練習オタクの日々

3日ぼうずにはしたくありません!この日記とピアノのお稽古。練習記録とその他読書などの記録をつけておきます。

『乳と卵』 川上未映子

2009-02-21 | 読書
3人の女がそれぞれの女というジェンダーを意識している。

中年にさしかかった時期の女の性。
変な執着、姉は豊胸手術に偏執狂的にこだわる。
妹はそれに比べれば普通かもしれないけれど、場面場面でどこか自分の女性とジェンダーにうんざりしているような・・。
そして小学生の子はこの時期の異常な潔癖さで母を嫌悪する。
「気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い・・・・」とノートに記入する。

どれも理解できる。

特に緑子の母性に関する嫌悪感、すごく共感できる。
自分もそうだった。
妊娠に対する気持ち悪さ。
受精してそのほぼ直後にはもう性別が決定して、女性だったらもう卵子が生成されていて・・・なんて、生命の神秘を通り越して恐ろしいと思う。

女性があまりにも自分のジェンダーにこだわるのに比べて、男性はもっと自由な気持ちをもっているように思えるのだが、本当のところ、どうなのだろう。
もともと女性は女性であることをまるで恥じるべき、と強いられているかのような暗黙の認識があったように思える。
女性の生理現象、女性の特権ともいえるはずの出産に関する用語がそれをあらわしているのではないか。
「悪」「褥」「汚」などという漢字が並ぶ・・・。

しかし、母娘をやや冷静にみつめるヒロインの言葉で語られる女性の性は、そのあまりにもあっけらかん、自然な物言いから、女性ならではのわずらわしさにうんざりしながらも、女性であってもよいのだ、と確信させてくれるかのようだ。

レッスン記録(1/31の分)

2009-02-03 | ピアノ・音楽
あまりに寒くてちじこまって弾いていたら、先生に姿勢が悪いと言われてしまいました・・・。

『ハノン教本 15番』
スタッカートは打鍵するときにも意識、だけれども、鍵盤から指を離す瞬間も意識!はじけるように指を離して生き生きとした音を出すように!

『30番練習曲27番』 ツェルニー
弾きにくい部分の指使いをなおしていただく。
テンポを上げて弾けるようにリズム変えの練習も行うこと。

『別れのワルツ』 ショパン
Aメロ、Bメロと来ていよいよCメロの部分の練習(Aメロ・・・とか言わないと思うけど・・・)
ペダルの入れ方を教えていただく。
あとは曲全体のイメージを自分なりに持って弾くことだろうか?
メロディの雰囲気が変わるところでとまどってしまうので、こんな風に弾きたい、という自分の意思が大事かも。

『消える大学残る大学―全入時代の生き残り戦略』 諸星裕

2009-02-01 | 読書
大学関係者にも読んで欲しいが、学生、受験生、保護者などいろんな人が読んでも面白いはず、と著者自身が書いているとおり、きっと誰が読んでもわかりやすく、ためになるし、いろんな問題提起をしてくれる本だ。

なるほど~と思うところは多数あったが、特に、大学のお客さまは学生であり、その学生が望むような教育を提供するのが大学の使命だ、という著者の考え方には深く共感できる。

小・中・高そして大学ときて、あれ?と思うのは、本当に学生に何かを教えに来てくれているのだろうか?と疑問に思う教員が少なくない、ということだ。
もちろん、すばらしく、教育熱心な教員もたくさんいるし、そういう教員が大多数(だと信じたい)。
私が学生のときにもびっくりしたのは、当時も今も超有名な○○○○先生という人がいて、彼の授業をとりました。授業内容は以下のように進行しました。つまり、英文の教科書を教室の端から1センテンスづつ読む。次の人が日本語に訳す。読む。訳す。先生が直す。読む。訳す。読む。訳す・・・・。
が、延々続き、いつになったらこの有名な先生の面白い話が聞けるのだろう、と思っていたけど結局1年間、そのパターンの繰り返しのみに終わった・・・。
ということがあったのだ。

それではいけないのだ、と著者は言っている。
少なくとも学生が求めているような授業を行うべきだと。
どうしてそうならないのか、というと、大学の教授陣は自分の職場を教育機関だと思っていない、つまり研究機関だと思っているからだ、というのが著者の考え。
これは私も同感。
でも、アメリカの大学などは、学生に最高の教育を与える、と名言し、実行し、しかも教員はすぐれた研究成果をあげているそうだ。
この辺、日本の大学が考えを改める方がよい、と厳しく言っている。

もう1点。大学は、自分の大学に入学してくる学生に合わせた教育を提供するべき、という著者の意見。これも同感だ。
いまやお金さえ払えば誰でも大学に入れる時代。(お金を払わない、奨学金を借り逃げする、という不届き者すらいる・・・・らしい)
だとすると、基本的に勉学になじみがあり、優秀な教員には理解できないような「勉強苦手」的な学生がたくさん入ってくる大学ももちろんできてしまう。
そのときには、教員はもっているプライドとかいろんなものを捨ててでも、今目の前にいる学生に合ったレベルの教育を提供するべき、ということだ。
それを明確に大学のミッションとして明文化して掲げるべき、と著者は言っている。

たとえば、「この大学に入って4年間勉強をすれば、高校卒業レベルの学力が必ずつきます」というミッションを掲げた大学があったとすれば・・・。
そのミッションが必ず果たされるような教育内容であれば、こういう大学は実は非常に多くの学生、保護者に求められているのではないか?

他にもいろいろ目からうろこのような提案が盛りだくさん。
大学は地域の宝になるはず、そのためにどうすればよいのか、みんなで考えてみれば子供のこと、地域のこと、教育のこと、今問題になっている様々なことが少しは解決できるのでは?