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私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

にんじんしりしり

2012-07-27 | 1食べる
ひと頃、毎朝のにんじんジュースにはまっていた。
我が家のジューサーでつくるにんじんジュースは、タイトなスケジュールをこなさねばならなかった時期、私の健康を守ってくれていたと思う。

一段落して、ジューサーの後片付けが面倒になった為か、ベストマッチするリンゴが高値で手を出せなくなった所為か、買い込んだにんじんが野菜室の中で痛むことが多くなった。

クックパッドでにんじん活用レシピを探していて出会ったのが、この沖縄の惣菜「にんじんしりしり」だ。

にんじんを細かな千切りにしたものを「しりしり」と言うらしいのだが、一度に三本ぐらいのにんじんが消費出来、なおかつその味わいが豊かで実に美味しいご飯の友である。

にんじんだけでなく、ツナ缶まるごと(油もすべて使う)と卵を用い、味付けも比較的濃くてコレステロール値もそこそこありそうなので、食べすぎには要注意なのだが、美味しくて三日に空けず「しりしり」作成にいそしんでいる。

にんじんは甘い野菜だ。
砂糖など一切加えないが、その甘みはマグロのうまみと絡まるとこの上ない味わいとなり、首ったけなのだ。

とにかくご飯がすすむ。
どうしようもなくご飯が旨い。

「カロチンは摂れるが、食べすぎは禁物」と肝に銘じつつ、ちょっと箸が止まらない状態になっている。
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買いたいけど買えない

2011-05-23 | 1食べる
おひとりさまはお家グルメである。

色々なことを片づけ、ようやく復興気分の私に、時折冷水を浴びせかけられるような事件も起きるのだが、食の楽しみがあれやこれやの出来事で張りつめた神経を癒してくれているような気がする。

グルメ探偵ネロウルフの映像を見ながら、自分にとってはちょっと贅沢な素材で家飯をしつらえて楽しむ。

先日、海産物売り場で、被災地産生ワカメのパック詰めを見ながらそこを動けなくなった。

去年まではすぐに手にとったつややかなブランドワカメだ。
食べたいし、買いたいのである。
しかし、スーパーの買い物カゴにそれを入れるのに躊躇した。

政府発表はもとより信じてはいない。
政治不信はここへきて極まった感がある。

役所より、どうやらもっともっとお役所的体質であるらしい電力会社も信じられない。
電力株をかなり抱えているが、何故こんなに資金を投じてしまっていたのか後悔しきりだ。
まるで役所。
株式会社の体を成していない。
どの電力会社からも起死回生の、死にものぐるいで当社は代替エネルギーの開拓に取り組みます…的な発言は一向に聞こえてこない。

いまさらメルトダウン云々を報じる報道機関も信じられない。
そんなこと、初めからわかっていたではないか…と。
ひどく間延びした時間差攻撃のように、意図的にずらして報道される様々なこと(もう情報操作であってニュースではない)を、しら~っとそ知らぬ顔で報じる報道各社。
信じられる訳がない。

スーパーで動けなくなった翌日、テレビでそのブランドワカメ漁を告げるニュースが流れていた。

どれもこれも信じられぬ。

だから、そこにあるブランドワカメに手を伸ばせないのだ。
私は結局買えなかった。
被災地のワカメ、買って復興に寄与したいよ…でも。

不信感でいっぱいになっている自分には、目に見えない情報の統制と不手際が、モンスターの黒い影をそこここで生んでいるような気がする。

圧倒的におとなしく善良な我々ニッポン人の社会が、とうとう根底から蝕まれ始めているような気さえする。
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伝説のおやじさん

2011-03-25 | 1食べる
「○ちゃん」と、伝説のおやじさんの愛称が店名になっていた店。

当地では知る人ぞ知る名店だった。

戦後のバラックそのままのカウンターに、ゴキちゃんがチョロチョロするのは当たり前。
バブルの頃は、ピンクの新品タオルを何枚も使い捨て布巾としていたお店だった。

時がたち、ピンクの新品タオルは姿を消し、おやじさんもいくらか筋肉がおちて、ウーロン茶と軽い咳が調理のおともになっていた。

それでも、出てくる料理はどれも絶品で、年に何回かその店を訪れ、おやじさんの健在を確認しつつその料理に舌鼓を打っていたのだった。

傾いたバラックが、小奇麗に改装され、路上に客があふれることの無いように店舗面積も広くなったと聞いたのは去年の夏のことだった。

一度様子を見に行ってみなくては…と言いながら日を送り、先日久しぶりにその名店を訪れたのだが、様変わりした現実を見ると同時に、おやじさんの死を知ることとなった。

癌で亡くなったということで、覚悟をして店を譲る準備をされていたのだと思う。

メニューは一緒だったが、おそらく供されるものは以前のそれとは全く別物だった。

昔堅気のおやじさんだったので、細かなレシピがあるわけではないらしい。

ちょっとしたコツや、欠かせない塩梅を引き継ぐには時間が足りなかったことだろう。

若さ溢れるスタッフを見ながら、あれもこれも無くなってしまった現実だけをかみしめることになった。
引き継ぐには時間が必要なのだ。
それが、十分でなかったことを知る。
どれくらい時間を費やせば、伝説のおやじさんの域にこの店が近付くことが出来るだろうか。

また一つ、大切なものを失った悲しみが襲ってくる。

備えよう。
築きあげられたものがあるのだとしたら、それが正当に受け継がれるように。
時間と心を尽くして。

良きものを失うことは辛く悲しい。
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そういうことだったのか

2010-12-05 | 1食べる
石原結實ドクターの「にんじんジュース健康法」の支持者である。

昨年の秋から、自宅のジューサーで「にんじんジュース」を作っては毎日愛飲してきた。
「にんじんジュース」を飲み始めてから、妙に嗅覚が鋭くなり、数年来何も感じなかったお隣のお犬様たちの周辺小物をクレゾールで消毒される臭いに悩まされるようになった。

今日Yahooニュースで下記のごとき記事を読み、成る程そういうことだったのか…と合点した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101204-00000078-jij-soci

酵素が十分に体に行き渡ることで、私の嗅覚は鋭敏になっていたのだ。

一年間、亡くなった父のあれやこれやを整理することに忙殺されていたのに、体調を保つことが出来ていたのは、この「にんじんジュース」の御蔭だったのかもしれない。

しばらく「にんじんジュース」をさぼっているうち、久々に風邪を引いてしまった。
そして、なかなか体調が元にもどらない。

効いていたのではないかしらん、やっぱり…と思い、またまた思い出したように毎朝「にんじんジュース」生活にもどっている。
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和牛ステーキ

2010-05-19 | 1食べる
昨夜の我が家の晩ご飯は和牛ステーキだった。

近所のスーパーには、時折霜降りのいい感じの和牛ステーキ肉が手ごろな値段で並ぶのだが、昨夕もそうだった。

家のフライパンで、ごくごく普通に焼いて食べる。
柔らかい肉質の美味しいステーキだった。
多分、口蹄疫の影響で、食肉の流通にも影響が出始めているのだろうと思いつつ、美味しくいただいた。

頂いたのち、漸くちらほらと報じられ始めた口蹄疫のニュースをテレビやネットでチェックする。

酷い。

いくらパッとしなくても、国は国民の利益を守る為に動いてくれるものだと思っていたのだが、結局、何も期待してはいけないのだ。

政治主導とかで、偏差値の高いソツない対応を知る御役人たちは動きを封じられている。

御奉行が御留守で指示が無いと動けないという訳だ。

指揮官が鈍感だと、いくらソツなく危機対応してきた部隊もただの集団。
陣営を組んでも、もう勝敗は決している。

危機対応は崩壊。
間違いなく「時の盗人」がはびこっている状況だ。
信じがたい対応ばかり目にする、耳にする。

モーレツに腹が立ってきた。

「まつりごと」はつまるところ金の使い方だと思うのだが、納税した国民の為にではなく、大借金を抱えながら友だ愛だと外国の方々に献上なさったり、鳩に餌をやるように無闇にばらまいていたのでは、霧は深くなるばかり。

何故?
どうしてこんなことに成ったのか。
私の納めた税金は、私の意に反することなく使って頂きたいという願いは、およそ聞き届けられず、理解しがたい感覚の持ち主達によって深い闇に吸い込まれてゆく。

何年か前に創設された「ふるさと納税」。
「こうして使って下さい」と言って寄付すれば、まずその通りに使っていただける。

宮崎県に「ふるさと納税」をさせていただこう。

http://www.pref.miyazaki.lg.jp/furusato/

血税が、きちんと危機に使われないのであれば「口蹄疫の危機に対応して」とはっきり明記して、直接危機ある地に納税しよう。

こんな政治状況の片棒を担いでしまった、私の哀しい一票の罪滅ぼしだ。
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食欲急上昇中

2010-05-15 | 1食べる
なぜだろう、最近とかく食欲旺盛で困りものだ。
炭水化物大好き人間なので、ご飯、パン、麺類と形態を問わずいくらでも食べられる。

経絡経穴の中脘という位置にポツンと大きな湿疹まで出来た。
中脘は、胃の代表経穴である。

なぜだろう…ではない。
ストレスという実はスルーしたい分野をスルー出来ないときに発生する心理的負担がドッカンと存在感を増している所為だ。

ここは心の要求するまま際限なく食べるべきか、体の健全性を保つためグッとこらえるべきか。

常に右か左か迷いつつ、野菜高騰の折だというのに食前サラダの量が意図的に増えている。
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日向夏の季節

2010-03-30 | 1食べる
ことしも日向夏の季節がやってきた。

商店街のはずれにある、昔ながらの八百屋さんの奥まった棚にあるのを見つけたのだが、今年はかなり早いお目見えのような気がする。

すぐに手にとり、いくらか小ぶりだが6玉詰め込まれたパックを迷わずカゴに放り込んだ。

私は、リンゴの皮をむくように、日向夏の薄皮を残してくるくると外皮をむき、四等分して、お醤油を少しつけて食べるのがお気に入り。

我が家を訪れる人々には、必ずお醤油の小皿を添えて食べていただくのだが「そのまま食べる方が美味しい」とおっしゃる方ばかり。

お醤油との取り合わせを認めてくださる同志には、哀しいかなまだ出会わない。
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ほら、だから縁がないのよ

2010-02-07 | 1食べる
ランチにでかけた。
現在プー太郎の友人に感謝を込めて、費用は私もちというお約束。
以前から評判の高い、御夫婦でなさっているイタリア料理店の前で待ち合わせた。

事前に調べたネット情報では、ランチタイムは11:30~になっていた。
ところが、定刻、店の前に行ってみると「準備中」の看板が出たまま。
「12:00~営業」と書き添えてある。

「何で?」と思いつつ、それでも食い意地がはっているので30分じっと待った。
「待ち時間、食前のコーヒーでも」という友人を
「そんな無駄なこと必要ない」と阻み、12:00に再び店の前へ。

数分遅れてドアが開き、奥方が「準備中」の看板をしまいに出てこられた。
「いざゆかん」と意気込んだが
「御予約の方でしょうか?今日のランチはもう御予約の方でいっぱいで」
とおっしゃる。

じゃぁ何で
「本日御予約の方のみ」
とかなんとか書いておかないの!?

「何でまたランチで予約をとるかなぁ」
と、憮然として引き揚げた。

同行の友人は
「だってココ美味しいものねぇ」
と至って平静だが、私は何やら無性に腹立たしく御機嫌斜めになった。

ほら、だからこことは縁がないのよ。
もう来ないっ。

なんだか、片想いの相手にけんもほろろに振られたような。
空腹は人をことさら哀しくさせる。
何とも情けない想いを引きずることになった。
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今年もしっかり食べてスタート

2010-01-03 | 1食べる
このブログ、食べることをメインにしてあれこれ書き連ねるつもりだったのだが、気がつけば世のあれこれについて、凡庸な私がぶつぶつつぶやいている記事がほとんど。

大いなる志や戦略・野望があるわけでもなく、続けることに意義があるのでまぁいいか~♪と、お気楽なのである。

いつものように、年越し蕎麦を食らい、お雑煮を仕立て、おせちも今年はしっかり食べて始まった。

おせちというものは、年末年始の主婦が家事軽減を図る為の、保存のきくオカズと承知していたのだが、我が家では、とかく大皿に盛られた煮しめや、これまた大量の数の子、そしてハムやかまぼこ、伊達巻などといったお決まりの面々がお重に詰められて完成するおせちで、私など直ぐに飽きてしまっていたものだ。

そうして親族が集まれば、結局、やはり手のかかる茶碗蒸しや牛肉の登場となって、主婦が休める気配はなかった。

今年、初めて「おせち料理」なるものを購入してみた。
某ホテルで大量につくられ、デパートやスーパーを窓口に同一金額で予約を受けるタイプのものだ。

平均的な二段重ねの商品を購入、楽しみにして開けてみたが、全部で47品の料理名がおしながきにぎっしり書き連ねてある。

自宅で作るのと違って、ひとつひとつの煮物、ひとつひとつの焼き物がそれぞれ皆異なる手法で料理され、それぞれに最適と判断されたお味に仕上げてあって、飽きることはない。

一口一口その違いを楽しみながら、おしながきと見比べて納得する流れが、非常に楽しい一時となった。

我が家の主婦がまだ元気な頃に、こうした手抜きでの楽しみ方をさせてやればよかったと、今頃になって思うのだから、遅れ気味な思いつきも極まった感じだ。

何だか、亡き人を楽しませたかったという想いと共に、来年もホテルの厨房でつくられたおせちを買ってもよいかもしれない思うのだった。
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芋を焼く(^_^)/

2009-12-20 | 1食べる
この秋、友人が芋掘りに招かれて収穫して来たお芋を、おすそ分けしてもらった。

安寧芋とあともう一種類(何て名前だったか、黄金色でめでたい名前だったような)。
一般的なさつま芋より、かなり糖度が高く、上手に焼くと飴のように蜜がこぼれてくるというお芋さんだった。

しかし、いささか気難しいお芋さん。
圧力なべで蒸してもグリルで焼いてもいま一つの仕上がりなのだ。
「焼き芋器で焼くと美味しいよ」などと言われても、何本かあるお芋さんの為に焼き芋器を買う情熱はない。

しばらく置いて水分を飛ばすと味がグッとしまるとかで、アマゾンの段ボール箱に新聞紙を引き、その中に保存してあったのだが、年の瀬にきれいに食してしまおうという気になった。

焼きが難しいので、厳寒ではあることだし、直火を利用できる小さな石油ストーブを引っ張り出し、その上にアルミホイルをクシャクシャにしたものを置いて焼きはじめた。

パスタ用のトングで、お芋全体に火が通るよう、まめにひっくり返す。

甘い香りと、皮の部分が焦げるこおばしい香りとが相まって、食いしん坊にはたまらない空気。

まずは細身の、ひょろ長いのから焼きはじめ、味見してみる。
友人からいただいた、焼き芋器で焼いたもの程ではないものの、やわらかくてまずまずのお味。

次に、小太りで短いものを焼いてみる。
いい感じで焦げているが、食べてみるとパサパサしていて、いくらか水分が足りないようだ。

やはり、焼き方の難しいお芋さんらしい。

残すは、長さもあり、胴周りもたっぷりの大物数本。
お猿さんのように、しばらく塩水に浸してから焼いてみようか。
それとも、シンプルな焼き芋は諦めて、スイートポテトや大学芋でトライすべきかしらん。

師走のお芋さんは、慌ただしい中で、思いがけず良い味を出してくれている。
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