今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

金勝山 浄厳院(滋賀県近江八幡市安土町慈恩寺)

2019年07月10日 | 神社・仏閣
金勝山 浄厳院(滋賀県近江八幡市安土町慈恩寺)
浄土宗の寺院。正式には、金勝山慈恩寺浄厳院(じょうごんいん)
寺の建物は見えるがカーナビの案内する道には私の車では通ることができない。苦労しながらやっとたどり着いた



この寺院を選択した理由は重文の建築物があるということだが、それ以外の知識はない
織田信長が建立したことも知らなかった。途中、安土城跡前を通り、この場所からも見える。なるほどという感じである



山門



鐘楼(安土町指定文化財)
江戸時代中期、寛保2年に建てられたもの。袴腰付の大型鐘楼



観音堂



茶所



釈迦堂



「釈迦堂」の扁額



不動堂(安土町指定文化財)



楼門(重要文化財)
天文年間(1532~55年)に慈恩寺の楼門として創建されたものを、浄厳院の楼門として遺された



三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺



仁王像












本堂(重要文化財)
室町時代後期。入母屋造本瓦葺き。正面7間、側面6間(「間」は柱間の数)



信長は創建にあたり、本堂を「興隆寺の弥勒堂」から、本尊の「木造阿弥陀如来坐像(重文)」を「二階堂」から移したと伝えられている



扁額には寺号の「浄厳院」



天正7年(1579年)、浄土宗と法華宗との論争「安土宗論」が行われた場所









庫裏



撮影 令和元年5月19日
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御都繖山  石馬寺(滋賀県東近江市五個荘石馬寺町)

2019年07月09日 | 神社・仏閣
御都繖山(ぎょとさんざん) 石馬寺
伝承によると、1400年前に霊地を探していた聖徳太子が当地を訪れ、繖山の山麓に馬をつなぎ山上に登った
山の霊異に深く感動して戻ってくると、馬は石と化して池に沈んでいた
これを瑞相と捉えた太子は、山を御都繖山と名付け、この地に寺院を建立し、石馬寺と号したという



初めて訪れる寺院で勝手がわからず周辺を歩くと石段が見えた
「ようこそ石馬寺へ」の案内板がある。歓迎されているようだ



張り切って上り始めたが、すぐに息切れしてしまう
呼吸を整えるため、石段とその周囲の景色を撮る



何かが見えたので着いたのかと思ったら違った。ここから右側に進むと「石馬寺」、左は「六所神社」



「石馬寺」と彫られた石碑。ここから先も石段が続く…



鐘楼
写真左の階段を上りきった左側に鐘楼がある



一打撞くことができるというので心をこめて撞いてみた。余韻の残るいい音がした



近江商人 中村治兵衛供養塔
「三方よし」(売り手よし・買い手よし・世間よし)の家訓を残した



本堂
永禄11年(1568年)、織田信長の上洛に抵抗した佐々木承禎との戦いによる戦禍を受け、伽藍や院坊のことごとくが兵火に遭い焼失



豊臣秀吉が天下を取ると寺領及び山林を没収され、山主や僧徒は退散を命じられた
慶長8年(1603年)、徳川家康により『石馬寺』が復興という歴史をもつ



不動堂






不動堂内部



英霊塔



石馬のお不動さん



不動像といえば恐ろしいというイメージがあるが……



「平等利益」と刻まれている



美しい観音像






宝物殿
扉が開かれ館内に入った瞬間「おぅ」と声が出てしまった。重要文化財に指定されている仏像が1体安置されている
ガラスケースなどの障害物もなく間近で拝観できるのもいい。印象に残っているのは重文の「木造役行者」



境内の建物が修復中



本堂内部に案内された。撮影が許可されている



本尊は「十一面千手観世音菩薩立像」(秘仏で一代の住職が生涯一度だけ御開帳)



雲居(うんご)国師像(重要寺宝)



大日如来像(重要寺宝)



聖徳上宮太子像(重要寺宝)



扁額「石馬寺」
「傳 聖徳太子筆」の扁額



境内の「石馬寺」と記されている扁額・石碑の文字は同じ字体になっている






注意深く石段を下りるが、途中足を滑らし軽い捻挫をしてしまった
思い当たる事がある。魅力に負け撮影禁止の仏像を撮ったのだ。悪いことはできないものだ



撮影 令和元年5月19日
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祥壽山 清涼寺(滋賀県彦根市古沢町)

2019年07月08日 | 神社・仏閣
祥壽山 清涼寺
「龍潭寺」の側にあり、井伊家菩提寺と石柱に彫られていたので立ち寄ってみた
彦根藩祖 井伊直政の発願により創建された曹洞宗寺院。かつては奥の山に佐和山城があり、その麓にある



山門
「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城」と云われたが、その島左近の屋敷跡になる



山門右



山門左






客殿
境内の中では一番大きく立派な建物で本堂だと思ってしまった



本堂
非公開だが、寺宝には歴代藩主の画像や狩野元信らの名画があるという



清涼寺には七不思議というのがあるという。
1 左近の南天 2 壁の月 3 唸り門 4 洗濯井戸 5 佐和山の黒雲 6 木娘 7 血の池



史跡 井伊家墓所






一番高い場所にある無縫塔。誰の墓なのかはまったくわからない






座禅所



撮影 令和元年5月18日
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弘徳山 龍潭寺(滋賀県彦根市古沢町)

2019年07月07日 | 神社・仏閣
弘徳山 龍潭寺
臨済宗妙心寺派の寺院。天平5年(733年)遠江国引佐郡(静岡県浜松市)に行基によって開かれた
平安時代中期に井伊共保がここで葬られたことから、井伊氏の菩提寺となった



2017年大河ドラマ「おんな城主 直虎」放映時に静岡県の龍潭寺を訪ねると驚くほどの参拝者の数だった
ほとぼりの冷めた頃合いだと思い、彦根にある龍潭寺を訪ねることにした



山門
緑に囲まれた参道を歩くと山門の姿が視界に入ってくる



左手の開いている所から中に入る



鐘楼



この大きな建物の入口が受付所になっている。見事に整理が行き届いた庭には感心する



初めて訪れる寺で予備知識もないので順路に従って写真を撮っていく
最初に迎えてくれたのは、小さなこの仏様



桜の図(桃山時代)



佐和山城 石田三成屋敷にあったものと伝えられている






先へ進む






古い時代に描かれた絵が好きなもので、つい枚数が多くなる









森川許六筆「獅子の間」



「唐獅子図」






枯山水「ふだらくの庭」
方丈南庭にある。開山旲天和尚作の枯山水の名庭。写真右の大きな石は観音様の立姿を表現している。



森川許六筆「西湖の間」









絵馬祈祷
絵馬は屋外というイメージがあったが、方丈前に置かれている。絵柄はだるまと七福神






森川許六筆「鶴の間」






「松竹梅鶴図」



廊下を先に進む



「だるま寺」とも呼ばれている。












肖像画
彦根城主初代 井伊直政(左)、二代 井伊直孝(右)



石田三成 肖像画



森川許六筆「群仙の間」












特別公開「飄々庵」
大老 井伊直弼ゆかりの茶室



小堀遠州や井伊直弼などが茶を楽しんでいたという



書院






借景式「蓬莱池泉庭」(彦根市指定文化財)
書院東庭。開山旲天和尚と小堀遠州の合作の名庭。「庭の寺」とも呼ばれている



先に進む






龍潭晩鐘
佐和山城にあった陣鐘を拝領したもの。彦根十景の一



大洞観音堂



石造り七福神



石田三成像






佐和山観音
かつての敵だった石田三成を供養しているところが日本人的で好きなところだ






撮影 令和元年5月18日
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唐喜山 赤後寺(滋賀県長浜市高月町唐川)

2019年07月05日 | 神社・仏閣
唐喜山 赤後寺(しゃくごじ)
出発前に、道の駅の駐車場で車中泊をしていた風景写真家との話しが弾み、貴重な話しを聞くことができた

この日、最初に訪れた「西野薬師堂」も住職不在の寺で管理する住民の姿もなく仏像拝観を断念。次に、ナビを「赤後寺」に設定した
「日吉神社」と書かれた鳥居を見て「間違ったかな」と不安になったが、左横にある「赤後寺」と彫られた石柱を見て一安心した



手水舎
「ご本尊を拝観なされます方はご連絡下さい」の案内があり早速連絡を取る



枕石
賤ヶ岳の合戦の時、村人は観音様を背負って、赤川という川に観音様を沈めて守った
この石は、川に沈める際に仏像の枕に使ったと云われている



鐘楼



本殿
この堂内に「聖観音立像」「千手観音立像」の2軀(重要文化財)が安置されている
像高180cm 檜一本造り木心乾漆風技法の彫造である



今から1200年前平安初期の作と云われ秘仏として公開禁制を守ってきた



昭和44年国の重要文化財の指定を受け千年の禁制を解き帳扉を開いた



厄を転じて利となす「転利(コロリ)観音」として親しまれている



厨子
この日の担当者からこれまで記載した内容についての説明を受ける
堂内は仏像以外は撮影できるということなので、開扉前に立派な厨子を撮らせてもらう



この厨子内の秘仏、年に一度村人にだけ開扉していたという



曳馬図
寛文12年(1672年)8月吉日奉納












偶然、厨子内の千手観音立像(重文)が入ってしまった
手が欠損しているのは仏像を護るため赤川に沈めた際に流されたという



撮影 令和元年5月18日
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渡岸寺観音堂(滋賀県長浜市高月町渡岸寺)

2019年07月04日 | 神社・仏閣
渡岸寺観音堂(向源寺)
日本で一番美しい十一面観音像が安置されている観音堂。今回が5度目の参拝になる
この寺院の魅力は観音像だけではない。仁王門前に斜めに伸びる木がそうなのだが、何とその木がなくなっている



仁王門
近くの家から出てきた女性に尋ねると、昨年の台風21号の影響で倒れた木が仁王門を損壊する恐れがあるということから切ったと知らされた
この時、私も旅行中だったが、この台風を避けるため航路を変更し、茨城県周辺に10日程滞在していた
このようなことが起こっていたとは全く知らなかった。残念というよりショックを受けた









姉川の戦いで近隣の堂宇民家が焼き払われていた
住僧巧圓は門信徒とともに観音像をはじめ多くの仏像をこの地に埋めて災禍を逃れた



その仏像が正面の本堂横にある観音堂に安置されている



本堂
渡岸寺観音堂と向源寺との関係について。渡岸寺観音堂の渡岸寺は地名で、住職不在だったため、地域住民が昔から観音像を護ってきた歴史を持つ
ところが十一面観音像が国宝に指定されたため、これまでの地域住民の管理が認められず向源寺に属することになった
現在も地域住民が受付や観音堂内での説明など実質的な運営をしている



写真右下が伐採された跡である



2年前に参拝したときの写真になる渡岸寺観音堂←クリック)

撮影 令和元年5月17日
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己高山 石道寺(滋賀県長浜市木之本町石道)

2019年07月03日 | 神社・仏閣
己高山 石道寺
滋賀県に入った。琵琶湖周辺の重要文化財の仏像を所有する寺院巡りをしようと考えた
最初に訪れたのは「石道寺(しゃくどうじ)」 真言宗の寺院である



住職不在の寺で、地区住民により管理されている
こういった事情により、寺によってはいつでも仏像が拝観できるわけではないようだ



この寺でも地域住民の負担が大きいということから、2020年からは日曜日のみの拝観になるという



本堂横に受付があり窓が開いていたので仏像拝観を申しこむ



担当の年輩の女性から心のこもった説明を受ける
決して流暢な説明でないのだが、不思議と耳に入ってくる



作家井上靖が、小説「星と祭」の中で堂内に安置されている「十一面観音像」の姿を村の若い娘に例えたことでも知られている
その小説を読んできたという参拝者も昔はいたという



その小説を読んではいないが、例えられた村の若い娘はきっと「美人だった」と思う
それほど「十一面観音像」の姿は美しい



撮影 令和元年5月17日
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両界山 横蔵寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲神原)

2019年07月02日 | 神社・仏閣
両界山 横蔵寺
天台宗寺院。重要文化財を含む多数の文化財を有し、「美濃の正倉院」とも呼ばれている
「華厳寺」参拝の後は、この横蔵寺を経由して滋賀県に入るというのが私のいつもの流れになっている

医王橋
紅葉の名所でもあり、秋の行楽シーズンには「横蔵寺もみじまつり」が開催される
この医王橋周辺の紅葉を写真で見たことがあるが、凄い風景に変わる



仁王門(岐阜県指定文化財)



檜皮葺の楼門、三間一戸。延宝3年(1675年)完成






高い場所から見ると2階部分に梵鐘があることがわかる



三重塔(岐阜県指定文化財)
階段下から塔を眺める



この塔は美しいのだが、塔全体を撮る場所が限られる



この寺院を訪れる楽しみの一つがこの塔でもある



本堂(岐阜県指定文化財)
檜皮葺の入母屋造である。寛文11年(1671年)完成



観音堂



境内を歩いていると水が流れている音が心地よく耳に入ってくる



舎利堂
妙心法師(横蔵出身)の舎利仏(即身仏)が祀られている。 「ミイラ寺」としても有名



瑠璃殿(宝物殿)
今回、この寺院を訪れたのは、日本で4体しかないという重要文化財の「木造深沙大将立像」を観るためだ。
深沙大将のモデルは西遊記の沙悟浄だという。



「美濃の正倉院」といわれるこの収蔵庫には22体の重要文化財の仏像が安置されている



来た道を戻るが本堂は帰り道から撮った方が美しく感じる






訪れるたびに木々の枝が伸びてきているような感じがする



撮影 令和元年5月17日
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谷汲山 華厳寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積)

2019年07月01日 | 神社・仏閣
谷汲山 華厳寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積)
天台宗の寺院。延暦17年(798年)に創建、その山号と寺号は醍醐天皇より賜ったという名刹



百度石
この寺には数回訪れているのだが、ある仏像が安置されている場所がどうしても思い出せなかったので確認のために来た



手水屋
前回も同じような考えを持ってきたのだが、手水屋までに至る建築物や石仏などを撮っているうちに、すっかり忘れてしまった



帰宅し写真を整理していると、その仏像が写っているのだが、撮った事もその場所も、どうしても思い出せないのだ
階段を上りながら、その「仏像」の事を脳に刻み込む



階段下にある魅力的な仏像も…



石仏にも、あまり集中しないように心がける



本堂
西国三十三所第三十三番札所寺院では唯一、近畿地方以外にある、満願結願の寺院






扁額には、寺号の「華厳寺」 よく見ると額にも菊の御紋が彫られている



山号の「谷汲山」



本堂の仏様に手を合わせ、今回の目的であるある仏像探しに本堂左手の廊下から歩を進める



先ず廊下正面の…… 何とすぐに、その「探し物が見つかった」



全身にお経が書かれている、この仏像がその探し物だった



何故これまでわからなかったのだろうと考えた
この日は晴天で、日光が仏像を照らしていたため文字が光って見えたのだ



それと、井上陽水の「夢の中へ」の「探しものは何ですか、見つけにくいものですか…」の歌詞を頭の中で繰り返していた集中力のお蔭かもしれない(笑)
よく見ると私の大好きな「十一面観音像」だということもわかった



同じ廊下の壁にある「奉納額」



笈摺堂
花山法皇が禅衣(笈摺)、杖、及び三首の御詠歌を奉納したとされる



西国三十三所巡礼を終えた人々が奉納した笈摺、朱印帳等が置かれ、多数の千羽鶴が奉納されている
千羽鶴は折鶴(おりつる)が笈摺(おいづる)にちなむことから奉納される



子安観音堂
本尊は子安観音









子安観音堂横の社に安置されている仏像



本来の目的が達成されたので、あとは気軽な気持ちで本堂周辺を散策することにする



観音様に縋る老人の姿が悲しく映るが、他人事ではない年齢に近づいてきた






満願堂



本尊は十一面観世音菩薩。巡礼者はここで納め札を納める






周囲には「満願」の文字の刻まれた狸の石造が並ぶ












阿弥陀堂



本堂の真裏



再び本堂に戻る。本堂裏にある仏像と四天王






自分の体の悪い場所に札を貼ると改善されるらしい
数カ所貼りたい場所はあるのだが、信仰心がないので止めた
早い時間なのでこの程度だが、夜にはミイラ男になっている



本堂横の廊下に安置されている仏像









鐘堂









本堂には巡礼者の姿が絶えない



さて、ここからは石仏を中心に撮りながら駐車場まで戻る





















金剛力士像






仁王門
左手に駐車場があり、私の白い車が見える。参道下にも駐車場があり、商店街を歩くのも楽しいが私は楽を選ぶ



撮影 令和元年5月17日
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