一昨日は、友人のお通夜、昨日はその告別式に行ったことを記事にした。
お通夜は夫も同伴してくれたが、昨日の告別式は夫は他用があったため、私一人で行った。
私は、普段でも一人で出かけることは少ない。
それは、聴覚に障害があるからだ。
ことに知らない人の中に一人で入るような真似は極力しない。
いちいち難聴ですと言うのが面倒なのと、相手の方に余計な気遣いをさせたくないと遠慮が働くからだ。
が、昨日の告別式は仕方なかった。
自分の気持ち的にも、出ないという選択肢はなかった。
が、行ってみれば、やはり心配した通りのことになる。
一昨日のお通夜で一度顔を合わせているから友人の教え子の方々は気軽に話しかけてこられる。
夫がいればフォローしてもらえるのだが、昨日はフォローしてもらえなかったからカミングアウトするしかなかった。
「あの実は私は聴覚に障害がありまして、書いてもらわないとお話しできないのです」
すると相手の方は引かれる。
たかが挨拶程度のことを書いてもらうのもなんだし、それ以上に相手の方は調子が狂ってしまうだろう。
それで、それっきりになる。
本来なら、これを糸口にしてお知り合いになれるチャンスというのに・・・。(涙)
が、これが私のおかれた境遇なのだ。
本当にご縁のある人であるなら、また後日なんらかの形で、またご縁があるだろう。
今まで生きてきて、そういうふうに考えてきたし、これからもそう考えて生きていくしかない。
これを悲しみと捉えれば確かにそうだが、しかし、これが運命と思えば、これを受け入れていくしかない。
お通夜は夫も同伴してくれたが、昨日の告別式は夫は他用があったため、私一人で行った。
私は、普段でも一人で出かけることは少ない。
それは、聴覚に障害があるからだ。
ことに知らない人の中に一人で入るような真似は極力しない。
いちいち難聴ですと言うのが面倒なのと、相手の方に余計な気遣いをさせたくないと遠慮が働くからだ。
が、昨日の告別式は仕方なかった。
自分の気持ち的にも、出ないという選択肢はなかった。
が、行ってみれば、やはり心配した通りのことになる。
一昨日のお通夜で一度顔を合わせているから友人の教え子の方々は気軽に話しかけてこられる。
夫がいればフォローしてもらえるのだが、昨日はフォローしてもらえなかったからカミングアウトするしかなかった。
「あの実は私は聴覚に障害がありまして、書いてもらわないとお話しできないのです」
すると相手の方は引かれる。
たかが挨拶程度のことを書いてもらうのもなんだし、それ以上に相手の方は調子が狂ってしまうだろう。
それで、それっきりになる。
本来なら、これを糸口にしてお知り合いになれるチャンスというのに・・・。(涙)
が、これが私のおかれた境遇なのだ。
本当にご縁のある人であるなら、また後日なんらかの形で、またご縁があるだろう。
今まで生きてきて、そういうふうに考えてきたし、これからもそう考えて生きていくしかない。
これを悲しみと捉えれば確かにそうだが、しかし、これが運命と思えば、これを受け入れていくしかない。
お通夜にて御目文字すれば翌日の告別式でお声がかかる
挨拶の言葉いちいち紙に書きいただくことはできず私は
難聴は治らぬゆゑに嘆くのは止(よ)さむと思ふ折々おもふ
難聴であるということのハンデは大きいのですネ。外見からはその様なハンデが見えないだけにお気持ちお察し致します。私も痩せはしたものの、外見では心臓病は分かりません。東京都で貰った赤い障害者マークを、混んだ電車に乗る際には、見える処に出す様にしていますが効果は少ない様です。待合室などで座っているとき、混んでいても座ります。赤いマークは出しませんが、白い目で見られることもあります。無視していますが…健常者には理解しても貰いにくいです。
また気づかれても、それが返って私が健聴者の方々から避けられる源になり、痛しかゆしでした。
心臓のほうは、私は電車などに乗ったとき、座席に少しでも隙間があれば、「申し訳ありませんが、お席を詰めていただけませんか?私は心臓が悪いもので」と声に出して言うようにしています。
大概、詰めていただけるし、席を立ってくださる方もいます。
生きていくためには、私も、いろいろ工夫しています。(笑)
体の健康な方、あるいは、耳に障害のない方に、こちらのことを理解してほしいと期待しても、なかなか難しいです。
逆の立場であれば、私も、障碍者の方々を理解してあげられたかどうかわからないと思うにつけても。
でも、理解まではしていただけなくても、悪い人ばかりではないとも思っています。
いつもコメント、ありがとうございます。
障害があると尚更。
ご苦労様でした。
お友達の最後のお見送り出来て良かったですね。
短歌の取り持つ心の友でしたね。
心と体を休めてお友達の分まで人生を楽しんでください。
お子様やお孫さんとの時間を大切に。
色紙に短歌を書くために。
ハイジはまず道具からと妹に墨と筆とお手本を送って貰いました。
妹は書道しています。
硯は大正天皇御即位献上硯を買ってました。
短歌はまだまだ未熟。
色紙で書道の練習。「の予定」が。
怠けものなのでいつまでたっても「来週から」と練習が始まりません。
人生いつまで明日があるかわかりませんね。
有意義な日々を過ごしたいものです。
が、ただ黙々と書くだけでは飽き足らず、短歌を始めて、一時はのめりこんでいました。
が、才が乏しいのか、なかなかです。
それで何度ももうやめます宣言をしたのですが、いまだにやめられないのは好きの横好きでしょうか?(笑)
でも、短歌をやっていてよかったと思うことは、村形明子さんとお友達になれたこともあるし、その他、いろいろ学べたこともありました。
ハイジさんも、どうぞ続けてくださいませ。
お習字も復活させたいと思っていますが、思うだけで一生復活できないかもしれません。