今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

浮浪山 一乗院 鰐淵寺(島根県出雲市別所町)

2019年12月04日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年5月26日

浮浪山 一乗院 鰐淵寺
平成26年10月に初めて訪れ、機会があったら再訪しようと思っていた魅力ある寺院だ
この場所は駐車場でしばらく歩くことになるが、二回目なので不安はない



昨夜は弁慶の生誕地である、道の駅「本庄」に車中泊した
3年間「鰐淵寺」で修行し、比叡山に登ったという



鳥のさえずりと水の流れる音が記憶に残っていたが……



仁王門
息が切れる頃に仁王門が見えてくる。注意書きの看板が目につく



「仁王像」 
いつものように格子の隙間にレンズを入れて、適当にシャッターを切る



私が考えて撮るより迫力ある画像になることが多い



案内板の内容に目を通すが、数メートル後には忘れてしまう



受付にて入山料を納める。滝の方を先に訪れることを住職に伝えて出発する
ずっと雨が降っていないので滝の水が涸れているかも知れないと言われた



確かに水量が少ない
以前訪れた時には石の上にも水が流れていて、どのように渡ったらいいか悩んだ記憶がある



滝までは案内板も全くない



自然の中をマイナスイオンを浴びながらのんびり歩く



山王七仏堂
息が切れ、動機が激しくなったころに、一風変わった建物が見えてくる



屋根や壁などは苔むしていて、周囲の自然環境に見事に調和している



この先は急に道が狭くなり注意が必要だ



このあたりが一番狭い場所で足を踏み外すと大事故に結びつく



あの建物が見えると目的の滝は近いが、足が先に進んでくれない



浮浪の滝と蔵王堂
住職に言われた通り、滝の水が涸れている
普段は水で見ることができない部分を見ることができることも貴重である



だが、滝の水と蔵王堂との感動的な景色を知っているだけに、物足りなさも感じる



そこで、H26年に訪れた時の写真を貼り付けることにした

浮浪の滝と蔵王堂」←クリック




「身体観世音菩薩」



小さな石仏2体が並んで置かれている



名残惜しいが戻ることにする



受付所に戻ると、住職から冷たいお茶をふるまっていただいた
この寺院の大きな魅力の一つに住職と会話ができることにある
ここからは各お堂巡りになる。杖を使いたいがカメラを持っているので我慢をする



お堂が見えてくるとほっとはするが、まだ先は長い






十王堂



内部の様子



根本堂
伝承では推古天皇2年(594年)、智春上人が「浮浪の滝」に祈って推古天皇の眼疾が平癒したことから、同天皇の勅願寺として建立されたという



伝承では円仁(慈覚大師)が出雲地方を訪れた際に、鰐淵寺は天台宗に転じたという



鐘楼
弁慶は仁平元年(1151年)松江に生まれ、18歳から3年間、鰐淵寺にて修行したとされる
その後、姫路の書写山圓教寺、比叡山と移り、更に源義経の家来となり義経に従い国内を転戦した
壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした後再び鰐淵寺に身を寄せ、この際多くの伝説・遺品を残した






銅鐘(重要文化財)
弁慶が大山寺から一夜で釣鐘を運んだとの伝説は広く世に知られている



その際に持ち帰ったとされる寿永2年の銘のある銅鐘は国の重要文化財に指定されている



釈迦堂



手水舎






常行堂と魔蛇羅神社



狛犬






根本堂から十王堂方向を眺める






住職に挨拶をして帰ろうとしたが参拝者と話をしていたので黙礼してその場を離れた
しばらくすると住職が受付所から出てこられ「ありがとうございました」声をかけられた



「吉三とお七の墓」
天和2年(1682)江戸本郷の火災の時、お七は若衆小野川吉三郎に出会い、激しい恋情を抱いた。お七は吉三郎が忘れられず、逢いたい一心で、天和3年放火・火刑となった
吉三郎はこれを憐れみ、出家して、お七の遺骨と供に全国の寺院を行脚、鰐淵寺で行き倒れになったと伝えられる



この2日前に訪れた美保関の「佛谷寺」にもお墓があったことを住職に伝え尋ねてみた
吉三郎は天台宗の寺院を行脚し、鰐淵寺に上記の記録が残っていると教えていただいた



この辺りには石仏が点在している









撮影 令和元年5月26日

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 醫王山 一畑寺<一畑薬師>... | トップ | 日御碕神社(島根県出雲市大... »

コメントを投稿

神社・仏閣」カテゴリの最新記事