これもまた、ゆるゆる感たっぷりの「負け犬」的雰囲気を持つ若い女の話だ。
「負け犬」と呼ぶにはまだまだ若い「ハタチ」という年齢である。
でも、その雰囲気がなんとも「負」の方向に向いているような、
大学生、モラトリアムといえばモラトリアム、
そんないい加減さとやる気のなさが漂う小説である。
ちょっとシニカルなキャラクター設定だからそう思うのかも。
これを読んで、主人公の女の立場、というよりは、彼女の母の立場で物語を感じている自分を発見した。
主人公が母親と会話するシーンがポイントポイントにでてきたからだろう。
幼いころは「ママ、ママ」と愛くるしくまとわりついてくる娘も、
年頃になればかなり冷静な目で母親を観察するようになる。
しかもその観察眼はかなりするどかったりするのだろう。
そして失恋。娘の失恋である。
修羅場になろうがなるまいが、大失恋だろうが小失恋だろうが、
失恋は失恋である。
死にたいと思うほど傷ついたとしても、ハタチにもなればそんなこと親に言ったりもしないで、自分の中で鬱々と沈んだ気持ちを消化してゆくしかない。
彼氏にふられたからと言って、家族に戻ってくるわけでもない。
そんな微妙な年頃の女の話、と思って読んでいた。
そして性懲りもなくまた恋愛を受け入れてゆく主人公。
それはもしかしたら不倫という形の恋愛かもしれない。
でも、そのことを深く考えたり、疑問に思ったり、正悪を自分に問いただしたりもしない。
そんなところも若いということのゆるさなのだろう。
主人公が居候する家の老婆はこの話ではキーパーソンとなっている。
老婆と書いたが、最初登場したシーンの印象では、ちっちゃくって、しわしわのおばあさんを思い描いたが、後半、デパートにチョコレートを買いに行くところでは、かなりこぎれいに身づくろいをしていうような、そんな不思議なおばあさんなのだ。
主人公は、遠縁の親戚、という親近感を持っているようにも描かれていないし、
どちらかと言うと女としてライバル心すら感じているかのようにも感じられる。
のらりくらりとした老人との生活。
そんなものに違和感も感じず、むしろ楽しんでいるか、そうでなくても心地よさを感じているかのような若い主人公。
若いときに、親でもなく、友達でもなく、親戚でもなく、他人でもない。
そんな誰かと寝食を共にするのはその後の人生に少なからぬ影響を与えるんだろうなぁ、と思う。
「負け犬」と呼ぶにはまだまだ若い「ハタチ」という年齢である。
でも、その雰囲気がなんとも「負」の方向に向いているような、
大学生、モラトリアムといえばモラトリアム、
そんないい加減さとやる気のなさが漂う小説である。
ちょっとシニカルなキャラクター設定だからそう思うのかも。
これを読んで、主人公の女の立場、というよりは、彼女の母の立場で物語を感じている自分を発見した。
主人公が母親と会話するシーンがポイントポイントにでてきたからだろう。
幼いころは「ママ、ママ」と愛くるしくまとわりついてくる娘も、
年頃になればかなり冷静な目で母親を観察するようになる。
しかもその観察眼はかなりするどかったりするのだろう。
そして失恋。娘の失恋である。
修羅場になろうがなるまいが、大失恋だろうが小失恋だろうが、
失恋は失恋である。
死にたいと思うほど傷ついたとしても、ハタチにもなればそんなこと親に言ったりもしないで、自分の中で鬱々と沈んだ気持ちを消化してゆくしかない。
彼氏にふられたからと言って、家族に戻ってくるわけでもない。
そんな微妙な年頃の女の話、と思って読んでいた。
そして性懲りもなくまた恋愛を受け入れてゆく主人公。
それはもしかしたら不倫という形の恋愛かもしれない。
でも、そのことを深く考えたり、疑問に思ったり、正悪を自分に問いただしたりもしない。
そんなところも若いということのゆるさなのだろう。
主人公が居候する家の老婆はこの話ではキーパーソンとなっている。
老婆と書いたが、最初登場したシーンの印象では、ちっちゃくって、しわしわのおばあさんを思い描いたが、後半、デパートにチョコレートを買いに行くところでは、かなりこぎれいに身づくろいをしていうような、そんな不思議なおばあさんなのだ。
主人公は、遠縁の親戚、という親近感を持っているようにも描かれていないし、
どちらかと言うと女としてライバル心すら感じているかのようにも感じられる。
のらりくらりとした老人との生活。
そんなものに違和感も感じず、むしろ楽しんでいるか、そうでなくても心地よさを感じているかのような若い主人公。
若いときに、親でもなく、友達でもなく、親戚でもなく、他人でもない。
そんな誰かと寝食を共にするのはその後の人生に少なからぬ影響を与えるんだろうなぁ、と思う。