ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

秋桜花見—コスモスの花見に出かける

2024-10-26 09:19:27 | お出かけ

花見と言えば、桜の花。

秋の花見と言えば、やっぱり秋の桜、秋桜。

秋桜といえば、コスモス。

今年もそろそろコスモスが美しい季節かな、と期待して、14日に関川村のコスモスパークを訪ねてみた。

この日は、青空がきれいだったが、それ以上にびっくりだったのが、ひこうき雲。

いつもと違って、ずいぶん太い。

その後も、空を飛行機が飛ぶと、白いひこうき雲がやけに太くなる。

こういうときは翌日とかに雨が降るものだというが、その翌日も雨にならなかったぞ。

 

それはともかく、見に来たのは空ではなく、コスモスだった。

コスモスの咲き具合は、と思って見てみると、まだ少し早かったようで少しまばらだった。

しかも、この日は風が強く、しかも川風。

なかなか風の勢いが止まず、写真を撮ろうとしても、ブレてしまってなかなかうまくいかなかった。

残念。

コスモス畑よりも、空のひこうき雲を見ている方が面白くも感じてしまった。

 

落ち着いてコスモスを見ることができる場所を求めて、もう1か所コスモスの花見に選んだのは、紫雲寺記念公園。

ここは、面積は関川村コスモスパークより狭いが、きれいに咲きそろっていた。

風もなかったので、ここではストレスなく花写真を撮ることができた。

種類もそんなに多いわけではないけど、シンプルに色の違うのが見られるのがいい。

ここの空は、関川に比べてあんまり面白くなかったかな。

でも、いろいろなコスモスの花を撮って楽しんだ。

やっぱり、このくらい咲いていて、風も強くないのがいいな。

コスモスは風に揺れるのが美しいとは思うけど、強すぎるのはちょっとね。

青空の下、光を通してはかなく見えるコスモスの花。

風に揺れ、頼りなく見える細い茎の先に咲く花。

そんなところに、コスモスの花の魅力を感じ、美しいなと思う。

 

コスモスの花を求めて、関川と紫雲寺と2か所うろついた。

青空と、秋の桜の花見—コスモスの花見をたん能した日でありました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

軽井沢千住博美術館を訪ねて

2024-10-08 20:52:53 | お出かけ

めがね橋を後にして向かったのが軽井沢。

何でも検索すれば目的地に着くのは簡単なのに、軽井沢に着いてから、どこにあるの?と検索したのが、軽井沢千住博美術館。

軽井沢の名所はいろいろあるのだけれど、千住博の作品に会いたくなった。

 

千住博の作品は、10年以上前だと思うが、新潟だったか長岡だったかで作品を見る機会があって、とても印象に残った。

特に、滝を描いた絵には心が引かれた。

見終わった後、作品と同じ絵の定規兼しおりを買ったのだった。

機会があれば、もう少したくさんの作品を見てみたいと思っていた。

 

ところが、検索した場所が悪かったのか、車のナビもスマホのグーグルのナビも、道案内がおかしくて、引き返さざるを得なくなったのは、ご愛嬌。

最初から千住博美術館に行く、と決めていたら、まっすぐ国道18号線を行けば近かったのに、一度軽井沢の街なかに入ってしまっていたから、迷うことになってしまった。

私は、昔からどうも要領が悪い。

まあ、こうして67年余りを生きてきたのだから、仕方がない。

同行者2名には、申し訳ないと思うなあ。

 

さて、それでもナビをセットし直して、その軽井沢千住博美術館に無事に着くことができた。

今は、「チキュウ・ウチュウノキセキ~モチーフから見る千住博が伝えたい世界~」という特集展示を行っていた。

館内は明るく、自然光がたくさん入る造り。

 

今回のテーマは、「時の流れ」。

「ビルシリーズ」「山水、楽園、桜シリーズ」「滝シリーズ」「崖シリーズ」「様々なシリーズ」と5つのシリーズがあった。

 

 

やはり印象に残るのは、滝である。

どうしてこんなに流れる水やそのしぶきを、淡々とそして激しく描けるのだろうか、と思う。

その流れには、同じように流れゆく「時」を感じてしまう。

10分弱の動画(映画?)を見られる「ザ・フォール・ルーム」もあった。

滝の流れから、一日の流れ、季節の流れなどが静かに映し出され、その移ろいが無常観を感じさせた。

 

この美術館は、リーフレットによれば、「美しい樹々や花々とともに楽しんでいただける美術館です。」とも書いてあった。

そのとおり、館内にも樹のスペースがあったけど、

美術館の周辺には様々な樹々が植えてあり、森の中の美術館の雰囲気を出していた。

また、季節の花が、いろいろに咲き乱れていた。

秋明菊は、紅白あり。

シモツケソウもあった。

ノリウツギに似た、アジサイ系の花や、

まだ咲いているカシワバアジサイもあった。

 

滝などの絵画はもちろん、とてもよかった。

でも、それだけでなく、館の内外の植物など自然を感じられるのもいいなあと思った。

軽井沢千住博美術館。

素敵な美術館だった。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

めがね橋再訪

2024-10-07 15:52:50 | お出かけ

宿泊した磯部温泉から、国道18号線に出て、次に向かったのが碓氷峠方面。

ところが、碓氷峠は先月土砂崩れがあって、現在通行止めになっている。

だけど、今月は、「碓氷峠Mapleヒルクライム in 安中 2024」という自転車レースが行われる予定になっている。

だから、大会が開催されるよう、工事が続いているのだそうだ。

幸い行ってみたい目的地までは、通行止めがなく、行けるとの情報。

吉幾三 !

よし、行くぞ!

 

その行先は、めがね橋。

磯部温泉も群馬県安中市だが、めがね橋も群馬県安中市。

去年読んだ「ぐんまちゃんとお散歩」の本にも載っていたっけ。

 

名所案内かと思ったら、マスコットキャラクターの写真集!?~「ぐんまちゃんとお散歩」(中経出版)~ - ON  MY  WAY

ぐんまちゃんは、群馬県のマスコットキャラクター。2012年12月21日から群馬県宣伝部長に就任して、群馬県のPR活動に励んでいるのだそうだ。本書「ぐんまちゃんとお散歩」は...

goo blog

 

 

そのめがね橋は、碓氷峠に至る国道18号の旧道沿いにある。

やっぱり存在感がすごい!

国指定重要文化財のめがね橋。

正式名称を「碓氷第三橋梁」という。

明治25年12月に完成した日本最大のレンガ造りのアーチ橋。

近くの階段状に整備した山道を登る。

近くにある植物も気にしながら歩く。

登り終わると、その橋と第6号トンネルの間に出る。

さっそくめがね橋を渡ってみる。

結構高さ感があり、下を見ると、このジイさん足がすくむ。

いやあ~、明治の時代に、よくこんな高くて立派な橋を造ったものだね。

しかも「第3橋梁」の名のとおり、橋はこれ1つではなく、第2から第6までの5基の橋梁が残っているのだそうだ。

「アプトの道ハイキングコース」というのもあるとのこと。

橋の反対側を見ると、見えたのは、長野新幹線ができる前まで使っていた鉄橋かな?

第5号トンネルの入口までが、めがね橋。

そのトンネル内に少しだけ入ると、こんな幻想的な写真を撮ることができた。

このトンネルの向こうには何があるのか、思わず行ってみたくなる人が多いことだろう。

そう思いつつ、私らはゆっくり過ごす予定ではなかったので、引き返した。

入れ代わりに、観光バスから降りた一団のグループが、ふうふう言いながら上がってきた。

 

それにしても、あんなに高いところを汽車が走っていたのか。

汽笛を鳴らしながら蒸気機関車が走って行く風景は、きっといい絵になっただろうなあ。

 

実は、ここには、以前一度来たことがある。

それは、今から13年余り前の2011年2月のことだった。

当時は、まだうっすらと雪が積もったりしていて、ほとんど人に会わなかったっけ。

 

2度目のめがね橋。

冬は殺風景な気がしたけど、今はまだ周辺に緑が多いから、今回の方がよかったな。

でも、あとひと月ほどしたら紅葉できっともっと美しいのだろうなあ。

そんなことも思っためがね橋の風景であった。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久々の温泉宿宿泊 ~磯部温泉~

2024-10-06 19:52:24 | お出かけ

先日埼玉に行って、貸してある畑や家の様子を見てきたが、3か月でずいぶん変わっていた。

まあ、契約した条件の中で自由に使ってください、ということで人に貸したのだから、それはOK。

だけど、行ったところで宿泊先はどうする?ということが問題。

せっかくだからと、別なところに温泉宿をとってみることにした。

その翌日、軽井沢方面に行きたかったので、その途中の磯部温泉に宿をとった。

 

磯部温泉と言うと、舌切り雀のお宿、ということで「ホテル 磯部ガーデン」がよく知られている。

以前、職場関係の旅行で宿泊したことはあったので、そこではない宿を探したら、その姉妹館として「磯部温泉 桜や」というところが見つかり、事前に予約したのだった。

 

磯部温泉は群馬県で、埼玉県の隣県なんだけど、埼玉の家からそこまで50kmくらいで行けるんだな。

意外と近いのでびっくりした。

新潟県だと、場所によっては、50kmなんてまだ「隣町」だよ。

高速道路も使って、目的地まで1時間くらいで着いてしまった。

ただ、その目的地は、車のナビの目的地。

ホテルの名前が違うし、入口が分かりにくかったので迷ってしまった。

予約したホテル名は「磯部温泉 桜や」なのに、入口にあった看板は「桜や作右衛門」だったから。

ぐるっと1周して、たぶんここだろうと車を進入してみるとそこでよかったことを確認した。

そこで見たのが、

キンモクセイ

ギンモクセイの花。

キンモクセイはよく見るが、ギンモクセイは珍しい。

 

ホテルのフロントに立っていた男性が、アジア系の方だったが、日本語が堪能で丁寧な言葉づかいで対応してくれた。

あとで聞くと、ネパール出身で、18歳のときに日本に来てから11年たったのだとか。

こんな土地にも国際化の波が押し寄せているのか、はたまた人材確保のためなのか…。

だけど、故郷を離れて他国でがんばって働いている人だと思うと、とても好感を抱けた。

 

用意された部屋は、床の間があって、昔ながらの和室なのだが、ベッドが一つ置いてあった。

妻と娘は別室だったが、その部屋ではベッドは1つで、そのそばにはふとん1式が準備されてあった。

1人はベッド、1人は畳の上のふとんということだった。

宿のリーフレットを見ると、創業130年、歌人若山牧水ゆかりの宿なのだそうだ。

風呂は、夜と朝とで男湯・女湯を替えるとのこと。

どちらも内湯はほぼ同じだが、

露天風呂は、片方が「樫の湯」といい岩風呂であり、

もう片方は「湯ざくら」という檜の風呂だった。

初日と2日目の朝と、どちらも入ってみたが、樫の湯は、他と違って泉質がぬるぬるして気持ちよかった。

夜と朝とで両方楽しめるのはよかった。

露天風呂には、水風呂も置いてあったが、さすがにこの時期になると冷たすぎるから、パスしたけどね。

 

面白いのが、朝食のとり方。

胸に「桜や」の札を付けて、姉妹館の「磯部ガーデンホテル」に行ってそちらの客同様にビュッフェ形式の朝食をとるのだ。

磯部ガーデンは、「舌切り雀のお宿」と公言しているから、館内にはこんな像や

こんな場面の展示物(展示部屋?)があった。

これは、ここの雀のキャラクターか?

名前が「おちゅん」とは可愛いこと。

 

さて、食事。

ここで働いている男性や女性の皆さんも国際的で、アジア系の人が何人もいた。

その働きぶりがしっかりしていて素敵だった。

上州名物として、こんにゃく料理がいくつもあったのは、地元の特産物を扱っていていいなと思ったよ。

たしかに、近くの畑にはこんにゃくが栽培されているのをたくさん見たのだった。

宿の規模は違うが、同じ朝食を摂れるのは面白いなあ、と思いつつゆっくり食事した。

 

今回は、妻、娘と一緒の、10数年ぶり、久々の家族での温泉宿宿泊であった。

そんなに時間が空いたのは、娘の病のことがあったからであった。

かつて発作が起こりやすいからと危険ということで、水のそば―プール、海、温泉、公衆浴場など―は避けてきた。

今も薬を服用し、温泉も避けてきたが、発作は10年近く起こっていないから、気をつければ大丈夫だろうということで、娘は妻と一緒に注意して入ることにした。

何事も起こらず、大ホテルの浴場ではないので他の人にも会わず、温泉を楽しむことができたことも、よかった。

 

こうして、温泉宿に宿泊して、日常とは異なるいろいろな体験ができたし、とても楽しかった。

めでたし、めでたし。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりに埼玉へ

2024-10-03 20:29:40 | お出かけ

久しぶりに埼玉。

農業をやりたいという、貴重な人に畑を貸したのだが、どうなっているか、気になった。

 

久々なので、マリーゴールドの丘に行ってみた。

去年の晩秋、きれいなイルミネーションを見に行って以来、10か月ぶりだ。

しばらくぶりのマリーゴールドの丘だったが、その名にふさわしく、青々とした葉とオレンジ色の花が美しかった。

晴れていれば、写真写りもよく、もっときれいに撮れたことだろうなあ。

でも、緑とオレンジが思った以上にあざやかでよかったなあ。

 

さて、気になっていた畑は、見事に普通の畑になっていた。

マルチシートが張られ、苗が植え付けられていた。

大根など3種類の野菜を育てているのがうかがわれた。

畑の空いた土地には、セイヨウヒルガオが、変わった環境の中でも、かわいい花を咲かせていた。

また、この時期特有のヒガンバナも、まだきれいだった。

野菜の苗らしきものは、家の庭にも育苗ポットで育てられていた。

畑の借り主は出かけていて会えなかったが、がんばってやっているのが分かった。

本音を言えば、ほっとしたのが半分、変わってしまって残念なのが半分だった。

なにしろ、この何年もの間、よく除草作業したからね。

でも、新たに取り組み始めた方の、これからの農業事業の成功を祈って、埼玉訪問を終えたのであった。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

改修後の〝初〟新潟&同期の仲間の会

2024-09-29 21:50:39 | お出かけ

昨日は、県都新潟で、かつての採用同期のほぼ同年代の仲間の集まりがあった。

懇親会が中心の会なので、酒が入るから、新潟まで行くのに電車(JR)を使った。

新潟駅を利用するのはいったい何年ぶりだろう。

現職を退いてからは、新潟市に行くことはあっても、車で行くことが多かった。そしてこんなふうに飲みを伴う用事はなかった。

だから、電車に乗って新潟に行くことはなかったのである。

その間に、新潟駅は大規模な改修工事を行った。

ホームから駅舎から大きく変わったのであった。

 

新潟駅に着くと、在来線ホームも3階になっていた。

以前は1階だったから、多少の戸惑いもあった。

その戸惑いが、ホームから階段を下りて2階に行くと、今度は混乱に変わった。

どっちに行ったらいいか、よく分からないのである。

「東改札」なんて案内看板を目にしたが、それは以前の西口の方向にある。

なんだか全然分からない。

仕方なしに、人が動く方向に流れていくと、途中に「古町 万代」方面を示す看板が現れた。

そちらに行くと階段があったので、1階に降りることができた。

降りたところは、かつての新潟駅の正面につながっていた東大通に行くようになっていた。

それだとよくわからないので、かつてのバスターミナルがあった近くの道を見つけ、やっと駅前の知っている道に出ることができた。

やれやれ、であった。

 

集まりの会場に着いた。

今回は、幹事グループの一員なので、さっそく座席を決めるためのくじを準備してテーブルに並べたりした。

久々の集まりなので、こんな手間ができることも、なんだかうれしかった。

いい会になりそうだ。

出席したのは、全メンバーの3分のⅠくらいの数であった。

 

そのメンバーが、三三五五集まって来る。

懐かしそうに、知っているメンバーに話しかけ、あちこちに話の輪が咲いている。

感染症禍ではこういう会は開かれなかったし、自由な語らいもなかったから、そんな話し合いの風景も懐かしい感じがした。

開会に先立って、先日亡くなったAさんの冥福を祈る意味で、黙とうが行われた。

開会のあいさつでは、代表の方から、その葬儀のことについても紹介があった。

よき人であったから会場に250人もの参列があったことや、そこに仲間として多くの参列者がいたことなどについての感謝の言葉もあった。

 

会が進み、懇親の場になった。

貴重な機会なので、開宴から20分くらいしてから、出席メンバー一人一人から「近況報告」の機会を設けたのだが、これがまた、とんでもないことに…。

みんな、高齢者になったせいか、話が長い!

会場は、2時間飲み放題ということになっていたコースだった。

なのに、30人余りがその近況報告を行っていたら、なんと1時間半近くもかかってしまった。

飲み放題の残りが、10分しかなくなってしまった。

(モッタイナイナア…これこれ、言うんじゃない)

 

まあ、そう言いながらも、すべからく高齢者の仲間入りをしている同輩たちの話は、1つ1つが面白かった。

さすがにこの年齢になると、地域や団体の役職を務めている人が多かった。

自治会長、民生・児童委員、人権擁護委員、保護司、退職者団体の会長、副会長、事務局長、…etc。

住む地域によっては、2ケタの役職をもつ者もいた。

「こんな自分からなんでこんなに立派になった息子が育ったのだろう」と言う者。

「孫が○人いて、可愛くて…」と言う者。

「JRの特別な切符を使って夫婦で旅に出ている」と言う者。

なかには、自由な時間が多いので、

「人生で今が一番幸せです」なんて言う者もいたくらいだ。

 

席を動いて語り合える時間は短かったが、「たくさんの近況報告を聞いたことが一番よかったよ」と言ってくれる人が何人もいて、よかった×2。

喜んで帰ってくれる人が多くて、幹事団の一員として、うれしかった。

やっぱり、人と人とのつながりが一番だね。

長年、同世代の仲間としてやってきたものだから、喜びも悲しみも共有してきたものが多い。

人とのことでいい時間が持てるのが本当にうれしくありがたい。

 

久々の新潟での会を終え、満ち足りた気持ちで再び新潟駅から帰路に着いた。

よくわからん新潟駅の構内であったが、帰るときには、なんとか電車の出るホームに行くことができたよ。

久々に飲んだから頭痛が出たけど、それ以上にいい気分だったので、ま、いいでしょう。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

強い雨降り 彼岸の中日 墓参り

2024-09-22 14:02:50 | お出かけ

彼岸の中日。

菩提寺への水あげと墓参りが、今日の午前のスケジュール。

夕方からは、アルビレックス新潟の神戸戦のスタジアム観戦が大きな予定だから、早めにスケジュールをこなす必要があった。

それはよいのだが、肝心なのは天気。

能登地方の豪雨被害には、やるせないほどのせつない思いがするが、そちら方面から流れてきた雨雲が、新潟県のあちこちを直撃している。

天気予報の短時間予報を見ると、なんだかすごく多い降水量が見込まれていた。

これでは、雲の晴れ間をぬって、なんて悠長なことは言っていられない。

だから、やむを得ず、寺参り・墓参りを強行。

出発したときは、普通の雨降りだったが、菩提寺に着く頃には強い雨。

寺の建物に比較的近いところに車を止めたのだが、降りて寺の軒下に行くまでに多少濡れてしまった。

 

寺で水あげを済ますと、次は車で場所を移動して、墓参りへ。

強い雨降りのせいもあって、墓参りに訪れている人は、1人くらいしかいなかった。

傘をさしながら、持って行った紙を丸めて火をつけ、線香をつける。

湿気のせいで最初はなかなか火がつかなかった。

ますます雨は強くなった。

立てた線香も雨風で火が消えてしまう。

こんな強い雨の下での墓参りは、60数年の人生で初めてだった。

もっとも、今まで2月が命日の母の墓参りでは雪が降り積もった中で行ったこともあったけれども、今回の雨の方がコンディションとしては悪い。

多少横なぐりの風もあって、ズボンの片側がびしょびしょになってしまった。

いつもなら、墓に供える菓子や団子をねらって、カラスが頭上や近辺でうろうろする墓地も、この悪天候でその姿は全く見えなかった。

悪天候でも獲物をねらうほど、カラスも馬鹿ではないということか。

むしろ、こんな悪天候で墓参りをする人間の方がよっぽどオカシイということか?

そんなことを思いながら、墓参りを終えて車に戻ると、ズボンも靴もびっしょり濡れていた。

 

帰路、車を走らせていると、やけにノロノロになった。

めったに渋滞などない田舎の県道で前の車が詰まっていた。

どうやら冠水がひどく、対向車とのすれ違いが危険なのを用心する車が多かったようだ。

たしかに、道路がたまったり流れたりした水をはね上げて走る車が多かった。

でも、私にとっては、先月25日の方が道路事情はひどかったと思い起こしていた。

あの日は、ホーム町田戦に行こうとしたら短時間の集中豪雨で、前の車に続かないと水の中に取り残されそうな気がしたくらい、水が出ていたから。

 

日本海側の豪雨を心配して、太平洋側の2軒の親類から、豪雨被害はないかと電話があった。

「ありがとうございます。今回は、今のところ大丈夫です。」

そう答えた。

自ら被害の経験がある人たちは、他人事ではなく自分ごとのように考えて心配してくれているのが分かり、ありがたいなと思った。

 

短時間のピンポイント予報では、また数時間したら少し弱い雨が降るそうだ。

この程度だと、今日の神戸戦は予定通り行われることだろう。

先月のホーム町田戦は、豪雨もあったが、アルビはしっかり勝利を収めた。

今日も豪雨だったから、きっと勝ってくれるだろう…!!?

 

それにしても、今までになくひどい雨降りの中の、彼岸の中日・墓参りであった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福島潟、ついでに遊潟広場で野草の花見

2024-09-13 22:00:59 | お出かけ

野草の花見が好きな私らだから、日ごろ身近では見ない野草の花を見られると、うれしくなる。

日ごろ身近ではない野草の花が見られる場所は、何といっても山なのであるが、最近は家庭の事情もあってご無沙汰である。

それ以外に珍しく感じる野草の花が見られる場所は、湿地や水辺である。

昨日行った福島潟も、その条件に当てはまる。

だから、昨日のようにオニバス以外にも、ミズアオイやミズオオバコなどが見られると、うれしい。

ガガブタなんかも見たかったのだが…。

おっと、昨日と同じことを書いている。

 

昨日は、オニバスを見た後、遊潟広場まで足を伸ばして、何かないかと湿地の植物を探してみた。

けっして珍しいわけではないが、いくつか花が咲いているものを見つけることができた。

たとえば、クサネムの花。

ネムノキに似た草だからの命名だろう。

 

そして、小さく黄色い花は、チョウジタデ。

これは、よく見ると、茎と葉の間に小さな花を咲かせている。

 

見づらいけど、ずいぶん茎や葉が細く、花も小さいが、花はオモダカに似ている。

これは、ヘラオモダカというらしい。

 

そして、まったく珍しくはないが、白く小さい花がタカサブロウ。

見分けがつかないが、「アメリカタカサブロウ」の方かもしれない。

 

ガマの穂。花ではないが、これだって、珍しい。

ガマの穂と言えば、神話「いなばの白うさぎ」を思い出す。

サメをだました報いとして、毛をむしられ丸裸にされて苦しむウサギに、オオクニヌシノミコトが登場し、ガマの穂を身体につけるよう教えたという話があったなあ。

 

ほかにイボクサの花もあったけれど、ちょっとピンボケで掲載できず。

 

最後に、スイレンのきれいな花を。

今まで何度かしか見たことがない、というほどの珍しさはなくても、会えるのは湿地や水辺が多い植物たちに会えたのは、やっぱり楽しかったよ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

毎年恒例のオニバス花見

2024-09-12 19:26:14 | お出かけ

8月下旬から9月上旬、毎年楽しみにしている水辺の花鑑賞。

春には菜の花が美しかった福島潟。

その福島潟の外れにある池。

その池の名前を「オニバス池」と言う。

ここは、日本でのオニバス自生の北限に当たるとのことだ。

 

その花は非常に色が濃く美しいけれども、そのとげが花とは正反対に何とも鋭く多く、怖く感じる。

また、自らの大きな葉を突き破って出てくることも多い。

でも、その咲き方の珍しさにつられて、毎年見に行くようになっている。

 

去年は8月に見に行ったが、時期的に少し早く、開いている花が少なかった。

今年は、たくさんのオニバスの花を見ることができた。

見れば見るほど、引き付けられる。

不思議な魅力のある花だね。

雨が降った直後に見に行ったせいか、池の水の量が少し多く見えた。

 

池には、雨で傷んだように見える、白い花びらにピンクの混じった花が浮かんでいた。

これは、ミズオオバコだろうか?

 

こんなふうに、日ごろは目にふれることが少ない水辺の花を見ることができるのも、ここの魅力の一つだ。

 

今回は、特に目立ったのは、ミズアオイの花。

池によっては、紫色の花であふれていた。

今まで福島潟でこんなにたくさん咲いているのは見たことがなかった。

カメラを構えている人はほかにも2,3人いたが、今日はオニバスよりもミズアオイの方に長い時間かけて撮っている人が多かった。

 

オニバスの池の端には、ハスが植えられていたが、ほとんど花は終わっていた。

だけど、ほんの少しだけ、今でも花を見つけることができた。

大きな花や葉、花が咲き終わった後の、シャワーの蛇口のような不思議な形。

異界とのつながりがありそうで、ハスが仏具に使われるのも分かるような気がする。

 

ほかにも池で見たかった花たちがあったけど、花の時期がずれてしまったのか、ガガブタやヒシなどの花は、今回は見ることができなかったのが、ちょっぴり残念だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立教大学体育会応援団成果発表会

2024-09-02 22:20:31 | お出かけ

今夜は、この場所で、このような催しがあった。

母校立教大学の体育会応援団が成果発表会を行うというのだ。

立教大学体育会応援団は、8月下旬から8泊9日の予定で、新発田市の月岡温泉で合宿を行っているのだ。

今日は、その「中間発表会」のような性格であった。

 

受付では、一般客と大学のOB・OG客に分かれていた。

と言っても、後者の場合、卒業年度と氏名・住所を書くというものにすぎなかったのだが、堂々と(?)書いてきた。

受付で渡されたのは、2つ。

今日の成果発表会の内容を簡単に紹介するようなチラシと、

ボール紙にスクールカラーの紫で印刷された扇子形のこんなもの。

これは、組み立てると、こんなメガホンになるのですな。

チラシに書いてあったように、演舞中は写真が撮れないということで、舞台だけ写真におさめた。

 

最初に、応援団長のあいさつがあった。

団長は、「もちづきあおい」さんという女性。

女性が応援団長とは、小学校の運動会じゃあるまいし、と思ったりもしたのだが、それは古い人の感覚。

その後登場する応援団員は、男性よりも女性の方が人数が多かったことにびっくりだった。

 

発表会は、3部構成。

第1部は、チアリーディング部のステージ。

こんな衣装に身を包んだ女性たちが、およそ60人、ステージに上がって2つのルーティンを披露した。

1つ目のフェスルーティンは、フィンガーファイブの「学園天国」のメロディーに乗ってのもの。

2つ目のバイブルーティンは、クイーンの「DoN'T Stop Me Now」を軽快に踊っていた。

大勢なので、舞台が狭く見えた。

 

第2部は、吹奏楽部の出番。

最初の構成は、3人同じ楽器によるアンサンブルを3つ。

・「金属製ひん曲がり尺八」を演奏する3人でユーミンの「ひこうき雲」。

ちなみに、「金属製ひん曲がり尺八」とは、戦時中敵性国語として使えなかった「サックス」の和名なのだとか。

・「トランペット吹きの休日」をトランペット吹きの3人が演奏。

・フルートの三重奏を奏でたのは「22センチトリオ」という足の大きさが22センチの女子3人。

曲は、「ハナミズキ」。

3人のアンサンブルは、どの楽器も「3人らしさ」をたっぷり出して、楽しく気持ちよく聴けるように工夫されていた。

よくできました。パチパチパチ…。

 

次に、吹奏楽部おそらく全員の30名余りによる、「日本を勇気付けるメドレー」の演奏。

私が聴いたところによると、「愛は勝つ」「どんなときも」「明日があるさ」「負けないで」「全力少年」「ら・ら・ら」「それが大事」「栄光の架橋」などが、次々と奏でられた。

さすがに大勢で、次々に曲が変わっていくというのは聴き応えがあった。

ここでも、30名余りの吹奏楽部員のうち、男性は8名にすぎなかった。

おっと、男性女性の数にこだわるのはよくないな。

 

さて、「応援団」と聞くと、「嗚呼!!花の応援団」を思い出す。

あの学ランに身をくるんだ応援団員、つまりリーダー部の団員を想像するのだが、ここまでの展開であまり登場していない。

いよいよこの後、登場し始める。

1人や2人で登場し、くだらないギャグを連発し始めたのが楽しいやら寒い風が吹くやら。

「てんとう虫の演技やります!」と言って、やったのは、「うっ、まぶしい!」

…どうやら「点灯」虫だったらしい。

「カエル飼いたいんだって。買ってもいい?」「買わず(蛙)!」

「穴の開いたトレーナー、やります!」「このトレーナー、完全に穴開いちゃったなあ…」「ポカリスエット!」

…などなど、「…やります。よろしくお願いします!」と大げさに大声を出して、落ちのある(白ける?)演技をするのだから、バカバカしいが会場は笑いに包まれていた。

 

その場つなぎのようなものが終わると、真打ち(か?)リーダー部登場。

最初は、大きな団旗を持ち上げる演技。

この力のいる技も、女性団員が行っていた。

いちいち解説を交えながら進行をする団員も女性でありながら、かつて見た男性団員と同じ仕草や語りをする。

そこに、出てきた団員を毎回「○○学部●●科〇年、●●県私立〇〇女子高校出身●●●●」などと、学部学科や出身高校まで付けて名前を紹介するのも、可笑しい。

 

そして、この後は盛り上がる。

リーダー部、チアリーディング部、吹奏楽部、三部一体となってのステージだ。

あの神宮の六大学野球でかつて何度も聴いた応援歌が続いた。

まず、何といっても第1応援歌。

このイントロが流れると、「イノキボンバイエ」同様に、体に元気が湧いてくる。

懐かしくて、声を出して久々に歌ってしまった。

 

そして、第2応援歌「セントポール」

セントポール、シャイン、トゥナイトを繰り返す、あの名曲。

これまた懐かしい。

 

3つ目が「立教アトム」。

4つ目が「チャンスパターン・メドレー」。

ここには、「ポパイ・ザ・セーラーマン」なども入っていた。

やっぱり、母校の応援歌、元気出るわ~。

もう、配布されて組み立てたメガホン、振りまくり。

 

そして、神宮でよく聞いた、「学生注目!」の叫び。

団員の叫びに、「そうだ~!」と皆で声を合わせて叫ぶのが懐かしい。

 

最後は、立教大学校歌「栄光の立教」。

芙蓉の高嶺を 雲居に望み

紫匂える 武蔵野原に

いかしくそばだつ われらが母校

見よ見よ立教 自由の学府

これも、声を出して歌っちゃったよ。

2番、3番は、長年の経過で一部歌詞が出てこなかった⤵。

 

最後は、団長が「フレー、フレー、立教」というのだが、その後に付け足して、「フレー、フレー、しばた」という文句も付け足していた。

さすが、ご当地に恩義を感じていますね。

もっとも、「まだ5日までいますので、差し入れ期待しています」みたいなことも言っていたけどね。

 

あ~、後半になるにつれ楽しかった。

大学時代、よく六大学野球を見に行ったから、応援団ががんばっているのはよく見ていた。

今は、女性の方が多い応援団だけど、「秋のリーグ戦、優勝を目指します。そのために、私たちもがんばって応援します。」と決意を口にしていた。

 

行ってよかった。

学生時代は、1980年に終えたのだから、六大学野球を見に行っていたのは45年も前になってしまうのか。

立教大学の野球をはじめとするスポーツと、体育会応援団の健闘を期待することにしよう。

今日はありがとう、立教大学体育会応援団の皆さん!!!

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする