F1の世界で、一際輝く名門チーム「フェラーリ」
市販車を売る為にF1に参戦するのではなく、F1に参戦する為に市販車を売る生粋のレーシングチームです。
本日紹介するのは京商1/64フェラーリF1コレクション「フェラーリ312T4 カーナンバー12」です。
1979年、フェラーリ初のウィングカー312T4がデビューしました。
デザイナーはM・フォルギエリ。
幅広のフロントセクションや独特のフロントウィングマウント等、グランドエフェクトを得るための工夫が随所に見られます。
エンジンは一般的ボクサーエンジンとは異なる、フェラーリ独自の水平対向12気筒2991cc。
トランスミッションはオリジナル5速横置。
個性的なエンジンは幅が広く、ウィングカーのデザイン上サイドポンツーン際のサイドウィングと干渉してしまい、ウィングカーとしては決して優れたマシンとは言えませんでした。
しかし、熟成された12気筒エンジンのパワーに助けられシーズン中盤まで他のチームを圧倒しました。
1979年シーズンはロータス、マクラーレンなどの強豪イギリス勢が不調でフランスGPまでに優勝を獲得していたチームは、フェラーリとリジェだけでした。
シーズン中盤のフランスGP以降は、F1史上初のレーシングターボエンジンを熟成させたルノーと、優れたウィングカーを擁するウィリアムズ勢に苦戦を強いられましたが、それまでにジル・ビルヌーブ、シェクターが共に3勝していました。
そして注目のワールドチャンピオンには、着実にポイントを稼いだジョディ・シェクターが輝きました。
この年、フェラーリはドライバーズ・チャンピオンシップで1-2を獲得。更にコンストラクターズ・チャンピオンも獲得するなど、1979年のグランプリを完全制覇しました。
まさに、フェラーリチームは完全無欠の王者となったのでした。
ところが、次にタイトルを獲得するのは実に21年後。2000年のミハエル・シューマッハまで待たなければなりません。
これほどの長きに渡り、フェラーリチームが屈辱を味わい続けるなどとは、この時ダレも予想しなかったでしょう。
市販車を売る為にF1に参戦するのではなく、F1に参戦する為に市販車を売る生粋のレーシングチームです。
本日紹介するのは京商1/64フェラーリF1コレクション「フェラーリ312T4 カーナンバー12」です。
1979年、フェラーリ初のウィングカー312T4がデビューしました。
デザイナーはM・フォルギエリ。
幅広のフロントセクションや独特のフロントウィングマウント等、グランドエフェクトを得るための工夫が随所に見られます。
エンジンは一般的ボクサーエンジンとは異なる、フェラーリ独自の水平対向12気筒2991cc。
トランスミッションはオリジナル5速横置。
個性的なエンジンは幅が広く、ウィングカーのデザイン上サイドポンツーン際のサイドウィングと干渉してしまい、ウィングカーとしては決して優れたマシンとは言えませんでした。
しかし、熟成された12気筒エンジンのパワーに助けられシーズン中盤まで他のチームを圧倒しました。
1979年シーズンはロータス、マクラーレンなどの強豪イギリス勢が不調でフランスGPまでに優勝を獲得していたチームは、フェラーリとリジェだけでした。
シーズン中盤のフランスGP以降は、F1史上初のレーシングターボエンジンを熟成させたルノーと、優れたウィングカーを擁するウィリアムズ勢に苦戦を強いられましたが、それまでにジル・ビルヌーブ、シェクターが共に3勝していました。
そして注目のワールドチャンピオンには、着実にポイントを稼いだジョディ・シェクターが輝きました。
この年、フェラーリはドライバーズ・チャンピオンシップで1-2を獲得。更にコンストラクターズ・チャンピオンも獲得するなど、1979年のグランプリを完全制覇しました。
まさに、フェラーリチームは完全無欠の王者となったのでした。
ところが、次にタイトルを獲得するのは実に21年後。2000年のミハエル・シューマッハまで待たなければなりません。
これほどの長きに渡り、フェラーリチームが屈辱を味わい続けるなどとは、この時ダレも予想しなかったでしょう。