練習オタクの日々

3日ぼうずにはしたくありません!この日記とピアノのお稽古。練習記録とその他読書などの記録をつけておきます。

『ダ・ヴィンチ・コード』 ダン・ブラウン

2006-05-29 | 読書
話題作であり、問題作。
私自身は特別の信仰もなく、「お米のひとつぶひとつぶの中にも神様はいる」とか「悪い事をしたら誰も見ていなくても神様は見てる」とか考えるほうなので、ある特定の神様に深い信仰を持っているわけではないが、全てを超越した全知全能と信じているものを否定されたらショックを受けるだろうなぁ、とは思う。
でも、歴史的な視点から見れば実在したひとりの人間がなぜ人なのに神とあがめられるようになったのか、人として生きていたときの生き様はいかようだったのか、それは掘り下げれば掘り下げるほど興味深いテーマではあると思う。

それはさておき、私はこの物語は純粋に謎解き推理サスペンスとして楽しませてもらった。
途中までは黒幕はてっきりあの人だとばっかり思ってましたよ・・・・。
「最後の晩餐」の絵は確かにキリストとその弟子たちの絵、という先入観にどっぷりつかった状態で見ていたし。でも、すごく綺麗な男の人がひとりいるなぁとは思ったことはあったけど。

早く映画も観にいかなくちゃ。

レッスン記録

2006-05-26 | ピアノ・音楽
今日はかなりいろいろと細かく指導していただいたような実感がある。
「これで100点!」ということは音楽の場合絶対ないから、そのときそのときでさらに課題をみつけて演奏を充実させていくことが大事だと思うので、いろいろ言っていただけることは本当に嬉しいことだ。

『テクニック』
リズム変えのときなど、「強弱強弱とはねるかんじ」などイメージしながら弾くのは分かるのだけど、イメージしつつも手を大振りしないで弾くのが案外難しい。手首は安定したまま音に変化をつけることができるようになるのが課題。

『30番練習曲 8番』 ツェルニー
左手の和音で5の指の音がちゃんと出ていない。和音内の音すべてがきちんと聞こえるように弾く事。また、弾いたあと無意識にリズムをとってしまっていることを注意されてしまった
右手のスケールは指をくぐらせたあとの音が安定していないので、3~1と指をくぐらせる部分だけの練習をするとよいとのこと。それから、フレーズの最後の4,5の指が弱くなってしまっているので、最後まで集中して弾く事。

『ピアノ・ソナタ20番』 ベートーヴェン
とにかく右手メロディがしっかり聞こえるように。音がかすれてしまう部分があるので、意識をとぎれさせないように。
左手の練習をしっかりすること。左手が安定して弾けるようになると右手も楽に弾けるようになる、というのは先生の実体験らしい。
たしかに今の状態は右手のメロディにつられて左手を弾いているだけなので、左手だけ弾くとふにゃふにゃだったりする。
特に左手を小さく綺麗に弾こうとするとそれは至難の業・・・

『チェケラッチョ!!』

2006-05-25 | 映画・ドラマ
この映画でよかったのは、沖縄の明るい雰囲気、それからKONISHIKI。
それから、自分自身はHIPHOPはあんまり聞かないからカリスマバンドのライブのシーンとかはよく分からなかったけど、彼らの真似から始めてやっぱりうまくいかないで、自分達の音楽を自分達の方法で表現すればいいんだ、と気がついて主人公たちが作ったラストの野外ライブシーンはよかった。

主人公の高校生たちを演じた若い役者さんたちがいずれ成長していって、昔はこんな秀作にも出ていた、って思い出される1作になればいいなぁと思った。
沖縄の突き抜けるような青い空が全てを物語ってくれるような青春映画だった。

ただ・・・。
主人公が憧れる年上の女性を演じた伊藤歩ちゃんは、私は個人的にどうしても『スワロウテイル』の印象が衝撃的すぎて、今回のようなちょっとセクシーなマドンナっていう役がなじめない・・・。
それに役どころとしても、カレシいるのに高校生の男の子に気のあるそぶりなんか見せちゃって、ただの世話焼きのおねえさんなのかもしれないけど、だめでしょ!!な~んかただの軽いオンナという感じがしちゃって彼女にはどうもしっくりこないような気がしてしまった。

ゼラニウム その3

2006-05-22 | お花
ハーブの種類でレモンゼラニウムというのがありますが、これも葉っぱをこするとレモンのようないい香りがします。
でも、蚊連草という名で売られている花もレモンのような香りがします。
友人から挿し木してもらった苗で、出生がはっきりしないので一応食用はしないようにしています。
ハーブなどはお店でちゃんと食用として売られている種、苗から育てたものでないとやはり安心して口にはできません。
先日も「ニラだと思って食べたら水仙の葉っぱだった」らしくて食中毒になった人がいた、と報道されていました

『女たちは二度遊ぶ』 吉田修一

2006-05-17 | 読書
この短編集の中でいろんな女が出てきてそして最後にはいなくなってゆく。
ふっと戻ってこなくなったり、突然何の前触れもなく会社をやめたり、近い存在だったと思っていたのに全然手の届かないところに行っちゃったり、男が殺してしまったり・・・。

いつまでもいると思うな、親と女。という印象の話だ。
いなくなっちゃってからひどいことしちゃったかなぁとかいろいろ思っても後の祭りだ。

すうっといなくなったあと、残された男のほうは案外女のことを忘れられなくて、いつか戻ってきてくれるとか思っているのに、多分女のほうはそれほど男のことなんか思い出すこともなくてそれが分かってしまうから男はすごくプライドを傷つけられてしまっている。みたいなことが、実際には書いてないんだけれど、作者の言いたいことなのかなぁ?

でも、いつの間にか住み着いて、それでふらっといなくなってゆく野良猫みたいな生き方に憧れてしまう気持ちって誰にでもあるような気がする。失踪願望っていうんでしょうか?
それって私だけなのかな?

『ゆがんだ闇』 (アンソロジー)

2006-05-16 | 読書
ホラー小説は以前はあまり読まなかったが、『リング』シリーズが面白くてそれ以来度々手にとるようになった。
その鈴木光司さんの作品も入っている、6人の作家によるホラー短編集。

怨霊、怪奇現象、そういうものももちろん怖いが、特に怖かったのは小池真理子さんの作品だった。
彼女はミステリ、心理サスペンスの方がやっぱり上手なのかも。
収録作品は6作の中でも極端に短く、読み進めてもなんというか牧歌的にすら感じられるほどの何も起きなさそうな雰囲気なのだが、最後のどんでん返しで「えっ?(絶句)」といった驚きとさ~~~っと血の気が引いてゆくような感覚になる。
おばけとかは多分いるわけない、と思っていれば怖くないだろうけれど、この話はいかにもありそうで、そんな風になってしまうかもしれない人間がいるかも、と思うと本当に恐ろしい・・・。

ゼラニウム

2006-05-13 | お花
ベランダには結構いろんな種類のゼラニウムの鉢があります。買ってきた苗はほとんどなくて、もらったもの、挿し木にして増えたもの、生け花のお稽古で使った残りのもの、などです。
それだけ頑丈で育てやすいのですが、今年の冬はいくつか枯れてしまいました
あの寒さがたたったのか、あまりにも世話をしなかったので当然のなりゆきなのか・・・。
そんな中で生き延びたゼラニウムが開花しました。

『青山娼館』 小池真理子

2006-05-12 | 読書
小池真理子さんの小説を読むと、なんていうか・・・、「3年B組金八先生」を思い出してしまう。
こんなきれいごとあるわけない、と思うのだけど、金八先生だか脚本の先生だかが「現実はもっと汚くてカッコ悪くてうまくいかないっていうことは重々承知なので、せめてフィクションの世界だけでもきれいごとにしたい」と言っていたそんなことを連想させるのだ。

まぁ、ほかにもいろいろ思うところはあるんだけど・・・。

今度の日曜日は母の日、ということで『青山娼館』の中の母と娘のことについてちょっと感じたことがあるので記しておく。

ヒロインの奈月は私生児で奈月の母親は彼女に対しても彼女の小さな娘(これまた私生児)に対しても全く愛情を持っていない(と奈月は)感じている。
奈月から見た母親は「お金をはらってまでも男の尻を追いかけるような女」であり、男に抱かれることだけが楽しみ、というかそれがないと生きていけない女、である。
飲んだくれの母が目を離したすきに子守りを頼んでおいた娘は事故死する。
最愛の娘を失い、生きる希望もなくし、さらに唯一の理解者であった親友も自殺してしまい、絶望のどん底に突き落とされたヒロインはふとしたことで男性の肌のぬくもりこそが自分を癒してくれると確信し、都会のド真ん中、青山にある隠れ家のような館で高級娼婦として働く。
といったようなお話。

ヒロインはものすごいコンプレックスを母親に感じていて、あんな風には絶対になりたくない、と思っている。
確かに不注意で自分の娘を死に至らしめられたわけだから、恨みつらみは相当のものだと思うけれど、この話、読み終わって、この母にしてこの娘あり、というところもあるじゃん、と思ってしまった。
お金を払って男に抱かれることが低俗で、男に大金をつぎこまれて抱かせてやっていることがエライとか全然分からないし、人肌が恋しくてそこに癒しを求めている(とはっきり言っている)あたり、親も子も一緒だという証拠。
娘がかなり裕福だと知って金の工面の連絡をよこすところはかなりプライドの低い母親であることは確かだが、実の親子の血のつながりというのは、携帯のメモリーを消せば簡単に関係が解消されるような薄いつながりではないと思った。

たとえ反面教師でしかなくてもなんらかの影響を子どもに与えているということは親としての存在意義は充分あると私は思っている。
もし私が小池さんでこの話の続編を書くとすれば、奈月は自分がひとりで強く生きてきた、娼婦というのはまさに天職、仕事と割り切って殿方に奉仕してきた、と思っていた人生がまさにあんなに忌み嫌っていた母親とさして違わない人生だったと気付いて愕然とする、というストーリーにするんだけどなぁ。

もしそこまで分かっていて書いているんだったら、小池さんてホントにすごい人なんだけどな~。