ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「俳句ミーツ短歌 読み方・楽しみ方を案内する18章」(堀田季何著;笠間書院)

2023-06-30 15:06:19 | 読む

 

著者の堀田季何さんは、俳人であり歌人でもある。

だから、俳句も短歌もよく知っている方だ。

その彼女が、俳句や短歌について、その歴史やら楽しみ方やらを書いてくれたのがこの本。

図書館で新刊として紹介されていたから、借りてきた。

 

 

本の前半では、和歌から俳句、川柳となるまでの歴史が書かれている。

本書のすばらしいところは、必ず参考となる歌や句が載っているということ。

だから、言わんとしていることが具体的にわかって来る。

 

特にいいなあと思ったのは、俳句も短歌も、とにかく「自由でいいのですよ」ということ。

例えば、俳句は「五七五」、短歌は「五七五七七」の字数だと思っている。

だが、その字数は別に守らなくてもいい。

字余りとか字足らずとかよく言ったが、そうでなくてもいいと言っている。

現に、字余りゆえに俳句なのか短歌なのかわからないものもある。

 

童貞聖マリア無原罪の御孕りの祝日日和とはなれり

…これは33音で成っているが、俳句なのだとか。

 

何かせねばおさまらぬ手がこうして石をにぎりしめたり

…これは27音だが、短歌なのだそうだ。

 

こんなふうに具体的に示されると、区別できなくなってしまう。

 

また、俳句には季語がなくてはいけないと思っていた。

だけど、それがなくても成り立つ作品もある。

季語という言葉は、明治生まれなのだそうだ。

 

著者は、主張している。

俳句を俳句たらしめるものは、日本語の場合、

一 季語的な、切れで活きるキーワード(場合によってはキーフレーズでもいい)

二 切れ

三 短さ(定型なら満たすが、定型に限らない)

以上の三つであろうと私には思われます。

 

なるほどなあ。

もう一つ、響いた言葉。

俳句は、その短さゆえ、読者が銘々完成させる詩なのです。

俳句は、読んだ読者が、自分なりに感じたことをもとに、詩として完成させるものだという考え方には、共感した。

 

また、短歌や俳句は、まずは自分の実体験に基づくものでなくてはならないという考え方があるが、著者は、そこにこだわらなくてもいいとも言っている。

そうはいうけど、やはり体験に基づくものは説得力があるのだなあ、と読み進んでから思った。

恋の歌についてもページを割いているのだが、与謝野晶子の歌からは、実体験からくるのだろう、愛欲に関する圧倒的な迫力が伝わって来る。

 

本の後半には、外国人の作る句や歌についてや、ジェンダー的な考察など、現代的な視点からも書かれていたのは興味深い。

さらに、現代的と言えば、AIについても言及している。

今後、AIによる作品が作られることもあるようになるかもしれない。

だが、確かに1つや2つだとよく見える作品にはなるだろうけれども、作品が多くなるほど意外な言葉と言葉の組み合わせが生み出される偶然性があまり望めなくなり、「なんか前に見たような、つまんない作品ばっかり」になるかもしれないということも、述べている。

なるほどなあ、と思えた。

 

読んで思ったことは、俳句や短歌を作るなら、自由でいいんだよ、ということ。

専門的な内容も一部入れながらも、一般人である私にもわかりやすく解説されていて面白かった。

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毎年恒例の…を2つ

2023-06-29 21:37:26 | 生き方

6月末から7月初めの、毎年恒例のこと2つ。

 

1つは、わが家の美人花、タマサボテンの開花。

夜に開花すると、翌日1日しか咲かないという一日花。

だけど、そのあでやかさに、いつもうっとりしてしまう。

例年だと、なぜか4,5鉢一緒に開花するのだが、今年は1鉢だけ先行。

花は少し小ぶりだったけど、十分に目を楽しませてくれた。

 

 

もう1つは、年に1度の側溝清掃。

重いコンクリートのふたを、器械で1つ1つ動かして、掃除。

側溝の内部だけでなく、ふたの周りに付いた父の汚れまで落とす。

たまっていた汚泥は、土のう袋に入れて片付ける。

最後に、強い水流で流し落とす。

すべて終えたら、また器械を使って40枚近くのふたを1枚1枚戻していく。

1時間半の時間をかけて、さっぱりしたよ。

 

 

年々1年が過ぎるのを早く感じるが、毎年この時期恒例の2つのできごとを今年も経験した。

そんな今年も、明日で半分が終わるのだなあ…。

ますます早く感じるよ。

 

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雨の合間に、この時期の野の花花見RUN

2023-06-28 22:19:10 | RUN

梅雨。

昨夜は、夜中1時20分過ぎから雨音が強くなり目が覚めた。

去年の今頃には、大雨で車庫への浸水などがあった。

短時間の集中豪雨は、怖い。

スマホで、雨の強い赤い色が上空を過ぎるのは、2時過ぎになると雨雲レーダーを確認した。ずうっと眠れなかったが、2時10分過ぎに雨音が弱くなったので、とりあえずひと安心だった。

 

朝になっても雨はあったが、夜中ほどではなかった。

午後にいったん雨は上がった。

また夕方に降るという予報だ。

 

雨が降っていないなら、皮膚炎は治っていないがそれを理由に1週間も走っていないので、どうしても走りたくなった。

6月は、関川マラソンでハーフを走ったとはいえ、走った回数が少ない。

やっぱり走ることが好きだし、野の花花見RUNもやりたいし。

…ということで、寝不足を無視して、雨の合間に走り出した。

 

ところが、今日は蒸し暑かった。

簡単に汗が出た。

でも、久しぶりのRUNだから、いいリズムで走ることができた。

 

6月下旬の野の花花見RUN。

見られたものを列挙する。

 

ウツボグサ。

太い茎の周りに花がポチポチと咲くようなイメージ。

花は可愛い。

 

キツネノボタン。

キツネというと黄色いイメージ。

そして、たしかにボタンのような可愛い大きさ。

 

オカトラノオ。

虎の尾って、こんなにフサフサかなあ?

でも太い方から先端に向かって花が咲いていく。

 

ノギラン。

意外に咲いている期間が短いのかな。

白い花をつけたのは、今回この一つしか見つけられなかった。

 

ノリウツギ。

白いヤマアジサイといった感もある。

でも、れっきとした樹木の花。

咲き出した今は、その白さが際立っていた。

 

6月下旬の花見RUN。

梅雨の時期だから、今まで案外やれていなかった。

花の種類は多くはないが、個性的なものが多いような気がした。

 

 

家に帰ってしばらくすると、天気予報の通り、雨が降り出した。

ニュースによると、日本各地で荒天や大雨で大変だったようだ。

近県では、富山県や山形県。

だけど、新潟県でもまた夜中に雨が降るらしい。

昨夜のような、いや昨年のような雨が降るのは、御免こうむりたいのだが…。

昨夜眠れなかった分も眠りたいし、今日野の花見RUNで10km走った疲れがとれるように休みたいのだが、さて、どうなる今夜…???

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皮膚炎が治らない⤵💧

2023-06-27 21:13:38 | 生き方

あ~、まだ治らない。

どうして、こう皮膚が弱いのだろうか。

 

今日は、ちょっとしたグチなので、お許しを。

 

10日過ぎに、家でイチゴの収穫をしたときなのだろう。

草かぶれなのか、毛虫にやられたのか。

原因は不明だが、左手の甲や薬指などがひどい皮膚炎になった。

一部は、顔やまぶたのあたりにも出てしまった。

 

薬は塗ってみたが、いっこうによくなる気配がなく、ひどくなるばかり。

18日の関川マラソンを控えて不安になったので、その前日に皮膚科の医者へ行ってきた。

10日分の飲み薬と塗り薬を3種類分(目の近く専用、顔専用、その他一般用)もらってきた。

 

関川マラソンでは、走っているうちに汗をかくだろうし、貼っているガーゼがはがれて皮膚炎が見えるのもいやだから、百均の店で指の第2関節までが出せる手袋を買ってきて、患部の左手にだけ使用した。

左手が多少暑かったが、関川マラソンでは他の人の目を気にすることなく走ることができた。

ただ、走った後、あれだけ具合が悪くなったのは暑さのせいだっただろうし、手袋をしながら走ったせいもあったかもしれない。

以後、季節外れではあるが、人目につくところにはこの手袋を着用して出ることにしている。

 

早く治るようにと、毎日飲み薬を飲んで、朝晩は患部に薬を塗ってと、手当はしているのだが、齢のせいか治りが遅い。

発症からもう半月以上たったというのに。

最初に皮膚炎になった箇所もだいぶよくなってはきたが、まだかゆみは強いし、その周りに広がったり、体の別な場所にとびひしたりしているような現状だ。

利き腕ではないとはいえ、左手を自由に使えないから生活に支障がある。

医者から10日分出された飲み薬も終わってしまったし、困ったもんだ。

 

子どものころから皮膚は弱かったのだが、齢をとってもこんなに悩ませられるなんてなあ…。

面の皮が厚い人をうらやましいとは思わないが、かぶれや虫刺されに強い皮膚の人がうらやましい。

 

…以上、わたしのつまらないグチにお付き合いいただき、ありがとうございました m(_ _)m💧

 

 

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サザエさんのオープニングでも紹介されている、新発田のあやめ園に行ってきた

2023-06-26 21:53:17 | お出かけ

今、日曜夜の「サザエさん」のオープニングでは、新潟県内の各地を紹介している。

最初、題字が出るときには、高田城公園なのだが、何番目かに「しばたあやめまつり」も出てくる。

 

そのしばたあやめまつり。

今年は、6月14日から6月25日だった。

おっと。6月25日と言えば、昨日だったではないか。

見そこねてしまったが、1日過ぎただけならまだいくらか見ることもできるのではないかと思い、期間の翌日に当たる今日の午前中に見に行ってきた。

 

 

たしかに、終わってしまった花は多かったが、まだ十分に楽しむこともできた。

でも、早くもあやめまつりで使っていたライトなど、後片付けの作業が始まっていた。

たぶん咲き終わった株の撤去なども行われるはずだ。

看板からの風景はこんな。

まだいくつもきれいに咲き残ったアヤメがあって、次々と写真に撮った。

その一部を列挙してみる。

 

車駐(くるまどめ)

 

 

金冠(きんかん)

 

江戸錦(えどにしき)

 

藍絣(あいがすり)

 

八橋(やつはし)

 

沖津白波(おきつしらなみ)

 

郭公鳥(かっこう)

 

新宇宙(しんうちゅう)

 

上総乙女(かずさおとめ)

 

桃児童(ももじどう)

 

萩小町(はぎこまち)

 

出羽の里(でわのさと)

 

…いやあ、いろいろな花があるものだね。

花も多種多様だったし、きれいな花に会うと心が安らぐ。

まだまだあったけど、好みで撮ったのはこんなものかな。

 

園内には、年輩の方々を中心にまだまだたくさんの人が訪れていた。

さすが、日本四大あやめ園の一つだけある。

面積1.8ヘクタールの敷地に、約300品種60万本のアヤメ(ハナショウブ)が咲き競うのをうたい文句にしているわけだから、期間を外れたときの訪問とはいえ、いいものだ。

とてもほっとする、いいひとときになったよ。

 

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スカシユリ咲く

2023-06-25 20:06:58 | 草木花

今年もうちの庭にユリが咲く季節となった。

3年ほど前に、「わが家のユリは、濃いオレンジ」としてここに書いたことがある。

 

わが家のユリは、濃いオレンジ - ON  MY  WAY

…歩く姿は、百合の花。このシーズン、散歩していると、あちこちの家の庭に咲いているのが、ユリ。以前は、ユリというと、「白百合」、そう白いユリのイメージがあった。冒頭...

goo blog

 

そこでは正式にこのユリの品種を書いてはいなかったが、うちではスカシユリだろうと思ってそう呼んでいる。

 

何気なくウイキペディアで「スカシユリ」を調べてみた。

スカシユリ(透百合、Lilium maculatum Thunb.)は、ユリ科ユリ属に属する植物の一種。海岸の砂礫地や崖などに生える多年草。大きさは20cm - 60cmとなる。

ふむふむ、なるほど。

 

和名が書かれてあるところに、いろいろと書かれてあった。

和名

スカシユリ(透百合)

イワトユリ(太平洋岸)

イワユリ(日本海岸)

ミヤマスカシユリ(山地生)

ヤマスカシユリ(山地生)

ハマユリ

 

…なぜ、こんなにいろいろな名前があり、( )付きなのだろう?

そう思って「分布と分類」の項を見てみると、

日本の中部地方以北の海岸の砂礫地や崖、岩場に生育する。個体群が地理的に隔絶されており、地域型として、太平洋岸に分布する個体群と、日本海岸に分布する個体群に分けられる。太平洋岸の個体群をイワトユリ、日本海岸の個体群をイワユリと呼ぶ場合と、栽培品種をスカシユリ、野生種全般をイワトユリと呼ぶ場合がある。

・太平洋岸に分布する個体群

中部地方以北の海岸に生育し、イワトユリと呼ばれることもある。

本個体群から分化した変種として、山地生のミヤマスカシユリがある。

・日本海岸に分布する個体群

北陸地方以北の海岸に成育し、イワユリと呼ばれることがある。矮性の個体が多いとされる。

本個体群から分化した変種として、山地生のヤマスカシユリがある。

 

そうか。うちに咲いているのは、栽培品種のものなのだろうけど、イワユリもスカシユリの中に入るのだ。

去年の夏に、笹川流れで見たイワユリも、スカシユリと呼んでよいのかもしれない。

いずれにしても、オレンジ色が美しい。

青空にも映えていた。

 

さて、それよりも濃いオレンジに近いわが家のスカシユリ。

オレンジ色といえば…、

がんばれ、アルビレックス新潟!

(やっぱりそこに行きつくなあ…。)

 

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やはり今後が不安なスコアレスドロー ~2023第18節アウェイ柏戦~

2023-06-24 22:53:48 | アルビレックス新潟

前半戦で、他のスポーツなら「エース」ともいうべき伊藤涼太郎がいなくなり、本来先発メンバーを任せたい選手にもけが人が多い。

そんな状況の中で、後半戦のスタートを迎えたアルビレックス新潟。

前半戦は、4勝5分け8敗の13位。

リーグ戦開幕前の予想よりはよいという人もいないわけではないが、アルビを応援する人たちにとってみれば、もっとやれるはずだ、と思っている。

 

リーグ戦が始まってから4戦負けなしだったのだが、今は4戦勝ちなしの1分け3敗となっている。

ここ3試合で湘南、ガンバ大阪、京都と下位チームに対して勝てていないのが、苦戦の一因でもある。

 

後期開幕戦の対戦相手は、現在最下位の柏レイソル。

最下位と言っても勝ち点差は5しかなく、ここで負けると一気に残留争いに巻き込まれかねない。

下位チームに慈悲深いアルビだが、ここは断固、鬼となってもらいたいものだ。

 

過去に柏戦と言えば、印象深い逆転劇が2試合ある。

1つめは、最初にJ1昇格を果たした年の確か4戦目、4月のアウェイでの相手が柏だった。

雨の降るアディショナルタイムに、鈴木慎吾、エジミウソンの連続ゴールで逆転し、J1初勝利を挙げたのだった。

 

2つめは、10年前のホーム柏戦だった。

 

奇跡の逆転劇 - ON  MY  WAY

「ようこそ夢の劇場へ」以前は、ドラゴンボールZとのコラボだったが、J1リーグ戦再開の柏戦は、「ジャイアントキリング」とのコラボだ。こんなことをやってくれるのだか...

goo blog

 

あの当時、娘が急な難病になってICUで治療を受けていたのだった。

奇跡的な後半の逆転勝利に希望の光を感じたのだった。

娘の病気回復に向けて、祈ったものだった。

 

今日は、試合展開にかかわらず、そんな印象的な2戦のように、最後まであきらめずに戦い、勝利をもぎ取ってほしい。

強くそう願っていた。

さて、今日の先発メンバーは、

GK 小島

DF 藤原 トーマス・デン 泰基 新井

MF 星 高 ダニーロ 小見 

FW 鈴木 三戸

 

控えに、GK 阿部 、DF 堀米 千葉 田上 、MF 島田 高木 、FW 谷口 。

 

高木や堀米が復活してベンチに入ったのは心強かった。

 

さて、結果はどうだったか。

0-0のドローであった。

 

今日、私は町内会の会議があって、見ることができたのは後半だけだった。

惜しいチャンスもないわけではなかったが、それよりも柏の攻撃に肝を冷やした場面の方が多かった。

ただ、そこはGK小島がすばらしいセーブを連発したり、相手のタイミングのずれなどに救われたりしていた。

 

DAZNの前半のスタッツを見ると、ボール支配率は64%、シュートも相手には1本しか打たせず、アルビは4本打っていた。

ところが、試合が終わってからのスタッツでは、柏のシュート数と新潟のシュート数が同じ8本になっていて、ボール支配率も59%に下がっていた。

やはり後半は危ない試合になっていたということだ。

やはりシュート数が少ないのが気になる。

チャンスを決めきれればそれでもいいが、もっと多くシュートを打とうという話は監督の話でよく聞く。

 

アウェイの会場は暑かったようで、試合後の選手たちの表情が上気して疲れていたのがよく分かった。

それでも、そんな環境でよくがんばったと思う。

それなのに、控えの高木がハーフタイムの練習中にケガをしたり、交代出場した堀米がまたけがをして交代して退場したりと、せっかくけが人が戻ってきたのに、また逆戻りとは、これからに影を落とした格好の試合となってしまった。

 

今後さらに暑くなると交代選手の活躍が必要だというのに、選手層の薄さが気になるなあ。

 

この引き分けで、今節勝利したガンバ大阪や京都サンガに抜かれ、15位に落ちた。

残留争いに巻き込まれつつある。

次は、上位のサンフレッチェ広島戦だ。

今後さらに総力戦の様相になってきた。

苦しくても、自分たちでがんばるしかないのだ。

 

Visca Albirex !

 

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週刊朝日の休刊

2023-06-23 19:11:47 | 読む

先月で「週刊朝日」が休刊となった。

5月30日発売のもので最終号となったわけだ。

その日、NHKをはじめいろいろなメディアでその休刊が話題となった。

ならば、買って読んでみたいと思うのが、人の心というもの。

 

ところが、紙版で出されたその1冊は、アマゾンはじめどこを見ても、売っていなかった。

あっという間に売り切れたらしい。

そして、ネット上で直後にものすごい高値で出回っているのがうかがわれた。

いやあ、高い金払ってまで読みたいとは思わないよなあ。

 

そう思ってから、3週間がたった。

ふと気になって、再びネット上で「週刊朝日最終号」を検索すると、アマゾンなどをはじめとして、560円という、いわゆる普通の値段で売られていることが分かった。

 

そうか、きっと増刷したのだな!?

そう思って、560円なら購入してみようと思って、「カートに入れる」をポチッと押した。

ネット上のニュースで調べてみると、増刷も現在4刷となって、通常号の2倍以上の発行部数となっているのだそうだ。

 

週刊朝日と言って思い出すのは、大学時代のことだ。

大学時代、周囲の学生たちが通学途中に買ってくるのは、週刊少年ジャンプや少年チャンピオンなどのマンガ誌ばかりだった。

週刊朝日を買ってくる奴もいたが、それは、篠山紀信撮影の女子大学生に魅せられ(?)たからだったりした。

たまに気取った奴は、同じ朝日新聞社の雑誌でも、「朝日ジャーナル」を抱えていた。

「おまえ、カッコつけすぎだよ。」なんて言われていたっけ。

 

まあ、私は週刊朝日を買って読むことはほとんどなかったが、当時仲のよかった奴がよく週刊朝日を買っていたことを覚えている。

ある日、そいつの下宿を訪ねたときに、たまたま置いてあった週刊朝日をぱらぱらとめくってみた。

あるページを開いたときに、びっくりした。

そのページには、毎週女子大生を取り上げ、簡単なインタビューをして載せるというコラムがあった。

なんと、そこに、中学校時代の同級生だった女子が白黒写真で載っていたのである。

ひょえ~!あの子ではないか!?

彼女をとり上げるとは、さすが週刊朝日、大したもんだ。

きっと、知的な美人に感じる彼女は、取材者の目にかなったのでしょうなあ。

1ページの四分の一もなく、小さなコラムではあったが、非常に驚いたのであった。

 

え?おまえはその子のことをどう思っていたかって?

そ、それは…

…武士の情けじゃ、そこは聞かないでおいてくれい…。

 

それはともかく、先日ポチッと押した「週刊朝日最終号」が届いた。

「101年間、ご愛読ありがとうございました。」と書かれた表紙は、昭和時代の編集部を再現した写真でできていた。

見開きにして、裏表紙まで一気にその写真を見ると、生き生きと働く人々の熱や勢いを感じる。

かつては、こんな時代があったのだな、と思う。

私の大学時代も、きっとこんな活気のある編集部だったのだろう。

 

さて、最終号の内容は、これからゆっくり読ませてもらうことにしよう。

 

 

 

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大倉喜八郎の蔵春閣を見てきた

2023-06-22 18:11:26 | お出かけ

実業家大倉喜八郎は、1837年現在の新発田市に生まれた。

彼は17歳で江戸に出て、商才を発揮。

明治・大正期に貿易、建設、化学、製鉄、繊維、食品などの企業を数多く興した。

大倉財閥の設立者であり、渋沢栄一らと共に、鹿鳴館、帝国ホテル、帝国劇場などを設立した。

1900年に設立した大倉商業学校は、東京経済大学の前身である。

その大倉喜八郎別邸の蔵春閣が、新発田の東公園に移築された。

もともとこの東公園も、彼が大正初期に当時の新発田町に寄贈してできたものだそうだ。

蔵春閣は、東京・向島の別邸の一部として、1912年に建設された。

渋沢栄一ら政財界の大物や海外の賓客をもてなす「迎賓館」としての役割を担っていた。

その建物が、大倉文化財団から新発田市に寄贈され、移築されたというわけである。

 

移築工事が終了して、4月から6月いっぱいまで無料開放するというので、遅まきながらその期間が終わらないうちにと、行ってきた。

 

フラッシュを光らせなければ、写真撮影も可ということなので、ありがたい。

玄関から入る。

まず正面に食堂。

広めの階段を上がり、2階へ。

 

2階の広縁。

東京にあったときは窓の外が隅田川であり、椅子を並べて食後の喫茶スペースとして、利用したそうだ。

今は、向かいの諏訪神社がよく見える。

駅前のホテルも。

 

床は、大理石モザイク張り。

描かれている都鳥は、オスとメスがあるのだとか。

桜がモチーフ。

2階の大広間は、33畳の畳敷き。

天井は、八角形と四角形の組み合わせによる格天井。

水晶のシャンデリアは、新築祝いにドイツ高官から贈られた。

 

月見台。

椅子に腰かけ、ウイスキーを片手に月見を楽しんだのだとか。

 

 

なるほどなあ。

迎賓館と言えば、今NHKの朝ドラ「らんまん」でも、「高藤様」のダンスパーティーなどが描かれ、明治初期の西欧化の様子が描かれていたが、ここでもその雰囲気のいくらかが味わえた。

 

大倉喜八郎がなくなったのは、1928年(昭和3年)である。

私にしてみれば、亡父が生誕した年である。

100年近く前の建物が保存され、今の時代にこうして移築されて公開されているとは。

改めて現代の技術はすごいものだなと思った。

 

また、こんな別邸を建て、あまりにも多くの業績がある大倉喜八郎について、もっと知りたいというか知る必要があるとも感じたのであった。

 

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大学を思い出す、タイサンボクの花

2023-06-21 21:08:39 | 草木花

しばらく行っていなかったら気づかなかったが、近くの運動公園にタイサンボクの花が咲いていた。

この花は、樹木の花としてなかなか大きいものだと思う。

近寄って見てみると、もうおしべが落ちかかっているものが多く、花の時期も終わりそうになっていた。

だから、その匂いをかげなかったのが残念だが、優しい香りがするのだという。

香水の原料や化粧品の香料として「マグノリア」で流通しているのはタイサンボクのことらしい。

そうか「マグノリア」は「タイサンボク」と思ってよいのか。

 

そういえば、浜田省吾が2015年に出したアルバムに「旅するソングライター」というのがあったが、その中の曲に「マグノリアの小径」というのがあった。

その歌の詞では、「木蓮の花の下で踊ろう」と歌っていたから、きっとタイサンボクもモクレン科の仲間なのだろうな。

 

タイサンボクの花を見ると、大学時代を思い出す。

昔通っていた大学には、5号館の建物の前に、大きなタイサンボクの木が一本生えていた。

大きな木となっていたので、その花が咲いていても、下から見上げるしかなかった。

大学1年時、一般教養でとっていた「文学」の講師の先生が、ある時このタイサンボクの花について語っていたのが忘れられない。

「タイサンボクの花は、女性の体のにおいがするんですよ」

と、非常ににやけた、ある種いやらしい顔をして(?)言っていたのだった。

 

大学のタイサンボクの花は、高いところに咲いているから、はたしてその先生が言ったとおりのにおいがするのかどうかは、確かめようがなかったのであった。

まあ、その後もばかばかしいと思って、確かめたりはしていないが…。

タイサンボクの花言葉は、その堂々とした立派な樹木と爽やかな香りを放つ美しい白花から、「前途洋々」や「壮麗」だという。

「前途洋々」かあ。

その後に社会に出る大学生にふさわしい花言葉だなあと思う。

 

池袋のあの大学というと、時計のついている本館の方ばかりが有名なのだが、道の反対側にも建物はある。

タイサンボクの木は、そちら側であった。

さて、あの大学には、今もタイサンボクの木はまだあるのだろうか。

そして、花を咲かせているのだろうか?

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