『ぐるりのこと』 梨木香歩 2008-09-25 | 読書 梨木さんの書く小説が好きで、いったいどんな人なんだろう、という思いを抱きながら初めてエッセイを読んでみた。 かなり哲学的。そして政治的でもあるし、攻撃的かも? 深く深く物事を考え、洞察し、疑問や怒りを素直に感じる人であるようだ。 本当に只者ではない、梨木さん、という印象をさらに強くする。
レッスン記録(9/20の分) 2008-09-21 | ピアノ・音楽 『ハノン 8番』 左手の4の指を意識して、というのはいつもやっていることだが、 このパターンの場合、4だけでなく、3の指も意識して弾いた方がよさそう。 それから、さらにスピードアップ! もっと指が回るようになったらテンポの速い曲なども弾けるようになるんだけどなぁ・・・。 『30番練習曲 23番』 ツェルニー 右と左がシンクロするような曲は本当に難しい・・・。 楽譜の指番号を確認しつつ弾かないと指が足りなくなってしまうのだが、 感覚で弾けるようになるにはどうすればいいのだろう???
『短歌の友人』 穂村弘 2008-09-19 | 読書 歌人である穂村弘氏が短歌について評論する。 「短歌」と「和歌」とはその形式は同じであるが、 全く別のもの、もしくは、 「和歌」が変化して行き着いた先が「短歌」であるというべきか。 いまだに短歌と聞いて、「あるらむ」とか、「けり」とか言いながら貴族的な言葉の応酬、またはのんびり自然を愛でる創作活動、と思っている人は本評論を一度読んでみると、考えが一新されるかもしれない。 私は短歌と呼ばれるようになった時点で、「うた」は、 人間の感情の激しい吐露に変化した、と思っている。 あまりに激しすぎて真剣に立ち向かうのにかなりの体力がいるくらい。 フィクションであれ、ノンフィクションであれ、作者が思ってもいないことが文章に載ることはありえないことだが、 (それが作者の創作したキャラクターが作者の本意とは全く別の言葉を発していても) 短歌で歌われている事象、感情はそのままストレートに歌い手の気持ちである場合が多い。しかもかなり濃度の高い。 そんな喜怒哀楽の煮詰まったエキスをいっぺんに何首も読んでしまうと、 こちらとしては許容量オーバーとなってしまい、気持ちがひどくかき乱されたりするものだが、 この評論でかなり突き放した視点で冷静に分析してもらえると、こちらもずいぶん冷静になれる。 すべて感動するものの背景には確固としたロジックがある、 と私は思うが、それを証明している一冊でもある。
『三谷幸喜のありふれた生活』 三谷幸喜 2008-09-16 | 読書 三谷幸喜のコメディって、なんとなくビリー・ワイルダー系でいいなぁと思っていたが、 本人もその共通点やビリー・ワイルダーをリスペクトしていることをストレートに認めている。 本エッセイ中の言葉、 「日本(自分)のコメディとイギリスのコメディの共通点は、 ひとつに人間の日常生活を題材にしていること、 ふたつはハッピーなシーンとシリアスなシーンが交互に現れること、 そして最後は登場人物がフランス語では会話していないこと」!!! 三谷幸喜はポロッ、ポロッっと発言する言葉がなぜか私のツボにはまるのだ。 でも・・・、三谷さん、案外普通の人でした。 普通も普通だし、若干気が小さい普通の人かなぁ・・・。 彼の名誉のために付け加えますが、 三谷さん、とてもいい人、みたいです。
「舟越桂 夏の邸宅」展 2008-09-15 | アート 私が美術館などアート鑑賞に行くのは、現実とはかけ離れた異次元空間を体験したいから。 もしも同じように思っている方がいたら、これはもってこいの展覧会です。 「舟越桂 夏の邸宅」 2008年7月19日(土)~9月23日(火・祝) 東京都庭園美術館 舟越桂氏のそれだけでも不思議な雰囲気を持つ木彫が庭園美術館の素敵なアールデコ空間に点在しています。 この庭園美術館はかつて宮様のお住まいだった建物なので、通常の美術館のような広い空間・白い壁、というスペースではありません。 ようは広いおうちなのです。 だから、浴室に作品が展示されていたり、書斎に飾られていたり・・・。 「展示される空間によって、作品は全く違う一面を見せる」ということを狙って企画された展覧会のようですが、その目論見は100%効果的に生かされています。 大理石の瞳を持つ楠に彫られた胸像たち。 今にも動き出しそうなリアリティを強く感じるのは、その展示空間の効果もあってのことと思われます。 庭園美術館の内装もいつもながら本当にすばらしい。 そしてなによりもここの美術館での展示で感心するのは、作品の周りに厳しい枠など一切取り付けていないことです。 今回は作品が彫刻という三次元作品ですが、近づいて鑑賞できるのはもちろんのこと、裏側に回ってその背中までもじっくり鑑賞できます。 言わずもがな、作品に触れることはご法度ですが、そのためだけに作品に鑑賞者が近づかないようにガラスケースに入れたり、柵で囲んだりせず、来館者のモラルを信用した展示方法に毎回こちらのほうが逆に敬意を感じます。 本当にすばらしい展覧会でした。 異次元空間にトリップしたい方はぜひどうぞ。
「Nostalgie マグナムの写真家たちが見つめたパリ」 2008-09-05 | アート 「Nostalgie マグナムの写真家たちが見つめたパリ」 CHANEL NEXUS HALL 2008年8月9日(土)~9月7日(日) アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真展に行ったのは去年の夏のこと。 彼の写真がまた見れると聞いて展覧会に行ってきました。 今回はカルティエ=ブレッソンだけではなく、キャパ、アーウィットなどの作品も見ることができます。 そして思ったのは、私は彼らの作品が本当に好きだったんだなぁ、ということ。 どの作品も昔いつかの時点で必ず見ていた記憶のあるような写真です。 なんだか懐かしい気持ちにさせてくれる作品たち。 そして、もうひとつ思ったのは、パリという街、この街はなんて様になる場所なんだろう、ということ。 もちろん東京だってカッコいい作品を作るためのインスピレーションを呼び起こしてくれる街です。 でも、パリはまた格別。身近にいないからこそ、また強い気持ちをかきたてられるような気もします。 今回の展覧会、それ自体も素敵ですが、FREEでおいてあるパンフレットも素敵。 ちょっとした写真集のようです。 それにも掲載されていますが、カルティエ=ブレッソンのシテール島の写真、もう本当に素敵です。 しばらくパンフでその写真を見て、パリに行った気持ちになっています。
『みなさん、さようなら』 久保寺健彦 2008-09-03 | 読書 パピルス新人賞という賞を受賞した作品である。 このパピルス新人賞というのは「今、この時代に読まれる必然性を備えていること」と言う文言が応募要項にある。 そう思って読むと、新たに納得する部分も何点かあるかと思う。 これは、あの大阪池田小学校の児童殺傷事件に触発されて書かれた作品、かもしれない。 子供のころに受けた傷がトラウマとなり、団地から出て行けなくなった主人公。 その中でしかし、自分の状況、ジレンマと戦い、主人公が傾倒してゆくのが、自分の体を鍛えに鍛えて何者からでも自分、自分の周りのものを守れるように強くなること。 そして、生きて行くための仕事として洋菓子職人という職業を選択。 マッチョなパティシエ? なんだか設定としては無理があるかなとも思うが、それがやけにリアリティを感じさせたりもする。 ある閉鎖された空間から決して出てゆかずに成長する少年。 このシチュエーションは「海の上のピアニスト」という映画を連想させる、と読みながら感じたりもした。 しかし、この物語では、舞台はある巨大団地。 周りの同級生たちもずっとその中にいつまでもいてくれるわけではなく、 一人、また一人と団地から出て行ってしまう。 ニュータウンといわれたころは若い家族でにぎわっていたのに、いまやゴーストタウンと呼ばれるようになってしまった東京郊外の団地群と同じだ。 やがて主人公はその団地に同期生の中で最後に残された一人になってしまう。 彼は団地から出てゆくことはできるのか。 浦島太郎化した少年がその後、どのような人生を送ったのか、物語の続きも気になる作品だった。