練習オタクの日々

3日ぼうずにはしたくありません!この日記とピアノのお稽古。練習記録とその他読書などの記録をつけておきます。

『思いわずらうことなく愉しく生きよ』 江國香織

2006-04-27 | 読書
一時期江國さんの小説はもう読まないかも、とか思った時期があった。
とても甘くて甘くて、ただそれだけのような気がしてしまったのだ。
だけど、久しぶりにこの『思いわずらうことなく愉しく生きよ』という小説を読み始めて、「あぁ、この感じ。甘い中にも毒のある・・・」と思って嬉しくなって一気に読んでしまった。

三人姉妹(兄弟、特に姉妹、という関係は江國さんの作品にははずせない)のそれぞれの暮らし、男性関係、そして生き方。
あまりにもおおらかで、強くて、誰はばかることなく生きている三人。
私が彼女の作品にやや反感を覚えていたのは、その登場人物の生き方に嫉妬を感じていたからかもしれない。

三人三様の姉妹の生き方であるが、とくに長女のDVの問題は軽く読みすごすことができないような緊迫感がある。
表面上はDVを表現しているが、その内側に様々なテーマが内包されているように感じられる。
男に暴力をふるわれても決して別れようとしない麻子。むしろそのことによって男に執着してゆく。しかしもちろん心は平安ではない。
もうひとりのDVの被害者である近所の主婦は麻子とは違う。
被害を受け、苦しんでいるが、しかし実家と疎遠になり、たよるところもなく、日々苦痛の中で耐えているだけである。
しかし麻子の実家や姉妹との絆は非常に強く、助けを求めればいつでも守ってくれる人たちがいるのだ。
それでも夫との関係を解消しようとはしない。
その生き方は理解に苦しむ所もあるが、肉親との絆が希薄であっても逆に濃すぎてもそこから逃れるためにたとえどんな状況でも結婚という制度に執着するということはあるだろうな、とは思った。


レッスン記録

2006-04-25 | ピアノ・音楽
レッスン前に先生と恒例のおしゃべりをしていたら、急に雲行きが怪しくなってきた。
ゴロゴロと雷の音も聞こえてきて雨も降ってきたが、私は「まだ雷の音も遠いみたいですね」とのんきにしていたら、先生のピアノ室は二重ガラスになっているので部屋の音が外にもれないのと同様、外の音も中にあまり聞こえないそうなのだ。「実はかなり(雷が)鳴ってると思いますよ」とおっしゃっていたらたちまち庭の木の枝が揺れ始め、カーテンを開けてみたらひょうが降っていた。でもレッスンが終わる頃にはすっかり止んで晴れ間も見えていた。春の嵐だなぁ・・・。

『テクニック』
弾きにくいところこそ、お勉強になるところ。
これは毎回思うこと。

『30番練習曲 7番』 ツェルニー
今日は○をもらえた~
弾きにくいところはやはり右手、左手共通してパターンが変わるところ。
でも、基本的にツェルニーは好きなので気持ちよく練習できる。
とにかくこれをきちっと練習すれば少しはピアノがうまくなるのではないか、と信じて弾いている

『ピアノ・ソナタ 20番』 ベートーヴェン
右手四分音符、左手三連符のところがやっぱりバランスがうまくとれないで、左手がでてきてしまう。
右手の音をもっと響かせるように、鍵盤をド~ンド~ンと大きく鳴らして少し長めに打鍵し、左手は軽く、とのこと。
全体的に苦手なところはもっと右手メロディを力強く弾くように意識した方がよさそう。
譜面だけ見ると簡単そうに見えるんだけど、難しいなぁ

『イン・ザ・プール』 奥田英朗

2006-04-24 | 読書
精神科医伊良部のデビュー作(?)である。
続編で直木賞をとった『空中ブランコ』の方を先に読んで、いっぺんでこのシリーズのファンになってしまった。

伊良部総合病院の精神科を訪れるのは相変わらずヘンな人たちばかり。
でも、一概に他人事だと笑っていられないような悩みを抱えた人たちばかり。
携帯依存症の高校生なんて、あ~ウチの娘もあぶないかもと思わせるし、
ガスの元栓締めたかどうか心配で何度も家に戻ってしまう男はまるで自分のことのよう。

ただ、本当の病気の原因はもっと心の奥底にあった・・・いや、逆にもっと簡単な単純なことだったのかも。

そしてそんなへんてこりんな患者を、お金取るの?と言いたくなるようなへんてこりんなカウンセリングでなぜか正常に治療してしまう、キモ~イおぼっちゃま医師の伊良部。

彼はただの世間知らずでマザコンのおぼっちゃまなのか、それとも天才精神科医なのか?

世の中の悩み多き現代人には是非読んで欲しい一冊


『アマデウス』

2006-04-21 | 映画・ドラマ
モーツァルト・イヤーということで近所の公民館で『アマデウス』の鑑賞会が開かれた。
もう何度も観ている作品だが、劇場の大きなスクリーンで観たことはなかったので足を運んできた。

とにかく、面白い・・・。もう観終わったあとはいっぱいいっぱいで何から書いたらよいのやら。
見どころは数え切れないくらい。
作品中に流れるモーツァルトの音楽を楽しむのもよいし(やっぱ劇場で大音響で聴くと迫力!)、内容をじっくり吟味して楽しむのもよい。
本当にいろんな内容がつまった作品だったんだと改めて思った。
モーツァルトというひとりの天才ぶり、それを作り出した父親との関係(父親に対するコンプレックスや死後もつきまとう父親の影、多大な影響)、巨乳で超童顔の愛すべき妻コンスタンツェと息子との家族愛、宮廷音楽家という「雇われ者」の政治的位置、そして天才に一生を振り回されてしまった凡才サリエリとアマデウスの関係。

この話が史実に基づいているかいないかは関係なく、サリエリというひとりの男を通して見たモーツァルトという天才という図式がこの作品を名作と言わしめている大きな要因だと思う。
あくまで主役はサリエリなのだ。
サリエリがモーツァルトの姿を見て幻滅し、モーツァルトにまさに蔑まれるような発言を浴びせられてプライドをずたずたにされ、しかしモーツァルトの音楽にどうしようもなく魅力を感じその魔力から逃れられなくなってしまう。
その時にサリエリはモーツァルトを妬み、彼が失脚するのを望むのではなく、自分のような人間にではなく、「あの下品で信仰心のかけらもないような」モーツァルトに天才的な才能を与えた神そのものを恨み、信仰を捨ててしまう、そこがミソなのだと思う。

彼はモーツァルトが憎くて憎くて仕方ないと同時に彼の音楽に最も魅了されていたのだ。
コンスタンツェが楽譜を持って夫の職の斡旋を依頼に来た時、思わず取り落とした楽譜を踏みつけて部屋を出て行ってしまうが、その直前に楽譜につづられた音楽の素晴らしさに涙をこぼさんばかりに感激する。
オペラの興行が数回で打ち切りになってしまってほくそえんでいると同時にその数回の公演すべてに足を運んでしまう。

圧巻はモーツァルトを死に至らしめんがために姿を偽って現れ彼に心的プレッシャーを与えながらもレクイエムを書かせるシーンだ。
病に伏せるモーツァルトが自らの口で口ずさむメロディを五線紙に書き取ってゆくサリエリは二人の共同作業で素晴らしい音楽を作り出している、というその瞬間に身もだえするほど喜びを感じ、酔いしれているようだ。
モーツァルトの存在を抹殺してしまいたいと思うと同時に、死に直面しているという極限状態の中で彼が作る最高の音楽を誰よりも切望していたのはサリエリ本人であったに違いない。

そして彼の信仰である。
よく「神様はどこにいると思うか?」という設問に対し、「自分の心の中」という答えが返ってくる。
サリエリは信仰心(=自分の内なる良心)を捨ててモーツァルトを苦しめたつもりでいたが、死の床にあるモーツァルトに「ありがとう。優しくしてくれるのはあなただけだ。僕のことを嫌っていると思っていたのに・・・」などと言われ、激しく混乱する。
そして願ってもいなかったモーツァルトの死、天才にあらずべき天才を抹殺するという目的を達成したにも関わらず、精神に異常をきたし、収容されてしまう・・・。

凡人をこうまでも苦しめ、人生を狂わせ、すべてのことを巻き込んで大きくなってゆく天才のパワー、そんなものを見終わったあと感じたものでした。
あぁ、感想を書くのも疲れるすごい作品・・・。


東京国際フォーラム

2006-04-20 | Weblog
東京に住んでいながら話題のスポットみたいなところにあんまり行ったことがありません
あ、でも表参道ヒルズはこの前ちょっとだけのぞいたけど

東京国際フォーラムにも今まで一度も行ったことがなかったのですが・・・
とってもカッコいい建物でした

フリージア

2006-04-19 | お花
今年も咲きました。ベランダの鉢植えのフリージア

でも、なんだか今年は非常に花つきが悪い・・・
つぼみのあがってくる数がとても少ないのです。

手入れせずにちょっとほったらかしすぎたかな、とも思いましたが、
同じ球根を分けた友達に聞いたところ、そこのお宅もあんまりつぼみが出ていないらしいのです。
「今年の冬は寒かったからね~」という結論に達しました

それにしても、多分鉢の中は球根がぎゅうぎゅうだと思うので、今年は植え替えてあげないといけないかな

さくら

2006-04-18 | お花
ソメイヨシノはもうとっくに終わっていますが、よく似たこの薄いピンクの桜はなんていう桜なのでしょう?

今年は桜の季節が長いような気がします

『日曜日の夕刊』 重松清

2006-04-14 | 読書
重松清の小説を読むと、私の場合はあんまり晴れ晴れとした気持ちにはならない、というか、悪い意味ではなくてちょっと考えさせられることが多かった。
なんだかのほほんとのんびりと無責任に生きていることを怒られているような、そんな気持ちになることがしばしばだった。

でも、この『日曜日の夕刊』という短編集はその他の重松作品とは少し違う、という印象。
すごくつらいこととか、自分の弱さとか、避けて通り過ぎたいイヤなこととか、もちろんいろいろあるのだけど、読み終わったときにはすうっと気持ちが楽になるような、そんな優しい気持ちが感じられる。

ラストの一遍「卒業ホームラン」の中で冷めたお年頃になってきてしまった中学生の娘にお父さんはこう言われてしまう。
「がんばってもいいことないじゃん。おとうさんがいちばんよくわかってるんじゃないの?」
そういうことも事実だ。でも、頑張れば何かいいことあるかも、今苦しくてもきっといつかは救われる、そういう気持ちにさせてくれる短編集だった。

『信長の野望』 童門冬二

2006-04-12 | 読書
ここ3~4年くらい大河ドラマにはまっているので、今年は私にとっては「信長イヤー」なのだ。
(山内一豊イヤーではないんだなぁ・・・

以前お友達ののびさんがサイトで書いてらして面白そうだったので、この『信長の野望』を図書館で借りてきた。
そういえば似たようなまた別の小説が今ベストセラーらしいので、そちらも予約してある。
やっぱり世間的にも信長ブームなんだろうか?

ストーリーは信長がもしも本能寺で死んでいなかったらその後の日本はどうなっていたか、というもの。
生き残った信長は①日本全国をいくつかの府に分けて、独立した行政を施行できるようにする。②全国各地の港を開いて、海外との貿易を発展させる。③茶道をひとつの経済を伴う文化として確立させる。という方針を打ち立てていわば行政改革に着工してゆく。

このアイディアは信長が亡くなった後に実際に現実のものとなるのだが(かなり時間を要するが)信長ほどのビッグな人物だったら本当に生きていればもしかしたら存命中に日本は思惑通りに変貌したのではないか、と思う。

そういえば、信長とその家臣との関わり(親方様と下々の侍)は今の社会の管理職と部下の関係そのものなんだなぁとも思ったりした。
いい上司だったら部下も命がけ(?)でついてゆくものですよね

レッスン記録

2006-04-11 | ピアノ・音楽
イチロー選手やオリンピック金メダリストの荒川選手、その他たくさんの世界で活躍している日本人の話になり、彼らの実力、才能、努力などは並々ならぬものがあるに違いないけれど、そこに至るまで彼らを陰で支えてきた親御さんの精神的強さもすごい!という話になった。そこから転じて、大人になってから始めるピアノなり楽器なりは好きでやっているのだから楽しいし、続くのは当たり前で、子どもにピアノなど習い事を続けさせるのは半分は親の根性だという結論に至った。ホントにそう思います・・・。

『テクニック』
リズム変えは自分でリズムを考えているのにやけに難しいものになっていてすごく弾きにくかった。でも「その方が練習になります」とのお言葉・・・。たしかに・・・。
最近はレガートで弾くのがなぜか弾きにくい。弾いているうちにどんどん速くなっていってしまう。

『30番練習曲 7番』 ツェルニー
難しかったケド、わりと得意なパターンなので、なんとか完奏できて、「音がきれいに響いている」とお褒めの言葉もいただき、嬉しかった。
本当は左手5の指をキープしながら弾く練習曲のようだが、それはできているようなので、右手の音の出し方を教えていただく。
音をより綺麗に響かせるためには、打鍵した後に力を抜く、ということが最重要とのこと。
スタッカートの部分は鍵盤から指が離れるので、次の打鍵が不安定になりがちなので、指を鍵盤の近くから離さないようにという気持ちが働いて手が固まったままになって脱力していない場合が多いらしい。
同様に、和音を弾く時(特にスタッカート)、やはり手の形をキープしておきたいという意識から脱力がされない場合が多いとのこと。
とにかく弾いた後に手の力を抜ききって(先生いわく)「おばけの手」のようになるまで脱力するように弾くと音がよく響くそうだ。

『ピアノソナタ20番 第1楽章』 ベートーヴェン
前回よりはマシな弾き方ができたかも。
やっぱりひっかかったのは左手の三連符だ。これがチョー苦手なので・・・。
苦手だがら頑張って弾いちゃおうという気持ちになるらしく力みすぎで音も大きすぎ。
もっと力を抜いてコマを回すように手首をまわして指は落とすだけ。
何度も教えていただきましたが、未だにうまくできません・・・。
そしてその部分の右手メロディをはっきりと弾く!
これができるようになることが私にとってこの曲を練習する意義かもしれない。
頑張りマス・・・。