K-CUSTOM~「EBBRO-エブロ・hpi」ミニカーマニアでいこう!~

EBBRO-エブロ・hpiのミニカー紹介、愛車にまつわるエトセトラ
クルマ、バイク、チャリ。ヒトと同じじゃつまらナイ!

リトラパンダ

2006-10-02 19:17:45 | ChoroQ・チョロQ
1987年、レビン・トレノが「AE92型」へとモデルチェンジ。
駆動方式が前輪駆動(FF)に変更された以降は、ハチロクは国産車として希少となり、軽量後輪駆動車(FR)ということでその存在が見直されました。
皮肉にも発売当時以上に車好きの間で注目される事となりました。

人気プロレーシングドライバーの土屋圭市氏は、立身出世の相棒としてデビュー当時から現在に至るまで乗り続けたことでも注目を集めるようになりました。
特に峠の走り屋には、土屋圭市氏(ドリキン)=ドリフト=FRのハチロクというように絶大な人気を得ました。

1990年代半、漫画「頭文字D」の主人公の愛車ということで、元々の車好き以外にも注目を浴びました。
以来、中古車市場でも異常なほどの高値安定を示し、アメリカなどから左ハンドル仕様を逆輸入して販売する業者も現れました。
絶版直後ならいざ知らず、絶版から20年近く経った現在。
その経年状態と性能に見合わない価格で購入していくのは、走り屋よりも「頭文字D」に憧れた者ばかりとさえ言われています。
その為か、「ハチロク専門店」も多く存在するほどです。

ちなみに、同年式のレビン・トレノの3A-U型1500ccSOHCエンジン搭載車はその形式名(AE85)から「ハチゴー」と呼ばれています。
が、そのエンジンゆえにハチロクほど人気はありません。
しかし、一部ではその不人気さゆえの低価格でハチロクより程度のいいボディーが手に入ると言う理由で、マニアがエンジン載せ換えやフレーム加工などの大規模な改造を施す時のベース車として使われる事が稀にあるようです。

余談ですが、当時トヨタ社と提携関係の有った英国ロータス社の「エスプリ」に、このAE86(前期型レビン)のテールランプが使用されていました。
本日紹介するのはチョロQ「STDシリーズ94 トヨタ スプリンタートレノ(AE86)」です。

こちらも人気の白/黒カラーを再現しています。
以前あったSTD「トレノ」とは全くの別金型になっています。
ボディデザインはリアルディフォルメ志向を追及した形状になっています。
フロントバンパー形状などは、かなり細かいディテールになっています。
通常のモーターより走行速度の速い「スピードエンジン」を搭載しています。

パンダコパンダ

2006-09-29 15:59:48 | ChoroQ・チョロQ
1987年、レビン・トレノが「AE92型」へとモデルチェンジ。
駆動方式が前輪駆動(FF)に変更された以降は、ハチロクは国産車として希少となり、軽量後輪駆動車(FR)ということでその存在が見直されました。
皮肉にも発売当時以上に車好きの間で注目される事となりました。

人気プロレーシングドライバーの土屋圭市氏は、立身出世の相棒としてデビュー当時から現在に至るまで乗り続けたことでも注目を集めるようになりました。
特に峠の走り屋には、土屋圭市氏(ドリキン)=ドリフト=FRのハチロクというように絶大な人気を得ました。

1990年代半、漫画「頭文字D」の主人公の愛車ということで、元々の車好き以外にも注目を浴びました。
以来、中古車市場でも異常なほどの高値安定を示し、アメリカなどから左ハンドル仕様を逆輸入して販売する業者も現れました。
絶版直後ならいざ知らず、絶版から20年近く経った現在。
その経年状態と性能に見合わない価格で購入していくのは、走り屋よりも「頭文字D」に憧れた者ばかりとさえ言われています。
その為か、「ハチロク専門店」も多く存在するほどです。

ちなみに、同年式のレビン・トレノの3A-U型1500ccSOHCエンジン搭載車はその形式名(AE85)から「ハチゴー」と呼ばれています。
が、そのエンジンゆえにハチロクほど人気はありません。
しかし、一部ではその不人気さゆえの低価格でハチロクより程度のいいボディーが手に入ると言う理由で、マニアがエンジン載せ換えやフレーム加工などの大規模な改造を施す時のベース車として使われる事が稀にあるようです。

余談ですが、当時トヨタ社と提携関係の有った英国ロータス社の「エスプリ」に、このAE86(前期型レビン)のテールランプが使用されていました。
本日紹介するのはチョロQ「20世紀名車復刻 86トレノ1600GT」です。

販売店限定で生産されたモデルです。
人気の白/黒カラーを見事に再現しています。
全体的にシャープなデザインとなっています。
ドアミラーが別パーツで再現されるなど、このサイズでの再現度としては高いと思います。BOX仕様で特別感もUPしています。

苦戦も覚悟の上

2005-12-31 20:26:08 | ChoroQ・チョロQ
プロドリフト選手権。
「D1グランプリ」
シリーズが始まったのは2001年。
全てが手探りの中から始まりました。
初年度は個人所有のチューニングカーでの参戦がメインでした。
そんな中、いち早くメーカーワークスとして参戦した「HKS」
それに続く形で参戦してきたのが「BLITZ」でした。
本日紹介するのはチョロQ「BLITZ SKYLINE ER34 D1 SPL 2004年」です。

D1参戦初年度から、4ドアのスカイラインにこだわって参戦を続けるブリッツ。
だが、重いボディと長いホイールベースどのドリフトは明らかに不利。
「のむけん」の愛称で、絶大な人気を誇る野村謙選手のドライビングテクニックをもってしても公式戦では優勝までたどりつけませんでした。
そこで、ドライバーである野村選手からのリクエストに応えポテンシャルアップを図ったのが、この2004年用のニューマシンである。
野村選手からの要望はふたつ。
「車重を軽くしてほしい」「加速特性を向上させてほしい」
でした。

その要望に応えるべく、ボディはロールバーとセットで軽量化が考えられました。不要な部分を切り離し、ロールバーとスポット増しで補強することによって、剛性を上げつつ重量を抑えることに成功しました。
その結果、2003モデルよりも150kg、ノーマルよりも250kgの軽量化を実現しました。
一方で軽量化をするとリヤが軽くなりがちですが、そのアンバランスを改善するためにトランク内の一番後ろに安全タンクを搭載しています。しかも、60Lという大容量タイプを採用することで、燃料の増減によっても重量バランスを調整できるようにしています。

もうひとつの改善点が低速域のパワー特性の向上です。
まず、6連スロットルの採用とインタークーラーのパイピングを短くすることでレスポンスの向上を図っています。さらに、排気量アップも図り全域でのパワー向上を果たしています。また、タービンのエキゾーストハウジングを変更することでも低速トルクを調整しています。

お台場でのエキシビションでは車両展示のみで走行は行われませんでした。実戦投入はSUGOでの第2戦。
エキシビションでは2003モデルで優勝を果たすことができたブリッツ&のむけん。その勢いを持続させ、第3戦エビスラウンドで涙の公式戦初優勝を果たしました。それを記念するマシーンでもあります。

挑戦の果て

2005-12-26 23:12:27 | ChoroQ・チョロQ
プロドリフト選手権。
「D1グランプリ」
シリーズが始まったのは2001年。
全てが手探りの中から始まりました。
初年度は個人所有のチューニングカーでの参戦がメインでした。
そんな中、いち早くメーカーワークスとして参戦した「HKS」
本日紹介するのはチョロQ「HKS GENKI RACING PERFOMER IS220R」です。

2004年第6戦、HKSはシルビアからアルテッツァ(IS220)にマシンチェンジを敢行しました。
そのシーズン、HKSシルビア&谷口選手は第5戦まで全戦でポイントを獲得し、ランキングトップを走ってきました。

アルテッツァといえば、2002年にはアペックスチーム&今村選手が大苦戦の末、マシーンチェンジを余儀なくした決してドリフト向きの車種とは言えません。
HKSは新車で買えるコンパクトな4気筒のFR車として、近年アルテッツァのチューニングに力を入れています。アルテッツァはアメリカを始めアジア諸国でも売っている車種であり、HKSとしてもターボキットを設定しておりエンジンパーツ・エアロパーツを販売している車両です。そのアルテッツァでD1を戦いたかったのでした。

アルテッツァのD1への投入計画は、実は2004年初頭からありました。
HKSのオイルシリーズが一新されるタイミングに合わせて、D1にもアルテッツァを投入したい考えがありました。そのためアルテッツァのカラーリングは、オイルシリーズのイメージカラーとなっています。
もちろん、2002年のアペックスの失敗を見ているため、各部の弱点の克服は試みています。まず大パワーに耐えられないノーマルミッションは、オリジナルのドグミッションに交換されています。スロットルもトラクションコントロール用の電子制御スロットルを取り外しています。
また、コーナリング中に好ましくない動きをするリヤのサスペンションは、アームをイケヤフォーミュラと共同開発したモノや、オリジナルのモノに交換して改善を試みています。

しかし、そのいっぽうでこのアルテッツァは、ユーザーに近い仕様で戦いたいというコンセプトによりシルビアのような大幅なボディ加工は行われていません。
また、ワンオフスペシャルパーツの採用も極力抑えています。
そのせいか、従来のシルビアに比べて戦闘力ダウンした感は否めませんでした。

アルテッツァでD1を戦うという試みは、果敢な挑戦として称賛されるべきことだと思います。
しかし、アルテッツァを投入した以上HKSはトップレベルのシルビアと互角に戦えるアルテッツァを作り上げて、ドリフトマシンに新たな可能性を切り開いてほしいです。
それはある意味、HKSチームの義務であるとも言えます。

このモデルはそんな複雑且つ、カラフルなHKSカラーをとても精密に再現しています。
アルテッツァのチョロQは現在特注品しか存在していませんが、プロポーションも良好です。D1チョロQのコレクションには欠かせない一台でしょう。

訪れなかった蜜月

2005-12-01 21:50:24 | ChoroQ・チョロQ
2001年のWRCチャンピオン、リチャード・バーンズ選手が長い闘病生活の末、11月25日、34歳という若さで亡くなりました。ミツビシ、スバル、プジョーで活躍したバーンズ選手でしたが、タイトル争いの最中の2003年の最終戦、ウェールズ・ラリーGBに向かう途中で脳腫瘍による発作が起き、ラリーを欠場しその後は病気治療に専念していました。
ラリー界を席巻したバーンズ選手の活躍を、ミニカーで振り返りたいと思います。

今回紹介するのはチョロQ「超リアルチョロQ スバルインプレッサ2004」です。
バーンズ選手はWRC104戦に出場、10勝を挙げ、2001年にはついにチャンピオンを獲得。

2002年よりプジョーチームへ移籍。
チャンピオン争いには絡んでいたものの2002年、2003年共に未勝利に終わりましたが、翌2004年は古巣のスバルチームに復帰することが発表されていました。

しかし、ご存知の通り2003年最終戦を前に発病。
スバルチームはバーズ選手に敬意を表し「復帰できる時までシートをあけておく。」とコメントしました。
残念なことに、バーンズ選手はとうとう再びインプレッサをドライブすることはありませんでした。
ソルベルグ選手とのツートップ。考えただけでも鳥肌モノでしたが・・・
運命はあまりにも過酷でした。

正確にはバーンズ選手がドライブすることはありませんでしたが、どうしても紹介したかった為本日の一台を選出しました。

世界の頂点へ

2005-11-30 22:33:24 | ChoroQ・チョロQ
2001年のWRCチャンピオン、リチャード・バーンズ選手が長い闘病生活の末、11月25日、34歳という若さで亡くなりました。ミツビシ、スバル、プジョーで活躍したバーンズ選手でしたが、タイトル争いの最中の2003年の最終戦、ウェールズ・ラリーGBに向かう途中で脳腫瘍による発作が起き、ラリーを欠場しその後は病気治療に専念していました。
ラリー界を席巻したバーンズ選手の活躍を、ミニカーで振り返りたいと思います。

今回紹介するのはチョロQ「チョロQ大図鑑シリーズ 国際ラリーへの挑戦 スバル編」です。
バーンズ選手はWRC104戦に出場、10勝を挙げ、2001年にはついにチャンピオンを獲得しました!!

このモデルは世界チャンピオンに輝いた2001年のマシーンです。
第十戦ニュージーランドで勝利を収めました。
その他のラウンドでもコンスタントに表彰台を獲得。
44ポイントを獲得しチャンピオンを獲得しました。

実車では不人気だった「丸目」インプレッサ。
バーンズ選手のタイトルマシーンとして永遠のメモリアルモデルとなってしまいました。

輝きの記憶

2005-11-29 22:54:42 | ChoroQ・チョロQ
2001年のWRCチャンピオン、リチャード・バーンズ選手が長い闘病生活の末、11月25日、34歳という若さで亡くなりました。ミツビシ、スバル、プジョーで活躍したバーンズ選手でしたが、タイトル争いの最中の2003年の最終戦、ウェールズ・ラリーGBに向かう途中で脳腫瘍による発作が起き、ラリーを欠場しその後は病気治療に専念していました。
ラリー界を席巻したバーンズ選手の活躍を、ミニカーで振り返りたいと思います。

今回紹介するのはチョロQ「超リアルチョロQNo.10スバルインプレッサ」です。
バーンズ選手はWRC104戦に出場、10勝を挙げました。
2000年は選手権2位に、そして2001年にはチャンピオンを獲得!!

このモデルは見事選手権2位になった2000年のマシーンです。
第三戦サファリ、第四戦ポルトガル、第六戦アルゼンチン、最終戦イングランドで勝利を収めました。
惜しくも5ポイント差でチャンピオンは採り逃しましたが、バーンズ選手の生涯優勝数の約半分をこのマシーンで挙げました。

市販車でも「22B」と言う限定車が発売されるなど、スバリストにも印象深いマシーンだと思います。

コレクションは「急がば回れ」

2005-10-14 08:38:08 | ChoroQ・チョロQ
ワンメイクレース、ラリー、ダートラなどモータースポーツベース車として、人気のスイフトがモデルチェンジされました。全ての部品が新設計され、スポーツ性が著しく高められました。サスペンションフレームや、L字型ロワアーム、トーションビーム式リヤサスペンションなど、数々のスポーツシャーシ機構が採用され、抜群の操縦安定性を実現しました。
パリショーでは新型スイフトベースのJWRCマシンが発表されました。

今回紹介するのは、先日開催されたラリージャパンにも参戦した「SWIFT Super1600 2005年 JWRC参戦モデル」です。10月発売の「STD60 スイフト」に先駆けての登場です。一見同じに見えますがボンネット・フロントバンパー形状、リヤウイングなどが異なります。おそらく別金型と思われます。マーキングも細かくカッコいいです。

ちなみにこのモデル登場当初は「成約記念の非売品」との情報が流れ、オークションでは軒並み高値で落札されました。しかし、その後「純正グッズ」として発売されていることが判明。スタートダッシュを決めてしまった人は泣く結果になりました。
まさに「急がば回れ」情報は自分の足で確かめるべきですね。

その日、その時、その時代

2005-10-12 01:56:15 | ChoroQ・チョロQ
先日、Mr.CRAFTが30周年を迎えました。今回紹介するのは、それを記念して製作された「ホンダT360」のチョロQです。キャンペーン期間内に一定金額以上の買い物をすると貰うことができました。
シリーズ企画で発売されているT360は、荷台部分にユニークなフィギアが乗っていますがこのモデルはチョロQ単体で仕上げられています。
細かい部分にまで精密にペイントされ、配布品とは思えない仕上がりです。
私の生まれるずいぶん前のことですから、30年という時間には驚かされます。

そこで30年前にはどのようなことがあったのかを調べてみました。

1975年の主な出来事
2月11日 マーガレット・サッチャーがイギリス保守党の党首に。イギリス初の女性党首
3月10日 山陽新幹線・岡山~博多が延伸開業し、東京~博多が全通。所要時間7時間
4月30日 南ベトナムの首都サイゴンが陥落し、ドンバンミン大統領が無条件降伏を発表。ベトナム戦争が終結
10月15日 広島東洋カープがリーグ初優勝。球団創設から26年目
12月10日 1968年に発生した「三億円事件」の時効が成立
12月25日 子門真人の『およげ!たいやきくん』発売。442万枚の空前のヒットに

1975年のF1
ドライバーズチャンピオン ニキ・ラウダ
コンストラクターズチャンピオン フェラーリ

1975年生まれの有名人
3月10日
山田花子(芸人)
6月5日
波田陽区(お笑い芸人)
6月30日
ラルフ・シューマッハ(F1ドライバー)
9月6日
谷亮子(柔道選手)

と、歴史上大きな出来事がいろいろありました。
40周年、50周年を迎えたとき、時代はどうなっているのでしょうか。
そのときの企画にも期待です!!先は長いですけど・・・・

HKSの「黒い箱」

2005-10-04 23:07:39 | ChoroQ・チョロQ
HKSが筑波サーキットで行われるスーパーラップに挑戦する為に開発したスーパーチューニングカー。
その名は「HKSランサーエボリューションⅧ TRB-02」
ちなみにTRB(=Tsukuba Record Breaker)です。
ベースにはランエボⅦを使用し、全身はカーボンのエアロパーツで覆われた究極のマシーン。なんと、これでもHKSサイドに言わせればそんなにすごいクルマではないとのこと。
2004年に筑波サーキットで54秒台という驚異的なタイムを記録した後、大クラッシュ!!
現在は修理されイベントに登場しています。

そんなTRB-02がチョロQで製品化されました。
しかし、この商品は一般市販されていません。
入手方法としては、HKSのイベントにて車高調などを購入した方への成約特典として配布さました。
そのため興味のない方へも配布されているものも多く、玩具としての本来の使命を果してしまった物もあるでしょう。
手元にある方はぜひ、大切にしてください。

チョロQという小さい車体ながらその特徴をとてもよく表現していると思います。細かいロゴもタンポ印刷でキレイにペイントされています。
ランエボ乗りにはたまらない逸品です。