練習オタクの日々

3日ぼうずにはしたくありません!この日記とピアノのお稽古。練習記録とその他読書などの記録をつけておきます。

「沖縄・プリズム 1872-2008」展

2008-12-24 | アート
(会期終了)

「沖縄・プリズム 1872-2008」展
2008年10月31日(金)~12月21日(日)
東京国立近代美術館

沖縄をフューチャーした展示会は珍しいなぁと思い、注目していました。

日本にありながら過去の歴史や独自の風土を抜きには語れない沖縄であるがゆえに、単なる作品の展示だけにはとどまらず、映像、メディアなどの資料の展示数がかなり多い印象でした。
また、写真の展示も多く、それは報道的な要素もありますが、やはり本土とはどこか違う「異国的な」(?)雰囲気を伝えようとする作者の意図が表現されているように思えます。

沖縄を語るとき、そこを本土と等しい日本の一部と見るか、いや、そうではなくて、やはり独特の沖縄風土があるからこそ、と見るのか、そのときそのときの状況によって異なるのでしょうが、
今回の展示では、私は個人的には沖縄色がまったく感じられない作品がかえって印象的であったことは記しておきたいと思います。


「アンドリュー・ワイエス―創造への道程」展

2008-12-23 | アート
絵画展というよりは習作展です。
とても珍しい展示内容だと思いました。

「アメリカを描ききる。
 アンドリュー・ワイエス―創造への道程」
2008年11月8日(土)~12月23日(火・祝)
Bunkamura ザ・ミュージアム

本日まで・・・

以前、アンドリュー・ワイエスの絵画展に行ったときは、
人物が描かれていない、荒涼としたアメリカの原野といった風景に、彼の描く寂寥感のようなものを強く感じたものでした。

しかし、今回の絵画展では、描かれているものはむしろ人物が多く、しかも作品にいたるまでの何枚にも及ぶ習作が展示されています。
そこから伝わるのは、彼の創作活動に対する非常に緻密で忍耐強い、熱心で真摯な態度です。
同じポーズの人物を何度も書き直す、ひとつの対象をいろいろな角度からデッサンする。
そんな普段表には表れない、地道な工程があってこその、あの写実的で繊細な作品が生まれ得るのでしょう。

芸術家、それは単なる天才なのではなく、非常に職人的な作業の積み重ねの元に評価されるべき作品を生み出す仕事人なんだ、という意識を新たにしました。

(本展覧会は本日までです。
 このブログをどれだけの方がごらんになっていて、記事をどの程度参考にされているのかは分かりませんが、面白そうな展覧会だな、と思っていただけると嬉しいと思う一方、記事のアップがあまりにも遅くて会期終了後のアップなどが続くのは最悪だな、と反省しています。
 展覧会の感想などはなるべく早くアップしたい、というのが来年の目標かな?)

『雪国』 川端康成

2008-12-18 | 読書
ノーベル賞の受賞スピーチ。
英語でのスピーチを拒否して、母国語である日本語でのスピーチを行ったのは、今年受賞の益川先生と、そして川端康成氏であったそうだ。

川端氏の受賞記念講演タイトルは『美しい日本の私』。
このタイトルを目にしただけで、日本という国の美しさが私なりに脳裏に浮かび上がってくる。

川端氏の作品も読むたびに感じるのは「美しい」ということ。
この『雪国』はそれに加えて官能的というかエロティックだ。
男が女にお前のことはこの指が覚えているとかいうことを話す。
エロティックである上にどこか上品だ。
刺激を狙っているのではないことが感じられるから、ただの官能小説とは違うのだろうか?

もしも今学生に戻れるならば、日本文学の研究に携わって、川端文学を研究してみたいなぁ・・・なんて思ってしまう。

『有頂天家族』 森見登美彦

2008-12-15 | Weblog
息子たちに3本の矢の教訓を説いたと言われているのは毛利元就だったか。

この『有頂天家族』も狸界、天狗界の暴れん坊たちのお話ではあるが、根底に流れているのは家族愛、兄弟愛だろう。

そして相変わらず京都の町を縦横無尽に駆け回るキャラクターたち。

森見作品を読むと、京都に行きたい・・・いや、京都で暮らしてみたい、と思ってしまうのだ。
しかし、実際にそんなことをしたら、碁盤の目のどこに自分がたっているのかもわからず、鴨川のほとりでしょんぼりしているところを、いたずら狸に化かされてしまうのがオチかもしれないなぁ。