静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ 敵愾心を煽るだけ:日本人の拙い対応 ≫  今も差別しているのは支配した日本であり、支配された側が日本を差別しているのではない 

2019-08-31 20:05:10 | 時評
★☆「表現の不自由」考:少女像が「日本へのヘイト」にならない理由 明戸隆浩・東大特任助教
   https://mainichi.jp/articles/20190830/k00/00m/040/361000c?fm=mnm
 引用した明戸氏の論旨は、私がこれまで何度も様々な言い方で本件に潜む「自由喪失への危険」をしてきた流れと大筋に於いて同じだから、改めて言上げしない。

 明戸氏が喚起した注意すべきトリックにお気づき願いたい。それは、日本人による特定国家(=北朝鮮&韓国)への偏見/差別を<ヘイト(Hate =憎悪)
  スピーチ>と呼ぶなら、天皇制に代表される戦前レジュームの遺物擁護の言動への反論は『日本へのヘイトだ』とすり替える荒唐無稽な誘導だ。


◎ 支配され、虐待された側が加害者にもつ想い。それに対して、支配・虐待・加害した側が”向けられた抗議”に抱く疲労感。 ここに”自然な終り”などない。
 だが、理性で互いが区切りを付けようと(情緒とは別に)道筋をつける。其の努力が【和解】だ。ヨーロッパにおけるドイツ。アジアでは日本が周辺諸国と
 長い時間を費やして進んできた。だから、例え人工的であれ【和解】を形作ったならば、それを後から覆すことは互いの時間を台無しにする事だ。
 此の一点において日本政府と日本国民が主張する<国家間の国際法ルール順守して欲しい>との主張は完全に正しい。
    だが、そノ正しさは間違っても、心無い日本人が朝鮮半島の人々にむける敵意/侮蔑/差別を正当化する根拠ではない。今後も。


* 私は何度も書いた。憎悪が生きるエネルギーになっている人/人々/国家というのは限りなく淋しく心貧しい個人の人生であり、国の在り方だ、と。
 朝鮮半島に生きる人々の多くは、20世紀初頭以来、憎悪が国の成立ち・人の暮らしの支えになってきたと映る。「そんなことはない!」と反駁するだろうが、
 そうしか外部には見えないのだ。一体どれほどの朝鮮民族と在日の人々は是を自覚してるのか?? 自分たちは情けない李王朝/大韓帝国をもったから
 情けない今日が在る、という反省だ・・。

* 明治日本は西洋化を追い求め、追いついたと自惚れたあげく、1945年あえなく滅亡した。然し日本の場合、滅亡が招いたのは欧米(特にアメリカ)に敗れた
 屈辱よりは己の至らなさ・浅はかさへの猛省であり、西洋人が犯した東洋への侮辱や多くの差別を恨みのエネルギーにするよりは負けた結果がもたらした果実を
 大事にしてきた。 多分、ここが朝鮮半島の人民との決定的な違いだろうと私は思う。 これは幕末&明治維新期と同じマインドセットだった。
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