練習オタクの日々

3日ぼうずにはしたくありません!この日記とピアノのお稽古。練習記録とその他読書などの記録をつけておきます。

『陽気なギャングが地球を回す』 伊坂幸太郎

2006-08-31 | 読書
あとがきで伊坂さんが「90分くらいの映画が好き」と書いているように、とっても映像的な一冊。
それもめっちゃ楽しいエンターテイメント映画のよう。
やっぱりあとがきに「現実世界とつながっているようでいない」とあるように、ありえない人たち、ストーリー。
でもそれが楽しい!
人間嘘発見器の男、天才スリ、演説大好き男、世にも精巧な体内時計を持つ女。
こんな人たちが銀行強盗をはたらくのだ。みごとに芸術的に。人生を楽しむために。
いろんな事件に巻き込まれて、話は伏線に続く伏線だらけ。
そして最後はもちろんハッピーエンド。
これを読んですごく楽しませてもらったんだけど、さらなる楽しみはこの原作の映画化作品を観ることができる、ということ。
登場人物が佐藤浩市、大沢たかお、鈴木京香などなど・・・。
絶対観なきゃ!

京都駅ビル

2006-08-30 | Weblog
京都の駅ビルっていつ見てもすごい
これができたときは「素晴らしい」「景観を損ねる」と賛否両論だったそうです。
この中にホテル、百貨店なども入っていますが、とにかくすごいのはこの吹き抜け。
やたらでっかい空間がぽっかりと・・・。
梅田にある空中庭園で有名な双子ビルみたいなのもすご~く空間を贅沢に使っているなぁと思っていたら、同じ建築家の設計だったみたいです。

『ひなた』 吉田修一

2006-08-29 | 読書
相変わらず淡々とした人間関係を描く吉田さんの作品。
でも、一見物静かな暮らしの中で、やっぱり登場人物はみんな心の中に人には言えないような秘密を抱えている。
読み始めて最初はちょっとびっくりしたレイの昔は千葉でバリバリのヤンキーだったという過去が一番健全でほほえましいくらい。それくらいみんないろいろなものを抱えている。
個人的には浩一、尚純のお母さんの生き方には思わずうなってしまった。
ただの気のいいお姑さんのように描かれているが実は・・・。
トンデモナイ過去を持ちながらそんなそぶりも見せずに飄々と生きているお母さん。
でも、お母さんってそういう強いところがあるものだなぁ、強くないとお母さんじゃないよなぁ、と思ってしまった。

本当になんの悩みも秘密もなく楽チンに生きている人なんていったいこの世にいるのだろうか?
つらくて苦しくてうわぁ~~~っと叫び出したくなるけれど、みんなそんな波のように訪れる激しい気持ちを自分の中で自分なりに消化して生きているんだろうな。

レッスン記録(8/26の分)

2006-08-28 | ピアノ・音楽
2ヶ月ぶりくらいのレッスン
これからは定期的にレッスンが受けられるように毎週決まった時間に枠を作っていただいたので、もっともっと練習しないと・・・

『テクニック』
前回先生から言われた課題、スピードアップ、ということを意識して弾いてみた。
スタッカートなどは特に速く弾くと腕がパンパンに張ってきて熱をもってくるほど。やっぱり力が入っているんだなぁ・・・。
以前は左腕が痛くなったものだが、最近は右腕が痛くなってくる。そのことを先生に言うと、左手は特によく練習するようにといつも意識しているので、左だけで弾くこととかもあり、その効果で左の方が逆に鍛えられてきている、とのこと。なるほど~。

『ツェルニー 30番練習曲』 9番
夏休みの間、レッスンもなく、ひとりで孤独に練習した甲斐もあって○をもらう
主に左手のスケールの練習曲ではあるが、右手の和音も綺麗に響かせて弾く事が大事。
ツェルニー30番の場合、表記がpになっていてもとくに弱く弾く事はせず、全曲通してきちんと全部の音を響かせるように、とのこと。

『ピアノ・ソナタ 20番 第二楽章』 ベートーヴェン
中間部の左手がどうしても思うように弾けない
右手と左手のバランスを考えて弾くように、とのこと。
右手はリズムにのってスタッカートのところで手を上に跳ね上げるように。それに対して左手は抑えてなるべく動きも少なく弾く。そして4つの音の内、最初のベース音に重心をおいて、残りの3つを軽く弾くように意識する。

『ガール』 奥田英郎

2006-08-27 | 読書
私が大卒で勤め始めた頃っていうのは、ちょうど男女雇用均等法とかいうのが制定されて、女子でも総合職!とか言って優秀な女性は(私ではありません。涙)トクベツ扱いみたいな感じで採用されて、それでも使う方の会社がどういう扱いをしていいのか分からなくて右往左往している雰囲気だった。それで、総合職ではない普通の女子は、今では考えられないんだけど、結婚したら辞めてください、みたいな無言の不文律みたのがあって、でも結婚しなければいつまでも勤められるのか、というとそうでもなくて「肩たたき」とかいう今で言うリストラへの引導みたいのがしょっちゅう行われていた。もちろんそうじゃないちゃんとした会社もあったけど、私の会社はそうでした

今は「キャリアウーマン」なんて言葉が死語になるほど、女性でもバリバリ働くのが普通だけど、それでも女ならではの社会生活の悩み、鬱憤、苦痛みたいなのはいっぱいある、ある・・・。
管理職にまでなったはいいけど、部下が年上のオジサン・・・扱いにくい・・・。
この際だからマンションでも買おうかな、と思うけど、ひとり暮らしのためのマンション・・・迷う~~~・・・。
いつまでも年甲斐もなく若作りしてはしゃぐのって端から見るとどうなんだろう・・・人目を気にする・・・でも、元気で仕事もできれば文句あるわけないじゃない・・・でも~・・・。
仕事の上で子どもを錦の御旗にはしたくない、絶対!・・・あ~でも、子どもは大事・・・。

こういう女子のびみょーな立場みたいなのを男性の奥田さんが書いているのがすごい!人間をよく見てるんだなぁ・・・と感心してしまった。

ちょっと自分でもギクッとしてしまったことが書いてあったんだけど、それはこんなセリフだった。
「三十代は二十代のもの(洋服)を買い求めるんです。ときには四十代の片も」
うわ~、それは私です・・・
でも、そんなこと言われてるかもしれないけど、自分で楽しければいいじゃない。私、オバサンですから、とか言っていじいじしてるよりず~~~っといいと思うよ!
開き直りではなくて、そんな風にプラス思考にさせてくれるような短編集だった

『アンボス・ムンドス』 桐野夏生

2006-08-21 | 読書
美しい話、清らかな話、そんな小説を何冊か読み続けると、反動でか、邪悪な雰囲気の小説が読みたくなる。
そんなときに私はよく桐野さんの作品を読む。

この『アンボス・ムンドス』は人の心の中の悪意がこれでもかと詰まった短編集だ。
登場人物もとてつもなくイヤなヤツばかり。
ブサイクな女のトラウマ。サイテ-な男になり下がったヤツの性欲。不倫の末の結末。嫉妬、いじめ、他人を陥れる大人も子どもも・・・。
こんな酷いこと、嫌な感じ、正面きって嫌悪するほど私も清くはないので、むしろこんな小説を読むことで自分の中の汚い部分を代弁してくれているようですっきりとする。

どの話も最後がブチッと音がするようにあっけなく終わらせているのがまた薄情な感じがしてショッキングでもある。

ところで一番長い『浮島の森』であるが、私は聞きかじりでしか知ってはいないが、谷崎潤一郎とその婦人にまつわる離婚劇、修羅場がそっくりそのまま題材になっているように思えるのだが・・・。
これまた最後はあれっ?という結末となっていて、結局なにが言いたかったのだろう、としばし考えてしまった。

若冲と江戸絵画展

2006-08-20 | アート
東京国立博物館・平成館で開催中の『プライスコレクション 若冲と江戸絵画展』を見に行ってきました。

小原流のいけばなを学ぶ私にとっては琳派、狩野派などの江戸絵画はなじみ深いものでしたが、伊藤若冲の名前ははっきり言ってあまり聞いたことがなく、彼の作品もよく知りませんでした。

確かに知る人ぞ知る、という玄人好みの画家であった若冲も、近年アーティストのプロモーションビデオにイメージが使用されたり(宇多田ヒカル)、お茶のペットボトルにコラボされたりして徐々に知名度が上がってきていたようです。

館内はさすがに話題の展示だけあってものすごい人でした。
特に若冲の例のタイルのような白い象さんや動物達の巨大画の前は人だかりがすごくてじっくり鑑賞するのは不可能・・・。

でも、なんとか人ごみを掻き分けて膨大な量のコレクションを見てまわって感じたのは、若冲という画家の独創性のすばらしさでした。
琳派絵画などにも見られるような構図のおもしろさ、現実世界ではありえないような面白い世界を描く、ありきたりでない発想の意外性。いったいこの絵はどうなってるの?みたいなだまし絵を見るような楽しさが若冲の絵にはいっぱいあるということが感じられました。
そんな発想のおもしろさだけでなく、絵を描く技術においても次々と新しいアイディアを思いついて作品に生かしていた、というのがよく分かり、そんな職人的研究心も旺盛な人だったんだなぁ、と思わされます。
薄墨のにじみを生かした「筋目描き」というのは特に有名で若冲の専売特許ともいえる技法だそうですが、薄い絹に描く上で絵の具の発色をよく見せるために裏からも絵付けしていた、とか、なんと言ってもあの象の絵のような巨大な絵を細かい升目の集団ととらえ、その升目をひとつひとつ埋めてゆく、なんていう描き方は、ブラウン管テレビの技術に通じるものもあって、どうしてこんなことを思いつくのだろうと感心してしまいます。

それにしてもこんなに面白い若冲の作品を(もちろん日本に保管されているものもたくさんありますが)アメリカ人のプライスさんが安い値段のときに買い占めて大事にしていてくれた、というのも不思議な話・・・。お目が高かったんですね。ミスター・プライス。

話は展覧会にもどりますが、最後のお部屋はそのプライスさんのアイディアで、ガラスの仕切りなども全て取り払い、作品が完成したときの雰囲気を出来る限り再現できるようにと、なるべく自然の光のなかで作品を鑑賞できるような工夫がとられています。
そこは若冲以外の作家の作品が主でしたが、薄ボンヤリとした光のなかで巨大な屏風絵が浮かび上がって見えるさまは迫力でもあり、幻想的でもあり、素敵でした。

上野公園東京国立博物館・平成館にて8月27日まで。

『幸福な食卓』 瀬尾まいこ

2006-08-15 | 読書
『幸福な食卓』とタイトルにはあるけれど、おだやかな食事の風景が描かれてはいるけれど、実はとってもいろんなものを抱え込んでしまった家族の話なのだ。

過去のあるできごとをきっかけにちょっとずつ壊れていってしまうこの家族。
多分無意識になんだろうけれど、食卓の座る場所がなぜかいつも決っているように、すべてにおいてきっちりきっちりしてしまうのがいけないのかも。
少しゆるゆると、いい加減な感じで生きてゆくほうがいいのかも。

そう気がつき始めてうまく行きそうになってきたところで、また襲う悲劇。
なんだかとても悲しい展開。
そういうお話にしなければいかなかったのかな?という疑問がわいてくるほどの悲惨さ。

でも、どんなに悲しいことがあっても人間は生きていかなければいけない。
自分のためだけでなく、家族やその他のいろんな人たちのために。

そんな風に思わされた話でした。

研究会レポート

2006-08-14 | お花
今月の支部研究会は講師の先生をお呼びしての講習会でした。
しかも写真のような舞台全面を使っての大きな舞台花のデモンストレーションということで、私が参加した講習会では恐らく初めての試みでもあり、大変見ごたえのある講習会でした。

舞台後方には巨大な筒の形をした花器を設置し、そこにあらかじめ製作しておいた「竹」を裂いたパーツを波のようにいけこんで「ならぶかたち」を作ってあります。根締めは楓の枝です。
前方にはうずのようなかたちのオブジェに垂直方向に「まわるかたち」をいけてあります。実際に舞台上に支部の青年部のスタッフがあがってその場で生けこみをおこなうという形式でした。

その中央には講師の先生がいけた「ひらくかたち」を設置。

このような大きな花をいける際はこまかなひとつひとつの花の表情を見ていける、というよりはむしろ大きな枝や花束状にしたマッスを色の固まりととらえてそれを舞台全体のどこに点在させていくかということをイメージしていける、というお話が印象的でした。

『サウスバウンド』 奥田英郎

2006-08-11 | 読書
中野が舞台の小学六年生の二郎少年が主人公の小説。
読み始めてしばらくは親から自立し始めた年頃の男の子の心理を描くプチ青春小説かと思っていたが、読み進めるにつれ、とんでもなくスケールの大きなありえない話だということが分かった。

肝となっているのは、二郎の父親だ。変わり者という一言では表しきれない突拍子もないおやじさんだ。
どうやら革命の闘士だったらしい(全共闘、コウアン、アナーキスト)。
そんな変わり者のお父さんは「税金なぞ払う必要ない!」と豪語して徴収員とケンカすることなんて日常茶飯事だし、二郎や妹の通う小学に校に対して「修学旅行の積み立てに関して業者との癒着があるに違いないからその辺を明確にするまでは払わない」と言い放ったりする。
そんな「いい加減にしてよ」的なお父さんの下で友達とか中学生とかとのトラブルに巻き込まれてちょっとした家出を経験したりする二郎だが、父親の友人のこれまたアブナイおじさんが画策した内ゲバ事件の片棒を担がされてしまい、それが原因で一家は借家を追い出されてしまう。

第二部では、一家がお父さんの口癖だった「沖縄に移住」してからの話だ。
国家が供給するライフラインを断固として拒否し、電気も通っていないような廃墟に住む事を勝手に決めてしまうお父さん。
実はお父さんは島の革命の英雄だった伝説の男の子孫だったらしい。それを知っている島の人々は何から何まで世話をやいてくれて、何も持たずにやってきた離党での暮らしもなんだかとんとん拍子にうまく軌道に乗ってしまう。
相変わらず「国家の思想統制の温床なので子どもは学校になんか行かなくていい」とか言っているお父さん。
でも、東京ではごろごろばかりしていたお父さんが毎日畑、漁、と生きるためにせっせと働き始め、二郎たちもお父さんのことをちょっと見直し始める。が、そんな安定した生活もつかの間、一家の住む地域はすでにリゾート開発の予定地であったことが分かり、業者の立ち退きの要求が始まり・・・。
お父さんが黙っているわけがない。暴れる暴れる・・・。さすがファントムに火をつけたことがあるだけの男だ。
大変なすったもんだの末、お父さんとお母さんは、パイパティローマ、国家の支配の及ばない真の自由の島、の存在を信じて船出して行ってしまう。

とかいう話でした。

あまりにも盛りだくさんで、作者は何を言いたかったのかな、と考えてみたけれど、きっといろんなことを伝えたかったのだろうなぁ。

私が感じたのは、やはり子どもには同じ年頃のなんでも思ったことを話せて共感してくれて、身体を動かして遊べる友達が必要だ、ということ、本当に友達を信じてあげることの大切さは小学生でも理解できるということ。
それから、反政府主義者になる必要は全くないけれど、お父さんの「違うと思ったらとことん戦え。孤独を恐れるな。理解者は必ずいる」という最後の言葉がすごく印象的だな、と思った。

奥田さんと沖縄、というのはどういうつながりがあるのか存じ上げないが、沖縄に対する憧れの気持ちみたいなのを感じて読んでいた。
この話のようになにも持たずにふらっと住み着いても島の人が家族のように何でも分け与えてくれて、なにも疑うことなくコミュニティに受け入れてくれる、ということはないと思うけれど、都会にはないそんな優しさみたいなものが奥田さんは実は好きなのかもしれない、と思った。