今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

真山神社(秋田県男鹿市北浦字真山)

2016年06月17日 | 神社・仏閣
今から10年程前、男鹿真山伝承館(なまはげ館)を訪れた時に立ち寄ったことがある
その時は神社・仏閣に今ほど関心もなく、記憶も曖昧になっている

真山(しんざん)神社
12代、景行天皇の御世に、武内宿禰が男鹿島に立ち寄った際、男鹿半島の秀峰、湧出山に登った
武内宿禰が使命達成、国土安泰、武運長久を祈願するために、この地に瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)の二柱を祀ったことが始まりだといわれている
 
「鳥居」
道路上に鳥居がある。道路が狭いこともあり、車中から撮る



駐車場に車を駐め神社に向かう。最初に目に入った不思議な光景。仁王門が見える



「手水舎」



「神門(仁王門)」
貞観時代(859年~877年)、円仁により湧出山は二分され、北を真山、南を本山と称するようになった
それ以降修験の信仰が高まり、天台宗僧徒によって比叡山延暦寺守護神の赤山明神と習合された



「仁王像」
仁王門は江戸時代中期のもので別当であった光飯寺の山門であったものが明治時代より神社の神門となったもの



仁王像は網や柵にによって保護されているが、ここは上部が空いているため楽に撮ることができる



神門(仁王門)を越えると、眼前に石段が現れる



「丸木舟(えぐり舟)」
一本の木から作られる丸木舟は、壊れにくく、安定性にも優れていることから男鹿をはじめ、日本海沿岸各地で広く使われていた



受付横に置かれている「なまはげの面」を見て、記憶が甦ってきた



拝殿
早朝にきたため受付にも人がいなく、拝殿前を清掃している巫女の姿を思い出した



きちんとお詣りをしたが、何を祈願したかは覚えていない



明治維新後は神仏分離令によって元の神域に復し、名も赤神神社から真山神社と改められた



拝殿横に石段がある



石段の左右に置かれている「狛犬」






距離は短いが歩きにくい石段を進む



神社南側後方の小堂。神仏習合時代以来の別当「光飯寺」のご本尊が祀られている



薬師如来座像(秋田県指定有形文化財)
この像は南北朝時代の作と見られ、今日に至るまで篤く崇敬されている



堂内の「天井画」



堂内の様子



更に奥に進む。体重増加(肥満)による体力低下、息切れがひどく、途中何度か引き返そうと思った



真山神社五社殿・宮殿(秋田県指定有形文化財)
五社殿は、かつて五社堂と呼ばれ5つの社があったが、火災で焼失したため1社にまとめられたと伝えられる
木の隙間からお堂が見えたとき、安心と少しの感動が…。足下を照らす光が誘ってくれる



太陽光がお堂を神々しく映している



お堂内部は暗いのだが写真を見ると不思議なオーラが…



十分気をつけてはいたが足を滑らし捻挫し転倒してしまった。体よりカメラを守ったため打撲と擦過傷
足を引き摺りながら降りてくると、眼下にお堂が見える。記憶によると神輿が入っているはずだ



 


真山神社の御神輿(男鹿市指定文化財)
平成7年の神輿(左側)と江戸時代の正徳4年(1714年)に藩主、佐竹義格(よしただ)公により寄進された神輿



佐竹公寄進の神輿保存のため平成7年3月に作成された



男鹿市指定文化財の神輿



本社の特異神事として柴灯祭(せどまつり)がある
正月3日の夕刻境内に柴灯を焚き、この火によってあぶられた大餅をお山に鎮座する神に献じて、その年の村内安全、五穀豊穣、大漁満足、悪疫除去を祈る祭儀である
「なまはげ」はこの神の使者「神鬼」の化身と言われている



拝殿を後にしたときには捻挫と打撲の痛みも消えていた
休憩所で係の方(禰宜か)と話しをする機会を得、「なまはげ」について説明を受けた



撮影 平成28年5月14日

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