練習オタクの日々

3日ぼうずにはしたくありません!この日記とピアノのお稽古。練習記録とその他読書などの記録をつけておきます。

『落花流水』 山本文緒

2006-01-31 | 読書
今まで読んだ山本さんの作品っていうのはかなり現実的で、すごく身近にありえそうな話が多かったように思ったが、この『落花流水』は少し違う。
あるひとりの女性のほぼ一生を書き綴っているのだが、なんだか全体を占める雰囲気がおとぎ話のような不思議な感じがする。
この女性っていうのがかなり波乱万丈な一生を生きているのだが、語り口は淡々としていてそれもどこか現実感が伴わないムードだ。

『恋愛中毒』とかもすさまじくて面白かったけれど、この『落花流水』もかなり面白かった。
様々な登場人物が彼女について語ってゆく、というスタイルで、章ごと(彼女の人生10年ごと)に視点が変わるというのも面白かった。

フクザツな人間関係の中で育った子どもは同じようにフクザツな人間関係を形成するような生き方をしてしまうものなのだろうか、ということと、
どんなに波乱万丈な人生を歩んで、人の愛情だけでなく憎しみまでもその人生の中で背負って、最後は年寄りになって老いてゆくとしても、やっぱり小さな子どもの時は周囲の大人からの愛情を一心に受けて大切に育てられていたものだということを思うと、切ないような哀しいような気持ちになってしまった。

『トリアングル』 俵万智

2006-01-30 | 読書
俵万智さんが書いた処女小説、らしい。

これは『チョコレート革命』の小説版、なのかな?
あの歌集を読んだときは、多分バックグラウンドとしてこのような人間関係があったのかもしれない、とか想像しながら楽しんだものだったけど、まったく想像したとおりのお話がこんな風に説明過剰に語られてしまうと・・・。
そうなんです。短歌のときはいろいろ想像する余地があってそれがイマジネーションを刺激されるようで楽しかったんだけど、小説になっちゃうとちょっと説明過剰という気がしてしまうんですよね~。
あくまでこれは人それぞれの感じ方だと思うので、私に限ってという但し書きつきで言わせていただくと、『チョコレート革命』の世界のほうが好きだなぁ・・・。

なんだかやたらすっきりと、修羅場もなく、別れのシーンなどもあるにはあるけれど全ての人間関係がうまくいっている、というのも物足りないといえば物足りない。
ドロドロの愛憎劇を期待しているというわけでもないんだけど。

ところで、物語の中に和歌を組み込む、という書き方は俵さんならでは、と思ったのだが、案外こういう文体は大昔からあったそうで、そういえば歴史のお勉強をしたときに習ったようでした。

tears for fears のアルバム

2006-01-29 | ピアノ・音楽
「シゃウト」とかが入っていたこれより前のアルバムもよかったんだけど、こちらのアルバムもなんというかドラマティックなかんじで好きです。

なんとなくジャケットもそうなんだけど、曲調、構成など、ビートルズを髣髴とさせる気がします。

『東京奇譚集』 村上春樹

2006-01-28 | 読書
一時、村上春樹はもう読むのやめようかなぁと思ったことがあった。
そう思っていたらこの本が出た。
また買ってしまった。
だってタイトルからして私好みなんですもん。

奇譚=不思議な、あやしい、ありそうにない話。

こういう話が私は大好き。
村上作品の中でも、あの「ノルウェーの森」よりも「羊をめぐる冒険」の方がずっとずっとすきなくらいなのだから。

5編の短編からなるこの『東京奇譚集』も思ったとおりの不思議なつかみどころのない、なんともいえない不思議な話ばかりでワタクシ的には読み終わってとても満足感を得る事ができた。
ワタクシ的には、とわざわざ言ったのは、「これはきっと読む人によっては面白くなくて怒り出す人とかいそうだなぁ」と思ったからだ。
でも、村上作品って、全部そうだよなぁ・・・。

ハワイで息子をなくした女性の話の中で、彼女が「エルビスが・・・・」とか言うと、20代くらいの若い男の子が「どうでもいいんですけど、エルビス・コステロってもうかなりなおじさんですよね~」とか返すシーンがあって、なんだかそこがやけにおかしくてツボにはまってしまった。これを読んでもなんでおかしいのか分からない人はきっと若いんだと思う。
だから、おかしくておかしくて、というよりはおかしいんだけど、なんだかちょっと哀しくなっちゃった、という方が正しいかもしれない。
村上さんって実はこういうユーモアというかペーソスというか、人を笑わせるセンス、みたいなのもすごくあるんじゃないかな。

『秋の花火』 篠田節子

2006-01-27 | 読書
5編からなる短編集。その内2作が音楽関係。
篠田さん、やっぱり相当なクラシック・ファンなのでしょうねぇ。
そして相変わらずの徹底した取材ぶりがうかがえるできあがり。
どの作品も楽しめました。
ただ、篠田作品を楽しめた、というのは癒された、とか最後に救いがあってよかった、とかいうのとは全然ちがうし、むしろ逆かも(そういう作品もあるけど)。

「灯油の尽きるとき」なんていうのはもう、身につまされるどころの話ではなく、現実の非情さを目の前につきつけられたよう。

篠田さんの本はヘタすると読めば読むほど落ち込むような気もするのだが、気がつくとまた手に取ってしまうんだなぁ・・・。

『自由戀愛』 岩井志麻子

2006-01-26 | 読書
「自由恋愛」ってどんな恋愛?「醜関係」って?「職業婦人」という言葉だったら聞いたことあるけど。
この本が出版されたのは2002年。で、舞台は大正時代。なぜに大正?
ストーリーは、まあお約束といえばお約束なのだけど、ちょっと興味をそそる内容ではありました。

一見ドロドロとしていそうだけど、結局はお話の中でしかありえないようなハッピーエンド(と私には思えた)。
明子さんはいつまでもお人形みたいで殿方からはチヤホヤされて、妻も妾も両方体験できてしまってそのどちらの立場にあっても男のひとには可愛がってもらえたし、ただのお人形ではいられないっていうことにも幸い気がついたし。
清子さんだって妾も妻も両方体験できたし、思いついたときに失踪という暴挙にだって出ることができて人生リセットできたし、どこかおかしなところに売り渡されるでもなく、なんといっても愛する息子が一緒にいてくれるし。
優一郎さんは・・・最後には何もなくなってしまったけれど、妻を可愛がると同時にお妾さんを囲うことだってできたし・・・、一時的には。

現実はこんなに最後はすがすがしくいくわけないでしょう。
やっぱり「全ての恋愛は醜関係なのかもしれない」という一言に重みを感じてしまうのでした。

ところで、確かこの作品、映画化されていたはず、と思って調べてみたら、長谷川京子、木村佳乃、豊川悦司というキャストで確かに映画になっていたようだ。
でも、一部のレビューを見てみるとハセキョーがいまいちとの意見が多い。
確かに・・・ドラマなんかを観ていると、「あぁ、こんなに綺麗でかわいいのに、もうちょっと演技が上手だったらもっとすごいだろうなぁ・・・」とたまに思ったりしたこともあったので、作品のできばえは想像に難くない、といったところだろうか?

『オー・マイ・ガアッ!』 浅田次郎

2006-01-25 | 読書
心身ともにくたびれている時には浅田次郎さんの書くコメディを読んで大笑い(ちょっと涙ぐんだりする人もいるかも)してスッキリ!

この人のコメディはしかも必ずといっていいほどドタバタしている。
でもただドタバタしているバカ丸出し、といったお笑いに終始しないで、辛らつな風刺、パロディ、時には辛口の箴言なんかも入っていたりして、笑いながらも怒られたり反省の気分にさせられたり、そして読み進めて行くと必ず最後には「いやぁ、しんどいけど、頑張ろうかな!」という気持ちになるのだ。

『オー・マイ・ガアッ!』の舞台となるのはラスベガス。浅田さんはかなり足しげくラスベガスに通っておられると見た。
胡散臭げな登場人物が出てくる出てくる・・・。
笑わされたのはそのべガスを裏で牛耳るイタリア系マフィア(の生き残り??)、ドン・コルレオーネ・・・じゃなかったドン・ペスカトーレ・ファミリーだ。
なんじゃ、そのネーミング・・・。
浅田さん、「ゴッド・ファーザー」をバカにしてるのか?
いえいえ、でもファミリーのもう耄碌してしまったヒットマンのおじいちゃんに最後に花を持たせてあげるあたり、多分このシリーズのファンなのではないだろうか?

元セレブ系OL、なぜかべガスのストリート・ガールになってしまった梶野理沙・・・ミス・カジノとべガスでは失笑を買ってしまうので、ファミリー・ネームはあまり言いたくない・・・と生まれながらの優柔不断なおぼっちゃまでポロシャツの襟を立てて素足にグッチのローファーを履く(えっ?○田純一さん?)という連れの女性からするととても恥ずかしいファッションで決めている大前剛・・・こちらもアメリカ人の前で自己紹介すると必ず大笑いされる。だって、大前剛、おおまえごう、オオマイゴッ・・・この二人が偽装結婚をして、それが極限状態の中ではあるが真実の愛へと変わってゆくあたりはちょっと無理があるなぁ~とは思ったけれど、お約束のハッピーエンド、それも嘘っぽさや綺麗ごととはちょっと違う、浅田作品特有のほろ苦~い幸せは存分に味わう事ができた。

DOUBLE のアルバム

2006-01-23 | ピアノ・音楽
エロカッコいいのは倖田來未だけじゃない。
あちらがロック系なら、日本語のR&BでカッコいいのはDOUBLEかな?

このアルバムの頃は2人で活動していたが、お姉さんの方が急逝したと聞いたときはちょっとショックだった。

『白蛇教異端審問』 桐野夏生

2006-01-22 | 読書
私は作家とか俳優とかの私生活というかバックグラウンドとかいうものにあまり興味がなくて、プロフィールくらいは読んだりするけれど、その人が何歳かとか子どもがいるのかとか、極端な話男か女かということにも特別な興味はなくて、作品が面白ければそれでいいと思っていたけれど、桐野さんのこのエッセイ、というかいろんな散文を読んで、そういう情報によって作品の面白さもまた変わってくるかも、とも思い直した。

彼女は結婚していて娘さんもひとりいて、普段は主婦もやって習い事もしてそれなりの人付き合いがあって、という当たり前といえば当たり前の事実に私はかなりびっくりしてしまった。主婦とかをやっていると彼女の作品に表現されているようなどこか現実離れしたようなすごく鬱屈したようなストレスが爆発寸前のような世界というのにはまり込んで創作活動を行うというのは無理なんじゃないか、と思い込んでいたのだ。
昔の作家といえば、俗世間から隔離されたような世界で執筆に全人生を注ぎ込んで、変わり者と言われようが、その特殊な生活環境があってこそ芸術作品が生まれてくる、と言ったような印象があるが、そんな作家は今の時代いやしないのかも。

「私の死亡記事」という文章が印象に残っている。
失踪願望、桐野さんにもあるんだ・・・、と思って笑えてしまった。もしかしたら失踪願望がない女を探す方が難しかったりして。

「白蛇教・・・」という文章には桐野氏が個人的に受けた批判的文章とそれが匿名であったという事実に対して彼女が公の場でさらに批判を返していて、それが大問題となっていたという経緯その他が書かれている。そんなことになっていたとは私は全く知らずにいたのだが、表現者というものはいつでも言葉、文章、いろんな形での悪意がある、なしにかかわらず必ず批判を受ける立場になり得やすいということに改めて思いが及ぶ。断固戦う立場を崩さなかった桐野さんはすごい、と思うし、なんだかすごいパワーを感じてしまった。

鬼束ちひろのアルバム

2006-01-20 | ピアノ・音楽
今日は鬼束ちひろのアルバムを聴いている。
事務所トラブル(?)があってからあんまり出てこなくなっちゃって残念だなぁ。

いまや大ブレイクしている仲間由紀恵ちゃんが、ちょいブレイクしていたころに出ていたドラマ『トリック』の主題歌といえばいつも鬼束ちひろだったっけ。
あのドラマも大好きだったけど、歌も大好きでした。