練習オタクの日々

3日ぼうずにはしたくありません!この日記とピアノのお稽古。練習記録とその他読書などの記録をつけておきます。

『ゴールデンスランバー』 伊坂幸太郎

2008-03-29 | 読書
JFK暗殺・・・その犯人と言われるオズワルド。
もはや彼が真犯人だと未だに信じている人間がどれだけいるだろうか?

この事件はリアルタイムで知ることはなかったけれど、
その後の数々の検証を知り、本を読み、映画を観て、
その裏にある「大きな存在」の恐ろしさを痛感した。
でも、本当の犯人、実際に手をくだした人物が誰か、ということすらもう知るすべはないのか。
「死人に口なし」とは恐ろしい言葉である。

『ゴールデンスランバー』はこの事件をベースに書かれた小説だ。

国家権力の暴挙、暴走。
逃げるしかない主人公。
切迫感、緊迫感が読んでいるだけでも伝わってきて、主人公の逃走を応援しているような気持ちになってくる。
最後はむざむざ死んでしまうことだけは「死んでも」なるものか、
というくらいの執念で彼は生き延びる。
ここは織田信長を彷彿をさせる。信長も実はマンホールならぬ、からくり床を通過して生き延びたのではないか・・・なんて思ったりする。
でも、結局はこの大きな力の理不尽さに屈するしかないのか、なにか手痛い一撃を与えることは不可能だったのか、と思ってしまうラストでもある。

張り巡らされた伏線、ビートルズへのオマージュ、青春時代をいとしく思う気持ち、伊坂作品の面白要素を全部持ってきて、ぎゅっと濃縮させてような作品。

「ヨーロッパ絵画名作展」(会期終了)

2008-03-26 | アート
もうとっくに会期は終わってしまいましたが(こればっか)、
ちょっと思うところもあり、感想アップします。

山寺 後藤美術館所蔵
「ヨーロッパ絵画名作展」
~ロココからコローとバルビゾン派の画家たち~
2008年3月6日(木)~24日(月)
大丸ミュージアム・東京

ロココからというサブタイトルにあるように、前半は宮廷からの依頼と思われる肖像画などがならぶ展覧会でした。

バルビゾン派といわれる田園風景を描いた作品たちも素晴らしかったです。

今回特に私が注目したのは、コローなどの絵画もそうですが、
ポール・ユエ「春の朝」などにみられる風景画です。
この絵を一目見たときにハッと気づきました。
これは、私がお稽古している小原流の写景自然のお花に通じるものがあるのではないか・・・と。
水があり、木があり、陸があり、光があり、風がある。
そして描かれていない部分にもず~~~と自然が広がっている余韻がある。
これ、まさに写景の世界です。

実際の写景のいけばなはこちらなどをご覧下さい。


http://blogs.yahoo.co.jp/yumihana5dc1

それに気がついたら、どの風景画にもその要素が含まれているような気がして、
見ていて楽しくなってきました。
やっぱり表現方法は違っても、芸術で伝えたいものは共通しているのかもしれませんね。


「ルオーとマティス」展

2008-03-16 | アート
私にとってのささやかなルオーの謎が解けた展覧会でした。

開館5周年 ルオー没後50年特別展
「ルオーとマティス」
松下電工汐留ミュージアム
2008年3月8日(土)~5月11日(日)

ルオーの絵で見たことがあったのは、男の顔のアップ、黒々とした、太い黒い線で輪郭を描かれた、むしろ輪郭だけでできているかのような、そんな絵でした。
この展覧会を見に行き、ルオーの生い立ちなども知って、なるほど、と思いました。
ルオーの父親はステンドグラス職人であり、ルオーも一時ステンドグラス作りを職としていたそうです。
そうなのです。太い輪郭、それはステンドグラスの銅線に通じていたのではないでしょうか?

それから、その男の絵、画集で見る限りでは、なんというかごつごつ、というかぼつぼつというか、なめらか、つるつるというのとは反対の印象でした。
この展覧会で展示されていた「ピエロ」という絵を見て、その謎も解けました。
ルオーはこれらの一連の作品を描くとき、油絵の具を塗ってはナイフで削り、またその上に絵具を塗っては削り、と言うのを繰り返して、ものすごく厚みのある、立体感のある作品を描いていたのです。
実際の絵に近づいて見てみると、その凹凸がはっきりと見てとれ、どうしてあんなにごつごつした印象だったのか、よく分かります。
本物を見る、ってすごく意味のあることなんですね。

この展覧会、タイトルにもあるように、ルオーだけでなく、マティスの作品も平行して展示してあります。
ルオーとマティスの共通点を私は全く知りませんでしたが、同じ師匠、つまりモローに師事していたそうです。
同じアトリエで絵画を学び、影響しあった二人。
画風が似ている時代もあり、全く異なる方向に進んでいた時代もあります。
しかし、お互いに刺激しあっていたことは明らか。
二人が深い友情で結ばれていたことが、後に見つかった往復書簡で分かったそうです。
いいですね・・・そういう長く続く友情って・・・。
マティスのあの有名な連作「ジャズ」も展示されていて、とても見ごたえのある展覧会でした。

『一瞬の風になれ 2 ヨウイ』 佐藤多佳子

2008-03-13 | 読書
いわゆる青春スポ根ものもいいなあ、とこのシリーズを読んで思っている。

先生みっちゃんの口を借りて語られる様々なセオリー、ポリシー、哲学が説得力がある。

特にこんな言葉が印象に残った。
たしかこんな感じ。
一人だけ才能、能力が秀でたものが平凡なものの中に入ると、
凡人たちが優秀なものに刺激されて全体のレベルがあがる、
というよりも優秀なものが平凡なものにあわせてレベルダウンしてしまうことのほうが多い。

これはスポーツに限らないことなのだろう。
学生時代の勉学についても言えるし、
生活習慣、いろいろなことに関する意識の高さなどなど・・・
様々なことについて言えることだと思った。

そのときにレベルを落とさないようにするには、
指導者の適切な指導が大事なのか、
それだけでなく、やはり本人の意思が重要なのか。
この言葉ひとつについても考えは広がってゆく。

ストーリーについては、主人公の兄に降りかかる重大なダメージ。
HEROの挫折。
そして、第三部に繋がって行く。

「ロートレック展」

2008-03-11 | アート
もう会期は終わってしまいましたが・・・。

「ロートレック展」
サントリー美術館
2008年1月26日(土)~3月9日(日)

人気の展覧会だったらしく、非常に入場者数も多く、
あまりゆっくり鑑賞はできませんでしたが、
これだけ一度にたくさんのロートレック作品を見ることができるのは壮観でした。

また、彼の作品だけではなく、当時の貴重なフィルム記録が多数上映されており、
それがまたなかなか目にすることのできない珍しいものでした。
例えば、ロートレックが題材として好んで描いた当時非常に流行したダンス、サーカスなどの映像です。

ロートレックは裕福な家庭に生まれながらも脚に障害を持ってしまい、おそらく母親の庇護のもとに暮らしていたと思われます。
そして、37歳というまだ若い年齢でその生涯を閉じます。
その短い生涯の中、彼が絵画に目覚め、好んで描いたのは、ダンスホール、娼館、キャバレーなどの俗世間でした。
なにより幸運だったのは、体の不自由なロートレックがそのような歓楽街に入り浸ることをお母様が禁じなかったことだと思いました。
でなければ、あれだけの作品はこの世に生まれることはなかったということですから。

絵の上手な人が、なんとなくちゃっちゃっと描いてしまったように見えるロートレックのポスター類。
でも、彼の絵画の基本的な力が確固たるものであることは晩年の肖像画などを見ると明らかです。
また、浮世絵にも通じる構成の妙は素晴らしいものがありました。

ちょっと残念だったのは、アートに関してはまだまだ勉強不足の私が楽しみにしている作品横の解説が、あまりの混雑のためにゆっくり読めなかったこと。
そんな中、なんとかじっくり読めた解説文に面白いことが書いてありました。
ロートレックが描いたある製紙会社のポスター「紙吹雪」というタイトル。
今ではお祝いのときなど、盛大に紙吹雪を散らすのはよく見る光景ですが、
昔は婚礼の時などは細かく砕いた石膏片を巻いていたそうです。
しかしそれはやはり危険だ、ということで、紙吹雪にとって変わったということなのです。
へ~、へ~、へ~。60へぇくらい。





レッスン記録(3/8の分)

2008-03-10 | ピアノ・音楽
『テクニック』
左手の薬指から中指の動きがやはり鈍いので、そこを意識したい。
次回からは指の練習は『ハノン』になるそうだ。
ピアノを習っている(いた)人にはおなじみのテキストだそうだが、
私にとっては未知の世界・・・。

『30番練習曲 21番』 ツェルニー
16分音符の弾き方を注意すること。
最初の音を打鍵したら、のこりの3音は力を下に、というよりは上に上がりながら力を抜いて、でもしっかりと打鍵して弾くように。
特に2番目の3の指が浮いてしまいがちなので、そこを意識して弾く。

『5月の夢の歌』 吉松隆
メロディがはっきりしてきたと褒めていただけた!
変奏部分の指使いを先生に書き込んでいただいたので、
次はこの部分の特訓!
弾けば弾くほど、好きになってくる曲だが、
全体的に優しく、pで弾かないといけないので、そこが一番難しい。
pは「弱く」であるが、「弱弱しく」ではないし・・・。
相当集中して弾かないと指のコントロールが効かなくてpではなくてfの音が出てしまいがち。で、なければ打鍵できていなくて、音がちゃんと出ないかのどちらか。
難しい~。

『からくりからくさ』 梨木香歩

2008-03-06 | 読書
梨木さんって、ほんとうにどんな人なんだろう???
作品を読むたびに興味が湧いてくる。

この作品、ストーリーとは全く別のところで楽しめたのは、
草木を使って創作する染物の世界、
それから、その辺に生えている草、植物を生活に生かして(食べたり、薬草として使ったり)ゆくその暮らし。

そのシーンを読むだけでも読みがいがあるし、
その知識の豊富さに感心し、なるほど~と勉強させられるし、
そして何よりその表現が美しい。

俗世間から隔絶されたような、芸術家が寄り合って住まう古い家。
なんだかすごく魅力的・・・。

『がらくた』 江國香織

2008-03-04 | 読書
江國さんの「大人の男女が出てくる」小説を読んで、いつも思うのは、
「なにかメッセージがあるのか、あるとすればそれが何なのか、よく分からない」
ということだ。
メッセージなんて最初からないのかもしれない。
ただ、その場を流れる雰囲気を読めばいいだけなのかも。

ひとつ思えるのは、これらの小説に登場する主たる人たちの世間から浮いた感じ、
確固たる雰囲気が、私は嫌いではない、ということだ。

江國作品に出てくる奥様たちは大抵、おそらく相当経済的に恵まれているような設定で、お金持ち特有のなんともいえずぼ~っとした感じが出ているなぁ、といつも思うのだけど、
そのお金持ちぶりがいやな感じではない、私は嫌いじゃない、といつも思っている。

なら、なにが嫌な感じのお金持ちなのか、と考えると、多分「見せびらかしたい」気持ちを持っているお金持ちなのかも、と思う。
見るからに「高価そうな」、しかし雰囲気のない所有物、それを人前に恥ずかしげもなく提示する人、それを見たら、江國作品のヒロインたちはこう言うだろう。
「悪趣味ね」

恋愛に関しても同じかもしれない。
作品の中で、他の人に自慢したくて、見せびらかしたくて、話したくてしょうがない人は主人公にはなり得ない。
どちらかというと、江國作品の主人公たちは自分たちだけの世界に入りこんで、他の人は寄せ付けないようなムードの中で愛し合っている。
ダブルデートとか、夫婦同伴のホームパーティとか、旦那の悪口に終始する井戸端会議とか、実はその裏では旦那を自慢しあうおしゃべりとか、あり得ないのだ。

で、なにが「がらくた」なのか、ということだが、
たぶん、他の人にはなんの価値もない「がらくた」だけれども、
私、私たちにとっては大切な宝物(物も気持ちも存在も)。
そんながらくたに囲まれて暮らしている。
というようなことなのかな?なんて思った。

あ~、これが江國さんのメッセージなのかも。
やっと分かった(ような気になった)。
一時期は、なんだか余裕がありすぎて鼻に付く感じの江國作品だったけれど、
最近少し、以前より楽しめるようになったかもしれない。

『あなたの呼吸が止まるまで』 島本理生

2008-03-02 | 読書
読後感は・・・微妙・・・だった。
むしろ、面白くなかった、とか、キライ、と言えた方が自分なりに強く印象に残ったということになるが、どうも微妙だったのだ。

そもそも、この本の何に興味を持って図書館に予約していたのか、読み始めてしばらくたっても思い出せなかった。
前半部分のストーリーは、大人の世界にいることが多い主人公の小学校での暮らしとか、友情とか恋とか、大人との接し方、など、悪くないな、と思った。
小学生の割にはあまりにもクールすぎる考え方、とか会話とかに違和感は持ったけれど、なるほど、と思う部分もたくさんあって、悪くない、と。

でも、「あなたの呼吸が止まるまで」というこのおだやかならざるタイトルはどうして?と思うような内容で、再び(多分書評を読んで図書館で予約したのだと記憶しているけれど)どんな書評に興味を持ったのか、相変わらず思い出せない。
だって、このタイトルじゃ、どう考えても小学生の女の子の話ではないでしょう。

それが明らかになるのは後半部分。
主人公の女の子は心にも傷が深く残るようなある暴力を、信頼していた大人から受けることになる。
それをどうしても許せない彼女は、やがて、自分が大人になったときに、必ず復讐を果たすことを心に誓い、暴力を与えた大人に自ら宣言する。
つまり、あなたの呼吸が止まるまで(あるいは止まった後も)私はあなたを許さない、ということのようだ。

でも・・・、と思ったのは、その復讐の方法があまりにも弱い、ダメージを与えるというよりは返って再び自分を傷つけるにすぎないだけの、あまりにも説得力に欠ける方法なのではないか、と感じたからだ。
もともと「復讐」なんていうものは自己満足に過ぎないものだから、第三者がどう思おうと本人の執念や怨念が解消されれば、それで本人は満足なのだろうけど、どう考えてもこれではちょっと・・・と思ってしまった。

だから、なおさら、この物語に書かれていることは、作者の身の上、または身近に起こった実際のできごとなのだろう、と確信してしまった。
あまり意味のない復讐、本人もそれで納得したのかどうか、少なくとも私の立場からはそれが正しいことかどうか、理解できなかった、という読後感だった。