記録は、自己ベストを10数分縮める4時間35分台だった。
今まで走ってきた、多少努力してきた成果が出せたのだ。
素直にうれしかった。


今朝は、4時半に目覚めた。
階段の上り下りがえらくきつい。
理由は、実は昨日の朝にあった。
町内の公園の除草清掃があったのだ。
私は、草の刈払い機で刈られた草を、ほうきのような竹熊手で、かき集める役。
約1時間、体を使って必死にかき集めたので、ひどく疲れた。
おまけに、夕方から股関節やその周辺の筋肉が痛み始めたのだった。
朝起きてみて、その痛みは少しも改善されていないのだった。
仕方がない。昨日決めた目標を下方修正していくか。
7時間制限だから、歩いてでもゴールにたどり着けるだろう、と覚悟した。

新潟シティマラソンのスタート会場、デンカビッグスワンスタジアムまで車で行くには、休日とはいえおよそ40分ほどかかる。
息子と二人、参加するために速く朝食を食べ、5時50分に車で出発した。
会場には、6時30分前に着いた。
余裕だね。
田園地帯に囲まれているせいか、ビッグスワンスタジアムや

野球場であるハードオフエコスタジアムは、霧に包まれていた。

いつもとは違う朝霧に包まれたスタジアム。
いい感じだった。

やっぱり股関節等が痛くて、階段を勢いよく上がることはできなかった。

スタジアムの電光掲示板には、「新潟シティマラソン2018」の文字。

2日前に、アルビレックス新潟がカマタマーレ讃岐に2-1で勝ち、5連勝を飾った喜びがあるスタジアム。
思わず、あの日のゴールと勝利を思い出して、にやける。
気分が高調してきた。

7時半過ぎから整列が始まったが、私は、第2ウエーブスタートだから、8時40分まで1時間も待たされることになった。

でも、8時過ぎから始まったオープニングセレモニーでは、大好きなNEGICCOの3人や

ゲストランナーの高橋尚子さんのあいさつもあったので、その間はいい時間だった。


さて、第1ウエーブのランナーたちが行き、8時40分にはそれより多人数の第2ウエーブのスタートだ。
そこからスタートした私は、約2分遅れての出発だった。

今回の作戦。
いつもは5分台で走っているが、20kmまでは1kmを6分台前半で行く。
20kmから30kmまでは6分台の中半~7分くらいで行く。
残りは、なんとか7分台で通していく。
そうやって、苦しくても歩かずに走り通す。
苦しくなったら、ペースを下げて、走ることだけは続けてゴールするぞ。
前回のリベンジを果たすのだ。

走り出していくと、残念なことに、今回はNEGICCOのメンバーが沿道に立っていなかったのだ。
うーん。毎年楽しみにしていたのになあ。

序盤は、人込みのようなランナーたちと一緒に進む。
今年も陽射しが強く、なるべく木陰やビルの影ができるところを選んで走った。
走っているうちに、大きな雲が出て陽射しが緩んだ時があったのは、ありがたかった。
ペースを上げないぞ、と決心していたとおり、後半にそなえ、なるべく楽な走りを心がけていた。
①kmまで、6分39秒 ②5分57秒 ③6分5秒 ④6分2秒 ⑤6分4秒 ⑥6分5秒 ⑦6分6秒 ⑧6分19秒
万代橋まで、タイムは安定していた。
上り坂なので少し遅くなったが、大丈夫。

今年も、萬代橋のたもとに、かつて一緒に勤めたことのある女性が、固有名詞で私を呼んで応援してくれた。
「ありがとう~!会いたかったよ~!」と叫んで、笑っていただいた。
万代橋を渡ると、11.0kmのファンランの人たちとコースが分かれる。
フルマラソンのランナーは、もう少し柾谷小路という通りを進む。
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