ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

負けたとはいえ、“Play Hard”で最高の試合 磐城高校、ありがとう!

2020-08-16 20:46:37 | スポーツ
磐城高校の野球というと、私が中学3年生当時の夏の甲子園大会で準優勝したときの活躍が印象に残る。
「小さな大投手、田村」が、3試合連続完封で決勝に進み、相手の桐蔭学園戦で7回に初めての失点を許し、結局最少失点の1点が取れずに0-1で敗れたのであった。
ただ、あの当時常磐炭鉱の閉山などで意気消沈していた地元の人々を大いに勇気づけた準優勝だった。

それを含め、7回の夏の出場、そして今回が3回目の春の出場となるはずの甲子園だった。
近年、聖光学院の壁が高く、甲子園出場は、平成7年の夏の大会以来だった。
ところが、それを決めた春の選抜大会が感染症拡大のために中止となって、選手たちも周囲の人たちも、福島県民も、どれだけ残念に思っていたことか。

その残念さを際立たせたのは、指導者の木村監督の他校への人事異動だった。
21世紀枠で久々の甲子園出場が決定しあれほど喜んだのに、一転、大会中止となり、監督までいなくなってしまう。
最後の監督のノックは、監督にとっても選手たち一人一人にとっても、特別なものだった。部外者の我々にも、涙なしには見られないシーンだった。

夏こそ…の願いもむなしく夏の大会も中止となってしまった。
この10日に放映されたNHKの、磐城高校を追いかけた特別な番組「“Play Hard”でいこう 福島・磐城 球児たちの誓い」を見て、進学校でもある部員たちの様々な葛藤を知ることもできた。

様々な経験を乗り越え、選抜大会出場を決めたチームによる「交流大会」が、行われることになった。
各チーム1試合しかできないが、場所は間違いなく、球児たちの憧れ、甲子園。
この英断は、とてもよいことだと思った。

昨日行われた磐城高校の対戦相手は、東京・国士舘高校。
昨秋東京大会で優勝した、間違いなく強豪校だ。
スイングのスピードは速いし、打球の速さも違う。
しかし、まったく臆せずに磐城高校の選手たちは戦っていた。
のびのびプレーする選手たち。
体を壊したこともあり、本調子でないというエースは、緩急の差をつけて打者を打ち取っていった。
それを支える内野手も外野手も、好プレーの連続だった。
合言葉である“Play Hard”を実践している姿をたくさん見ることができた。
素早く取り素早く投げるから、間一髪のアウトが取れる。
打った後も、ベースランニングも全力で走るから、間一髪でセーフになる。
彼らの“Play Hard”を存分に見せてもらった。

試合は、先制する―逆転される―同点に追いつく―勝ち越される…という手に汗握る好試合であった。
結局、磐城は国士舘に1点及ばず敗れてはしまったが、最後まで楽しそうに、そして全力を尽くす選手たちの姿はとてもすばらしく、感動的ですらあった。

試合前練習では、特例として、木村前監督からシートノックを受けるというシーンもあった。
選手たちは、「あのノックで緊張がほぐれた」と語っていた。
木村前監督も、「特別な、濃密な7分間を過ごした」と語っていた。

「夏こそ、甲子園に連れていきます」という約束が、別な形とはいえ実ったことも、また目頭を熱くさせた。

負けたとはいえ、最高の試合だった。
よいものを見せてもらった。
磐城高校、ありがとう!
コメント
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