練習オタクの日々

3日ぼうずにはしたくありません!この日記とピアノのお稽古。練習記録とその他読書などの記録をつけておきます。

『格闘する者に○』 三浦しをん

2007-05-21 | 読書
三浦しをんさんの長編処女作、らしい。
そういう先入観を持って読むのは本当は良くないのだろうけれど、
でも、やっぱりなんとなく若い感じがする!
しをんさんもこんなときがあったんだ~。
なんていうか、その後の怪しい雰囲気とか、退廃的な要素とか、つじつまの合わなさ、とか自堕落な楽しさとか・・・(これ、全部ほめているんです)
そういうのはあんまり感じられないかな?

主人公たちはどちらかといえばあんまり「まとも」ではない就活中の大学生たちだし、ヒロインなんて「脚が綺麗」と言われてその気になって70歳のおじいさんと付き合っている、代々代議士の家の跡取り(を拒否している)娘だし、十分それだけで普通じゃなくておもしろいんだけど、
やっぱりどこかに壊れたまんまじゃいけない、ちゃんとしよう、と頑張っているしをんさんの気持ちが見え隠れして、なんとも初々しいと思ってしまった。

それにしても、読んでいるうちに、この面白さ、ストーリーはもちろん面白いんだけど、それだけでなくてなんとなくただの小説ではないような笑いがこみあげてくる雰囲気。どこかで味わったことがあるような・・・。
と思ったら、そうだ!これって漫画に似ているんだ!と気がついた。
しをんさんが漫画好きだって知ってるからそう思うのかもしれないけど(いや、絶対そうでしょう)
この小ネタみたいなストーリーの本筋とは違うところでくすっと笑ってしまう感じ、
人物のちょっとした動きの描写がおかしかったりするところ。
これ、絶対漫画チックだと思うんですけど・・・。

梅花空木

2007-05-19 | お花
いけばなではこの季節よく使いますが、実際に咲いているのを見たのはお恥ずかしながら始めてです。
梅花空木を使ってお稽古したお花の写真をいけばなのサイトのほうにUPしておきます!

『沼地のある森を抜けて』 梨木香歩

2007-05-18 | 読書
最初は・・・「ぬか床」の出てくるファンタジー小説だと思っていたのだ。
「ぬか床」がまるで生き物のように(まぁ、生きてるといえば生きてるが)存在し、いつの間にか卵を産んでなにものかが出てくる・・・。

でも、読み進むうちにそんなファンタジーとかいう生易しいものではないということが分かった。
これは、なんというか・・・すごい話。

禅問答のような会話。科学、化学についての描写。ジェンダーの問題。時に挿入される別の世界での物語り。だいたい「ぬか床」とはなんなのか。

子孫を残す、ということにこれほどまでに深く考えて生きていくのは逆に人として重荷だろうに、と思うほどの主人公たち。
ラストシーンはそれでも明るい一筋の光が差し込むかのようなかすかな希望が感じられる。

なんとなく話自体の雰囲気は好きなのです。
でも、ちゃんと理解するのにもう一度、二度と読んでみたい物語でした。

『クイーン』

2007-05-16 | 映画・ドラマ
リメンバー・ダイアナ・・・
あの事故は忘れようにも忘れられない・・・。
元イギリス皇太子妃のダイアナが事故死した後の王室の対応、そして就任直後のブレア首相の奮闘ぶりを描いた映画である。

観始めたとき、王室内のあまりにもプライベートな様子、
若いブレアとその夫人の下手するとバカにしているかのように取られかねない描かれ方に「これ、王室関係、首相官邸からクレームつかないのかな?暴露話?」と、心配になった。

でも、物語がすすむにつれ、「あ~、なるほど、まったく逆だった」と確信してしまった。

前半でこそ、王室の対応の悪さ、冷たさ、融通の利かなさが浮き彫りにされて、
どんどんエリザベス女王が国民から不信感を抱かれ、窮地に立たされてゆく様子が
描かれる。
しかし、後半になるにつれ、結局は女王の人間性、意志の強さ、品格の高さ、それからブレアの判断の正しさ、首相という立場でのリーダーシップの強さ、王室との接触の上手さ、みたいなものがアピールされ、これは王室万歳、ブレア万歳、という映画だったんだなぁ、感じてしまった。

王室が映画の製作にかかわる、ということもあるのだろうか?
政治的な力が働いていた、と思わざるを得ない作品だった・・・と思うのは私だけ?

ビオラ

2007-05-14 | お花
そろそろパンジー、ビオラの類も終わりだなぁ・・・
徒長してしまって姿かたちはもうあまり良くもないんだけど、やっぱりお花が付いている間は可愛くて引っこ抜くことはできずにいます。

レッスン記録(5/12の分)

2007-05-13 | ピアノ・音楽
私の前の時間にレッスンに来ている人(主婦)がマンションの下の部屋にすんでいるお年よりから「うるさい!」ってクレームがついてしまって練習したいのにできない、と落ち込んでいた。
我が家も以前下の部屋の人からかなり控えめにピアノの音について言われたことがあるが、そのときはひたすらあやまりにあやまって、それまで何もしていなかったピアノに防音器具を2種類つけた。
その後幸いなことに(?)そのお部屋の人はお引越し。しばらく空き家の状態で、そしていつの間にか誰か越してきたようなのだが、とくに挨拶もなく、クレームもないので、そのままになっている。
でも、気にしながら弾いているのに「うるさい」とか言われるとかなり落ち込むんだよなぁ。しかもレッスンに来ている方の場合は「掃除機の音がうるさい」とか「お宅がきてから静かに眠れた日がない」とかまで言われたらしいので、きっと下の部屋の人も気になりだしたらちょっとした音まで気になっているというかなり神経質な状態になっているようなのだ。
こういうことがあると、ピアノっていうのは防音対策もしっかりできるような、しかも一軒家に住んでいるようなお金持ちの音楽なのかなぁ、と思ってちょっと悲しくなってしまう

『テクニック』
リズムにより、アクセントを感じるところと軽く弾くところを弾きわけないと全部の音に力が入ってしまってしまう。
音符の長さが短い音はともすると軽く速く弾こうとしてちゃんと打鍵していないことがあるので、どんなときでも鍵盤の一番下まで打鍵しているかを確認すること。

『30番練習曲 14番』 ツェルニー
指上げのあとにいきなり弾こうとすると、どうも力が入ったままガンガン弾いてしまうので、気持ちと弾き方を切り替えて弾かないと大変なことになってしまう。
なんとか○もらえました。だってもうかれこれ2ヶ月くらい弾いてるもんね・・・。

『亜麻色の髪の乙女』 ドビュッシー
中間部、和音が続く部分、違う音で覚えてしまっていたことに気がついたのが二日前・・・。
一度覚えてしまうとなかなか直しにくいものだ。
まぁなんとか合ってる音で弾くことはできたので、次回までに暗譜することが課題!
う~~~、できるのかなぁ・・・。でも、そういう課題があればイヤでも今まで以上に真剣に練習することは確か。

pの表示があってもまずはちゃんと音を出すことを意識して弾かないといけない、とのこと。音が出ていることを確認してから徐々にpにしていって、どこまで弱い音にできるか調整しながら弾くという手順をふまないと、ただの弱弱しい、鳴っているのかいないのか分からないだけの音になってしまう。

なだいなださんのこと

2007-05-12 | Weblog
娘の国語の教科書になだいなださんの文章が載っていて、
「なだいなだってどこまでが苗字でどこからが名前なのかなぁ・・・?」というので調べてみた。
私は「なだ」が苗字で「いなだ」が名前の印象だったけど、娘は「なだい」「なだ」と分けると思っていた、と言う。
でも、モンゴルとかあの辺の国の人の名前って苗字、名前と分ける習慣はないとか聞くし・・・。

で、結果、そのどっちでもなく、「なだいなだ=なんにもない と なんにもない という意味のスペイン語」ということらしい。
へぇへぇへぇ(9へぇくらい)←古っ。

『名もなき毒』 宮部みゆき

2007-05-11 | 読書
以前どこかに「私は全く毒のない小説は好きじゃない」とかいうことを書いたように記憶している。
どうしてかなぁ~と考えてみた結果、たぶん自分の中にある毒を毒味たっぷりの小説を読むことで発散させているんだと思う。
でも、そんな風に消化できずにいつまでも自分の中にある毒をくすぶらせてしまっている人は・・・・。

私にとっては『模倣犯』以来久しぶりの宮部さんです。
あいかわらず上手いです。いろんな要素が盛りだくさんなのはあいかわらず。
それもタイムリーなネタばかり。
それが結末に向けて大団円のように終結して、ほんの小さな複線も意味があったんだなぁ、と理解できる。
安心して読める(というのもヘンだけど)ミステリーです。

今回の物語では個人的には土壌汚染に過敏になる主人公の妻のことが印象的だった。
すべて納得ゆくまでお金に糸目も付けずに新居の土地の状態まで調べ上げて、
さぁ、これで安心、と住まったところで、
本当に危険だったのはその土地でも家でもなく、
人の中に巣食う毒の要素だった、ということ。
そしてそんな危険な気持ちを誰もが持ちうるし、
それによって傷つけられる可能性はいくらでもある、という事実。
どんなに防ごうとしても決して防ぐことのできないものは人の気持ちの中にある悪意。
それって怖いですよね。

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 

2007-05-08 | ピアノ・音楽
毎年GWに東京国際フォーラムで開催される『ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン』
今年も行ってまいりました!
私はピアノの小曽根さんの演奏狙いで。
娘はのだめの影響で「ラプソディ・イン・ブルー」が聴きたくて。

2007年5月5日(土)14:30
東京国際フォーラム ホールA ドストエフスキー
ガーシュイン:ヘ調のピアノ協奏曲
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー
東京都交響楽団
指揮 井上道義
ピアノ 小曽根真

ジャズピアニストの小曽根さんを私が知ったのは、去年のこのプログラムの様子をテレビで観たときでした。
たしかモーツァルトのピアノ協奏曲を演奏していたのですが、
カデンツァの部分でブッ飛ぶような演奏をしていらしたのです。
今まで聴いたこともない・・・。
クラシックなのにジャズ、ジャズなのにクラシック。
まるで自由自在にものすごく楽しそうにピアノをあやつる小曽根さんを観て、
「なんじゃ、こりゃ~~~」と叫びだしたくなるような気持ちになりました。

その小曽根さんのガーシュイン、とくれば本領発揮、十八番、待ってました!
そんな期待をほんとうに裏切らない、すっごい演奏でした。
ピアノ協奏曲は30分くらいある大作で、途中の第二楽章あまりにも美しいメロディ、素敵なカデンツァ、うっとりとして気持ちよく寝てしまいたい・・・
と思ったのですがまたもやあまりの素晴らしい演奏に寝そびれて・・・じゃなくて、頭が覚醒しました、ばっちり。

ラプソディ・イン・ブルーもいつの間にか小曽根さんの独壇場。
ピアノの陰に隠れて見えなかったのですが、どこからともなくジャズ・ドラムのリズムも聞こえてきて・・・。
もう、私のつたないニホンゴではあの感動をうまく表現できないのがくやしいです

娘に「オーケストラが休んじゃってるところのピアノは楽譜とかたぶんなくて、自分で考えてそのときの気分で弾いてるんだよ」と教えたら、
「天才・・・だね、あの人」と言ってました。
ほんと、天才です。

『さくら』 西加奈子

2007-05-07 | 読書
とっても静かで淡々と、それからとっても悲しい話だった。

まったくこんなに愛情深い家庭があっていいのだろうか、
とわが身に照らし合わせて恥ずかしくなるほどの愛あふれる長谷川一家。
前半はそのあまりの愛の深さに感動しながら読んだのだけれど、
後半は深い愛情と反比例するようなとてつもない不幸に涙が止まらなかった。

神様はいると思う、と言いながら死んでいったお兄ちゃん。
でも、本当に神様っているのかな?と思うような理不尽な悲劇。

幸せなだけの人生なんてない、人より大きな幸せを味わった人はその分不幸も大きい、なんていうけれど、そうなのかな?
悪いことをしていれば必ず神様から天罰が下されるし、
いいことをしていれば必ず天国に行ける、とか言うけれど、本当かな?

きっと幸せ、不幸せ、っていうことはそんな神様の手が下されないような、ましてや私たちちっぽけな人間にはどうすることもできないような大きな流れの中で現れては消えてゆくできごとに過ぎない、ってこの本を読んで思った。
でも、必ず誰にでも平等に与えられている事実は、人は必ずいつかは死ぬ、っていうこと。自分も、自分の周りの誰でも。
その時期は選ぶことなんてできないし、前もって知ることもできない。

ぎゅうぎゅう詰めの軽自動車の中でミキが泣きながら叫んだ言葉。
「もし好きな人ができたら、その人いつまでおれるか分からん。だから迷わず好きって言う」
ただの告白宣言ではない。いろんなしあわせと大きな不幸を経験したあとのミキのこの言葉は胸にず~~んときた。
ホントはもっともっと長いせりふでとにかく、なにがあってもやっぱり人を好きになって人を大切に思って大事に思って、家族でも恋人でも誰でも、その人がこの世に生まれてきたことは「美しく貴い」ことなんだって感じていたい、というミキ(美貴)のこのセリフに涙が止まらなかった。

なんだかすごく家族の絆とか愛情とかを強く感じた話だった。