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≪ 「お気持ち」が法律を創らせる過程こそ違憲 ≫  国会の発議が本筋 そして<天皇の言葉だから>と疑問なしに動く体質が問題

2017-03-22 11:42:15 | 時評
◆ 「お気持ち」と政治 天皇制を研究する政治学者・原武史さん http://digital.asahi.com/articles/DA3S12847231.html?rm=149
1) <「はっきり言っておかしいと思います。いまの憲法下で、天皇は国政に関与できないはずです。それなのに、天皇が退位の気持ちをにじませた発言をする
   と、急に政府が動きだし、国会でも議論を始めた。『お気持ち』を通して、結果的にせよ、国政を動かしています。私が知る限り、戦後、天皇が意思を公に
   表し、それを受けて法律が作られたり改正されたりしたことはありません」
2) 「明治憲法によって『大権』を持っていた明治天皇や大正天皇、戦前の昭和天皇の時も、こんなことはありませんでした。今回の天皇の『お気持ち』
   の表明と、その後の退位へ向けての政治の動きは、極めて異例です」
3) 「日本国憲法の国民主権の原則との矛盾を避けるには、あらかじめ国民の中に『天皇の年齢を考えると、そろそろ退位してもらい、皇太子が
   即位した方がいい』という意見が広がり、その国民の『総意』に基づいて、天皇が退位するという過程をたどることでしょう。
   憲法は天皇の地位を『国民の総意に基づく』と定めています」  
  「あるいは、その総意を受けて、国民の代表である国会議員が退位を発議するという形でもいいかもしれません>
4) 大正天皇の時に、皇太子だった後の昭和天皇が摂政になりました。この結果、大正天皇はいわば押し込められ、しかも宮中は天皇側と摂政側に大きく割れて
   しまった。今の天皇はそれを知っていて、摂政案を拒否したといいます」

* 全く虚を突かれた感がある。共産党さえ、メディアも、右派論客の誰も、この角度からの指摘をした人は居ない。原氏のポイントは、まさしく主権在民の   
  大原則に関わる重要な指摘だ。  そして、私が最も感銘を受けた指摘が、次の5)6)である。    熟読玩味いただきたい。

5) 昨年公表された「お気持ち」には、リベラルといわれる人からも高い評価がありました。敗戦翌年の1946年元日の昭和天皇による「人間宣言」と
  「相互の信頼と敬愛」が重なるなど共通点がある、引き継いでいると。<それより、45年8月15日の昭和天皇による終戦詔書の朗読、いわゆる『玉音放送』
  との比較にこそ意味があります」
6)「昨年7月にNHKの第一報が流れるまでは、もし国民の誰かが『陛下ももうお年なのだから、そろそろ皇位を皇太子にお譲りになって引退されたら』
   などと言おうものなら、それこそ『身のほどをわきまえない無礼者』とのそしりを受けた可能性は大いにあったでしょう。たとえそう思ったとしても、
  公然とそれを言い出せる空気があったかどうか」
  「ところが、いったん天皇からその意思が示されるや、圧倒的多数の国民が受け入れました。これが天皇と国民との関係です。この点で、45年8月と現在は
  変わっていません>・・・見事な切り口だ。 我々有権者は、≪憲法は変わったのに天皇と国民の関係は敗戦時と変わらない≫現実を『よいことだ』とするのか?
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