清水は清水でも安来の清水寺。しかし、京都の清水寺よりも歴史は古い。
今日初めて訪ねることになるが、五木寛之氏が出演している百寺巡礼を数年前視聴したときに石垣の上に立つ三重塔が印象に残っている。

瑞光山 清水寺の歴史
厄払いの寺としてしたわれる清水寺は、用明天皇2年(587年)、尊隆上人によって開かれた観音霊場である。
開基以前のこと、山上に瑞光が現れ、その光明を因として山を瑞光山と号し、また水の清く霊なるをもって清水寺と名づくと伝えられる。
その後歳月を経て荒廃するするも中興開山盛縁上人が復興に尽くし、大同元年(806年)平城天皇の詔勅を受け七堂伽藍を完備する。
その後承和14年(847年)、唐からの帰路立ち寄った円仁(慈覚大師)により光明真言会が創められ、天台宗に帰依したという。
その後幾度かの火災と復興を経て、明徳4年(1393年)にほぼ現在の寺域が定まったが、戦国時代兵火に襲われ根本堂以外の建物は焼失した。
伽藍はその後毛利氏及び松平氏により復興され、加えて安政6年(1859年)には信徒の手により三重塔が建立され、現在の形となった。
大門


開山堂

根本堂(重要文化財)




毘沙門堂

鐘楼と聖観音


三重塔(島根県指定有形文化財)



弁財天堂

不動岩像

撮影 平成25年5月14日
今日初めて訪ねることになるが、五木寛之氏が出演している百寺巡礼を数年前視聴したときに石垣の上に立つ三重塔が印象に残っている。

瑞光山 清水寺の歴史
厄払いの寺としてしたわれる清水寺は、用明天皇2年(587年)、尊隆上人によって開かれた観音霊場である。
開基以前のこと、山上に瑞光が現れ、その光明を因として山を瑞光山と号し、また水の清く霊なるをもって清水寺と名づくと伝えられる。
その後歳月を経て荒廃するするも中興開山盛縁上人が復興に尽くし、大同元年(806年)平城天皇の詔勅を受け七堂伽藍を完備する。
その後承和14年(847年)、唐からの帰路立ち寄った円仁(慈覚大師)により光明真言会が創められ、天台宗に帰依したという。
その後幾度かの火災と復興を経て、明徳4年(1393年)にほぼ現在の寺域が定まったが、戦国時代兵火に襲われ根本堂以外の建物は焼失した。
伽藍はその後毛利氏及び松平氏により復興され、加えて安政6年(1859年)には信徒の手により三重塔が建立され、現在の形となった。
大門


開山堂

根本堂(重要文化財)






毘沙門堂

鐘楼と聖観音


三重塔(島根県指定有形文化財)



弁財天堂

不動岩像

撮影 平成25年5月14日
島根県には昨年は2度旅をして5日間ほど道の駅にて車中泊をしました。地元の方々は皆親切で歴史ある地域に誇りをもって生活をしていると強く感じています。
何かきっかけがあると、訪れやすいのでお薦めの所がありましたら教えてください。
三重塔は中海を展望でき日本の根本ともいえる十神山が見通せる優雅さは山陰屈指の名古刹となっている。
塔が大好きで建物ばかり見ていて、そこから見える景色には意識がいってなかったように思います。
訪れた曜日と時間との関係で拝観できない場所があり悔いが残っている寺の一つで、今度訪れた時には周辺の風景も楽しみたいと思います。
私の場合は五木寛之氏の「百寺巡礼」のDVDを視て訪れました。昨年、鳥取・島根県に入った時に立ち寄る事も考えていましたが、雨が降り続いていたこともあり、通過してしまいました。山陰の人は親切で気持ちがやすらぎ、毎年のように車旅で訪れています。今度は違った角度から写真を撮り公開していきますので、機会がありましたらご覧下さい。ありがとうございました。
根本堂の板絵は素晴らしいです。そしてどの写真も感動します。三重の塔の写し方は絶妙と思いました。
私がこうして2013年のものにコメントを入れるのは邪道かと思いますが、このブログが何とかベスト3に入らないかとキーボードを叩いています。無意味でしょうか。
それからブログ村のポイントですが、何度押していただいても加算されないようですので、お気持ちは大変有り難いのですが無理をされないで写真での旅をお楽しみください。