練習オタクの日々

3日ぼうずにはしたくありません!この日記とピアノのお稽古。練習記録とその他読書などの記録をつけておきます。

「奇想の王国 だまし絵展」

2009-07-26 | アート
予想したとおりの大盛況!夏休みだからか、ボードを手に熱心にメモを取る小学生の姿も多数見られました。

「奇想の王国 だまし絵展」
Bunkamura ザ・ミュージアム
2009年6月13日(土)~8月16日(日)

純粋に楽しそう!という期待を持って観にいきましたが、その期待を裏切ることはありませんでした。
古典から現代までカテゴリー分けされてその違い、変遷を見るもの楽しく、
とにかく1枚1枚の「しかけ」をじっくり確認したいので、絵の前でみんな右からみたり、左からみたり・・・。

17世紀ごろの作品は、純粋に「まるで本物がそこにあるように」描かれていておどろきです。
ただ、本物のようにみせるために、本来絵がかけられていた壁面までも絵の中に描きこんでいるのに、それを額装して白い壁にかけて展示してあるので、びっくり度はかつてのほどではないでしょうね。

アナモルフォーズと呼ばれる、平面的には歪曲して何が描かれているのかわからないのに、ある仕掛けをあたえると、たちどころに描かれているものが分かってしまう、というシリーズは、おもしろさも抜群ですが、そのテクニックに感嘆してしまいます。
数学的な才能もないと、このような絵は描けないのでしょう。
また、まともに描くと上からのおしかりを受けてしまうような内容をこのようにこっそりテクニックというオブラートに包んで表現し、実は痛烈な批判精神があふれている、という時代背景が興味深いと思いました。

日本の作品も秀逸です。
笑いを誘う、庶民的な趣向にあふれているものも多く、粋な江戸文化を見ることができます。
影絵の作品とか、本当に面白いし、こうやって宴会の席で芸を披露して楽しんでいたのかな、と江戸時代にタイムスリップしたような気持ちになります。

マグリット、ダリ、エッシャーなどのコーナーはその発想に驚嘆します。
まず、ありえないことを描く、というその発想にいつも脱帽させられます。
その奥に含まれている意味も深いものがあります。
エッシャーを何点も鑑賞したのは初めてですが、やはりこの人の作品もその理系的緻密さに驚きです。

そして現代作品ですが、これらはその技術におどろくべきでしょう。
最後の立体作品など、「やばい」です。たねがわかったとき、ドーパミンが出まくりだったでしょう・・・。
個人的には「シェークスピアの肖像写真」の作品が心に残ります。
シェークスピアの肖像写真、と一度聞いただけでは「それが?」と思う反応かもしれません。
でも、シェークスピアの時代、写真などないのです。
では、なぜ肖像写真が??そのたねあかしは案外簡単なものでしたが、
非常に大判の写真として再現されたシェークスピアの威厳ある姿。
まるで血肉のかよった人物を写した写真のように作品をしあげるのにどのようなテクニックが必要だったのか、必要でなかったのか、それは分かりませんが、
この題材でこの作品を制作しよう、という発想に非常に驚嘆させられました。

夏休み、娘を誘ってもう一度行って見たいと思います。


「ディア・ドクター」

2009-07-20 | 映画・ドラマ
本物と偽者の違いって何?
それは誰が何のために決めること?

そんなことを考えさせられる映画だった。

山あいの、老人ばかりが暮らす村にある唯一の診療所とそこに常駐する医師。
老人ばかりが住む地域なので、診療所の待合室はいつも大繁盛の様子。
診療所に出向くことのできない患者たちのところには医師はスクーターで通い、
彼らの最後を看取る日々である。

村人たちから信頼され、必要とされていた医者がある日、突然失踪する。
そこからこの医師の本当の姿が明らかになってしまう。

(ネタバレ)
結局、この医者は医師免許など持たない偽者の医者だったのだが、
始めはそれを聞いておどろく村人もいたが、それで「だまされた」と怒り出す人は誰もいない。
むしろ、捜索にやってきた刑事たちが鬱陶しがられている様子だ。

印象的なシーンがあった。
医師のところに、最初はいやいや研修にやってきた、ぼんぼんの若い研修生との会話で、
偽医者は自分はじつは本当の医者でない、と言いたげに、「資格がないんだ!」と言い放つ。
しかし、若い医者は「資格ってなんですか??!ウチの親父なんて金のことばっかで、あいつこそ医者の資格なんてないっすよ!」と激高する。
「いや、医師免許が・・・」と言おうとしたのかしていないのか、偽医者はがっくりときて、会話が終わってしまう。

なんでもそうだ。お墨付きのお免状があれば、それでいいのだろうか?
そういうもので証明されるために努力した結果はもちろん評価されるべきであろうが、本当の資格って、なんだろう、そんなことを思った。

田舎の偽医者には心を許すが、都会の立派な病院につとめる本物の医者である娘には真実を隠そうとする母。
その関係もとても象徴的だった。
しかし、最後は母と娘のこころが通じあうようなシーンもあり、よかった。
どれもこれも偽物の意のまま、でもあったかもしれないが。

この世のいろいろな関係性に思い当たるようなストーリーでもあった。
本当の親なのに、親らしくできない親。
教師であるのに、まったく教師としての人格に欠ける大人。
一方で、資格をもたなくても影響力のある、立派な行いをしている人物。
そんなたいそうなものではなくても、ふとしたことで感じる人のやさしさ、
わけもなく、惹かれてしまう人間関係。

はっきりしないことの中にいろいろなものが含まれて、影響しあうのが人と人とのつながりなんだろうなぁ。

『決壊』 平野啓一郎

2009-07-19 | 読書
恐ろしい小説だった。

現代ならでは恐ろしさ。ネット社会の恐怖。
テロ。ネット上での人格の危うさ。
エスカレートする犯罪。低年齢化。
被害者、加害者のプライバシー。
犯罪の連鎖、悪の感情の連鎖。

どれもがもしかしたら起こり得る・・・と思わせてしまうところが怖い。

・・・・
が、一番恐ろしいのは作者の心の中なのではないか・・と私自身は思ってしまった。
残虐な犯行のシーンも、主人公の暴走する心の中も、見識者の評論も、哲学論議も、下劣な人間たちのおろかな行いも、
全て作者が無から作り上げたものかと思うと(盗作でない限り)、
一人の人間の中にこれだけの事象、感情が存在しているということが恐ろしい。
そんな風に思ってしまうのは、あまりにも軟弱すぎるのだろうか???


「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ」展

2009-07-08 | アート
2~3日前の日本経済新聞にも記事が載っていました。
東京での会期は終了しましたが、巡回中の展覧会です。

「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ ― 恵みの居場所をつくる」展
2009年4月4日(土)~6月21日(日)(会期終了)
パナソニック電工汐留ミュージアム

ヴォーリズは宣教師として日本にやってきて、滋賀県で布教活動を行っていたそうです。
建築の正式な教育は受けていなかったそうですが、数々のすばらしい建築物を日本に残しました。

職業柄、その多くはキリスト教系の学校が多く、
チラシに掲載されている神戸女学園などは「最も美しい」という形容詞とともにかたられることが多いそうです。

この神戸女学園のほかに関西学院大学などの模型が展示されていましたが、
低層の校舎を緑の芝生と小道が結ぶ、自然と共生する学びや、という印象です。

また、別の小学校建築では階段の手すりに「うさぎとかめ」の童話をもとにして、かめの彫刻をを上階に、うさぎを下の階に装飾としてとりつける、というユーモアも!

大規模建築だけではなく、別荘地にたてられた小さな隠れ家のような個人宅も印象的です。
それを再現した展示なども設置されていました。

実はヴォーリズは日本で「メンタム」の販売権も持っていた実業家、商人の一面も持っていたそうですよ。

「居間ができて初めて家になる」というヴォーリズの言葉が掲げられていましたが、様々な活動を日本で行った彼の功績を知ることができる展覧会でした。

「マティスの時代」展

2009-07-01 | アート
今ちょうど20世紀絵画についての本を読んでいるので、生マティスを見て理解を深めようと行ってまいりました。

「マティスの時代」
ブリヂストン美術館
2009年4月21日(火)~7月5日(日)

(なんとか会期終了前にアップできました・・・)

館内に入って5分ほどした頃でしょうか?
「学芸員によるギャラリートークがあります」とのアナウンスがありました。
面白そうなので(無料だし)参加してみました。

これは、学芸員の方が企画展示について、その日にお話なさるポイントを絞り、そのテーマに沿って主要な展示作品を詳しく解説して下さる、という企画です。

今日のテーマは、マティスの画風、作品アプローチの変遷、です。
マティスは晩年のシンプルでカラフルな作品がこと有名ですが、
そこに至るまでに様々な思考錯誤を繰り返していたようすが今回の展示でよくわかります。
ルオーも師事したグスタフ・モローの影響からはじまり、人間の肉体を描写するための研究、そして何より「色」に対する独自の考えかた、表現方法はマティスの大きな特徴であることがわかりました。
新印象派と呼ばれる、色彩学(補色の効果など)に基づく絵画の流れの中にあって、マティスは論理的な色の学問を理解した上で、それとは一線を画し、色というものをもっと人間の感情を表現するマテリアルとしてとらえるようになりました。
つまり、見えているように色を描くのではなく、人間の内面の気持ちを表現するためにもっと自由に色を描くようになったとのことです。
海の色をピンクに表現した作品など、とても印象的です。
また、マティスの色になくてはならない色は黒だそうです。
印象派の作品には決して表れない黒と言う色をマティスは実に効果的に使って、印象派の大家をうならせたそうです。

しかし、マティスが色の持つ論理的効果をまったく無視していたわけではないことが、晩年の「ジャズ」にみられる色と形の融合作品に表れています。
ほぼ同じような形の白と濃いブルーの形を表現する際に、「同じ大きさに見せるためには白はブルーよりも小さく描かれなくてはいけない」との彼の言葉があります。
これ、すなわち膨張色の理論ですね。
理論を深く理解した上で、それを壊してゆく、そこがマティスの魅力である、と感じました。

学芸員の方のお話もとても面白く、そして、突然に私に話が振られるというハプニング
(学芸員さん)この静物画、だれかの影響をとても強く感じますよね、誰だと思いますか?
(私)セ・・・セザンヌ・・・?
もあり、とてもスリリングな体験ともいえる、ギャラリートーク。
今日は200%楽しませていただきました!

7月5日(日)まで展示されています。