練習オタクの日々

3日ぼうずにはしたくありません!この日記とピアノのお稽古。練習記録とその他読書などの記録をつけておきます。

『ひとり日和』 青山七恵

2008-01-28 | 読書
これもまた、ゆるゆる感たっぷりの「負け犬」的雰囲気を持つ若い女の話だ。
「負け犬」と呼ぶにはまだまだ若い「ハタチ」という年齢である。
でも、その雰囲気がなんとも「負」の方向に向いているような、
大学生、モラトリアムといえばモラトリアム、
そんないい加減さとやる気のなさが漂う小説である。
ちょっとシニカルなキャラクター設定だからそう思うのかも。

これを読んで、主人公の女の立場、というよりは、彼女の母の立場で物語を感じている自分を発見した。
主人公が母親と会話するシーンがポイントポイントにでてきたからだろう。

幼いころは「ママ、ママ」と愛くるしくまとわりついてくる娘も、
年頃になればかなり冷静な目で母親を観察するようになる。
しかもその観察眼はかなりするどかったりするのだろう。

そして失恋。娘の失恋である。
修羅場になろうがなるまいが、大失恋だろうが小失恋だろうが、
失恋は失恋である。
死にたいと思うほど傷ついたとしても、ハタチにもなればそんなこと親に言ったりもしないで、自分の中で鬱々と沈んだ気持ちを消化してゆくしかない。

彼氏にふられたからと言って、家族に戻ってくるわけでもない。
そんな微妙な年頃の女の話、と思って読んでいた。
そして性懲りもなくまた恋愛を受け入れてゆく主人公。
それはもしかしたら不倫という形の恋愛かもしれない。
でも、そのことを深く考えたり、疑問に思ったり、正悪を自分に問いただしたりもしない。
そんなところも若いということのゆるさなのだろう。

主人公が居候する家の老婆はこの話ではキーパーソンとなっている。
老婆と書いたが、最初登場したシーンの印象では、ちっちゃくって、しわしわのおばあさんを思い描いたが、後半、デパートにチョコレートを買いに行くところでは、かなりこぎれいに身づくろいをしていうような、そんな不思議なおばあさんなのだ。
主人公は、遠縁の親戚、という親近感を持っているようにも描かれていないし、
どちらかと言うと女としてライバル心すら感じているかのようにも感じられる。
のらりくらりとした老人との生活。
そんなものに違和感も感じず、むしろ楽しんでいるか、そうでなくても心地よさを感じているかのような若い主人公。
若いときに、親でもなく、友達でもなく、親戚でもなく、他人でもない。
そんな誰かと寝食を共にするのはその後の人生に少なからぬ影響を与えるんだろうなぁ、と思う。

『そのときは彼によろしく』 市川拓司

2008-01-27 | 読書
『いま会いに行きます』を書いた人だったんだ・・と読み終わってから気づく。
そういえば、なんとなく夢物語のような、ちょっと不思議な感じが共通しているかもしれない。

最初、何の先入観もなく読み始めたときは、
「この人、ハルキスト(村上春樹フリーク)に違いない・・・」
と思ってしまった。
なんとも、この主人公のキャラクターといい、会話のテンポといい、
初期の村上春樹に似ている、という印象が強かった。
きっと若いとき、村上春樹の作品を読んできた、と思うのだけど、違うかな??

ストーリーは、”夢の中に入り込んで出て来れなくなる病気”とかいうくだりはちょっとファンタジー風の雰囲気もあって、やはり村上氏の影響かな?とは思うけれど、全体的には「もしかしたらこんなこともあるかもしれないと思えるほどには現実的。
そして、一番強く感じたのは、男性が書いた小説であるにもかかわらず、
たぶん、女性にとって理想的、というか都合のよい展開の話だなぁ、ということ。
思い出も綺麗、今の現実も綺麗、誰もいじわるでないし、無理じいもしないし、欲望ギラギラという雰囲気もないし、そしてハッピーエンド。
なんとなく物足りないなぁ・・・と思ってしまうのは、私だけでしょうか?
一応私も女性なのですが・・。

「土門拳写真展 日本のこころ」

2008-01-25 | アート
「土門拳写真展 日本のこころ」
2007年12月16日(日)~2008年2月11日(月・祝)
武蔵野市立吉祥寺美術館

土門拳の写真といえば、昔雑誌の写真特集で見た志賀潔の肖像写真があまりにも印象的で(丸いフレームのめがねをテープのようなもので補強して使用している。清貧ということばがぴったり)
この写真の人物が土門だと記憶のすり替えが勝手に脳内で行われかけていたほどだ。

土門拳の肖像写真は、この志賀潔のものに限らず、どれも非常に迫力を感じさせるものばかり。
棟方志功の製作中の写真など、目にしたことがある人も多いと思う。
私は肖像写真が好きなので、会場最初の著名人の肖像写真のコーナーを、特にその背景に注目して見てみた。
先ほども触れた志賀潔は、なんと古新聞で破れを隠した障子をバックに写されている。自分の私財をなげうってでも研究に打ち込んでいた人らしい。
イサム野口は縦に等間隔にならぶ格子状の壁、
宮城まり子はやはり子どもたちに囲まれている。
勅使河原蒼風は、背景というか前ボケでいけている花を写し、ピントが合っているのはその花たちではなく、花を見極めている彼の目である。

勅使河原蒼風といえば、残念だったのは、私が行かなかった前期の展示に土門拳と勅使河原蒼風のコラボらしいいけばな写真のコーナーがあったようなのだ。
知っていればこれはぜひとも見たかった。
その代わりに後期に展示されていたのは何かの雑誌の表紙のシリーズらしい「女優と文化財」という写真群だった。
これもとても面白いものだったが、一番喜んでいたのは会場にいらしていた60代、70代くらいのおばさま、おじさまたちのようだ。
三田佳子、若尾文子、佐久間良子、吉永小百合など、いまでは大御所と呼ばれる大女優たちの20代ごろの綺麗な盛りの頃の写真。
とても懐かしくご覧になっていたようだ。
私的には若い女優と文化財という組み合わせがある意味突拍子もなくて面白いな、と思った。
どんなに綺麗な女優であっても、そこに気品とかさらには迫力といったものが備わっていないと、重厚な文化財と一緒にカメラに収められたとき、まったくバランスがとれなくて、滑稽な写真が出来上がってしまいかねなかっただろう。
でもさすが大女優(当時は卵)だけあって、誰もが堂々たる風格で仏像、骨董、建築物と対峙して写っていた。

ところで、この写真展で、個人的にものすごく懐かしい出会いがあったのだが・・・。
私が小学生か中学生のとき、初めて2000ピースを越えるようなジグゾーパズルで遊んだときの図柄が、記憶に間違いなければ今回展示されていた土門が撮影した室生寺の五重塔の雪景色だったようなのだ。
その写真が展示されているのを見たとき、「あれ?????」と思い、その後、ものすごく懐かしい気持ちになった。
ジグゾーパズルで、しかも壊しては遊び、壊しては遊びしていたので、その細かい部分までよく見ていて、記憶のどこかに残っていた。確かにこの図柄だった・・・ような・・・。
さっそく実家の母に聞いてみたのだが、残念ながらもうパズルは捨ててしまっていて確認は取れず仕舞い。でも絶対そうだと思うんだけどなぁ・・・。
それにしても、自分で買ってきたのか、両親か祖父母が買ってきてくれたのか、全く記憶にないのだが、最初のジグゾーパズルの図柄がこれとは、ずいぶん渋いチョイスだったなぁ、とも思ってしまった。

レッスン記録

2008-01-20 | ピアノ・音楽
私の次の時間に来る生徒さん(大人)が曲決めのために楽譜をいろいろ持って来ていたので、先生が所見であれこれ弾いて下さった。
やっぱ先生ってすごいなぁ・・・。
聞きほれてしまいました。

『テクニック』
最近、左手よりも右手の方が動きが鈍いような気がするし、弾き終わって疲れているのは右手、右腕の方なのだけど、どうして???

『30番練習曲 19番』 ツェルニー
どうもリズムが取りにくくて弾きにくい。
そういえば、娘がこの曲を練習していたときも、「これで合ってるのかなぁ???」と何度も弾きなおしていたっけ。
「弾きにくいから練習曲なんです」との先生のお言葉。ごもっともです。

『子犬のワルツ』 ショパン
どうにか全曲弾きとおすことができるようになったので、
「p、fなど、強弱の表示をよく見て、その表示を意識して弾いてきて下さい」
とのこと。
音符どおりの音で弾くのが精一杯で、そんなところまで見ている余裕は今まで全くなかった。
でも、老犬のワルツ、から少しは子犬っぽくなってきたかな?

『きみはポラリス』 三浦しをん

2008-01-16 | 読書
今まで私が読んだ三浦しをんの小説と言えば、
いわゆるBL系だったり、
あからさまにそうではなくても登場人物は男子ばかりだったりしたので、
この短編集の中で一番最初に出てくる女性が語り手の作品も途中までは男性が話しているのかと思っていた。

そう考えると、しをん作品では異色の短編集なのかもしれない。
ちゃんと女性が主人公の作品、書けるんじゃない、と思ってしまった。

なんとなくほのぼの系の話もしをんさんが書くととても新鮮。
ほのぼの系ではあっても風刺がきいている。
ロハスを皮肉った作品なんて可笑しくって含み笑いをしてしまう。

「森を歩く」という言葉の意味がラストに分かる1作。
ヘンな男なんだけど、この人しかいない、とあったかい気持ちで確信する女。
幸せな気持ちに満ちている短編だ。

そして、最愛の「彼女」が男を部屋に連れてくる、そんな可哀想な「春太」の話。
読んでいるうちにネタはすぐばれて、あ~そういうことか、と話途中で分かってしまうのだけど、それでもおもしろく、ちょっと切ない。

でも、ほのぼの系ばかりではない。
ある秘密を共有してしまって離れられなくなった男女。
時が経って離れ離れになっても未だに女を思う男の愛情の深さをうかがわせる1作。

子どものころ、誘拐・・・ではないのだけど、車ごと連れ去られた1夜のできごとが心に残ったまま成長した女の話。

愛する恩師の遺骨を大切にする女の話。

そしてそれらの話をサンドイッチするかのように、始めと終わりにはBLものが・・・。

全編を通してしをんさんが書いたさまざまな「恋」の話。
いろんな形があるんだなぁ~と思える。
よかった、よかった。

レッスン記録(1/12の分)

2008-01-14 | ピアノ・音楽
家のピアノを調律してもらったら、ものすごくいい音になったと実感!
今までは調律後に「音がよくなった」とか「弾きやすくなった」とか感じたことはなかったのに、今回は弾いてみて明らかに違う!
と、いうことは調律前はよほどひどい状態だったのか・・・。
実は我が家のピアノは中古で貰い受けたものではあるが、なんと年齢は40歳を越えている。もう寿命なのかなぁ。

『テクニック』
これは相変わらず筋トレ。動きが鈍いのは左手。でも弾いたあとに痛くなるのは右手。なぜ?

『30番練習曲 19番』 ツェルニー
右手32分音符(なのでとても短い)が左手と合っていない。
装飾音のように弾いてしまっている。とてもリズムが取りにくい。
最初の音を弾いたあと、力を抜きながら次の音を弾くように、とのこと。

『子犬のワルツ』 ショパン
ペダルの入れ方を細かく教えていただいたので、そこを意識してもう1回おさらいしてくること。
次回はしあげ!
この曲は多分誰でも弾くときは子犬が遊んでいるところをイメージして弾いていると思うけれど、
私の個人的イメージとしては、西洋の上流階級のお家のお庭で大人がティーパーティーでくつろいでいるところを、いたずらな子どもが走り回っている、という感じなのだ。
最後に怒られてチャンチャン、みたいな

『アムリタ』 吉本ばなな

2008-01-10 | 読書
少し前にとても久しぶりに吉本ばななの作品を読んだとき、
この人、こんなにスピリチュアルなプリミティブなもの漂う作品を書く人だったけ???
と思ったけれど、
この『アムリタ』の頃からその傾向はあったんだなぁ、と気がついた。

昔読んだときはそんなに印象に残る作品ではなかったけれど、
今回再読してみて、なんというか、心に沁みるようなものがあった。

ヒロインは階段から落ちるか何かして過去の記憶の一部が欠落している。
美しい妹は心を病んで自殺してしまった。
幼い弟は霊感が強く、当然感受性も強すぎて、普通に生きられない。
お母さん、妹の元恋人、親戚、
いろいろな人が出てきていろいろなことがあって、
でもただそれだけの話なのに、とても長い小説。

エンタテイメント性にはほとんど欠ける内容で、
この長さは無意味か?と思ったけれど、
そのなんとなくダラダラと日々が流れてゆく感じが心地よくもある。

そして、この長い小説で吉本ばななさんが言いたかったのは、
失ってしまったもの、これから失うかもしれないものを思ういとおしい気持ち、
失うかもしれないからこそ、一瞬一瞬を大切にしよう、と思う気持ち、
そして、矛盾するかもしれないけれど、生きてゆく間に失ってしまういろいろなもの、それらのものは失われる運命と悟ってあまり執着しないで生きる潔さも必要、という決心。
そんなことが言いたかったんだと思う。

うまく言えないけれど、つらいこととか苦しいこととか悲しいこととか、
生きているといろいろあるけれど、
そういうものに必要以上に苦しまずに、安心して生きてゆくことを教えてくれる話、
そんな読後感を持った。

『チーム・バチスタの栄光』映画化

2008-01-05 | 映画・ドラマ
あの『チーム・バチスタの栄光』が映画化!

おどろきなのはそのキャスティング。

白鳥=阿部寛
これは納得。なんとなく、白鳥って、伊良部っぽい雰囲気もあるし・・・
(奥田英朗の『空中ブランコ』など参照のこと・・・)

で、田口=竹内結子!!なんだそうです。
意外~~~!!
女優さんときましたか!!

ストーリーも分かってて、モチロン犯人も分かっているけれど、
観てみたい!!

『パウル・クレー 絵画のたくらみ』 前田富士男・宮下誠・いしいしんじほか

2008-01-03 | 読書
クレーの絵がなんとなく好きで見ていましたが、
私の見ていたクレーは彼のほんの一部分だった、ということがよく分かる1冊。
パウル・クレー、彼はなかなか一筋縄ではいかない人物だったようです。

私が最初に見たクレーの絵は、パステル調の様々ないろの四角がキャンバス上に均一に並べられているような、絵、というよりはむしろデザインのような1枚でした。
なんとなく「綺麗だな~」と思ったけれど、強い主張のようなものを私が見抜けず、そのせいか逆に部屋などに飾るのにはとくに躊躇することもなく、ポスターを買って飾ったりしていました。

でも、主張がない、どころか、クレーは作品の中に実に様々なメッセージを描いていた、というのがこの本を読むとよく分かります。
パステルの四角の集まりが実はアルファベットの集合体だったり、
パズルのようにいろいろな記号、文字が作品にちりばめられていたり、
そのアルファベット、文字などには様々に解釈できるような意味がこめられていたり。
クレーは作品を通して実に様々なことを見るものに訴えていました。

また、作品の素材、材料にもメッセージ性が感じられるそうです。
聖なる意味を持つ作品の画材に俗世間を意味するかのようにタブロイド紙の紙面を使ったり・・・。
この著書の中で明かされたクレー作品の秘密の中で最も私が驚いたのは、
絵の表ではなくて、裏面に細工が施されている、という作品です。
当初、作品が完成した時点では、裏面には漆喰のようなものがしっかりと塗りこめられていたそうですが、その後何年か経たときにはその漆喰が徐々に剥がれ落ちてきてしまったそうです。
しかし、それはクレーが意図したことであり、はがれた漆喰の下からは新たな絵とメッセージが浮かび上がってきたそうです。

作品は出来上がってしまったときで完成ではなく、生きている、変化している、そこまでクレーは考えて創作活動を行っていた、というのです。

そのほかにも実にたくさんのクレーの作品、そしてパウル・クレーという人物に関する興味深い事柄が書かれた、とても読み応えのある1冊です。
クレーが好きな方は是非読んでみてください。
そして読み終わると、絶対スイス、ベルンにあるパウル・クレー・センターに行きたくなること請け合いなので、いつの日か、是非一緒に行きましょう!!!・・・?