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K-CUSTOM~「EBBRO-エブロ・hpi」ミニカーマニアでいこう!~

EBBRO-エブロ・hpiのミニカー紹介、愛車にまつわるエトセトラ
クルマ、バイク、チャリ。ヒトと同じじゃつまらナイ!

忘れない為に・・・

2005-12-06 20:12:55 | Weblog
毎年恒例の英国レーシング・ドライバーズ・クラブ(BRDC)の表彰式が行われ、リチャード・バーンズ選手に、イネス・アイルランド・トロフィーが授与されました。元F1ドライバーでBRDC会長を務めた故人の名を冠したこの賞は、最上の勇気とスポーツマンシップを発揮したドライバーに贈られるものです。

イングランド人としてはただひとり、WRCでチャンピオンを獲得したバーンズ選手は、2年間脳腫瘍と戦い続け、今年11月25日、永遠の眠りにつきました。初タイトルを獲得してから4年後のことでした。バーンズ選手の名が受賞者として呼ばれると、シルバーストンにあるBRDCのクラブハウスは感動的な雰囲気に包まれたそうです。

授賞式で司会を務めたジョニー・ジャーディン氏は、
「リチャード・バーンズは残念ながら先週金曜日に亡くなったが、その前に我々は、彼のファイティングスピリットに敬意を表し、この賞を贈ろうと決めていた。」
「当然のことながら、WRCで10勝を挙げ、2001年にドライバーズ・タイトルを獲得した素晴らしきチャンピオン、リチャード・バーンズのことに言及せずには、この授賞式を進めることはできない。」
「彼はサファリ・ラリーで活躍し、1999年に参戦した1000湖ラリーでも大成功を収めた。その時はあと少しでユハ・カンクネンを打ち負かすところまで迫り、全フィンランド人の関心を集め、注目を浴びるようになった。」
「最後の最後まで、脳腫瘍と戦っている間ですら、彼はまさに決然としていた。一切文句も言わずにやるべきことをやり続けた姿は、ちょうどイネス・アイルランドと同じだったが、彼は残念なことに、34歳の若さでこの世を去った。」
「けれども我々は、彼のことをずっと覚えているだろう。」
と語りました。

パリのスタッド・ドゥ・フランスで開催されたレース・オブ・チャンピオンズでは、バーンズ選手と、9月のウェールズ・ラリーGBで亡くなったマイケル・パーク選手のふたりを偲び、黙祷が捧げられたそうです。
今年は2人の偉大な選手をラリー界は永遠に失ってしまいました。
しかし、私たちは彼らのことを永遠に忘れることはないでしょう・・・

最後の、そして永遠のお別れ

2005-12-05 20:30:15 | Weblog
リチャード・バーンズ選手の家族は、バーンズ選手のこれまでの人生と業績を称えるため、一般参加の可能な追悼式を今月の終わりにロンドンで執り行うと発表しました。
通常の葬儀は、家族と親しい友人のみで今週に行われるそうです。
家族からの声明は以下のように書かれています。

「内輪のみの葬儀を行った後、リチャードのこれまでの業績を称えることを目的として一般参加が可能な追悼式を行います。」
「この一般追悼式は、リチャードの人生を称えるためのものであり、出席者は相応の服装で式に臨んでほしいと思います。」
「家族とリチャードのパートナーであるゾエ・キーンは、世界中のリチャードの友人やファンに対し、感謝の気持ちを表したいと思います。大変多くの人々が、公式サイト(www.richard-burns.com)における追悼ページにおいて、リチャードに対する敬意を表してくださいました。」
「1万5千人を超す方々からオンラインで哀悼の言葉をいただき、その心温まるメッセージは、単にリチャードに対する敬意や、世界的な人気を表すだけにとどまらず、現時点において私どもにとって本当に励みになっています。」

バーンズ選手は2003年11月に脳腫瘍と診断され、それから2年間勇気を持って病と闘いました。
ですが彼の復活にかける強い思いにもかかわらず奇跡は起きず、11月25日に帰らぬ人となってしまいました。
彼がイングランド人として初めて、そして唯一の世界ラリーチャンピオンとなってからわずか4年後のことでした。
一般追悼式は、12月22日(木)午前11時よりロンドンのセント・ルーク教会にて行われるそうです。

ぜひとも参列したいのですがロンドンにはさすがに行けません・・・
遠く離れた日本からですがバーンズ選手のご冥福をお祈りしたいと思います。

不人気の人気

2005-12-04 22:06:54 | TOMICA
2001年のWRCチャンピオン、リチャード・バーンズ選手が長い闘病生活の末、11月25日、34歳という若さで亡くなりました。ミツビシ、スバル、プジョーで活躍したバーンズ選手でしたが、タイトル争いの最中の2003年の最終戦、ウェールズ・ラリーGBに向かう途中で脳腫瘍による発作が起き、ラリーを欠場しその後は病気治療に専念していました。
ラリー界を席巻したバーンズ選手の活躍を、ミニカーで振り返りたいと思います。

今回紹介するのはトミー「トミカ スバルインプレッサWRX」です。
バーンズ選手はWRC104戦に出場、10勝を挙げました。
2001年にタイトルを獲得した記念すべきマシーンのベースモデルです。

このモデルは世界チャンピオンに輝いた2001年のマシーンです。
1勝を挙げ、チャンピオンを獲得しました。
ラリーカーはブリスターフェンダーや、特徴的なヘッドライト。大型のリヤウイングなどスパルタンな外見へと生まれ変わっていました。
実車では「プロドライブ」という受注限定生産されたモデルがあります。
不人気だった「丸目」インプレッサの中でも人気のあるモデルになっています。

飛躍への道

2005-12-03 23:08:50 | TOMICA
2001年のWRCチャンピオン、リチャード・バーンズ選手が長い闘病生活の末、11月25日、34歳という若さで亡くなりました。ミツビシ、スバル、プジョーで活躍したバーンズ選手でしたが、タイトル争いの最中の2003年の最終戦、ウェールズ・ラリーGBに向かう途中で脳腫瘍による発作が起き、ラリーを欠場しその後は病気治療に専念していました。
ラリー界を席巻したバーンズ選手の活躍を、ミニカーで振り返りたいと思います。

今回紹介するのはトミー「トミカ ランサーGSRエボリューションⅣ」です。
バーンズ選手はWRC104戦に出場、10勝を挙げました。
初優勝をあげた記念すべきマシーンです。

最も有望な若手ドライバーとして注目されてきたバーンズ選手。1998年第三戦サファリラリーでその実力がようやく開花。WRC初優勝を飾りました。
このときのマシーンは「ランサーGSRエボリューションⅣ」なのですが、三菱の欧州戦略の為エントリー名は「カリスマGT」となっています。
この年はスバルからの「レンタル移籍」と言う形でエントリーしていました。
偉大なチャンピオン「トミ・マキネン」の陰に隠れがちでしたが、若手ながら大活躍をし、後の飛躍につながりました。

訪れなかった蜜月

2005-12-01 21:50:24 | ChoroQ・チョロQ
2001年のWRCチャンピオン、リチャード・バーンズ選手が長い闘病生活の末、11月25日、34歳という若さで亡くなりました。ミツビシ、スバル、プジョーで活躍したバーンズ選手でしたが、タイトル争いの最中の2003年の最終戦、ウェールズ・ラリーGBに向かう途中で脳腫瘍による発作が起き、ラリーを欠場しその後は病気治療に専念していました。
ラリー界を席巻したバーンズ選手の活躍を、ミニカーで振り返りたいと思います。

今回紹介するのはチョロQ「超リアルチョロQ スバルインプレッサ2004」です。
バーンズ選手はWRC104戦に出場、10勝を挙げ、2001年にはついにチャンピオンを獲得。

2002年よりプジョーチームへ移籍。
チャンピオン争いには絡んでいたものの2002年、2003年共に未勝利に終わりましたが、翌2004年は古巣のスバルチームに復帰することが発表されていました。

しかし、ご存知の通り2003年最終戦を前に発病。
スバルチームはバーズ選手に敬意を表し「復帰できる時までシートをあけておく。」とコメントしました。
残念なことに、バーンズ選手はとうとう再びインプレッサをドライブすることはありませんでした。
ソルベルグ選手とのツートップ。考えただけでも鳥肌モノでしたが・・・
運命はあまりにも過酷でした。

正確にはバーンズ選手がドライブすることはありませんでしたが、どうしても紹介したかった為本日の一台を選出しました。