練習オタクの日々

3日ぼうずにはしたくありません!この日記とピアノのお稽古。練習記録とその他読書などの記録をつけておきます。

パウル・クレー展

2006-02-26 | アート
パウル・クレーの展覧会に行ってきました。

我が家の玄関にはクレーの絵のポスターが飾ってあります。
それはクレーがチュニジアに旅したことにより、彼の作品が色彩豊かなものに変化していった時期の絵画のポスターです。

私が知っているクレーの作品はそのカラフルな時期の絵画と晩年の天使の絵に表現されているような線画のようなものがほとんどでしたが、今回、彼の作品のほぼ全般を網羅する展覧会を見て、クレーの作品のバリエーションの多さに驚きました。
そして私が好んで見ていたあの色彩感覚あふれる作品というのは全体のほんの一部であったということにも驚かされました。

彼は創作活動に対し、常に新しい表現を研究して、それを作品として残していった、非常に努力の人だったという印象を強く持ちました。

どちらかというと画家というよりもグラフィックデザイナー、職人という雰囲気もあります。
画材に関してもとてもよく研究しており、いろんなタッチの作品が多数展示されていて、どのように製作していたのか、個々の作品についてそれぞれ興味深いものばかりでした。

また、私は昔、クレーが「私は音楽的に絵画を描きたい」と言ったということを聞いて、「素敵なことを言う人なんだなぁ」と思っていましたが、ご両親が共に音楽に関するお仕事をなさっていて、クレー自身も晩年までヴァイオリンを演奏していたという事実を知って、「あぁ、なるほど」と思いました。

『日記』と呼ばれる彼の書いた文章もなかなか哲学的で素敵でした。

「芸術とは目に見えるものの再現ではなく、見えるようにすることである(パウル・クレー)」

『オーデュボンの祈り』 伊坂幸太郎

2006-02-25 | 読書
伊坂幸太郎の本を読んでいつも思うのは、この人はいつも神の視点から物語を書いているのでは、ということだ。
連載小説、連続ドラマの脚本などでは往々に、作家が書いている段階で登場人物たちが当初の予想と違うキャラクターを持ち始め、物語が別の方向に変化し始め、それを作者自身もこの先どうなってゆくのかと楽しみながら話が作り上げられてゆくことがある、と聞いたことがある。
伊坂作品はそういったファジーな雰囲気が感じられないのだ。
作品の最初の一行を書き始めたときにはすでに結末までのしっかりしたシナリオが作家自身の頭の中にしっかりとインプットされていて、あとはパズルを組み立ててゆくように、ジオラマのなかに配置された人形たちを作者が高いところから見下ろしながら最初はここ、次はここ、と動かしてゆくような緻密さ完璧さが感じられる。

この『オーデュボンの祈り』は伊坂氏の処女作であるらしいが、その印象がすでにこの作品からも感じられる。
また、彼自身が作中で「名探偵」というものについて定義づけるような部分があったが、それはまさに私が伊坂作品に抱いた印象と同じようなものだったので面白かった。

ストーリーは「萩島」という江戸時代から外界とは全く交流を絶っている、鎖国状態にあるような架空の島が舞台。そこで「島の外」から連れてこられた伊藤が目にするのはしゃべるカカシだったり妻を殺されて気がふれて反対のことしか話さなくなった元画家だったり島中の人間に殺人を公認されていて悪い奴を射殺してくれる美形の男だったりと相変わらず奇想天外だ。
そして「この島には大事な何かが足りない」という言い伝え。それが「外の世界」からもたらされるラスト。
摩訶不思議な物語だった。

この「萩島」、全く旧態依然としてチョンマゲを結っているような島ではなく、たまに舟で外界まで行って来る轟さんによって若干は現代のものが伝えられているという設定なのでそこがまた中途半端な感じで可笑しいのだが、なんだかアフリカ奥地の原住民の少女が口紅を知らないのと同じような無垢な不思議さを感じさせる。

ちょっと印象に残ったのは「夜景」について伊藤と日比野が話すところだ。
私たちは夜景というと普通夜の闇の中にビルのイルミネーションや家々の明かりが星のように光っているのを思い浮かべ、それを楽しむものだ。
「萩島」の日比野は伊藤がそう話すのを聞いてうっとりとするようにこう言った。
「それも良さそうだな」と。
ここでの夜景とは?と伊藤に聞かれて、恥ずかしそうに日比野はこう言う。
「夜だ。夜を楽しむのが夜景だ。星、夜、真っ黒な海。だって夜の景色と書くだろう」
とてつもなくロマンティックな気持ちになってしまった。

そして「島に足りないもの」が○○だと分かるラスト。
緻密で計算ずくで結構残酷なことも書いてしまう伊坂さんも意外とロマンティストだったりして。

『THE 有頂天ホテル』

2006-02-24 | 映画・ドラマ
「三谷幸喜って面白い人だなぁ・・・」と私が最初に思ったのは彼の結婚記者会見のときだった。
会見の初めから、みんなが期待するようなお手本どおりのいい子ちゃん的模範解答が出てくる訳はなく、なんだか二人とも斜に構えた感じ、ではあったのだけど、私が笑いのツボにはまってしまったのは「どんな家庭にしたいですか?」という質問に対して三谷さんが大真面目な顔でこう答えたときだった。

「休みの日とかに友達が気軽に遊びに 来れない 家庭にしたいです。」

もうこの瞬間から私は三谷幸喜という人間がとても他人とは思えなくなってしまった。

三谷さんの、万事においてシニカルな面とか人間の表面的な部分だけでなく本当の姿みたいなものをいやらしくなく見せてしまう脚本の妙とか、そういったものの原点がこの会見の発言にあるような気がする、というのは言いすぎかも。
でもとにかく結構好きです、三谷幸喜。

『THE 有頂天ホテル』は娘と観に行ったのだけど、子連れで行っても安心して笑って楽しめる、という作品。
もっとシリアスな三谷脚本の一面もよく知っているからこそ思うのだけど、この作品はとにかく娯楽に徹して作ったんだろうなぁというのが伝わってくる。

三谷組、と言ってもいいようなおなじみの役者+もっともっとすごい人たち、え~こんな人も?と思うような俳優が次々と登場するが、どの役者が演じる人物にもちゃんとストーリーがあってどの人もチョイ役とは呼べないような存在感。そして2時間強のお話の中でいろんなエピソードがきっちりまとまっていて大団円を迎える、とっても楽しい映画だった。

個人的には私は松たか子ちゃんの最近のキレタような演技が好きなんだけど、期待を裏切らない可笑しさだった。
昔はそのお育ちのせいか、大人しいお嬢様みたいな役が多かったけど、すっかりコメディエンヌの才能があることを証明していた。

そして彼女のラスト近くのセリフ、悪徳政治家である佐藤浩市に対して言うセリフ、そこにこそ三谷監督の「奇麗事なんか言ってないで、かっこ悪くてもちゃんと考えて自分にとって大事なことをしようよ」っていう謹賀信念・・・じゃなかった信念みたいなものが表れているような気がした。

『アメリ』

2006-02-23 | 映画・ドラマ
今ごろ誰も話にのってきてはくれないかもしれないケド・・・
『アメリ』観ました。

男の子は大人になりたくなくてネバーランドに行っちゃうとしたら、
女の子はいつまでも現実と正対したくなくてアメリの世界に浸ってしまうんだろうなぁ。

これは演技と呼べるかどうか分からないけれど(まともに演技しているな、と思ったのは子供の頃の宝物箱が思いもよらぬところで再び手に入ったあのおじさんだけじゃないでしょうか?)、でも紛れもなくファンタジー映画でした。

監督がインタビューで確か「今まで考えて暖めていたアイディアを全部この作品で使った」と言っていたように、エピソード、映像、CGを使った効果など、観ていて「あ~、素敵!」とか「懐かしい」とか思える、それから思わず笑えることがいっぱいつまったまさに宝物のようなお話。

そこにきてあのアメリちゃん。子どもの頃の家庭環境のせいか、現実を直視することを避けて避けて生きてきた、空想にひたるのが大好きな女の子。
でも、妊娠中絶はしたことがある(お父さんへの告白によると)とは、なんともブッ飛んだ女の子だな、(というか、フランスという国のお国柄?)と思ってしまった。
一目ぼれをしたカレにアルバムを返すのにわざわざ手のこんだゲームみたいなことをしかけたりして、すごく楽しいし、可愛い。
結婚記念日の贈り物を渡すのに、宝捜しのゲームのたねを家中にしかけてお父さん、お母さんを喜ばせた、っていう絵本を思い出した。

普通そんな遊び心、っていうかかなりマメさを要求されるサプライズみたいなものは男の子が女の子を喜ばせるために仕組むものなんだろうけど(それくらいマメな男の子じゃないと今時まともな女の子は誰も振り向いてくれない、現実には・・・)それを女の子の方からやってしまう、っていうのがキュートなんだ。

でも、それがカレと劇的に結ばれるための小細工でなかったところがアメリのアメリたるところだったということを、あまりの映像の楽しさのあまり忘れるところだった。
カフェのお姉さんがカレにアメリの正体を明かしてしまったとき、どうしてアメリがあんなに悲しんでいるのか、現実世界にいる私はとっさに分からなかった。
お姉さんとカレがふたりで会っていることに勘違いしてヤキモチでも妬いているのかな、とか見当違いのことを考えてしまったけど、そうじゃなかった。
それまで離れたところから見ているだけで幸せだったカレの姿がいきなり現実のものとして自分の目の前、それも手の届くほど近くに来てしまったことで怖くなっちゃったんだなぁ。
ホントにガラスの心臓。

ラストの二人でバイクに乗っているシーンには思わずホロッときてしまった。
アメリが現実を克服した、っていうことと、恋することって素敵なんだな、と改めてジーンときてしまったので。

ところで、子どものころのテレビアンテナといい、大人になってからの八百屋のオヤジに対する仕打ちといい、アメリのいたずらのセンスそしてその執念深さ、執拗さには笑えました。アメリを的に回すと怖いのだ・・・。

『現実入門』 穂村弘

2006-02-19 | 読書
この本は全編に渡ってとつとつと語られる「サクマさん」に向けるラブ・レターなんだろうなぁ・・・。まぁ、そんなことはどうでもいいんだけど。

「人生の経験値」がかなり低いと自己判断する穂村さん。そんな彼が42歳にして初めて経験する献血、合コン、モデルルーム見学、はとバスツアー、子守り、健康ランド(?)、そしてプロポーズ??
しかもそれをエッセイとしてレポートしなければならないのだ。

かなり面白かった。

だいたい私は知ったかぶりをして「うん、うん、それって○○だよね~」とか言う人とか、確信犯的カマトトで大したことでもないのに「そんな~、刺激が強すぎる~」とか言う人とか、これはこういうもの(「子どもは卵焼きが好き」とか)、と、画一的な考え方しか出来ない人とかが大嫌いなのだが、穂村さんはその対極を行く人だと思う。

多分その「経験値」とかいうものは42歳にしては確かに低いかもしれないけど、なんとなく全部経験しちゃっている人に比べてずっと楽しい初体験ばっかりだ。
こんな風にセンスのアンテナを張り巡らせている人って楽しいと思う。

これを読んで娘が幼稚園に入らないくらい小さい時のことを思い出した。
かなり人見知りの激しい娘の心を開こうと「ほ~らハトポッポだよ~。ポッポ、ポッポ」と話し掛けるおじいちゃんおばあちゃんに向かって娘は言い放ったのだ。
「ハトってポッポって鳴かないよね~」
確かに~。ハトの鳴き声はポッポとは聞こえない。
自分の目で耳で現実をとらえることってとっても大事。

バラ

2006-02-18 | お花
バラの花って本当に綺麗だと思います。
「バラが好き」って言える人は素直な人なんだと思います(って前にもどっかに書いたケド)。

レッスン記録

2006-02-16 | ピアノ・音楽
年末からずっとピアノのレッスンをお休みしていたので、実に2ヶ月ぶりのお稽古。
やっぱりグランドピアノで弾くと気持ちがいいなぁ・・・。

先生とのお話もお互いにつもりつもった話がたくさんあって気がついたら40分くらい話し込んでいた。
いろんなことがいろんなところで知らない間に起きているものである・・・。

『テクニック』
休んでいる間はこの「筋トレ」用のテキストはほとんど開いていなくて、今日のレッスンのためにあわてて1週間前くらいから弾いていたのだけど、そのわりにはミスタッチもあまりなくまぁまぁ弾けた。でも、やっぱり筋力が落ちているようで、普段にくらべると腕の筋肉がかなりパンパンに張ってしまった。

『30番練習曲 6番』 ツェルニー
まず、譜読みを間違えていた部分を訂正してもらう。かなり長い期間間違えたまま弾いていたので、ちょっとやそっとでは直らなくなってしまっている。指が勝手に動いてしまうのだ。
黒鍵が混ざって、しかも右手4→1と指をくぐらせなければいけないところがとっても弾きにくい。先生に「指が大ぶりになりすぎていませんか?」と指摘される。たしかに~。横に滑らかに滑らせるように、とのこと。それを意識して弾くと、かなり感覚が違って弾きやすいしミスタッチもしないような気がする。先生ってさすがなんだなぁ・・・。当たり前か。
あとアクセントを付けて弾く部分を指定してもらった。メリハリがついて弾きやすくなるとのこと。これも確かにアクセントを意識して弾くと、全然弾きやすさが違う。

『プレリュード 6番』 ショパン
○もらいました。
暗譜まではしていないが、大分自分のイメージで全曲通して弾けるくらいまでにはなったかな?
もう少し弾きこんでレパートリーに加えたい。

発表会の件、(大人のコーナーをつくるかどうか、その他云々)結局みんな忙しくて私が休んでいる間も話し合いできていないようだ。
でも、特に大人は大人でまとまらなくてもいいので出たい人は出てもよい、という雰囲気ではありそう。
次回までに自分で弾きたい曲を何曲かリストアップしてくるのが宿題だ。
私の場合、ステージで演奏したことが生まれてこの方一回もないので、かなり緊張することが予測されるので、↑のプレリュード6番程度(曲の長さ、速さ、イメージ)で、とのこと。なにか適当な曲ないかなぁ・・・。


charaのアルバム

2006-02-12 | ピアノ・音楽
何年か前、精神的にすっごく落ち込んだことがあって、そのときはいつも聴いているようなどんな音楽も耳障りに感じてしまうほど気持ちがすさんでいたのだけど、なぜかこのcharaのアルバムだけは聴くことができた。
この赤ちゃんみたいな声がその時の私にとっては癒し系だったのかも。

『人生ベストテン』 角田光代

2006-02-10 | 読書
「負け犬」っていうカテゴリーに属すると言われてしまう女性を主人公とする話がこんなに次々と世に出てくるようになったのはやっぱり最近のことなんだろうなぁと思う。

この短編集のタイトルにもなっている『人生ベストテン』という話が面白かった。
結婚もしていなくて子どももいなくて、人生のできごとベストテンはなんだろうと考えてみると中学生の時の恋愛・失恋の時点で自分の人生のイベントは終わってしまっている、と考えてしまう主人公。

その中学の同窓会で再会してホテルにまで行ってしまって、なぜかン十万もする圧力鍋セットをセールスしてきた元カレは実は・・・。
実際にそんなことがあったら背筋も凍りつくほど恐ろしい、と思ってしまうような話なんだけれど、なぜかふわっと脱力するような軽い気持ちにさせる物語だった。

どうして「負け犬」なんて言葉がひとり歩きしちゃってるんだろうなぁ・・・。

『ネバーランド』 恩田陸

2006-02-09 | 読書
学生寮ってなんだか憧れてしまう。
通っていた大学に女子寮から通学していた友達がいて、気軽に遊びに入れないような閉鎖的な雰囲気とか、その中で行われているであろう親密な会話とか、自宅通学の自分には絶対縁のない世界という感じがしてすごくうらやましたかった。
そういえば大学に併設の男子寮は女人禁制で、絶対に中に入れてもらえなかった。多分すごくむさくるしいところなんだろうけど、どうなっているのか気になって気になってしょうがなかった。

『ネバーランド』は正月休の男子校の寮が舞台だ。
みんな実家に帰ってしまった閑散とした寮内に残るのは、わけあって家に帰りたくない、帰れない男子ばかり。
未成年なのに連日の宴会となり、親密になってゆくうちにそれぞれが胸にしまいこんでいるとんでもない事情を告白してゆく。

ちょっとそれはないんじゃないの、というくらいフクザツすぎる問題を抱えている男の子ばかりで、ミステリーかと思うくらいシリアスな展開のわりにはラストが爽やかすぎるような気もするけれど、まだまだ前途多難ではあるけれど未来の可能性が限りなくある若者たちを勇気づけているような話だった。