K-CUSTOM~「EBBRO-エブロ・hpi」ミニカーマニアでいこう!~

EBBRO-エブロ・hpiのミニカー紹介、愛車にまつわるエトセトラ
クルマ、バイク、チャリ。ヒトと同じじゃつまらナイ!

EBBRO サンプルレポート その2

2007-01-31 11:26:20 | EBBRO・エブロ
先日、開催された「2007年 クラシックカーフェスティバル ニューイヤーミーティング
MMPが出展しており、EBBROの限定販売が行われました。

販売された商品は・・・
「XANAVI NISMO Z / MOTUL AUTECH Z 鈴鹿1,000km 2台セット」
Mobil 1 TOYOTA Team LeMans ALUMINUM STICKER SAMPLE
RAYBRIG NSX スーパーGT2006 SAMPLE

そして本日紹介する、
EBBRO1/43ミニカー「ZENT セルモ SC430 スーパーGT2006 SAMPLE」
が、販売されました。
他の二台と違い、BOXに「SAMPLE」のステッカーの添付はありません。

製品版とはどこが違うのか?
まずは、こちらが以前発売になった製品版。
よ~く見て下さい。


そしてこちらがサンプル版。
わかりましたか?

そうです。アンテナの取り付け部分が違うのです。

製品版では、

このようにルーフ後端に取り付けられています。

サンプル版では、

このように右フェンダー上に取り付けられています。

なぜこのような違いが?
実車はどうなってる?
ラウンド限定仕様なのか?

調べてみたところ「ZENT セルモ SC430」はシーズンを通して右フェンダー上にアンテナを装着していました。

なぜサンプル版が「考証」として正しいにも拘らず、

正式販売への許可が出なかったのでしょう。
う~ん・・・謎です。

BOXに「SAMPLE」のステッカーの添付がないので、「サンプル」を「製品版」として扱いたい気分です。

EBBRO サンプルレポート その1

2007-01-30 14:03:34 | EBBRO・エブロ
先日、開催された「2007年 クラシックカーフェスティバル ニューイヤーミーティング
MMPが出展しており、EBBROの限定販売が行われました。

販売された商品は・・・
「XANAVI NISMO Z / MOTUL AUTECH Z 鈴鹿1,000km 2台セット」
Mobil 1 TOYOTA Team LeMans ALUMINUM STICKER SAMPLE
ZENT セルモ SC430 スーパーGT2006 SAMPLE

そして本日紹介する、
EBBRO1/43ミニカー「RAYBRIG NSX スーパーGT2006 SAMPLE」
が、販売されました。

BOXにはこの様に「SAMPLE」のステッカーが貼ってあります。

製品版とはどこが違うのか?
まずは、こちらが先日発売になった製品版。
よ~く見て下さい。


そしてこちらがサンプル版。
わかりましたか?

そうです。ヘッドライトが違うのです。

製品版ではキチンとクリアーパーツ+イエローで再現されています。
しかし、こちらのサンプル版はステッカーで再現されています。
ライトカバー形状にも違いがあります。

完成度は一目瞭然。

サンプル版のモデルでは、正式販売への許可が出なかったのでしょう。
確かに、ショボイはショボイですが・・・
それにしても、大量のモデルを処分せざるを得ない状況になるほどのものでしょうか。
それとも実は、ステッカーの下に重大なエラーが!?

勇気のある方は、ステッカー剥がしに挑戦してみては?
レポートお持ちしております。

・・・と、レポートをまとめたのですが実写画像を見ると

う~ん。サンプル版の方が、より実車らしいですね。
ライトの上にカバー。
更にその上にカラーが入っている状態を忠実に再現している事に。

ニューイヤーミーティング

2007-01-29 11:32:44 | エブロ・イベントレポート
そんなわけで行ってきました。
「2007年 クラシックカーフェスティバル ニューイヤーミーティング」

■開催日 2007年1月28日(日)雨天開催
■会 場 青海臨時駐車場 特設会場(船の科学館向かい 青海OP街区)
■主 催 日本クラシックカー協会

ええ。
行きましたよ。「ひとり」で。お台場に。

開場2時間前の朝7時から正門前でスタンバイ。
1月とは思えないくらい暖かくて助かりました。

なぜこのイベントに参加したかと言いますと・・・
「EBBRO」でおなじみのMMPが出展をするからです!!
し・か・も限定品の発売も有るっ!!
戦利品の報告は後ほど・・・

童夢

2007-01-26 18:01:31 | EBBRO・エブロ
株式会社童夢(Dome Co.Ltd)は、1975年に林みのる氏により、京都府に設立された自動車会社(主に自動車ショーでのモデルカー製作)及びレーシングカーコンストラクターです。
現在では滋賀県米原市に本社を置きます。

本業は自動車ショーに各企業が出品するモデルカーの作成です。
一方で、各モータースポーツカテゴリーに自社製作のレーシングカーを出場させ、数々の成功を収めています。

2005年のル・マン24時間レースにも、ワークスチームとして童夢S101-Hbで参戦するもリタイアに終わりました。
2006年には、DOME 101 HbiとしてDOME 101-HBの進化系マシンにてルマン参戦を果たすも、3位走行中に惜しくもリタイヤ。
2007年は、DOME 101のさらなる進化形態であるDOME 101.5でのルマン参戦を予定しています。

本日紹介するのはEBBRO1/43ミニカー「DOME S101 KONDO RACING 2003 LE MANS」です。
ADVANのブラック・レッドのボディーカラーに日の丸が映えます。

ドライバーはマッチこと近藤真彦選手。
元F1ドライバー片山「カミカゼ」右京選手。
日本人初フランスF3チャンピオン福田良選手。
この3選手がドライブし予選12位。
決勝は13位で完走しました。

ビリオン

2007-01-24 14:25:12 | EBBRO・エブロ
田中実選手は1963年6月1日生まれの京都府出身。血液型はB型。

1985年のFJ1600クラスでデビュー。
1986年は鈴鹿FJ1600A・B参戦。西日本FJ1600に参戦し、シリーズチャンピオンを獲得。
1987年・1988年はイギリスのFF1600エッソシリーズに参戦。
1989年はイギリスF3に参戦。
1990年はイギリスF3。全日本F3000選手権スポット参戦。
1991年・1992年・1993年は全日本F3000選手権に参戦。
1994年はスーパーN1耐久参戦。
1995年は全日本GT選手権にスポット参戦。
1996年はスーパーN1耐久に参戦。
1997年は全日本ツーリングカー選手権参戦。
1998年は十勝24時間レース優勝。
1997年から2004年は全日本GT選手権参戦。
2005年はSUPER GTシリーズ参戦。この年は2007年のウィリアムズトヨタF1テストドライバーを務める中嶋一貴選手とコンビを組み、一勝を上げました。
2006年もSUPER GTシリーズ参戦。シーズン終了とともに現役引退を発表しました。

レースの傍ら、自動車部品の製造・販売を行う「ミノルインターナショナル」を経営。
[BILLION]ブランドの名で主に冷却系パーツを中心に展開しています。

余談ですが、私が以前に乗っていたロードスターはBILLIONの「サーモバンテージ」「ラジエターホース」「ジョイント」を使用していました。
性能は抜群ですっ!!

2006年11月26日のトヨタモータースポーツフェスティバル(TMFS)が引退イベントとなりました。

本日紹介するEBBRO1/43ミニカー「RYOZANPAKU apr MR-S スーパーGT2006」です。

以前紹介したマシーンとは同じように見えますが、殆ど別物と言えます。
大きく違いが出ているのがフェンダー形状です。
GT500クラスのトレンドが盛り込まれたデザインになっています。
細部の違いを探すと、近年GTマシーンの進化のスピードを感じる事が出来るのでは?

製品版

2007-01-23 13:44:05 | EBBRO・エブロ
本日紹介するEBBRO1/43ミニカー「Mobil 1 TOYOTA Team LeMans」。

試作モデルは以前レポートしたように「アルミニウムステッカー」と呼ばれるモノを使用。
メタルステッカーを多用した、カラフルなレーシングカーを再現しようとしていました。

一昨年EBBROは「G`zoxハセミZ」で「アルミニウムステッカー」に果敢に挑戦。
・・・しかし、結果は「破れ」「シワ」がひどくリタッチ痕のヒドイ個体ばかりが店頭に並ぶ事となりました。
当然在庫の山となり、叩き売られているのをよく見かけます。

そんな暗い過去を他所に、今年の「Mobil 1 TOYOTA Team LeMans」には「アルミニウムステッカー」が使用されていました。
テストショットを見る限りは・・・・・・また?でした。
「シワ」がヒドク、ガッカリなモノでした。

製品版での改善に期待をし、発売を待つも・・・
延期に次ぐ、延期でした。
そんな時、先日行われた「タミヤショー」で突然「ALUMINUM STICKER SAMPLE」として限定販売。

たちまちオークションで高騰しました。

正式販売版ではロゴは「タンポ印刷」に改められることが決まり、発売が待たれていました。
そして先日、遂に店頭に並びました。
ディテールは・・・

・・・正直、アルミステッカーのままで問題なかったのでは?と、思えます。
トヨタの承認が降りなかったらしいのですが。
しかし、思いがけないバリエーションとなりました。

ピンポイントで比較すると・・・

・・・アルミニウムステッカーでよかった気がしなくもないですが。

そんな折、今月末の行われるイベントでサンプルモデルの大量販売が!?
レポートをお楽しみに。

1ポイント・・・

2007-01-22 10:34:47 | EBBRO・エブロ
「国さん」こと、高橋国光氏の率いる「チーム国光」。
GTには初年度の1994年より参戦しています。
参戦12年目の今年は、エースにセバスチャン・フィリップ選手。
セカンドに期待の若手。GT500ルーキーの細川慎弥選手。
この布陣での参戦となりました。
マシーンカラーは昨年までのパールホワイトから、メタルシルバーへとカラーチェンジ!!
とても印象深いマシーンとなりました。
本日紹介するのはEBBRO1/43ミニカー「RAYBRIG NSX スーパーGT2006」です。

心機一転の今期。
開幕戦 鈴鹿7位
第二戦 岡山2位
第三戦 痛恨のリタイヤ
第四戦 セパン4位
第五戦 菅生11位
第六戦 鈴鹿1000km9位
第七戦 本田の御膝元、もてぎ見事優勝!!
第八戦 オートポリス3位
と、後半戦は細川選手の成長もあり好調でした。

そしてランキングトップ。
2位と14ポイント差と優位の中、迎えた最終戦富士。

ウェイトとNAには不利な高地富士の関係か大苦戦。
結果はノーポイントの13位。

トムスチームに逆転チャンピオンを許してしまいました・・・
第三戦の灰色裁定がなければ・・・
チャンピオンはホンダ陣営のモノとなっていたでしょう。

細川選手が「経験」というレベルアップを果たす今期。
来年はホンダのサテライトチームながら、エースとしても期待できそうです。

オートサロンにいてきたよ~ 2007 報告

2007-01-19 13:57:20 | L オートサロン
オートサロン2007!

そんなこんなで、関係者パスで入場できたわけですが・・・

特に興味を引かれるマシーンもなく・・・

限定ミニカーも特になく・・・

興奮MAX状態で乗り込んだだけに、ガッカリ感も倍でした。
そんな中、RE雨宮が来期はTOYOタイヤでD1参戦を発表。
ポルシェ顔のイケてるFDもお披露目となりました。

・・・が、人が多くマシーンは撮影できなかったので仕方なく、断腸の思いでおねいさんを撮影しました。


言い訳はこのぐらいでいいでしょうか?

今日、この日・・・

2007-01-17 10:09:45 | Weblog
今年もこの日となりました・・・

-1月17日-
みなさんは今日、この日が何の日かご存知でしょうか。
大きな被害をもたらした「阪神大震災が起こった日」と答える人がほとんどでしょう。

-1971年1月17日-
この日、生を受けたひとりの世界チャンピオンがいます。
「リチャード・バーンズ」

彼はレディングのロイヤル・バークシャー病院で生まれました。
8歳になると家の近くの野原で、父親の古いトライアンフ2000を運転し始めたそうです。
彼は11歳で17歳以下の自動車クラブに加わり、1984年にドライバーとなりました。

1986年に彼の父親はニュートンの近くにあるジャン・チャーチルズ・ウェルシュ・フォレスト・ラリースクールに彼を入校させました。彼はそこでフォード・エスコートを運転しました。その後は故郷レディングのクラヴェン・モータークラブに加入し、デヴィッド・ウィリアムズの支援を受け、イギリス国内選手権に参戦しました。

1990年にデヴィッド・ウィリアムズからプジョー・205GTIを与えられ、彼はプジョー・チャレンジに参戦。見事シリーズチャンピオンに輝き、グレートブリテン・ラリーでWRCデビューを果たしました。
翌年はイギリス・プジョーのワークスドライバーに抜擢。1992年まで同チームに在籍しました。

1993年に彼はスバル・プロドライブに加わり、ボクスホールを駆るアリスター・マクレーとイギリス国内選手権を争い、史上最年少チャンピオンとなりました。

1996年に三菱に移籍。1998年のサファリ・ラリーで悲願のWRC初優勝を達成。
1999年にはスバルに復帰。2001年ニュージーランド・ラリーでの一勝のみであったが、彼は同年の世界チャンピオンとなりました。

そして2002年はプジョーに移籍。

運命の2003年11月。
彼はグレートブリテン・ラリーに参加のため、マルコ・マルティンとともにカーディフに向かう途中の車内で突然失神。検査の結果脳腫瘍が発見されました。
2004年シーズン、スバルへ復帰する予定となっていたが病気治療のため静養。
実質的な引退となっていたが2005年11月25日にこの脳腫瘍のため死去。享年34。

病に倒れることが無ければ、今日この日、36歳の誕生日を迎えるはずでした。

バーンズ選手を忘れないように、毎年「今日、この日」を続けていきます・・・