今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

聖寿山 崇福寺(長崎県長崎市鍛冶屋町)

2014年01月25日 | 神社・仏閣
長崎市に国宝の建築物が2つある。その一つが「崇福寺」
私が強く希望していたこともあり、他の4人も付いてきてくれた

崇福寺  
長崎市にある黄檗宗の寺院
寛永6年(1629年) 長崎で貿易を行っていた福建省出身の華僑の人々が、福州から超然を招聘して創建
中国様式の寺院としては日本最古のものである

三門(重要文化財)
しばしば竜宮城とたとえられることから、「竜宮門」と称される



中国の寺院であり、日本の山門とは趣が異なる



遠くから見るとより顕著である



第一峰門(国宝)
崇福寺第一峰門(そうふくじだいいつぽうもん)  四脚門、入母屋造、本瓦葺、寛永21年(1644)






近くに寄り見上げてみると、これまで見たことのない文様が



 


組み物「四手先三葉栱(よてさきさんようきょう)」と彩色が特異である



大雄宝殿(国宝)
1646年建立、桁行五間、梁間四間、二重、入母屋造、本瓦葺



定住した中国人が、先祖の菩提を弔ったり切支丹でないことを証明したりするところとして建立した



大雄宝殿内部 本尊釈迦像、脇侍の迦葉(かしょう)と阿難(あなん)、十八羅漢を祀っている









護法堂(重要文化財)
1731年(享保16)中国工匠により再建
中央に観音堂を、向かって右が関帝堂(関聖帝(関羽)を祀る)、左手が天王殿(韋駄天を祀る)が祀られてある



関聖帝(関羽)



天王殿(韋駄天)



媽祖堂
媽姐(海上守護神で別名を天后聖母・天妃・菩薩)を祀ったお堂で、長崎の唐寺だけに見られる












魚板。1831年(天保2)三門建築の棟梁・大串五良平らが寄進したもの



魚の形をしているのは、魚は常に目を見開いていることから「惰眠(だみん)をむさぼるなという戒めの意」であるという



大釜 1681年(延宝9)長崎が大飢饉に襲われ、餓死者もでた



この大釜で粥を炊き、多くの難民を救ったといわれる






辺りが暗くなってきた、この後は中華街で食事をすることになっている
山門の左下の車でこの後も5人旅が続く


 

撮影 平成25年1月14日

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