ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

無理せずに、次のごせん紅葉マラソン目指して

2016-10-31 21:07:38 | RUN
完走で歓喜した新潟シティマラソンが終わってから、早くも3週間。
例年なら、11月3日の胎内市ロード大会に出場し、20kmを走るのだが、今年はそこが都合が合わず不参加。
代わりに、11月13日のごせん紅葉マラソン(新潟県五泉市)に出て、ハーフマラソンを走る予定だ。
ごせん紅葉マラソンは、初めての出場だが、ここ数年この大会当日は寒い雨となることが多い。
これが、今年最後の大会出場となる。

新潟シティマラソンのダメージからの復活をかけて、最初の週2回は5kmや6kmをスローペースで走った。
次の週は、2度、5分台の前半で10kmを走るようにした。
そして、今週は、16kmを走った。
タイムより、苦しいスピードではなくそれなりに気持ちよい速さで走ること。
そして、脚のどこも痛くならないことを願って走り出した。
そうしたら、くもり空から雨が…。
10kmを過ぎたあたりから、本格的な土砂降りに…。
天候にあまり恵まれていないごせん紅葉マラソンの練習にちょうどよい…???
新潟シティマラソンでも、レース中に雨が降ったなあと思いながらも、この時期の雨はしだいに体を冷やしてくる。
だから、早く家に帰り着きたいなと思いながら、走った。
すると、おおむね5分台の前半で走ることができた。
15kmを1時間20分以内で走れた。
これは、2年前までの胎内市ロード大会の15kmの制限時間。
コースは違うが、2年前と同じ速さで走れていることをうれしく思った。
ただし、やはり右脚のふくらはぎ辺りが張りと軽い痛みが出始めたので、最後の1kmは、約6分かかってしまった。
まあ、このまま痛みがなくなれば、ハーフも走り切れるかな、と思えた。
痛みがあっても、6月の関川マラソンではハーフのゴールにたどり着けていることが、1つの自信になっている。

ただ、知り合いのランナーは、新潟シティマラソンでも60歳代で上位に入り、その後腰を痛めてしまったと言っていたのに、3週間後のレースでフルマラソンの年代別で優勝していた。
やっぱり、すごい人はすごいなあ。
憧れはあるけれど、私は私、あるがままに無理せずに走っていくことにしよう。
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大阪まで行くのなら、勝たせてくれよ!頼む!!

2016-10-28 22:03:56 | アルビレックス新潟
明日のJ1リーグの試合は、残念ながら仕事があって見られない。
新潟は、アウエーでガンバ大阪との戦いだ。
職場の一人は、仕事の休みをもらい、今日から大阪に乗り込んだ。
いいなあ…。

それをねたんでか、職場のいろいろな人から、
「休むかわりに、勝ち点3を持って帰ってこないと、ダメだからね。」
と言われていた。
…激しく同意!!!
行ってらっしゃい。
「お土産は、勝ち点3.それ以外いらないからね。」
と、餞別もあげずに皆言うのであった。

うちの息子も、明日のチケットを確保し、明朝大阪へ旅立つ。
大阪は、明後日が大阪マラソンなので、宿がなかなかとれなかったと言っていた。
2年前には、大阪マラソンに出場してきた彼なのだが。
…いいなあ。
私の分まで、応援してきてくれ。
…ただ、彼が県外に行くと、不思議に天変地異が起こるのだ。
名古屋行での大雨、千葉行での地震、東京行の大雪…などなど。
それはまあ「新潟の大勝」で大地を揺るがしてほしいのだが…。

いよいよあと2試合。
不安さもあるが、よい試合ができるはず。
プロ野球の日本シリーズで、日本ハムが2連敗の窮地から3連勝したように、あきらめずに前を向き、勝利を手に入れよう。
がんばれ、アルビレックス新潟!

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首の皮一枚残っている~アルビレックス新潟・浦和戦

2016-10-23 20:50:50 | アルビレックス新潟
J1リーグも残り3節となり、優勝争いよりも残留争いがし烈だ。
前節までの順位は、次のようである。
13位 磐田 勝ち点32 得失点差-13
14位 新潟    30     -12
15位 名古屋   29     -15
16位 甲府    28     -25
17位 湘南    21     -28
18位 福岡    19     -32
すでに福岡の降格は決定しており、残る2チームがどこになるのか、という状況だ。

新潟は、昨日、現在首位の浦和と対戦した。

次は、先日ルヴァンカップ(旧ナビスコカップ)で浦和と熾烈な優勝戦を演じた(延長戦後PK戦負け)ガンバ大阪戦と、昨年一昨年優勝の広島との最終戦となる。
この3連戦、強豪ばかりとの対戦である。
しかし、ここで勝ち点を積み上げなくては、J2降格となってしまう。
とにかく勝利あるのみ。
とにかく応援あるのみ。

勝てば、他チームの勝敗いかんで優勝が決まる浦和は、大勢のサポーターが乗り込んできていた。
新潟B級グルメの「イタリアン」に並ぶ列にもたくさんの浦和サポがいた。

並んでいる時、1円玉を拾ったので、「今日は勝ち点1を拾う」ことぐらいできるのか、と縁起を担いだ。

ビジター席は拡大され、S席はほとんど浦和席となり、アルビの応援ができるのは、1列のみとなっていた。

試合が開始される。
浦和のパスは、速くかつ正確で、さすがに首位チーム、個人技がすばらしい。
しかし、そこに新潟の各選手は食らいつく。
いい試合になりそうだ、と思っていたところ、なんと開始7分で相手FW興梠に一瞬のすきをつかれ、浦和に1点を献上してしまった。
これは、きつい。
しかし、15分、新潟のラファエル・シルバが、同点弾をたたき込む。

拮抗した戦いが続き、前半を1-1で終える。

後半も、今日は新潟サポーターのNスタンドは、必死の応援だ。
総立ちで、声を出し、歌って選手たちを鼓舞する。

時間が経過し選手の交代も行われる中進む試合、途中出場の鈴木武蔵のヘディングが敵方ゴールに突き刺さる。
電光掲示板に「GOAL!」の文字が踊り、熱狂するスタジアム。
新潟が勝ち越したかと思われたが、なんと無情にもオフサイドの判定。
勝ち点1でも仕方ないかと思いながら試合を見守っていたが、89分、またしても興梠にゴールを決められ、万事休す。

浦和は、勝ったものの、川崎も勝ったために優勝は決まらず。
新潟は、勝ち点3どころか1も取れずに敗れてしまった。

敗れたといえど、この日のスタジアムでは、選手たちの必死さが伝わってきた。
だから、試合後場内を挨拶に回る選手たちに、サポーターたちは次戦以降の健闘を求めて拍手を送る人たちが多かった。

挨拶には、監督たちも回ってきていた。

その気持ちが伝わってきた。
今日のような試合をずっとし続けていたのであれば、きっと現在のような事態には陥っていなかったであろう。
でも、今さら「タラレバ」を言っても仕方がない。
大丈夫だ。
この強い気持ちをもって、選手・監督・スタッフ、そしてサポーター一丸となって、残り2試合戦っていこう。

さて、他チームの結果が気になった。
湘南は、大宮に敗れ、2チーム目の降格が決まった。
名古屋は、磐田と1-1で引き分けた。
甲府は、試合終了間際に福岡相手に逆転勝ちをした。2-1。
この結果、残り2試合となって、順位はこうなった。

13位 磐田 勝ち点33 得失点差-13
14位 甲府    31     -24
15位 新潟    30     -13
16位 名古屋   30     -15
17位 湘南    21     -29
18位 福岡    19     -33
新潟は、残留争いに首の皮1枚で残っている、と言える。

残留争いは、いよいよ1枠を残すのみとなった。
名古屋、新潟、甲府、磐田。この4チームに完全に絞られた。
名古屋は、アウエー神戸戦と、最終戦がホーム湘南戦。
甲府は、アウエー湘南戦、ホーム鳥栖戦
磐田は、ホーム浦和戦、アウエー仙台戦。
新潟は、アウエーガンバ大阪戦、ホーム広島戦。
名古屋や甲府は、降格が決まった湘南戦を残す。
新潟は、ガ大阪や広島という、上位チームとの対戦ばかり。
しかし、勝ち続ければよいのだ。
2012年にも奇跡の残留を果たした新潟だ。
やってやれないことはない。

次節、息子は大阪まで新潟の応援に行ってくるという。
同じ職場の職員も行くと言っていた。
サポーターとして懸命に声援を送って、勝利を土産に持ち帰ってほしい、と切に願う。
きっと大丈夫。
信じている。
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秋の山野草に会いに行く

2016-10-18 22:04:53 | 草木花
赤ソバを見に行った日、時間をもう少しだけ使って、さらに山の方に向かって車を走らせ、滝谷森林公園まで足を延ばした。
秋の山野草をもっと見たかったのだ。
道の途中で、

アキノキリンソウや、

タイリンヤマハッカ
などの秋の花々を見ることができた。

滝谷森林公園に着くと、山の方だけあって、少しずつ紅葉し始めているのが見てとれた。

少し茂みに近づくと、白い試験管ブラシを大きくしたような花に出合った。
言わずと知れたサラシナショウマだ。

辺りをうろつくと、もっとたくさんのサラシナショウマの花を見ることができた。

そして、なんだかわからない赤い実

や、マムシグサの実

クサギの特徴的な実

などを見つけた。
さらに、うろうろして、キバナアキギリの黄色い花も見つけた。


この日は、新潟シティマラソンの翌日だったので、階段等の上り下りはきつかった。
しかし、しばらく山野草を見に出かけることはなかったので、わずか2時間の外出だったが、とてもいい気分転換になった。
やっぱり野生の山野草を見るのは楽しいなあ。

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33回忌・13回忌

2016-10-16 15:03:04 | 生き方

亡き両親の法事。
亡父の33回忌に合わせ、亡母の13回忌も行うことにした。
今回は、ちょっと急だったが、菩提寺の都合を聞き、今日となった。
父の祥月命日は来月だが、命日としては、今日の日付がぴったりひと月前となる。
急だったこともあり、わが家の4人だけで小ぢんまりと行うことにした。
菩提寺の和尚さんの指定した9時半に遅れないように準備した。
まだまだ行動のスローな娘と、休日は8時半過ぎまで起きてこない息子は、準備に時間を要するのである。
それでも、妻の指定した8時40分までに全員が準備ができ、車に乗って9時過ぎに寺に着くことができた。

菩提寺の和尚さんも高齢となっており、背中も丸くなったし、声もかすれていた。
が、語り口調は元気であった。

9時30分過ぎから、経をよむ準備が始まり、約50分後に読経は終わった。
菩提寺の和尚さんは、結構インテリであり、よろよろと立ち上がりながらも、「何か質問はないですか?」と聞いた。
ここで、「ありません。」と言うと、この和尚さんはむしろ機嫌を損ねることになる。
そこで、私は、「これで33回忌という訳ですが、33回忌の意味を教えてほしい。」と尋ねた。

昔は、33回忌で終わりと言っていたが、それは、人の命の長さを考えると、33年もすると、世代の交代があった。そのくらい生きていれば今度は自分が死んでしまうから、亡くなった人の法要もできなくなってしまう。それで、33回忌でひと区切りとしたのだろう。
だが、そこで終わりにしてよい、という訳ではもちろんない。故人のことはずっと悼み続けなければいけないものだ。

…というような話をいただいた。
他にも、線香を3本立てる理由などについても教えていただいた。
だんだんノッてきた和尚さんは、「しゃべりが止まらなくなってきた。先があまりないと思うと、今のうちにいっぱいしゃべっておきたくてな。」と、いかにも話すのが楽しくてしようがない、という様子を見せた。
このお寺は、学習塾もやっていた。
私や私の弟は、中学時代、英語を習っていた。
和尚さんは、「ヒカルはどうしてる?」と聞いてきた。
私が怪訝そうにしていると、「ヒカルじゃなかったっけ?」と言ったので、意味が分かった。
弟の名前を勘違いしていたのだ。
そこで、「名前は、○○ですが、今、千葉で高校の理科の先生をしています。校長や教頭ではなく、普通の先生としてがんばっています。」と言うと、
「そうか。アイツはその方がいい。」と言って、うなずいていた。

お寺を辞去して(卒塔婆を忘れそうになってあわてて取りに行ってしまったが)、墓参りに行った。
墓場は、彼岸から1か月近くがたち、伸びた草やクモの巣が行く手をふさいでいた。
青空のとてもいい天気で、陽射しが暖かかった。
千葉の弟の分、母関係の親戚の分、いろいろな人のことを考えながら、線香を立てた。

33回忌。
もう32年になるのだなあと思う。
私がまだ20代だった時に亡くなった父だった。
その1年後に生まれた息子も、もうすぐ31歳になる。
確実にひと世代分の年月が経過している。
還暦を間近にしてみると、菩提寺の和尚が言ったように、「先があまりない」という言葉にも、実感として感じるものがある。
ならば、なおのこと、充実感を持って生きていたいな、と改めて思うのであった。

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赤ソバの花

2016-10-12 22:22:36 | 草木花

この花が何の花かわかるかな?
白っぽいものなら、わかるかも。

これは、ソバの花。
つまり、赤ソバの花だったのだ。

新聞に、この赤ソバの花が満開だという記事を少し前に見ていた。
そこで、先日、新発田市赤谷の赤ソバ畑を探して見に行った。

ソバの花というと、白い花が可憐な感じがするのだが、赤いと華やかな感じがする。

赤ソバもそばになるのかな???と、疑問を持ったが、どうやら食べられるらしい。
近くには、野生で、ソバにはならないミゾソバも、咲いていた。


夏は、普通のソバの白い花がきれいだと思う。
秋の紅葉シーズンに、赤ソバがふさわしい気もするなあ…。

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新潟シティマラソン、予想外の完走を果たす(4;最終)~完走できた理由を探る~

2016-10-10 17:28:44 | RUN
今回の新潟シティマラソンは、うまくは言えないが、楽しいRUNだった。
およそ完走できるとは思っていなかったのに、ゴールにたどり着いた。
走るというイメージとはおよそ違う走りになってしまったが、走り切れた。
なぜ予想外の完走が可能になったのか。
これをちょっぴり考察しておく。
まずは、経験である。
どれだけフルマラソンがつらいのか、どこでどのようにつらくなるのか、の今までの経験が、「こんなものなのだ」と自分を支えてくれた。
つらくなっても、こうなるものだと思うことができた。
給食・給水もそうで、確実にとるようにした。
落としたバナナを拾ってまで食べたけど…。

次に、1km6分30秒という自分に楽なペースを設定して押して行けたこと。
脚の不調が、脚への負担の少ない走りを選択させた。
9月に20kmを走って、その走りで行こうと決めていた。
仮に、30kmまで6分30秒ペースで行ければ、6.5×30=195(分)、つまり3時間15分。
制限時間の5時間まで、残りは1時間45分=105分。
残り12km余りを走るのに、105÷12=8.75(分)、つまり8分45秒。
8分台でも、ギリギリなんとかなりそうなことになる。
これだから、最終盤はキロ8分台にまで落ちたが、制限時間内にゴールまでいけたのだ。


そして、楽しもうと思っていたこと。
息子と話したように、「年に1度の楽しい遠足」だと考えたら、「楽しまなくては!」と思った。
本調子でなくとも、今までの自分のすべてをうまく出し切って走ろうと決めた。
だから、上り下りの走り方の技や「ジャミラ走り」などを試しながら走って行けたのだ。
苦しくとも、腰を落として腕を振って大股で歩くように走ると、7分台で走ることができた。
苦しい終盤も、高校生などの様々な応援に応え、ハイタッチしたりする余裕があった。
これも、「年に1度の楽しい遠足」だと思えたから。
自分が1年間で大会に出て走るのは、10kmが2回、ハーフマラソン等3回、フルマラソンがこの新潟シティマラソンの1回だけなのである。
苦しいのは苦しいが、年にたった1度の挑戦の機会として、楽しまなくてどうする。
だから、土砂降りの雨も、楽しいハプニングの1つとして受け止められた。

最後に言えば、息子から「オレの分まで頼む」と言われたこと。
2人とも途中で投げる、という訳にはいかなくなってしまった。
そうか、じゃあ、自分は自分のペースでさらに楽しまなくては、と思った。
息子とすれ違った時は、まだ20km以上の距離を残していたのだ。
「オレの分まで」は、ちょっと重い言葉であった。
だが、息子と話した「遠足の気分」を心の支えの言葉にして、ゆとりをもって様々なことに対応することができたことも事実である。

マラソンから1日明けて今日は、さすがに全身筋肉痛。
階段昇降がえらくつらい。
十分なウオーミングアップもできずに臨んで、フルマラソンを走り切ったのだから、仕方がないか。
ただ、完走できた気持ちよさは、続いている今日なのであった。
新潟シティマラソン、2年連続の制限時間内完走、バンザイ!\(^o^)/

(今年も記録証と共にNEGICCOのファイルホルダーをいただいた)

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新潟シティマラソン、予想外の完走を果たす(3)

2016-10-10 17:28:29 | RUN
最初にフルマラソンに挑戦した時は走れなくなっていた28km付近だが、5回目の今回は極力楽に走ることようにしてきたので、30kmから先も、なんだか行けそうな気がしてきた。
ただ、30km直前の1kmは上り坂もあり、タイムが悪くなった。
関屋分水の橋を渡り、いよいよここからが厳しくなる。
給食のあるポイントが、31.0km、34.3km、36.4kmと5km余りの間に3か所もある。
バナナをいただこうと皮をむいたら、手が滑って落としてしまった。
だが、3秒ルール発動。もったいないので、道に落ちたのを拾って食べた。

今回の給水、給食はしっかり行った。
給水では、スポーツドリンクも水も両方飲んだ。
スポーツドリンクだけでは、腹がおかしくなるので、水で薄めてやることが大切だ。
また、ポケットに、塩飴、タブレット、粉末アミノ酸などを用意して、ところどころでなめたり飲んだりした。
気温も高くなく、暑くなかったので、無駄に体力を消耗することもなかったのは、よかった。

細かなアップダウンが続く30km以降の海沿いのコース。
あまりよい風は吹かなくなった。
スピードが上がらなくなってしまった。
これは、去年も経験済み。
焦らずに、今までの貯金を少しずつ使うつもりで、動かなくなった足を手を振ることで歩を進めるようにした。

35km付近で、女性が応援の紙を持ちながら立っていた。
「ちち、がんばって」と書いてあった。
父親のことを、「お父さん」とか「パパ」ではなく、「ちち」と書くその言葉に、急に泣けた。
なぜなら、うちの娘は、私のことを、「ちち」と呼ぶからだ。
同じだな、と思ったら、急に娘のことが思い出され、ここ数年の大変だったことが思い出され、涙が出てしまった。
うん、がんばるからな、と改めて心に誓った。

30km以降は、
㉛6分50秒、㉜7分18秒、㉝7分00秒、㉞7分17秒、㉟7分44秒、㊱7分28秒、㊲7分59秒。
37kmの関門までは、1km7分台でなんとか進むことができた。

残り5kmのここから、去年は地獄を見た。
今年は、何としても立ち止まることはないようにしたい。
ラストなので奮起した人々が私を次々に抜いていったが、立ち止まらないというその一心で、腕を振り続けた。
残り4kmとなり、信濃川沿いのコースに出ても、もう余力がなかった。
最後くらいは本来の走りを、と思うのだが、すぐに足が動かなくなる。
悔しいが、残り3kmを8分台で行っても、4時間50分過ぎくらいに着けそうだと思い、とにかく歩かずに進んだ。
㊳7分26秒、㊴8分07秒、㊵8分10秒、㊶7分27秒、㊷8分00秒。
いよいよ1km8分台も普通になった。

道の曲がり角の近くに、高橋尚子さんが選手を迎えてくれていた。


その曲がり角を曲がった時、私の後ろを走っていた若い女性が、急に泣き出した。
嗚咽の声が漏れてくる。
それでもなお彼女は走っている。
きっと、これまでの走りが予想以上に厳しかったのだろう。
ようやくゴールにたどり着けることに安堵の思いが高ぶったのではないだろうか。

今年は、陸上競技場内で応援する日本文理高校のチアガールの皆さんとも、ハイタッチする余裕があった。
去年はもう泣いてしまっていたから、顔を上げることなどできなかった。

待望のゴール!

今年は、まさかこのゴールにたどり着けるとは思っていなかった。
しかし、ここまでたどり着けた。

タイムは、去年より1分程度しか悪くなっていない4時間52分台(グロスタイム)。
ネットタイムなら4時間49分台。
しかし、今年の方が走り続けられたという自負がある。
去年は、何度も歩いてのゴールだった。
今年は、体調不良の続く中、どんなに遅くとも走り続けていたのだから、価値のある完走だと思った。

体育館の床にへたり込んで、汗のかいた体をウエットペーパーで拭いたり、家にメールを送ったりしながら、息子が戻って来るのを待った。
バスに乗って戻ってきた息子であったが、20km地点以後がんばって、37km関門まではたどり着いたのだそうだ。
34km付近の関門では、数秒前に通過したのだとか。
ただ、37km関門では、もう足が限界だったので、関門突破の無理はしなかったのだとのこと。
すれ違った時の様子から、てっきり25km関門でバスに収容されたのかと思ったら、息子は息子で健闘していたのであった。

今年も、サトウ食品ブースの前のNEGICCOのパネルの前で記念写真を撮った。

レース前のハイタッチのご利益で完走できましたよー、ありがとう。

帰路についた。
駅の階段の下りが、もろにきつかったが、心地よくもあった。
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新潟シティマラソン、予想外の完走を果たす(2)

2016-10-10 16:53:12 | RUN
さて、いよいよ海岸沿いの道に出た。
ここまでの12kmは、①6分41秒、②6分22秒、③6分25秒、④6分40秒、⑤6分34秒、⑥6分32秒、⑦6分39秒、⑧6分23秒、⑨6分36秒、⑩6分28秒、⑪6分31秒、⑫6分35秒、とこんな感じ。
6分30秒を基準とすれば、平均して少し上回っているだけ。
時々脚が気になる時があるが、今の走り方なら負担は少ない。
まだいける。順調である。

ここから海岸の国道402号線を20kmポイントまでまっすぐな道である。
正確に言うと、そこを折り返して28km辺りまで、ずっと海岸沿いの単調な道である。
途中から、大粒の雨が落ちてきて、すごい雨降りとなった。
「高橋尚子さーん、雨止んでないよー。」と言う人たちもいた。
すごい土砂降りの雨の中を走るはめとなってしまった。
でも、高橋尚子さんは、雨についてこんなことも言っていた。
「雨が降ると、息がしやすいから、私は梅雨の時期が好き。」
ま、びしょびしょになったが、さほど寒くなく先へ進むのみであった。

やがて雨も上がり、ほどなく、折り返してきた上位ランナーたちが次々に過ぎて行った。
比較的上位に、朝電車で一緒だったSRさんがいた。
さすが10kmの実力派市民ランナーの彼は、フルマラソン初挑戦でも積極的だ。
その後は、ぞろぞろと大勢のランナーが折り返してくるのとすれ違った。
この402号のコースは、まっすぐとはいえ、細かなアップダウンがある。
私は、それに合わせて走り方を変えながら走った。
上りは、目線を下にして、頭を前方に倒しながら進む。
下りは、真下に足を下ろすようにして、心持ち快く足を回転させ進む。
19km辺りで、知り合いの人と次々とすれ違って会う。
私はまだまだ折り返しまで距離があると考えると、もうこの方々とは3~4km離されてしまったということですな。
でも、焦らない、焦らない。
今日の目標は、極力疲れない走りで先に行くことなのだから。
⑬6分34秒、⑭6分33秒、⑮6分33秒、⑯6分29秒、⑰6分23秒、⑱6分26秒、⑲6分31秒、⑳6分37秒、と、折り返しまでは、まず順調に6分30秒台で押して行った。

なんとか新川大橋を渡り、折り返し点を過ぎ、やがて中間点も過ぎた。
驚いたのはその時であった。
私より先に行っていると思っていた息子が、折り返し点方向へ向かっていたからである。
「足がだめだ。オレの分も頼む。」と、彼はそう私に告げて、手をタッチしてすれ違った。
彼は、数週間前に足を痛めていた。
医者に行ったら、腱鞘炎だと言われたとのこと。
今回の出場は決めていたものの、不安なのは私同様だったのである。
ただ、息子は、「走る以上、不安なことは何も考えずにいる。遠足に行くみたいに楽しみに。」と言っていた。
その気持ちはいいなあ、と内心感心していたのであった。
その息子から「あとは頼む」みたいに言われた以上、がんばらないと。
そうは思うが、こっちだってキツイのだ。
現にいっぱいいっぱいの感である。

だが、折り返してからは、風がやや追い風になって楽になった。
追い風の時、私は、新たな楽な走法を見つけた。
頭を前に傾け前傾姿勢を保ったまま、腕を後ろの方に伸ばしたまま振る。
ヒントは、スキージャンプのむささび葛西。
走り方のスタイルを想像して、名付けて「ジャミラ走り」(懐かしきウルトラマン)。
このジャミラ走りで、時々楽をした。

目の前に、同じくらいの年代で、同じくらいの走力のS・Iさんがずっと見えていた。
だけど28km付近まで追いつけずにいた。
やっとのことで抜いて、挨拶の言葉をかけたが、返事が返ってこなかった。
きつくなっていたのかな、と気にせずに先に行くことにした。

この10kmは、㉑6分34秒、㉒6分18秒、㉓6分24秒、㉔6分20秒、㉕6分27秒、㉖6分35秒、㉗6分26秒、㉘6分32秒、㉙6分40秒、㉚6分57秒。
30kmまでの10kmは追い風を利して7分を切って、6分30秒に近いタイムで走れていた。
苦しい走りながら、このことは自信となって働いていた。

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新潟シティマラソン、予想外の完走を果たす(1)

2016-10-09 22:19:43 | RUN
夜半の2時過ぎからの激しい雨音。
目が覚めてしまい、なかなか眠れなかったものだから、睡眠不足の朝となった。
雨は止まず、駅に行くまでを自転車を使ったら、レインコートを着ていたがジャージの下と靴はさっそく濡れて寒くなってしまった。
電車に乗り込むと、いつも10kmを走っているSRさんと会った。
今回の新潟シティマラソンは、定員に達するのが早かったために、エントリーが空いていたフルマラソンに挑戦するのだそうだ。

雨が降っているので、会場そばの体育館は、人であふれていた。
例年ならアップする人がいるから、もう少しすいているはずなのだが。
それでも、開始式を行うとなったら、だいぶすいてきた。
荷物を預けて外に出ると、雨はかなり小降りになっていた。
開始式の挨拶に出たゲストランナーの高橋尚子さんは、「雨が止みましたよ。」と叫んでいた。
その間、私は、長蛇の列となったトイレの前に並んでいた。
新潟シティマラソンの弱点の1つは、トイレの数が少ないことだ。


なんとか用を足して陸上競技場に入ると、すぐにスタートラインまで移動になった。
今までのマラソンコースを走るのは、これで最後になるという。
スタート・ゴールは今度はどこになるのだろう?
などと考えているうちに、陸上競技場から新潟市役所周辺の道へ移動。


そしたら、今年もいました、NEGICCOの3人組。
思わずそちらへ移動して、赤い衣装に白い手袋の3人にハイタッチ。
「『Tea for 3』(アルバムのタイトル名)、よかったですよー!」と言うと、「ありがとうございまーす。」との声が返ってきた。
そうこうしているうちに、いつの間にかスタートの号砲が鳴っていたらしい。
前が動き出していた。
私は、最後尾のDからのスタートだったから、最も遠かったのだ。
市役所前を、3分近くたってから通過。
公式にスタート。

今回の目標は、30kmまで行くこと。
ふくらはぎが痛いから、痛みが出ないように走る。
そのためには、スピードを上げたり強く蹴ったりするようにしては走らない。
歩くのを速くしたような形で、膝を上げず後ろ足で蹴らずに走る。
脚が極力疲れないようにして走るのだ。
だからスピードは出ない。
これは、9月に20km走った時の走りだ。
1kmあたり6分30秒前後を目安にして走って行くことにしていたのだ。
スタートして1kmもしないうちに、高橋尚子さんが後ろから追いかけてきた。
選手たちに声をかけながら、「がんばるぞ、オー!」と雄たけびを上げ、途中まで走っていた。
私は、ずいぶんゆっくりなペースで走っているというのに、なぜか結構汗をかいていた。
去年までは、5kmまでの細い道は、前が抜きにくくて困って汗をかくこともあったのだ。今回はゆっくり走っていたのだが。
県庁から千歳大橋、関屋大橋、と橋を渡り、関屋分水の土手道を走り進んだ。
可哀想だったのは、私たちより遅いスタートとなったハーフマラソンの選手たち。
私たちのようなもたもたした市民ランナーは邪魔でしょうがなかったはず。
抜こうにも土手道が狭くてうまくスピードが出せなかったはずだ。
これは、改善してあげないと、ハーフの速く走れるランナーが可哀想だ。

土手道と別れ、街中を2kmほど進むと、いよいよ長い海沿いの道に出る。


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