神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

電話ができたら・・・

2016年12月23日 18時51分13秒 | わたしのこと
夫が東京の娘のところの孫にお年玉を送ってやったらしく、娘から電話があったらしい。

娘は忙しいこともあるだろうが、私がケイタイでメールしても、返信は夫に電話でということもある。

ま、娘は、子供の頃から、お父さんっ子の傾向があったし・・・。

それと、ケイタイのメールを打つのは面倒なのだろう。

これは私の友人にもいて、ひさしぶりにメールしても返信がなかったことがあった。

あとで言うのに、一字、一字メール打つのが面倒くさいのだそう。

そうだろうな。電話だと、ただ喋るだけでいいのに、ケイタイのメールなどは手間だ。

私の親しい友人たちは、アナログ人間が多くて、あまりパソコンをしない。

パソコンだったら、ブラインドタッチまで上達すれば、電話と変わらないくらいやりとりができるのだが・・・。

まだ、それでもメールのできる友人はメールで交流ができるが、電話のみの友人とは、すっかり没交渉だ。

で、最初の話に戻るが、私も、娘や孫と話がしたい。

娘婿のお母さんは足を悪くされているから外出は自由にできないが、電話は自由だ。

だから孫達にもよく電話していられるようだ。

以前、娘のところに行っているときに、娘の留守中、電話がかかってきて、孫が話していたので、「どなた?」と聞くと、「鹿児島のおばあちゃん」と答える。

あ~、そうなんだ。おみ足を悪くされていても、電話は自由にできるから、されるのだと当たり前のことに感心してしまった。

耳の悪い私はだんだん親族の間でも孤立してゆくのかと、ちょっぴり絶望的な気持ちになった。

東京の孫達も、会う回数は少なくても、しょっちゅう電話でお話しているおばあちゃんのほうに親しみを持つだろうな。

私のことは冷たいおばあちゃんと思っているかも、とも思った。

かといって稼ぎのない私は、お小遣いをたっぷりあげるとかいう芸当もできないから、影が薄くなるばかりかも。(涙)

  小遣いもあげられなくて電話にて話すもできぬ祖母のわたくし  biko

  近ければ聞こえぬ祖母のわたくしもその存在を刻めるものを  biko

とはいっても、間接的に聞くところによると、東京の娘のところの次男坊はピアノが上手で、バイオリンもなかなかの腕前とか。硬筆も東京都下の小学校低学年の部で2位になったとか言っていたから、将来が楽しみだ。お兄ちゃんのほうは都下の私立御三家に入学できたし・・・。

まあ祖母の私が孫達の記憶に刻まれなくても、孫達が立派な人になってくれたらそれで本望だ。

  孫達と電話のできぬ祖母われもその将来はただ楽しみで  biko

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4 コメント

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Unknown (真知子)
2016-12-24 07:05:41
おはようございます。
母が中耳炎の後遺症で左耳が聴こえなくなりました。聴こえる方の右も歳と共に変化してきたようで、テレビの音量はだんだん大きくなっています。
電話は聴き取りにくいと言っているのですが、スピーカーホンにしたら、少しは聴こえやすいと言います。それは母だけの感覚かもしれませんが、一度試してみてください。
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真知子さんへ (biko)
2016-12-24 07:27:03
そうですか。お母様も聞こえが・・・。

でも、スピーカーフォンでお話ができるのでしたら、まだよろしいですね。

私も、7、8年前までは、そうしていたのでしたが、最近は、それも難しくなってきました。

それでも、現在は、まだ全く聞こえないわけでもないのですが、これから、さらに聞こえなくなったときの覚悟もしています。

お母様も、これ以上悪くなられないといいですね。

コメント、ありがとうございました。
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あるがままに生きる (ハイジ)
2016-12-24 12:04:31
障害の不便さは本当の所本人しかわかりません。
わかろうとする心優しい人にも 難しいですね。
あるがままに生きる。
楽しみを 自分で たくさん 見つけましょう。
bikoさんの娘さんのお孫さんも大学生になれば 一緒に自由に会えますよ。

ハイジは亡親の晩年 妹一家とハイジ一家 亡親の 全員で 毎年 彼方此方の温泉旅行しました。
妹夫婦の提案で。
全員参加で亡親の送り迎えは 行きと帰りを妹夫婦とハイジ夫婦が片方ずつ 平等に。
今では いい思い出になりました。

bikoさん家と違ってハイジの子供達や妹はお客大好き 予定がなければ 大歓迎 ばかりです。
ハイジは自主独立なので 勝手に自由が好きです。
暇人とも言います。

bikoさんがこれから先 さらに 聞こえなくなる覚悟されてるコメント読み   何も考えれなくなりました。







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ハイジさんへ (biko)
2016-12-24 15:22:44
私の難聴は中学2年で発覚して、当時高知県から一番近くて、かつ確かな岡山大学医学部付属病院で検査していただきました。その結果、今後ともよくなることは望めないので、歳とともにもっと悪くなることを覚悟するように言われました。そばで聞いていた数人の医学生達が気の毒そうな顔をしていたことが忘れられません。

それから幾星霜、診断のとおり、どんどん難聴は進行しました。

受け入れられず泣いたこともありますが、ハイジさんの言われるとおり、あるがままに生きていくしかないと。

目の見えない人もいるし、足が悪くて歩けなくなる人もいるし、みな苦しみに堪えるために此の世に送られてきているのでしょうね。

コメント、ありがとうございました。
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