F1の世界で、一際輝く名門チーム「フェラーリ」
市販車を売る為にF1に参戦するのではなく、F1に参戦する為に市販車を売る生粋のレーシングチームです。
本日紹介するのは京商1/64フェラーリF1コレクション「フェラーリ126 C4 カーナンバー27」です。
1982、1983年と2年連続コンストラクターズ・チャンピオンを防衛したフェラーリチームでしたが、ドライバーズ・チャンピオンには今一歩及ばずにいました。
1984年シーズンは、それまでエースだったパトリック・タンベイがルノーチームに移籍。
代わりにティレルで活躍していた若手有望株のミケーレ・アルボレートが加入。フェラーリにとって1973年312B3を駆ったアルトゥーロ・メルザリオ以来のイタリア人ドライバーとなりました。
フェラーリチームの84年シーズン用のニューマシーンが126C4です。
しかし実際は前年型のC3からあまり進歩しておらず、上下2ピースで構成されるモノコックのアンダー・タブはC3と全く同一でアッパー・タブが若干異なる程度でした。
フェラーリの公表では、83年に比べてエンジン重量は10%軽量化されトランスミッションも軽量化し、車体の重心を下げることによりハンドリングとトラクション性能の向上を狙ったとされています。
シーズン序盤は、他のトップチームの多くがカーボンファイバーのブレーキローターを採用していたのに対し、フェラーリは引き続き従来の鋳鉄製ローターを使用していました。
そのため増大したターボパワーにブレーキが耐えきれず、ブレーキトラブルが多発しました。またラジエターのレイアウトにも問題があり、ラジエターを通過した熱い空気が燃料を温めてしまい、パーコレーションを引き起こすなどの不具合が発生するなどマシンの熟成にかなり手間取っていました。
シーズン後半になっても状態は変わらず、マシン開発の方向性が失われてしまいサスペンションやラジエター・レイアウトなどの変更がたびたび行われていました。
ラジエター・レイアウトを改良、ポンツーンにマクラーレンのようなコークボトルライン形状を取り入れた後期型も126C4となります。
迷走のシーズンは期待のイタリア人ドライバー、ミケーレ・アルボレートがベルギーGPで一勝を挙げるに留まりました。
市販車を売る為にF1に参戦するのではなく、F1に参戦する為に市販車を売る生粋のレーシングチームです。
本日紹介するのは京商1/64フェラーリF1コレクション「フェラーリ126 C4 カーナンバー27」です。
1982、1983年と2年連続コンストラクターズ・チャンピオンを防衛したフェラーリチームでしたが、ドライバーズ・チャンピオンには今一歩及ばずにいました。
1984年シーズンは、それまでエースだったパトリック・タンベイがルノーチームに移籍。
代わりにティレルで活躍していた若手有望株のミケーレ・アルボレートが加入。フェラーリにとって1973年312B3を駆ったアルトゥーロ・メルザリオ以来のイタリア人ドライバーとなりました。
フェラーリチームの84年シーズン用のニューマシーンが126C4です。
しかし実際は前年型のC3からあまり進歩しておらず、上下2ピースで構成されるモノコックのアンダー・タブはC3と全く同一でアッパー・タブが若干異なる程度でした。
フェラーリの公表では、83年に比べてエンジン重量は10%軽量化されトランスミッションも軽量化し、車体の重心を下げることによりハンドリングとトラクション性能の向上を狙ったとされています。
シーズン序盤は、他のトップチームの多くがカーボンファイバーのブレーキローターを採用していたのに対し、フェラーリは引き続き従来の鋳鉄製ローターを使用していました。
そのため増大したターボパワーにブレーキが耐えきれず、ブレーキトラブルが多発しました。またラジエターのレイアウトにも問題があり、ラジエターを通過した熱い空気が燃料を温めてしまい、パーコレーションを引き起こすなどの不具合が発生するなどマシンの熟成にかなり手間取っていました。
シーズン後半になっても状態は変わらず、マシン開発の方向性が失われてしまいサスペンションやラジエター・レイアウトなどの変更がたびたび行われていました。
ラジエター・レイアウトを改良、ポンツーンにマクラーレンのようなコークボトルライン形状を取り入れた後期型も126C4となります。
迷走のシーズンは期待のイタリア人ドライバー、ミケーレ・アルボレートがベルギーGPで一勝を挙げるに留まりました。